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| 各国語表記 = {{en|George W. Bush}}
| 画像 = George-W-Bush.jpeg
| 画像サイズ =200px
| キャプション = 大統領公式肖像(2003年1月14日)
| 生地 = {{USA1912}} [[コネチカット州]][[ニューヘイブン (コネチカット州)|ニューヘイブン]]
| 出身校 = [[イェール大学]]<br />[[ハーバード・ビジネス・スクール|ハーバード大学大学院]]
| 配偶者 = [[ローラ・ブッシュ]]
| 子女 = [[バーバラ・ピアース・ブッシュ]]<br/>[[ジェンナ・ブッシュ]]
| 政党 = [[共和党 (アメリカ)|共和党]]
| サイン = GeorgeWBush Signature.svg
 
| 国名 = {{USA}}
| 職名 = [[ファイルFile:Seal Of The President Of The United States Of America.svg|20px]] 第43代[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]
| 就任日 = [[2001年]][[1月20日]]
| 退任日 = [[2009年]][[1月20日]]
| 副大統領 = [[ディック・チェイニー]]
| 国名2 = {{Flag|Texas}}
| 職名2 = [[ファイルFile:Seal of the Governor of Texas.svg|20px]] 第46代[[テキサス州知事|知事]]
| 就任日2 = [[1995年]][[1月17日]]
| 退任日2 = [[2000年]][[12月21日]]
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==概説==
1946年7月6日、[[コネチカット州]][[ニューヘイブン (コネチカット州)|ニューヘイブン]]にて[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]と[[バーバラ・ブッシュ]]との間に生まれる。[[イェール大学]]歴史学部卒業後に[[ブッシュ家|彼の家族]]の石油会社で勤務した後、[[アメリカ合衆国下院|連邦下院議員]]選挙に出馬したが落選した。その後[[テキサス・レンジャーズ]]を共同所有するなど実業家として活躍した後、テキサス州知事選挙のために政治運動に戻った。1994年にはアン・リチャーズを破ってテキサス知事に当選した。
 
[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙]]において一般投票では敗北したが選挙人投票で勝利し、共和党の候補として当選した。大統領としてブッシュは2001年に1兆3500億ドルの減税プログラム<ref>
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|title = $1.35 trillion tax cut becomes law
|accessdate = 2007-10-21
}}</ref>、2002年には全国一斉学力テストを義務化して成績次第で助成金とペナルティを学校に課す「落ちこぼれを作らないための初等中等教育法」(通称:[[:en:No Child Left Behind Act|落ちこぼれゼロ法]]<ref>{{Cite web |和書|url=http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpyi200501/b0057.html |title=海外情勢報告(特集 諸外国における若年雇用・能力開発対策) |accessdate=2012年5月24日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130105215805/http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpyi200501/b0057.html |archivedate=2013年1月5日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>に署名した。
 
2001年9月11日に発生した[[アメリカ同時多発テロ事件]]を受け、ブッシュは世界的な「[[対テロ戦争|テロとの戦い]]」を発表した。ブッシュへのアメリカ国民の支持率は同時多発テロ事件後<ref name="Reuters">{{cite web|url=http://www.reuters.com/article/topNews/idUSN1624620720071017?feedType=RSS&feedName=topNews&rpc=22&sp=true|title=Voters Unhappy with Bush and Congress|date=October 17, 2007|accessdate=2007-10-17|publisher=Reuters}}</ref>、歴代のアメリカ合衆国大統領の中で最高値である91パーセントにまで達した<ref name="USA Today">{{cite news|url=http://blogs.usatoday.com/onpolitics/2007/07/usatgallup-po-1.html|accessdate=2007-11-28|publisher=USA Today|date=10 July 2007|title=USAT/Gallup Poll:Bush approval at new low;Republican support eroding}}</ref>。後に[[アフガニスタン紛争 (2001年-)|アフガン侵攻]]に臨み、[[ターリバーン]]政権を打倒して[[アルカーイダ]]を壊滅させ、[[ウサーマ・ビン・ラーディン]]を[[デッド・オア・アライブ]]<ref>[http://abcnews.go.com/US/story?id=92483 Bush: Bin Laden Wanted Dead or Alive - ABC News]</ref>として[[逮捕]]あるいは[[殺害]]することを命じた。2003年3月、ブッシュ・[[ディック・チェイニー|チェイニー]]政権は[[イラク]]の[[イラク武装解除問題|武装解除]]および[[民主化]]とイラク国民の[[独裁者]]からの解放などを掲げた法案を[[民主党 (アメリカ)|民主党]]・[[共和党 (アメリカ)|共和党]]両党の全会一致で可決して[[イラク戦争]]に臨み、独裁者である[[サッダーム・フセイン]]政権の打倒・排除に成功した。イラクについては「[[イラク]]が[[国際連合安全保障理事会決議1441]]に違反しており、戦争がアメリカ合衆国の保護のために必要だった」と発言している<ref>{{cite web|url=http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2003/03/20030319-1.html|title=March 18, 2003 Presidential Letter|publisher=Whitehouse.gov|accessdate=2006-05-25}}</ref><ref>{{cite web|url=http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2003/02/20030205-1.html|year=February 5, 2003|title=U.S. Secretary of State Colin Powell Addresses the U.N. Security Council|first=Colin|last=Powell|publisher=Whitehouse.gov|accessdate=2006-05-25}}</ref>。
 
[[イラク戦争]]の最中、ブッシュは「戦時大統領」と自称して<ref name="War President">{{cite web|url = http://www.msnbc.msn.com/id/4179618/|title = Transcript for Feb. 8th|accessdate = 2006-09-09|date= 2004-02-08|publisher = MSNBC}}</ref>[[2004年アメリカ合衆国大統領選挙]]に再選を狙って出馬し、イラク戦争と国内問題の遂行をめぐる論争にもかかわらず、上院議員の[[ジョン・フォーブズ・ケリー|ジョン・ケリー]]に大きな差をつけて2004年11月2日に再選された<ref>[http://uselectionatlas.org/RESULTS/national.php?year=2004 2004 Presidential Election Results]</ref><ref>[http://www.debates.org/pages/trans2004d.html 13 October 2004 "The Third Bush-Kerry Presidential Debate" transcript]</ref><ref>CNN's exit poll showed Terrorism (19パーセント) and Iraq (15パーセント) as the third and fourth most important issues behind Moral Values (22パーセント) and the Economy (20パーセント) [httphttps://wwwedition.cnn.com/ELECTION/2004/pages/results/states/US/P/00/epolls.0.html "CNN — U.S. President / National / Exit Poll / Election 2004"]</ref>。
 
しかし再選後のブッシュは益々激しい批判を受けた。ブッシュの国内の支持率は2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ直後の<ref name="Reuters"/>91パーセント(ザ・ギャラップ・オーガナイゼーションがこれまでに記録した中の最高値)<ref name="USA Today"/>から、[[2008年]][[2月20日]]には記録に残る中で最も低い現職アメリカ合衆国大統領支持率<ref>{{cite news|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/07/24/AR2007072402263.html?hpid=moreheadlines|accessdate=2007-07-25|publisher=[[Washington Post]]|date=25 July 2007|title=Disfavor for Bush Hits Rare Heights;In Modern Era, Only Nixon and Truman Scored Worse, Just Barely}}</ref>となる19パーセントにまで低下した。このときブッシュの不支持率は76パーセントまで上昇し、国内ではブッシュ批判が激しさを増した<ref>{{cite web|url=http://americanresearchgroup.com/economy/|title=American Research Group:The National Economy|date=February 20, 2008|accessdate=2008-02-20|publisher=[[American Research Group]]|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090125052550/http://americanresearchgroup.com/economy/|archivedate=2009年1月25日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。それは2009年1月20日に後継の[[バラク・オバマ]]に[[政権]]をバトンタッチするその日まで続いた<ref>[http://www.j-cast.com/tv/m/2009/01/21033961.html ブッシュの「成功」に勝てるか 麻生首相の実績とは] J-CASTモバイル テレビウォッチ</ref>。しかし退任後の好感度は上昇しており、2009年1月の退任時には33%だった好感度が2018年1月には61%にまで上昇した。
 
==父との呼称の違い==
アメリカ合衆国では父のジョージ・H・W・ブッシュと区別するため、[[歴代アメリカ合衆国大統領の一覧|第43代アメリカ合衆国大統領]]であることから「'''43'''(フォーティスリー)」や、ミドルネームを表す「'''W'''」、またはテキサス州周辺地域での「W」の発音から「{{en|'''Dubbya'''(ダビャ)}}」と呼ばれることもある。また、歴史的には同姓同名で[[血縁]]関係のある人物を区別する際、年長者を「大({{en|major}})○○」、年少者を「小({{en|minor}})○○」と呼ぶので、父を「'''大ブッシュ'''」と呼ぶのに対して、息子の方を「'''小ブッシュ'''」と呼ぶこともある。父を「'''ブッシュ・シニア'''」と呼び、息子の方を「'''ブッシュ・ジュニア'''」と呼ぶ例もある。俗には、父のほうを「パパ・ブッシュ」と呼ぶ人もいる。上述のように、弟であるジェブ・ブッシュの長男でもある、W・ブッシュの甥もジョージ・ブッシュだが、ミドルネームがPとなっている(ジョージ・P・ブッシュ)。
 
