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{{記事名の制約|title={{font|村松友視|size=large}}}}
{{統合文字|視|ネ|示}}
'''村松 友&#64097;'''<{{#tag:ref>|“[[wikt:視|&#64097;]]”。「示」の右に「見」、[[文字参照#数値文字参照(文字参照)|数値文字参照]]:「<code>&amp;#64097;</code>」</ref>。「'''視'''」の字に代用される場合あり。|group="注"}}(むらまつ ともみ、[[1940年]]〈[[昭和]]15年〉[[4月10日]] - )は[[日本]]の[[作家]]、元[[編集者]]、[[エッセイスト]]
 
== 来歴 ==
[[東京市]][[渋谷区]][[千駄ヶ谷]]で生まれ、4歳から[[静岡県]][[富士宮市]]、[[周智郡]][[森町 (静岡県)|森町]]で、終戦後は[[清水市]](現・[[静岡市]][[清水区]])で育つ<ref name="私の父、私の母" >『私の父、私の母』[[中央公論社]]、1994年、197-201頁</ref>。祖父は作家の[[村松梢風]]<ref>{{Cite web|和書|title=村松 友視 Tomomi Muramatsu |url=https://gendai.media/list/author/tomomimuramatsu |website=現代ビジネス |access-date=2023-05-26 |language=ja |publisher=[[講談社]]}}</ref>。父・[[村松友吾]]は[[中央公論新社|中央公論社]]の編集者。母も中央公論社に勤務。父方のおじに脚本家の[[村松道平]]、教育評論家の[[村松喬]]、中国文学者の[[村松暎]]([[慶應義塾大学]][[文学部]][[教授]])がいる。
 
父・友吾は中央公論社を退社した後、妻とともに[[上海]]に移住し「上海毎日新聞」の記者となっていたが、友視の生まれる前に腸チフスで他界。祖父梢風は若い未亡人の将来を案じて再婚を薦め、生まれた友視を梢風自身の五男として入籍する<{{#tag:ref>|そのため戸籍上は上記の父方のおじたちと兄弟である。</|group="注"}}{{#tag:ref><ref>|その事情を知らない[[水上勉]]などは担当編集者だった村松について「彼は梢風の妾の子だ。かわいそうに」と同情していたという<ref>[[嵐山光三郎]]『昭和出版残侠伝』より</ref>。|group="注"}}。だが梢風は戦後疎開先から戻ると鎌倉で愛人と暮らし、友視は清水で祖母(梢風の妻)一人に育てられる<ref name="sankei021">「[httphttps://www.sankei.com/columnarticle/news/160816/clm160816000420160816-n1.htmlRUZWS6I7GJKXJMQITG7ZOEAAYU/ 【話の肖像画】作家・村松友視(2)父の早世、祖父母に育てられ (1/2)]」『産経新聞ニュース』2016年8月16日付</ref>。少年時代から熱狂的な[[プロレス]]ファンとして育つ。[[静岡県立静岡高等学校]]を経て、1963年慶應義塾大学文学部哲学科を卒業<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=村松 友視 {{!}} 兵庫ゆかりの作家 |url=https://www.artm.pref.hyogo.jp/bungaku/jousetsu/authors/a442/ |website=ネットミュージアム兵庫文学館 |access-date=2023-05-26 |language=ja |publisher=[[兵庫県立美術館]]}}</ref>
 
