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{{Otheruses|[[富士通]]が自社製[[コンピューター]]に使用していた[[商標]]|[[フランス]]の[[工具]]メーカー|:fr:Facom}}
'''FACOM'''(ファコム)
[[アメリカ合衆国]]では'''フェイカム'''と発音される
[[Image:FACOM logo.svg|thumb|FACOMのロゴ]]
'''FACOM'''は、[[池田敏雄]] (1970年〜1974年に役員、死後に専務)、[[山本卓眞]](1981年〜1990年に社長<ref name="fujitsu_history">{{PDFlink|[http://pr.fujitsu.com/jp/ir/library/databook/2010pdf/1-10.pdf 富士通 歴代社長とシンボルマークの変遷]}}</ref>)、[[山口詔規]]が1954年10月に完成させたリレー式計算機 FACOM 100から始まる。
FACOMの番号付けは、100番台が[[継電器|リレー]]式、200・210番台が[[パラメトロン]]、以後は電子式([[トランジスタ]]、[[集積回路]])となっている。初期には、下2桁が00は試作機(100と200)、10の位は順番、1の位は計算機の桁数、という規則<ref>『池田記念論文集』({{全国書誌番号|78026611}}、{{NCID|BN09529804}})p. 36</ref>や、10の位が0はパラメトロンで科学用、1はパラメトロンで事務用、2はトランジスタで大型汎用、3はトランジスタで科学用、4はトランジスタで事務用、という規則<ref>『池田記念論文集』p. 206</ref>もあったが、いずれも230シリーズより前の話である。初期には300番以降の番号もコンピュータに使われているが、後にはFACOM 603磁気テープ装置のように周辺機器にあてられている。
== リレー式計算機 ==
以下で述べるFACOMの名の付いたリレー式計算機はプログラム制御方式である(という点ではコンピュータと言える)。プログラム制御方式であっても[[プログラム内蔵方式]]とするか否かは、具体的にどの程度メモリにプログラムを置けば「プログラム内蔵である」とするのかについて議論がある点だが、[[高橋秀俊]]によれば、リレー計算機でプログラム内蔵方式を採用したものは無い、とされている([[プログラム内蔵方式]]の記事を参照)。[[情報処理学会]]のコンピュータ博物館ウェブサイトでは、FACOM 128Aを「プログラム非内蔵」としている<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/dawn/0012.html</ref>。
また、日本ではコンピュータのことを'''電算機'''などと言うことがあり、「電算業務」といった形で'''電算'''と略しても使われているが、情報処理学会が歴史について調査した際に、学会誌『情報処理』に掲載された富士通における歴史を述べた記事<ref>『日本における計算機の歴史 : 富士通における計算機開発の歴史』{{NAID|110002753426}}§3.1</ref>によれば、このリレーによる計算機の時代に計算サービスを開始した際に(「電子」じゃないけど、ということで)使い始めた言葉であろう、と書かれている。
;開発の経緯
富士通信機製造では、1935年(昭和10年)頃から、リレーを使った装置の応用として演算回路を試作していた。1943年(昭和18年)には海軍からの委託で暗号解読装置を製作している(これらは塩川新助<ref>http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/siokawa.html</ref>、高田重男、青山鉄夫らによる<ref>『池田記念論文集』p. 34</ref>)。なお、中嶋<ref>http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/a-naka.html</ref>や[[クロード・シャノン|シャノン]]により、[[論理回路]]の理論が始まったのが、1930年代末である。
戦後は、戦災で焼失した東京都の統計課のIBM製[[タビュレーティングマシン|統計会計機]]を代替する、電気式分類集計機「山下式画線統計機」<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/dawn/0003.html</ref>を[[山下英男]]の指導の下に製作、1951年5月に納入した(同機は総理府統計局には[[日本電気]]から納入されている)。
1952年、[[東京証券取引所|東証]]が機械化を検討し、山下を通して富士通に、リレーによる株式取引高精算装置の開発が打診された。尾見半左右<ref>http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/omi.html</ref>、小林大祐<!--同姓同名の他人の記事があるのでリンクにしないこと--><ref>http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/kobayasi.html</ref>の下で[[池田敏雄]]、[[山本卓眞]]らが開発し、1953年3月
