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| 原語表記 =
| 国 = {{JPN}}
| 年月日 = {{生年月日と年齢|1969|5|1}}
| 出身地 = [[岐阜県]][[岐阜市]]
| 身長 = 171cm
| 体重 = 72kg
| 血液型 = B型
| 所属チーム名 =
| ポジション = [[フォワード (サッカー)|FW]]
| 背番号 =
| 利き足 = 右足
| ユース年1 = | ユースクラブ1 = [[帝京中学校・高等学校|帝京高校]]
| ユース年2 = | ユースクラブ2 = [[順天堂大学蹴球部|順天堂大学]]
| 年1 = 1992-19971999 | クラブ1 = {{flagiconFlagicon|JPN}} [[名古屋グランパスエイト]]{{Fb team Grampus 8}}
| 出場1 = 148 | 得点1 = 51
| 年2 = 1998 | クラブ2 = →{{flagiconFlagicon|JPN}} [[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]{{Fb team Bellmare H}} (loan)
| 出場2 = 4 | 得点2 = 0
| 年3 = 1998-1999 | クラブ3 = →{{flagiconFlagicon|SVN}} [[NDゴリツァ|ヒット・ゴリツァ]] (loan)
| 出場3 = 10 | 得点3 = 1
| 年4 = 1999 | クラブ4 = →{{flagiconFlagicon|JPN}} [[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]{{Fb team Sanfrecce}} (loan)
| 出場4 = 11 | 得点4 = 3
| 年5 = 2000 | クラブ5 = {{flagiconFlagicon|JPN}} [[川崎フロンターレ]]
| 出場5 = 14 | 得点5 = 0
| 年6 = 2001-20022004 | クラブ6 = {{flagiconFlagicon|JPN}} [[名古屋グランパスエイト]]
| 出場6 = 3334 | 得点6 = 12
| 年7 = 2002-20032004 | クラブ7 = →{{flagiconFlagicon|JPN}} [[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]{{Fb team Consadole2015}} (loan)
| 出場7 = 9 | 得点7 = 0
| 年8 = 20022005-20032008 | クラブ8 = {{flagiconFlagicon|JPN}} [[名古屋グランパスエイトFC岐阜]]
| 出場8 = 121 | 得点8 = 07
| 年9 = 20052019-20082020 | クラブ9 = {{flagiconFlagicon|JPN}} [[FC岐阜]]{{Fb team Maruyasu}}
| 出場9 = 210 | 得点9 = 70
| クラブ成績更新日 = 200820191222612
| 代表年1 = 1997 | 代表1 = {{JPNf}}
| 代表出場1 = 1| 代表得点1 = 0
| 代表成績更新日 = 1997年6月15日
| 監督年1 = 2023-
| 監督チーム1 = {{Flagicon|JPN}} {{Fb team Loveledge2022}}
}}
'''森山 泰行'''(もりやま やすゆき、[[1969年]][[5月1日]] - )は、[[岐阜県]]出身の元[[サッカー選手]]、サッカー指導者、サッカー解説者。現役時代のポジションは[[フォワード (サッカー)|FW]]。[[JFA 公認S級コーチ]]。
 
== 経歴 ==
=== 選手時代 ===
[[笠松町立笠松中学校|笠松中学校]]時代は[[全国中学校サッカー大会]]3位を経験<ref name="サ批評25">[[#サ批評25|木村,サッカー批評 Issue25]]</ref>
。高校は東京のサッカーの名門、[[帝京中学校・高等学校|帝京高校]]に進学。中学時代まではドリブルで自ら持ち込みゴールを決めるタイプだったというが、高校で[[礒貝洋光]]と出会ったことにより、周りを活かすよりも活かされるタイプの選手であるという自覚を持ちプレースタイルを変えていく{{r|サ批評25}}。帝京サッカー部では1学年上に[[岩本三郎]]、[[巻田清一]]、同期に[[飯島寿久]]、礒貝洋光、[[島根聡一]]、[[本田泰人]]、1学年下には[[池田伸康]]、[[遠藤雅大]](昌浩)、[[保坂信之]]、[[浅沼達也]]がいる。高校3年次の[[第66回全国高等学校サッカー選手権大会|高校選手権]]では5得点をあげ{{r|サ批評25}}、準々決勝の[[東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部|東海大一高]]戦では試合中に負傷した頭部を包帯で覆いながらプレーを続けた{{r|サ批評25}}<ref>https://web.archive.org/web/20170715232619/http://www.jsports.co.jp/foot/m/staff/post-385/</ref>。
 
