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【自己紹介】 〜私の人生の軌跡〜

記事を開いてくださった皆様
はじめまして。tomoです。
現在、隠れた個性・才能を発掘し、活かす心理カウンセラーを目指して日々邁進(まいしん)しております。
自己紹介の投稿そういえばしたことなかったので、自分のことを書いてみたいと思い、今回投稿してみました。



1.自由無限大時期(幼少期〜小学校中学年)

・誕生〜幼少期

私は兄の鯉のぼりを下ろしている際に陣痛がきて、陣痛後20分経たない内に誕生した(2、3回いきんだだけだったそうです)と母から話を聞きました。稀にみぬスピード出産だったようです笑
誕生してからは兄の様子をよく観察していたとよく言われていました。兄がこういうことをしていたら褒められる、怒られる等の様子をよく見ていて、うまく立ち回っていたそうです。
幼稚園に入り好奇心が旺盛になった私は、理由はわかりませんが靴下を履かずに裸足で駆け回っていたり(アル○スの少女ハ○ジのような子どもでした笑)、保育園から脱走したり、自由気ままに過ごしていました。その当時の私は一番笑顔が輝いていた時期だと思います

・小学校低学年〜中学年

小学校入ってすぐの集団下校で引率の先生に「ここから1人で帰れるので大丈夫です。」と言って1人で帰って迷子になりました。地区の放送で呼び出す直前で母と祖母に発見されました。母と祖母にすごく怒られましたが、今となってはいい思い出です。
学校でも友達もたくさんできて、放課後は勉強より友達とグラウンドで遊ぶのが大好きな子どもでした。友達と遊びを通してつながっている時間はとても楽しい時間でした。


2.人生暗黒前期(小学校高学年〜中学生)

・小学校高学年

これまで自分で自由にありのままでこれた人生でしたが、みんなと違うことをした際に、自分には理由がわからないいじめが始まりました。
その後理由がわかり、改善したのですがいじめはなくなりませんでした。
親にはいじめられていることは仕事が忙しいのもあり、心配かけたくないという思い、打ち明けることができませんでした。また、親は私のことを否定するばかりでほとんど褒めない親だったので、どんどん自信喪失していきました。学校に行かないと怒られるという恐れから、学校行きたくないと思いながらも、無理矢理行ってました。

・中学生

小学校の仲間がそのまま中学でも同じ仲間だったため、いじめの内容は知れ渡っていて、誰も友達になってくれる存在はいませんでした。孤独感を感じながら毎日学校通っていました。
その中で唯一の救いだったのが、アニメ、漫画、ゲームの世界でした。非現実世界は自分のことを否定する存在はいないので、安心できる空間でした。当時は学校終わってから家に帰り、自分の部屋に篭ってアニメ、漫画、ゲームの世界に没頭していました。
その頃には自分に自信がなく、周囲の人も信じられない人格が出来上がっていました。


3.人生暗黒緩和期(高校生〜大学生)

・高校生

高校に入学して今までの仲間がいなくなったため、友人ができました。
友人がまたできたのは本当に嬉しかったです。
ただ、自分がターゲットではありませんでしたが、いじめというものはなくならず、自分がいじめられる恐怖から手を差し伸べてあげることができず、みてみぬ振りをしていました。
あの当時を振り返ると恐怖を乗り越え、手を差し伸べてあげることができればよかったと後悔しています。
高校時代は人間関係を考えながらも、友人と楽しく過ごせた時期でした。
幼少期に親戚のお見舞いに行った際、そこで出会った看護師さんの姿が素敵で「私もこうなりたい」と思っていました。
そのため、看護師を目指して看護大学に進学するために、勉強や試験対策を一生懸命やりました。今思い返してもこの時期が一番勉強に一生懸命取り組んでいた時期かなと思います。