株式取引高精算用計算機が不採用だったことについては、[[山本卓眞]]によれば<ref>『計算機屋かく戦えり』1996年版 p. 99</ref>入出力が電信用紙テープだったためパンチカードマシンより遅かった、動作が不安定だった、という2点を挙げている。動作を不安定にしたエラーの原因は後に接触不良と判明し<ref>『計算機屋かく戦えり』1996年版 p. 99 下段写真キャプション</ref>
=== FACOM 100 ===
(FACOMに限らずリレー式の計算機一般について言えることであるが、
東証の計算機の経験からリレーの接触不良に対処するため、自己検査回路により、誤動作が起きた場合にはそれ以上動作が進まないような回路とし、誤った結果は出力しないというある種の[[フェイルセーフ]]設計とした。FACOM 100は十進法の計算機で、演算装置の符号系には[[3増し符号]]を使っているが、その冗長性を利用してパリティ的なチェックを行うものである。ノーベル賞受賞者の[[湯川秀樹]]が「人手では2年はかかる多重積分を3日で解いた」と高く評価した<ref name="tahara159">田原 159頁</ref>。FACOM 100は試作・実験機であり、販売されることはなかったが、計算機が他にほとんどない時代であり(日本初の真空管によるコンピュータが稼働したのは1956年の[[FUJIC]]である)、FACOM 100を利用した計算サービスを提供して、社内はもとより、官民学の計算需要に対して実用に供せられた<ref>『日本のコンピュータの歴史』p. 224</ref>。
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=== FACOM 128===
FACOM 128は1956年に完成した富士通最初の商用コンピュータである(1958年に改良を行ったため、1956年に完成したものはFACOM 128A、改良版はFACOM 128Bとしている)。FACOM 128は[[インデックスレジスタ]]
インデックスレジスタのアイディアは、池田らと、前述の電気試験所で計算機にかかわっていた駒宮安男<ref>http://museum.ipsj.or.jp/pioneer/komamiya.html</ref>らとのディスカッションの中から出てきたもので、海外のそれ([[:en:Index register#History]]を参照)とは独立に生まれたものである<ref
富士通沼津工場「池田敏雄記念室」に1959年製造のFACOM 128B(1970年頃まで[[日本大学]][[理工学部]]で使われていた個体。電子式コンピュータ発達後の最後の頃は、主に[[宇野利雄]]が自身の[[数値解析]]の研究にはこれで十分だと使用していたもので、この規模のリレー式計算機としては恐らく最後まで運用されていたものと考えられている<ref>中公新書『電子計算機の誕生』 ([[高橋秀俊]]) p. 33。より規模の小さいリレー式計算機については、カシオ14などがその後の時代にも使われている所があったであろう。</ref>)が保存されており、見学可能である<ref>http://jp.fujitsu.com/museum/ikeda/</ref>。動態保存されている同様の計算機としては世界最古と言われている<ref>{{
FACOM 128の1号機が納入された<ref>『日本のコンピュータの歴史』p. 225</ref>[[統計数理研究所]]の資料では、同所の本機を指して「継電器式万能計算機 TSK II」<ref>[[統計数理研究所]] [http://www.ism.ac.jp/computer_system/jpn/hist/Computers/1962.html 計算機の歴史1962年]</ref>とある。
=== FACOM 138A ===
1960年のリレー式計算機で<ref>http://jp.fujitsu.com/museum/products/computer/mainframe/facom138a.html</ref>、128Aの廉価版である<ref name="#2">『池田記念論文集』p. 258</ref>。富士通川崎工場 "Fujitsu Technology Hall" にて動態保存されている<ref>http://ascii.jp/elem/000/000/138/138649/index-2.html</ref>。工場の一般公開イベント時などに見学できることがある他、社会科見学なども受け入れている<ref>http://jp.fujitsu.com/facilities/kawasaki/exhibition/</ref><ref>なお、保存されている個体は、[[技術研究本部|技本]]に納入されたもの(展示脇の説明版にあるキャプションより)</ref>。
FACOM 128B, FACOM 138Aにはレンズ計算用プログラムがありカメラメーカーからの需要があった<ref>[http://homepage2.nifty.com/Miwa/2_Fujitsu/index.html#%282%29 ウェブページ 三輪修「私のコンピュータ開発史」]より。</ref>。128Bの1号機はキヤノン、138Aの1号機はオリンパスに納入している<ref
=== その他のリレー式FACOM ===