[[順天堂大学]]では、2年次にレギュラーに定着{{r|サ批評25}}、3年のときに[[関東大学サッカーリーグ戦|関東大学リーグ]]得点王となる{{r|サ批評25}}。大学4年になる前の春休みにウルグアイの[[CAプログレッソ|プログレッソ]]に留学を経験{{r|サ批評25}}<ref name="サ批評42">[[#サ批評42|加部,サッカー批評 Issue42]]</ref>、練習試合にとどまらず公式戦にも出場した{{r|サ批評42}}。[[CAペニャロール|ペニャロール]]からオファーが届いたが、[[三浦知良]]に相談したところ「いい加減なエージェントにかかるととんでもないことになるから止めた方がいい」と助言を受ける{{r|サ批評25}}。
 
大学を卒業した1992年、Jリーグ開幕直前の[[名古屋グランパスエイト]]入団。1993年1stステージ第2節の[[浦和レッズ]]戦の前半34分に森山がグランパスのJリーグでの1得点目を挙げ、続いて48分に2点目を挙げてJリーグ初勝利に貢献<ref>{{cite web|url=https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=56|title=Jリーグ 1993 サントリーシリーズ2節|website=Jリーグデータサイト|accessdate=2024-3-15}}</ref>。[[アーセン・ベンゲル]]監督時代には途中出場で高い得点率を誇り、スーパーサブとして活躍{{r|サ批評42}}。1994年から3シーズン連続で二桁得点を記録した。1995年7月19日の[[ジェフユナイテッド市原・千葉|ジェフユナイテッド市原]]戦では、8分間でハットトリックを達成{{r|サ批評25}}。1996年には799分の出場時間で11得点をあげた{{r|サ批評25}}。1997年までに146試合出場51得点を挙げた。
 
名古屋からは1998年シーズンの契約延長を求められたが、それを断り海外移籍を決断する{{r|サ批評42}}。1998年6月まで3ヶ月間の期限付き移籍<ref name="sm0729">「THE WEEK 森山泰行」『週刊サッカーマガジン』 1999年09月22日号 No.729、ベースボール・マガジン社、36頁。</ref> でベルマーレ平塚に在籍{{r|サ批評42}}。
 
1998年に[[1.SNL|スロベニア・リーグ]]強豪の[[NDゴリツァ|ヒット・ゴリツァ]]に期限付き移籍<ref>{{citeCite web|和書|author= |title=“9月7日:「森山 泰行選手」記者会見”より |url= http://nagoya-grampus.jp/backnumber/event/1998/gori_2/index.html|work= |publisher= 名古屋グランパスエイト|date= |accessdate= 2017-07-16}}</ref>。月給は名古屋時代の20分の1という20万円だった{{r|サ批評25}}{{r|サ批評42}}。このクラブではセカンドストライカーという役回りを任された{{r|サ批評42}}。1998年10月18日のジヴィラ・[[NKトリグラフ・クラーニ]]戦で初ゴールを記録{{r|サ批評42}}。同じ旧[[セルビア・モンテネグロ・プルヴァ・リーガ|ユーゴスラビア]]チームである[[レッドスター・ベオグラード]]が興味を示したといわれるが、[[コソボ紛争]]の影響もあり移籍は実現せず{{r|サ批評42}}。その後も[[フラリーグ・アス共和国|フランス]]の強豪[[オリンピック・マルセイユ]]への移籍の噂があったほか{{r|サ批評42}}、1999年には[[カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA|ブラジル]]の[[アソシアソン・ポルトゥゲーザ・ジ・デスポルトス|ポルトゲーザ]]移籍の話が進んでいたがクラブ首脳陣が贈収賄疑惑で拘束されて交渉が頓挫{{r|サ批評42}}、[[ECジュベントゥージ|ジュベントゥージ]]とは契約を済ませたが労働ビザの取得が難航し契約を解除した{{r|サ批評42}}。
 
1999年8月から同シーズン終了まで名古屋からの期限付き移籍で[[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]{{Fb team Sanfrecce}}に加入{{r|sm0729}}。
 
2000年には[[川崎フロンターレ]]へ移籍した。
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2001年から名古屋に復帰し、その年は26試合12得点で復調を見せたが、2002年シーズンは途中まで在籍して7試合無得点。
 
