柿埜真吾のブログ

日々の雑感を自由に書きます。著書や論考の紹介もします。

『本当に役立つ経済学全史』刊行のお知らせ

お知らせが遅くなりましたが、近日中に新著を出しますので、ご紹介させていただきます!

本当に役立つ経済学全史 (テンミニッツTV講義録) | 柿埜 真吾 |本 | 通販 | Amazon

テンミニッツTVでの講義をもとにした経済学史の入門書です。重商主義から古典派、マルクス等の異端の経済学者たち、限界革命後の新古典派ケインズハイエクフリードマンまでを簡単に解説しています。ご関心を持った方はぜひ手に取っていただければ幸いです!どうかよろしくお願いいたします!

 

ミーゼス vs. "ミーゼス派”

9月29日は、偉大なオーストリア学派リバタリアンの経済学者、ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼスの誕生日です。そこで今日はミーゼスとリバタリアニズムの話題をお話ししたいと思います。と言っても、明るい話題ではなく、ミーゼスの名前と結びついている最近の憂慮すべき問題についてです。

一般に、 リバタリアニズムとは、「諸個人の経済的自由と財産権も、精神的・政治的自由も、ともに最大限尊重する思想」*1を指します。伝統的なリバタリアンは中絶やLGBTの権利を支持し、被害者なき犯罪の処罰に反対するなど個人のライフスタイルに干渉せず、移民受け入れにも寛容な立場をとってきました。

ところが、最近では、極右と見まがうような移民排斥やLGBT嫌悪を主張し、民主主義を軽視する人たちが”リバタリアン”を自称するようになり、反ワクチンや不正選挙などの陰謀論や人種差別的なデマを拡散するのが目立っています。中には、民主主義よりも独裁が好ましいと主張し、リバタリアンとは到底言えないトランプ元大統領を称賛したり、プーチン大統領などの権威主義的指導者を称賛する人すらいます。

リバタリアニズム」は、「リベラル」という言葉が社会民主主義の意味に使われるようになったことから、本来の古典的自由主義を指すために使われ始めた言葉ですが、この調子では陰謀論者や極右に「リバタリアニズム」が乗っ取られてしまいかねない状況です。

どういうわけか、この手の極右リバタリアンは、自分たちをオーストリア学派の偉大なリバタリアンの経済学者、ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼスの後継者とみなし、やたらにミーゼスの名前を使いたがる傾向があるようです*2。その代表はリバタリアン党のミーゼス・コーカス(Mises Caucus)を名乗る派閥ですが、この派閥の人種差別主義、南部連合支持、LGBT嫌悪などについては以前の投稿でも取り上げました*3。極右の”リバタリアン”の共通点は、ミーゼスやその弟子のロスバードをはじめとするオーストリア学派の経済思想を信奉し、自分たちこそミーゼスの思想に忠実な「真のリバタリアン」で、多様性を支持し差別に反対するリバタリアンを左翼思想にかぶれた似非リバタリアンであると非難する点です。

しかし、殊更に人種差別やLGBT差別の”表現の自由”ばかりを強調し、自分自身差別的な言動や脅迫的な言動をして恥じないような人たちは、自由ではなく別のものに関心があるのだろうと推測されても仕方ないでしょう*4。同様に、ロシアなどの権威主義国を殊更に擁護し、ウクライナを罵倒し、民主主義国を攻撃するリバタリアンは平和以外の何かに関心があるとみなされて当然ではないでしょうか。

マルクスであれ、ミーゼスであれ、ロスバードであれ、誰であれ、私は誰それに忠実であることとか純粋であることとかをやたらに強調するような思想全般に不信感を持っていますが*5、ともあれ、ミーゼスは私の尊敬する思想家の一人なので、極右の皆さんがミーゼスの名前を自分たちの専有物のように使うことには違和感を覚えないではいられません*6。ミーゼスは、極右リバタリアンたちの主張するような反動主義者では決してありません。例えば、ミーゼスは主著の一つである『自由主義』の中で次のように述べています。

自由主義者はすべての人がどこであれその人の望むところに住む権利を要求する。これは”消極的”要求などではない。すべての人が自分が最善だと考える場所で働きその収入を使うことができるということは、生産手段の私的所有に基づく社会の正に本質に属するのである。…〈中略〉…自由主義者にとって、世界とは国境で終わるものではない。彼の眼には、国境がどのような意味を持つにせよ、それは単に偶然的で付随的なものに過ぎない。彼の政治思想は全人類を対象にしている。その政治哲学全体の出発点は、分業は国際的なものであり、単に国内に限られるものではないという確信である*7

ミーゼスにとって、移動の自由は、彼の自由主義の根幹をなす要素だったことは、彼の他の著作からも明らかです。実際、あるミーゼスの弟子は「ミーゼスの自由放任の急進主義は移民の自由への妥協なき支持によって特徴づけられるものだった」*8と証言しています。”ミーゼス派”の誰だってこの人の権威には文句をつけたりしないはずです。この論文の著者はマレー・ロスバードその人です*9

フランス啓蒙主義、合理主義の賞賛者だったミーゼスは、ホッペや暗黒啓蒙の極右思想家が礼賛してやまないアンシャンレジームを軽蔑していましたし、封建主義にもキリスト教原理主義*10にもナショナリズムにも何の愛着も持っていませんでした。ミーゼスは、良かれ悪しかれ古典的な自由主義者であり、コスモポリタンな思想家だったのです。

今日の”ミーゼス派”を自称する移民排斥、大量強制送還の支持者たちは当のミーゼスとは大きく異なる考えを抱いているのは明白です。自称”原理主義的”リバタリアンは、ことあるごとにミーゼスの名を持ち出しますが、キリスト教原理主義者がしばしばキリストに忠実でないように、自称ミーゼス派は自分たちの始祖に対してさほど忠実ではないのです。

*1:森村進(2001)『自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門』講談社現代新書, 14頁.

*2:例えば、移民受け入れ懐疑論など保守的な主張を唱える”右派リバタリアン”の拠点の一つにミーゼス研究所がありますが、この研究所はミーゼス・コーカスと密接な関係にあります。ただし、誤解のないように言うと、ミーゼス研究所が右傾化したのはかなり最近のことで、以前はそうではありませんでした。この研究所はミーゼス・コーカスのような初めから滅茶苦茶な組織だったわけではありません。念のためですが、強調しておきます。

*3:ご関心のある方は、リバタリアン党ミーゼス・コーカスはなぜ危険か()やハリス暗殺を煽動する似非”リバタリアン”をご覧ください。

*4:他人にすぐ「バカだな」とか学歴がFランがどうのとかレッテルを張り(なんともひどい権威主義!)、人種差別的な言動をして恥じずデマを流しても訂正もしない”リバタリアン”は日本にもいますね。

*5:忠実であるべきなにかがあるとすれば、それは誰かの思想に対してではなくて事実に対してでしょう。

*6:私はミーゼスの景気循環理論には批判的ですが、彼の企業家論や社会主義経済計算不可能論、自由主義思想は高く評価されるべきであると考えますし、ミーゼスを極右の思想家の源流などとみなすのは全くの間違いであると考えます。

*7:Mises, Ludwig von.(1985) Liberalism, Ludwig von Mises Institute,pp.137, 147.

*8:Rothbard, M. N., (1981). “A Quest for the Historical Mises,” The Journal of Libertarian Studies, 5(3), p.242.