・大学生

勉強や試験対策を一生懸命取り組んだ結果、第一志望の大学に合格し、入学しました。自分が成りたい職業の勉強だったため、この時期は楽しかったです。同じ夢を持った仲間と切磋琢磨して生活できていたので、辛い時期もありましたが、夢を実現するために邁進できていたのでとても楽しい時間でした。
無事国家試験にも合格し、看護師への第一歩を踏み出しました。その当時、助産師への夢もうまれていたため、専攻科(大学院的なところ)に進学を決めていました。
この時国家試験に合格をした報告を母に報告した際、そっかない態度にショックを受け落ち込みました。その時、母に対して疑心感を強く感じました。
専攻科に進学することが暗黒期の再来になるとは、思っておらずこれからの学びにワクワクしていました。


4.人生暗黒期再来〜絶望期(専攻科〜看護師時代)

・専攻科

専攻科に入った当初は順調に行っていましたが、突然いじめがはじまりました。今もそうですが、この当時のいじめの理由はどんだけ考えてもわかりませんでした。突然の無視、孤独感を感じていました。先生や親に自分の状態を説明できないぐらい追い詰められていたので、うまく説明できませんでした。その結果、先生や親にも味方してもらえず絶望していました。絶望していた時、全てが空回りしていました。
結局、資格はとれずみんなの卒業と同時に自主退学となりました。ここで嫌なままみんなと別れるのは嫌だ、こんな自分から抜け出したいという感情が湧いて、キットカットの裏側に全員分に応援メッセージを書きました。みんなの前で悔し泣きしながら話してたのは今でも覚えています。ただメッセージを書いたキットカットをみんなに渡せたことは後悔していません。その時の行動はいじめに屈したくない自分の最後の抵抗だったのかもしれません。その時には人の信じ方がわからなくなっていました。

・看護師時代

看護師の資格持っていたし、ずっと成りたい職業だったので、看護師として就職しました。
ここで質問ですが、人の信じ方がわからなくなった自分が社会人になって変われたと思う方はいらっしゃいますでしょうか?
結果は大体の方の想像通りですが、変われず周囲のせいにばかりして、人には頼れず、自分の殻に篭っていました。看護師時代は人間関係構築に自分の意思は閉じ込める、誰も信用しない、自分は自信を持ってはいけないとマイナス思考しか考えられませんでした。その結果、職場でも馴染めずパワハラ・モラハラで適応障害になって半年休職したり、転職を繰り返したり、真っ暗な道を満身創痍(まんしんそうい)な状態で歩き続けていました。転職を繰り返し、そして再度傷つき立ち上がれなくなった時に、先輩がかけてくれた「かっこつけなくていい。自分らしくありのままでいればいい」という言葉に一筋の光がみえた気がしました。


5.暗黒期脱出〜自由無限大期再来
 (退職〜現在)

・退職

「自分らしくありのままでいられるためにどうしたらどうしたらいいか」を考えた時に出会ったのが八木仁平さんの自己理解チャンネルでした。そのチャンネルは「やりたいことで生きるためにどうしていけばいいのか」をわかりやすく伝えているチャンネルです。
その魅力に魅せられて、自己理解プログラムを受講することを決めました。自己理解プログラムの歩みはこちらの記事をご覧ください↓

自己理解プログラムを受講して少し経ってから、今の職場は自分には合わない環境であると感じ、このままいても自分らしくいられないと思い、退職決意して今年の3月に退職しました。退職してようやく暗黒期を脱出することができました。暗黒期脱出するまでに15年以上の月日が経っていました。ただ、このもがいた暗黒期の期間は自分にとってかけがえのないものだと感じています。


・現在

自己理解プログラムを今年の6月に修了して、自分のやりたいことのために日々邁進しています。暗黒期にいた自分が想像できないくらい素敵な環境で高め合える仲間と切磋琢磨しながら、生活ができています。
「隠れた個性・才能を発掘して、活かす心理カウンセラー」が実現するようサービス提供の準備をしています。早く皆様にサービスが提供できるよう一生懸命取り組んでいきたいです。


いかがだったでしょうか?
自分のいろいろな変化をしてより素敵な自分に日々変化をつづけていると感じております。これからも自分の理想の姿を実現できるよう邁進(まいしん)していきたいと思います。
今後も自分の気になったことを記事にしていったり、自分のサービスの告知していったりなどして、noteをいろいろな形で活用していきたいです。
読んでいただきたすべての方に感謝します。最後まで読んでいただきありがとうございました。


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