2002年8月より翌年1月31日までの契約期間で[[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]に期限付き移籍で加入<ref>{{Cite press release|和書|title= 名古屋グランパスエイト 森山泰行選手の新加入内定のお知らせ|url=http://www.menkoi.net/consadole/news/tp483.html |work= |publisher= コンサドーレ札幌|date= 2002-08-24|accessdate= 2017-07-16|archiveurl = httphttps://web.archive.org/web/20030405091020fw_/http://www.menkoi.net:80/consadole/news/tp483.html|archivedate =2003-04-05}}</ref>、その後期限付き移籍期間を2004年1月31日まで延長した<ref>{{Cite press release|和書|title= 森山泰行選手 期限付き移籍 延長のお知らせ
|url=http://www.menkoi.net/consadole/news/tp598.html |work= |publisher= コンサドーレ札幌|date= 2002-12-27|accessdate= 2017-07-16|archiveurl = httphttps://web.archive.org/web/20030406100806fw_/http://www.menkoi.net:80/consadole/news/tp598.html|archivedate =2003-04-06}}</ref>。
 
2004年、名古屋に復帰。7月末の契約満了をもって一旦現役を[[引退]]した<ref name="jsgoal040624">{{Cite press release|和書|title=「森山 泰行選手(もりやまやすゆき)」現役引退のお知らせ |url= https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=8855|work=J's GOAL |publisher= |date=2004-06-24 |accessdate= 2017-07-16}}</ref>。
 
しかし、2005年森山の地元・岐阜県で将来のJリーグ参入を目指して取組みを始めた[[東海社会人サッカーリーグ|東海社会人リーグ]]2部所属の[[FC岐阜]]に自らアプローチし<ref name="spnavi">{{citeCite web|和書|author=五味幹男 |title=FC岐阜、森山泰行が目指すもの Jに帰ってきたピュアストライカー |url= https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/200804260028-spnavi |work=スポーツナビ|publisher= |date= 2008-03-03|accessdate= 2017-07-16}}</ref>、現役復帰。「選手兼監督補佐」という肩書きがつき、選手だけではなくコーチ的な役割を務め、さらにクラブのスポンサー獲得においても重要な役割を担った。2007年からはさらに[[取締役]]も兼任した。森山はかねてから「引退したら(地元である)岐阜でチームを立ち上げたい。子供たちに夢を与えたい」との夢があり、FC岐阜のJリーグ参入を実現させた。[[今西和男]]のFC岐阜GM就任も、森山の熱意に打たれたものである。また地元中京地区でテレビのスポーツコメンテーターをしている他、名古屋の[[ローカルタレント]]である[[黒岩唯一]]と共に[[フットサル]]チーム「KURO FC」を立ち上げるなど、サッカー文化の地域密着に大きな関心と情熱を傾けている。2004年に現役を一時引退した際、名古屋地区のJリーグ中継における解説を兼任し始め、FC岐阜に関わってからも解説者活動をしていたが、FC岐阜がJ2に2008年度から加盟すると決定してからは、解説者活動にある程度の区切りをつけ「コーチ兼任ではなく選手一本でやる」と公言してFC岐阜に専念した。2008年9月、同シーズン限りでの現役引退を表明した<ref>{{Cite press release|和書|title=<nowiki>森山泰行選手、今シーズン限りで引退のお知らせ [ 岐阜 ] </nowiki>|url=http://www.jsgoal.jp/official/00070000/00070825.html |work=J's GOAL |publisher= |date=2008-09-10 |accessdate=2017-07-16 |archiveurl = httphttps://web.archive.org/web/20081013181631/http://www.jsgoal.jp:80/official/00070000/00070825.html|archivedate =2008-10-13}}</ref><ref>{{Wayback |url=http://www.chunichi.co.jp/article/sports/news/CK2008091002000056.html |title=FC岐阜・森山、引退へ 「達成感…次のステップへ」|date=20080913085543 }} - 中国新聞(2008年9月10日)</ref>。
 
=== 日本代表として ===
[[サッカー日本代表|日本代表]]としては[[1997年]][[6月15日]]に[[長居陸上競技場|長居スタジアム]]で行なわれた[[キリンカップ・サッカー|キリンカップ]]1997・[[サッカートルコ代表|トルコ]]戦(○1-0)でA代表デビューに出場。代表通算1試合0得点。順天堂大学時代も日本代表に選出された経験をもつが、試合には出場していない。
 
