すーぱーからしちゃんねる

からしがみたものをまとめたものです。

歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』『勧進帳』

f:id:karashi-channnel:20240925183458j:image


 「たまには古典をちゃんと観よう」と思い、珍しくイヤホンガイドを借りて観ました。うーん、やっぱり苦手かも、イヤホンガイド。わたしには筋書を見ながらの観劇が向いているようです。でもな、筋書、もう保管する場所がないんだよなあ。電子版を出してくれたら嬉しいのだけど・・・。

 

 

【妹背山婦女庭訓】
・太宰館花渡
吉野川

定高/玉三郎
久我之助/染五郎
雛鳥/左近
大判事清澄/松緑

 『妹背山』の後半は国立劇場で観たことがあります。でも、お三輪がどうしてあんなにひどい殺され方をしなくてはならないのか理解できなくて、「苦手だな」と思っていました。『和製ロミオとジュリエット』と呼ばれるのは、前半のこの部分なのだと聞いて、興味を持ちました。『吉野川』は両花道のセットが有名なので、それにも興味を持ちました。 こんなにこんなにやるせないお話だったなんて!!べしょべしょに泣きました。前半観ると解釈が変わるわ。蘇我入鹿許すまじ、って思うわ。 玉さまの定高のお母さんがお母さん過ぎて、自分のお母さんを思い重ねてずびずび泣いてしまった。わたしには子どもが居ないので、いい年して雛鳥に娘としての自分を思い重ねて観てしまったのですが、自分の母も定高と同じ境遇で同じ立場だったら、わたしを殺すだろうなと思ったの。いや、ありえない事だし、普通、親だったら、どんな境遇に遭っても娘には生きていて欲しいと思うものなんだろうけど、玉さまの定高には、ものすごくリアリティがあったの。父が息子を、っていうのはよくあるけれど、母が娘をっていうシチュエーションの情念がものすごかった。雛鳥の首を川に渡す時に、お香を焚いてやるところなんかだばだば泣いた。お雛様の嫁入り道具を川に流すところもめっちゃ泣いた。
 左近くんの雛鳥は、玉さまと魂ごとぴったり寄り添った存在であった。かわいいとか可憐、とか、そういう言葉では片付けられない、技巧の塊のようなお姫様だった。お姫様仕草もやりすぎでなく、お涙頂戴にもならず、さっぱりしていながらも、芯のあるお芝居だったと思います。
 松緑さんの慟哭の男泣きには泣かされた。懐紙で顔を覆う姿には、涙が止まらなかった。松緑さんで清澄が観られて良かった。家臣としての顔、父親としての顔、舅としての顔の演じ分けが良かった。
 染五郎くんはやっぱり悲劇の美少年がよく似合う。三三九度が末期の水になってしまうところ、めちゃくちゃ泣いた。もうね、泣きすぎでしょ。泣いた。
 イヤホンガイドをしていたので、お芝居の背景はよくわかったのですが、((これは個人の好みの問題だと思いますが))喋りすぎでうるさいなと思いました。ホンにないお芝居のモノローグは邪魔だから喋らないで欲しい。キャラクターの心情まで解説しないで欲しい。イヤホンガイドがどれだけ丁寧な仕事で作られているかは存じ上げておりますが、今回はわたしの好みと合わなくて残念でした。