==来歴==
===若年期と軍歴===
[[ファイル:GeorgeWBush1947.png|left|thumb|170px| ジョージ・W・ブッシュが1歳のころ。両親と。]]
[[ファイル:Entire Bush family.jpg|thumb|200px|ジョージ・W・ブッシュ(後列の左から2番目)と家族。]]
[[ファイル:GW-Bush-in-uniform.jpg|left|thumb|170px|空軍州兵時代のジョージ・W・ブッシュ]]
1946年7月6日<!--(尚、[[シルベスタ・スタローン]]などと同じ生年月日である)-->、[[コネチカット州]][[ニューヘイブン (コネチカット州)|ニューヘイブン]]で、[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]と[[バーバラ・ブッシュ]]の長男として生まれた。ブッシュは4人の兄弟である[[ジェブ・ブッシュ|ジェブ]]、ニール、マーヴィン、ドロシーとテキサス州の[[ミッドランド]]と[[ヒューストン]]で育てられた。もう1人の妹であるロビンは[[1953年]]に[[白血病]]によって3歳で死亡した<ref>{{cite web
|url = http://www.famoustexans.com/georgewbush.htm
|title = George Walker Bush
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|work = Famous Texans
|publisher = famoustexans.com
}}</ref>。ブッシュの祖父である[[プレスコット・ブッシュ]]はコネチカット州選出の上院議員で、ブッシュの父であるジョージ・H・W・ブッシュは[[1989年]]1月20日から[[1993年]]1月20日まで41代目アメリカ合衆国大統領を務めた<ref group="注">これ以前に1981年1月20日から1989年1月20日まで2期8年に渡って、[[ロナルド・レーガン]]政権にて43代目[[アメリカ合衆国副大統領]]を務めていた。</ref>。
 
ブッシュは[[マサチューセッツ州]][[アンドーヴァー (マサチューセッツ州)|アンドーバー]]で[[フィリップス・アカデミー]]に通った。そこで彼は野球をして、最終学年まで男子校のヘッド・[[チアリーダー]]だった<ref>{{cite web
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|accessdate = 2007-06-23
}}</ref>。
父の先例にならってブッシュはイェール大学に通い、[[1968年]]には歴史学士号を取得した<ref>{{cite web|url=http://www.whitehouse.gov/president/biography.html|title=Biography of President George W. Bush|accessdate=2007-07-10|publisher=[[The White House]]}}</ref>。大学時代は当初野球部で投手だったが、才能に限界を感じて3年から[[ラグビーフットボール|ラグビー]]部へ移り、4年でレギュラーになった<ref>{{Cite web |url=http://japan2.usembassy.gov/j/p/tpj-j072.html |title=Embassy of the United States Tokyo, Japan - 米国政府 |accessdate=2013年1月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130309214223/http://japan2.usembassy.gov/j/p/tpj-j072.html |archivedate=2013年3月9日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>。
 
1968年5月に進行していた[[ベトナム戦争]]の真っ只中にブッシュは適性検査の筆記試験で下から25番目の成績で<ref name="United States Department of Defense">{{cite news
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}}</ref>。
 
1978年、ブッシュはテキサス州の19下院議員選挙区から立候補した。ブッシュはブッシュがしかし、地元と接触していなかったと描写批判した相手の対立候補ケント・ハンスに6000票の差で負け敗れ、落選した<ref name="NewsMine">{{cite news
|url = http://www.washingtonpost.com/wp-srv/aponline/19991017/aponline114059_000.htm
|title = Bush Wasn't Always a Front-Runner
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|accessdate = 2007-04-07
}}</ref>。
その後ブッシュは石油企業に戻り、アーバスト・エネルギー<ref>{{cite journal|last=Stone|first=Peter H.|title=Big oil's White House pipelines|journal=National Journal|date=04-07-2001|issue=33|page=1042|language=English|id=ISSN:03604217}}</ref>、スペクタン・7、ハーケン・エネルギーなどの会社の社長・最高経営責任者となった<ref>{{cite news|last=Carlisle, John K<!-- I removed the period because the cite template adds an extra period -->|title=George Soros's Plan to Defeat George Bush|work=Human Events|date=03-01-2004|language=English}}</ref>。これらの事業は1980年代に産業と地域経済に影響を及ぼした[[石油]]価格の広範囲な低下により損害を受けた。さらに、ハーケンが関係したかもしれない[[インサイダー取引]]の疑惑が起こったが、[[証券取引委員会]](SEC)の調査は、ブッシュの株式販売より前に容疑を正当化するインサイダー情報はないと結論付けた<ref>{{cite news|url = http://www.commondreams.org/headlines02/0721-02.htm|title = Files:Bush Knew Firm's Plight Before Stock Sale|publisher = Washington Post|date = 2002-07-21|accessdate = 2007-01-02|archiveurl = https://web.archive.org/web/20080918073117/http://www.commondreams.org/headlines02/0721-02.htm|archivedate = 2008年9月18日|deadurldate = 2017年9月}}</ref>。
 
[[1981年]]、ブッシュは妻のローラとの間に双子の娘である[[ジェンナ・ブッシュ|ジェンナ]]と[[バーバラ・ピアース・ブッシュ|バーバラ]]をもうける。
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|date= 1999-11-01
|accessdate = 2007-01-21
}}</ref>。この買収劇に父親の名前がプラスに働いたことをブッシュ自身が認めているが、オーナーとしては精力的に働き、前身球団を含めて1996年に初の地区優勝を果たすなど徐々に優勝できるようになっていたほか、[[チョクトー・スタジアム|新スタジアム]]の建設に尽力し、また、しばしばオーナー席ではなくスタジアムで一般客と並んで観戦して、サインを求められれば応じていた<ref>{{Cite web |url=https://mlb.nbcsports.com/2020/04/21/today-in-baseball-history-george-w-bush-buys-the-texas-rangers/ |title=Today in Baseball History: George W. Bush &#039;buys&#039; the Texas Rangers - MLB |access-date=2023-01-13 |publisher=NBC Sports |author=Craig Calcaterra |date=2020-04-21 |language=en}}
}}</ref>。ブッシュは活発にチームの企画を指導して定期的に試合に出席し、しばしばファンと売店に座ることを選んだ<ref>{{cite web
</ref> <ref>{{cite web
|url = http://www.tsl.state.tx.us/governors/modern/bush-p04.html
|title = George W. Bush in Little League uniform
|publisher = [[Texas State Library and Archives Commission]]
|accessdate = 2007-01-21
}}</ref>。[[1998年]]ブッシュは最初に80万ドル[[投資]]したレンジャーズの[[株式]]を売却し、1500万ドルの[[利益]]を得た<ref>{{cite web
|url = http://www.makethemaccountable.com/tax/SaleOfBaseballTeam.htm
|title = Sale of baseball team
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===テキサス州知事===
[[ファイル:George H. W. Bush, Laura Bush, George W. Bush 1997.jpg|thumb|200px|父の[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]、妻の[[ローラ・ブッシュ]]と(テキサス州知事時代・1997年11月6日)]]
ブッシュは[[1994年]]のテキサス州知事選挙に出馬を表明したが、これは弟の[[ジェブ・ブッシュ]]のフロリダ州知事選挙への出馬と同時である。共和党の予備選挙で大勝し、人気民主党あった現職知事アン・リチャーズ(民主党)の事実上の一騎討ちとなる。
 
ブッシュにはカレン・ヒューズ、ジョン・アルバー、[[カール・ローヴ]]といった選挙参謀がついた。ブッシュの選挙運動に対して、リチャーズへのアンフェアな中傷であるとする批判も上がった。しかし公開討論などでの効果的な弁舌により、徐々にブッシュの人気は上昇した。結果11月8日の選挙において54パーセント対46パーセントの得票率で当選した<ref name="SlaterBrain">{{cite book|last = Wayne Slater|first = James Moore|year = 2003|title = Bush's Brain:How Karl Rove Made George W. Bush Presidential|publisher = Wiley|isbn= 978-0-471-42327-0|pages = p.210}}</ref>。
 
州知事としてブッシュは首尾良く不法行為改革のための法律を支援して教育資金の支出を増やして学校の教育水準を上げ、刑事制度改革を行った。ブッシュは152人の[[アメリカ合衆国における死刑|死刑]]を執行させたが、これはアメリカにおいて1人の州知事が執行させた死刑数としては最高記録である<ref name="executions">{{cite web|url=http://www.nybooks.com/articles/17670|title=The New York Review of Books:Death in Texas|accessdate=2008-06-10}}</ref>。ブッシュは20億ドルの歳入超過を減税に回したが、これはテキサス州における減税額の最高記録である。この減税により、ブッシュは企業活動を擁護する経済右派としての評価を確立した<ref name="SlaterBrain" />。また、教育改革では[[アファーマティブ・アクション|積極的差別是正措置]]を違憲とするホップウッド判決を受けて[[:en:Texas House Bill 588|上位10パーセント法]]に署名し、フロリダで上位20パーセント法を進めていた弟のジェブ・ブッシュと軌を一にした。
 
ブッシュはまた教会などの宗教組織による教育・アルコール・薬物依存症対策・家庭内暴力対策活動への政府支出を行った。ブッシュは[[6月10日]]をテキサス州の「[[イエス・キリスト|イエス]](・キリスト)の日」と定め、この日には「支援を必要とする人々への奉仕をテキサス州民に要請する」とした<ref>{{cite web
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}}</ref>。同年に共和党大統領候補予備選挙への出馬を表明し、大統領選挙当選に伴って州知事は2期目途中で辞任(州知事就任期間:1995年1月17日 - 2000年12月21日)。
 
