句会に参加している様々な人が、どのような背景で、どのように言葉を選んでその句を作ったのかが細かく書かれていて、とても面白い。
私も毎年「中学校高等学校国語科授業づくり演習」という大学院の授業で1コマだけ担当し、句会を開く。
俳句は句会を開くからこそ面白いのだと思っている。作りっぱなし、読みっぱなしではなく、どうしてその句を選んだのか、何が気に入ったのか、何が刺さったのか、また逆に、どうしてその句を選ばなかったのかを語ったり、聞いたりするのが面白い。
句会で学びがあるのは自分の句を「どうして選んでくれなかったのか」を聞くときだ。主人公の杏も選ばれないことに悶絶するが、どうして選ばれないのかを考える姿があって共感する。
登場人物には、「この人に選ばれたい」と思って投句する人もいるし、「この人の句を選びたい」と思って、選句する人もいる。しかし、選ぶ、選ばれるとは関係無しに、「こういう表現が最適だ」と思って作句し、投句する。その時に言葉に向き合い、言葉に敏感になり、言葉の上手な使い手になるのだと思う。
俳句を作ることで、季語を意識し、季節に敏感になる。まさに私の言っている「語先」だ。俳句はそれを簡単に可能にする。そうすることでその季語や季節が「自分のもの」になる。
「自分の言葉で表現する」という言葉を簡単に学生たちは学習指導案を作るときに使う。「自分の言葉」って何?と訊ねても答えられない。つまり、学生が「自分の言葉で」と使っている時その言葉が「自分の言葉」になっていないことが分かる。
言葉のコピペは安易にしたくない。(806字)