*9:ロスバードは晩年にはホロコースト否定論者と交流したり元KKKの極右人種差別主義者D・デュークを支持したりするなど極度に右傾化し、彼自身も移民受け入れに反対するようになりますが、 この論文を書いた頃にはまだそんな考えは持っていませんでしたし、この論文はミーゼスの思想の比較的公平な解説です。

*10:ミーゼスはそもそもユダヤ系ですからキリスト教原理主義などとは無縁なのは当然のことです。彼は宗教全般に冷淡でした。ところが、ミーゼス研究所にはなぜかキリスト教と経済学を結びつけるようなトンデモ経済学者が少なくありません。聖書に基づく経済学を唱え、親に逆らう子供や同性愛者の男性を死刑にしろと主張したゲイリー・ノース等がよい例です。仮にミーゼス本人がもしこんな”学者”が自分の名前を冠した研究所にいるのを見たら驚愕したことでしょう。

ミルトン・フリードマンのアドバイス

近頃、フリードマンの名前で減税派を批判している方を見かけます。なんでも「減税でも増税でもどうでもよく、政府支出の規模しか重要ではないというのがフリードマンの主張だから、減税派は自由主義者じゃない!」のだそうです。

私はそもそも「誰それが言っていたから正しい」みたいな権威に頼る論証は嫌いなのですが、こういう方々は明らかに文脈を誤解されているので、一言コメントしておきたいと思います。フリードマンが実際に言いたいのはどういうことか明確にするために、彼の有名な言葉を引用しておきましょう。

私はどんな状況でもどんな理由であれ可能なら常に減税に賛成だ。なぜなら大きな問題は税金ではなく政府支出だと考えるからだ。問題は「いかにして政府支出を抑えるか」だ。政府支出は今や国民所得の40%近くになっている。これは規制等による間接的な支出を除いた数字である。それらを含めた場合は、国民所得の半分程度に達している。我々が直面している真の危機は、この数字がますます上がり続けていきそうだということだ。私が思うに、それを防ぐ唯一の効果的な方法は、政府が手にする収入を抑えることだ。そのためには減税することだ。*1

明らかなように、「重要なのは税金ではなく政府支出の規模」という趣旨の発言を取り出して、「だからフリードマンは減税派ではない!」というのは無理があります。フリードマンの指摘は減税は重要ではないというものではなく、全く逆です。小さな政府を実現する手段として減税が有効だという文脈です。フリードマンが批判しているのはむしろ財政均衡を重視して増税を容認してしまう均衡予算原理主義者の方です。

財政保守派を自任する人たちに強調しておきたい重要な点だが、政府支出総額という正しい問題に注目する代わりに財政赤字という間違った問題に集中することで、財政保守派は知らず知らずのうちにバラマキ派に仕えているのだ。典型的な歴史的プロセスは次のようなものである。バラマキ派が政府支出を増やす法案を押し通す。財政赤字が発生し、財政保守派は頭を抱えて「なんてことだ、これは恐ろしい!この赤字を何とかしないといけない」と言う。それで、彼らはバラマキ派と協力して増税に賛成する。新しい税金が課され、法案が可決されるや否や、バラマキ派はすぐに行動し始め、政府支出はまた急増し、新たな財政赤字が発生する。」*2

要するに減税しない財政均衡主義者は増税派であり、主観的な認識はともかくとして実際にはバラマキ派の味方なのです。「重要なのは税金ではなく政府支出の規模だから、減税など重要ではない」というのはフリードマンの考えであるどころか、正にフリードマンが強く批判している考え方そのものです。

連邦政府がすでに社会の資源を吸収しすぎていると信じるがゆえに私は増税に反対する。必要なのは増税ではなく減税である。

私の経済学者の同僚たちは、私が税金と支出を混同していると言うに違いない。政府がどれだけ資源を使っているかを測るのは政府支出であって、税金の水準は支出のどれだけを税金で賄い、どれだけを借金で賄うかを決める“だけ”である、と。これは会計的には正しいが、政治的には正しくない。…〔政府は税収があればその分支出を増やしがちであるので〕増税すれば、その主な効果は歳出増加になる可能性が高い。...税金の水準は重要だ。なぜなら、それは政府を通じてどれだけ資源を使い、個人としてどれだけ資源を使うかに影響を与えるからだ。*3

フリードマンは歳出の削減を目指すのであれば、政府の歳入を制限するのが最も効果的であると考えていました。なぜ均衡予算よりも減税を優先したのかと言えば、政治経済学的なプロセスを考えれば、その方が有効に小さな政府を実現できると考えていたからです。

「”均衡予算“を求める政治的な訴えは逆効果になりがちである。バラマキ派が政府プログラムを押し通し、財政赤字が拡大すると、戦いに敗れた財政保守主義者は赤字を縮小するために増税を支持して反撃する。財政保守主義者は増税する勇気をもっていたこともあって退陣する。支出拡大を無責任に約束したおかげもありバラマキ派は再び選挙に勝つ*4。そして彼らはまた新たな浪費を始め、支出拡大→赤字拡大→増税の悪循環がまたやってくる。こうしたシナリオが繰り返されるのを見て、私は殆どどんな状況でも減税を支持するようになった。減税は、こうした悪循環を逆転させる。減税によって財政赤字が拡大する恐れがある場合、均衡予算を求める政治的圧力は増税よりも政府支出削減をもたらすことになる。これこそが均衡予算を実現する正しい方法なのである。」*5

フリードマンは、増税で均衡財政を実現している大きな政府よりは、赤字財政でも予算規模が小さい政府がよほどよいと考えていましたし*6、歳出削減と均衡予算実現を待ってから減税するなどと言っている人たちには殆ど見込みがないとみていました。フリードマンの戦略が正しいかどうかには議論の余地はあるでしょうが*7、これは小さな政府を実現するための方法に関する有力な見解の一つです。

フリードマンの戦略は小さな政府の実現のために減税に取り組む減税派の戦略そのものであることは明らかでしょう。フリードマンの権威を使って減税派を批判するのは的外れもよいところです*8フリードマンは強硬な減税派として知られており、ここで紹介した発言はどれもかなり有名です。Youtubeの動画で拾った断片から適当なことを書くのではなく、話の文脈を正確に理解してほしいと思います*9

*1:John Hawkins(2003), "An Interview With Milton Friedman," Right Wing News, September 15, 2003 

*2:Milton Friedman(1978) Tax Limitation, Inflation and the Role of Government,Dallas, Texas: Fisher Institute

*3:Milton Friedman(1975), There’s No Such Thing as a Free Lunch, LaSalle, Illinois:  Open Court Publishing Company, pp. 88-89.  

*4:実際、私たちは消費税増税に二度も賛成しておいて、素知らぬ顔で「反緊縮」「積極財政」を叫んでいる議員を見かけなかったでしょうか?彼らは必要な時は「増税派」や「財務省」のせいでやむを得ず「増税させられた」ことにして、責任を逃れて当選できるわけです。

*5:Milton Friedman(1983), Bright Promises, Dismal Performance, New York: Harcourt Brace Jovanovich, p. 221.

*6:例えば、 Milton Friedman(1995) “Balanced Budget Amendment Must Put Limit on Taxes” Wall Street Journal, 4 January 1995.

*7:「減税では政府支出を抑えられないのは明白だ!日本を見ろ!」などという方に是非お伺いしたいのですが、日本政府がいつそんな減税をしましたか?もちろん、これは論争のある問題ですが、減税派を論破した気になっている人たちの使っているような適当なデータやエピソードで簡単に決着のつけられるような問題ではありません。関連する研究としては例えば、Razzolini, L., and  Shughart II, W. F. (1997) "On the (relative) unimportance of a balanced budget," Public Choice, 90(1), 215-233, Auerbach, A. J. (2000) "Formation of fiscal policy: the experience of the past twenty-five years," Economic Policy Review, 6(1),  Becker, G. S., Lazear, E. P., and Murphy, K. M. (2003) "The double benefit of tax cuts," Wall Street Journal, 7, Romer, C., and Romer, D., (2009) "Starve the Beast or Explode the Deficit? The Effects of Tax Cuts on Government Spending,"Brookings Papers on Economic Activity, Spring 2009, Fuest, C., Neumeier, F., & Stöhlker, D. (2019) ”Tax cuts starve the beast! Evidence from Germany," CESifo Working Paper, No. 8009, Barro, R. J., and  Furman, J. (2018) "Macroeconomic effects of the 2017 tax reform," Brookings papers on economic activity, 2018(1), 257-345等があります。まあ自称歳出削減派が減税よりも歳出削減優先を唱えるのは結構なのですが、増税を主張するのはさすがにおかしいでしょう。そもそも、増税による財政再建は失敗しがちで、コストが大きいことが知られていますし(例えば、Alesina, A., Favero, C., & Giavazzi, F. (2015). The output effect of fiscal consolidation plans. Journal of International Economics, 96, S19-S42)、小さな政府を唱えながら増税に賛成するのはやはり矛盾しているのではないでしょうか。  

