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{{multiple image
'''桜餅'''(さくらもち)は、[[サクラ|桜]]にちなんだ[[和菓子]]であり、桜の[[葉]]で餅菓子を包んだもの。雛菓子の一つでもあり、春の[[季語]]である。
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[[File:Sakuramochi6.JPG|thumb|箱入りの[[長命寺桜もち]](桜の葉が3枚)(2009年3月14日撮影)]]
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| image1 = Sakura-mochi 003.jpg
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| caption1 = 関東風桜餅
| image2 = Sakura-mochi 001.jpg
| width2 = 180
| caption2 = 関西風桜餅
}}
{{読み仮名|'''桜餅'''|さくらもち}}は、[[サクラ|桜]]にちなんだ[[和菓子]]であり、桜の[[葉]]で餅菓子を包んだもの。雛菓子の一つでもあり、春の[[季語]]である。
 
一般に「桜餅」と呼称されるものには、[[関東地方]]で考案されて[[東日本]]を中心に広まった関東風と、[[関西地方]]で考案され全国に広まった関西風の2種類が存在する<ref name="all-about">{{Cite web|和書 |url=https://allabout.co.jp/gm/gc/220702/#2 |title=桜餅、関東風と関西風はどちらが好き?葉は食べる? |website=All About |editor=三浦康子 |date=2022-03-05 |accessdate=2024-5-1}}</ref>。
== 種類 ==
{{Double image aside|right|Sakura-mochi 003.jpg|226|A rice cake filled with sweet bean paste and wrapped in a pickled cherry leaf,katori-city,japan.JPG|200|関東風桜餅1|関東風桜餅2}}
{{Double image aside|right|Sakura-mochi 001.jpg|226|Sakuramochi.jpg|200|関西風桜餅1|関西風桜餅2}}
 
通年で食べられる菓子だが、名称にもあるとおり[[食紅]]で桜をイメージさせる[[ピンク]]色に着色していることもあり、今日では[[雛祭り]]に欠かせない菓子の1つとして定着している。元々雛祭りの定番ではなかったが、ピンクの色が雛祭りのイメージに合うことや、[[端午]]の節句で[[柏餅]]が定着していたことなどから、[[上巳]](桃)の節句で桜餅を食べるようになったと考えられる。
桜餅は、地方によって形状や製法が異なる。それぞれに分けて解説する。
 
;関東風桜餅
:[[関東地方|関東]]で作られている桜餅。関東以外では'''長命寺餅'''とも呼ばれることもある。
:関東では関東風の桜餅のことを長命寺餅と呼ぶことは少なく、「長命寺の桜餅」と称した場合、向島の「[[長命寺桜もち]]」製の桜餅を意味する。
;関西風桜餅
:[[関西地方|関西]]で作られている桜餅。'''道明寺餅'''または略して道明寺(どうみょうじ)ともいう。
:関西では関東風の桜餅を見ることはほとんどなく、単に桜餅といえばこの道明寺餅のことを指す。
 
== 古典における記載 ==
古文書に表れる「桜餅」を示す。
*桔梗屋菓子目録
:[[南方熊楠]]によれば、桜餅の知られている出現は[[天和 (日本)|天和]]三年([[1683年]])である。[[大田南畝]]の著「一話一言」に登場する京菓子司、[[桔梗屋]]の河内大掾が菓子目録に載せたという<ref>
{{cite web
|title=御菓子司 鶴屋寿 歴史 桜餅発祥の地「京都」。
|url=http://www.sakuramochi.jp/history/index.html
|year=2004
|publisher=御菓子司 鶴屋寿
|accessdate=2012-02-04
|quote=大田南畝(おおたなんぽ)の随筆『一話一言』(一)に登場する京御菓子司「桔梗屋」の河内大掾が菓子目録「御菓子品々」の中に“さくら糖”、菓子目録「御茶菓子丸蒸物類」の中に“さくらもち”を載せたといいます。}}
</ref>。天和三年には桔梗屋菓子目録が出版され<ref>
{{cite web
|title=お菓子の歩み (明治末期迄)
|url=http://kyotokashioroshi.jp/okashi03.html
|publisher=京都府菓子卸商業組合
|accessdate=2012-02-04
|quote=天和 3 1683 江戸“桔梗屋菓子目録”出版さる。(一話一言}}
</ref>、また京菓子司・桔梗屋の河内大掾が江戸に店舗を構えた<ref>
{{cite web
|title=和菓子のあゆみ 京の菓子と江戸の菓子
|url=http://www2u.biglobe.ne.jp/%257egln/55/5511/551105a.htm
|date=2006-03-16
|publisher=GLN(GREEN & LUCKY NET)からこんにちは
|accessdate=2012-02-04
|quote=天和<small>テンナ</small>3年(1683)には,京菓子司として御所上納の家柄である桔梗屋が,今の東京日本橋一丁目に店舗を構えました。}}
</ref>。これは蒸菓子であり、後の世の桜餅とは別物のようである。昔の作り方では、餅を桜の葉で包み、[[蒸籠]]で蒸すやり方がある。
*男重宝記
:男重宝記([[元禄]]六年、1693年)に「桜」とあるところに桜の五弁の花びらを模した桜餅の図が載っていて、その傍らに「中へあん入れる」と記されている<ref>吉野屋藤兵衛、[{{NDLDC|2543221}} 新板増補男重宝記]、亀田文庫、1702年。</ref>。
*茶湯献立指南(元禄九年、1696年)
 
