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}}
'''戸塚 宏'''(とつか ひろし、[[1940年]][[9月6日]] - )は、[[日本]]の[[教育者|教育家]]で、[[フリースクール]](現在は[[ウインドサーフィン]]の訓練をする全寮制の施設)「[[戸塚ヨットスクール]]」の校長(法人登記上はを運営する[[代表取締役日本]])である。生徒への[[体罰]]によって死教育を出した[[戸塚ヨットスクール事件|教育家]]を引き起こした。1975年に世界記録を出した[[ヨットマン著述家]]。
 
[[名古屋大学大学院工学研究科・工学部|名古屋大学工学部]]在学中にヨット部の主将として活躍。[[1975年]]には[[沖縄海洋博]]記念「太平洋-沖縄・単独横断レース」で[[堀江謙一]]らを破って優勝し注目された[[ヨットマン]]だが、[[1979年]]から[[1982年]]にかけて[[体罰]]が原因とする塾生5名の死亡事故を引き起こした[[戸塚ヨットスクール事件]]で[[傷害致死罪]]、[[監禁致死罪]]で[[起訴]]される。19年を要する長期裁判となったが[[最高裁]]で懲役6年で[[判決]]確定。[[2006年]][[4月29日]]、[[静岡刑務所]]を満期出所。スクールは一時閉鎖に追い込まれたが、[[1986年]]に戸塚が3年ぶりに保釈されて再開。[[1987年]]には[[石原慎太郎]]を会長とする「戸塚ヨットスクールを支援する会」が発足している<ref name="kotobank"/>。
 
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[日本統治時代の朝鮮|日本統治下の朝鮮]][[咸鏡北道]][[清津市]]生まれ、[[愛知県]][[名古屋市]]育ち。[[名古屋市立菊里高等学校]]卒<ref name="kotobank"/>
 
[[1959年]]、[[名古屋大学]][[大学院工学研究科・工学部|名古屋大学工学部]][[機械工学]]科入学。在学中に[[ヨット]]に出会う。
 
[[1965年]]、名古屋大学工学部機械工学科を卒業。
 
[[1975年]]、[[沖縄国際海洋博覧会]]記念[[太平洋]]横断レースで、シングルハンド(一人乗りヨット)による太平洋横断の最短世界記録(41日)を達成して優勝した<ref name="kotobank"/>
 
=== 戸塚ヨットスクールと事件 ===
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[[1997年]][[3月12日]]、名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。戸塚らは即日上告。
 
[[1999年]]、「[[電磁界等を考えるシンポジウム京都会議]]」に、発起人の一人として名を連ねる。
 
[[2002年]][[2月15日]]、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は[[上告]]を[[棄却]]。
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2002年[[3月11日]]、無罪を主張するが退けられ[[懲役]]6年の刑が確定。「[[教育]]か、[[暴力]]か」が争点となったが、自身を含む15人全員の有罪が確定した。現在も体罰との因果関係は一切無かったとして無罪を主張している。
 
2002年[[3月29日]]、名古屋高等検察庁へ出頭。出頭直後、[[護送車]]で名古屋から静岡に護送され[[静岡刑務所]]に収監される(懲役6年だが、[[未決勾留]]日数の一部を刑に算入されている為、実際の刑期は4年間)。
 
=== 出所後 ===
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== 人物像 ==
*「脳幹論」を基礎にした[[スパルタ教育]]が持論。ただし、[[脳科学|脳科学者]]や[[医学博士]]ではない。
*刑期を終え出所した後も基本的にその立場を変えていない。収監前の記者会見では「出所後は[[私立小学校]]を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。
*出所後、静岡刑務所内での処遇を著した自著の中で、「法の概念から外れたとんでもないことをやっている」「憲法に反する人権侵害」「刑務官によって自殺に追い込まれた受刑者がいる」などと述べている。
*反「戸塚ヨットスクール」キャンペーンの先頭に立った『[[サンデー毎日]]』(逮捕を報じた号では[[手錠]]をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった)を発行する[[毎日新聞社]]の対応を良く思っておらず、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、[[毎日新聞]]は出所直後の静岡市内での記者会見の内容(「[[体罰]]は教育だ」などの発言)をいち早く報じている(支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった)。
*[[儒学]]等を思想的根拠として所謂「[[嫌韓]]」を主張し、[[在日韓国・朝鮮人]]の[[特別永住者]]に対する[[排外主義]]活動を行っており、[[義家弘介]]と激しく対立する。
 
