松沢裕作『歴史学はこう考える』(ちくま新書)

まずは大河ドラマ「光る君へ」。彰子の出産、そして敦成親王五十日の儀が、まさに紫式部日記に描かれたとおりの姿で映像に!
そして朝ドラ「虎に翼」。最後の最後まで面白かった!
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阿部拓児『アケメネス朝ペルシア』(中公新書)で歴史学に関心が向いたところ、ちょうどこういう新刊が出ていたので読んでみた。松沢裕作『歴史学はこう考える』。

史料とは何か。それをどう読み込んでいるのか。そこからどのような推論を組み立てているのか――。歴史学の研究者である著者が、これらを解説する本である。

本書の構成は独特である。第1章「歴史家にとって史料とは何か」、第2章「史料はどのように読めているか」で頭づくりをした後、第3章から第5章にかけて、実際の歴史学の論文を例に、史料を用いた歴史研究の組み立て方をみていく。

取り上げられるのは、政治史の論文の例として、高橋秀直征韓論政変の政治過程」、経済史の論文の例として、石井寛治「座繰製糸業の発展過程」、そして社会史の論文の例として、鶴巻孝雄「民衆運動の社会的願望」。・・・こんな思い切った構成、他に類を見ない。

最終章である第6章「上からの近代・下からの近代」は、著者による総括である。そして著者は「言葉」の重要性を示唆して本書を締める。

どの分野でも、プロがプロの仕事を一般向けに分かりやすく説明するのは時として困難な場合がある。本書はそれにチャレンジし、なおかつ成功したという、貴重な例であろう。


(ひ)

島沢優子『スポーツ毒親』(文藝春秋)

「虎に翼」が終わってしまいました。最終回の前日に袴田さんの無罪判決をぶつけてきた静岡地裁。法とは正義とは。自由とは平等とは。さらに今日は石破新総裁誕生、桂場のモデルとなった石田氏が立ち上げた日本会議の息のかかった党内極右を吹き飛ばした岸田首相最後の一仕事。

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図書館の司書さんに、この本知ってるかと言われて手にしたのが本書。話は聞いていたが、恥ずかしながら読んでいなかった。

スポーツに携わるすべての大人たちが読むべき本。

子どもに手を上げ土下座させる監督、組織を守るために口止め誓約書を書かせ被害者を孤立させたチーム、指導者による性暴力、成績のために不正に手を染める子どもたち、鬱状態になった子どもたち、当番という名の親の献身・・・こうしたいびつな体質が、日本のスポーツ界に根強くはびこっている。

実際に、運動部顧問をしていると、指導という名の暴力は何度も目にしてきた。中には保護者の前で公然と行われていて、新興宗教だな、と恐ろしくなった。ストックホルム症候群というやつだろうか。ある名監督とされる先生は教育委員を務めたり子育て講演している。その裏の顔をぼくは知っている、どの口が。

本書の元となったルポが書かれたのが2020年ごろである。
柔道をはじめいくつかの競技団体が勝利至上主義からの脱却をかかげて全国大会を廃止した。怒らない指導というのがキーワードとなって大会も開かれている。
状況は少しずつ変わってきている。しかし、今もなお、有形無形の暴力にさらされ理不尽な支配を受けている子どもたちは、少なからずいる。

暴力に頼らない指導をしていると思っていた他県の強豪校が、実は裏でやっていたことが先日明らかになった。根は深い。

立浪ドラゴンズが低迷し、新庄ファイターズが躍進している。大谷翔平が野球の歴史を塗り替えている。新しいやり方の正しさが示されれば、一気に普及していくはずだ。もう少し。

(こ)

川添 愛『言語学バーリ・トゥード Round 2』(東京大学出版会)