*8:減税を批判する歳出削減優先派(?)の方々は、減税派は歳出削減を主張しないからけしからんなどと言っておられますが、私にはその意図がよくわかりません。減税を要求する人は様々な方がいるので全部ひとくくりにされても困りますが、少なくとも、減税派の代表と言ってよい渡瀬先生は、無駄な歳出を批判し社会保障改革や不合理な規制撤廃をおそらく誰よりも熱心に主張し、政策に影響を与えようと努力しておられる人です(同じような努力を自称歳出削減派の知識人や匿名アカウントがやっているでしょうか?彼らが何か少しでも政府を小さくすることに貢献したことなどそもそも一度でもあったのでしょうか?それ以前に何か少しでも努力したんでしょうか?)。「減税だけしろ」とかいう主張を”減税派”の主張として批判するのは藁人形論法です。大体、歳出削減が最優先だと思うなら、減税派の誹謗中傷などせずにただ歳出削減のための少しでも意味ある努力をすればよいのではないでしょうか。彼らが減税を批判することで一体何がしたいのかは理解できません。

*9:同様の趣旨の発言はかなりたくさんありますし、これはフリードマンについて何か書くなら当然知っていてしかるべき基本知識です。Youtubeの切り抜き動画だけを見て変な誤解を広めないでください。

立憲民主党代表選の雑感

自民党総裁選に比べると盛り上がりに欠けていましたが、9月23日には野党第一党である立憲民主党の代表選があり、野田元首相が勝利しました。正直なところ、有力候補の政治家がこれまでと変わり映えしない顔ぶれの党首選に注目が集まらなかったのはやむを得ないでしょう*1

野田氏と言えば、首相時代に三党合意で消費税の5%から10%への増税を決めた政治家で、金融緩和に強く反対してきた反アベノミクスの急先鋒です。今回の総裁選の公約で野田氏はさらなる増税を打ち出してはいませんが、減税には明らかに消極的です。出馬会見の際、野田氏は将来ベーシック・サービスを実現する財源に消費税を充てるとし、「安易に減税をするのではなく、現状を維持するというのは基本」だと述べ、消費税減税に否定的な考えを示しました*2

「ベーシック・サービス」なる用語は曖昧模糊としており人によって使い方もまちまちですが、野田氏は代表選の公約*3で「誰もが必要な時に医療や介護、障がい福祉、⼦育て⽀援など「ベーシックサービス」を受けられる社会を⽬指していく」と述べており*4、決選投票前の演説でも「教育無償化のみならず、医療・介護・障害者福祉などのベーシックサービスを所得制限なくすべて国が供給していく体制」を作ることを訴えていました。要するに、これは政府が恣意的に「ベーシック・サービス」と定めたものを税金で負担して国が管理するという話で、古い社会主義を新しそうなパッケージにしているだけに見えます*5

当然ながら、こうした政策には相当な非効率の発生が避けられませんし、本気で実現する気ならば莫大な財源が必要です*6。「無償化」というと聞こえが良いですが、「政府のお金」などというものはありません。「無償化」とは「税負担化」であり、サービスの利用者ではなく納税者が負担するということです。当然ですが、無償にすればこれまでよりも利用量が大幅に増えることを想定すべきです。社会保障費が今後さらに膨張していくことが予想される中で*7、消費税を財源にするというなら当然、さらなる消費税増税が不可避であるはずです。

野田氏の公約には「財源無視の「思いつき」を羅列しても、将来への真の安⼼はもたらされない」とあるので、当然、責任ある立派な政治家である野田氏はこういう政策を実現するために将来は大増税が必要になると考えておられるのでしょう。なるほど、これでは減税などもってのほかです。税金は政治家が”責任を持って”使うべきで「安易に減税をする」など絶対にあってはならないのでしょう*8

野田氏の公約には、「格差を是正して消費を活性化し、その⽀えとなる「強い経済」を取り戻す」ことや「教育の無償化と将来を⾒据えた教育環境の整備」、「強い経済」を作るための将来投資の加速」などが謳われていますから、そのためにも当然財源が必要です。野田氏は決して「財源無視の「思い付き」」を言う人ではありませんから、野田氏はもちろん、きちんとどうやって財源を手に入れるか考えているはずです(当然ですが増税でしょう)。そのロジックは正直よくわかりませんが、野田氏は「安易に減税をする」と「強い経済」は実現できないと確信しておられるのでしょう。

冗談はさておき、野田氏のビジョンからは、はっきり言って、さらなる大増税という未来しか思い浮かびません*9。野田氏は金融緩和にも相変わらず否定的ですが、減税もせずに利上げ路線で、社会主義めいた政策を進めて、一体どうやって「強い経済」が実現できるのでしょうか。自民党総裁選もまるで誰が一番悪い税制や規制を提案できるか競い合っているかのような有様ですが*10野党第一党である立憲民主党も減税に消極的な姿勢なのは非常に残念です*11

もしこのままの路線で行くなら、仮に次の選挙で政権交代できても、経済政策の失敗からすぐに野党に逆戻りするはめになるでしょう。第二次安倍政権がなぜ長期政権を維持できたかと言えば、消費税増税という失敗はありましたが、貿易協定や規制改革で一定の成果を上げ、何より大胆な金融緩和により景気回復に大きな実績があったからです。立憲民主党には過去の失敗を反省しアベノミクスの成功と失敗から学ぶべきことは学び、より現実的な経済政策を掲げてほしいと思います。

*1:自民党のスキャンダルもあったとはいえ、それなりに党勢を立て直した現代表の泉健太氏が2位にすらなれずに敗退したのは傍目から見て不可解でしたし、内容の是非はともかくとして、野田氏や枝野氏が殆ど説明もなしに安保政策等の党の根幹にかかわる政策について過去の立場をあっさり変更したことには疑問を感じました。

*2:<詳報>野田佳彦元首相「安易な消費税減税しない」 共産党とは「一緒に政権担えない」 立民代表選に出馬表明:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

*3:まあ、民主党政権時代に消費増税しないと言って選挙に勝ちながら増税した過去がありますから、公約はそれほどあてにならないかもしれませんが。

*4:政権交代前夜 ~さあ共に、この国を背負って立とう~|衆議院議員 野田佳彦 立憲民主党 代表選特設サイト (nodayoshi.jp)

*5:ちなみに、ベーシック・サービスは立憲民主党の公約でもあります。立憲民主党の2022年選挙公約(立憲民主党 | 持続可能な社会ビジョン創造委員会 | 各論1 すべての人に安心のベーシック・サービス (cdp-japan.jp))には「暮らしの安心を保障するのは、医療、介護、教育、保育、障がい者福祉、住宅などのベーシック・サービス(現物給付)」とあり、「ベーシック・サービスの無償化や自己負担軽減」が謳われています。社会保障サービスの自己負担引き上げ反対も明記されています。「所得の多寡によって利用できるベーシック・サービスに差を設けないことが重要」とあるので、国が定めた画一的な一律のサービスを想定していることもわかります。もっとも、公約によれば、住宅や教育も「ベーシックサービス」だそうですけれども、所得で差異がないとは一体どうするつもりでしょうか?例えば、全員同じような家に住み(豪邸?それともウサギ小屋?)、誰もが東大に行けるようにすべきだということでしょうか?最低限の水準以上のサービス提供を禁じるつもりでしょうか?文字通りとるとこれは相当おかしな非現実的なことを言っています。まあ、おそらく具体策はこれから決めるのでしょう。基本的に野田氏の目指しているものもこれと大差ないと考えてよいでしょう。

*6:弱者を助けたいなら、特定のサービス(弱者が実際に使うかどうかもわからず好みに合うかもわからない)を国が画一的に無償で現物支給するなどという非効率な方法ではなく、負の所得税のような低所得者に現金を支給する方が遥かに望ましい政策です。

*7:もちろん、自己負担率を引き上げたり、保険適用外の多様なサービスの提供を認めれば話は変わってきますが、立憲民主党は自己負担引き上げを否定しサービスは一律であるべきだと主張しているのですから、社会保障費の膨張には余計に歯止めがかからないでしょう。

*8:もともとその税金は納税者が懸命に稼いだ収入から払われたものですが。

*9:野田氏によれば、それが「真の安心」につながるというのですが、そうは思えません。

*10:ついでに申し上げると、いまのところ大接戦です。有力候補についてだけみると、①矢が一本足りないアベノミクスか、②改革なき小泉改革か、③反アベノミクス(金融引き締め、大増税、規制強化)かの三択ですが、どれも積極的に支持する気にはなれません。経済政策についていえば最後の選択肢は一番あり得ないですが、他もかなり微妙です。