== 思想・信条 ==
刑期を終え出所した後も基本的にその立場を変えていない。収監前の記者会見では「出所後は[[私立小学校]]を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。
*「人間は平等ではない」と自覚した時、進歩しようとする。己をまず知らねば、進歩はなく、へたな[[平等主義]]は、[[進歩]]の芽を摘む<ref name="totsuka-yacht">[https://web.archive.org/web/20100118052441/http://www.totsuka-yacht.com/seiron7.htm もう野放しにできない 少年犯罪に鉄槌を 戸塚宏]</ref>。
*[[理性]]は創るものであり、あるものではない。『[[世界人権宣言]]』の第1条に、「人は生まれながらに…理性と[[良心]]とを付与されており…」とあるが、これはとんでもない誤りだ。「[[自由]]・[[権利]]・[[尊厳]]・[[平等]]」これらは創るものであって、あるものではない。「[[権威|力]]」は[[正義]]だ。「力」を「[[暴力]]」と混同し、力そのものを否定してはいけない。力は群れのためにあり、自分のためにあるのではない<ref name="totsuka-yacht"></ref>。
*[[子供]]は褒めると進歩しない。本当の[[インテリ]]とは、「[[知]]・[[情]]・[[意志|意]]」のすべてが人より優れ、特に「知」において抜きん出ている人を指すが、日本の「インテリ」は「情・意」においては人並み以下、「知」は他人の知識の盗み取りに過ぎない。行動力がないのは、「情・意」が弱いためで「褒める教育」が、これに拍車をかけている。「褒める教育」は[[虚栄心]]も強くする。[[マスメディア|マスコミ]]は、「インテリ」の集団だ。浮ついた教育論を人に押し付ける<ref name="totsuka-yacht"></ref>。
*[[生理学者]][[ハンス・セリエ]]は、「[[病気]]の種類に関係なく、[[病人]]には共通する”病人らしさ”がある」と指摘しており、同様に問題児にも共通した”問題児らしさ”がある。”問題児らしさ”は弱さだ。[[精神]]が決定的に弱い。[[トレーニング]]をしなかったために生じたものだ<ref name="totsuka-yacht"></ref>。
 
=== 統一教会との関係 ===
出所後、静岡刑務所内での処遇を著した自著の中で、「法の概念から外れたとんでもないことをやっている」「憲法に反する人権侵害」「刑務官によって自殺に追い込まれた受刑者がいる」などと述べている。
[[文鮮明]]の指示により、[[世界平和統一家庭連合|統一教会]]と[[国際勝共連合]]が出資して設立した団体、[[世界日報 (日本)|世界日報]]が発行している月刊ビューポイントの2011年9月号に、戸塚のインタビュー記事が掲載された<ref name=":0">{{Cite web |title=長谷川岳 『『己の身は己で守れ』』 |url=https://ameblo.jp/hasegawa-gaku/entry-11008636698.html |website=参議院議員 長谷川岳 オフィシャルブログ「長谷川岳 強い北海道をつくる!」Powered by Ameba |access-date=2024-03-21 |language=ja}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |title=長谷川岳 『『己の身は己で守れ』』 |url=https://ameblo.jp/hasegawa-gaku/entry-11008636698.html |website=参議院議員 長谷川岳 オフィシャルブログ「長谷川岳 強い北海道をつくる!」Powered by Ameba |access-date=2024-03-21 |language=ja}}</ref><ref name="現代の眼169">{{Cite journal|和書|author=林田豊|date=1978-11|title=統一教会『世界日報』のマスコミ戦略|journal=現代の眼|volume=19|issue=11|page=169}}</ref><ref name="soejima134">{{Cite journal|和書|author1=副島嘉和|authorlink1=副島嘉和|date=1984|title=これが「統一教会」の秘部だ 世界日報事件で"追放"された側の告発|journal=[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]|issue=7|page=134|author2=井上博明}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000100523 |title=国立国会図書館サーチ Viewpoint = ビューポイント |access-date=2024/03/22 |publisher=国立国会図書館}}</ref>。
 