勧進帳
弁慶/幸四郎
義経/染五郎
富樫/菊之助

 『勧進帳』は大学時代同じゼミの人が卒論を書いていて(哲学科の卒論でなんで『勧進帳』なの・・・)図書館で映像を見させられたんだけど、何を言っているのか全然わからなくて『なんて退屈でつまらないんだ』と当時のわたしは思ってしまいました。なので、『勧進帳』には良いイメージがありません。そろそろわたしも育ってきたので、ここいらで『勧進帳』にチャレンジしてみようと思ったのです。
 芝居を愉しむ、というよりは、役者の技を愉しむ演目なんだなと思いました。イヤホンガイドをしていたのと、近年『鎌倉殿の13人』で義経の人物像を改めて知ることが出来たので、ストーリーはよくわかりました。富樫、いいやつ。幸四郎さんの台詞回しと、菊之助さんの台詞回しをおおいに味わいました。やっぱり歌昇さんの声が好き。よかった。面白いと思えたので、わたしもこの4、5年で成長したのだと思います。
 イヤホンガイドは高木秀樹さん。この方の解説は好きだし、絶対に芝居を邪魔しないという信頼がある。期待を裏切らない、必要最低限の解説でよかった。突然喋り出すので、「高木さん、いたの!?笑」となるのが面白かった。

雪組東京宝塚劇場『ベルサイユのばらー


 「雪組さん久しぶりだなあ」と思っていたけれど、そうでもなかった。ライラック見てたわ。記憶に残っていませんでした(かなしい)『ベルばら』は100周年の時に観ています。まさみりのオスアン編と、えりあゆのフェルゼン編。役替わりで何パターンか。宙組のオスカル編フェルゼン編は観ていません。11年ぶりの『ベルばら』です。
 今回の『ベルばら』に期待していたことは、わたしが歌舞伎をちゃんと観るようになって、いかに『植田歌舞伎』が『歌舞伎』であるかがわかるか、ということです(変な見方である)『ベルばら』の中に『歌舞伎』的な要素をどれだけ見いだせるようになっているか、歌舞伎を観るようになったことで、自分の歌劇の見方がどう変わったかを実感したかったのです。
 そして、寺田瀧雄ミュージックが聴けるのを、本当に本当に楽しみにしていました。古き良き『歌劇』の楽曲。さすが『宝塚のモーツァルト』どれも往年の名曲揃い。
 植田作品のフィナーレが大好きなんですけど、今回のフィナーレは、今までの『ベルばら』を踏襲したものではないと、お先にムラで観劇したお友だちから聴いていてがっかり。あの兵隊さんのロケットも、薔薇のタンゴも、愛の棺もないなんて・・・。わたしが大好きで、観たいと思っているフィナーレは観られなさそう。


 『これって見取りじゃん!』って思いました。歌舞伎では、『皆さんご存じのあの物語の面白いところを、かいつまんで上演しますよ』っていうスタイルの興行があるのですが(『仮名手本忠臣蔵』とか)まさにそれだなと思いました。まるで歌舞伎を観ているようだったよ。『ベルばら』が『忠臣蔵』に近づいたなと思いました。『ベルばら』は古典作品として、こういうスタンスで行くのかなと思いましたが、不親切だなと思いました。イヤホンガイドいるよこれ。『忠臣蔵』といえば、『ベルばら』の小公子小公女の「♪ご覧なさい ご覧なさい」は『忠臣蔵』の口上人形の「とざい とざーい」のオマージュなのでは!?って思った。
 ストーリーの面白さや深さを味わうというより、タカラヅカの『ベルばら』の景を愉しむ、という趣旨にも捉えられたような。やっぱりドレスや宮廷服、軍服は豪華絢爛だし、セットも美しいから、目が満足するもの。オスカルとアンドレの今宵一夜も、馬車を走らせるフェルゼンも、処刑台に向かうアントワネットも、みんな美しい型として成立しているし、それ以外の解を許さない。そのうえ見目麗しいタカラジェンヌが熱演しているこの景色を、わたしは愉しんだのだなと思いました。
 あまりにも歌舞伎でちょっと笑っちゃったのが、フェルゼンがスウェーデンから出ていくところ。下手でのちょっとしたチャンバラがあって、わたしの耳にはツケの音が聞こえたし、上手にツケ打ちさんを探してしまった(笑)そして客席に捌けてゆくフェルゼンには、花道が見えたし、鳥屋のチャリン!っていう音も聞こえた(笑)格好良かったんだけど、あまりにも東銀座の景色だったので、ちょっと笑ってしまった。 
 ということで、結論は『結構歌舞伎だったな!』でした。この感想ってニーズあるんだろうか(笑)わたしはずっと中村屋でオスアン編を、澤瀉屋高麗屋フェルマリ編をやってほしいと願っています。異論は認める。
 フィナーレはわたしが観たいものではなかった。わたしが『ベルばら』のフィナーレに求めているものでもなかった。ロケットはいつものフランス国歌のやつでやってほしいし(あのアイロニーがたまらないんだよ)わたしはデュエットダンスが観たかった。おそろいの衣装のあーさとあやちゃんは、お披露目で観たかったです。