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;FACOM 415A
[[統計数理研究所]]の資料に、FACOM 128以前の計算機として、FACOM
;FACOM 318A, FACOM 415A, FACOM 416A, FACOM 426A, FACOM 426B, FACOM 514A, FACOM 524A, 自己相関係数計算機
『池田記念論文集』巻末の機種一覧(該当部は pp. 255~260)によれば、光学計算を主とした科学用、品質管理等の統計用、相関係数用、事務用などといったリレー式計算機として、これらの機が挙げられている。<ref>http://www.ykanda.jp/comp/old/old.htm の「FACOM一覧表」も参照</ref>
== パラメトロン ==
[[ファイル:Fujitsu FACOM 201 Parametron Computer - Ridai Museum of Modern Science, Tokyo - DSC07668.JPG|サムネイル|FACOM{{Nbsp}}201]]
富士通はリレー式に引き続き、[[パラメトロン]]を使ってコンピュータの開発を行った<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/dawn/0062.html</ref>。パラメトロンと富士通の関わりでは、パラメトロンの総本山である東大[[高橋秀俊|高橋]]研究室と共同で研究開発を行い、最速のパラメトロン機FACOM 202を作ったことなどが特筆される。
;FACOM 200
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== 初期のトランジスタ機 ==
[[ファイル:FACOM 222 at Fujitsu Computer Center.jpg|サムネイル|浜ゴムビル内富士通電算機センターにてFACOM{{Nbsp}}222]]
この頃、複数メーカーが[[ETL Mark III#ETL Mark IV|ETL Mark IV]]をベースに[[トランジスタ・コンピュータ|トランジスタ機]]を作っているが、富士通は作っていない。また、ETL Mark IV(をベースとした機)ではトランジスタ数の節約のため動的なフリップフロップによる論理回路を使っているが、富士通では必要なトランジスタ数は増えるが静的な回路を採用した。
;貨報計算機
トランジスタ式ではなく
[[日本国有鉄道|国鉄]]は戦後、[[サイバネティックス]]化を指向し、各現場にコンピュータの導入を図った(「[[マルス (システム)|MARS]]」がよく知られている)。1956年度の技術課題として、貨車の集配用の通信系と、それを通じて集めた「貨報」(貨物日報の略。カホと読む。貨物の管理・計画用の帳票のこと)を処理する計算機として、国鉄の[[鉄道技術研究所|鉄研]]が設計し、富士通が製造した。国鉄側の人物による述懐談によれば、一旦は富士通(当時パラメトロンに関与していた)に試作を依頼して辞退されたが、富士通の工場を訪ねて担当者に、回路設計まで国鉄でやるので、製造設計と製造だけをお願いしたいと無理を言って引き受けてもらったものと言う。マージン不足で安定化に苦労し、富士通も大変だったと思われる、としている。<ref>『サイバネティクスと鉄道 ―小田達太郎と鉄道通信―』pp. 142~143</ref>
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== FACOM 230 シリーズ ==
[[ファイル:Facom230 family.jpg|サムネイル|
1964年の4月7日(日本では翌4月8日)、IBMが[[System/360]]を発表した。System/360は、統一された[[コンピュータ・アーキテクチャ|アーキテクチャ]]を持ち、あらゆる用途向け(360度)に設計された、上位モデルから下位モデルまでをシリーズ化したコンピュータであった。
以前はIBMのコンピュータが「IBMの[[UNIVAC]]」と呼ばれるなど、IBMは後発と扱われていたが、360によりIBMは完全にリードを得た。他のコンピュータメーカのほとんどが360に影響を受け、自社のコンピュータについて「シリーズ」あるいは「ファミリー」とすることが流行のようになった。しかし、その場合多くが
FACOM 230は、中小型では可変語長方式、大型では固定語長方式を持つ独特なファミリであった<ref name="museum230" />。実際のところ設計中はFACOM 230-10はFACOM 800<ref>『池田記念論文集』p. 71</ref>、FACOM 230-50はFACOM 250<ref>[http://homepage2.nifty.com/Miwa/5_FONTAC/index.html#%285%29 三輪修氏のウェブページ「5.5 FACOM230シリーズ誕生」]</ref>であった。
[[ファイル:FACOM 230 at Labor Market Center.jpg|サムネイル|[[労働省]][[職業安定局]]労働市場センターにてFACOM{{Nbsp}}230]]