WEB版のビューポイントには、「(ビューポイントの記者が)先日、戸塚ヨットスクールの創立37周年パーティーに出席する機会を得た。」というコラムが2013年11月25日に掲載された<ref>{{Cite web |title=恐怖を克服して自立 {{!}} オピニオンの「ビューポイント」 |url=https://vpoint.jp/education/6083.html |access-date=2024-03-21 |language=ja}}</ref>。
反「戸塚ヨットスクール」キャンペーンの先頭に立った『[[サンデー毎日]]』(逮捕を報じた号では[[手錠]]をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった)を発行する[[毎日新聞社]]の対応を良く思っておらず、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、[[毎日新聞]]は出所直後の静岡市内での記者会見の内容(「[[体罰]]は教育だ」などの発言)をいち早く報じている(支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった)。
 
== 著名な支援者・支持者 ==
[[儒学]]等を思想的根拠として所謂「[[嫌韓]]」を主張し、[[在日韓国・朝鮮人]]の[[特別永住者]]に対する[[排外主義]]活動を行っており、[[義家弘介]]と激しく対立する。
* [[石原慎太郎]]([[小説家]]・[[政治家]]
:戸塚ヨットスクールを支援する会会長。戸塚ヨットスクールを支援する会のホームページにて『スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。』と述べる<ref>{{Cite web|和書|url=http://totsuka-junior.com/index.shtml|title=戸塚ヨットスクールを支援する会|accessdate=2018-10-03|website=totsuka-junior.com}}</ref>。本人もヨット愛好者である。
* [[西村眞悟]](政治家)
:戸塚ヨットスクールを支援する会発起人
 
* [[長谷川岳]](政治家) 父親が戸塚ヨットスクールの支援者だったことから、戸塚ヨットスクール事件が発生していた頃に、小学5年生の時に兄とともに入学していた。自民党の国会議員となった2011年9月に、長谷川は自身のブログに前述の月刊ビューポイントの戸塚のインタビュー記事を引用した上で、「戸塚校長は、このインタビューの冒頭で、『今回の大震災でよく分かったことは「己の身を守れ」ということだ』と述べていますが、私が期間入校の時に身をもって学んだことが、まさにこの『己の身は己で守れ』ということでした。小学生の夏に、しっかりと身体に刻み込んだこの感覚を、今、国会議員の立場となっても胸に留め置き、日々全力を投じて参りたいと思います。」と書いた<ref name=":12">{{Cite web |title=長谷川岳 『『己の身は己で守れ』』 |url=https://ameblo.jp/hasegawa-gaku/entry-11008636698.html |website=参議院議員 長谷川岳 オフィシャルブログ「長谷川岳 強い北海道をつくる!」Powered by Ameba |access-date=2024-03-21 |language=ja}}</ref><ref name=":2">{{Cite web |url=https://archive.is/96vFQ |title=魚拓『己の身は己で守れ』 |access-date=2024/03/22}}</ref>。
* [[小室直樹]](評論家、東京大学法学博士)<ref>小室直樹文献目録 - 「小室直樹センセイ“戸塚ヨットスクール賛歌”の激烈」 [[週刊大衆]] 1983年9月12日号 P.34-35</ref>
* [[村松剛]](評論家・フランス文学者、筑波大学名誉教授)<ref name="official1">{{citeCite web |和書|url=http://totsuka-yacht.com/wind1.htm |title=『石原慎太郎氏、堀本和博氏、立川談志氏、村松剛氏らが戸塚ヨットを支援』 |accessdate=2013年7月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160424063851/http://totsuka-yacht.com/wind1.htm |archivedate=2016年4月24日 }} - 「戸塚ヨットスクールを支援する会」会報『ういんど』創刊号 1988年9月1日発行 2013年7月1日閲覧</ref>
* [[立川談志]]([[落語家]])<ref name="official1" />
* [[田母神俊雄]](元[[航空幕僚長]])<ref>書籍『それでも、体罰は必要だ!』(ISBN 4898316247)で対談</ref>
* [[野口健]]([[登山家]])
:ブログで『あえて厳しい環境の中に身をおいて、時に死の恐怖と戦うことによって「何が何でも死にたくない」と生に対する執着心が芽生えるもの。戸塚ヨットスクールは極限状態を子どもたちに体験させ脳幹を鍛え生命力をつける教育なのだ。』と言及<ref>アルピニスト・野口健のブログ : [http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51103093.html 戸塚ヨットスクール、戸塚宏先生との対談] 2008年8月3日 2017年4月29日閲覧</ref>。
 