*11:なお、念のため書きますが、私は特定政党をやたらに応援したり目の敵にしたりする趣味はありません。立憲民主党にも頑張ってほしいのでこういうことを書いているのです。立憲民主党のマクロ経済政策の方針には反対ですが、党内にはマクロ経済政策でも近い考え方の議員もいますし、地方議会では宿泊税反対等で頑張っている方は高く評価しています。別に党派的にどうこう言いたいわけではないので誤解のないようにお願いします。私はアベノミクスを評価する立場なので変なレッテルを張る方がいますが、アベノミクスの評価は経済政策への評価であって、私自身は別に特に右派ではありません。例えば、選択的夫婦別姓同性婚、外国人の人権問題等で私がどういう立場かはこのブログの読者はご存じでしょう。私が民主党政権の3年間を評価しないのは、三年も政権にいたにもかかわらず経済政策は失政ばかりで社会政策でもリベラルな政策を何も実現できなかったからです。

ハリス暗殺を煽動する似非”リバタリアン”

米国リバタリアン党の極右の派閥Mises Caucusの危険性については、このブログやXの投稿でたびたび訴えてきましたが、とうとう深刻な事件が起きました。9月15日、Mises Caucusの牙城であるリバタリアン党ニューハンプシャー支部の公式Xが次のようなハリス副大統領の暗殺を煽動する投稿を行ったのです。

「カマラ・ハリスを殺す人は誰でも米国の英雄になるだろう。」

リバタリアン党ニューハンプシャー支部公式X 2024年9月15日の投稿(既に削除済み)より

常識ある人はこの投稿が暴力の煽動であり、一線を越えたものであることを当然理解されると思います。トランプ暗殺未遂事件が7月に起きたばかりで、この投稿の直後にはトランプ元大統領の暗殺未遂事件が再び起きています。こういう緊迫した状況でハリス副大統領の暗殺を煽動する投稿をするのは冗談では済まされない恐ろしい行為です。

Mises Caucusはリバタリアンを自称しながら、陰謀論者や人種差別主義者を積極的に受け入れ、マイノリティーへの差別や暴力煽動を繰り返してきましたが、中でも最悪なのがこのニューハンプシャー支部です。

問題の投稿は数時間後に削除されましたが、相当な数の人が閲覧し、リポストしたり評価したりしています。この投稿と同時に投稿された以下のような投稿はいまだに削除されていません。これは誤解しようのない脅迫です。

(銃の所持を認める)修正第二条のポイントは専制的な政治家を撃ち殺すことだ。*1

民主党員はリバタリアンの秩序の下で居場所はないし、物理的に取り除かれるべきだ。*2

進歩主義者や他の暴君たちに不安を感じさせることこそ自由を産み出す方法だ。*3

これらの投稿は全くリバタリアニズムの対極にある暴力を賛美するファシズムです。こんなものを弁護する”リバタリアン”など笑止千万です。

私はこれまで何度も「Mises Caucusは陰謀論者や人種差別主義者の巣窟であり、全ての人の自由を尊重する哲学であるリバタリアニズムとは相いれない考え方を広める危険な極右だ」と訴えてきましたが、今回の事件でMises Caucusの危険性は誰の目にも明らかになったのではないでしょうか(そうであることを望みますが!)*4

問題の投稿を削除した際、リバタリアン党ニューハンプシャー支部からはハリス副大統領への謝罪は一切なく、それどころか反省のかけらもない次のような投稿をしています。

我々は、我々自身が同意したこのウェブサイトの規約〔暴力の煽動等を禁じるXの規約のこと〕に違反したくないので、ツイートを削除した。”言論の自由”があると称するウェブサイトでさえ、リバタリアンが自由に話せないのは恥ずべきことである。リバタリアンは本当にもっとも抑圧されたマイノリティーだ。*5

極めて挑発的で人を馬鹿にした投稿というべきでしょう。殺害の煽動や脅迫は”自由”ではありません。FBIはこの投稿をした当人であるリバタリアン党ニューハンプシャー支部のXアカウントの管理人であるジェレミー・カウフマン(人種差別主義や反LGBTの投稿でよく知られた極右)の事情聴収を行ったそうですが、全く当然のことでしょう*6

まあ、「これが言論の自由であり、暴力の煽動はリバタリアンらしいことだ。迫害されていてかわいそうだ」といいたい方はどうぞ大声でそう言っていただいて構いません。あなた方は民主主義を否定し、暴力を賛美し、他人を脅迫し、殺害予告を送る自由の支持者だと声を大にして叫んでください。まあ、なんと素晴らしい”自由の戦士たち”であることでしょうか!そのような馬鹿馬鹿しい思想は決して支持されないでしょうし、自由の実現とは何の関係もありません。

なお、リバタリアン党の大統領候補で、Mises Caucusとは対立しているチェース・オリバー候補はリバタリアン党ニューハンプシャー支部の暴力賛美の投稿を直ちに非難しましたが、Mises Caucusやその影響下にあるリバタリアン党全国委員会は今のところこの問題を放置しており、リバタリアン党ニューハンプシャー支部に対して何の処置もとっていません*7。その組織が何と名乗っていようと、明らかに極右と付き合い、極右的な言動を繰り返し、極右が実際にメンバーになっているならば、それは極右と呼ぶのが妥当です。他にどう呼ぶのでしょうか?

*1:リバタリアン党ニューハンプシャー支部のX投稿(9月15日)

*2:リバタリアン党ニューハンプシャー支部のX投稿(9月15日)

*3:リバタリアン党ニューハンプシャー支部のX投稿(9月15日)

*4:これまでMises Caucusが極右であることを否定してきた方々は何か言うことがあるのでしょうか?見たところこの問題を取り上げている方はいないようですが、まあ、予想される(というかリバタリアン党ニューハンプシャー支部の関係者がすでにしている)弁解は「左翼も暴力を煽動している人がいる」とか「私たちだけではない」というものでしょう。これは「みんなやってるもん。僕だけ怒られるのは不公平だ」という聞き分けのない子供みたいな言い分ですが、常識的に考えてまともに取り合うべきでしょうか?これに対する正しい返答は「暴力を煽動する左翼もあなた方も同様に間違っており、もちろん同じようなことをすれば同じように公平に非難されるべきです。そんなことを言えば自分の罪が軽くなると本気で思ってるんですか?」というにつきます。そんな主張は何の弁解にもなりません。

あるいは、「言論の自由は神聖だ」という線の弁解で行きますか?脅迫の自由?そんなものを祝福する理由はありません。もし仮に言論の自由絶対主義で行くとしても、自分自身が他人を傷つける言論をやっていいという理由にはならないと思いますが、いかがでしょうか?飲酒の自由を擁護するからと言って、自分自身がべろべろに酔っぱらわなければならない理由なんて何もないですよね。誹謗中傷をやる人やらヒトラー賛美者やらを自由の戦士と称えるのは倒錯しています。まあ、そういうことがしたければしても結構ですが、大半の人が脅迫の自由、暴力賛美の自由擁護者とはかかわりあいになりたくないでしょう。そういう主張は決して多数派にならないし、むしろ多数派を遠ざけます。過激派を気取っていたいならそれは自由ですが、それはただの観念の遊びです。そのようなことがしたいのであれば、どうぞご自由に勝手にやっていただきたいと思いますが、たぶんそれはリバタリアニズムと別の名前で呼ぶべきでしょう。

*5:リバタリアン党ニューハンプシャー支部のX投稿(9月15日)

*6:FBI agents visit home of NH Libertarian Party member (youtube.com)

*7:Mises Caucusの多くのメンバーが同性愛者のオリバー氏を中傷したりトランプ元大統領を公然と支持したり問題行動を繰り返していますし、よほどなことがない限り何もするつもりはないのでしょう。ちなみに、Mises Caucusの公式Xは最近では、トランプ元大統領やヴァンス副大統領候補が宣伝した「ハイチの移民がペットの猫や犬を誘拐して食べている」という偽情報を拡散する言語道断な投稿を繰り返しています。何度も書いている通り、この組織は一部に問題があるのではなく、組織全体に問題があるのです。

小泉政権は「新自由主義」だったのか

小泉進次郎氏が自民党総裁選の有力候補になっていますが、小泉氏は父の小泉純一郎元首相のイメージや解雇規制緩和の主張等から「新自由主義」のレッテルを張られているようで、賛成派、反対派双方が小泉純一郎政権の規制緩和の是非で盛り上がっています。