=== 引退後指導者 ===
引退後もアドバイザーなどの形でFC岐阜に残るとみられていたが、2009年2月27日、FC岐阜はクラブの経営状況が厳しいため森山とのアドバイザリー契約を締結しない事を発表した<ref>{{Cite news|title= 昨季引退の森山氏、岐阜を完全退団 |url= https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp0-20090228-465858.html|newspaper=nikkansports.com |publisher= |date=2009-02-28 |accessdate= 2017-07-16}}</ref><ref>{{Cite press release|和書|title= 森山泰行氏の今後について|url=http://www.fc-gifu.com/news/2009/02/post_360.php |work= |publisher= FC岐阜|date= 2009-02-27|accessdate=2017-07-16 |archiveurl = http://www.fc-gifu.com:80/news/2009/02/post_360.php|archivedate =2009-03-02}}</ref>。以降は再び、サッカー解説者として東海3県を中心に活動している。
 
2009年度[[JFA 公認S級コーチ]]養成講習会を受講し合格した。
 
[[2014年]]4月1日付で、[[浦和学院高等学校|浦和学院高校]]サッカー部の監督に就任した。
 
埼玉県ふじみ野市を拠点とするジュニアユースクラブ、[http://clubgorica.com/ CLUB GORICA](クラブゴリツァ)及び埼玉県富士見市を拠点とするジュニアクラブ、[http://nkfc-soccer.club/ NKFC](Nanbata Krein Football Club)の代表を務めている。
 
2019年2月12日、[[愛知県]][[岡崎市]]にある[[日本フットボールリーグ|JFL]]の{{Fb team Maruyasu}}で現役復帰することが発表された<ref>{{Cite press release|和書|title= 森山泰行氏 選手兼チームディレクター就任のお知らせ |url= http://fc-maruyasu.jp/topics_detail1/id=770 |publisher=FCマルヤス岡崎 |date=2019-02-12 |accessdate= 2019-02-12}}</ref>。2018年夏に強化担当就任のオファーが来たことがきっかけで、強化担当との兼任でプレーすることになる<ref>{{Cite news|title= 元Jリーガー森山さん、現役再挑戦 JFLのマルヤス岡崎 |url= https://web.archive.org/web/20190211073251/http://www.chunichi.co.jp/s/article/2019021190095628.html|newspaper=Chunichi Web |publisher=中日新聞 |date=2019-02-11 |accessdate= 2019-02-11}}</ref>。
== 選手時代の特徴 ==
ゴール前での集中力の高さ、動きの質の高さが特徴。名古屋時代はスーパーサブとして活躍。「負けている状況でも、森山が投入されれば逆転可能」と名古屋のサポーターから絶大な信頼を受けていた。
 
2021年は選手登録されず、再び現役を退いた<ref>{{Cite press release|和書|title= 森山泰行氏 今シーズンの活動についてのお知らせ |url= http://fc-maruyasu.jp/topics_detail1/id=1045 |publisher=FCマルヤス岡崎 |date=2021-03-09 |accessdate= 2022-01-23}}</ref>。
試合後半の最後の時間帯での決定力はJリーグ随一と言われ、[[ドラガン・ストイコビッチ]]、[[望月重良]]、[[平野孝]]などの質の高いパサーからのアシストを受けて貴重なゴールを量産した。
 
2023年より{{Fb team Loveledge2022}}の監督に就任した<ref>{{Cite press release|和書|title=磯村健監督退任及び総監督就任 並びに 森山泰行ストライカーコーチ来季監督就任のお知らせ|url= http://loveledge.jp/post-1671796366/|publisher={{Fb team Loveledge2022}}|date=2022-12-23|accessdate= 2023-01-18}}</ref>。
身長も高くはないがヘディングも上手く、滞空時間も長い。時には泥臭く、時には豪快なゴールでサポーターを沸かせた。
 