以前紹介した川添愛『言語学バーリ・トゥード』だが、なんと続編が出た。『言語学バーリ・トゥード Round 2』。

前作に引き続き、言語学者である著者が自由奔放に語りまくる。

例えば第4章「あるあるネタはなぜ人を笑顔にしがち♪なのか」。

「~がち」という言葉は、従来「病気がち」「サボりがち」のように名詞と動詞のみに接続すると思われていたところ、最近は「こういうこと多いがち」「給料日前はお金ないがち」などとして、形容詞にも使われる例が多く見つかるという。著者の頭に浮かんだのは、「あるあるネタ」でおなじみのお笑い芸人・レイザーラモンRG。この新用法の普及には同人の影響が少なからずあるのでは、と著者は指摘する。

・・・と、ここまでであればよくあるライトな言語学エッセイなのだが、著者の筆は止まらない。そこから著者は、どういうときに人間が「おかしみ」を感じて笑うのかという考察に入り、そして「あるあるネタ」の本質に切り込んでいく。ついに著者は、RG氏と同じお題に多数挑戦し、その回答をRG氏のそれと並べる、という行動に出る。・・・いや、普通はそこまでしないでしょ(笑)。

他のどの章も、これと同じく読み応えがある。なお、著者によると、本書の第8章「2023年も“行けばわかるさ”」(PR誌『UP』に掲載)は、同年の河合塾第3回全統記述模試の国語問題に採用されたという。すごいな河合塾


(ひ)

児玉博『堤清二 罪と業 最後の「告白」』

準備期間から当日まで連日35度を超える酷暑の中の文化祭・・・心身共に疲れました。

まずは体の回復。そして次に心の回復。頭の回復はそのあと。
というわけで、ようやく順番が回ってきた読書の時間(心の頭を同時に回復!)。

 

パ・リーグぶっちぎりの最下位に沈んだ埼玉西武ライオンズには、もはやかつての常勝軍団の面影はどこにもない。それは西武王国の興亡と軌を一にする。一代でその王国を作り上げた堤康次郎という男についてはさまざまな評伝が書かれているが、辻井喬による『父の肖像』は有名である。

さて、本書は作家・辻井喬ではなく、堤康次郎の次男・清二氏へのロングインタビューにもとづいて書かれたノンフィクションである。インタビュー当時、清二氏はすでに病魔に襲われていた。そんな中、父の築き上げた王国をよそ者から守るべく、沈黙を破っていた時期でもある。死の間際まで行われたインタビューでは、父・康次郎への愛憎渦巻く感情が、詩人・小説家としての感性をまといながら、実業家としての鋭く冷徹な分析によって、吐き出される。

それにしても、康次郎という人間は、なんという恐ろしい人間だったのかと思わざるを得ない。そしてその血を受け継いだ清二という天才は、その運命に抗いながらも、父に愛された証を確認し続けようとする。

康次郎の生涯を追いながらまっさきに思い浮かんだのが、豊臣秀吉である。百姓からのたたき上げ、天性の人たらし、権力欲と金銭欲、多淫、そして愛嬌と凶暴性の同居。田中角栄が「今太閤」と呼ばれたが、彼はここまでえげつなくなかった。

一気に読んだ。どうにも胸のもやもやが収まらない。それだけ、堤康次郎堤清二という人間が、強烈すぎたということだし、それをきちんと書き切った著者の筆の力であろう。

 

『決断』を読んだあと、次は西武崩壊の話にしようと本を探して、古本をネットから入手したのだが、前の持ち主がヘビースモーカーだったのだろうか、ページをめくるたびにタバコの煙のにおいがもくもくと立ち上がるのには参った。せめて葉巻かパイプだったらまだよかったのに。
ネット取引の盲点であった。

(こ)

角田光代・山本淳子『いま読む「源氏物語」』(河出新書)/山本淳子『源氏物語の時代』(朝日選書)

映画「侍タイムスリッパー」(安田淳一監督)を見てきた。
京都・太秦を舞台とする、現代にタイムスリップした侍の物語。たった1館からスタートしたにもかかわらず、この週末から全国100館以上で公開されることとなったという、奇跡のような自主製作映画である。
ツッコミどころは少々、いやかなりあるにもかかわらず、それを凌駕するエネルギー。全編を通して「いい映画、楽しい映画を作ろう」という思いがひしひしと伝わってくる。
これは見に行ってよかった。

・・・というわけで、文化祭で大忙しのせんせいに代わって、読書日記2本目いきます!