大学時代はテレビ局でアルバイトをしていたため、そのままテレビ局に入社する予定つもりでいたが、入社試験に失敗。その後、何社ものマスコミを受験するが合格せず、祖父、父の縁がある[[中央公論社]]の社長[[嶋中鵬二]]に依頼して、既に締め切っていた中央公論社の試験を受けて入社。入社後は『[[小説中央公論]]』『婦人公論』の編集者として働く。『婦人公論』時代には[[ベトナム戦争]]下の[[サイゴン]]を取材した他、編集者として[[伊丹十三]]のサロンに出入りしていた。また叔父[[村松暎]]の教え子で『[[婦人公論]]』編集者時代に伊丹の担当者だった[[草森紳一]]と知り合い、彼の薦めで雑誌「デザイン」等にコラムを執筆した。しかし同人雑誌や文芸クラブなどに所属したことも一切なかったので、作家になろうとはまだ思っておらず、仕事を通じてかろうじて文学と縁をもったという印象だったという<ref name="sankei031">「[httphttps://www.sankei.com/lifearticle/news20160817-J3UE5G7EY5ODRGK6M6MNGFBNTM/160817/lif1608170006-n1.html 【話の肖像画】作家・村松友&#64097;(3)唐十郎を発掘した編集者時代 (1/3)]」『産経新聞ニュース』2016年8月17日付</ref>。
 
1969年に文芸誌『[[海 (雑誌)|海]]』創刊準備のため、新雑誌研究部というセクションに異動。創刊後はそのまま編集部員となった。途中入社して『海』に参加した[[安原顯]]と同僚として交際した。『海』時代は「既成の作家の中にもすごい人はいるけれど、文壇外の作家を探し出すのが僕の本当の役目だという強い意識」があったという村松は、海外文学は安原にまかせ、当時クローズアップされていた「[[状況劇場]]」の主宰者[[唐十郎]]の戯曲を編集長の反対を押し切って掲載<ref name="sankei032">「[httphttps://www.sankei.com/lifearticle/news20160817-J3UE5G7EY5ODRGK6M6MNGFBNTM/1608172/lif1608170006-n2.html 【話の肖像画】作家・村松友&#64097;(3)唐十郎を発掘した編集者時代 (2/3)]」『産経新聞ニュース』2016年8月17日付</ref><ref>村松著の『ヤスケンの海』によれば、編集長との対立はしばしばで異動願いを出したこともある。そのため中央公論社は万が一のために、村松の穴埋め要員を探し、最終的に採用したのが先述の安原だった。</ref>するなど日本の「既成文壇外」の作家を発掘し、[[江藤淳]]らに高く評価されるなど名編集者ぶりを発揮した<ref name="sankei033">「[httphttps://www.sankei.com/lifearticle/news20160817-J3UE5G7EY5ODRGK6M6MNGFBNTM/1608173/lif1608170006-n3.html 【話の肖像画】作家・村松友&#64097;(3)唐十郎を発掘した編集者時代 (3/3)]」『産経新聞ニュース』2016年8月17日付</ref>。[[武田泰淳]]『富士』、[[後藤明生]]『夢かたり』、[[田中小実昌]]『[[ポロポロ]]』、[[色川武大]]『生家へ』、[[武田百合子]]『[[富士日記]]』<{{#tag:ref>|[[塙嘉彦]]が『海』4代目編集長となると編集部一同で、未亡人となった武田百合子邸を月1度訪問するのが恒例となった。また色川武大と二人で「武田百合子に小説を書かせる会」を結成した。</ref>|group="注"}}などを担当している。また[[野坂昭如]]や[[吉行淳之介]]の担当編集者でもあった。
 