== 大統領 ==
===1期目===
[[ファイル:Condoleezza_Rice_Colin_Powell_George_W._Bush_Donald_Rumsfeld.jpg|200px|thumb|左から[[コンドリーザ・ライス]]、[[コリン・パウエル]]、ジョージ・W・ブッシュ、[[ドナルド・ラムズフェルド]]]]
[[ファイル:Bush Ground Zero.jpg|200px|thumb|同時多発テロ発生から3日後に[[グラウンド・ゼロ]]で演説を行うブッシュ]]<ref name="Bush tours ground zero">[httphttps://edition.cnn.com/2001/US/09/14/bush.terrorism/ CNN.com: "Bush tours ground zero in lower Manhattan"]</ref>
[[ファイル:Patriotactsigning.jpg|200px|thumb|「愛国者法」にサインするブッシュ]]
[[ファイル:George W Bush on the deck of the USS Abraham Lincoln.jpg|200px|thumb|「大規模戦闘の終結宣言」を行うため空母に降り立ったブッシュ]]
大統領の1期目はほとんどを対外戦争に費やした。アメリカ史上最も接戦となった選挙戦であった[[2000年アメリカ合衆国大統領選挙]]に勝利し、2001年1月20日に第43代アメリカ合衆国大統領に就任した。民主党候補の[[アル・ゴア]]が、一般投票でブッシュの得票を50万票ほど上回っていたが、選挙人投票でブッシュが5票多く得票した。実弟であるジェブ・ブッシュが知事を務める[[フロリダ州]]の一般得票でゴアをわずかに上回り、25人の選挙人を獲得したためである。しかし選挙終盤のフロリダ州における選挙の運営方法への問題点も指摘され(ブッシュゴア陣営がジェフ・抗議する[[ブッシュを通じて不正選挙を行ったと主張する意見もある)ゴア陣営が抗議した事件]]も発生、このため発足当初の国民支持率は低迷していた。
 
任期9か月目の[[9月11日]]、[[ニューヨーク]]とワシントンD.C.で'''[[アメリカ同時多発テロ事件|同時多発テロ]]'''が発生。3日後の[[9月14日]]、[[ワールドトレードセンター (ニューヨーク)|世界貿易センタービル]]跡地(いわゆる[[グラウンド・ゼロ]])を見舞い<ref name="Bush tours ground zero"/>、救助作業に当たる消防隊員や[[警察官]]らを拡声器で激励してリーダーシップを発揮し、歴代トップだった[[湾岸戦争]]開戦時の[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]の89パーセントをも上回る驚異的な支持率91パーセントを獲得した。18日には[[:en:Authorization for Use of Military Force Against Terrorists|テロを計画・承認・実行・支援したと大統領が判断した国家・組織・個人に対してあらゆる必要かつ適切な力を行使する権限を与える]]とする合同決議が上院98対0、下院420対1で通る(これは[[グアンタナモ湾収容キャンプ]]での無期限の拘留の根拠となる)。12日に開かれた[[国際連合安全保障理事会]]と第56回[[国際連合総会]]ではアメリカに連帯、哀悼を表してテロへの対応を求める決議が満場一致で採択され、28日には安保理決議でテロ対策が全世界に義務化され<ref>[http://www.state.gov/p/io/rls/rpt/2001/6917.htm U.S. Report to the UN Counterterrorism Committee]</ref>、11月10日に[[ニューヨーク]]の[[ルドルフ・ジュリアーニ]][[ニューヨーク市長|市長]]とともに[[国際連合]]総会の演説で国際社会の支持に感謝して[[テロとの戦い]]を宣言した<ref>"U.S. President Bush's speech to United Nations". CNN.com. November 10, 2001</ref>。また、[[炭疽菌]]小包による[[バイオテロ]]である[[アメリカ炭疽菌事件]]も起き、同時テロとともに国内はパニック状態になった。
 
ブッシュ自身は、[[第三次世界大戦]]<ref>"Bush likens 'war on terror' to WWIII". ABC News Online – Abc.net.au. 06/05/2006.</ref>とも呼んだこの戦争は、[[10月7日]]に'''[[アメリカのアフガニスタン侵攻|アフガニスタンへの侵攻]]'''によって開始され、世界各地で[[不朽の自由作戦]]が実行された。国際的なテロリズムとの戦いにも必要として[[国際的監視網]]も秘密裏に強化した。国内では、テロ対策に不可欠だとして'''パトリオット法'''([[米国愛国者法]])を制定し、本来アメリカの領土ではないとされる[[国際連合本部ビル|国連本部]]に対しても監視していたとする{{仮リンク|国連盗聴疑惑|en|Spying on the United Nations}}も起きた。アフガニスタン作戦は順調に進み、[[12月7日]]には[[ターリバーン|タリバーン]]政権は転覆し、同月に新政権を樹立させた。
{{Main|アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)}}
 
[[2002年]]1月、[[一般教書演説]]において[[悪の枢軸]]発言を行った。これは[[イラク]]・[[イラン]]・[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]を[[大量破壊兵器]]を開発保有する[[ならず者国家]]と名指しで非難したものである。特にイラクに対しては[[イラク武装解除問題|武装解除問題]]を抱えていたので厳しい態度で臨み、国際連合の全面査察を4年ぶりに受け入れさせた。しかし武装解除が進まず、未だに大量破壊兵器を持ち続け、世界の脅威になっていると報告を受けたとし、それを世界に発信した。同年2月の[[2002年ソルトレークシティオリンピック]]での開会式では、[[オリンピック憲章]]第58条3項の規定を無視して「誇り高く、優雅なこの国を代表して」と政治的な言葉を付け加え、物議を醸した<ref>MacKay, Duncan (February 15, 2002). "Chariots of ire: is US jingoism tarnishing the Olympic ideal?". The Guardian. UK. Retrieved September 2, 2008.</ref>。
 
[[2003年]]に入るといよいよイラクに対して強硬姿勢を採るようになる。しかし一方、[[石油食料交換プログラム]]でイラクと深い関係にあった[[フランス]]・[[ドイツ]]・[[ロシア]]・[[中国]]などは根拠が足りないとして、イラクへの制裁戦争に反対した。しかし、これらの反発を押し切る形で[[3月17日]]、ブッシュは[[サッダーム・フセイン]]と側近に対して48時間以内の国外退去を求める最後通牒を発表。[[3月19日]]、最後通牒を無視したイラクに対し侵攻('''[[イラク戦争]]''')した。作戦は順調に進み、[[5月1日]]には「大規模戦闘の終結宣言」を行ったが、これについてイラク側との協定は無く、実際にはまだ戦時中であった。イラクは[[連合国暫定当局]]による[[占領統治]]を行い、徐々に[[民主化]]することとした。
 
[[7月11日]]にはアメリカ国民のブッシュへの支持率が同時多発テロ事件以来の最低水準である59パーセントに急落したことが判明(ABCテレビとワシントン・ポスト紙の共同世論調査による)したが、これは後に回復し、その後再度低下している。12月にはフセインの[[逮捕]]に成功し、[[裁判]]の準備も行われ、占領政策も順調に行われているように見えたが、実際は[[アメリカ軍]]を狙った攻撃や[[自爆テロ]]が絶えず、死者は[[湾岸戦争]]の1000名を上回ることとなった。また、イラクが隠し持っていると主張していた大量破壊兵器が一向に見つからず、イラク戦争に対し国民は懐疑的になっていった。
276 ⟶ 277行目:
その後も相次ぐ[[アメリカ合衆国大統領顧問団|閣僚]]の不祥事や原油高による経済への不満などもあり支持率は低迷。[[2007年]]5月には支持率が最低の28パーセントとなったこともあって、報道官などのスタッフを入れ替えて人事の刷新を図った。
 
[[2007年]]3月には“老朽化した[[核弾頭]]の更新”を名目に、冷戦終結後初めての新型核弾頭設計に着手する事を表明。[[2012年]]を目途に[[SLBM]]への配備を目指すとした。
 
2007年6月28日、事実上[[政権]]の“遺産”となると思われた共和党提出の『不法移民の在留資格獲得に道を開く移民制度改革法案』がアメリカ上院における採決で否決された。法案は、[[アメリカ=メキシコ国境]]の[[警備]]を強化する一方で、すでに入国した不法[[移民]]に[[罰金]]支払いや身元審査を条件に就労の合法化や永住権取得に道を開く包括的な改革であったが、共和党反対派が大々的なキャンペーンを行い、推進派からも内容の一部をめぐり反対の意見が出た。ブッシュは賛成を求めて電話で最後の説得にあたったが、「支持率が記録的に落ち込んだ彼の必死の懇願は実を結ばなかった」(アメリカ紙[[ワシントン・ポスト]])という。
 
[[2008年]]2月18日には共和党の次期大統領候補に選出されたジョン・マケインの支持を公式に打ち出し、大統領選挙の事前投票でマケインに投票した。しかしブッシュの人気が余りにも低いために、ブッシュの正統な後継者を自任し多くの政策に賛同してきたマケインに「私はブッシュ大統領では無い」と言われ、応援演説の依頼も殆ど無かった。結果的にブッシュ政権との相違が見出せなかったマケインは民主党候補のバラク・オバマに大差で敗れた。
 
[[サブプライムローン]]に端を発した'''[[世界同時不況]]'''への対応策である「金融安定化法案」の採決では、[[9月29日]]に下院における共和党[[右翼|右派]]の反対もあって法案は否決されたが、修正法案が上院で可決された後[[10月3日]]に下院で可決され成立した。
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2008年12月14日、退任間際のブッシュはイラクの[[ヌーリー・マーリキー]]首相との共同会見中に取材していたイラク人記者の[[ムンタゼル・アル=ザイディ|ムンタゼル・ザイディー]]([[:en:Muntadhar al Zaidi|Muntadhar al Zaidi]])から履いていた左右の靴を投げつけられた。ブッシュは身をすくめてかわし、直後にザイディは取り押さえられた。同日の夜、イラクのニュース番組でこの映像が流れると、エジプトの民間衛星テレビ局の女性アナウンサーがこの記者を「英雄」と呼び、また数千人の市民が[[犯人]]の[[保釈|釈放]]を求めデモを起こした。当のブッシュは靴を投げつけられた直後「今の靴のサイズは10だったよ」と笑顔でジョークを飛ばす余裕を見せ、「私に靴が投げつけられたからといって、何だ?」「(イラクが)自由な社会になった証だ」と締めくくった。
 
