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{{Infobox baseball player
| 選手名 = 小林 宏之
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|選手写真ファイル名 画像 = Hiroyuki Kobayashi 2010.jpg
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|写真のコメント 画像説明 = ロッテ時代(2010年5月12日)
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|写真のコメント = ロッテ時代(2010年5月12日)
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| プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1996}}
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|プロ入り年度 ドラフト順位 = {{NPBドラフト|1996}}4位
|最終出場 = NPB / 2014199887284
|ドラフト順位 = ドラフト4位
| 最終出場 = NPB / 1998201478428
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|最終出場 = NPB / 2014年8月28日
| 経歴 =
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|経歴 =
* [[春日部共栄中学高等学校|春日部共栄高等学校]]
* [[千葉ロッテマリーンズ]] (1997 - 2010)
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* [[信濃グランセローズ]] (2014)
* [[埼玉西武ライオンズ]] (2014)
| 経歴補足題 = 監督・コーチ歴
| 経歴補足 =
* 信濃グランセローズ (2014)
* [[武蔵ヒートベアーズ]] (2015 - 2017)
| 代表チーム = {{Flagicon|JPN}} [[野球日本代表|日本]]
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{{MedalGold|[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|2006]]|野球}}
{{MedalBottom}}
'''小林 宏之'''(こばやし ひろゆき、[[1978年]][[6月4日]] - )は、[[埼玉県]][[草加市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])、[[プロ野球監督]]。愛称は「'''コバヒロ'''」<ref>{{Cite web ja |title=「ひちょり対コバヒロ」1打席ガチンコ勝負 三ゴロでコバヒロに軍配 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/06/05/kiji/20210605s00001173381000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2021-06-05 |accessdate=2021-06-05}}</ref><ref>{{Cite web ja |title=“8回の男”小林宏ホッ!10日ぶりホールド |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/05/16/kiji/K20110516000831110.html |website=スポニチ Sponichi Annex |date=2011-05-16 |accessdate=2021-06-05}}</ref>
 
2010年から2012年および2014年西武在籍時の[[登録名]]は、姓名の区切りがない'''小林宏'''(こばやしひろ)。
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== 経歴 ==
=== ロッテ時代 ===
[[春日部共栄中学高等学校|春日部共栄高校]]からでは3年春の県大会優勝、夏はベスト8<ref name="名鑑1998">1998プロ野球プレイヤーズ名鑑 スポーツニッポン新聞社</ref>。{{by|1996年}}の[[1996年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト会議]]で[[千葉ロッテマリーンズ]]より4位指名を受けて入団。同校はプロ野球選手を多数輩出しているが、大学や社会人を経ずに直接プロ入りしたのは小林が初めてだった。
 
1年目は[[フレッシュオールスターゲーム|ジュニアオールスター]]に出場し{{R|名鑑1998}}、{{by|1998年}}(2年目)に一軍初登板を果たした。
 
{{by|1999年}}と{{by|2000年}}は一軍登板はなかった。
 
{{by|2001年}}(5年目)終盤から一軍に定着。この年7月9日の対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]18回戦([[千葉マリンスタジアム]])で、10回表に[[藤田宗一 (投手)|藤田宗一]]が[[大道典嘉]]3ラン[[本塁打]]を浴びて3点ビハインドとなった場面で藤田の後を受けて登板し、1/3回を無失点に抑えると、10回裏の攻撃で[[フランク・ボーリック]]が満塁本塁打を放ち逆転[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]勝利となったことでプロ初勝利を挙げた。この年は22試合に登板し、防御率3.70の成績を残した。
 
{{by|2002年}}シーズン当初[[先発投手]]として起用されたが、結果を出せず[[リリーフ#中継ぎ|セットアッパー]]に転向し活躍した。8回を小林宏之・9回を[[小林雅英]]と繋ぐ投手リレーは「小林リレー」と呼ばれ、勝ちパターンの継投として定着した。また、[[2002年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]にも初出場を果たした。この年は58試合に登板し、防御率2点台だった。
 
{{by|2003年}}開幕からリリーフとして活躍。シーズン中盤に再び先発に復帰し、そのまま[[先発ローテーション]]に定着。プロ入り後初めて[[規定投球回]]に到達したほか2桁勝利を達成した。最終的に50試合に登板した。
 