== 関東風桜餅 ==
[[File:Chomeiji20120114.jpg|thumb|[[長命寺 (墨田区)|長命寺]]<br>(門前は関東風桜餅の発祥地)]]
関東風桜餅は、[[桜葉漬け|塩漬けの桜の葉]]を用いた、[[江戸]]に発祥した桜餅。伝統で典型的なものの一つ。[[東京]][[隅田川]]の[[向島 (墨田区)|向島]]にある[[長命寺 (墨田区)|長命寺]]という寺院の門前にこの桜餅を作り始めた店舗がある。したがって、関東以外の地域では、関東風桜餅のことを'''長命寺'''と呼ぶこともある。
[[File:A rice cake filled with sweet bean paste and wrapped in a pickled cherry leaf,katori-city,japan.JPG|thumb|関東風桜餅]]
関東風の「桜餅」は、[[小麦粉]]などを用いた生地を平たく焼いて[[餡]]を包んだ[[クレープ]]状の平鍋菓子<ref name=all-about />。[[東京都]][[墨田区]]にある[[長命寺 (墨田区)|長命寺]]の門前の桜餅専門店が発祥。
 
関東地方のほかに、[[東北地方]](宮城県を除く)、[[北陸地方]](福井県を除く)、[[長野県]]、[[山陰地方]]などで主流となっている傾向がみられる<ref name="wn15&18">{{Cite web|和書|url=https://weathernews.jp/s/topics/201803/220105/ |title=【桜餅】あなたは“関東風”? “関西風”? |website=ウェザーニュース |date=2018-03-24 |accessdate=2024-03-02}}</ref><ref name="wn22">{{Cite web|和書|url=https://weathernews.jp/s/topics/202204/020185/ |title=【桜餅】といえばどっち派?全国各地で「関西風」が優勢 |website=ウェザーニュース |date=2022-04-03 |accessdate=2024-03-02}}</ref>。
=== 姿 ===
*[[桜葉漬け|葉]]は、1枚から3枚を用いている。(長命寺桜もち製桜餅は葉が3枚である。)
*餅の[[生地_(食品)|生地]]は、皮を焼いたもの。
*皮は、多くは二つ折り、他に円筒型、殊に[[袱紗]]折りもある。
*中身を葉で被うか、皮に沿う葉で包んでいる。
*[[餡]]は、濾し餡を用いている。
*[[小麦粉]]を水で延べて熱し固めた生地を作り、餡種を挟んだ生地に桜の葉を被せた構成。<ref name="recipe0" /><ref name="recipe1" />
 
なお、[[島根県]]の松江では明治時代に桜餅が広まった当初は餅餡式のものであったが、[[松江藩]]の元家老・[[有沢宗閑]]が御用菓子司「面高屋」に関東風桜餅を作らせたことにより広まったとされる<ref>[http://www1.pref.shimane.lg.jp/contents/kochokoho/esque/43/menu05.html 島根PR情報誌シマネスクVol.43]</ref>。
=== 製法 ===
材料は塩漬けの桜の葉、生地に用いる粉、小豆[[餡]]。粉は[[小麦粉]]であればよいが、[[白玉粉]]や[[餅粉]]を加えるか、または[[上新粉]]でもよい。これに、[[砂糖]]、小麦粉、[[味甚粉]]、[[上南粉]]などを調製する。桜の葉を水に漬けておき、葉の塩を除く。生地の粉を餅粉や白玉粉から少しずつ水と合わせて置く。溶いた生地を薄く延ばして熱する。熱した後、粗熱を取る。焼き加減は周囲の水気が取れて乾く程度で、餅がしっとり仕上がるようにする。小豆の餡を丸めて、焼いた皮で包む。桜の葉を取り出し、真水で洗い水滴を除く。桜の葉を餅の表に巻くようにして付ける。色粉は粉の時点で混ぜておくと色が均等に出る。<ref name="recipe0">
{{cite web
|title=和菓子のレシピ、桜餅(さくら餅)
|url=http://www.sueki.jp/03/03-0009.htm
|date=2004-02-29
|publisher=末廣屋喜一郎&伝統の和菓子文化普及委員会
|accessdate=2015-07-31}}
</ref><ref name="recipe1">
[http://web.archive.org/web/20091005072610/http://sugar.lin.go.jp/recipe/rcp3.htm レシピ/桜餅]
</ref>なお、長命寺前の店舗で販売されている桜餅は、皮は着色せず白いままであり、3枚の桜の葉を端が重なるように横に並べて包んでいる。
 