== 著書 ==
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* [[2003年]]4月 - 『教育再生 - これで子供は救われる』[[大洋図書]] ISBN 4-8130-1074-1
* [[2006年]]11月 - 『静岡刑務所の三悪人』[[飛鳥新社]] ISBN 4-87031-763-X
* [[2007年]]4月 - 新潮新書212『本能の力』[[新潮社]] ISBN 978-4-10-610212-7
 
== 著名な支援者・支持者 ==
* [[石原慎太郎]](政治家)
:戸塚ヨットスクールを支援する会会長。戸塚ヨットスクールを支援する会のホームページにて『スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。』と述べる<ref>{{Cite web|url=http://totsuka-junior.com/index.shtml|title=戸塚ヨットスクールを支援する会|accessdate=2018-10-03|website=totsuka-junior.com}}</ref>。本人もヨット愛好者である。
* [[西村眞悟]](政治家)
:戸塚ヨットスクールを支援する会発起人
* [[小室直樹]](評論家、東京大学法学博士)<ref>小室直樹文献目録 - 「小室直樹センセイ“戸塚ヨットスクール賛歌”の激烈」 [[週刊大衆]] 1983年9月12日号 P.34-35</ref>
* [[村松剛]](評論家・フランス文学者、筑波大学名誉教授)<ref name="official1">{{cite web |url=http://totsuka-yacht.com/wind1.htm |title=『石原慎太郎氏、堀本和博氏、立川談志氏、村松剛氏らが戸塚ヨットを支援』 |accessdate=2013年7月1日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20160424063851/http://totsuka-yacht.com/wind1.htm |archivedate=2016年4月24日 }} - 「戸塚ヨットスクールを支援する会」会報『ういんど』創刊号 1988年9月1日発行 2013年7月1日閲覧</ref>
* [[立川談志]]([[落語家]])<ref name="official1" />
* [[伊東四朗]]([[俳優]])
* [[田母神俊雄]](元[[航空幕僚長]])<ref>書籍『それでも、体罰は必要だ!』(ISBN 4898316247)で対談</ref>
* [[野口健]]([[登山家]])
:ブログで『あえて厳しい環境の中に身をおいて、時に死の恐怖と戦うことによって「何が何でも死にたくない」と生に対する執着心が芽生えるもの。戸塚ヨットスクールは極限状態を子どもたちに体験させ脳幹を鍛え生命力をつける教育なのだ。』と言及<ref>アルピニスト・野口健のブログ : [http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51103093.html 戸塚ヨットスクール、戸塚宏先生との対談] 2008年8月3日 2017年4月29日閲覧</ref>。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
* [[長田百合子]]
* [[杉浦昌子]]
* [[風の子学園事件]]
* [[不動塾事件]]
* [[時津風部屋力士暴行死事件]]
 
== 外部リンク ==
* [httphttps://wwwtotsukayachtschool.totsuka-school.jpcom/ 戸塚ヨットスクール]
 
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:とつか ひろし}}
[[Category:20世紀日本の教育者]]
[[Category:日本のヨット男子セーリング選手]]
[[Category:冒険者]]
[[Category:名古屋大学出身の人物]]
[[Category:名古屋市立菊里高等学校出身の人物]]
[[Category:愛知県出身の人物]]
[[Category:名古屋市出身の人物]]
[[Category:清津市出身の人物]]
[[Category:1940年生]]