{{by|2004年}}開幕前当時18歳の女性と入籍。なぜか「交際期間6年」という、事実と異なる話が流布してしまう<ref>{{Cite book |和書ja |author=鈴木長月 |year=2014 |title=千葉ロッテマリーンズあるある |publisher=[[TOブックス]] |page=112 |isbn=978-4-86472-251-3}}</ref>。このシーズン同年は先発ローテーションの一角として初めてシーズン通して先発起用され、8月には自身初の[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]も獲得したが、9勝と2桁勝利に届かなかった。
 
{{by|2005年}}は[[セ・パ交流戦]]中、打撃では打率3割に3打点、投げては6試合で5勝0敗という成績を残し、チームの交流戦優勝に貢献。初代の交流戦MVPも獲得した。交流戦の対[[読売ジャイアンツ]]戦では登板直前に長男が誕生。本人曰く「睡眠時間3時間ぐらい」というコンディションの中、粘投を見せ勝利を収め、試合後の[[ヒーローインタビュー]]で長男の誕生に喜びを見せた。レギュラーシーズンでも[[清水直行]]・[[渡辺俊介]]とともに先発三本柱の一角として活躍し、12勝6敗、[[防御率]]3.30の成績を挙げた。[[2005年のパシフィック・リーグプレーオフ|プレーオフ]]、[[2005年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも活躍し、チームの日本一に貢献した。翌年1月1日に[[TBSテレビ|TBS]]系で放送された『[[最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦|スポーツマンNo.1決定戦]]』では、初出場ながらモンスターボックスで16段、ショットガンタッチで12m50cmを記録し、総合6位に入った。
 
[[ファイル:WBC2006 Hiroyuki Kobayashi.jpg|thumb|2006年WBCでの小林]]
{{by|2006年}}は開幕前の3月に開催された[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]の[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|WBC日本代表]]に選出された。しかし、渡米中に発熱を起こすなど調子が上がらず、[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック#第2ラウンド|第2ラウンド]]以降登板することはなかった。
 
シーズンではWBCの影響で足を故障し開幕から出遅れたが、4月26日の対[[オリックス・バファローズ]]戦で初登板、2安打[[完封]]、98球で勝利。その後、シーズン最終登板となった対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]戦で10勝目を挙げ、2年連続の2桁勝利を記録した。翌年1月1日に[[TBSテレビ|TBS]]系で放送された『[[最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦|スポーツマンNo.1決定戦]]』では、初参加ながらショットガンタッチで12 m 50 cmを記録し総合6位に入った。
 
{{by|2007年}}はシーズンを通して先発ローテーションを守り、自己最多の投球回を達成。13勝を挙げて3年連続の2桁勝利となった。[[2007年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]でも第1ステージ第2戦・第2ステージ第2戦で先発したが、第1ステージでは2回途中6失点の大乱調で敗戦、第2ステージでは足の痙攣が治まらず4回途中に降板した。同年は[[第24回アジア野球選手権大会日本代表|北京五輪アジア予選日本代表]]に選出され、初戦の対フィリピン戦を打者3人、2奪三振で締めた。背番号はロッテでの41を[[稲葉篤紀]]に譲って14を着けた。オフには[[ポスティングシステム]]による[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]移籍の希望を球団に訴えたが認められず、総額2億円+出来高の2年契約を結んだ。
 
{{by|2008年}}はプロ12年目で初めて[[開幕投手]](対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦)に指名された。相手投手の[[ダルビッシュ有]]と投げ合い、6回途中まで無失点に抑えたものの足の痙攣で降板し、敗戦投手となった。それ以降は右肩痛を発症したこともあり不調が続き、シーズン最終的に5勝12敗自己ワーストの防御率5.02に終わった。
 
{{by|2009年}}は先発ローテーションの一角を担ったが4勝止まりでリーグワーストの13敗を喫し、防御率4.292年けて[[規定投球回]]到達に終わできなかった。救援時にとしては4試合登板して無失点に抑え、[[WHIP]]0.78,、被打率.130と好成績を残したため、シーズンオフにクローザーへ転向した<ref>{{Cite book|和書|author= ja |year=2010 |title=野球小僧 世界野球選手名鑑2010 |publisher=白夜書房 |pagespage=128 |id=ISBN 978-4-86191-595-6}}</ref>。
 