水を差すようで悪いのですが、小泉政権が「新自由主義」だったというのは過大評価もよいところです。単純な事実の問題から言えば、小泉政権は「新自由主義を実施する」と主張したことは一度もありません。陰謀史観でよほど歪んだ見方をしない限り、小泉政権新自由主義と呼ぶのは間違いであり、その実績を冷静に評価するなら、良かれ悪しかれ小泉政権は大したことはしていない政権です。

例えば、2003年*1小泉政権が実施した製造業派遣の解禁と派遣受け入れ期間の1年から3年への延長などの派遣産業の規制緩和は、非正社員の増加を招き、格差社会を生み出した元凶とされ、よくやり玉に挙げられますが*2、そもそも2023年時点で派遣社員は就業者全体の僅か2.3%です*3。日本の非正社員の大部分はアルバイトとパートで、派遣産業の規制緩和とは関係がありません。非正規社員の割合の増加の背景としては、女性の社会進出や高齢化の方が遥かに大きな理由です。もちろん、2003年の時点では派遣社員が就業者に占める割合は0.8%でしたから確かに増えるには増えていますが、派遣社員が就業者全体の0.8%が2.3%に増えたことが“格差社会拡大の元凶”といった主張は無理があるでしょう。これは派遣業の規制緩和の是非以前の算数の問題です。

大体、派遣産業の規制緩和小泉政権が特に力を入れた政策課題ではなく、ごく小規模なものですし、基本的にILOの勧告に沿ったものです*4小泉政権前半の不況が貧困を招いたという主張なら理解できますが、それは新自由主義でも何でもなく単なる不景気の結果で、ITバブル崩壊や金融システム不安は小泉政権の責任とはいえません(もっとうまく対処できたはずだという批判ならあり得ますし、それは部分的に妥当な批判ですが)。仮に小泉政権下で派遣産業の規制緩和が実施されていなかったとすれば、失業率はさらに高くなり、就業者数が減っただけだったでしょう。この判断に同意したくなければしなくても結構ですが、派遣産業の規模感を理解していれば、これが大勢に影響しない小さな話に過ぎないことは明らかでしょう。

不平等度が小泉政権下で劇的に拡大したという主張も事実ではありません。不平等度を表すジニ係数(1に近いほど不平等)は小泉政権下で特別な変化を示していません。例えば、所得再分配調査によれば、小泉政権下で再分配所得ジニ係数は0.3814(1999年)から0.3873(2005年)に僅かに拡大していますが、その規模は小さく、その後はアベノミクスの下での景気回復で低下し、最新のデータである2021年時点で0.381に低下しています*5。あなたの実感では小泉首相は極悪人で、格差が劇的に拡大したような気がするかもしれませんが、少なくともデータ上で小泉政権下の格差拡大が大きなものだったことを示すものはありません。繰り返しますが、小泉政権は大したことをしてませんし、格差が劇的に拡大するような理由自体ないのですから当然です。

新自由主義」という言葉は正直定義が曖昧で、単なる悪口に使われることが多いのですが、それがミルトン・フリードマン流の経済政策という意味ならば(そう理解している人が多いようですが)、小泉政権はその意図はともかくとして、実際にはそれとは程遠い政策しかやっていません。「新自由主義」という言葉をフリードマンは若い頃のマイナーな論文の中で一回しか使っていないのですけれども、彼の定義する「新自由主義」というのは、政府権力の制限を重視するだけでなく、自由市場が効果的に機能できるような制度的枠組みを整えることを主張する中道的な考え方です*6。具体的には、市場の競争促進政策や物価安定をもたらす安定した金融政策、貧困対策*7を実施することを提唱しています。これは原則的には、かなり極端な自由放任主義者やマルクス主義者、国家社会主義者以外は反対しようがない普通の経済学の考え方に過ぎません。

残念ながら、日本ではフリードマン流の新自由主義は決して実現したことがありませんし、今も依然としてそうです。小泉政権ができた頃の日本経済はデフレ不況に直面していましたから、フリードマンの日本へのアドバイスは大胆な減税とともに、金融システムを立て直し、デフレを脱却するような量的緩和を実施せよというものでした *8。この観点から見た場合、小泉政権の成績表は芳しいものではありません。フリードマンを日本に紹介した優れた経済学者、西山千明立教大学名誉教授(当時)の2002年時点の小泉政権に対する評価は次のようなものです(強調は筆者)。この評価は当時として全く正当なものです。

小泉政権の下で柳沢伯夫金融担当大臣は、「市場原理」の名のもとに統制経済政策を推進している。そのため、既に十二年間にわたる日本の長期的不況は今やさらに悪化するばかりだ。それどころか、このような政策や景気対策の無策が続けば、我が国経済は衰退と縮小の一途をたどるばかりだ。〈…中略…〉実際には構造改革は「抵抗勢力」によって阻害され、これといった進展を示していない。しかも他方ではこの政権はどんな減税もやらないし、市場経済再生のための政策は全く何も実施しない。それどころか、〈…中略…〉「統制経済的政策」の実施を、放置ないし後押ししている。そもそも不良債権問題を象徴として、〈…中略…〉「政治の失敗」が「バブル」と「長期的不況」を生じさせたのだという自覚と認識が小泉政権だけでなく、与党はもとよりどの野党にも皆無の状況下に、わが国の人々は置かれている」*9

2006年まで小泉政権は続きますが、西山氏の厳しい評価を変える必要は殆どありません。2003年には日銀総裁福井俊彦氏が就任して量的緩和拡大が実施され、世界的な景気回復を追い風に不良債権問題は解消しましたが、このときの量的緩和は満期の短い国債を対象とした極めて不完全なもので、貨幣量は殆ど増えずデフレ脱却にも失敗しました*10量的緩和はしないよりもましだったとはいえ高く評価はできません。

小泉政権と言えば、任期中は消費税を上げないことを公約していたので、増税のイメージはないかもしれませんが、その印象は誤りです。小泉政権は2003年にマイナーな相続税贈与税の見直しを実施した他は、減税どころかむしろ増税を実施しています。例えば、タバコ税や発泡酒の酒税の増税、1999年から恒久減税として実施されてきた所得税・住民税の定率減税廃止を決定しています。控除の見直し等の影響も含めれば、小泉政権増税は決して小さなものではありません*11増税する大きな政府の政権を新自由主義と呼ぶのは全く奇妙なことでしょう。公平を期して言えば、小泉政権社会保障費の抑制に取り組んだのは確かでこれは評価できる点ですが、その遺産はあまり引き継がれていませんし、社会保障費の負担は増え続けているのが現状です。

小泉政権の実施した構造改革は殆どが小粒な中途半端な改革ですし、大部分は後の政権によって覆されています。そもそも、小泉政権下で規制の数は減少するどころかむしろ増えていました。例えば、許認可等の根拠条項等数は、小泉政権発足以前で統計を取ることが可能な1999年の時点で11581件(このうち許可、認可、承認等の強い規制4477件)でしたが、小泉政権末期の2005年には12376件(強い規制4384件)に増加しています。ちなみに2017年には15475 件(強い規制4937件)まで増加しています*12。国際的に見ても、日本は規制改革では中程度の国と評価されており、別に特に新自由主義の国とは思われていません*13

あれほど大騒ぎした郵政民営化ですら、結局、民営化後も日本郵政の株式の3分の1を政府が保有し続けるという中途半端な民営化しかできなかった上に、当初の不完全な民営化案ですら小泉政権退陣後の法改正でますます後退している有様です。当初は速やかに売却する予定だったにもかかわらず、2021年6月まで政府は日本郵政株の60%を保有したままでしたし(現在は3分の1まで低下)、日本郵政はこれも速やかに売却することになっているはずのゆうちょ銀行とかんぽ生命保険の株式を相変わらず保有しています。現在も郵便事業を保護され、官僚の天下りを受け入れている日本郵政グループが政府から独立した民間の会社だと考えるのは無理があるでしょう。最近では、自民党内で民営化撤回も議論されている始末です*14。結局、小泉政権は印象的なフレーズをちりばめていた割に、日本経済に目立った変化を起こすことが出来なかったというしかありません。

小泉政権が「新自由主義」だなどというレッテルは全く情けないほど実態に合わない現実離れした主張です。日本において新自由主義は試みられてすらいません。「新自由主義が日本をダメにした!」と叫ぶのは、まず大胆な減税を実施し、関税を撤廃し、安定的な金融政策の下で物価安定を実現し、医療福祉、農業、シェアリングエコノミー、労働市場等のすべての分野の岩盤規制を打破してから言ってほしいものです*15。大胆な減税をする気のない候補者が何を言おうが、それは絶対に新自由主義ではありませんからご注意を!