=== 歴史姿(関東風) ===
* [[桜葉漬け|葉]]は、1枚から3枚を用いている。
「長命寺の桜もち」は[[享保]]二年([[1717年]])に、元々は寺の門番であった山本新六が門前で山本屋を創業して売り出したのが始まりとされる<ref>
* 皮の[[生地_(食品)|生地]]は、餅を焼いたもの。
{{cite web
* 皮は、多くは二つ折り、他に円筒型、殊に[[袱紗]]折りもある。
|title=長命寺 桜もち
* 中身を葉で被うか、皮に沿う葉で包んでいる。
|url=http://www.wagashi.or.jp/tokyo_link/shop/1413.htm
* [[餡]]は、濾し餡を用いている。
|year=2011
* [[小麦粉]]を水で延べて熱し固めた生地を作り、餡種を挟んだ生地に桜の葉を被せた構成。<ref name="recipe0" /><ref name="recipe1" />
|publisher=全国和菓子協会
|accessdate=2015-07-31
|quote=享保2年(1717年)初代山本新六が隅田川土手の桜の葉を集め、塩漬けにして桜餅を考案、向島の名跡長命寺の門前にて売り始めてそれから二百八十年余、隅田堤の桜と共に名物となった。}}
</ref>。[[隅田川]]の桜の落ち葉を醤油樽で塩漬けにし、餅に巻いたとされる<ref>
{{Cite book
|和書
|author=岸朝子
|title=東京五つ星の手みやげ
|url=http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/79906/
|publisher=東京書籍
|year=2004
|page=116-117
|isbn=4-487-79906-6}}
</ref>。もとは墓参の人をもてなした手製の菓子であったといわれ、桜餅の葉は落ち葉掃除で出た桜の葉を用いることを思い至ったからだという。はじめは桜の葉のしょうゆ漬けだったともいわれる。山本新六は[[下総国]][[銚子]]の人で[[元禄]]四年([[1691年]])から長命寺の門番をしていた。[[征夷大将軍|将軍]][[徳川吉宗|吉宗]]の台命により[[享保]]二年(1717年)同じ年に側傍の隅田川沿いに北から南へ桜木の植栽が行われ、これを機に花見時に賑わい発展した。記録に、[[文政]]のころ(1818-1830年)の桜餅屋のことが上がっている。[[曲亭馬琴]]他編の『兎園小説』の中で[[屋代弘賢]]が書いている内容から、盛況ぶりがうかがえる。
{{quote
|去年甲申一年の仕込高、桜葉漬込卅壱樽、但し一樽に凡そ二万五千枚程入、葉数〆七拾七万五千枚なり、但し餅一に葉弐枚宛なり、此餅数〆卅八万七千五百、一つの価四文宛、此代〆壱千五百五拾貫文なり、金に直して二百廿ヒ両壱分弐朱と四百五拾文、但六貫八百文の相場、此内五拾両砂糖代を引き、年中平均して一日の売高四貫三百五文三分宛なり
|屋代弘賢 |兎園小説(文政八年、1825年)}}
桜餅一つの売値四文は現在の価値に直すと、推定で米の価格から換算した場合は約63円、大工の賃金から換算した場合は約322円<ref>[http://www.teiocollection.com/kakaku.htm 江戸時代の貨幣価値換算表]</ref><ref>[http://www.imes.boj.or.jp/cm/history/historyfaq/1ryou.pdf 江戸時代の1両は今のいくら?]</ref>。[[喜多村信節]]著文政十三年(1830年)自序の『嬉遊笑覧』には内容を変えて作られていることが記される。
{{quote
|近年隅田川長命寺の内にて櫻の葉を貯へ置て櫻餅とて柏餅のやうに葛粉にて作るはしめハ[[粳米]]にて製りしがやがてかくかへたり
|『嬉遊笑覧巻十上 飲食』(文政十三年、1830年)<ref>[{{NDLDC|992505}} 嬉遊笑覧]、1903年。</ref>}}
[[三田村鳶魚]]著の『桜餅』には「不忍の新土手は文政三年の築造であるから、それより前に、長命寺の桜餅があったのである。」とあり、文政三年(1820年)より前に長命寺の桜餅はあったと推察している。
 
