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COLUMNCONCERT

英国ロイヤル・オペラ2024 現代に通じる悲劇、心揺さぶる人間の尊厳

名門歌劇場「英国ロイヤル・オペラ」が2024年6~7月、5年ぶりに来日する。同歌劇場で歴代最長22年の任期を終えるアントニオ・パッパーノ音楽監督の集大成だ。演目はヴェルディ「リゴレット」とプッチーニ「トゥーランドット」。いずれも登場人物の本性を描き、人間の尊厳が心を揺さぶる傑作。ともに過酷な悲劇だが、「トゥーランドット」はハッピーエンドにみせる。現代社会に通じる悲劇には両作曲家の人生経験もにじむ。
(日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー 池上輝彦

♪♪ヴェルディ「リゴレット」♪♪

登場人物の愛憎心理を可視化

パッパーノは02年に同歌劇場の音楽監督に就任し、オペラ指揮者として世界的な評価を高めた。音楽監督としての掉尾(とうび)を飾る日本公演に選んだ演目の一つが、17年からオペラ・ディレクターを務めるオリヴァー・ミアーズ演出の「リゴレット」全3幕。西洋美術史上の名画をイメージした舞台演出を通じて、登場人物の愛憎心理を可視化する手法を採用し、好評を得ている。まずは「リゴレット」の見どころ、聴きどころを探ろう。

宮廷道化師のリゴレットは好色漢のマントヴァ公爵に仕えている。リゴレットの一人娘ジルダは公爵に恋するが、たぶらかされる。復讐心に燃えるリゴレットは、刺客に公爵の殺害を依頼する。だが騙されても公爵を愛しているジルダは、身代わりになり殺される。救われない悲劇である。ヴェルディ初期の「エルナーニ」と同様、原作はフランスの文豪ユゴー、台本はピアーヴェ。これだけ陰惨なオペラがなぜ現代に至るまで人気なのか。

純粋無垢の愛と父親の真心

Photo: Ellie Kurttz / ROH

第1幕で描かれる宮廷は唾棄すべき腐敗ぶり。舞踏会で公爵は女性を追い回し、廷臣らは機嫌をとるばかり。リゴレットは道化師として、公爵を非難する者らに毒舌を浴びせるが、公爵に娘を凌辱されたモンテローネ伯爵から呪いをかけられてしまう。その夜、公爵に忖度する廷臣らは、リゴレットの愛人だと勘違いしてジルダを誘拐する。誘拐される前、公爵を貧しい学生と信じたジルダが歌うアリア「慕わしい人の名は」は抒情的で美しい。

奸計(かんけい)と憎悪が渦巻く醜い状況の中、純粋無垢の愛が浮かび上がってくるところにこのオペラの魅力がある。ドラマと一体になったヴェルディの歌の旋律と精緻な管弦楽法がこれを実現させている。第2幕で廷臣らを前に「娘を返せ」と訴えるリゴレットの「悪魔め、鬼め」は、父親の真心を歌って感動を呼ぶ。第3幕には公爵が歌う有名なアリア「女心の歌」があり、さらにはユゴーが称賛した最高傑作の四重唱も控えている。

人間の本性見抜くリアリティー

ヴェルディはなぜ、ここまでみじめで無残な父親の悲劇にこだわったか。まず24~27歳で長女、長男、妻を相次ぎ亡くした経験がある。その後、ヴェルディは元歌手のストレッポーニと同棲したが、実家や世間から白眼視され、結婚までに10年以上もかかっている。2人の間には「リゴレット」初演の頃、孤児院に預けた隠し子の女児がいたとの説もある。父と娘の愛は「ナブッコ」「アイーダ」「シモン・ボッカネグラ」のテーマでもある。

「リゴレット」が描くような放蕩の公爵と廷臣による腐敗した組織は、現代の企業社会の常識とは程遠い。しかし人間の本性を透視すれば、似た状況はあり得る。そう思わせる愛憎劇のリアリティーも魅力の一つ。パッパーノ一押しのリゴレット役エティエンヌ・デュピュイ、現代最高のジルダ役と評されるネイディーン・シエラ、安定感のある美声のマントヴァ公爵役ハヴィエル・カマレナら豪華キャストの迫真の歌唱と演技が期待できる。