以下、主なキャストとキャラクターの印象。順番はめちゃくちゃです。

フェルゼン/彩風咲奈
 いんやー、咲ちゃんかあっっっっこうよかったなああああ。男役の集大成として納得のフェルゼンだった。フェルゼンのひとつひとつが全部、男役仕草として洗練されているのですよ。特に、立て膝をついたところの美しさといったらない。脚が長いんだよ42.195kmあったよ。マントの扱い方、長髪の扱い方、ブーツを履いた脚の美しい見せ方、全部が洗練されている。すべての2.5次元俳優は彩風咲奈を見てお勉強して下さい!
 『ゆけゆけフェルゼンのうた』(正しくは『駆けろペガサスの如く』)はもう、テンションがブチ上がりすぎて、ピンスポが当たって影コが入った瞬間「待ってました!!!!」と叫びたくなりました。大好きなんですよあそこ。ストーリー的にどうとかこうとかではなく、シンプルにに『男役が格好良く見える場面』だから好き。見た?あの片脚上げた咲ちゃんの姿。脚が長いんだよ。
 フィナーレは、わたしが『ベルばら』に望むものではなかったけど、わたしが見たい彩風咲奈だった。長い四肢を大きく使ってのびのびと踊る咲ちゃん、素敵でした。

マリー・アントワネット/夢白あや
 後半になるにつれて、本当に素晴らしかった。獄中のお芝居や、王妃としての最期の場面は、頬を涙でびしょびしょに濡らしながらも、美しく威厳のある表情で、何と言えば良いのか、とても『見応え』があった。この作品のお芝居の芯も、あやちゃんにあるなと思いました。
 あやちゃんのエリザベートが観たい。この人が『真ん中』になる作品が観たい。そう思わせてくれるマリー・アントワネットでした。

オスカル/朝美絢
 オスカルのお化粧好きとしては、意外に感じたあーさのオスカル化粧。がっつり入るブルーのアイシャドウがレトロで好きなんですけど、あーさのスーパードルフィーみたいなお顔にあれをやっちゃうとtoo muchなんでしょうか。でも、美しかったし、似合っていたので良し。
 フェルゼン編とはいえ、あまりにオスカルの人物像が書き込まれていない脚本に不満があります。あれじゃ、しどころがないじゃないか。フェルゼンもいい男に見えない。往年の名曲を歌わせたら全部説明できるわけでもないのに。
 しかしながら、往年の名曲を歌ってくれるとめちゃくちゃ嬉しくなっちゃうので、オタクはチョロいもんである。パレードで朗々と『我が名はオスカル』を歌い上げてくれたのには、キャッキャと喜んでしまうのでありました。

アンドレ/縣千
 可哀想なくらい描き込みが足りない①アンドレのエピソードほぼカットで、名場面につなげたあがちん凄すぎるよ。原作も知らず初見の人に、彼は何者に見えるんだろうか。あの一瞬の説明台詞だけで、自分のポジションを理解させるのって鬼ムズよな。
 アンドレ芝居としては、とても的確だったと思うので、もっと描き込まれたホンで、縣千のアンドレのエピソードが観てみたいなと思うのでした。

ジェローデル/諏訪さき
 可哀想なくらい描き込みが足りない②いやあなた誰!?って思われても仕方ないよね(泣)すわっちは素敵なのに勿体ないよ・・・。
 なので、すわっちはフィナーレの方が素敵で印象的でした。特に、群舞の時は目を惹きますね。