{{by|2010年}}4月6日より登録名を'''小林宏'''に変更。1998年から2007年までは小林雅英が、2008年と2009年は[[小林憲幸]]が同じ球団に所属していたため、スコアボードや新聞上では「小林宏」の表記が使われていた。2010年シーズンは同姓の選手がいなくなったが、本人は「小林宏」表記に愛着を持っており、「小林」に対し違和感があったことから、[[山本昌]]と同様に名字と名前の一文字目を組み合わせて姓名の区別を付けない登録名にしたものであった。シーズンでは[[オープン戦]]で右肘を痛めたため開幕を二軍で迎え、状態によっては長期離脱の可能性もあったが、開幕7戦目となる3月30日の対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦で一軍に復帰し、初[[セーブ]]を挙げた。4月26日に海外[[フリーエージェント (プロスポーツ)|フリーエージェント]] (FA) 権を取得<ref>[http{{Cite web ja |url=https://www.marines.co.jp/news/detail/4609.html |title=海外FAの権利を取得した小林宏投手のコメント] - |publisher=千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト |date=2010年4月-04-26日閲覧 |accessdate=2010-04-26}}</ref>。最終的に3勝3敗29セーブ、防御率2.21, WHIP1.07と好成績を残したが、開幕から5月まで防御率0.00, WHIP0.72, 8月に月間防御率0.69, 同WHIP1.08と好投した一方で、6月は月間防御率5.19, 同WHIP1.73と不調に陥ったほか、9月には月間防御率4.72と救援失敗が相次ぎ、終盤にはセーブ機会でも登板を回避されるなど月によって好不調波が激しいシーズンとなった。オフには夢であったメジャーリーグを目指し、FA権を行使。球団は慰留せず、宣言残留を認めないことを伝えた。その後、複数のメジャー球団が興味を示していると報じられたが、メジャー契約のオファーはなかった。
 
=== 阪神時代 ===
{{by|2011年}}1月20日にFA権行使直後より[[久保田智之]]・[[藤川球児]]に繋ぐ中継ぎの軸として獲得意思を表明していた[[阪神タイガース]]と初交渉し、阪神入団を表明<ref>{{Cite web ja |url=https://hanshintigers.jp/news/topics/info_1657.html |title=小林宏之選手入団記者会見 |website=阪神タイガース公式サイト |date=2011-01-28 |accessdate=2024-05-03}}</ref>。推定2年総額5億円で大筋合意した。そして同年1月28日に入団会見を開き、背番号はロッテ時代と同じ「41」となった。獲得前からの球団の方針で開幕からセットアッパーとして8回のマウンドを任された。しかしシーズン前半戦は6度の救援失敗(うち4敗)を喫するなど不振で7月26日の対[[中日ドラゴンズ]]戦で移籍後初勝利を挙げたものの、調子は上がらず8月28日に二軍落ち。9月30日に再び一軍登録されたものの、10月4日の対[[東京ヤクルトスワローズ]]戦で失点を喫するなど最後まで不安定なままシーズンを終えた。最終的に42試合の登板で1勝5敗21ホールド、防御率3.00の成績に終わった。尚、中継ぎ登板だけでシーズンを終えたのはロッテ時代の1998年以来13年ぶりとなる
 
[[ファイル:HT-Hiroshi-Kobayashi20120314.jpg|サムネイル|阪神時代(2012年3月14日)]]
{{by|2012年}}は3年ぶりに先発への再転向を期したが不振で一軍昇格はなく、10月2日に[[戦力外通告]]を受けた<ref>{{Cite web ja |date=2012-10-02 |url=httphttps://hanshintigers.jp/news/topics/info_2548.html |title=来季の選手契約について |publisher=阪神タイガース公式サイト |accessdate=2012-10-02}}</ref>。11月18日に古巣ロッテの鴨川秋季[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]で入団テストを受けたが、2回を投げ6安打5失点の結果で<ref>[{{Cite web ja |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2012/11/18/0005535888.shtml |title=ロッテ追試の小林宏2回6安打5失点] - |publisher=デイリースポーツ online |date=2012-11-18 |accessdate=2021-09-23}}</ref>不合格となった<ref>{{Cite web ja |date=2012-11-25 |url=http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2012112500089 |title=時事ドットコム:GGGG佐藤を獲得=小林宏は不合格-プロ野球・ロッテ |publisher=時事ドットコム |accessdate=2012-11-25}}</ref>。
 