編集者として働く一方で、自分の祖父が作家だったという自負から次第に作家への志を持つようになり、文芸雑誌の新人賞に何度も応募するが落選を繰り返す。だが[[後藤明生]]に才能を認められ、「吉野英生」<{{#tag:ref>|自分の尊敬する4人の作家、吉行淳之介、野坂昭如、唐十郎の本名・大靏義英、後藤明生から1文字ずつもらったペンネームだった。</ref>|group="注"}}名義で、後藤が責任編集の一人である雑誌『文体』(平凡社)に「変装のあと」<{{#tag:ref>|この小説の元原稿には「プロレスの試合の場面」が40枚も書かれていたが、後藤の示唆で削除した。</ref>|group="注"}}を発表。この作品が福武書店の編集者の[[寺田博]]の目にとまり、雑誌『作品』に「オペラグラス」「悲劇のように」を発表。
 
しかし文壇への本格的なデビューは思わぬことから果たされる。[[1980年]]に[[情報センター出版局]]の編集者が、[[糸井重里]]にプロレスのエッセー執筆を依頼。しかし糸井は自分の知っているプロレスフリークの編集者の方が面白い、と村松を紹介した。編集者から話を聞いた村松は気楽な気持ちで執筆、更に会社の人間は読まないだろうと先述のペンネームを使わず本名で『私、[[プロレス]]の味方です』を出版。本人の予想外の[[ベストセラー]]となり、続編『当然プロレスの味方です』も執筆することになった<ref name="sankei011">「[httphttps://www.sankei.com/columnarticle/news20160815-RP6ACAHZ7BKMXPXL3B4VCLO6KI/160815/clm1608150003-n1.html 作家・村松友&#64097;(1)プロレス本が思いがけず大ヒット (1/2)]」『産経新聞ニュース』2016年8月15日付</ref><ref>[[前田日明]]は1988年に刊行した自著{{full|date=2018年4月}}の中で『私味方です』を名著としている。</ref>。続けて『[[小説野性時代|野性時代]]』の編集者[[見城徹]]の勧めでに発表した「セミ・ファイナル」と「[[泪橋 (小説)|泪橋]]」が、相次いで[[直木三十五賞|直木賞]]候補となる。1981年、専業作家への転向を決意して退職<ref name=":0" />。直後の[[1982年]]に『[[時代屋の女房]]』で第87回直木賞を受賞<ref name=":0" />。この作品は映画化もされて話題となった
 
続けて『[[小説野性時代|野性時代]]』の編集者[[見城徹]]の勧めでに発表した「セミ・ファイナル」と「[[泪橋 (小説)|泪橋]]」が、相次いで[[直木三十五賞|直木賞]]候補となる。文壇デビュー以来漠然と考えていた専業作家への転向を決意して退職。直後の[[1982年]]に『[[時代屋の女房]]』で第87回直木賞を受賞。この作品は映画化もされて話題となった。
 
以降は風俗小説や、時代小説などを多数発表。自身とかかわりのあった人物についての評伝的作品も多い。また『夢の始末書』や『鎌倉のおばさん』([[泉鏡花文学賞]]受賞)、『上海ララバイ』のような自伝的な作品もある。
 
[[1986年]]にテレビ放映された[[サントリーオールド]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]にも出演し、「'''ワンフィンガー'''でやるも良し。'''ツーフィンガー'''でやるも良し。」というウイスキーの目分量を指の本数にたとえて表現した、“ワンフィンガー・ツーフィンガー”は[[1987年]]の[[新語・流行語大賞]]の流行語部門・大衆賞を受賞した<ref name=":0" />。以降、多数のテレビ番組にも出演している。
 
1997年「鎌倉のおばさん」で第25回泉鏡花文学賞受賞<ref name=":0" />。
==人物==
編集者時代は「武闘派」の人物であったようで、村松本人も安原顯の死後に発表した『ヤスケンの海』の中で、先述の『海』編集長との対立以外にも、中途採用された安原が「大学中退」の学歴を黙っていたことで総務部から苦情を言われると、総務部に怒鳴りこんだなどのエピソードを明らかにしている。また村松が『海』に起用し、その後エッセイストとして活躍する[[嵐山光三郎]]は『昭和出版残侠伝』で、編集者時代の村松について「こんなに喧嘩っぽい編集者は見たことがない。」と描写している。
 