♪♪プッチーニ「トゥーランドット」♪♪

壮大で劇的な管弦楽法と美旋律

ヴェルディの後継者として19世紀末から20世紀初めのイタリア・オペラを代表する作曲家プッチーニは日本でも人気が高い。オペラ全12作のうち喜劇は「ジャンニ・スキッキ」1作のみ。ヴェルディ以上に悲劇性を深め、「トスカ」の恋人の拷問と銃殺、「蝶々夫人」の切腹など、登場人物の苦難も苛烈を極める。未完の遺作「トゥーランドット」は特に人気作品。不協和音や東洋の五音音階も駆使した壮大で劇的な管弦楽法と歌の美しい旋律が魅力だ。

パッパーノがロイヤル・オペラの音楽監督として「トゥーランドット」を指揮するのは意外にも2023年3月が初めて。プッチーニのオペラにはシリアスな悲劇が並ぶだけに、おとぎ話に題材を取った「トゥーランドット」には慎重だったようだが、今やロイヤル・オペラが誇る人気プロダクションになっている。パッパーノとロイヤル・オペラの共創の集大成を示す舞台を日本に居ながら目の当たりにすることができる貴重な機会だ。

中国のトゥーランドット姫に魅せられた異国の王子カラフが、姫の謎かけを解き、真実の愛を得る物語。パッパーノのこのオペラへの傾倒はレコーディングにもみられる。伊サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団を指揮した22年録音のCD(ワーナー)は、プッチーニの死後にアルファーノが補作した初稿を使用。初演指揮者トスカニーニによる削除部分も復元し、世界初の完全全曲収録を達成した。その成果も日本公演で期待される。

リューのモデルとなった女性

だがこのオペラの悲劇の根幹を担うのは、カラフを密かに慕う女奴隷リューである。姫の謎かけを解いたカラフは、夜明けまでに自分の名前を言い当てれば死をも厭わないと姫に提案する。終幕の第3幕、カラフが名アリア「誰も寝てはならぬ」を歌った後、窮地に立つ姫は、リューを拷問にかけてカラフの名前を吐かせようとする。白状しないリューが歌う「それは愛の力」「氷のような姫君の心も」は全編中の白眉。そしてリューの自死。

「リュー……いい子だった!リュー……やさしかった!」の場面まで完成させてプッチーニは世を去った。「トゥーランドット」はハッピーエンドだが、自筆譜は悲劇のままで終わった。トスカニーニは1926年の初演時、プッチーニから生前言われた通り、「作曲家はここで筆を置きました」と聴衆に向けて語り、指揮棒を置いた。リューへの思いが強かったプッチーニ。背景には「ドーリア事件」がある。

プッチーニが自動車事故で負傷した時、世話役として16歳のドーリアが雇われた。彼女はその後も献身的に家事を担ったが、妻エルヴィーラに嫉妬され、夫との関係も疑われ、執拗な非難や罵倒を受けて自殺した。リューにはドーリアの投影がある。リュー役マサバネ・セシリア・ラングワナシャの清澄な歌を堪能したい。カラフ役は英雄的な存在感のブライアン・ジェイド、題名役は劇的な歌唱力に定評のあるソンドラ・ラドヴァノフスキー。

トラウマが引き起こした圧政

Photo: Tristram Kenton / ROH

トゥーランドットの過剰な自己防衛と圧政は、異民族の襲撃で非業の死を遂げた先祖の姫の物語によるトラウマが引き起こしたもの。これは現代の世界情勢にも通じる。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのパレスチナ自治区ガザ侵攻の背景にもナチスドイツによる侵略やホロコーストという過去のトラウマがある。

権威主義と民主主義の分断が進む現代社会。勝敗を超越した次元でトゥーランドットが叫ぶ「彼の名は…愛!」の言葉に希望を見出したい。

「英国ロイヤル・オペラ」2024日本公演は2024年6月22日~7月2日まで開催。『リゴレット』は6月22日(土)午後3時、25日(火)午後1時/神奈川県民ホール、28日(金)午後6時30分、30日(日)午後3時/NHKホール。『トゥーランドット』は6月23日(日)・26日(水)・29日(土)・7月2日(火)。26日は午後6時30分、他日は午後3時/東京文化会館。公式サイトはこちら

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