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INTERVIEWSTAGE

ジャパネットたかた創業者 髙田明氏に聞く「能楽の魅力」――世阿弥は私の拠り所

今から1300年ほど前、中国から伝えられた散楽が起源とされる能。物まねや言葉遊びなどを中心とした寸劇の猿楽を経て、14世紀半ば、観阿弥・世阿弥という二人の天才親子が登場。猿楽を優美な能として大成させた。ジャパネットたかたの創業者、髙田明さんは、世阿弥は「私の拠り所」とし、600年の時を経て現在のビジネスに通ずると話す。髙田さんに、世阿弥の思想を通じた能楽の魅力を聞いた。(聞き手 art NIKKEI 大石信行)

髙田明

1948年長崎県平戸市生まれ。大阪経済大学卒業後、機械メーカーへ就職。通訳として海外駐在。74年に父親経営の「カメラのたかた」入社。86年、分離独立し「株式会社たかた」設立。90年、ラジオショッピングを機に通信販売事業を展開。99年、「株式会社ジャパネットたかた」へ社名変更。2015年1月、同社代表退任。「株式会社A and Live」設立。17年4月プロサッカークラブ「V・ファーレン長崎」代表取締役社長に就任、同年J1昇格。20年1月退任。

――世阿弥の思想はビジネスにもつながる?

能というと、難しく感じられるのですが、そうではないと思っています。

私は、通信販売のビジネスを立ち上げ、ラジオやテレビでしゃべってきました。どうしたら自分の思いを深く伝えられるかを考える中で、本質を人の心に届けることが、数字や結果につながると感じてきました。私が感じてきたことが、なんと世阿弥の「風姿花伝」や「花鏡」に記してあるのです。

室町時代に能楽を大成した世阿弥の言葉や思想は、現在のビジネスなどの経済、そして政治、さらにすべてのものにつながるほど深いものです。だから能の世界っていうのは、その文化の世界だけに終わるのはもったいない。混沌とした今の世の中において、世阿弥から学ぶべきものは多いのではないでしょうか。

――世阿弥との出会いは?

ある社員が転勤する際にドアをトントンとたたいて、「この本を読んでください」と言って、「世阿弥『風姿花伝』(100分de名著)」(NHK出版、2014年)を持ってきてくれたんです。「どうした」と聞いたら「社長がいつも私たちに語っていることが、世阿弥の書いていることと一致するんです」と言うんです。それでその本を読み、ハマりました。

付箋が貼られ、読み込まれた髙田さんの「世阿弥『風姿花伝』(100分de名著)」

その後、講演で世阿弥の言葉を紹介するようになったのですが、そうするうちに、能の研究家で武蔵野大学名誉教授の増田正造先生から「能の世界は芸術とか文化だけではなくて、テレビショッピングという全くかけ離れた世界とも合致することに感動した」とお言葉をいただき、そのことがきっかけで、先生の監修で「髙田明と読む世阿弥 昨日の自分を超えていく」(日経BP 、2018年)を出版することができました。

「髙田明と読む世阿弥 昨日の自分を超えていく」は増田正造氏との出会いから生まれた

――世阿弥の考えを、どのようにビジネスで使っているのでしょうか

私はもうテレビには出演していませんが、今でも社員に「伝える」ことについて指導をすることがあります。その際も世阿弥の言葉をかなり使います。「序破急」(注1)とか「一調・二機・三声」(注2)という言葉の意味は説明しなくてもテレビの制作に関わる社員は分かっています。なので、「序が足らないとか、急はもっと先に持ってきたほうが分かりやすいよ」というように伝えます。世阿弥の言葉が共通語となっている。そういうのは楽しいです。

序破急(注1)
能の構成の基本理念。物語が始まる現在地を説明する導入の「序」。次の展開となる「破」で主人公は困難に直面し、観客をハラハラさせる。そして終結の「急」で幕を閉じる。

一調・二機・三声(注2)
能で声を出すまでのステップ。一調で声の張り、高さ、緩急などを心と体の中で整え、二機で声を出す間合いをはかり、三声で声を発する

視聴者に対してテレビを通して商品を紹介している時に、自分の目はカメラを見ているのではありません。「離見の見」(注3)という意識で、カメラの前に立つと、自分の見るべき先はお客様なんです。政治の世界でいえば、見るべき先は国民や県民、市民であるわけです。医療の世界なら患者さん、学問の世界は生徒や学生であって、「離見の見」という意識の下に対話や指導をしなければならないと思っています。

離見の見(注3)
役者が観客の立場になって俯瞰して自分を見ること。「我見」は役者自身の視点、「離見」は観客が見所(客席)から舞台を見る視点。世阿弥は、観客から自分がどう見られているかを意識することの大切さを説いている。

「離見の見」を忘れてしまうと、90秒のテレビショッピングでも全く売れないのです。言葉のテクニックだけではなく、自分の心から出るもの、体から出るもの、あるいは人間力を出していかないとダメなんです。だからMCを務めるのには常に修行しなくてはならないのです。

ジャパネットのテレビ制作の社員に対して「もっと離見の見を持たなきゃ」とか普通に使っているんです。「離見」とか分からないと言ったら怒られますよ。給料半分に下がっちゃう(笑)。

もちろん、世阿弥の言葉を社員に伝える時も、聞いている人の立場から分かるように、仕事の話に置き換えてシンプルに伝えるようにしてきました。とはいえ、伝えるためにはサプライズも必要です。それは世阿弥の言う「秘すれば花」(注4)でもあります。