== 人物 ==
熱狂的プロレスファンである以外には、猫好きで愛猫アブサンについての本を何冊も刊行している。またジャズを好み「ベーシーの客」などの著書もあるほか、[[森田一義|タモリ]]などとも交友があり、[[綾戸智恵]]を全国規模の有名人にした。
編集者時代は「武闘派」の人物であったようで、村松本人も安原顯の死後に発表した『ヤスケンの海』の中で、先述の『海』編集長との対立以外にも、中途採用された安原が「大学中退」の学歴を黙っていたことで総務部から苦情を言われると、総務部に怒鳴りこんだなどのエピソードを明らかにしている。また村松が『海』に起用し、その後エッセイストとして活躍する[[嵐山光三郎]]は『昭和出版残侠伝』で、編集者時代の村松について「こんなに喧嘩っ早い編集者は見たことがない。」と描写している。
 
熱狂的プロレスファンである以外には、猫好きで愛猫アブサンについての本を何冊も刊行している。またジャズを好み「ベーシーの客」などの著書もあるほか、[[タモリ]]などとも交友があり、[[綾戸智恵]]を全国規模の有名人にした。
==エピソード==
*両親は二人とも他界したという周りの説明を信じ込んでいたが、中学3年の時に初めて母親が生きており、親戚のおばさんとして何度も会っていたことを知る。ただそれを教えてくれたのは育ての親である祖母ではなく梢風の愛人だった。それ以降漠然とした不安感を抱え、更に大学に入ると祖母がよそよそしくなったことで、大学卒業まで何事にも真摯になれないまま過ごしていたと回想している<ref name="sankei022">「[http://www.sankei.com/column/news/160816/clm1608160004-n2.html 【話の肖像画】作家・村松友&#64097;(2)父の早世、祖父母に育てられ (2/2)]」『産経新聞』2016年8月16日付</ref>。
*『海』時代は[[吉行淳之介]]の担当編集者でもあったために行動を共にする事が多く<ref>ただし「吉行番」の先輩編集者が多く、なかなか担当編集者になることができなかった</ref>、吉行伝説の語り部の一人でもある。まだ吉行と親しくなる前に[[永井龍男]]から「あなたは吉行淳之介に似ているねえ」と言われたという<ref>奇遇にも、吉行は若い頃に「永井龍男に似ている」と言われたことがあるという。</ref>。
*唐十郎は後に「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞するが、そのきっかけは村松が小説執筆を勧めたことにある。また「[[状況劇場]]」が戒厳令下の[[大韓民国|韓国]]で公演を行う際、「担当作家と同行する仕事」という名目で同行した。唐も村松の直木賞受賞に駆けつけている。また唐との交友から「状況劇場」のポスターを描いていた[[篠原勝之]]と知り合い、彼の紹介で[[赤瀬川原平]]、[[南伸坊]]、[[糸井重里]]を知り、毎月末には彼等と村松家で「ムラマツ宴会」なる集まりを行うようになった。この宴会には[[小林薫]]や[[安西水丸]]が顔を出すこともあった。この集まりは村松の文壇デビューのきっかけになったほか、村松は唐の示唆で赤瀬川に小説を書くよう薦め、彼が[[尾辻克彦]]名義で純文学を執筆するきっかけも作っている。
*『私、プロレスの味方です』がベストセラーになった直後、『[[本の雑誌]]』を創刊したばかりの[[椎名誠]]から執筆依頼がくるが、『本の雑誌』を読んでいた村松は逆に椎名に小説執筆を依頼。椎名の初めての小説「ラジャダムナン・キック」を『海』に掲載する。当時の二人はまだ専業作家ではなかったため、喫茶店で会ってはテーブルの下で原稿を交換していた<ref name="shiina">「[http://www.shiina-tabi-bungakukan.com/bungakukan/archives/4222 椎名誠の仕事(聞き手:目黒考二) 『ジョン万作の逃亡』その1]」『椎名誠 旅する文学館』</ref>。