ロザリー/野々花ひまり
 可哀想なくらい描き込みが足りない③ベルナールの何なのかもよくわからないまま話が進んでいて涙。それでも、ひまりちゃんの説得力というか、王妃様の最期のお世話をしている女性として「なんで?」と思わせる隙のない存在感。オスカルとの関係性を一切描かれていなくても、バスティーユの悲鳴だけで、ロザリーにとってオスカルとはどんな人だったのかわかる芝居の的確さがすごい。
 フィナーレの穏やかな笑顔の娘役姿がとても素敵でした。

ジャンヌ/音彩唯
 はばまいちゃん好きなんです。あんなに可憐な見た目なのに、ドスの利いたお芝居が出来ちゃう!素晴らしい。『伯爵令嬢』の時のくらっち(有沙瞳ちゃん)を思い出しました。ジャンヌも良かったけど、仮面舞踏会のソロも良かったなあ。

ベルナール/華世京
 一緒に観たお友だちと「ベルナールってこんなに大きいお役だったっけ!?」と驚いてしまった。それだけ、かせきょーの存在感が大きかったのです。これからも楽しみ。


 そういえば、わたしはいつ、どうして『ベルサイユのばら』の漫画を読むことになったのだろう。と、ちょっと思い返してみました。多分、高校生くらいの時だったと思うんだけど。駅の本屋さんで、文庫本をちょっとずつ買い揃えて、読みました。どうして読もうと思ったのかは、まったく思い出せません。なんで読もうと思ったんだろう・・・。まだタカラヅカに出会う前だったし、謎。母がマーガレット連載時に中学か高校生で、タカラヅカの『ベルばら』初演のムーヴメントも知っているので、母から聞いていたのか、小学生くらいの時には『オスカル』のことは知っていたような気がする。
 今年、韓国で『ベルサイユのばら』のミュージカルが上演されましたが(日本でもやって~~)韓国でミュージカルを観る年齢層が、この漫画に出会っているものなのかなあと思いました。来年公開されるMAPPAのアニメ映画で、「こういう話だったのか」と知るのかなあ。原作に忠実な作りだといいなあ。
 みなさんは、どうやって『ベルサイユのばら』と出会ったのですか?自分より若い世代、特に10代20代前半の方がこのお話と出会ったのは、何がきっかけだったのか、気になります。

歌舞伎座『髪結新三』『紅翫』『狐花』

f:id:karashi-channnel:20240825131312j:image

【髪結新三】
 落語が原作の歌舞伎に外れはないと思っています。『髪結新三』は確か、勘三郎さんがやったものを映像で観たことがあって、でもぼんやりとしか覚えていない感じだったので、たいそう面白かったです。三部を誘った初歌舞伎のお友だちに「こっちを見せるべきだったか~~」と思ったくらい、わたしが歌舞伎に求めるものが揃っていた演目でした。
 勘九郎さんがめちゃくちゃ格好良い。何をしても、どうしていても、格好が付く。いちいち格好良い。お江戸の粋を集約したような台詞回し、立ち居姿、浴衣の着こなし。ワルイオトコなんだけど、根っからの極悪人じゃない。小狡さもない。どこにフォーカスしても格好良いんだよ。わたしは勘九郎さんにジャンプの主人公的なキャラクターを見出してきたんだけど、こういう男も惚れるような男もめちゃくちゃ似合うんだなって思った。あと、なんでもかんでも勘三郎さんを引き合いに出す人たちのことを、わたしは好ましく思いません。わたしは生前の勘三郎さんのことを知らない新参者ですが、彼を知っていることで、彼らを比較することで通ぶる人たちのことをよく思っていません。彼らは親子ですが、別々の人間、役者です。勘三郎さんの死を、エンタメとして長い間消費しているように見えて、面白くない。
 彌十郎さんの家主も最高だった。ああいう食えないオヤジをさせたら、彌十郎さんの右に出るものはいないよなと思った。何度も小判を並べて「かつおは半分もらった」と言うところは、隣のおじさんと何度もゲラゲラ笑った。彌十郎さんがあまりに美味しそうに鰹を食べるので、めちゃくちゃ鰹を食べたくなりましたが、季節外れのためお寿司屋さんに行っても食べられず「もちみてえだ」と喜びながら鰹を食べられる日は、もう少し先になりそうです。
 巳之助さんは、小判と鰹の件で、頭を抱えているところで爆笑した。軽やかな役作りの中にも、品があるのがみっくんらしい。
 長三郎さん、おっきくなったな~!!「役者になるんだ」の台詞は、台詞って言うか、本心でスパン!と言っているようで、とても気持ちが良かった。


