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COLUMNCONCERT

小林研一郎指揮ハンガリー・ブダペスト交響楽団、亀井聖矢ピアノ
国際指揮者コンクール優勝50周年、新鋭交え炎の感動再び

「炎のマエストロ・コバケン」の愛称で人気を集める小林研一郎が1974年に第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで優勝して50年。そのとき共演したハンガリー・ブダペスト交響楽団との日本ツアーが実現する。7月2日サントリーホールでの曲目は、同コンクールで指揮したロッシーニの「歌劇『セビリアの理髪師』序曲」から始まり、新鋭のピアニスト亀井聖矢とのリスト「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」、それにチャイコフスキーの「交響曲第4番ヘ短調」。ところでチャイコフスキーでは9拍子、リストでは12拍子が登場する。コバケンはどう振り、亀井はどう弾くか。変わった拍子による感動のポリリズムを聴こう
(日本経済新聞社チーフメディアプロデューサー 池上輝彦

コンクールで指揮したオーケストラ

小林と中欧との縁は深い。1987~97年にはハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団(当時はハンガリー国立交響楽団)で外国人初の常任指揮者を務め、うち92~97年は音楽総監督を兼務した。2002年「プラハの春音楽祭」では東洋人として初めて開幕コンサートでチェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮し、恒例のスメタナの連作交響詩「わが祖国」が世界に向けて放映された。そうした小林の世界的活躍の出発点がブダペスト国際指揮者コンクールでの第1位及び特別賞の受賞であり、そこで指揮したのがハンガリー・ブダペスト響である。

© Kelemen Gergo

ハンガリー・ブダペスト響は第2次世界大戦末期の1945年、当時のハンガリー国有鉄道社長のラースロー・ヴァルガが創設。70年近い歴史の中で、ハンガリーの国民的作曲家ゾルターン・コダーイのほかヤーノシュ・フェレンチクやハンス・スワロフスキーら錚々たる音楽家が指揮台に立ってきた。小林は2014~15年シーズンから名誉客演指揮者を務めている。

「炎のコバケン」の狼煙を上げた曲

小林が同コンクールに応募したのは34歳のとき。たまたま音楽雑誌を見て、応募条件が年齢制限35歳でぎりぎり受験できる同コンクールを知った。作曲家を志して東京芸術大学に入り、前衛音楽に幻滅し、入り直した同大学指揮科を卒業して歳月がたっていた。しかも知った時点ですでに応募締め切り日を4日過ぎていた。それでも当時指導していた合唱団のメンバーの友人の父親がハンガリー大使だったこともあり、その伝手でコンクール主催者から応募の承諾を取り付けることができた。

辛うじて出場したコンクールで、最初にハンガリー・ブダペスト響を指揮して演奏したのが、くじ引きで決まった課題曲、ロッシーニの「『セビリアの理髪師』序曲」である。今回のサントリーホール公演では小林の出発点となった同曲を聴ける。

© 山本倫子

この序曲には、短いフレーズを繰り返しながら音量を次第に増して聴き手を興奮させる「ロッシーニ・クレッシェンド」と呼ぶ仕掛けが組み込まれている。ハンガリーの人々の情熱的な気性の一面は様々な民族舞曲でも知られるが、イタリア人ロッシーニのクレッシェンド(だんだん強く)が表現する熱情も小林とハンガリー・ブダペスト響は共有したことがあるわけだ。「炎のコバケン」が狼煙を上げた曲を聴き手は同じオーケストラで50年ぶりに体験することになる。

亀井聖矢の劇的な正統派ピアニズム

ところで「『セビリアの理髪師』序曲」に続く今回のメインディッシュの大作2曲も火花が散るほど情熱的でロマンチックな音楽であり、「ロマン派」を自任する小林にふさわしい。まずリストの「ピアノ協奏曲第1番変ホ長調」。この曲では、今最も注目されている若手ピアニスト亀井聖矢を共演者に迎える。亀井は2001年生まれの22歳。22年のパリのロン=ティボー国際音楽コンクールピアノ部門で優勝し脚光を浴びた。

亀井は正統派の奏法と劇的な感情表現を持ち味にし、聴き手の情感を揺さぶり、感動の渦に巻き込む。ショパンやリストとともにバッハやプロコフィエフも得意とするのは、19世紀ロマン派と18世紀バロック、20世紀の新古典主義の作品のいずれにおいてでも正統的かつ劇的表現に長けていることを示す。

© Yuji Ueno

感情の赴くままに作曲したように思えるロマン派のショパンやリストの作品を聴き込むと、素地ではバッハ以来の伝統形式や、逆にプロコフィエフのようなモダンな手法が見えることが多い。リストの「ピアノ協奏曲第1番」にはそうした両面を聴かせる仕掛けが随所に組み込まれている。例えば第2楽章。8分の12拍子という異様なリズムで非常に緩やかな音楽が奏でられる。12拍子ながら、ピアノが最も美しく歌い上げる場面だ。難しいリズムのゆっくりしたテンポの楽章を小林がいかに指揮し、亀井が美しくも情念のみなぎる旋律をどのように奏でるか、聴きどころだ。

チャイコフスキー魅惑のポリリズム

やはり8分の9拍子という風変わりな拍子ながら、感情過多のドラマチックな盛り上がりを聴かせるのがチャイコフスキーの「交響曲第4番ヘ短調」の第1楽章。序奏のホルンとファゴットによる華々しいファンファーレ(運命の動機)は4分の3拍子。しかし悲劇的な激情がほとばしる提示部からは、3拍子の各拍の中にさらに3拍子がマトリョーシカ人形の入れ子のように組み込まれた「3×3=9拍子」に変わる。曲調は演歌といえるほど情念に満ちており、感情のうねりが管弦楽の分厚い響きで9拍子の激流となって迫りくる。「ロマン派コバケン」が得意とする交響曲の一つだ。

チャイコフスキー「交響曲第4番ヘ短調」第1楽章の第1主題

小林が第1楽章の9拍子をどう指揮するか、興味は尽きない。9拍子が3拍子に聴こえたり、行進曲風に2拍子に聴こえたり、激流の中で様々なリズムが絡み合って魅惑のポリリズムを成す。それでいて全体として流麗に音楽が進む。第2楽章では哀愁の旋律が歌い上げられ、第3楽章は弦楽器が終始ピツィカートで弾く斬新さ。そして最後の第4楽章ではロシア民謡「白樺の木は野に立てり」の抒情的な旋律を挟みつつ、金管楽器と打楽器が華々しく火花を散らしてクライマックスを築く。そこには小林ならではの大きな感動が待っている。

7月2日はもう暑い季節だろうが、小林と亀井とハンガリー・ブダペスト響のステージはもっと熱い。常に幅広い層の聴衆に寄り添って音楽の真価を聴かせてきた孤高のマエストロ小林。圧倒的な感動で涙しても、小林の炎を消すことは到底できない。

「小林研一郎指揮『ハンガリー・ブダペスト交響楽団』ピアノ:亀井聖矢」は2024年7月2日(火)にサントリーホール(東京・港)で開催。午後7時開演。公式サイトはこちら

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