*1:法案成立は2003年、施行は2004年からです。

*2:小泉進次郎氏が総裁選の公約に解雇規制緩和をぶち上げたこともあって、尚更おかしな議論が盛り上がっているようです。

*3:労働力調査(2023年)の就業者全体に占める割合。

*4:派遣法改正案は「正社員の雇用」を守るためだった!?非正社員は誰も救われない“矛盾と罠”――国際基督教大学 八代尚宏教授インタビュー | 日本のアジェンダ | ダイヤモンド・オンライン (diamond.jp)

*5:ちなみに、再分配前の当初所得ジニ係数は傾向的に拡大していますが、これは高齢化による人口構成の変化が理由です。高齢者の間では若者に比べて所得格差が元々大きいため、少子高齢化が進んで高齢者の割合が高くなると、再分配前の格差は大きくなるのです。しかし、所得再分配後で見た場合には格差拡大が進んでいる傾向はみられません。

*6: Milton Friedman(1951)“Neo-Liberalism and its Prospects” Farmand, 17 February 1951, pp. 89-93

*7:ただし、農業や中小企業等の特定産業を支援して競争を制限する集団的な再分配政策ではなく、実際に貧しい個人を対象にしており、競争を阻害しない再分配政策です。例えば、フリードマンが提唱する負の所得税や教育バウチャー、医療貯蓄口座等がよい例です。

*8:例えば、1998年のインタビューでは「減税と歳出削減を通じて、「小さな政府」にする。金融システムの立て直しを進める一方で、日本銀行通貨供給量を急速に増やすことが欠かせない」と述べています(ミルトン・フリードマン(1998)「通貨供給大幅に増やせ ノーベル経済学賞フリードマン氏が日本経済に処方箋」(読売新聞,1998年9月11日)。

*9:西山千明(2002)「文庫版への訳者はしがき」M&R・フリードマン『選択の自由』日経ビジネス人文庫,2002年,10、13頁.

*10:詳しくは拙著『ミルトン・フリードマンの日本経済論』をご覧いただければ幸いです。

*11:定率減税 (ndl.go.jp)

*12:総務省|行政評価|許認可等の統一的把握結果 (soumu.go.jp)

*13:例えば、ヘリテージ財団の経済自由度指数は、経済自由度を客観的指標に基づき評価したものですが、日本のスコアは小泉政権前の2000年には70.3、小泉政権が退陣した2006年には73.3と僅かに上昇したものの現在は67.5に下がっています(Index of Economic Freedom | The Heritage Foundation)。これは程度の差こそあれ他の指標で見た場合も同じです。

*14:「郵政民営化法見直し」自民党議連が素案修正へ 今国会は見送り:朝日新聞デジタル (asahi.com)

*15:なお、小泉進次郎氏に関しては、防衛増税など岸田政権の決めた増税策を一つも撤回せず、実施するとしているので全く評価していません。

政治家崇拝の愚かしさ

日本では自民党総裁選や立憲民主党代表選、米国では大統領選が話題ですが、選挙になると、特定候補の発言をいちいち正当化して回る熱烈な支持者が大活躍します。他の候補が当選したら「日本は終わる」(一体全体、今まで何回日本は終わったのでしょうか?)と叫び、他の候補を中傷して陰謀論を流したりする、傍から見ると異様な人たちです。

今回の自民党総裁選でも、対立候補を「反日」などと激しく罵倒し、某候補の出馬表明演説を聞いて涙腺が崩壊したとか感動したとか大仰なことを書いている極右の方々が多数見受けられますが、自ら(文字通り!)目が曇っていると自白して恥ずかしくないのか不思議でなりません。そんなことを書けば、普通の人はむしろカルト宗教めいた感じに恐れをなして逃げ出してしまうでしょう。落選運動のつもりならわかりますが、とても理解できません*1

選挙だからと言って、自分の応援する候補を100%擁護しなければいけないわけはありません。どの候補もある政策は良く別の政策は悪いということは当然あるはずです。総合的に見てある候補を支持するけれども、他の候補を支持する人たちも一理はあるかもしれないと考えるのが常識ある政治との付き合い方でしょう。残念ながら政治というものは、経済政策も外交政策も何もかもまとめ売りされているものですから、個別の政策をバラバラに買うことはできません。不満足な選択肢の中から誰かを選ぶしかないわけです。

例えば、米国大統領選挙を例にとると、トランプ候補の不正選挙陰謀論や人種差別主義、暴力の煽動、保護貿易主義のリスク等の問題点を理解した上で、減税政策やエネルギー政策等を評価して、トランプ候補を支持するというのはありうる選択でしょう。率直に言って、私はかなり強硬な反トランプ派ですが、トランプ支持者の中には、事実を正確に認識した上で、私とは違う価値判断を下している人がいると思います。トランプ支持者はみな人種差別主義者だといった決めつけは行き過ぎです。

同様に、ハリス候補の増税や価格つり上げ規制を批判しながら、総合的に見てトランプよりましという判断をすることは可能です。「ハリスを支持するのは共産主義者」などというのはMAGAのプロパガンダに過ぎません*2。大体、トランプの極端な保護主義や非正規移民の大量強制送還計画は、ハリスの経済政策と同程度に反自由市場ですし経済的打撃が大きいものです。権威主義的なトランプ候補当選の危険性を考慮してハリスを相対的に支持するというのは自由市場主義者にとっても合理的選択でありえます(事実、そういう方がたくさんいます)。

これと同じことは自民党総裁選や立憲民主党代表選にも言えます。経済政策では支持できる候補が他の政策(例えば安全保障とか)では全然支持できないことはあるでしょうし、経済政策と言っても規制改革は賛成だけれどもマクロ経済政策はそうではないということもありうるでしょう*3。理想の政治家を探すのではなく消去法で候補を選ぶしかありませんし、重点の置き方の違いで人によって違う候補を選ぶことは当然あるでしょう。誰それ一択!なんてことはあり得ません。

政治は善悪の激突ではなく妥協の産物です*4。日常とは違う華やかな世界ではなく、その延長線上にあるものです。自分が支持する候補以外は、「反日」で「親中派*5で「日本が終わる」などと考えるのは三流映画の見過ぎです。自分と少しでも意見が違う人は「統一教会」「安倍信者」だ云々とかいうのも同様です。別にあなたはその候補者の親戚でも親友でもないのですから、全部支持する必要などありませんし、違う候補の支持者は親の仇でもゾンビでもありません。

自分が支持する候補者が選ばれれば、明日から世界がバラ色になるわけでもありません。独裁者ではないのですから*6、必ず何らかの妥協は必要になります。それが許容可能な妥協になるのか、基本的な原則への裏切りとなってしまうかはその候補者の能力やその時の状況次第でしょうが、妥協なしの政治はあり得ません。最後の審判を期待して政治運動に参加すれば必ず失望することになります。

どんな政党や政治家であれ、ある程度の力を持つには、多かれ少なかれ(少なくともあなたから見て)変な勢力とつきあっているでしょうし、意見の一致しない点があるでしょう。世の中には多様な意見があり多様な団体があるのだから当然です。これは多数派を獲得するには必ずそうなるのであって、別に統一教会とか特定の宗教団体や政治団体とかを”叩き潰せば”、解決するというような話ではありません*7。どんな政治家であれ、細かく調べれば、支援団体の票のために何かしらあなたの理解できないことを言っているはずです。自分が支持する候補者の問題点や馬鹿げた主張を明確に理解した上で「もちろん問題はあるが、それでもこの人が今のところ私の目標を達成する上で一番ましだ。だから私は敢えてリスクをとる」というなら、それはそれで賢明な選択です。信仰の対象ではなく、候補者の欠点も理解した上で、自分の主義主張に照らして目的を達成する手段として候補者の選択を考えているからです。