[[2009年]]1月14日、ブッシュは「アメリカの真の友人であり、歴史的な挑戦に対して不屈の精神で対処した」として[[トニー・ブレア]](元[[イギリスの首相|イギリス首相]])、[[ジョン・ハワード]](元[[オーストラリアの首相|オーストラリア首相]])、[[アルバロ・ウリベ]]([[コロンビア]]大統領)の3人に[[大統領自由勲章]]を授与した。なお、[[小泉純一郎]]ら日本の政治家は選から漏れた<ref>[http://www.jiji.com/jc/a/err/b/jc/a?g=afp_int&k=20090114020735a ブレア、ハワード、ウリベの3氏に自由勲章]{{リンク切れ|date=2009年5月}}時事通信、2009年1月14日</ref><ref>[http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/212278/ ブレア氏ら3人に最高勲章 ブッシュ米大統領] {{Wayback|url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/asia/212278/ |date=20100528154129 }} 産経新聞、2009年1月14日</ref>。
 
{{要出典範囲|date=2015年10月20日 (火) 07:28 (UTC)|大統領退任直前のインタビューや演説では8年に渡る政権期間を述懐。「私は常にアメリカにとって最良の道を考えて行動してきた。自分の良心に従い、正しいと考えることをやってきた」と強調する一方、「私の政権の期間中、最も遺憾だったのがイラクの大量破壊兵器に関する情報活動の失敗だった」「私の物言いには一部誤りもあった。それは明らかだ」「歴代大統領と同じように失敗も経験した。やり直すチャンスがあれば違うやり方をしていたと思われることもある」と述べ自身の政策に対する後悔の念を事実上認める発言を行った。}}
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===大統領退任後===
大統領退任後は[[テキサス州]][[ダラス]]の自宅や[[クロフォード]]の牧場に居住し、[[大統領図書館]]や[[シンクタンク]]の活動に従事している<ref>Ed Stoddard・Chris Baltimore、植竹知子訳「政治の表舞台去るブッシュ米大統領の今後」『[http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPJAPAN-35890420090115 政治の表舞台去るブッシュ米大統領の今後|ワールド|Reuters]』[[トムソン・ロイター]]、2009年[[1月15日]]。</ref>。ブッシュは1994年までダラスに居住していた縁があり、地元ではブッシュを歓迎するムードが広がっている<ref>Darrell Preston「さすがダラス――ブッシュ氏大歓迎」『[http://www.business-i.jp/news/bb-page/news/200902040073a.nwc Bloomberg/さすがダラス ブッシュ氏大歓迎 - FujiSankei Business i./Bloomberg GLOBAL FINANCE]{{リンク切れ|date=2009年5月}}』[[産経デジタル]]、2009年[[2月4日]]。</ref>。ダラスの[[ホームセンター]]では「ブッシュ前大統領殿 ようこそお戻りになりました!」<ref name="shincho20090319">「世界恐慌の元凶『ブッシュさん』が店にやってきた!」『[[週刊新潮]]』54巻11号、[[新潮社]]、2009年3月19日。</ref>との書き出しで始まる「お客様係募集」求人広告を[[ジョーク]]で掲載し、「[[時間]]に融通の利く、非常勤。ご自宅からも近距離で、一日体験も可能です」<ref name="shincho20090319" />とメリットを列挙したうえで「何年にも亘る外国要人との会談を通して、[[社交]]術を磨き上げてきたあなたが、このポジションの優れた候補者だと確信しています」<ref name="shincho20090319" />と呼びかけた。なお、広告掲載後、当該の店にはブッシュ本人が「仕事を探しているんだ」<ref name="shincho20090319" />と突然来店し、店長に対して入社を丁重に辞退したうえで買い物をするというジョークで応じたため、居合わせた客らから喝采を浴びた<ref name="shincho20090319" />。
 
また、「歴代支持率ワースト1の大統領」である彼の伝記映画『[[ブッシュ (映画)|ブッシュ]]』が公開された。(<ref group="注釈">[[アメリカ合衆国|米国]]ではブッシュが退任直前の2008年に公開された。</ref>。監督の[[オリバー・ストーン]]は、映画を作る目的は「あくまでブッシュの品格を落としたり、傷つけようとしているのではない」としており、「彼の言葉を喋らせること、イラク戦争に対する彼の判断は、彼という人物やその個人史と相関関係にある。それを示そうとした。」とコメントしている<ref>映画の公式サイトのメッセージ</ref>。
 
2009年11月上旬に大統領退任後の初来日を行い、かつての盟友である小泉純一郎元首相と再会したほか、[[東京ドーム]]で行われた日本シリーズの[[始球式]]に参加した。
 
[[2010年]][[11月9日]]に大統領在任中に下した様々な決断を振り返った回顧録(タイトル:“[[Decision Points]]”、邦題:『決断のとき]]<ref>(原題: ''Decision Points'', 日本では2011年4月23日に[[日本経済新聞出版社]]より刊行。</ref>)が出版された<ref>{{cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100428-OYT1T00895.htm|title=ブッシュ前大統領が回顧録、11月に出版|work=YOMIURI ONLINE|publisher=[[読売新聞]]|date=2010-04-28|accessdate=2010-04-28|publication-date=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100430142844/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100428-OYT1T00895.htm|archivedate=2010年4月30日}}</ref>。回顧録は自身の飲酒運転トラブルやイラク戦争の決断も詳しく語られた内容となっている。しかし、本書に関して他の著作本からの剽窃・盗作の疑惑が報じられている<ref>[httphttps://www.huffingtonposthuffpost.com/2010/11/12entry/george-bush-book-decision-points_n_782731.html#s180908 George Bush Book 'Decision Points' Lifted From Advisers' Books] THE HUFFINGTON POST 11-12-10 01:48 PM</ref>。
 
[[2011年]]4月より、[[日本経済新聞]]で連載されている自身の半生を綴った『[[私の履歴書]]』の執筆を担当し、原稿料は全額[[東日本大震災]]による震災孤児を支援するため、[[あしなが育英会]]に寄付した<ref>[http://www.ashinaga.org/news/press/entry-420.html 第43代アメリカ合衆国大統領 ジョージ・W・ブッシュ氏があしなが育英会に寄付―前駐日大使シーファー氏の勧めで―](2011年11月21日、あしなが育英会プレスリリース)</ref>。
 
[[2013年]]4月、[[テキサス州]]ユニバーシティーパークの[[南メソジスト大学|サザン・メソジスト大学]]に、[[大統領図書館]]「ジョージ・W・ブッシュ大統領センター」の開館式が行われ、ジョージ・W・ブッシュ本人と父のジョージ・H・W・ブッシュ、[[ビル・クリントン]]、[[ジミー・カーター]]、[[バラク・オバマ]]と、大統領および存命の大統領経験者が揃った。同月に行われたジョージ・W・ブッシュの評価についての世論調査では、大統領就任時の教育や医療制度改革が見直され、退任時よりも評価は上昇の傾向にある<ref>{{cite news|url=http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324289404578445661016824692.html|title=ブッシュ前米大統領の記念図書館が開館|work=ウォール・ストリート・ジャーナル|publisher=[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]|date=2013-04-26|accessdate=2013-09-24}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20130425-1117540.html|title=ブッシュ前米大統領の記念館が完成|work=日刊スポーツ|publisher=[[日刊スポーツ]]|date=2013-04-25|accessdate=2013-09-24}}</ref>。
 
[[2016年]]2月15日、[[2016年アメリカ合衆国大統領選挙]]で苦戦する弟の[[ジェブ・ブッシュ]]元[[フロリダ州知事]]の集会に現れ、「米国民が怒り、不満を抱えているのは理解する。しかし、我々の怒りや不満をそのまま映し、あおる人物はオーバルオフィス(米大統領執務室)には要らない」と[[2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙|共和党指名争い]]でトップを独走する実業家の[[ドナルド・トランプ]]を批判した<ref>{{Cite news | title = ブッシュ前大統領、弟ジェブ氏の集会に初めて登場 米大統領選 | agency = [[フランス通信社|AFP]] | date = 2016-2-16 | url = httphttps://www.afpbb.com/articles/-/3077115?device=default | accessdate = 2016-3-18}}</ref>。
 
[[2022年]]5月18日、テキサス州ダラスにおける演説で[[2022年ロシアのウクライナ侵攻|ロシアのウクライナ侵攻]]に対して[[ウラジーミル・プーチン]]を批判しようとするも、「[[ロシア]]ではチェック・アンド・バランス(抑制と均衡)の欠如が生じ、一人の男が全く不当で残忍なイラク侵略を開始することになった」と発言。その後、首を振りながら「[[ウクライナ]]のことだ」と言い直し、[[歳]]のせいで間違えたと聴衆を笑わせる一幕があった<ref>{{cite news|url=https://jp.reuters.com/article/ukraine-crisis-usa-bush-idJPKCN2N602D|title=イラク侵攻は「残忍」、ブッシュ氏がウクライナと言い間違え|newspaper=[[ロイター]]|date=2022-05-20|accessdate=2023-09-25}}</ref>。
 
==政権==
===政権スタッフ===
{|class=wikitable align=rightleft
!職名!!氏名!!任期
|-
372 ⟶ 375行目:
|[[マリア・シノ]]||2006 (代理)
|-
|[[メアリー・E・ピーターズ|メアリー・ピーターズ]]||2006 - 2009
|-
|rowspan=2|[[アメリカ合衆国エネルギー長官|エネルギー長官]]||[[E・スペンサー・エイブラハム]]||2001 - 2005
396 ⟶ 399行目:
|[[マイケル・チャートフ]]||2005 - 2009
|}
{{clear}}
 
ブッシュ政権の[[外交政策]]は、[[新保守主義 (アメリカ)|ネオコン]]と称される閣僚が要職を多く占め、さらに[[宗教右派|キリスト教右派]]を支持母体にしているため、中東の原油をめぐる利権の追求、それに伴うアフガニスタンやイラク侵攻などに関して、対外的な武力行使も辞さないアメリカの覇権を追求する[[単独行動主義]](ユニラテラリズム)が顕著であり、[[第十次十字軍]]と諷刺されることもあった。
 