;FACOM 230 / FACOM 230-30<ref name="museum230">{{Cite web|和書|url=http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0001.html |title=FACOM 230 (FACOM 230-30)-コンピュータ博物館|accessdate=2012年7月14日|author=一般社団法人情報処理学会}}</ref>
FACOM 230は1964年5月発表。FACOM 231の機能を完全に包含、プログラムが変更なしに完全に動作する互換性を実現し、さらに高速化した。次に述べるFONTACが、製品化の際にFACOM 230-50としたのにあわせ、FACOM 230-30と改名された。
;FONTAC / FACOM 230-50<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0005.html</ref>
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1965年の9月に、富士通は全7機種から成る「FACOM 230 シリーズ」を発表した。
;FACOM 230-60 (1968年)<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0016.html</ref>
日本で初めてICを採用したベストセラー機種。主記憶装置および入出力装置を共有する本格的デュアルプロセッサ。世界で初めて[[マルチプロセッサ]]構成を採用。日本電信電話公社のデータ通信サービス「[[DEMOS|DRESS]]」や[[全国銀行データ通信システム]]をはじめ、1975年3月までに122台が販売された<ref>{{Cite journal|和書|last=小牧|first=常松|year=1975|title=シリーズ(5)/コンピュータ産業富士通の世界戦略|journal=事務と経営|volume=27|issue=333|pages=65-67}}</ref>。
FACOM 230-60は、東大での対日立戦のリターンマッチと言える、東大に引き続き設置された京大の大型計算機センターで採用されたことが特筆される<ref>[http://homepage2.nifty.com/Miwa/6_F230-60/6_4%281%29.html 三輪修氏のウェブページ「6.FACOM230-60 システム」] 東大-日立 京大-富士通 東北大-日電 といったように、大学の計算機は日本メーカで、という潮流を決定付けた。</ref>さらに九州大学<ref group="注釈">九大への納入は[[九州大学電算センターファントム墜落事故]]に翻弄されることとなった。</ref>でも採用された。
=== FACOM 230-5 シリーズ ===
;FACOM 230-25,230-35,230-45 (1968年)<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0017.html</ref>
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230-60の後継機。次に述べるAPUの付加が特筆される。
;FACOM 230-75 APU (1977年)<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/super/0003.html</ref>
FACOM 230-75に、科学技術計算
== FACOM 270 シリーズ ==
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[[テンヨー]]の「プラパズル」の No.345 に「FACOM」という名が付いているが([[ペントミノ#立体ペントミノ]]を参照)、これは当コンピュータにちなむ。それら(他にも No.783 等)のパズルの全解の数についてパズル添付の説明書に、富士通の好意により FACOM 270-20 でxx通りと計算された旨、書かれていた。<ref>『池田記念論文集』p. 128 に、「FACOM 270-20 とペントミノ(NHKテレビジョン番組)」というキャプションの付いた、3x4x5の直方体にペントミノを組むパズル、いくつかの周辺機器、パズルの解説をしているボードの前に立つ池田敏雄氏、の写った写真がある。</ref>
== FACOM M シリーズ (メインフレーム) ==
{{selfref|「'''FACOM Mシリーズ'''」はこの項目に[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されています。}}
FACOM Mシリーズは[[日立製作所]]と技術提携して作られた、IBM [[System/360]]・[[System/370]]の[[互換機|プラグコンパチブル]]の[[メインフレーム]]である。FACOM M-100シリーズ初号モデルのFACOM M-190はアムダール社との共同開発で、姉妹機にあたる[[Amdahl 470V/6]]と共に、世界初の全面的にLSIを採用したメインフレームである<ref>{{Cite web|和書|url=http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0035.html |title=FACOM M-190-コンピュータ博物館|accessdate=2012年7月12日|author=一般社団法人情報処理学会}}</ref>。[[HITAC Mシリーズ]]と共通のイニシャル「M」は通産省(MITI)に由来する(後述)。
