清澄地区の魅力と歴史

東京都江東区にある「清澄」は江東区深川地域内にあり、

2000年の清澄白河駅の開業で交通の利便性が向上し、

その後、高層マンションの建設など再開発が進んでいる。

清澄庭園、清澄公園がある。

「清住弥兵衛」の名前に由来する

江戸時代、

干潟であったこの地帯を開拓した8人の内の1人「清住弥兵衛」という人の名前に由来する。

当初は弥兵衛町と呼ばれていたが、その後の変更で清住町となった。

名字の「清住」は、

彼の出身地が安房国(あわのくに)清澄村(現在の千葉県鴨川市)であることから、

その名が付き、この地の町名として「清澄」が定着した。

現在の名所「清澄庭園」は、江戸時代、

豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があったとされる場所(隣の清澄公園を含めた敷地)である。 

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木場の歴史と変遷

東京都江東区にある「木場」には

オフィスビルを中心とした複合施設「深川ギャザリア」やイトーヨーカドー木場店がある。

2010年4月に完成した深川ギャザリアには、

りそなホールディングスりそな銀行の東京本部が移転している。

木材置き場があった場所

木場とは木材置き場のことで、

1641年(寛永18年)の江戸大火の後に徳川幕府

隅田川の東岸であるこの地を木材置き場とし、建築用の木材が大量に運び込まれた。

その後、東方に新たな木材置き場が造成され、

1701年(元禄14年)、この地は木材問屋が買い取り、「深川木場町」と名付けた。

明治維新以降になると、木場の周辺はゴミなどによる埋め立てが進み、

目の前から海は消えていった。

1973年(昭和48年)以降、木材置き場としての木場の役割は、

木材業者とともに「新木場」に移転したが、「木場」の地名はそのまま残った。

木場の木材置き場の跡地は、現在「木場公園」になっている(所在地は江東区平野)。 

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業平塚の歴史と現在

東京都墨田区にある「業平」は墨田区の中央部に位置し、

押上との隣接地に東京スカイツリー(所在地は押上)ができたことで有名となった。

東京スカイツリータウンの開業に伴い、

業平橋駅はとうきょうスカイツリー駅へと改称された。

在原業平に由来する

かつての南蔵院・業平神社の境内にあった業平塚に由来する。

この塚の名前は伊勢物語で有名な平安時代歌人在原業平がこの地を訪れ、

歌を詠んだことに由来する。

橋としての業平の名前は古く、

1662年(寛文2年)、業平神社の東側を流れる大横川に業平橋が架けられた。

町名としては新しく、1872年(明治5年)に小梅業平町が誕生した。

業平塚は現在はなく、南蔵院葛飾区に移転している。

また、大横川はほとんど埋め立てられていて、

大横川親水公園となっているが、業平橋は現存する。 

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東京スカイツリーの魅力

東京都墨田区にある「押上」は

2012年に完成した東京スカイツリーがある場所として知られている。

東京スカイツリーの高さは武蔵の語呂合わせでもある634mで、

自立式電波塔としては世界一の高さとなった。

土砂が押し上げられて陸地に

地名の由来は明らかではないが、川が作った土砂が少しずつ堆積し、

押し上げられて陸地化したことに由来するといわれている。

かつては押上村という農地であったが、

現在では東京スカイツリーと東京ソラマチなどの周辺施設を含んだ、

東京スカイツリータウンの開業もあり、町は大きく発展している。 

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錦糸町の魅力

東京都墨田区にある「錦糸」は「錦糸町」の駅名で知られているが、

町名は「錦糸」となる。

駅の北口にはショッピングモール「アルカキット錦糸町」、

南口には駅ビル「テルミナ」や「東京楽天地」などがあり、

歓楽街として栄えている。

「錦糸堀」に由来する

1660年(万治3年)、本所開拓の際に掘った「錦糸堀」に由来する。

錦糸堀の名前は、岸堀がなまったという説や、

この付近で琴糸を作っていたという説がある。

また、奇談・怪談「本所七不思議」のひとつで、

「置いてけぼり」の由来でもある「おいてけ堀」は錦糸堀のこと。

「魚を置いていけ」との声がすることから「禁止」が「錦糸」となったという説もある。 

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隅田川の歴史と両国橋

東京都墨田区にある「両国」は町名であり、

両国駅周辺の一帯を指す地名でもある。

駅の北側に国技館江戸東京博物館がある。

橋の名前に由来する

両国の地名は隅田川に架かる橋の名前に由来する。

1657年(明暦3年)の明暦の大火の際、

橋がなく逃げ場を失った多くの人が死んだことを受け、

江戸幕府隅田川に「大橋」を架けた。

江戸時代、隅田川は国の境で、西側が武蔵国(むさしのくに)、

東側が下総国(しもうさのくに)であることから、

人々はこの橋を「両国橋」と呼んだ。

その後、正式に「両国」の町が誕生し、現在に至る。

現在の「隅田川花火大会」は、以前「両国花火大会」という名前だった。 

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浅草寺の雷門

東京都台東区にある「雷門」は、

浅草寺の正門で正式名称・風神雷神門(通称:雷門)がある場所を中心とした町。

門に向かって、右側に風神、左側に雷神が配置されている。

門の名前に由来する

町名もこの門の名前に由来する。

度重なる区画整理で町の規模は縮小し、

門自体の住所は浅草一丁目となっている。

雷門は1635年(寛永12年)に建立後、火災により三度消失しており、

現在の門は1960年(昭和35年)に建立されたものである。 

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