このような[[タカ派]]ともとれる姿勢は、アフガニスタン侵攻、イラク戦争など戦時のたびに、ブッシュ大統領本人のみならず、閣僚・政権関係者が所有・関係する企業([[軍産複合体]])などに莫大な経済的利益をもたらす構造が疑問視度々指摘された([[軍産複合体]]も参照)
 
{{clear}}
 
===政策===
経済政策は個人の所有権を尊重する{{仮リンク|オーナーシップ・ソサエティ|en|Ownership society}}を目標に掲げ、この持家政策は[[バブル経済|住宅バブル]]を引き起こして後の[[サブプライム住宅ローン危機]]の原因となる。また、[[サプライサイド経済学]]に基づいたいわゆる[[ブッシュ減税]](小切手送付などによる)、[[ベン・バーナンキ]]を[[アラン・グリーンスパン]]の後任に起用した[[マネタリズム]]的な金融政策、[[自由貿易]]([[グローバリゼーション]])推進など新保守主義・[[新自由主義]]的政策、「[[小さな政府]]」の方針と重なるところも多い。しかし、クリントン政権が大きな財政黒字だったのに対し、ブッシュ政権は2つの大きな戦争への参加や警察力を強化するテロ対策などで膨大な支出を治安面や軍事面で生じさせたため([[夜警国家]])、2004年には史上最大の4130億ドルもの財政赤字に苦しんでいる<ref>http://jp.reuters.com/article/economicNews/idJPnTK321360320070711</ref>。ブッシュ自身は、かかる自らの政策を'''思いやりのある[[保守]]主義'''(Compassionate Conservatism)と称している。
 
外交面では政権内のネオコンと呼ばれる人々によって特徴付けられ、「世界の警察」(Globocop<ref>[http://www.nytimes.com/1995/07/03/opinion/essay-where-is-globocop.html Essay;Where Is Globocop? - New York Times]</ref><ref>[http://www.newsweek.com/playing-globocop-193746 Playing Globocop - Newsweek]</ref><ref>[http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/EF14Ak01.html Pentagon steps closer to 'GloboCop' role - Asia Times Online]</ref><ref>[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/06/22/AR2010062201999.html Time to get tough on defense spending - Washington Post]</ref><ref>[http://www.spiegel.de/international/world/the-reluctant-globocop-what-is-nato-s-role-a-616547.html The Reluctant Globocop:What Is NATO's RoleRだいとうりょうであるole? - SPIEGEL ONLINE]</ref>)と呼ばれる「世界最強の軍事力」たる唯一の超大国アメリカを積極的に他国に介入させ、[[自由民主主義]]で世界の一極化を目指すタカ派戦略を採り、[[イラク戦争]]や[[アメリカのアフガニスタン侵攻|アフガニスタン侵攻]]を引き起こした。これらの戦争は後継の大統領である[[バラク・オバマ|オバマ]]、[[ドナルド・トランプ|トランプ]]政権などでも継続されることになる
 
ブッシュを支持する共和党支持者の中には[[キリスト教]]福音派の[[キリスト教原理主義|原理主義者]]が多く含まれ、ブッシュは彼らの倫理観や[[インテリジェント・デザイン]]などの理論に理解を示してきた。旧知の[[ハリエット・マイヤーズ]]を[[合衆国最高裁判所]]の判事に指名した際、マイヤーズが弁護士時代に中絶に関する質問に対して曖昧な答えを残していたことなどから反発を受け、断念せざるを得なくなるという事例もあった。
416 ⟶ 418行目:
*[[京都議定書]]からの離脱
*[[アメリカ国土安全保障省|国土安全保障省]]の創設
*[[情報機関]]による令状なき通信[[盗聴]]の容認<ref group="注釈">ブッシュ大統領は、2001年の同時多発テロ直後からの電子メールなどの傍受を令状なしで行っていたことを認めている。これに対し、令状なしの盗聴は違憲であると[[市民団体]]が訴訟を起こし、[[デトロイト]]の連邦地裁は2006年8月17日、令状なしの盗聴の即時停止を命令。しかし、ブッシュは「盗聴はあくまで大統領の権限だ」と主張している。
:ワールド・リサーチ・ネット 『意外なツボがひと目でわかる世界地図』 青春出版社 2007年 p.59.</ref>
*[[国際刑事裁判所]]の拒否
*“脱石油依存対策”の為の[[バイオエネルギー]]導入や[[シェールガス]]開発のための[[水圧破砕法]]への支援
*「州児童医療保険事業(SCHIP)」延長法案への反対
 
なお、ブッシュの下で副大統領を務めているディック・チェイニーは、父の大ブッシュの下で副大統領を務めた[[ダン・クエール]]より年長である。
 
====地球温暖化====
429行目:
 
== 外交 ==
[[ファイル:George W Bush approval ratings.svg|thumb|200px|イラク駐留が長期化するにしたがい、低下に歯止めがかからなくなった支持率([[世論調査#代表的世論調査ギャラップ (企業)|ギャラップ]]/『[[USAトゥディ]]』による世論調査、青:支持する、赤:支持しない、緑:どちらでもない)]]
[[ファイル:Blair Bush Whitehouse (2004-11-12).jpg|thumb|200px|「盟友」の[[トニー・ブレア|ブレア]]首相と]]
[[ファイル:Junichiro Koizumi p062906pm-0396-398h.jpg|thumb|200px|ホワイトハウスにて「友人」の小泉純一郎と([[2006年]][[6月29日]])]]
444行目:
およびこの戦争では、[[バグダード]]が占領される前より、占領した後に死傷した兵士の数の方が多い。戦車や戦闘機など大掛かりな兵器を早々に手放して兵力を温存させ、隠しておいた[[手榴弾]]や小型爆弾のような小型の兵器、あるいは地雷などを流用した[[即席爆発装置]]を使って[[ゲリラ戦]]に持ち込まれたことがその要因である。[[イラク治安部隊|イラク軍]]内では開戦前からそのような方法が研究されていたにもかかわらず、情報を見過ごしていた、あるいは過小評価していたことが要因である。これは完全に先見の明がなかったことをあらわしている。
-->
:イギリスの歴史家のポール・ケネディは読売新聞紙上に載せたコラムで、[[第二次世界大戦]]の二人の指導者、[[フランクリン・ルーズベルト]]が小児マヒでありながら国外の戦略会議に3回出席したことやポツダム宣言で果たした役割、さらに[[ウィンストン・チャーチル]]が主要な戦場に何回も足を運んだことを指摘し、一方のブッシュが開戦から5年の間にイラクに訪問したのはいずれも数時間足らずで合計するとイラクに居たのは一日にも満たないと両者を対比しながら述べている。またブッシュは石油の利権を手に入れた事でそのあがり<ref>{{Cite web |和書|url=http://www.creative.co.jp/top/main318.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2009年8月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20050208225823/http://www.creative.co.jp/top/main318.html |archivedate=2005年2月8日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>となる、ブッシュ大統領の要請から17億ドル減額したものの186億ドル(約2兆460億円)のイラク復興支援の予算案を議会は可決した<ref>{{Cite web |和書|url=http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200311040112.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2009年6月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090713025110/http://www2.asahi.com/special/iraqrecovery/TKY200311040112.html |archivedate=2009年7月13日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>。
 
:ブッシュは「イラク撤退はベトナムの二の舞いになる。アメリカ軍撤退はアメリカの信頼性を傷つけ、テロリストを勢いづかせる」と主張した<ref group="注釈">[[ベトナム戦争]]ではアメリカ軍撤退後に隙を狙った[[ベトナム民主共和国|北ベトナム]]がサイゴンを陥落させ、[[ベトナム]]でもアメリカ軍に協力した[[南ベトナム]]の市民は北ベトナム政府によって[[強制収容所]]に送られ[[虐殺]][[拷問]]とひどい扱いを受けた。</ref><ref>[http://www.biglizards.net/strawberryblog/archives/2007/08/post_524.html]</ref>。
 