これとは反対に、政治家を理想化したり無批判的に応援したりするのは危険ですし合理的ではありません。その候補者の言うことなら何にでも賛成し、虚偽の情報に飛びつき、リスクを指摘されても問題があることを否定するのは賢明な態度とは言えません。政治家よりもアイドルに熱狂する方がよほど健全です。恋人に対してなら別にさほど害はないでしょうが、政治家に対してロマンチックな幻想を抱くのは危険です。

*1:客観的に見れば、政策をかなり勉強されているのは伝わったものの、やや詰め込み過ぎでどこに焦点があるのかわかりにくかったのは確かでしょう。普通の人は感涙にむせんだりはしないと思います。もちろん、中身のない印象的なフレーズをちりばめた別の候補の演説のような意味で何がしたいのか分からない演説ではありませんでしたが、熱心なファン以外には訴える力は弱かったと思います(良い悪いは別にしてです)。経済政策については、記者の質問に答えた以外は減税や金融政策に明確な言及がないのは意外でしたし、産業政策が多くマクロ経済政策が霞んでいるのは期待していただけに残念でした(もっとも、他の番組での発言や著書等ではもう少し明確な言及があり、評価できる点も多いと思いますが)。岩盤規制打破、規制改革というアベノミクスの一丁目の一番地が消えているように見えるのは気のせいでしょうか。意義の乏しい報酬返上の公約等も非常に残念でした。

*2:ハリスの価格つり上げ規制は、確かに市場軽視ですが、包括的な社会主義計画経済とは違いますし、共産主義というのは誇張です。現実にはパレスチナ問題の急進的な解決を要求する共産主義者や急伸左派はハリスを猛烈に攻撃していますし、共産主義者がハリス支持者などということはありません。

*3:自民党総裁選についていえば、各候補の経済政策は産業政策中心か規制改革中心かで違いがあるものの、五十歩百歩です。私は当然ながら規制改革派に好意的ですが、規制改革派を標榜する人たちも環境政策では不合理な規制を支持した過去があったり提案している規制改革が小粒で具体性がなかったりで大して魅力的ではありません。マクロ経済政策(特に金融政策)についてみると、無関心か口約束だけが多く程度の差はあれ大半が増税派です。増税ゼロを公約している候補者が信頼できればよいと思いますが、どうでしょうか。悪いことに、反緊縮派は大体において規制強化派、自称規制改革派は積極増税派である傾向があり、実に悩ましいところです。選択的夫婦別姓のような社会政策でも各候補の主張はバラバラですが、どうもこれに関しても私に近い立場の候補は反リフレ派や増税派ばかりです(笑)。結局、どの候補も微妙だというのが率直な感想です。

*4:なお、市場では他の人が何と言おうが自分の好きなものを買うことができますから、政治よりも遥かに多様な選択が可能で、それほど他人と妥協する必要もありません。自分の価値観をどうしても他人に押し付けたい人以外は、市場で選択できるものが多い社会に暮らす方が、何でも政治的に決める社会よりも自分の価値観に合った生き方ができるでしょう。

もちろん、政治的に決めざるを得ないことというのはあるのですが、自由市場に比べて、政治市場は多様な選択が許されず対立が起きがちです。なるべくならば、市場に任せて各人が自由に選択できる領域を大きくした方が多様な価値観を持つ人が共存しやすいでしょう。これは私が自由市場経済を支持する理由の一つです。

*5:極右の方は誰にでも根拠があろうとあるまいと「親中派」というレッテルを張りますが、面白いことに「親露派」というレッテルは貼りません。極右自身がウクライナ戦争ではロシアを支持しているからでしょう。日本の北方領土を未だに占領したままで日本と平和条約を結んでおらず、ウクライナ侵略戦争を続けるロシア政府はかなり日本に敵対的で危険な権威主義独裁国家だと思いますが、そのロシアを応援するのはプーチンが光の戦士だからよいのでしょうね。随分都合よくできています。

*6:というよりも、独裁者ですら、独裁を維持するためには、自分のしたいことを全てするわけにはいかないのです。

*7:大体、それは集会結社の自由や信教の自由の侵害になりうる危険な発想です。

竹内氏の学習院への中傷について(3)

先日の2つの投稿では、学習院大学に対する竹内久美子氏の中傷が事実無根であることを訴えましたが、予想以上に多くの方に読んでいただくことができ嬉しい驚きでした。そこで今回はもう少し一般的な観点から学習院大学がどんな大学かお話ししたいと思います。

竹内氏は、学習院を「左翼の巣窟」*1で、皇族の方の身に危険が及ぶような*2恐ろしい「真っ赤な大学」*3などと主張していますが、その主張に全く根拠がないことは前回前々回の投稿で詳しく解説した通りです。学習院悠仁親王殿下が進学しなかったのは「刺客対策」*4などという何の根拠もない出鱈目な”推察”を書くのは重大な名誉棄損であり、常識的に考えて訴えられて当然です*5。そもそも学習院大学はつい最近まで愛子内親王殿下が通っておられた大学で、皇室の方々が今も頻繁に訪問している場所なのですから*6、そんな話は全くのナンセンスです。学習院大学は非常に治安のよい大学ですし、警備はしっかりしています。どんな方でも安心して通学できる大学であると思います。

学習院が「真っ赤」に見えるとしたら、おそらく、その人はかなり偏った極右で何を見ても左翼に見えるか、あるいは「左翼」という言葉の意味をよく知らないかのどちらかでしょう。他大学と比較しても、学習院は左翼団体の活動が全く活発でないところです。学習院大学の卒業生には各界の著名人がたくさんいますが、学習院のOBである麻生太郎元首相はよく講演会をされますし、学生新聞のインタビューに登場したこともあります。念のため言えば、学習院は政治には中立で、決して特定政党を応援したり視野の狭い偏った考え方をしたりはしていませんが、保守派が肩身が狭いような大学などでは全くありません*7

学習院大学の文化祭(桜凛祭)では、政治家等の著名人を招待した講演会がありますが、自民党をはじめ中道保守寄りの政治家の講演会は人気です。2022年度の文化祭では学習院大学国際政治研究会が高市早苗経済安全保障担当相をお招きしています。講演会は盛況のうちに終了し、ありがたいことに、高市氏も学習院大学に大変好意的な感想を持ってくださったようです。

高市氏の政治姿勢には賛否があるでしょうが、危険な「極度に左傾化*8した「真っ赤な大学」が高市氏を歓待するはずがあるでしょうか?適当なことを言うのもいい加減にしてほしいと思います。竹内氏は高市氏を応援しておられるようですが、ほかならぬ高市氏は学習院を「左翼の巣窟」だとも「真っ赤」だとも言っていませんし、全く逆のことをおっしゃっているのです。私が頑張ってあれこれ書くよりも、この高市氏のXポストを張り付けておけば十分な気がしてきましたが(笑)、まあもう少しだけ続けましょう。

学習院は過激派学生が暴れまわっているような危険な大学ではありませんし、そんなことは考えるのも馬鹿馬鹿しいことです*9。もちろん、ためにする批判がしたくて、わざわざ大学のほぼ誰も知らない小さな左翼サークル(念のため言えば、彼らが学内で何か法に触れる活動をしているわけでもありませんし、別に学生の自由でしょう。そんなものを見つけ出してきたところで「だからどうしたのか」というだけです)を探せば見つけることはできるでしょうが、学習院の学生はバランスの取れた穏健な考え方の学生が圧倒的に多いです。

陰謀論めいた中傷をしている人たちの投稿を読むと、どうも大学の授業というものを勘違いされているみたいなのですが、どんな思想を持っている人であっても、まともな教員ならば、その思想で学生を洗脳するような授業なんてしないものです。

前の投稿で指摘したように、竹内氏の「佳子様学習院を中退したのは左翼教授が張ったわなから逃れるため」*10なる主張は、佳子内親王殿下ご自身の発言を読めば事実に反するデタラメであることがわかります。ご本人が「長い間お世話になった学習院の方々に深く感謝しております*11と明言されているのに、その学習院大学を中傷し、迷惑なデマを言いふらす人がいるのは困ったものです*12学習院に対してこういう出鱈目な中傷を広めている人がいるのを知ったら一番悲しまれるのは誰でしょうか?本当に失礼極まりない話です。

竹内氏に煽動されて「学習院は満遍なく真っ赤」とか「洗脳される」とか適当なことを書いている方がいますが*13学習院ほどマルクス主義と縁遠い大学は珍しいでしょう。多くの先進国の経済学部ではマルクス経済学を教える講座がないところが多いですから国際的に見ればごく普通のことですが、学習院大学の経済学部にはマルクス主義経済学者はいませんし、そういう授業もありません。日本では、ごく最近まで殆どの大学にはマルクス経済学の講座があり(しばしば必修)、今も多くの大学にはマルクス経済学の講座があることを考えればこれはかなり異例のことです。学習院が「真っ赤」なのだとすると「真っ赤」なのにマルクス経済学を教えていない大変奇妙な大学ということになります。

他の学部は程度の差がありますが、いずれにせよイデオロギー的に特定の思想を教条的に信奉したり過激な暴力を賛美したりするような授業をする先生はいませんし、大半の学生もそんな思想に興味を持っていません。学習院の良心的な先生方に対してそんな心配をすること自体全くナンセンスですが、授業を受けたら「洗脳される」なんて大学生にもなる年の皇族の方の知性をあまりにも馬鹿にしていないでしょうか?