【紅翫】
 こういう構図の演目、5回くらい観たな、っていう印象。若手をずらりと並べて、順番に踊らせる構成って、お約束なのかな。慣れてきちゃって、ちょっと退屈に感じるようになってしまった。もっといろんな組み合わせがあると面白いのにな。あと、勘太郞さんはいつまで越後獅子なんだろう・・・笑 勘太郞さんといえば、わたしの好きな顔に育ちつつあるので、10年後が怖いです(少年に興味がないタイプ)
 橋之助さんが真ん中だったのは、来年の新春浅草歌舞伎の顔になるからなのかな。国ちゃんの踊りはいつも丁寧で、ブレることがないので、気持ちよく観られます。


【狐花】
 京極夏彦作品は、学生時代に読んでいました。『姑獲鳥の夏』『魍魎の匣』『胸骨の夢』『鉄鼠の檻』とか、あと何作か読んだ記憶があります。制作発表されたときには「歌舞伎もメディアミックスみたいなこと、できるんだ」と思いました。しかし、そもそも歌舞伎って、メディアミックスされたエンタメじゃないか思いました。伝統的にそうだよね、と。
 作品にはとても期待していて、原作を発売日に手に入れて(こういうのって発売日に買うのが大事なんでしょ?)、リビングに飾っていました。黒に彼岸花の赤。いいね。わたしの故郷には、曼珠沙華が一面に咲き乱れる、あの世の景色みたいな渓谷があって、その風景を思い出したりしました。原作は読まずにリビングに飾ったまま、初日開けて5日目くらいの日程で観に行きました。
 面白かった!ストーリーがさすがの京極夏彦。話に没入しながら、この仄暗い、好奇心を刺激する展開が面白い、面白い、面白い。幕間、真っ赤に照らされた月と桜の緞帳を観て「この後どうなっちゃうの!?」と興奮しました。後半もめちゃくちゃ面白くて、山盛り過ぎる設定も、歌舞伎あるある。そして終わり方に京極夏彦を強く感じました。
 一週間後に再度、初歌舞伎の友だちを連れて行く予定があったので、それまでに原作を読みました。わりと原作そのままでした。役者さんたちが頭の中でお芝居してくれるので楽しかった。でも、原作を読んでいて、ちょっと「あれ?」と思ったのです。
 歌舞伎にしては台詞が長いし、美しくないなと思っていたのですが、それが小説を読むと、綺麗に読み取れるんです。もしかして京極先生、小説の台詞をそのまま歌舞伎の脚本にした?細やかな単語は変わっているのに気付きましたが(例えば『男娼』を『陰間茶屋』に変えたり)言い回しが小説のまま。「ストーリーはめっちゃ面白いけど、台詞がのっぺりしていていまいちノれない」と思ったのは、こういうことだったのでは。役者のお芝居もいまいちノっていないように思えました。歌舞伎として耳と空間で味わう台詞と、小説で文字を目で味わう台詞は、全然違う、ということがわかりました。そして、わたしが歌舞伎に何を求めているかもよくわかりました。わたしは歌舞伎の台詞に、古典でも新作でも、ノれるものであってほしいと思っているようです。京極先生の原作は素晴らしいけど、脚本は歌舞伎をよく知っている、よく観ている人に任せた方が良かったんじゃないかなと思いました。小説家ならみんな三島由紀夫みたいにできるって訳じゃない。
 あと、州齋の拵えもなんだか舞台映えしないし、幸四郎さんの美しさを生かせていないのが残念だなと思っていたのですが、こちらも原作で描写された通りのビジュアル。小説では良くても、舞台で良い、役者に合っているとは限らないので、そのまんまやるのにはリスペクトがあって良いとは思いますが、やっぱり客席が喜ぶ、美しく楽しいものにして欲しいなと思いました。