== 選手時代の特徴 ==
小柄ながら俊敏さとゴールを狙う貪欲さを武器とするストライカーで、ゴール前での集中力の高さと動きの質の高さが特徴<ref name=栗原SN>{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/202009180007-spnavi |title=“伝説のスーパーサブ”森山泰行の矜持 ピクシー、ヒデ…最高のパサーは誰か? |website=Sports navi |author=栗原正夫 |date=2020-09-24 |accessdate=2021-04-26}}</ref><ref name=鈴木CU>{{Cite web|和書|url=https://coachunited.jp/column/000793.html |title=ゴールに結びつける効果的なステップワーク/森山泰行が語るFWに必要な「オフザボールの動き」 |website=COACH UNITED |author=鈴木智之 |date=2018-09-25 |accessdate=2021-04-26}}</ref>。走り回ってチャンスメイクするタイプではなく、戦況を常に冷静に把握してチャンスを狙うタイプ<ref name=栗原SN />。名古屋グランパス在籍時(特に[[アーセン・ベンゲル]]が率いた1995年・1996年)は試合終盤に投入される[[サブメンバー|スーパーサブ]]として信頼を受け<ref name=栗原SN />、「8時半の男」の異名を取った<ref>{{Cite web|和書|url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/football/jleague_other/2018/02/19/___split_23/ |title=ピクシーのイライラが消えた。ベンゲルがタクトを振り、選手が応える |website=sportiva |author=飯尾篤史 |date=2018-02-19 |accessdate=2021-04-26}}</ref>。
 
抜群のスピード、瞬発力を持っていたが、体質上血糖値が低いなどの理由からか90分間の運動量・持久力は無かった。ベグラゲルが森山をタメン起用しなかったり、日本代表で活躍できなかっ挙げ63得点も、これが理由だったとする意見もある。しかしJ1通算で215試合66うち22得点は、その多くを途中出場で挙げており、とを考慮すると驚異的な数字は2020年時点ある事[[岡山哲也]](2位・13得点)に大きく差をつけてクラブ歴代1位<ref name=chuspo200526>{{cite news |url=https://www.chunichi.co.jp/article/20815 |title=J1名古屋最強のスーパーサブは森山泰行!63得点中22得点わかる途中出場でのゴール! |newspaper=中日スポーツ |date=2020-05-26 |accessdate=2021-04-26}}</ref>J1通算では66得点のうち23得点途中出場から決めておりの得点で、これは2011シーズン年9月10日に[[播戸竜二]]が更新するまでJリーグ記録であった<ref>森山泰行監修、六川亨著『ストライカー特別講座』東邦出版、2011年、36-37頁。この記録は、2011シーズン、セレッソ大阪に所属していた[[播戸竜二]]によって9月10日のサンフレッチェ広島戦で破られた。</ref>。
 
== 所属クラブ ==
* {{flagicon|JPN}} [[帝京中学校・高等学校|帝京高校]]
* {{flagicon|JPN}} [[順天堂大学蹴球部|順天堂大学]]
* 1992年 - 19971999年 {{flagicon|JPNFb team Grampus 8}} [[名古屋グランパスエイト]]
* 1998年 - 同年7月 {{flagicon|JPN}} [[湘南ベルマーレ|ベルマーレ平塚]]
* 1998年8月 - 1999年7月 {{flagicon|SVN}} [[NDゴリツァ|ヒット・ゴリツァ]]
* 1999年8月 - 同年12月 {{flagicon|JPN}}Fb [[サンフレッチェ広島F.C|サンフレッチェ広島]]team Sanfrecce}}
* 2000年 {{flagicon|JPN}} [[川崎フロンターレ]]
* 2001年 - 2002年7月 {{flagicon|JPN}} 名古屋グランパスエイト
* 2002年8月 - 2003年 {{flagicon|JPN}}Fb [[北海道コンサドーレ札幌|コンサドーレ札幌]]team Consadole2015}}
* 2004年 - 同年6月 {{flagicon|JPN}} 名古屋グランパスエイト
* 2005年 - 2008年 {{flagicon|JPN}} [[FC岐阜]]
* 2019年 - 2020年 {{Fb team Maruyasu}}(チームディレクター兼任)
 