*[[市川猿翁 (2代目)|市川猿之助(3代目)]]とも交際があり、ファンクラブ向けの新聞「おもだかニュース」の編集を手伝っていた。
*[[慶應義塾大学]]文学部国文科には[[松村友視]]という静岡県出身の教授がおり、しばしば村松友視と間違えられることを冗談にしている。
*[[岩手県]][[一関市]]の[[ジャズ喫茶]]ベイシーの主人・[[菅原昭二]]とは深い親交があり仲人もつとめ、『「ベーシー」の客』という作品を発表している。なお、この店があったため、晩年の[[色川武大]]は一関市に引越しした。
*執筆のペースをつかむために机の上にハカリを置いて原稿の重さを確かめていた([[クイズダービー]]第685回、1989年4月15日放送分の3問目より)。
 
== エピソード ==
==著書==
* 両親は二人とも他界したという周りの説明を信じ込んでいたが、中学3年の時に初めて母親が生きており、親戚のおばさんとして何度も会っていたことを知る。ただそれを教えてくれたのは育ての親である祖母ではなく梢風の愛人だった。それ以降漠然とした不安感を抱え、更に大学に入ると祖母がよそよそしくなったことで、大学卒業まで何事にも真摯になれないまま過ごしていたと回想している<ref name="sankei022">「[https://www.sankei.com/article/20160816-RUZWS6I7GJKXJMQITG7ZOEAAYU/2/ 【話の肖像画】作家・村松友視(2)父の早世、祖父母に育てられ (2/2)]」『産経ニュース』2016年8月16日付</ref>。
*『私、プロレスの味方です 金曜午後八時の論理』[[情報センター出版局]] 1980 のち[[角川文庫]]、[[ちくま文庫]](合本)
*『海』時代は[[吉行淳之介]]の担当編集者でもあったために行動を共にする事が多く{{#tag:ref|ただし「吉行番」の先輩編集者が多く、なかなか担当編集者になることができなかった。|group="注"}}、吉行伝説の語り部の一人でもある。まだ吉行と親しくなる前に[[永井龍男]]から「あなたは吉行淳之介に似ているねえ」と言われたという{{#tag:ref|奇遇にも、吉行は若い頃に「永井龍男に似ている」と言われたことがあるという。|group="注"}}。
*『当然プロレスの味方です 過激な生存の哲学』情報センター出版局 1980 のち角川文庫 
* 唐十郎は後に「佐川君からの手紙」で芥川賞を受賞するが、そのきっかけは村松が小説執筆を勧めたことにある。また「[[状況劇場]]」が戒厳令下の[[大韓民国|韓国]]で公演を行う際、「担当作家と同行する仕事」という名目で同行した。唐も村松の直木賞受賞に駆けつけている。また唐との交友から「状況劇場」のポスターを描いていた[[篠原勝之]]と知り合い、彼の紹介で[[赤瀬川原平]]、[[南伸坊]]、[[糸井重里]]を知り、毎月末には彼等と村松家で「ムラマツ宴会」なる集まりを行うようになった。この宴会には[[小林薫]]や[[安西水丸]]が顔を出すこともあった。この集まりは村松の文壇デビューのきっかけになったほか、村松は唐の示唆で赤瀬川に小説を書くよう薦め、彼が[[尾辻克彦]]名義で純文学を執筆するきっかけも作っている。
*『ダーティ・ヒロイズム宣言 プロレスの味方、「悪役」を語りき』情報センター出版局 1981 のち角川文庫 
* 1980年に『私、プロレスの味方です』がベストセラーになった直後、『[[本の雑誌]]』を創刊したばかりの[[椎名誠]]から執筆依頼がくるが、『本の雑誌』を読んでいた村松は逆に椎名に小説執筆を依頼。椎名の初めての小説「ラジャダムナン・キック」を『海』に掲載する。当時の二人はまだ専業作家ではなかった<ref>椎名はこの年(1980年)年末に[[ストアーズ社]]を退職し、村松に先んじて専業作家となった。</ref>ため、喫茶店で会ってはテーブルの下で原稿を交換していた<ref name="shiina">「[http://www.shiina-tabi-bungakukan.com/bungakukan/archives/4222 椎名誠の仕事(聞き手:目黒考二) 『ジョン万作の逃亡』その1]」『椎名誠 旅する文学館』</ref>。