=== 独立リーグ時代 ===
{{by|2013年}}1月31日に[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|ロサンゼルス・エンゼルス]]とマイナー契約で合意し、2月14日に契約<ref>[{{Cite web ja |url=http://losangeles.angels.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20130201&content_id=41322552&vkey=news_ana&c_id=ana |title=Angels ink Japanese reliever Kobayashi to Minors deal] |publisher=MLB.com, |date=2013年2月5日。-02-05 |accessdate=2021-09-23}}</ref><ref>[{{Cite web ja |url=http://www.sanyo.oni.co.jp/news_k/news/d/2013020101001433/ |title=前阪神の小林がエンゼルスに マイナー契約で] [[|publisher=山陽新聞]]、 |date=2013年2月1日11:49配信、同日閲覧-02-01 |accessdate=2013-02-01}}</ref><ref>[{{Cite web ja |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2013/02/01/0005710792.shtml |title=前阪神の小林がエンゼルスに] [[デイリースポーツ|publisher=Daily Sports Online]], |date=2013年2月1日配信、同日閲覧-02-01 |accessdate=2013-02-01}}</ref>。[[スプリングトレーニング]]に招待選手として参加していたが、3月4日に自由契約となった。8月14日に[[ベースボール・チャレンジ・リーグ]](BCリーグ)の[[群馬ダイヤモンドペガサス]]へ入団<ref>[{{Cite web ja |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/npb/headlines/article/20130814-00000085-jij |title=小林宏がBC群馬入団=野球独立リーグ] - |publisher=スポーツナビ online |date=2013年8月-08-14 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。7試合の登板で2勝1敗、防御率3.14とまずまずの成績を残したが、11月2日に自由契約となり、退団が発表された<ref>[{{Cite web ja |url=http://www.bc-l.jp/modules/bclnews/index.php?page=article&storyid=2431 |title=退団選手決定のお知らせ] - |publisher=BCリーグ |date=2013-11月2日-02 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。11月22日に行われた、2013年度第2回[[12球団合同トライアウト]]に参加した<ref name="sponavi20131122">{{citeCite web ja news|title=前広島・三家が3安打1盗塁とアピール!元阪神・小林宏は2安打許す |url=http://live.sportsnavi.yahoo.co.jp/live/sports/baseball_npb/1930 |publisher=[[スポーツナビ]] |date=2013-11-22 |accessdate=2013-11-29}}</ref>が、獲得に乗り出す球団はなかった。
 
{{by|2014年}}1月、2013年中に獲得を検討していた[[台湾プロ野球]]・[[統一セブンイレブン・ライオンズ]]への入団を希望したが、統一側は入団テストを行うことなく採用を見送った。2月12日にBCリーグの[[信濃グランセローズ]]に入団することが報道され<ref>[http{{Cite web ja |url=https://www8.shinmai.co.jp/grandserows/article.php?id=GRAN20140213001850 |title=小林宏之投手を獲得 ロッテで2度の日本一経験] |publisher=信濃毎日新聞社 |date=2014-02-13 |accessdate=2021-09-23}}</ref>、2月20日に投手コーチ兼任で正式に入団<ref>[{{Cite web ja |url=http://www.grandserows.jp/_contents/news.php?newsid=404 |title=小林 宏之の入団記者会見] |publisher=信濃グランセローズ公式サイト |date=2014-02-21 |accessdate=2021-09-23 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20140226082359/http://www.grandserows.jp/_contents/news.php?newsid=404 |archivedate=2014-02-26}}</ref>。信濃入団後は、セットアッパーとして26試合に登板。2勝1敗、防御率1.26の成績を残した。
 