=== 製法(関東風) ===
桜餅はさまざまな絵画や詩文にも登場する。
材料は塩漬けの桜の葉、生地に用いる粉、小豆[[餡]]。粉は[[小麦粉]]であればよいが、[[白玉粉]]や[[餅粉]]を加えるか、または[[上新粉]]でもよい。これに、[[砂糖]]、小麦粉、[[味甚粉]]、[[上南粉]]などを調製する。桜の葉を水に漬けておき、葉の塩を除く。生地の粉を餅粉や白玉粉から少しずつ水と合わせて置く。溶いた生地を薄く延ばして熱する。熱した後、粗熱を取る。焼き加減は周囲の水気が取れて乾く程度で、餅がしっとり仕上がるようにする。小豆の餡を丸めて、焼いた皮で包む。桜の葉を取り出し、真水で洗い水滴を除く。桜の葉を餅の表に巻くようにして付ける。色粉は粉の時点で混ぜておくと色が均等に出る。<ref name="recipe0">{{Cite web|和書|title=和菓子のレシピ、桜餅(さくら餅)|url=http://www.sueki.jp/03/03-0009.htm|date=2004-02-29|publisher=末廣屋喜一郎&伝統の和菓子文化普及委員会|accessdate=2015-07-31}}</ref><ref name="recipe1">[https://web.archive.org/web/20091005072610/http://sugar.lin.go.jp/recipe/rcp3.htm レシピ/桜餅]</ref>なお、長命寺前の店舗で販売されている桜餅は、皮は着色せず白いままであり、3枚の桜の葉を端が重なるように横に並べて包んでいる。
[[長谷川雪旦]]画「桜餅屋」『東都歳時記』天保九年(1838年)<ref>[http://sendan.kaisya.co.jp/kotobbak200801.html#mar2008 「桜餅」歳時記のかおり 三月、『香りと言葉』2008年3月号、月刊「e船団」、船団の会]</ref>は、「隅田川名物 さくらもち」の店の絵である。
 
=== 歴史(関東風) ===
[[歌川国芳]]の「諸鳥やすうりづくし」([[天保]]十三年頃、[[1842年]]頃)には、隅田川名物櫻もちを作る2羽の[[都鳥]]が描かれている。この桜餅は現代のものとは異なり、[[餡]]を使っていない。
[[下総国]][[銚子]]の出身で[[元禄]]4年([[1691年]])から長命寺の門番をしていた山本新六が、[[享保]]2年([[1717年]])に門前に「山本屋」を創業して売り出したのが始まりとされる<ref>{{Cite web|和書|title=長命寺 桜もち|url=http://www.wagashi.or.jp/tokyo_link/shop/1413.htm|year=2011|publisher=全国和菓子協会|accessdate=2015-07-31|quote=享保2年(1717年)初代山本新六が隅田川土手の桜の葉を集め、塩漬けにして桜餅を考案、向島の名跡長命寺の門前にて売り始めてそれから二百八十年余、隅田堤の桜と共に名物となった。}}</ref>。創業した年に[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川吉宗]]によって[[隅田川]]沿いに桜木の植栽が行われ、これを機に花見客が増加したことで発展していった。
 
もとは墓参の人をもてなした手製の菓子であったといわれ、桜餅の葉は落ち葉掃除で出た桜の葉を用いることを思い至ったからだという。隅田川の桜の落ち葉を醤油樽で塩漬けにし餅に巻いたとされるが<ref>{{Cite book|和書|author=岸朝子|title=東京五つ星の手みやげ|url=http://www.tokyo-shoseki.co.jp/books/79906/|publisher=東京書籍|year=2004|page=116-117|isbn=4-487-79906-6}}</ref>、はじめは桜の葉のしょうゆ漬けだったともいわれる。
[[歌川広重 (2代目)|歌川広重]]二代画・喜翁([[歌川国貞|歌川豊国]])三代筆「江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅」([[元治]]元年、[[1864年]])には、桜咲く墨堤を背景に、二人の女性が桜餅の袋を提げた竿の両端を持って歩いていく姿が描かれている。
 
文献などに[[文政]]のころ(1818-1830年)の桜餅屋のことが上がっている。[[曲亭馬琴]]他編の『兎園小説』の中で[[屋代弘賢]]が書いている内容から、盛況ぶりがうかがえる。
明治二十一年の夏に[[正岡子規]]が長命寺境内の山本屋の2階に泊まっていた際に、七草集にある「花の香を若葉にこめてかぐはしき桜の餅(もちひ)家づとにせよ」(明治二十一年、1888年)という歌を詠んでいる。
{{quote|去年甲申一年の仕込高、桜葉漬込卅壱樽、但し一樽に凡そ二万五千枚程入、葉数〆七拾七万五千枚なり、但し餅一に葉弐枚宛なり、此餅数〆卅八万七千五百、一つの価四文宛、此代〆壱千五百五拾貫文なり、金に直して二百廿ヒ両壱分弐朱と四百五拾文、但六貫八百文の相場、此内五拾両砂糖代を引き、年中平均して一日の売高四貫三百五文三分宛なり|屋代弘賢 |兎園小説(文政八年、1825年)}}
桜餅1つの「売値四文」は現在の価値に直すと、米の価格から換算した場合は推定で約63円、大工の賃金から換算した場合は約322円<ref>[https://web.archive.org/web/20171226235337/http://www.teiocollection.com/kakaku.htm 江戸時代の貨幣価値換算表]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20171117141314/http://www.imes.boj.or.jp/cm/history/historyfaq/1ryou.pdf 江戸時代の1両は今のいくら?]</ref>。また、[[喜多村信節]]著文政13年(1830年)自序の『嬉遊笑覧』には内容を変えて作られていることが記される。
{{quote|近年隅田川長命寺の内にて櫻の葉を貯へ置て櫻餅とて柏餅のやうに葛粉にて作るはしめハ[[粳米]]にて製りしがやがてかくかへたり|『嬉遊笑覧巻十上 飲食』(文政十三年、1830年)<ref>[{{NDLDC|992505}} 嬉遊笑覧]、1903年。</ref>}}
なお、[[三田村鳶魚]]著の『桜餅』には「不忍の新土手は文政三年の築造であるから、それより前に、長命寺の桜餅があったのである。」とあり、文政3年(1820年)より前に長命寺の桜餅はあったと推察している。
 