過去のFACOMと異なるIBM互換にした理由の1つは、買い手が互換性を求めていたことである<ref>田原 249-252頁</ref>。1960年代中盤の[[東京大学大型計算機センター]]の導入機選定(1965年設置だが、選定は1964年1Qで、System/360の発表とも被っている)の際に富士通は[[FONTAC]]をベースとしたマシン(のちのFACOM 230-50)の採用を目指していたが日立の[[HITAC]] 5020に敗れ、その理由が国際互換性(実質的にIBM互換)の問題とされた<ref>田原 224-226頁</ref>(と、田原は書いているがHITAC 5020も全くIBM互換ではない)。互換性のある[[オペレーティングシステム|OS]]が必要だとされたとも科学技術計算のために、日本国外で開発された[[FORTRAN]]の[[ライブラリ]]が使えることが重要視されたともいう<ref group="注釈">『計算機屋かく戦えり』p. 105 [[山本卓眞]]によれば富士通が独自に開発したOSがIBMと大きく異なることが指摘されたとしている。一方、同書 p. 300 日立でシステムプログラマであった[[高橋延匡]]によれば、HITAC 5020導入後に計算機センター用にOSを作ると約束しており、OSは採用決定後に開発されている。</ref><ref group="注釈">[http://homepage2.nifty.com/Miwa/6_F230-60/6_2.html 三輪修は、「ユーザ・ソフトの互換性」と書いている]</ref>。選定する側の一人であった東大の[[有馬朗人]]が、『東京大学大型計算機センター10年のあゆみ』({{NCID|BN02626008}})に寄せた「機種選定について ――個人的回想を中心に」には、互換性といった言葉は全く無く、HITAC 5020について「試作機ができ上がっていた」という語がある(情報処理学会コンピュータ博物館によれば同機の「第1次の試作が完了」は1963年5月<ref>http://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0003.html</ref>。一方FONTACの完成・納入は1964年11月)。アメリカ市場へ新規参入するためには、一層IBM互換が必要と考えられた<ref>田原 243-245頁</ref>。
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10,000ゲート/チップのECL LSIを採用した超大型機。最大物理メモリ256Mバイト、最大64チャネル。水冷。
== VPシリーズ (スーパーコンピュータ)==
{{main|FACOM VP|VP2000}}
[[ベクトル計算機|ベクトル型]][[スーパーコンピュータ]]のシリーズである(なお、実質的には前述のFACOM 230-75 APUが富士通初のスーパコンピュータである<ref group="注釈">情報処理学会の博物館サイトでも、同機は「スーパーコンピュータ」の分類にある http://museum.ipsj.or.jp/computer/super/index.html</ref>)。[[SIMD|ベクトル演算]][[プロセッサ]]を搭載していることからVP。[[クレイ (コンピュータ企業)|クレイ]]、日本電気の[[NEC SX|SXシリーズ]]、日立の[[HITAC#スーパーコンピュータ|Sシリーズ]]と共に、世界を舞台に激しい競争を演じた。VPという名はワンチップ化されたμVPにも使われた。後に、FACOMの名は付かないが、並列ベクトル機[[VPP]]へとつながる。
;FACOM VP-100, VP-200 (1982年)
実際の[[FORTRAN]]プログラムの分析を元に設計された。最大500 MFLOPSを達成した(VP-200)。
;FACOM VP-400(1985年)
1985年には、性能を強化した上位機FACOM VP-400が発表され、世界で初めて1G[[FLOPS]]を超えた処理性能を実測した。
;VP2000ファミリ(1988年)
1988年12月に発表された<ref name=IPSJ>{{cite web | url = http://museum.ipsj.or.jp/en/computer/super/0010.html | title = Historical Computers in Japan: Fujitsu VP2000 Series | accessdate =11 October 2015 | year =2015 |work=Information Processing Society of Japan Computer Museum}}</ref>。ハイエンドの'''VP2600'''は5GFLOPSを超える処理性能を実測し、1990年に世界記録を樹立した<ref name=Linpack>{{cite web | url = http://www.netlib.org/utk/people/JackDongarra/faq-linpack.html#_Toc27885750 | title = Frequently Asked Questions on the Linpack Benchmark and Top500 | accessdate = 14 January 2014 | first = Jack | last = Dongarra | year = 2007|publisher=Netlib}}</ref>。