=== 西武時代 ===
2014年7月21日に[[埼玉西武ライオンズ]]が獲得を発表、2年ぶりに[[日本野球機構|NPB]]に復帰することになり<ref>[http{{Cite web ja |url=https://www.seibulions.jp/news/detail/9185.html |title=選手獲得について] |publisher=埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト |date=2014年7月-07-21日配信 |accessdate=2021-09-23}}</ref>、翌7月22日に入団会見を行った。背番号は「52」<ref>[http{{Cite web ja |url=https://www.seibulions.jp/news/detail/9187.html |title=小林宏之投手 入団会見] |publisher=埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト |date=2014年7月-07-22日配信 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。登録名は2010年から2012年まで使用していた'''小林宏'''になった<ref>[http{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20140723-1339082.html |title=西武小林宏「死ぬ気で」年俸は600万円] [[|publisher=日刊スポーツ|nikkansports.com]], |date=2014年7月-07-23日配信 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。7月25日の対ロッテ戦([[西武ドーム]])でNPBでは2011年10月4日以来、1,0251025日ぶりに一軍登板を果たし、6回の1イニングを2与四球1奪三振の無失点で抑えた<ref>[http{{Cite web ja |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/07/26/kiji/K20140726008630710.html |title=西武・小林宏、笑顔の零封 阪神時代以来1025日ぶり登板] [[|publisher=スポーツニッポン]]、 |date=2014年7月-07-26日配信 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。その後は中継ぎとして15試合に登板したが、防御率7.94と不安定な成績だった。に終わり、10月2日球団から戦力外通告を受け<ref>[http{{Cite web ja |url=https://www.seibulions.jp/news/detail/9411.html |title=埼玉西武ライオンズ選手来季契約について] |publisher=埼玉西武ライオンズ オフィシャルサイト |date=2014-10月2日配信-02 |accessdate=2021-09-23}}</ref>、同月22日に現役引退を表明した<ref>[{{Cite web ja |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/22/kiji/K20141022009152350.html |title=元ロッテの小林宏が引退表明 独立Lから西武入りも結果残せず…] |publisher=スポーツニッポン |date=2014-10-22日配信 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。
 
=== 引退後 ===
{{by|2015年}}1月8日、BCリーグ・[[武蔵ヒートベアーズ]]の投手コーチに就任<ref>[{{Cite web ja |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2015/01/09/kiji/K20150109009595640.html |title=コバヒロ BC武蔵投手コーチ就任 監督は星野おさむ氏] |publisher=スポーツニッポン |date=2015年1月9日配信-01-09 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。5月8日、監督の[[星野おさむ]]が退任したことに伴い監督代行に就任<ref>{{PDFlinkCite web ja |[url=http://toho06.creative-japan.org/musa2/goods/pdf/20150508_4_5149765new%20manager.pdf |title=小林宏之投手コーチ、監督代行就任のお知らせ]}} |publisher=武蔵ヒートベアーズ |date=2015年5月8日配信-05-08 |accessdate=2021-09-23 |format=PDF}}</ref>。[[三ツ間卓也]]に「プロに行くにはスピードが必要」と、オーバースローからサイドハンドへの転向を勧め、三ツ間の筋トレによる肉体改造も奏功し球速は10キロ10km/h近く上がって150km/hになり、[[2015年度新人選手選択会議 (日本プロ野球) |2015年のNPB育成ドラフト会議]]で[[中日ドラゴンズ]]から3巡目指名された<ref>[{{Cite web ja |url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/204228 |title=開幕からブレーク 無名選手の正体 先祖に菅原道真 中日・三ツ間卓也は雑草右腕で天然キャラ] 2017年4月26日、|publisher=日刊ゲンダイ |date=2017-04-26 |accessdate=2021-09-23}}</ref>。シーズン終了後の11月2日、{{by|2016年}}より監督を務めることが発表された。武蔵では代行を含めて約3シーズン指揮を執め、{{by|2017年}}11月10日、監督退任が発表された<ref>[{{Cite web ja |url=http://www.bc-l.jp/team_news/musashi_news/27230 |title=監督小林宏之 退任のお知らせ] - |publisher=ベースボール・チャレンジ・リーグ ニュースリリース(2017年 |date=2017-11-10日) |accessdate=2021-09-23}}</ref>。
 
2017年11月29日にロッテ球団で少年野球指導をおこなう「マリーンズ・ベースボール・アカデミー」のコーチに就任することが発表された<ref>{{Cite newsweb ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201711290000494.html |title=小林宏之氏が古巣ロッテにアカデミーコーチで復帰 |newspaperwebsite=日刊スポーツ |date=2017-11-30 |accessdate=2017-12-02}}</ref>。2021年からは同アカデミーの監督を兼務<ref>{{Cite web ja |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20211006-110 |title=マリーンズ・ジュニア2021のメンバーが決定! |website=週刊ベースボールONLINE |date=2021-10-06 |accessdate=2021-12-31}}</ref>。
 