その他にも、桜餅はさまざまな絵画や詩文にも登場する。
=== 分布 ===
* [[長谷川雪旦]]画「桜餅屋」『東都歳時記』天保9年(1838年)<ref>[https://web.archive.org/web/20180412082637/http://sendan.kaisya.co.jp/kotobbak200801.html 「桜餅」歳時記のかおり 三月、『香りと言葉』2008年3月号、月刊「e船団」、船団の会]</ref>は、「隅田川名物 さくらもち」の店の絵である。
[[東北地方]]([[表日本|太平洋側]]および[[秋田県]])、[[関東地方]]、[[山梨県]]、[[静岡県]]、[[長野県]]、[[島根県]]東部、[[鳥取県]]西部へ分布している。
* [[歌川国芳]]の「諸鳥やすうりづくし」([[天保]]13年頃、[[1842年]]頃)には、隅田川名物櫻もちを作る2羽の[[都鳥]]が描かれている。この桜餅は現代のものとは異なり、[[餡]]を使っていない。
 
* [[歌川広重 (2代目)|歌川広重]]二代画・喜翁([[歌川国貞|歌川豊国]])三代筆「江戸自慢三十六興 向嶋堤ノ花并ニさくら餅」([[元治]]元年、[[1864年]])には、桜咲く墨堤を背景に、二人の女性が桜餅の袋を提げた竿の両端を持って歩いていく姿が描かれている。
[[日本#地域区分|日本の地域区分の一覧]]、[[藩の一覧]]、[[令制国一覧]]
* 明治21年の夏に[[正岡子規]]が長命寺境内の山本屋の2階に泊まっていた際に、七草集にある「花の香を若葉にこめてかぐはしき桜の餅(もちひ)家づとにせよ」(明治21年、1888年)という歌を詠んでいる。
 
;関東風桜餅が伝わった場所の分布
:*関東地方
:*東北地方(福島県、宮城県、岩手県、青森県旧[[南部藩]]地域、秋田県)
:<div style="height:1.5ex"></div>
:*山梨県、静岡県、長野県
::この地方は関東風桜餅の分布の外縁部にあたる。
:*石川県[[金沢市]]、島根県、鳥取県西部
::局所で伝えられた所もある。松江では桜餅を明治時代の初めに作り始め最初は餡餅式だったが、松江藩元家老有沢宗閑が御用菓子司であった面高屋に江戸風のものを作らせたことにより広まった<ref>[http://www1.pref.shimane.lg.jp/contents/kochokoho/esque/43/menu05.html 島根PR情報誌シマネスクVol.43]</ref>。
 
== 関西風桜餅 ==
[[File:Domyoji, hondou-2.jpg|thumb|[[道明寺 (藤井寺市)|道明寺]]<br>(関西風桜餅に用いる道明寺糒の発祥地)]]
[[名古屋]]以西で作られている桜餅は、'''道明寺餅'''ともいう。[[道明寺粉]]を用い、[[桜葉漬け|桜の葉]]で包んだ桜餅。伝統で典型的な和菓子の一つ。[[大阪府]][[藤井寺市]]に材料の道明寺粉の由来にもなったという[[道明寺_(藤井寺市)|道明寺]]がある。
[[File:Sakuramochi.jpg|thumb|関西風桜餅]]
関西風の「桜餅」は、蒸した[[もち米]]を乾燥させて粗く挽いた[[道明寺粉]]を用いた生地で餡を包んだ[[饅頭]]状の餅菓子<ref name=all-about />。[[大阪府]][[藤井寺市]]にある[[道明寺 (藤井寺市)|道明寺]]が道明寺粉([[道明寺 (藤井寺市)#道明寺糒・道明寺粉|道明寺糒]])の発祥地である。
 
関西地方のほかに、[[北海道]]、[[宮城県]]、[[福井県]]、[[甲信越地方]](長野県を除く)、[[東海地方]]、[[山陽地方]]、[[四国地方]]、[[九州地方]]などで主流となっている傾向がみられる<ref name="wn15&18" /><ref name="wn22" />。
=== 姿 ===
*葉は、1枚か2枚を用いている。
*餅は、玉状から扁平な形。
*餅は、弾力と粘りがある。
*餅の表は、粒味のある形。
*餅を葉の筋に沿って包んでいるか、両方から葉を合わせて被せている。
*[[道明寺粉]]を蒸して餅を作り、これに[[餡]]を詰め、桜の葉に包んだ構成。<ref name="recipe2" /><ref name="recipe1" />
 