:しかし復興支援を出しても絶えない宗派対立で、毎日60人近くの死者が出るような[[自爆テロ]]と、それをアメリカ軍とイラク軍が発砲し、イラク戦争の死者は10万人まで増加してしまい、結局イラク国民の間に根深い[[反米|アメリカへの敵対感情]]を残し、[[ブッシュの靴|靴投げ事件]]の際には、犯人の男に対する同情や駐留アメリカ軍に対する抗議の声が民衆から聞かれた。
457行目:
;日本
[[ファイル:Abductee families of North Korean abductions.jpg|thumb|[[朝鮮民主主義人民共和国]](北朝鮮)に[[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致]]された[[横田めぐみ]]の家族と[[脱北者]]の少女と会見するブッシュ]]
:2002年に来日したことがある<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/202205230000424.html|title=バイデン大統領、ディナーは「八芳園」/歴代大統領初来日時のおもてなし一覧|publisher=日刊スポーツ|date=2022-05-23|accessdate=2022-05-23}}</ref>。
:小泉純一郎の[[内閣総理大臣|首相]]在任中には個人的な繋がりをアピールし、「ジョージ」、「純一郎」と呼び合うほどの仲であった。2006年6月に小泉がアメリカを訪問した際には、ワシントンD.C.から小泉がファンである[[エルヴィス・プレスリー]]の自宅兼[[博物館]]のある[[メンフィス (テネシー州)|メンフィス]]まで[[エアフォースワン]]で同乗し、プレスリーの自宅を自分の妻とプレスリーの元妻とその娘との4人で案内するなどした。
:その一方で[[在日米軍再編|在日アメリカ軍再編]]や[[米国産牛肉|アメリカ産牛肉]]の輸入問題などで日米両政府の見解が一致しない政策もある。また、後半には核施設の無力化のみを条件に北朝鮮に対して妥協するなど、拉致問題で対北朝鮮強硬姿勢を取る日本との歩調のズレが目立った。
:アメリカの歴代政権は同盟国である日本の常任理事国入り自体には積極的な支援を表明してきたものの、2005年7月に入って日本が安全保障理事会常任理事国入りの手段とするG4案への「ノー」を断固として表明した。日本だけでなく[[ドイツ]]・[[ブラジル]]・[[インド]]が安全保障理事会常任理事国になるというG4案は安保理全体の大幅拡大が前提であり、ドイツの[[ゲアハルト・シュレーダー]][[政権]]がイラク問題その他で一貫してアメリカの方針に反対してきたためか、アメリカはG4案には正面から反対した<ref>{{Cite web |和書|url=http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/12/index.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010年5月10日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130515103618/http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/12/index.html |archivedate=2013年5月15日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>。
:2007年8月、アメリカ中西部[[ミズーリ州]]の[[カンザスシティ (ミズーリ州)|カンザスシティ]]で行った演説において、「敵は自由を嫌い、アメリカや[[西ヨーロッパ]]諸国が自分たちを{{Ruby|蔑|さげす}}んでいることに怒りを抱き、大虐殺を産み出した自殺的な攻撃を繰り広げました。どこかで聞いた話のようですが、私が述べる敵とは、[[アルカーイダ]]ではなく、9.11テロでもなく、[[ウサーマ・ビン・ラーディン]]でもなく、パールハーバー(真珠湾)を攻撃した1940年代の[[大日本帝国]]の軍隊のことです」。[[第二次世界大戦]]前の日本について「[[民主主義]]は日本では決して機能せず、[[日本人]]もそう思っているといわれてきたし、実際に多くの日本人も同じことを信じていました。民主主義は機能しないと」、「日本の[[国教]]である「[[神道]]」があまりに狂信的で、[[天皇]]に根ざしていることから、民主主義は日本では成功し得ないという批判もあった」と述べている<ref>httphttps://www.j-cast.com/2007/08/27010694.html</ref>。
:2009年1月14日、退任直前にブッシュは盟友としてトニー・ブレアらに大統領自由勲章を授与したが、日本の政治家には贈られていない。大統領退任後の2009年11月3日に日本シリーズ第3戦(巨人対日本ハム)で巨人の黒のジャンパーを着て笑顔で1球を投じた。小泉純一郎元首相、ジョン・ルース駐日米大使、前駐アメリカ合衆国大使の加藤良三コミッショナー、王貞治コミッショナー特別顧問らと観戦した。
:なお歴代アメリカ合衆国大統領で、初めて来日した1974年11月の[[ジェラルド・R・フォード]]以降前大統領の[[バラク・オバマ]]までの間、国賓としての来日が無かった唯一の大統領である<ref name="mainichi171106">{{Cite web |和書|author=高島博之 |date=2017-11-06 |url=https://mainichi.jp/articles/20171107/k00/00m/010/084000c |title= 日本政府 トランプ大統領の接遇は「公式実務訪問賓客」 |website=毎日新聞 |publisher=毎日新聞社 |accessdate=2018-05-09}}</ref>。
 