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大河ドラマ『光る君へ』がますます面白い。

ついに紫式部中宮彰子のもとに出仕。前後して「源氏物語」の執筆を開始する。
次回予告ではいよいよ「紫式部日記」の執筆も始まり・・・と思ったら藤原公任が「若紫はおいでかなぁ~」って言ってる! 敦成親王五十日の儀だぁ!
酔った顕光が几帳を破り、公季が泣き出し、実資が衣装の数を数え(ついでに紫式部と言葉をかわし)、公任が「このわたりに若紫やさぶらふ」と冗談を言い、そして隆家が女房にはしたない冗談をいう、「紫式部日記」随一のカオスな場面がついにドラマに・・・!?

ということで、まずは角田光代・山本淳子『いま読む「源氏物語」』(河出新書)。作家の角田さんと平安文学研究者の山本淳子先生との対談集である。

基本的には角田さんが質問し、山本先生がこれに答えるというスタイルである。とはいっても角田さん、なにせ「源氏物語」の現代語訳を成し遂げたばかり。プロとプロの対談に、我々読者も心地よく身をゆだねられる。

どれもこれも興味深い話で、例えば「藤壺光源氏に恋情を抱いていたのか?」。これは人によって解釈が分かれるという。藤壺光源氏は相思相愛だったのか、それとも光源氏が一方的に思いを寄せていただけなのか。「紅葉賀」帖に出てくる「藤壺はおほけなき〔=大それた、身の程知らずの〕心のなからましかば」という語をどう読み解くのか。なかなか興味は尽きない(76頁以下)。

中には山本先生から角田さんへの質問も。「源氏物語」の現代語訳を終えた後、影響はあったのかという質問に対し、角田さんは何と「小説が書けなくなった」と答えている(28頁)。「いい小説というものの基準が自分のなかで変わってしまた。」とも。すごいな源氏物語

勢いをかって山本淳子『源氏物語の時代』(朝日選書)も読んでみた。副題は「一条天皇と后たちのものがたり」。一条朝での様々な出来事とその実情について、様々な歴史資料と文学作品からこれを読み解いていく。

定子と清少納言。彰子と紫式部。それぞれの心の交流は千年たっても色褪せない。



(ひ)

五十嵐律人『嘘か真言か』(文藝春秋)

文化祭・・・青春だなぁ。

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デビュー作『法廷遊戯』を当ブログで紹介した五十嵐律人さん。新刊は、なんと裁判官を主人公にしたミステリとのこと。ということで早速読んでみた。『嘘か真言(まこと)か』。

志波地方裁判所刑事部に配属された若手裁判官・日向由衣。先輩の裁判官・紀伊真言(まこと)には、ある噂があった。いわく、「被告人の嘘が見抜ける」と――。

現実の法廷の手続は様々な制約があるため、なかなかミステリの舞台にはなりづらい。本書はそれを「配属されたけれどもまだ1件も事件がない若手裁判官が、先輩裁判官の法廷を傍聴する」という設定で乗り切った。・・・いや実際にはそんなことまずないのだけれど、そこはフィクションの妙である。

全般的にコミカルな雰囲気も漂うが、そこで取り上げられている事件は、「富の再配分」などとうそぶく高齢者狙いの詐欺集団、「無戸籍」として育てられた少年、在留資格のない親から生まれた子ども等々。いずれも現代社会ならではのシリアスな問題である。本書はこれらを、ミステリという枠内で読者に提示していく。

派手などんでん返しも二重三重のトリックもないけれど、こういうミステリもあっていい。


(ひ)