関西風桜餅と同様に道明寺粉で餅を作り、上下を[[ツバキ|椿]]の葉2枚で挟んだ[[椿餅]]がある。桜餅の直前の時期([[早春]])の和菓子で、[[平安時代]]からあったとされるが桜餅とは別物で、店によっては[[ニッケイ|ニッキ]]で着色風味付けがされているケースもあり、その場合は[[八ツ橋|生八ツ橋]]に近い。
=== 製法 ===
材料は塩漬けの桜の葉、[[道明寺粉]]、小豆の[[餡]]。[[もち米|糯米]]を浸け置き、水切り蒸し上げ、天日干しして乾いたら石臼などで挽いて砕と、道明寺粉ができる。粒の大きさによって、道明寺餅の食感は変わる。葉の塩は、水で抜く。水を吸わせた道明寺粉を蒸し上げる。[[砂糖]]は蒸した後で混ぜるか、水に溶いて吸わせる。餅を平らに広げて餡を詰め形を整え、桜の葉で包む。色粉は、粉か砂糖水に混ぜる。<ref name="recipe2">
{{cite web
|title=和菓子のレシピ、道明寺
|url=http://www.sueki.jp/03/03-0011.htm
|date=2004-04-24
|publisher=末廣屋喜一郎&伝統の和菓子文化普及委員会
|accessdate=2015-07-31}}
</ref><ref name="recipe1" />
 
=== 歴史姿(関西風) ===
* 葉は、1枚か2枚を用いている。
長命寺の人気にならって、大坂では北[[堀江 (大阪市)|堀江]]の土佐屋に[[天保]](1830〜1844年)の頃に現れたという<ref>
* 餅は、玉状から扁平な形。
{{citation
* 餅は、弾力と粘りがある。
|year=1998
* 餅の表は、粒味のある形。
|contribution=桜餅
* 餅を葉の筋に沿って包んでいるか、両方から葉を合わせて被せている。
|title=CD-ROM世界大百科事典
* [[道明寺粉]]を蒸して餅を作り、これに[[餡]]を詰め、桜の葉に包んだ構成。<ref name="recipe2" /><ref name="recipe1" />
|edition=第2
|publisher=平凡社,日立システムアンドサービス
|url=http://www.mypaedia.jp/netencyhome/
}}
</ref>。
東京製菓学校では、長命寺がもとと考えているが、根拠は挙げていない。<ref>
{{cite web
|title=和菓子ヒストリー『桜餅』
|url=http://www.tokyoseika.ac.jp/news/2010/03/post-43.html
|date=2010-03-26
|publisher=東京製菓学校
|accessdate=2010-12-17
|quote=もともとは江戸で考案された和菓子で、のちに関西へ伝わる際に道明寺粉にアレンジされたのではと思われます。}}
</ref>もち米でできた昔からの桜餅が、古くから伝わる和菓子の流れに合って各地に広まっている。同じように道明寺粉で作った餅を椿葉で挟む[[椿餅]]がある。
 
=== 分布製法(関西風) ===
材料は塩漬けの桜の葉、[[道明寺粉]]、小豆の[[餡]]。[[もち米|糯米]]を浸け置き、水切り蒸し上げ、天日干しして乾いたら石臼などで挽いて砕くと、道明寺粉ができる。粒の大きさによって、道明寺餅の食感は変わる。葉の塩は、水で抜く。水を吸わせた道明寺粉を蒸し上げる。[[砂糖]]は蒸した後で混ぜるか、水に溶いて吸わせる。餅を平らに広げて餡を詰め形を整え、桜の葉で包む。色粉は、粉か砂糖水に混ぜる。<ref name="recipe2">{{Cite web|和書|title=和菓子のレシピ、道明寺|url=http://www.sueki.jp/03/03-0011.htm|date=2004-04-24
[[北海道]]、[[東北地方]]([[裏日本|日本海側]]、[[宮城県]])、[[中部地方]]([[北陸地方]]、[[愛知県]]、[[岐阜県]])、[[関西地方]]以西に分布している。
|publisher=末廣屋喜一郎&伝統の和菓子文化普及委員会|accessdate=2015-07-31}}</ref><ref name="recipe1" />
 
=== 歴史(関西風) ===
[[日本#地域区分|日本の地域区分の一覧]]、[[藩の一覧]]、[[令制国一覧]]
関東風桜餅の人気にならって、大坂では北[[堀江 (大阪市)|堀江]]の土佐屋に[[天保]](1830〜1844年)の頃に現れたという<ref>{{citation|year=1998|contribution=桜餅|title=CD-ROM世界大百科事典|edition=第2|publisher=平凡社,日立システムアンドサービス|url=http://www.mypaedia.jp/netencyhome/}}</ref>。東京製菓学校では、関東風桜餅が元になったと考えているが、根拠は挙げていない<ref>{{Cite web|和書|title=和菓子ヒストリー『桜餅』|url=http://www.tokyoseika.ac.jp/news/2010/03/post-43.html|date=2010-03-26|publisher=東京製菓学校|accessdate=2010-12-17|quote=もともとは江戸で考案された和菓子で、のちに関西へ伝わる際に道明寺粉にアレンジされたのではと思われます。}}</ref>。もち米でできた昔からの桜餅が、古くから伝わる和菓子の流れに合って各地に広まっている。
 