[[File:Jiang_and_Bush_2001.jpg|thumb|right|200px|[[江沢民]][[中華人民共和国主席|国家主席]](左)と]]
[[ファイル:Hu Jintao Bush.jpg|thumb|200px|中国の[[胡錦濤]]国家主席(左)]]
;中華人民共和国
:政権初期は[[中華人民共和国]]を「戦略的競争相手」とみなし、2001年4月に[[南シナ海]]で発生した[[海南島事件|アメリカ海軍偵察機と中国人民解放軍機との接触事故]]では、「アメリカ側に責任は無い」とするなど対立姿勢を強めたが、911テロ直後に[[江沢民]]がブッシュに電話したことを契機に協調に向かい、翌月に9.11テロ後の初外遊<ref>{{cite news| url=httphttps://edition.cnn.com/2001/US/10/17/ret.china.bush.apec/index.html | work=[[CNN]] | title=Bush arrives in Shanghai for APEC | date=2001-10-17|accessdate=2019-05-01}}</ref>で中国を訪れたブッシュを迎え入れた江沢民は上海[[APEC]]の議長国としてテロとの戦いを呼びかける各国首脳との共同声明をまとめた<ref>{{harvp|CIIC|2001|loc="[http://www.china.org.cn/e-apec/aaa.htm The Thirteenth APEC Ministerial Meeting... Joint Statement]"}}.</ref>。中国からはアフガニスタン復興への1億5000万米ドルもの資金援助や対テロ戦争を支える国連決議でも支持を得て<ref>["U.S. State Department - China (03/03)"]. state.gov. Retrieved 2011-06-06.</ref>、ブッシュは中国を「責任ある利害共有者」とみなすようになり、[[中華人民共和国の世界貿易機関加盟]]も受け入れた。しかし、イラク戦争ではフセイン政権と友好関係にあった中国との利害対立が目立った。なお同国への公式訪問を全任期中4回行ったことから、「対中関係を憂慮、重視していた」という意見がある(なお両国の[[首脳会談]]は相互の公式訪問時以外は行われていない)。
:ブッシュ政権下のアメリカは財政赤字と共に対中貿易赤字も増え続けた([[双子の赤字]])。[[世界金融危機]]で[[アメリカ国債]]増発の必要に迫られたアメリカの[[ヘンリー・ポールソン]]財務長官による[[王岐山]][[国務院副総理]]への要請で中国は大量にアメリカ国債を引受し<ref>{{cite news |title=中国、米国債を対米外交の武器に |publisher=[[日本経済新聞]] |date=2018-03-24|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO2854865024032018EA2000/|accessdate=2018-03-29|author=}}</ref>、[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]が開催された2008年8月には米国の同盟国である日本を超えて世界最大のアメリカ国債保有国となった。[[2008年北京オリンピックの開会式]]には米中連絡事務所所長時代から中国とパイプを持つ父のジョージ・H・W・ブッシュとともに親子揃って出席した<ref>[http://www.epochtimes.jp/jp/2008/08/html/d83492.html]</ref><ref>[http://www.pekinshuho.com/ggkf30zn/txt/2008-11/19/content_165459.htm ブッシュ親子の見た中国三大変化]</ref>。
:[[米中関係]]は経済では密接なのに対して人権問題では火花を散らしており、ブッシュ政権ではそのような関係が顕著となるような事例が見られた。例えばブッシュは中華人民共和国に高度な自治権を求めて拘留されたラビア・カーディルの釈放に圧力をかけて後に会談して、同様に高度な自治権を求める[[ダライ・ラマ14世]]また中華人民共和国の民主活動家を[[ホワイトハウス]]に招待している。また、中国共産党政府と対立を続ける[[法輪功]]弾圧に対しても厳しく、人権を侵害する[[外国人]]を追跡する権限を[[中華人民共和国司法部|司法部]]に与え「酷刑犯罪者の米国入国禁止法案」を署名しており、任期末期に訪問先の韓国と[[タイ王国|タイ]]で中華人民共和国の[[人権蹂躙|人権侵害]]を批判し、[[中華人民共和国外交部]]スポークスマンの秦剛は「人権と宗教などの問題で他国の内政を干渉する言葉や行動に強く反対する」と反論した。
:ブッシュは2001年当時の江沢民にすり寄り、[[ウイグル]]における[[ウイグル人大量虐殺|人権弾圧問題]]を「[[テロリズム|テロ]]撲滅のための運動」と位置付けている江沢民の行動を是認し、その代わりにブッシュ政権によるアフガン侵攻とイラク攻撃を、黙認するという「悪魔の契約」を結んでいる。それは[[中華人民共和国の経済|中国経済]]を押し上げる要因の一つとなり、結果、中国経済は[[国内総生産|GDP]]において2010年には日本を抜いて世界第二位にのし上がった<ref name="ウクライナ危機">{{cite news|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/95d2660cb7c98ae511688a52710b84f1f27083a2|title=ウクライナ危機を生んだのは誰か?PartⅡ2000-2008 台湾有事を招くNEDの正体を知るために|newspaper=[[Yahoo!ニュース|ヤフーニュース]]|date=2023-10-09|accessdate=2023-10-10}}</ref>。
;韓国
[[ファイル:APEC2006 Roh Bush Abe (2).jpg|thumb|250px|[[2006年]]の[[アジア太平洋経済協力|APEC]]首脳会議時の日米韓3か国会議にて、'''ジョージ・W・ブッシュ'''、[[内閣総理大臣]][[安倍晋三]](右)、[[大統領 (大韓民国)|大韓民国大統領]][[盧武鉉]](左)と(役職はいずれも当時)]]
:2001年の米韓首脳会談では当時の大統領[[金大中]]を「この人」と呼び、韓国人の間で話題となった。2002年の[[在韓米軍]]による[[議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件]]では、電話を通じて韓国政府に謝罪するが[[反米]]感情の高まりを抑えることはできなかった。後継の盧武鉉政権とは、反米色が強かったため次第に関係は悪化した(ただし、イラク戦争に際して韓国は[[大韓民国国軍|軍]]を派遣している)。2008年の[[李明博]]政権以降は[[親米]]・反北路線となり、関係は修復した。大統領退任後には韓国に訪問した<ref group="注釈">その時期の2009年の7月には前大統領のクリントンが、北朝鮮に侵入して拘束された女性記者を釈放するために訪朝していた</ref>。
;北朝鮮
:大統領就任前のブッシュは北朝鮮問題に関心も知識も乏しかった。2000年6月の大統領候補時代に、友人である[[サウジアラビア]]の[[バンダル・ビン・スルターン]][[サウジアラビアの国王一覧|王子]]と会談した際、「なぜ自分が北朝鮮のことを心配しなければならないのか?」とこぼして、王子に「北朝鮮の国境付近には3万8,000人のアメリカ兵が駐留しているため、北朝鮮が国境を越えて侵攻すればおそらく1万5000人が戦死して、合衆国は途端に戦争へ突入するからです」と諭されている<ref>[[ボブ・ウッドワード]]『State of Denial:Bush at War, Part III』</ref>。就任後はクリントン政権の宥和策に反対してきた[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の姿勢に沿って、「[[悪の枢軸]]」として批判を行うなど強硬姿勢を取っている。[[北朝鮮による日本人拉致問題|日本人拉致問題]]についても、2006年にアメリカを訪問した横田夫妻ら被害者家族との面会時に断固たる姿勢で望む事を表明していた。
:しかし、[[北朝鮮の核実験 (2006年)|北朝鮮の核実験]]実施や他の外交政策の不振から、「核施設の無能力化を進めれば、拉致問題の進展とは関係なく、[[テロ支援国家]]指定を解除する」との立場を北朝鮮に伝えていたことが明らかになっている<ref>{{Cite web |和書|url=http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7000/news/20070811i101.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2007年10月21日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20071029025545/http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe7000/news/20070811i101.htm |archivedate=2007年10月29日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>。北朝鮮と[[中朝友好協力相互援助条約|同盟関係]]に国である中華人民共和国はイラク戦争開戦による衝撃から仲介に乗り出して[[六カ国協議]]が始まり<ref>寺林裕介 「{{PDF|[httphttps://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/chousa/rippou_chousa/backnumber/2006pdf/2006070773.pdf 北朝鮮の核開発問題と六者会合(上)-北東アジアにおける多国間枠組みの形成]}}」</ref>、核兵器の放棄が合意された。2007年2月13日の六カ国協議での合意に基づき、2008年6月の北朝鮮の[[寧辺核施設]]の爆破パフォーマンスや核開発計画申告などを受けて指定解除の手続きを開始、拉致問題については引き続き解決への協力姿勢を表明しているものの、被害者家族からは先の面会時からの豹変振りに「裏切られた」と失望の声が挙がっていた。
:だが、土壇場の8月11日に「しっかりとした(核施設の)検証体制を示さない」ことを理由に北朝鮮のテロ支援国家指定解除の発令に対する署名を拒否した。そもそも6月26日の指定解除手続きに関する発表<ref>http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2008/06/20080626-9.html</ref>では、同時に北朝鮮および北朝鮮の国民に関する確定的な(移動)制限を継続することについての大統領令({{en|Executive Order:Continuing Certain Restrictions with Respect to North Korea and North Korean Nationals}})<ref>http://georgewbush-whitehouse.archives.gov/news/releases/2008/06/20080626-4.html</ref>も発表しており、この時点で北朝鮮による手続きが履行されても不履行であっても、対北朝鮮制裁を解除する意志がなかったことが、この大統領令の存在から明らかになっている。オバマ政権に交代後の2009年4月に北朝鮮は核兵器開発の再開と六カ国協議からの離脱を表明することとなった。
:[[2005年]]には[[脱北者]]の[[姜哲煥]]をホワイトハウスに招待している。
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:イラク戦争が末期に入った2006年[[11月17日]]、[[ベトナム]]の[[ベトナム社会主義共和国主席|国家主席]][[グエン・ミン・チェット]]とアメリカの大統領であるブッシュが[[ハノイ]]で会談し、ベトナムとアメリカの友好関係を誇示した。これは、冷戦後の「米越同盟」の強化と、後に「[[VISTA]]」の一角と呼ばれるようになったベトナムの[[経済成長]]を布告するものになった。
;フィリピン
:2008年に[[フィリピン]]に対して食料価格高騰や台風6号の被害に苦しむ同国民を助けるため、アメリカ海軍の原子力空母[[ロナルド・レーガン (空母)|ロナルド・レーガン]]を被災地に派遣して食料支援を行った。ジョージ・W・ブッシュは会談後、台風の犠牲者らに弔意を表明。[[フィリピンの大統領]][[グロリア・アロヨ]]が[[モロ・イスラム解放戦線]](MILF)や[[イスラーム過激派]][[アブ・サヤフ]]などの反政府勢力に対し、対話と圧力による硬軟両様のテロ対策を進め、効果を上げていると評価した<ref>{{Cite web |和書|url=http://sankei.jp.msn.com/world/america/080625/amr0806251038004-n1.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2009年5月3日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080628104333/http://sankei.jp.msn.com/world/america/080625/amr0806251038004-n1.htm |archivedate=2008年6月28日 |deadlinkdate=2020年2月 }}</ref>。またフィリピンはイラク戦争に仏独中露が反対する中で数少なく支持した国である。
;メキシコ
:隣国で強い経済関係を持つ[[メキシコ]]に対しては強い親近感を示し、これまでの歴代大統領は就任後初の訪問国として[[カナダ]]を訪れていたが、子ブッシュは就任後初の訪問国としてメキシコを訪れている。なお、この様なメキシコに対する親近感には、テキサス州知事選挙をはじめとする過去の選挙戦において、テキサス州で多くの票を持つメキシコ系アメリカ人からの支持を受けていたことが強く影響していると言われている。
;中南米
:アフガン侵攻・イラク戦争以来ベネズエラの大統領ウゴ・チャベスとの険悪な関係で知られており、2002年にはアメリカ政府の関与が指摘される[[クーデター]]が発生している。国際連合総会でチャベスはブッシュを『悪魔』と呼び、『ブッシュは大量殺人犯 残る一生を牢獄で過ごすべきだ』などと激しく非難されている。ブッシュは[[ボリビア]]の大統領[[エボ・モラレス]]の[[麻薬]]の利用を非難したが、逆に「私の知る唯一のテロリストはブッシュだ」と反論されモラレスも一歩も退かない<ref group="注釈">[[緊急!ビートたけしの独裁国家で何が悪い!]]ではモラレスのアメリカに対して一歩も引かない姿勢でゲストが拍手して笑みを浮かべていた。</ref>。[[キューバ]]ではアフガン侵攻やイラク戦争以来、『ブッシュは[[アドルフ・ヒトラー|ヒトラー]]に並ぶ殺人犯』という皮肉ったプロパガンダが掲げられていた時期があった。
;ロシア連邦
[[File:Vladimir_Putin_at_APEC_Summit_in_China_19-21_October_2001-13.jpg|thumb|right|200px|ロシアの大統領プーチン(左)と]]
:ロシアの[[プーチン]]政権とは1999年8月に[[ロシア高層アパート連続爆破事件]]により発生した[[チェチェン紛争|チェチェン]]問題もあり、当初は距離を取っていたが、9.11テロを契機にして協調関係に移行。ロシア領域内通過容認やテロリストの情報提供<ref>斎藤元秀 「{{PDF|[https://www2.jiia.or.jp/pdf/russia_centre/h14_c-asia/05_saito.pdf ロシアのアフガニスタン・イラク・イラン政策 - 日本国際問題研究所]}}」</ref>などプーチン政権から支援がされ、[[中央アジア]]へのアメリカ軍基地も設置できた。200520013月になると、チェチェン武装勢力シア事件が頻発したため、プーチンはチェチェン独立派武装勢力を「テロ勢力」とみなし、徹底したテロ取り締まり作勝記念日の軍に出ていた。パレ実、2000年1月には、アフガニスタンの[[タリバーン|タリバン]]政権と[[チェチェン・イチケリア共和国]](チェチェン分離独立派出席すなど、積極国際的に「テロと未承認国家または武装勢力)は互」を進めに主権独立国家とし相互承認し合くこ、チェチェン武装勢力はタリバンを確認提携て過激なテロ行為をエスカレートさせていた。らアメリカで9・11同時多発テロが起きるとチェチェン武装勢力のテロ行為がタリバンなど他のク戦争ム武装勢力と連携しながら一層悪化していったの、プーチンフセイチェチェ武装勢力に72時間以内の投降を呼びかけ厳戒態勢に入った。10月になるとブッシュがチェチェンの大統領に「タリバンと断交し、ロシア連邦の平和があっ渉」を要請し。こうしてアメリカは「ロシアを潰そう」の利害する露政策を緩和し、相互訪問目立った。また盛んになり、[[東欧ミサイル防衛構想ロシアの経済|ロシア経済]]を成長させる要因を形成進めた。その背景にはブッシュ政権の思惑があり[[南オセチブッシュは9・11事件後ただちに紛争]]でフガニスタンへの軍事侵攻を始めている。理由アフガニスタンのタリバン政府が、9・11同時多発テロの主犯とアメリカが見ている[[ドミートリウサメドヴェビン・ラジェフディン|メドヴェージェフオサマ・ビンラディン]]を庇護しているということだった。タリバン権から「紛争の発端アメリカ大統領選挙オサマ・ビンラディンが犯人共和党ある証拠有利出せと主張し、もしそれが正しければビンラディンを第三国と言っが、ブッシュはそネオコ申し出を拒否し、アフガの陰謀で攻撃を始めた。2003年にはイラクに大量破壊兵器がある批判されていう[[新冷戦偽情報]]とも評された(に基づいてイラク攻撃を開始。これらの行動をプーチンとともブッシュが北京オリンピック批判してほしくなかった式典に参加すであ。そのため国内を空席プーチンに迎合した際に紛争のである。テロを撲滅させる行動をアメリカ起き肯定してくれためことになり政権内部のネオコンをコントロチンは喜んきていたかそブッシュ能力アプローチ疑われ歓迎しからでもある)<ref name="ウクライナ危機" />
:2005年のロシアの戦勝記念日の軍事パレードに出席するなど、積極的に「テロとの戦い」を進めていくことを確認した。しかし、イラク戦争ではフセイン政権と親交があったロシアとの利害対立が目立った。また、[[東欧ミサイル防衛構想]]を推し進め、[[南オセチア紛争]]では[[ドミートリー・メドヴェージェフ|メドヴェージェフ]]政権から「紛争の発端はアメリカ大統領選挙で共和党を有利にするためのネオコンの陰謀である」と批判されて[[新冷戦]]とも評された<ref group="注釈">これはプーチンとともにブッシュが北京オリンピックの式典に参加するため国内を空席にした際に紛争が起きたため、政権内部のネオコンをコントロールできていたかその能力を疑われたからでもある。</ref>。
;ウクライナ
:[[オレンジ革命]]で親欧米派が勝利した[[ウクライナの大統領]][[ヴィクトル・ユシチェンコ]]と同国の[[ウクライナの首相|首相]][[ユーリヤ・ティモシェンコ]]は[[ウクライナ]]の親欧米路線をしている。ブッシュは[[ウクライナ]]と[[ジョージア (国)|グルジア]]のNATO加盟を支持していたが、両国の加盟はフランスやドイツが難色を示しており、またロシアからも強い反発があった。その結果、ウクライナとグルジアのNATO加盟はブッシュ政権下では見送りとなった。ウクライナは西部が親欧米、東部は親ロシアであるために東部からの親ロシア派からは[[ソビエト連邦の国旗|ソ連国旗]]を掲げブッシュの人形を燃やす場面が見られた。
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:[[オーストラリア]]は対テロ戦争とイラク戦争を支持して派兵したが、[[ニュージーランド]]は派兵をしていない。またニュージーランドのオークランドとウェリントンで、人気ピザチェーンの『地獄ピザ(Hell)』が看板広告のブッシュの写真に『地獄(ピザ):悪魔野郎には贅沢すぎる』『地獄(ピザ)にだって規範はある』のキャッチコピーが添えられており、ブッシュ政権に対する[[皮肉]]とも言える。
;その他の国
:ブッシュはアフガニスタン侵攻からイラク戦争までイスラム社会から憎悪の対象となっており、その度にイスラム社会の[[マクドナルド]]や[[ケンタッキーフライドチキン]]の店舗などに破壊や放火があり、[[南アメリカ]]訪問や大統領退任後の[[カナダ]]訪問でも現地民から抗議行動を受けており、大統領退任後も[[パキスタン]]では反戦抗議があった。しかしアメリカはイラクでも莫大な復興支援を提供し、[[イスラエル]]・[[パレスチナ]]の和平プロセスを進めており、パレスチナに多額の復興支援をしているが、結局[[ガザ紛争 (2008年-2009年)|2009年のガザ侵攻]]でブッシュは拒否権を出したために関係は再び悪化してしまった<ref>[httphttps://www.afpbb.com/articlearticles/politics-/2327193/?pid=2464916]</ref>。また[[核兵器]]を廃棄した事を宣言してかつてのテロの和解金を出した[[リビア]]の[[カダフィ]]大佐との関係は良好化している。イスラム社会から恐怖の存在で憎悪の対象となったブッシュだが、かつてはテロ支援国家だったリビアのカダフィ政権を保障した寛容性があった。
 