== 個人成績 ==
111 ⟶ 114行目:
{{サッカー選手国内成績表 th|日本|all}}
|-
|1992||rowspan="6"|[[名古屋グランパスエイト|名古屋]]||rowspan="5"|-||rowspan="7"|[[日本プロサッカーJ1リーグ|J]]||colspan="2"|-||4||0||1||1||5||1
|-
|[[1993年のJリーグ|1993]]||12||4||0||0||1||1||13||5
143 ⟶ 146行目:
|[[2004年のJリーグ|2004]]||名古屋||35||J1||1||0||0||0||colspan="2"|-||1||0
|-
|2005||rowspan="4"|[[FC岐阜|岐阜]]||rowspan="4"|15||[[東海社会人サッカーリーグ|東海2部]]2部||8||2||colspan="2"|-||colspan="2"|-||8||2
|-
|2006||[[東海社会人リーグ|東海1部]]||11||5||colspan="2"|-||2||1||13||6
|-
|[[第9回日本フットボールリーグ|2007]]||[[日本フットボールリーグ|JFL]]||8||0||colspan="2"|-||3||1||11||1
|-
|[[第10回日本フットボールリーグ|2008]]||J2||13||1||colspan="2"|-||0||0||13||1
|-
|[[第21回日本フットボールリーグ|2019]]||rowspan="2"|[[マルヤス工業フットボールクラブ|マルヤス]]||50||rowspan="2"|JFL||0||0||colspan="2"|-||colspan="2"|-||0||0
|-
|[[第22回日本フットボールリーグ|2020]]||51||0||0||colspan="2"|-||0||0||0||0
{{サッカー選手国内成績表 通算始|6|日本|J1}}215||66||39||5||18||3||272||74
{{サッカー選手国内成績表 通算行|日本|J2}}18||1||colspan="2"|-||0||0||18||1
160 ⟶ 167行目:
その他の公式戦
* 1996年
** [[FUJIスーパーカップ XEROX SUPER CUP(日本サッカー)|スーパーカップ]] 1試合0得点
** [[Jリーグチャンピオンシップ#サントリーカップ・96Jリーグチャンピオンズ・ファイナル(1996年)|サントリーカップ]] 2試合0得点
国際試合
* 1996 [[アジアカップウィナーズカップ]] 1試合0得点
171 ⟶ 178行目:
{{サッカー代表個人成績|日本|1}}
|-
|[[1997年のサッカー日本代表|1997]]||1||0
|-
!通算
179 ⟶ 186行目:
== 関連項目 ==
* [[岐阜県出身の人物一覧]]
* [[FC岐阜の選手一覧]]
* [[名古屋グランパスエイトの選手一覧]]
* [[北海道コンサドーレ札幌の選手一覧]]
* [[川崎フロンターレの選手一覧]]
* [[サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧]]
* [[湘南ベルマーレの選手一覧]]
* [[サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧]]
* [[川崎フロンターレの選手一覧]]
* [[北海道コンサドーレ札幌の選手一覧]]
* [[FC岐阜の選手一覧]]
* [[ヨーロッパのサッカーリーグに所属する日本人選手一覧]]
 
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflistReflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|title=サッカー批評 Issue25|author=[[木村元彦]]|authorlink=木村元彦|chapter=森山泰行 インタビュー すべてはゴールのために 己を削ることで、進化に徹したストライカー|year= |publisher=[[双葉社]]|pages= |url=|isbn= |ref=サ批評25}}
* {{Cite book|和書|title=サッカー批評 Issue42|author=[[加部究]]|authorlink=加部究|chapter=海を越えてきたフットボーラー 森山泰行|year= |publisher=[[双葉社]]|pages= |url=|isbn= |ref=サ批評42}}
 
== 外部リンク ==
*{{Sports links}}
* [httphttps://ameblo.jp/moriyama-yasuyuki/ Moriyama Yasuyukiのブログ]
* {{facebook|yasuyuki.moriyama.58}}
* [http://clubgorica.com/ CLUB GORICA(クラブゴリツァ)]
 
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:もりやま やすゆき}}
[[Category:日本のサッカー選手]]
[[Category:サッカー日本代表選手]]
[[Category:名古屋グランパスエイトの選手]]
[[Category:湘南ベルマーレの選手]]
[[Category:NDゴリツァの選手]]
[[Category:サンフレッチェ広島F.Cの選手]]
[[Category:川崎フロンターレの選手]]
[[Category:北海道コンサドーレ札幌の選手]]
[[Category:FC岐阜の選手]]
[[Category:NDゴリツァマルヤス工業フットボールクラブの選手]]
[[Category:日本のサッカー指導者]]
[[Category:高校サッカー指導者]]
[[Category:サッカー解説者]]
[[Category:順天堂大帝京高等出身の人物]]
[[Category:順天堂大学蹴球部の選手]]
[[Category:岐阜県出身の人物]]
[[Category:1969年生]]