;関西風桜餅が伝わった場所の分布
:*近畿地方、北陸地方、中国地方、四国地方、九州地方
:<div style="height:1.5ex"></div>
:
:*東北地方日本海側(山形県[[庄内地方]]、青森県[[津軽地方]])
:*北海道
::[[北前船]]で北方へ伝えられた。
:
:*宮城県
:<div style="height:1.5ex"></div>
:
:*関東地方、山梨県、静岡県、長野県
::この地方では道明寺と呼ぶ。
:
:ただし、道明寺粉を用いる方法が分布してない下記の場所は除かれる。
:*秋田県、および石川県[[金沢市]]
::この地方は関東風桜餅が伝わったところである。
 
== その他の桜餅 ==
その他にも日本各地に異なる形状の「桜餅」が存在している。
現在の'''桜餅'''と呼ばれる物には、上に書いたような伝統的なものだけでなく、さまざまに変わったものもある。
 
;長八さくらもち
; 長八さくらもち
:長八さくらもちは、桜の葉の産地である[[伊豆半島|伊豆]]で作られる桜餅。米粉と餅粉で作った皮で粒餡を大福のように包んだものと、上新粉の皮でこしあんを二つ折りに包んだものの2種類がある。いずれも伊豆で作られた塩漬けの桜の葉を2枚用いて中身をほぼ完全に包んでいるのが特徴である。
: 桜の葉の産地である[[伊豆半島|伊豆]]で作られる桜餅。米粉と餅粉で作った皮で粒餡を大福のように包んだものと、上新粉の皮でこしあんを二つ折りに包んだものの2種類がある。いずれも伊豆で作られた塩漬けの桜の葉を2枚用いて中身をほぼ完全に包んでいるのが特徴である。
;ひとひら桜餅
:; ひとひら桜餅は、[[鎌倉]]の二つ折りの桜餅である。
: [[鎌倉]]で作られる二つ折りの桜餅。
;みどりの桜もち
; みどりの桜もち
:島根県[[雲南市]](旧[[三刀屋町]]地域)には「みどりの桜もち」という、薄い緑色をした桜餅がある。これは三刀屋町にある[[ギョイコウ|御衣黄]](ぎょいこう)という、花弁が緑色をした桜をヒントに作られたものである。
: 島根県[[雲南市]](旧[[三刀屋町]]地域)で作られる薄い緑色をした桜餅。これは三刀屋町にある[[ギョイコウ|御衣黄]](ぎょいこう)という、花弁が緑色をした桜をヒントに作られたものである。
 
== 材料 ==
=== 桜の葉 ===
[[File:Sakuramochi4.JPG|thumb|桜餅の桜の葉]]
桜の生の葉には塩漬けの香りはなく、桜の葉を塩漬けにすることで香る。桜の葉は香りを添え、葉で包むことによって内容物の乾燥を防ぐ。葉がやわらかく毛が少ない[[オオシマザクラ]]の葉を塩漬けにして使う。この塩漬けの桜の葉は、全国シェアの70%ほどが[[伊豆半島]]の[[松崎町]]で生産されている。餅の大きさとの外観上のバランスから、関東では大きめの葉、近畿では小さめの葉を好んで使う傾向がある。
桜の生の葉には塩漬けの香りはなく、桜の葉を塩漬けにすることで香る。桜の葉は香りを添え、葉で包むことによって内容物の乾燥を防ぐ。葉がやわらかく毛が少ない[[オオシマザクラ]]の葉を塩漬けにして使う<ref name="桜葉">{{Cite web|和書|url= https://weathernews.jp/s/topics/201803/230105/ |title=「桜餅」の葉っぱ シェア7割の産地とは|publisher=ウェザーニュース|accessdate=2021-8-21}}</ref>。この塩漬けの桜の葉は、全国シェアの70%ほどが[[伊豆半島]]の[[松崎町]]で生産されている{{r|桜葉}}
。餅の大きさとの外観上のバランスから、関東では大きめの葉、近畿では小さめの葉を好んで使う傾向がある。
 