*『男と女/心やさしきデスマッチ プロレスの味方 short short篇』[[現代史出版会]] 1981  
* [[市川猿翁 (2代目)|市川猿之助(3代目)]]とも交際があり、ファンクラブ向けの新聞「おもだかニュース」の編集を手伝っていた。
*『最後のベビー・フェイス』[[角川書店]] 1981 のち文庫 
* [[慶應義塾大学]]文学部国文科には[[松村友視]]という静岡県出身の教授がおり、しばしば村松友視と間違えられることを冗談にしている。
*『悲劇のように』[[福武書店]] 1981  のち文庫 
* [[岩手県]][[一関市]]の[[ジャズ喫茶]]ベイシーの主人・[[菅原昭二]]とは深い親交があり仲人もつとめ、『「ベーシー」の客』という作品を発表している。なお、この店があったため、晩年の[[色川武大]]は一関市に引越しした。
*『デスマッチ風男と女のショート・ショート丼』現代史出版会 1982 のち徳間文庫
* 執筆のペースをつかむために机の上にハカリを置いて原稿の重さを確かめていた<ref>[[クイズダービー]]第685回、1989年4月15日放送分の3問目より{{要高次出典|title=放送番組の類は、基本的にリアルタイム外での検証が困難であるため。|date=2018年4月}}</ref>。
*『[[時代屋の女房]]』角川書店 1982(文庫化にあたり、『時代屋の女房・[[泪橋 (小説)|泪橋]]』に改題)
 
*『ファイター 評伝[[アントニオ猪木]]』情報センター出版局 1982  
== 著書 ==
*『村松友&#64097;のプロレス塾』現代史出版会 1982 のち[[徳間文庫]] 
* 『私、プロレスの味方です 金曜午後八時の論理』[[情報センター出版局]] 1980 のち[[角川文庫]]、[[ちくま文庫]](合本)
*『七人のトーゴー』[[文藝春秋]] 1982 のち文庫 
* 薄暮当然プロレス尋ね人味方です 過激な生存の哲学徳間書店情報センター出版局 19821980 のち角川文庫 
* 『ダーティ・ヒロイズム宣言 プロレスの味方、「悪役」を語りき』情報センター出版局 1981 のち角川文庫
*『サイゴン・ティをもう一杯』[[講談社]] 1982 のち文庫 
* 『男と女/心やさしきデスマッチ プロレスの味方 short short篇』[[現代史出版会]] 1981
*『男はみんなプロレスラー』[[ベースボール・マガジン社]] 1982 のち[[集英社文庫]] 
* 三五郎ララバ最後のベビー・フェ[[角川書店]] 19821981 のち文庫 
* 『悲劇のように』[[福武書店]] 1981  のち文庫
*『熱血!清水みなと』[[PHP研究所]] 1983
* 『デスマッチ風男と女のショート・ショート丼』現代史出版会 1982 のち徳間文庫
*『私は、プロフェッショナル』編著、[[冬樹社]] 1983 「俺はプロフェッショナル」天山文庫 
* 続・[[時代屋の女房]]』角川書店 1983 「1982(文庫化にあたり、『時代屋の女房2」文庫 ・[[泪橋 (小説)|泪橋]]』に改題)
* 『ファイター 評伝[[アントニオ猪木]]』情報センター出版局 1982
*『必殺野球固め』現代史出版会 1983
* 『村松友視のプロレス塾』現代史出版会 1982 のち[[徳間文庫]]
*『[[俊寛]]のテーマ kabuki novel』情報センター出版局 1983
* 『七人のトーゴー』[[文藝春秋]] 1982 のち文庫
*『こんな男に会ったかい 男稼業・私の選んだベスト9 村松友&#64097;対談集』[[日本文芸社]] 1984
* 『薄暮の尋ね人』徳間書店 1982 のち文庫
