小説家。福岡県生まれ。東大卒。戦後派文学の旗手。海軍生活を踏まえた「桜島」、遺作「幻化」など。(1915〜1965)
1939年 短編小説「風宴」を浅見淵にもちこみ、同年8月「早稲田文学」にて発表。一部で評価を受ける。
1944年 海軍に召集され、九州の基地を転々とする。
1945年 8月、戦争終結。同年9月に上京し、海軍での体験を基にして「桜島」を執筆する。
1946年 9月「桜島」が「素直」創刊号にて掲載される。新進作家としての評価が固まる。
1947年 9月「日の果て」発表。
1955年 2月「ボロ家の春秋」にて第32回直木賞を受賞する。11月「砂時計」により第2回新潮賞を得る。
1964年 2月「狂い凧」により文部大臣芸術選奨をうける。
1965年 6月「幻化」発表してまもない同年7月19日、肝硬変により逝去する。
苛烈な戦争体験に取材した作品「桜島」「幻化」等が有名だが、その一方で市井での生活に材を得た「ボロ家の春秋」「Sの背中」「砂時計」等もまた、人間心理の意地悪く不可解な一面をユーモラスに描いており、読み逃せない作品になっている。
一般に第一次戦後派作家としての評価が高いが、その内面に沈むような作風から、第三の新人の先輩格としてみなす向きもある。
全集は昭和41年に新潮社から全7巻刊行、また昭和59年から63年にかけて沖積舎からも出されている(全7巻+別巻1)。ただし、どちらも一部の長編作品等は網羅されていない。
概要 評論・小説・古文・漢文の形式は例年通り。「複数テクストの参照」があったのは評論と古文。評論の設問はテクストの引用において同じ著作物でも引用者によって異なる主題の論理展開に使われるということが示された。古文は連歌がテーマなのだが、一つの作品を理解するために同じ著者による同じテーマを扱った別の作品を読んで理解の一助とすることが扱われた。小説は戦後不況を扱う作品だが、出題者コレ令和衰退期の日本との類似性を示唆してるでしょ?(日本式雇用慣行が成立する以前の昭和敗戦期とそれが崩壊して以降の令和衰退期・資本主義による労働者搾取)。漢文は中国の官吏登用試験に白居易が自分で予想問題を作り自分で模擬答案を…
薬を飲んでもいないのに視界が濁り、仕方なく触れた地面の冷たさに覚えがある。これは誰かの、知らない人の、知っている、あの人の、てのひらだと思える。滑らかで熱を欠いた皮膚に擦れた私の指先は震えている。微かに、私の肉体の内部、硬い骨、そのものに、てのひらから染み出す内臓が直接絡みついてくる想像が始まったせいだ。私は骨についてあまりにも長く考えすぎていた。人間が死に、焼かれてもなお遺る骨の異物感に取り憑かれた身体の内部で、やはり本当に何かが絡みだして、全く予測出来ないその動きにやられてしまう。 堪らなくなりもう一度てのひらを求めると粘土のように柔らかく窪み、震える指先を引きずり込もうとしていた。私は、…