桜餅の独特の芳香は、この桜の塩蔵葉に含まれる香り成分の[[クマリン]]による。桜餅はの葉をそのまま食べてもよいが[[全国和菓子協会]]の見解では菓子本来の味を感じるために桜の葉は食べないこと取り外推奨している<ref>[https://j-town.net/tokyo/news/localnews/278700.html 桜餅の葉っぱ、どうする? 全国和菓子協会の見解は「食べてもないで!」]Jタウンネット2019年4月21日</ref>。そのまま食べてもよい。肝毒性を持つる場合は、クマリンは[[食品添加物]]としては認められていないのおらず肝毒性も持つため、過剰摂食には注意が必要ある<ref>{{Cite web|和書
|url=https://web.archive.org/web/20160305150313/http://www.ffcr.or.jp/__4925659f000b0c5d.nsf/0/7dc30c3a678009634925696d0020137f?OpenDocument&Highlight=2,_j221ks443fk8872ggge9g_|title=FDA CFR21 189-C-130(クマリン)アメリカ食品医薬品局|date=1989-01-12|publisher=財団法人 日本食品化学研究振興財団|accessdate=2009-04-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=厚生労働省行政情報-通知-食品衛生法施行規則及び食品、添加物等の規格基準の一部改正について|url=https://web.archive.org/web/20171017162326/http://www.ffcr.or.jp/__492565a9002172b7.nsf/0/eb255c3e1e55eee7492566c10010a1f1?OpenDocument&Highlight=2,_j221ks443fk8872ggge9g_|date=1971-03-17|publisher=財団法人 日本食品化学研究振興財団|accessdate=2009-04-17}}</ref>。
{{cite web
|url=http://www.ffcr.or.jp/__4925659f000b0c5d.nsf/0/7dc30c3a678009634925696d0020137f?OpenDocument&Highlight=2,_j221ks443fk8872ggge9g_
|title=FDA CFR21 189-C-130(クマリン)アメリカ食品医薬品局
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{{cite web
|title=厚生労働省行政情報-通知-食品衛生法施行規則及び食品、添加物等の規格基準の一部改正について
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|date=1971-03-17
|publisher=財団法人 日本食品化学研究振興財団
|accessdate=2009-04-17}}
</ref>、美味とはいえ極端に摂食しすぎることには注意が必要である。
また桜餅元来の色は、葉から浸出した色素成分カロテノイドによる。
 
<!-- 何に? -->上記のクマリンおよびテルペンの芳香、テアニンが微量に含まれるので、奈良時代ごろには梅の蕾と共に口臭予防効果として口に含む風習があった。
 
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=== 餅と餡 ===
* 桜餅の材料の白いもち米からは白い餅ができるが、桜色はもとの色でなく後から付けているものもある。
* 家庭などで材料を調えるのが難しい場合、もち米を硬めに炊くことでも代用できる。
* 九州では、もち米の炊いたもので作られることがある。
* かつては、関東では漉し餡を、関西では粒餡を用いることが多かった。
 
== 古典における記載 ==
古文書に表れる「桜餅」を示す。
* 桔梗屋菓子目録
*: [[南方熊楠]]によれば、桜餅の知られている出現は[[天和 (日本)|天和]]3年([[1683年]])である。[[大田南畝]]の著「一話一言」に登場する京菓子司桔梗屋の河内大掾が菓子目録に載せたという<ref>{{Cite web|和書|title=御菓子司 鶴屋寿 歴史 桜餅発祥の地「京都」。|url=http://www.sakuramochi.jp/history/index.html|year=2004|publisher=御菓子司 鶴屋寿|accessdate=2012-02-04|quote=大田南畝(おおたなんぽ)の随筆『一話一言』(一)に登場する京御菓子司「桔梗屋」の河内大掾が菓子目録「御菓子品々」の中に“さくら糖”、菓子目録「御茶菓子丸蒸物類」の中に“さくらもち”を載せたといいます。}}</ref>。天和三年には桔梗屋菓子目録が出版され<ref>{{Cite web|和書|title=お菓子の歩み (明治末期迄)|url=http://kyotokashioroshi.jp/okashi03.html|publisher=京都府菓子卸商業組合|accessdate=2012-02-04|quote=天和 3 1683 江戸“桔梗屋菓子目録”出版さる。(一話一言}}</ref>、桔梗屋は江戸に店舗を構えた<ref>{{Cite web|和書|title=和菓子のあゆみ 京の菓子と江戸の菓子|url=http://www2u.biglobe.ne.jp/%257egln/55/5511/551105a.htm|date=2006-03-16|publisher=GLN(GREEN & LUCKY NET)からこんにちは|accessdate=2012-02-04|quote=天和<small>テンナ</small>3年(1683)には,京菓子司として御所上納の家柄である桔梗屋が,今の東京日本橋一丁目に店舗を構えました。}}</ref>。これは蒸菓子であり、後の世の桜餅とは別物のようである。昔の作り方では、餅を桜の葉で包み、[[蒸籠]]で蒸すやり方がある。
* 男重宝記
*: 男重宝記([[元禄]]六年、1693年)に「桜」とあるところに桜の五弁の花びらを模した桜餅の図が載っていて、その傍らに「中へあん入れる」と記されている<ref>吉野屋藤兵衛、[{{NDLDC|2543221}} 新板増補男重宝記]、亀田文庫、1702年。</ref>。
* 茶湯献立指南(元禄九年、1696年)
 
== 脚注 ==
{{Commonscat|Sakura mochi}}
{{脚注ヘルプ}}
<div class="references-small"><references /></div>
 
== 外部リンク ==
*{{Commonscat-inline|Sakura mochi}}
 
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{{DEFAULTSORT:さくらもち}}
[[Category:餅菓子]]
[[Category:桜に関する文化]]
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