{{See also|アフガニスタン紛争 (2001年-2021年)}}
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名門のイエール大学を卒業後、ハーバード・ビジネススクールで経営学修士を取得しており、双璧とされるイェールとハーバードを出るという歴代大統領の中でも「高学歴」だが、のちに本人が母校での演説で「成績がCでも大統領になれる」とジョークのネタにしたように学生時代の成績は芳しくなかった。
 
ニューヨーク市立大学教授でハーバード時代のブッシュが受講する授業を担当した[[霍見芳浩]]は、大統領就任が決まった直後の日本のマスコミの取材で当時のブッシュの印象を聞かれて「普通、授業を教えた生徒の事はいちいち覚えていないものだが、彼は非常に出来の悪い生徒だったのでよく覚えている」「もう箸にも棒にもかからない」「典型的な金持ちのお坊ちゃま。怠惰で授業態度も悪く、大統領はおろかどんな組織のリーダーも務まる人物ではないと思った」と答えている<ref>2000年11月27日付けの日刊ゲンダイ,CNN.COM 2004年9月13日配信記事  httphttps://edition.cnn.com/2004/ALLPOLITICS/09/13/bush.professor/</ref>。
 
大統領候補時代に記者から「[[パキスタンの大統領]]の名前は?」と質問されて答えられない<ref>http://www.cnn.com/ALLPOLITICS/stories/1999/11/05/bush.popquiz/</ref>など、就任前から大統領として相応しい知性の持ち主か否か危ぶむ声があった(ブッシュが同じような質問を記者にすると「私は記者だが、あなたは大統領候補だ」と返された)。大統領就任後も、2001年11月のブラジルの[[ブラジル連邦共和国大統領|大統領]][[フェルナンド・エンリケ・カルドーゾ]]との首脳会談上の席上、「あなたの国にも[[ネグロイド|黒人]]はいるのか?」と尋ねて、その場でライス安全保障問題担当補佐官に訂正されるエピソードがある<ref>http://www.snopes.com/quotes/brazil.asp</ref>など、知性を疑われるような発言を何度も繰り返した。これらの迷言癖は俗に「[[ブッシズム]]」<ref>{{YouTube|PFyv6ntEb8M|is george bush an idiot?}}</ref>と呼ばれる。
 
他の歴代大統領と比較して著しくボキャブラリーが貧困であるとされた。耳慣れない人名や地名をよく間違って発音することでも有名で、[[アブグレイブ刑務所]]の囚人虐待事件に関する演説では「アブグレイブ」の発音を1度もまともに言えなかった。2007年9月、[[オーストラリア]]の[[シドニー]]で行われた[[アジア太平洋経済協力|APEC]]の演説では、[[石油輸出国機構|OPEC]]と言い間違えた上にこの演説で3回もの言い間違いをして参加者から失笑を買った。言い間違いを防ぐため、演説原稿に出てくる各国首脳の名前・国名・首都名に“読み仮名”がふられていたことも発覚している<ref>「[httphttps://www.afpbb.com/articlearticles/politics-/2288837/?pid=2181421 「読みがな」をふったブッシュ大統領の演説草稿 誤って国連ウェブサイトに掲載される]」 [[フランス通信社]]、2007年9月26日。2009年1月4日閲覧。</ref>。
 
第1回の大統領選挙の公開討論の席で、[[アル・ゴア]]がブッシュを小馬鹿にするような態度を示したが、それに対し誠実な対応を行ったことが有権者の好意的評価に結びついたとされる。
 
戦争中にラムズフェルドが戦死した兵士の家族への手紙の署名に[[オート・ライターペン]]を使用したのとは対照的に、ブッシュは直筆の手紙を出し続けている。また、人権問題に関心が深いこともあり、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]に深い興味と理解を示し、拉致被害者の家族がアメリカを訪問した際には[[ホワイトハウス]]で面会した。ブッシュ自身は側近の意見に耳を傾けていると言われ、特に外交に関しては穏健派のパウエル国務長官と強硬派のライス補佐官に議論をさせ、ライスの意見を支持しイラク戦争に向かったとされる。ライス補佐官は2期目の政権において国務長官に起用された。ブッシュの意を受けたライスは国防総省を牽制しつつ、外交に重きを置きながらイラクの武力支配を正当化しようという戦略をとっている。
 
[[AP通信|AP通信社]]がアメリカ国民を対象に行った[[世論調査]]では、2006年の「憎まれ役」「英雄」でそれぞれ1位に選ばれた。ちなみに「憎まれ役」は2位以下、[[ウサーマ・ビン・ラーディン]]、[[サッダーム・フセイン]]、[[マフムード・アフマディーネジャード]]、[[金正日]]。「英雄」は2位以下、イラク駐留アメリカ軍、バラク・オバマ。また、[[ジョン・F・ケネディ]]以降の歴代大統領を、ホワイトハウスで取材してきたジャーナリスト、[[ヘレン・トーマス]]は、彼を「今までで最悪の大統領。アメリカ史上最悪の大統領({{en|This is the worst President ever. He is the worst President in all of American history.}})」<ref>http://en.wikiquote.org/wiki/Helen_Thomas</ref>と酷評している。一方でライス国務長官は政権末期のアメリカ[[CBS]]テレビとのインタビューで、ブッシュが直面してきた状況について「[[第二次世界大戦]]後で最も厳しい時期だったのではないか」との見方を示し、そのなかでブッシュが下してきた決断は「時を経て記憶にとどまるだろう」とし、イラクのフセイン政権打倒や中国・[[インド]]・ブラジルなどとの良好な関係を例に挙げ、「歴史がブッシュ政権に良い評価を下すだろう」と述べた。
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身長は5[[フィート]]11.5インチ(約182センチメートル)である<ref>[https://www.businessinsider.com/us-president-first-lady-height-differences-2018-7 The height differences between all the US presidents and first ladies] [[ビジネス・インサイダー]]</ref>。
 
なお、ブッシュの下で副大統領を務めているディック・チェイニーは、父の大ブッシュの下で副大統領を務めた[[ダン・クエール]]より年長である。
 
===宗教===
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===語録===
{{Seewikiquote|q:ジョージ・W・ブッシュ}}
{{Seealso|ブッシュイズム}}
*「これは[[戦争]]だ」([[アメリカ同時多発テロ事件]]に際して)
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{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
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== 外部リンク ==
*[httphttps://www.whitehouse.gov/about-the-white-house/presidents/georgewbushgeorge-w-bush/ ホワイトハウス人物紹介 - ジョージ・W・ブッシュ] {{En icon}}
*[https://web.archive.org/web/20070414215908/http://www.gop.com/About/Bio.aspx?id=1 共和党人物紹介 - ジョージ・W・ブッシュ] {{En icon}}
 
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[[Category:イェール大学出身の人物]]
[[Category:アメリカ合衆国の福音主義者]]
[[Category:アメリカ合衆国のメソジスト派信者]]
[[Category:アイビー・リーガー]]
[[Category:私の履歴書の登場人物]]
[[Category:ハーバード大学出身の人物]]
[[Category:ニューヘイブン出身の人物]]