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=== 歴史 ===
{{Wikisource|流鏑馬次第}}
流鏑馬の起源は[[6世紀]]中頃([[552年]])に[[欽明天皇]]が国の内外の戦乱を治めるため、[[九州]][[豊前]]の[[宇佐]]の地において、[[神功皇后]]・[[応神天皇]]を祀り「天下平定・五穀豊穣」を祈願し、最も[[騎射]]に長じた者に馬上から三つの的を射させた神事が始まりとされている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kyubajutukyookai.com/takedaryu-yabusame.html|title=武田流流鏑馬|accessdate=2021.10.26|publisher=一般社団法人 日本古式弓馬術協会}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://oumijingu.org/pages/134/|title=武田流鎌倉派流鏑馬神事の概説|accessdate=2021.10.26|publisher=近江神宮}}</ref>。
 
[[日本書紀]]に[[天武天皇]]9年([[682年]])「朝嬬に幸す。因りて大山位より以下の馬を長柄杜長柄神社に看す。乃馬的射させたまふ」(天武天皇が長柄神社で流鏑馬を催し観覧した。)とある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.city.gose.nara.jp/kankou/0000001419.html|title=長柄神社|accessdate=2021.10.26|publisher=御所市地域活性推進室}}</ref>。
 
[[続日本紀]][[文武天皇]]二年([[698年]]三月「山背国の賀茂祭の日にもろびとをあつめて騎射(むまゆみ)することをいさむ」([[京都府]]の[[葵祭]]で人々を集めて'''流鏑馬'''をすることを禁止する)とある<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.shimogamo-jinja.or.jp/greeting/article.php?id=265|title=賀茂祭騎射神事|accessdate=2021.10.26|publisher=下鴨神社(賀茂御祖神社)}}</ref>。
 
流鏑馬を含む弓馬礼法は、[[寛平]]8年([[896年]])に[[宇多天皇]]が[[源能有]]に命じて制定され{{Sfnp|金子四郎家教|1992|p=100}}、また、『[[中右記]]』の[[永長]]元年([[1096年]])の項などに記されているように、馬上における実戦的[[弓術]]の一つとして[[平安時代]]から存在した。
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=== 騎射三物 ===
馬上における弓術には、他に[[笠懸]](かさがけ)や[[犬追物]](いぬおうもの)があり、流鏑馬と合わせて「[[騎射三物]]」とされる<ref name=":0" />。的と射手との距離を10 - 15[[間]](約18 - 27メートル)に1つ置いたものを「笠懸」、竹垣で囲んだ馬場に150匹の[[イヌ|犬]]を放し、射手36騎が3手に分かれて犬を射るものを「犬追物」という。犬追物では、犬を傷つけないよう大型の[[鏑矢|鏑]]をつけた矢を用いる。
 
== 詳細 ==
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* 福岡県宗像市 - [[宗像大社]] - 秋季大祭の2日目・10月2日
* 大分県国東市 - [[伊美別宮社]] - 別宮社やぶさめ・10月
* 大分県宇佐市 - [[宇佐神宮]] - 流鏑馬神事・8月1日
* 佐賀県鹿島市 - [[琴路神社]] - 馬かけ神事・11月
* 佐賀県武雄市 - [[武雄神社]] - 武雄くんち・10月23日