== オフコン・ミニコン・言語マシン・ワークステーション ==
;FACOM α (1984年)
:いわゆる[[LISPマシン]]。単独では動作せず、Mシリーズの[[バックエンド]]として使用する。[[人工知能]]の研究や[[エキスパートシステム]]に使用された。30台が製造され、慶應義塾大学などに納入された<ref>{{Cite web|和書|url=https://dbnst.nii.ac.jp/pro/detail/417|title=FACOMαに関する技術|publisher=発見と発明のデジタル博物館 卓越研究データベース (日本)|accessdate=2021-04-08}}</ref>。
===ミニコン===
;FACOM R (1969年)
:デスクトップサイズを実現した[[ミニコンピュータ|ミニコン]]。手軽に使用できる単独のコンピュータとして、また、FACOM 230シリーズの周辺機器として使用された。
;FACOM U-200
:多目的制御用16ビットミニコン。
;FACOM Mate (1975?年)
:テープリーダなども内蔵したオールインワンのミニコンで、工業高校や専門学校など、教育機関
;FACOM V<sub>0</sub> (1974年)
:[[PFU|ユーザック電子工業]](現[[PFU]])と共同開発したFACOM 230-
;FACOM Bm(1975年)
:ユーザック電子工業の「USAC 820」のOEM品。FACOM V<sub>0</sub>シリーズの下位機種としての位置づけだった。
;FACOM S-3000シリーズ (1983年)
:富士通初の32ビットスーパミニコン。[[PFU|パナファコム]](現PFU)と共同開発。S-3300とS-3500の2機種がある。FACOM M-300シリーズの資産をベースにミニコンとしての機能を追加。
===FACOM Aシリーズ(スーパーミニコン)===
{{selfref|「'''FACOM Aシリーズ'''」はこの項目に[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されています。}}
:32ビット[[スーパーミニコン]]。A(エース)と読む。1987年から1990年にかけて発表された7機種('''コンパクトA''': A-30,A-50,A-70 / '''スーパA''': A-300,A-400,A-500,A-600)がある。[[PFU|ユーザック電子工業]](現[[PFU]])と共同開発。Aシリーズは従来のPANAFACOM U-1000シリーズとFACOM/PANAFACOM S-3000シリーズの2系統を、UNIXカルチャのOSで1シリーズとして統合したもの<ref>{{Cite web|和書|url=http://museum.ipsj.or.jp/computer/mini/0029.html|title=【富士通,PFU】 FACOM(FUJITSU)/PANAFACOM(PFU) コンパクトA(エース)|publisher=IPSJコンピュータ博物館 |accessdate=2021-04-03}}</ref>。
===パソコン===
;FACOM 9450 (1981年)
:[[PFU|パナファコム]](現PFU)と共同開発したビジネス向け[[パーソナルコンピュータ]]。24ドット漢字表示など、当時の一般的なパソコンよりハイクオリティとなっていた。OAアプリケーションのEPOCファミリが用意された。
{{main|FACOM 9450}}
===FACOM Vシリーズ(オフコン)===
{{selfref|「'''FACOM Vシリーズ'''」はこの項目に[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されています。}}
1977年発表の3機種 (FACOM V,V<sub>0</sub>III,V<sub>0</sub>SIII)。汎用コンピュータFACOM Mシリーズの下位の位置づけ。FACOM 230-15の後継機<ref>{{Cite web|和書|url=http://museum.ipsj.or.jp/computer/office/0020.html|title=【富士通】 FACOM Vシリーズ(FACOM V,V0III,V0SIII)|publisher=IPSJコンピュータ博物館 |accessdate=2021-04-03}}</ref>。
その後、1979年4月から1982年7月にかけて新FACOM Vシリーズ4機種 (FACOM V-830STREAM,FACOM V-830,FACOM V-850, FACOM V-870)が登場。1985年にKシリーズに統合された<ref>{{Cite web|和書|url=http://museum.ipsj.or.jp/computer/office/0021.html|title=【富士通】 新FACOM Vシリーズ(FACOM V-830 STREAM,V-830,V-850,V-870)|publisher=IPSJコンピュータ博物館 |accessdate=2021-04-03}}</ref>。