学習院大学の教育学科が「佳子さまのために新設された」(進学するかどうかもわからないのに?!たった4年間だけのために?1学年50人にもなる学科を苦労して新設したのですか?)などという話自体がとんだ言いがかりですが*14、「罠」が仕掛けられていたなどという主張はさらにナンセンスです。

陰謀論者の皆さんは教育学科で中国語か韓国語が選択必修になっていたことにこだわっていますが、前にも書いたように選択必修なのは初級クラスのたった4単位です。文法事項と基礎的会話を教えるのが精いっぱいの授業で洗脳するなんて、無駄に難易度が高そうな陰謀ですよね(笑)。

しかも、語学の授業は原則としてどの授業をとるかは本人が選ぶことができます。2013年度の学習院の中国語は44クラス(ベーシック(初級)22クラス、コミュニケーション(初級)22クラス)で講師は30人、韓国語(朝鮮語)は8クラス(ベーシック(初級)4クラス、コミュニケーション(初級)4クラス)で講師は4人です。来るかもわからない学生のために、みんなが陰謀を企んでいたのですか?大体、中国と韓国は全然別の国で政治体制も同盟国も違いますが、それが何か学習院と一緒に陰謀を企む理由なんてあるでしょうか?雑な設定にはあきれてしまいます。

学習院大教育学科は佳子さまを罠に陥れるカリキュラムが用意されていた」*15 などという主張は荒唐無稽です。教育学科の授業シラバスを少し眺めれば、中国や韓国を礼賛する内容など皆無であることは誰にでも理解できるでしょう。

例えば、2013~2014年度の教育学科の専門科目の授業は、重複を除いて73科目ありますが、このうち、中国、韓国に関係するのは「世界の教育」「国際理解教育論Ⅰ」の2科目のみです *16。「世界の教育」では15回の授業中、韓国、中国、台湾の教育改革についてそれぞれ1回ずつ、アジア諸国を中心にした学校改革の国際交流が1回取り上げられています。また「国際理解教育論Ⅰ」では、東アジア地域が1回取り上げられているだけです。その他に中国、韓国について教えている科目はありません。この2科目はどちらも選択必修科目で必ず取らなければいけない科目ではありません。学習院のカリキュラムは極めて中立的内容でごく普通のものです。

仮に学習院大学が何かの陰謀を企むとしても、そのために教育学科を新設するよりはもっと賢い予算の使い方がありそうなものではありませんか?そんなコスト高のうまくいくかどうかあやふやで馬鹿馬鹿しい陰謀を企むような人たちが万が一いたとしても(いませんけれど)、そんな愚かな人たちには誰一人騙されることはないはずですから、安心してください。

適当なことを書いて人の大学を罵倒するのは本当にやめてほしいものです。竹内氏に調子を合わせて「学習院は変わってしまいました」などといかにも訳知り顔で書いている方々は大体が匿名で全く信頼に値しません。この人たちはその投稿を少し読んだだけでも学習院のことをろくに知らないのは明らかです。

それにしても、竹内氏のように「保守」などと自称しながら、伝統を大切にする由緒ある大学である学習院大学を根拠のない中傷で貶める人たちは本当に何がしたいのかわかりません。あなた方こそよほど危険な革命家ではないですか?根拠のない中傷は現役の学生にも関係者にも迷惑ですから、直ちに削除していただきたいと思います。

 

*1:3月17日のX投稿より

*2:8月19日のX投稿より

*3:8月31日のX投稿より。

*4:8月19日のX投稿より

*5:もちろん、竹内氏やその同調者はそれだけの覚悟があって書いておられるのでしょうね。

*6:ちなみに、皇室の方が演奏会などで挨拶されると演奏会場からはいつも大きな拍手が起こります。

*7:なお、当然ながら、ここで言っているのは伝統を重んじる穏健な保守派のことであって、排外主義極右は含みません。大学内にそういう人たちは無視できるほどでしょう。

*8:4月30日のX投稿より。

*9:安保反対闘争の時代はどうなのかとおっしゃる方がいるかもしれません。確かに、当時は東京大学ICUなどの他大学同様、学習院でも左翼セクトが学内で紛争を起こしていましたが、他大学と比較すると特に目立ったものではなく、大学が機能停止に陥ることもありませんでした。当時はどの大学でも左翼が人気だったのですし、取り立てて言うような話ではありません。いずれにせよ、今ではそういうものは殆ど無視できる少数派です。その点も他大学と変わりません。竹内氏の主張は、秋篠宮家が学習院を避けたのは最近、学習院極左になって「罠」を仕掛けていたからというものですから、学習院が「赤い」証拠として、そんな前の出来事を持ち出すのは無意味です。大体、そこから言い出すのであれば、1910年の『白樺』創刊あたりから始めたらどうなんでしょうか?常に一定数の左派は当然どこの大学にだっていつの時代だっています。問題はそれが他の大学と比較してどれくらい重要で、大学全体の傾向がどうなのかです。にわか専門家になって学習院の小さなセクトの歴史を調べて回るなんてばかばかしいだけです。そもそも、繰り返し書いているように、秋篠宮家からはそういう理由で学習院を選ばなかったなどということを示唆する発表は何一つありません。

*10:3月29日のX投稿より

*11:佳子内親王殿下ご成年をお迎えになるに当たっての記者会見 - 宮内庁 (kunaicho.go.jp)

*12:どういうわけか私のことを反秋篠宮家だと思っていろいろ書いてくる皆さんに言いたいですが、秋篠宮家の方の言動をきちんと調べてその発言を尊重しているのは私の方であって、あなた方のような陰謀論者ではありません。学習院中退について本人の説明と全く異なる虚偽の理由をでっちあげる方がよほど失礼で秋篠宮家を侮辱していませんか?誰に対してであれ言えることですが、本人が言ってもいないことを勝手に”推察”したり、まことしやかな嘘を本人の意思であるかのように吹聴したりする行為は、主観的にその人のことをどう思っているかに関係なく不当ですし余計なおせっかいでしょう。空疎な愛国スローガンばかり叫んでいないで、少しは現実の人間のことを考えてほしいものです。極右の人権侵害は今に始まったことではありませんが、実に不愉快です。

*13:一般の匿名の方なので敢えてリンクは貼りません。

*14:大体、ご本人が記者会見で述べられている通り、「学習院大学を退学した理由ですが,私は幼稚園から高校まで学習院に通っており,限られた一つの環境しか経験できていないと感じることが多くございました。そのため,中学の頃から別の大学に行きたいと考えるようになり,受験いたしましたが不合格となったため,内部進学で学習院に進学いたしました」(佳子内親王殿下ご成年をお迎えになるに当たっての記者会見 - 宮内庁 (kunaicho.go.jp))ということなのですから、学習院は最初から第一志望ではなく早くからほかの大学(具体的に言うとICUですね)に進学するのが希望だったのです。どうして学習院が「罠」とやらを準備万端に整えるなんて馬鹿なことをしますか?教育学科新設には何年も前から準備が必要だったのですよ?従来の学習院には伝統的な学部学科しかなかったので、新しい学科、学部を新設して時代の要請にこたえようというのはだいぶ前から検討されていた方針で、そんな急ごしらえで決めたものではありません。

*15:竹内氏の2023年11月11日のX投稿より

*16:学習院大学 講義案内 (gakushuin.ac.jp) 学習院大学 講義案内 (gakushuin.ac.jp)