**[[市川猿翁 (2代目)|市川猿之助]]、[[ビートたけし]]、[[篠原勝之]]、[[タモリ]]、[[山下洋輔]]、[[糸井重里]]、[[アントニオ猪木]]、[[椎名誠]]、[[唐十郎]]
* 夜のグラフィサイゴン・ティをもう一杯』[[新潮講談社]] 19841982 のち文庫 
* 上海男はみんなプロレスラバイ文藝春秋[[ベースボール・マガジン社]] 19841982 のち[[集英社文庫 ]]
* 風の街夢あるき三五郎ララバイ徳間角川書店 19841982 のち文庫 
* 『熱血!清水みなと』[[PHP研究所]] 1983
*『夢の始末書』角川書店 1984 のち文庫、ちくま文庫  
* 『私は、プロフェッショナル』編著、[[冬樹社]] 1983 「俺はプロフェッショナル」天山文庫
*『反則すれすれ夢芝居』講談社 1984
* 『続・時代屋の女房』角川書店 1983 「時代屋の女房2」文庫
*『人は奇妙なり』[[潮出版社]] 1984
* 『必殺野球固め』現代史出版会 1983
*『野郎どもと女たち』[[日本交通公社]]出版事業局 1984 のち集英社文庫 
* 『[[俊寛]]のテーマ kabuki novel』情報センター出版局 1983
*『陽炎たち』サンケイノベルス 1984
* 『こんな男に会ったかい 男稼業・私の選んだベスト9 村松友視対談集』[[日本文芸社]] 1984
*『風を追う [[土方歳三]]への旅』PHP研究所 1985 のち文庫、朝日文芸文庫  
** [[市川猿翁 (2代目)|市川猿之助]]、[[ビートたけし]]、[[篠原勝之]]、[[タモリ]]、[[山下洋輔]]、[[糸井重里]]、[[アントニオ猪木]]、[[椎名誠]]、[[唐十郎]]{{要説明|title=単に人名を羅列されても、意味が分からない。|date=2018年4月}}
*『坊主めくり』徳間書店 1985 のち文庫 
* メロド夜のグフィティ講談[[新潮]] 19851984 のち文庫 
* 気分はリ上海ララバイバル 12のポップス・12の短篇』文藝春秋 19851984 のち文庫
* 盗まれたウェディング・ベル風の街夢あるき[[中央公論社]]徳間書店 19861984 のち文庫 
* <div id="夢の始末書_1984">カルテット始末書』角川書店 1986 1984 のち文庫 、ちくま文庫</div>
* 『反則すれすれ夢芝居』講談社 1984
*『恋わずらひ』[[実業之日本社]] 1986 のち[[新潮文庫]] 
* 『人は奇妙なり』[[潮出版社]] 1984
*『薔薇のつぼみ 宰相・[[山本権兵衛]]の孫娘』(山本満喜子)集英社文庫 1986
* 『野郎どもと女たち』[[JTBパブリッシング|日本交通公社出版事業局]] 1984 のち集英社文庫
* 『陽炎たち』サンケイノベルス 1984
* 『風を追う [[土方歳三]]への旅』PHP研究所 1985 のち文庫、朝日文芸文庫
* 『坊主めくり』徳間書店 1985 のち文庫
* 『メロドラマ』講談社 1985 のち文庫
* 『気分はリバイバル 12のポップス・12の短篇』文藝春秋 1985
* 『盗まれたウェディング・ベル』[[中央公論社]] 1986 のち文庫
* 『炎のカルテット』角川書店 1986 のち文庫
* 『恋わずらひ』[[実業之日本社]] 1986 のち[[新潮文庫]]
* 『薔薇のつぼみ 宰相・[[山本権兵衛]]の孫娘』(山本満喜子)集英社文庫 1986
[[ファイル:130824 Uminekoya Otaru Hokkaido Japan04s3.jpg|thumb|120px|実在の海猫屋]]
* 『海猫屋の客』[[朝日新聞社]] 1986 のち文庫 
* 『旅を道づれ チェーン・トラベラー』[[筑摩書房]] 1986
* 『時代屋の女房 怪談篇』角川書店 1986 のち文庫 
* 『屋台よ! 全国名物屋台はしご歩き』日本交通公社出版事業局 1986
* 『夕陽炎々』中央公論社 1987 のち文庫 
* 『小説の如く奇なり』講談社 1987 のち文庫 
* 『酒場横丁の人々』[[毎日新聞社]] 1987