===FACOM K シリーズ (オフコン)===
{{selfref|「'''FACOM Kシリーズ'''」はこの項目に[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されています。}}
;FACOM K-10 (1984年)、K-10R(1986年)
:ユーザック電子工業(現在のPFU)の「USACカマラード」のOEM品。デスクトップ型の[[オフィスコンピュータ|オフコン]]。i8086を採用し、5インチ/8インチフロッピーディスクも内蔵可能。EPOCファミリも用意された。ちなみにK-10RではCPUをi80286に換装するなど高速化が図られた。FACOM K-10シリーズは当時の主流であった[[ダム端末]]ではなく、[[スタンドアローン]]のオフコンとして利用することも、ホスト([[サーバ]])用のKシリーズ(FACOM K-200の系譜)に繋いで[[ワークステーション]]([[クライアント (コンピュータ)|クライアント]])として利用することもできた。なお[[内田洋行]]では USACカマラードを「オフコン」ではなく「ビジネスパソコン」との位置づけで販売していた。また、FACOM K-10シリーズのライバル機は[[NEC]]の[[N5200|N5200シリーズ]]であった。後継は[[FMGシリーズ]]。
;FACOM K-200シリーズ (1984年/1985年)
:FACOMシステム80とFACOM Vシリーズとの統合を図った。4機種 (FACOM K-10,K-230,K-240,K-250)。初めて分散プロセッサ方式を採用。
;FACOM K-200シリーズRモデル (1986年/1987年)<ref>{{Cite web|和書|url=http://museum.ipsj.or.jp/computer/office/0017.html|title=【富士通】 FACOM Kシリーズ(K-200シリーズ,K-200シリーズRモデル)|publisher=IPSJコンピュータ博物館 |accessdate=2021-04-03}}</ref>
:9機種(K-220R, 230R, 240R, 250R, 260R, 270R, 280R, 290R, 300R)
;FACOM K-600シリーズ (1988年)
:K-610,K-630モデル10/20,K-650モデル10/20/30,K-670モデル10/20/30。FUJITSU K-600Siが後継。
;FACOM K-100シリーズ(1988年)・・・K-10Rの後継
:K-100モデル10/20,K-150モデル10/20/30,K-150LTモデル10/30。FUJITSU K-150Siシリーズが後継。
:K-150シリーズよりCPUがインテルからモトローラに代わり、OSも「CSP」からUNIX Vベースの「SX/G」に変更されWINDOWシステム採用によりマルチタスク環境となった。
;FACOM K-670 モデル40 (1989年)
:オフコンで初めて3CPU構成を採用した。主記憶40M、内蔵ディスク13.3G。ワークステーション224台まで接続可能。
===FACOM G シリーズ (ワークステーション)===
{{selfref|「'''FACOM Gシリーズ'''」はこの項目に[[Wikipedia:リダイレクト|転送]]されています。}}
;FACOM G-140, G-150, G-150A (1987年)
:[[ワークステーション]]。Unix System Vを改良した[[SX/G]]を搭載し、Unixであることを意識させないユーザーインターフェースを実現。専用ソフトウェアとしてEPOCH-Gファミリも用意された。[[FACOM Mシリーズ|Mシリーズ]]、[[
;FACOM G-250, G-250C (1988年)
:初めての32ビットエンジニアリングワークステーション<ref>{{Cite web|和書|url=https://dbnst.nii.ac.jp/pro/detail/424|title=FACOM G-250/G-250Cに関する技術|publisher=発見と発明のデジタル博物館|access-date=2021-04-08}}</ref>。UNIX System V R2.0準拠のOS SX/Gを採用。しかしながらこの分野は米国メーカが当時圧倒的シェアを誇っていたため、1988年にサン・マイクロシステムズ社のOEM供給を受ける形でFACOM Sファミリー (後の[[FUJITSU Sファミリー]])の誕生につながっていく。
== その後の富士通コンピュータ ==
1990年5月以降、「FACOM」のブランド名は廃止され、「FUJITSU」に変更された<ref name="rebrand:">{{Cite web|和書|url=http://museum.ipsj.or.jp/computer/mini/0024.html|title=【富士通,PFU】 FACOM(FUJITSU) S-3000シリーズ,PANAFACOM S-3000シリーズ|publisher=IPSJコンピュータ博物館 |accessdate=2021-04-03}}</ref>。