 

中禅寺州齋/幸四郎
 幸四郎さん、疲れてんのかなって思っちゃった。ここ最近休まず出ずっぱりだし、今月は一部から出ているし。最初に観たときは「なんか台詞が入ってなくない?」と思っちゃった。彼の分も頑張っているんだと思うけど、ちょっと心配になっちゃいます。
 州齋は幸四郎さんの良さや美しさを引き出せるお役ではないなと思いました。もっと幸四郎さんに寄せるか、思い切って勘九郎さんと役を入れ替えるかしたほうが、綺麗に纏まったんじゃないかと思います。

萩之助・お様/七之助
 七之助さんが萩之助じゃないと、『狐花』は成立しないなと思いました。美しかったよ。水色に彼岸花の小袖を着こなせるのは七之助さんしかいないよ。初歌舞伎の友だちは、彼の声がとても美しいと絶賛していました。あと、「お葉が死にそうなのに、ものすごい色気でなんなの」とも言っていた。
 七之助さんが米吉さんと双子で、実は幸四郎さんがお兄さんで、その幸四郎さんの腕の中で落命する七之助さん(役名で言え)なんて、オタクが今際の際に見る夢かと思いましたよ。終演後、友だちに「あれは夢じゃないよね?わたしの願望が見せた幻じゃないよね?」と確認しましたが、友だちも「見た」と言っていました。集団幻影ではいことを祈るばかり。

登紀/新悟
 すごく良かった。この作品は、女方さんがみんな良い。新悟さんに高飛車な女の子をさせたら、右に出るものはいないよ。原作のほうがもっと賢くてズルいキャラクターなので、その雰囲気が出ているのがよかった。

雪乃/米吉
 米吉さんはどうしてあんなに可愛い声で、デカイ声が出せるの。女方の不思議。原作を読んだときも思ったんだけど、もうちょっと描き込みが欲しいキャラクターでもありました。
 萩之助が実は双子、っていう設定がとても歌舞伎っぽくて「キタコレ」って思った。山盛りとんでも設定が歌舞伎らしいと思っている。

儀助/橋之助
 めっちゃ良かった。「お嬢さんはみんなが言うほど悪い人じゃないですよ」のところとか、め~~~~~~~~~っちゃ良かった。儀助はお嬢さんのどういうところを見ているんだい?国ちゃんに合ってる。お実祢と儀助にめっっちゃ萌えた。あのあと二人は、どうやって逃げて、どんな会話を交わしたんだろうと想像すると、萌える。

実祢/虎之助
 虎ちゃんの女方は、いつもギャルみがあって、それがいいのよ~~。今回も良かった。性格の悪いギャルで凄く良かった。新悟さんとの体格差も良かった。出の花道で、お互いをディスりあうところとか、めっちゃ良かった。

的場佐平次/染五郎
 染五郎くん、声が良いよ。原作の的場より、印象的な的場に作られていたなと思いました。15年後くらいに、萩之助もやってください。

美冬/笑三郎
 一瞬しか出てこなかった(泣)でも、笑三郎さんが信田の末裔なのすごい説得力ある。

監物/勘九郎
 ラストのゆうれいが見えている監物の目がすごく良かった。あそこの場面すごく美しくて好き。あの降ってくる彼岸花は、どうやって作られたんだろう。