== 選手としての特徴 ==
制球良く低めにボールを集める投球が持ち味で、球持ちの良さにも定評がある<ref>{{Cite book |和書ja |author=小関順二、泉直樹、荒井太郎 |year=2006 |title=プロ野球スカウティングレポート2006 |publisher=アスペクト |page=25 |isbn=4-7572-1246-1}}</ref><ref name="re07report2007">{{Cite book |和書ja |author=小関順二、西尾典文、泉直樹 |year=2007 |title=プロ野球スカウティングレポート2007 |publisher=アスペクト |page=133 |isbn=978-4-7572-1338-8}}</ref>。[[速球|ストレート]]は150km/h近い数値を計測し、変化球は[[スライダー (球種)|スライダー]]、[[フォークボール|フォーク]]、[[チェンジアップ]]を投じる<ref>{{Cite book ja |和書author1=小関順二 |authorauthorlink1=[[小関順二]]、 |author2=西尾典文 |author3=泉直樹 |year=2008 |title=プロ野球スカウティングレポート2008 |publisher=[[アスペクトムック]] |page=288 |id=ISBN 978-4-7572-1439-2}}</ref>。特に落ちる球が得意で、奪三振率が高い<ref>{{Cite book ja |和書| year=2007 |title=野球小僧 世界野球選手名鑑2007 |publisher=白夜書房 |page=50 |isbn=978-4-86191-246-7}}</ref><ref name="re07" />{{R|report2007}}
 
反射神経の良さから、打球を足で止めようとして打撲することがある。かつてはサッカー選手を夢見たこともあり、「無意識にトラップしようとしちゃう」と述べている<ref>{{Cite book |和書ja |year=2005 |title=おめでとう!千葉ロッテ日本一 |publisher=日刊スポーツ出版社 |page=68 |isbn=978-4-8172-5279-1}}</ref>。
 
== 人物 ==
現役のロッテ時代には端正な顔立ちから圧倒的な女性人気を誇り、茶色のさらさらヘアをなびかせて時には髪を編み上げた[[コーンロウ]]のヘアスタイルにも挑戦したこともあり髪型には人一倍気を配っていた<ref name="nikkansports20110121">{{Cite web ja |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20110121-727157.html |title=虎のファッションリーダーだ小林宏 |website=日刊スポーツ |date=2011-01-21 |accessdate=2024-05-03}}</ref><ref>{{Cite web ja |url=https://www.daily.co.jp/baseball/matome/2023/02/14/m_0000982.shtml?pg=3 |title=長髪!パンチパーマ!奇抜なヘアのプロ野球選手 |website=デイリースポーツ |date=2023-02-14 |accessdate=2024-05-03}}</ref>。阪神に移籍した際には、当時の[[南信男]]球団社長は、「気にならない。似合っているし、格好いい選手ですから」と小林の髪型を評価し、[[真弓明信]]監督も「好きにやってもらって結構」と放任する姿勢を示した{{R|nikkansports20110121}}。
 
== 詳細情報 ==
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=== WBCでの投手成績 ===
{| <onlyinclude>class="wikitable" style="text-align:right; font-size:small"
|-style="line-height:1.25em; text-align: center;"
!年<br /><br />度!!style="width:6%"|[[ワールド・ベースボール・クラシック|代<br /><br />表]]!!登<br /><br />板!!先<br /><br />発!!勝<br /><br />利!!敗<br /><br />戦!!セ<br />|<br />ブ!!打<br /><br />者!!投<br />球<br />回!!被<br />安<br />打!!被<br />本<br />塁<br />打!!与<br />四<br />球!!敬<br /><br />遠!!与<br />死<br />球!!奪<br />三<br />振!!暴<br /><br />投!!ボ<br />|<br />ク!!失<br /><br />点!!自<br />責<br />点!!防<br />御<br />率</onlyinclude>
|-
|style="text-align: center;"|[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック|2006]]
|style="text-align: center; white-space:nowrap;"|[[野球日本代表|日本]]
|1||0||0||0||0||7||1.0||3||0||0||0||0||3||2||0||2||2||18.00
|}
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=== 表彰 ===
; NPB
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:1回 (投手部門:2004年8月)
* [[セ・パ交流戦]]MVP:1回 最優秀選手賞(MVP):1回(2005年)
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]優秀選手賞:1回 [[2007年の{{NPBオールスターゲーム (日本プロ野球)|2007年]]}}第1戦)
; その他
* [[千葉市]]市民栄誉賞 (2006年)
 