=== スーパーコンピュータ ===
ベクトル型は[[VP2000]]の後継として、1995年に[[超並列]]スーパーコンピュータである[[VPP]]シリーズに繋がった。また、スカラーパラレル型超並列マシンの系統は1992年からのAP1000、AP3000の発表に繋がっていく。{{see also|VPP|AP1000 (コンピュータ)|AP3000|PRIMEHPC FX10}}また、固有名詞がつくスーパーコンピュータとしても導入されている。{{see also|NSシステム|京 (スーパーコンピュータ)|富岳 (スーパーコンピュータ)}}
=== メインフレーム ===
1990年にFUJITSU M-1800が発売された。8CPU密結合で主記憶2Gバイト(システム 8Gバイト)、256チャネルという超大型機である。過去のMシリーズとも互換性はある。1995年にはFUJITSU 新M-1000シリーズが発表された。
1995年には、[[FUJITSU GS]]シリーズが発表される<ref>{{Cite web|和書|publisherIPSJコンピュータ博物館|url=https://museum.ipsj.or.jp/computer/main/0088.html|title=【富士通】 FUJITSU GS8000シリーズ|access-date=2021-04-08}}</ref>。{{see also|FUJITSU GS}}
=== オフィスコンピュータ ===
オフコンは、FMGシリーズに引き継がれていくことになる。{{see also|FMGシリーズ|GRANPOWER 6000|PRIMERGY 6000}}
=== UNIXサーバ・ワークステーション ===
UNIXサーバー・ワークステーションは、大別するとOSに[[UXP/DS]]等を搭載した富士通の独自アーキテクチャ系と、サン・マイクロシステムズ社の[[Solaris]]を搭載したオープンアーキテクチャ系とがしばらくの間併売されていく。その後、サン社と共同開発も行われた。{{see also|GRANPOWER|FUJITSU Sファミリー|PRIMEPOWER|SPARC Enterprise}}
=== PCサーバ ===
1992年7月に、32ビット[[Extended Industry Standard Architecture|EISAバス]]対応のPC/AT互換アーキテチャが採用されたPCサーバとしてFMR-340SVが発表され、FMサーバ、GRANPOWERシリーズと続いていくことになる。{{see also|FMサーバ|GRANPOWER 5000|PRIMERGY|PRIMEQUEST}}
=== パーソナルコンピュータ ===
1981年より[[パーソナルコンピュータ]](当時は[[マイクロコンピュータ]]と呼んでいた)の出荷が始まった。社内で扱う部所が異なった(他社にも多く類似例があるが、情報部門ではなく半導体部門による。ただし富士通の場合、マイクロプロセッサL-16Aは情報部門が開発した)という経緯もあるが、パソコンでは1990年よりも前から[[FM-8]](Fujitsu Micro 8)に始まる「FM」という名が使われた(FACOM 9450(II)を除く)。{{see also|FM-8|FACOM 9450|FMRシリーズ|FM-TOWNS|FMV|Category:富士通のパーソナルコンピュータ}}
== 関連項目 ==
*[[PRIMERGY 6000]]
*[[GRANPOWER]]
== 脚注 ==
{{reflist|30em}}
== 注釈 ==
188 ⟶ 256行目:
* [[相磯秀夫]]・[[坂村健]]ほか 編 - "国産コンピュータはこうして作られた" 共立出版 1985 ISBN 4-320-02278-5
* ハーマン H. ゴールドスタイン - "計算機の歴史" 共立出版 1979
== 外部リンク ==
*[
*[http://museum.ipsj.or.jp/ 情報処理学会 - 日本の歴史的コンピュータ]
*[
*
*[http://www.ykanda.jp/jef.htm 神田泰典 - 日本語情報システムJEFの歴史] (元開発者による解説、当時の資料あり)
*[
*[http://www.ftsi.fujitsu.com/services/products/compat/ System/390 Compatible Servers] – Fujitsu Computer Systems(アムダール社を取り込んだ富士通の米国子会社)のIBM互換機のページ
*[
{{富士通}}
{{デフォルトソート:FACOM}}
[[Category:コンピュータ (歴代)]]
[[Category:富士通の
[[Category:ミニコンピュータ]]
[[Category:オフィスコンピュータ]]
[[Category:ワークステーション]]
[[Category:富士通のスーパーコンピュータ]]
[[Category:富士通のメインフレーム]]
[[en:FACOM]]
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