秘すれば花(注4)
秘密の芸を用意しておいて、ここぞという時に使うと、観客を驚かすことができるという趣旨の言葉

さらに、私が自分自身を成長させるために最も大事にしているのが「まことの花」という言葉です。

あるM Cが紹介した商品がよく売れると、「自分の力で売れた」と勘違いすることがあります。でも世阿弥は「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり」という言葉を残しています。売れたのは、商品がたまたま良かったが故のことで、自分自身の工夫と精進によって咲く「まことの花」であると思い込むと、成長が止まる…。つまり真実の花から遠ざかってしまうという意味ですが、このように世阿弥の言葉はビジネスに通じる力がありますよね。

他にも「是風・非風」(注5)とか「動十分心、動七分身」(注6)と言った世阿弥の言葉は100%、今に通じる。だから通販業界の人だけでなく、すべての世界の人に世阿弥の言葉を読んで、感じていただきたいと思います。そこに大きな価値があると思うからです。

是風・非風(注5)
是風はスタンダードで安定した芸。非風は毒薬的に否定されるべき芸だが、是風に非風を少し交えると、大きな効果があるとされる

動十分心、動七分身(注6)
心を100%働かせる一方で、体の動きは心の動きに対して七分目にとどめると、優美で奥深い幽玄な演技ができるということ。髙田さんは、この言葉を踏まえ、10を表現するためには、その倍、3倍のインプットをしておかねばならないと考えている

――世阿弥に出会って、ご自身の生き方が変わりましたか?

自分がこれまで考えてきたことを、世阿弥の言葉によって裏付けてもらっていると思っています。例えば、私は「物まね」の大切さを感じてきたのですが、物まねは嫌がられます。しかし、世阿弥は「風姿花伝」「物学条々(ものまねじょうじょう)」で、「物まね」の重要性を記しています。私は社員に対して、世阿弥の教えを基準にして一歩踏み込んでいく――。人は一流の人の物まねをしてうまくなっていく。まねをして、その人を超えていくことが大切。これは世阿弥の教えと一緒だと思います。

私は75歳になりますが、年を重ねても花があるという言葉にも惹かれます。世阿弥は父・観阿弥が52歳で亡くなる直前の舞台を見て感動しています。父の演技に「花」を見て、最高のものだと感じたそうです。

イスラエルの物理学者で、生産管理の第一人者でもあるエリヤフ・ゴールドラット博士は、本質的な原因「ボトルネック」を探し、解決する重要性を指摘しています。私は、歳を重ねても、自分のボトルネックを探す旅を続けています。一番大事なのは今で、そこを超えたら今日の自分より超えた明日があると信じています。こうした考え方も世阿弥の思想には全て含まれているんです。世阿弥は私の拠り所です。

――髙田さんは、117歳まで生きると宣言されていますね。

はい。最近は10歳ぐらい縮めないと無理じゃないか、と周りには言うんですけれど(笑)。

世阿弥は初心について語っています。老後の初心が3つ目に来る。体は老いていく中で、「老後の初心」(注7)はなんだとなれば、一つは、いつまでも「自分、自分」というのではなく、後進を育てていくことではないでしょうか。

初心(注7)
世阿弥は「花鏡」の中で「初心忘るべからず」という言葉を残したが、初心には①是非の初心②時々の初心③老後の初心、という3つがあるとする。是非の初心とは、未熟だった若い頃の初心であり、その後の判断基準になるもの。時々の初心は、壮年期から老年期へと修行をしてゆく間に、それぞれの時期にふさわしい芸を取得した時の初心。老後の初心とは、老年期になって初めて行う芸があり、その時の初心である。年齢やキャリアを重ねたものへの警告でもある。

最近、事業承継の取材を受けることが多くなっています。私は売上高が1500億円を超えた66歳の時に当時35歳の息子にバトンタッチして、会長にもならず、完全に引退しました。私が辞めたら危ないのでないかと言われたのを乗り越えて、息子を中心にみんなが頑張って、その後売上高を1000億円伸ばしたのは、すばらしいことです。

老後の初心として、117歳まであと40年ありますから、陰ながら社員と会社の成長を見続けたいと思います(笑)。

また私が社長を辞めてからの9年の間で、Jリーグ「 V・ファーレン長崎」の社長を3年間務めました。ご縁があって全国各地で講演もさせて頂きました。全国で行ってない所は2県くらいです。講演は、ビジネス関係者だけでなく、医療、学校、スポーツ関係者などとさまざまです。

私がなぜ異業種の皆さんに対して講演ができたかと言えば、一にも二にも世阿弥の存在があったからです。世阿弥に戻ってみることが、人の生き方でも経営にもつながっているので、講演でお話しすることができたと思っています。

――どの言葉を一番心にとめていますか?

いっぱいありますが、具体的に実現するためには、先ほどお話したように、「我見」「離見」「離見の見」というのが一番大切ではないかと思っています。そして、それを実現する修行の心構えとして、「時分の花」「まことの花」が大切です。人間はその時々で勘違いしてしまうことがある。人生は勉強の連続であり、常に謙虚に学び続けるということが大事だと思います

今、日本でも不正や不祥事の報道が後を絶ちません。最初は誰しも「みんなの幸せのため」ということを目指すと思いますが、様々な環境に身を置くことでそこから離れてしまっているということがあるのではないでしょうか。世阿弥がいたら、大変悲しむのでは…。

――日本だけでなく、世界中で世阿弥の残した「離見の見」の精神が通じるようになったら、世の中がいい方向に変わるかもしれないですね。

そう思います。

第18回日経能楽鑑賞会「頼政」を6月6日(木)と14日(金)に国立能楽堂(東京・渋谷)で開催します。能では金剛流二十六世宗家・金剛永謹と観世流シテ方・片山九郎右衛門が世阿弥作の修羅能「頼政」を、狂言では和泉流の野村萬、野村万作が「富士松」をそれぞれ競演します。6日・14日いずれの日も午後6時開演。公式サイトはこちら

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