=== 記録 ===
; NPB初記録
;; 投手記録
* 初登板:1998年7月4日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]11回戦([[千葉マリンスタジアム]])、11回表2死に8番手として救援登板・完了、1/3回無失点
* 初奪三振:2001年6月8日、対[[オリックス・バファローズ|オリックス・ブルーウェーブ]]12回戦([[神戸総合運動公園野球場|グリーンスタジアム神戸]])、5回裏に[[進藤達哉]]から
* 初勝利:2001年7月9日、対福岡ダイエーホークス18回戦(千葉マリンスタジアム)、10回表2死に7番手として救援登板・完了、1/3回無失点
* 初先発登板:2001年8月5日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]21回戦(千葉マリンスタジアム)、4回1失点
* 初先発勝利:2003年7月9日、対[[大阪近鉄バファローズ]]14回戦(千葉マリンスタジアム)、7回無失点
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* 初完封勝利:2005年8月26日、対オリックス・バファローズ16回戦(千葉マリンスタジアム)
* 初ホールド:2009年6月3日、対[[読売ジャイアンツ]]1回戦(千葉マリンスタジアム)、11回表に4番手として救援登板、1回無失点
* 初セーブ:2010年3月30日、対[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]1回戦(千葉マリンスタジアム)、9回表1死に2番手として救援登板・完了、2/3回無失点
;; 打撃記録
* 初安打:2005年5月18日、対[[広島東洋カープ]]2回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、4回表に[[佐々岡真司]]から右中間二塁打
* 初打点:同上、5回表に[[佐竹健太]]から押し出し四球
; NPB節目の記録
* 1000投球回:2008年7月22日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]15回戦([[札幌ドーム]])、1回裏1死目に[[稲田直人]]を投犠打で達成 ※史上312人目
* 1000奪三振:2009年8月26日、対福岡ソフトバンクホークス17回戦(千葉マリンスタジアム)、8回表に[[川﨑宗則]]から ※史上126人目
; NPBその他の記録
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:5回 [[2002年の{{NPBオールスターゲーム (日本プロ野球)|2002年]]、[[2004年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2004年]]、[[2005年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2005年]]、[[2007年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2007年]]、[[2010年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|2010年]]}}
* [[日米野球]]出場:2回(2004年、[[日米野球2006|2006年]])
* [[開幕投手]]:1回 (2008年)
 
=== 独立リーグでの投手成績 ===
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=== 背番号 ===
* '''41''' (1997年 - 2014年途中、2015年 - 2017年)
* '''52''' (2014年途中 - 同年終了)
 
=== 登録名 ===
* '''小林 宏之''' (こばやし ひろゆき、1997年 - 2009年、2013年 - 2014年途中、2015年 - 2017年
* '''小林宏''' (こばやしひろ、2010年 - 2012年、2014年途中 - 同年終了)
 
=== 代表歴 ===
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=== 登場曲 ===
 
* 「Ignition Remix」R.Kelly(2005年)
* 「In Da Club」50 Cent(2005年)
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* 「This Is Why I'm Hot」Mims(2007年)
* 「Cyclone feat. T-Pain」Baby Bash(2008年)
* 「Party People feat. Fergie」Nelly(2008年)
* 「Get Up」50 Cent(2009年)
* 「Right Round feat. Ke$ha」Flo Rida(2009年 - 2010年)
253 ⟶ 254行目:
{{NPB|61563884|小林宏}}
{{BASEBALLstats|brjpn=kobaya001hir|cube=Hiroyuki-Kobayashi}}
* [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19780033/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE
 
{{武蔵ヒートベアーズ歴代監督|武蔵ヒートベアーズ|2015.5.8 - 2017年}}
{{Navboxes|title=業績
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</span>
{{日本プロ野球交流戦MVP}}
{{千葉ロッテマリーンズ開幕投手|千葉ロッテマリーンズ}}
}}
{{Navboxes|title={{Flagicon|JPN}} 野球日本代表
|titlestyle=background-color:#006;color:#fff;
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{{2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表}}
{{2007 アジア野球選手権大会 日本代表}}
}}
{{千葉ロッテマリーンズ1996年ドラフト指名選手}}
 
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[[Category:少年野球指導者]]
[[Category:野球解説者]]
[[Category:埼玉県出身の人物スポーツ選手]]
[[Category:1978年生]]
[[Category:存命人物]]