* 『旧人類に非ず talk & essay』朝日新聞社 1987
* 『作家装い』文藝春秋 1987
* 『[[ピカビア]]の星』中央公論社 1988
* 『なみだ壷』新潮社 1988 のち文庫 
* 『いい女、演ってますか』角川文庫 1988
* 『文化を考えるヒント』[[東急エージェンシー]]出版事業部 1988
* 『御先祖サマは偉かった われ、史上最高の日本シリーズを見たり』[[ネスコ]] 1988
* 『コロスの所作』朝日新聞社 1989
* 『ティナのおばあちゃん』新潮社 1989
* 『灰左様なら』講談社 1989 のち文庫 
* 『巴川』中央公論社 1989 のち文庫 
* 『黄昏のムービー・パレス』[[横山良一]]写真 [[平凡社]] 1989
* 『我が名は[[俊寛|Shunkan]]』[[白水社]](物語の王国)1989
* 『レオナルドの報告書』徳間書店 1989 のち文庫   
* 『巷の[[シェイクスピア]]』実業之日本社 1990
* 『こだわり万華鏡』PHP研究所 1990
* 『村松友視のサミング・アップ 作家自身が編集する本』文園社 1990
* 『市場の朝ごはん』平凡社 1992 のち[[小学館文庫]] 
* 『[[由井正雪|由比正雪]]』[[読売新聞社]] 1992 のち小池書院道草文庫 
* 『恋愛の十二章 人を愛するとはどういうことか』[[ごま書房]] 1992
* 『カミュの客人』[[光文社]] 1992 のち文庫<!--カミュはバーの名前。酒の名称か。-->  
* 『風ものがたり』[[学習研究社]] 1993
* 『サイゴン・ブルー』中央公論社 1993
* 『[[烏丸光広|烏丸]]ものがたり』[[河出書房新社]] 1993
* 『悪役のふるさと』講談社 1993 のち[[学陽書房]]人物文庫 
* 『芝居せんべい』文藝春秋 1993
* 『できごころ 男と女の歳時記』実業之日本社 1993
* 『小説カミさんの悪口』[[日本経済新聞社]] 1993
* 『[[仁木弾正|弾正]]の夢』講談社 1993
* 『じり貧の思想』[[広済堂出版]] 1994
* [[武田百合子|百合子]]さんは何色 [[武田百合子]]への旅』筑摩書房 1994 のち文庫 
* 『桃のシャンパン 女の物語』河出書房新社 1994
* 『ワインの涙 男の物語』河出書房新社 1994
* 『同僚の悪口』毎日新聞社 1995
* 『オペラグラス』[[幻冬舎]] 1995 のち文庫 
* 『ダンサー』文藝春秋 1995
* 『港ものがたり』実業之日本社 1995
* 『アブサン物語』河出書房新社 1995 のち文庫 
* 『マダムの憂鬱』中央公論社 1996
* 『流氷まで』文藝春秋 1996
* 『夢見そば』[[日本放送出版協会]] 1996
* 『帰ってきたアブサン』河出書房新社 1996 のち文庫 
* 『夢の通い路 七つの都市の物語』幻冬舎 1996
* 『ヴィンテージ 酒の物語』河出書房新社 1996
* 『再会セッション 街の物語』河出書房新社 1996
* 『モームの部屋 旅の物語』河出書房新社 1997
* 『激しい夢』読売新聞社 1997
* 『[[トニー谷]]、ざんす』毎日新聞社 1997 のち幻冬舎アウトロー文庫 
* 『鎌倉のおばさん』新潮社 1997 のち文庫 
* 『マカオの男』角川書店 1997
* 『酒の上の話』[[世界文化社]] 1998
* 『ある詐欺師の風景』河出書房新社 1998
* 『「ベーシー」の客』[[マガジンハウス]] 1998
* 『悪友の条件』講談社 1998
* 『人間蒸発』廣済堂文庫 1998
* 『食べる屁理屈』廣済堂出版 1998 のち[[学研M文庫]] 
* 『情事』実業之日本社 1999
* 『損得感情 ちびりちびりの贅沢』[[青春出版社]] 1999
* 『だけん、人はいいだよ。駿河ピープル物語』[[静岡新聞社]] 1999
* 『騙す人びと』河出書房新社 1999
* 『俵屋の不思議』[[畠山直哉]]写真 世界文化社 1999 のち[[幻冬舎文庫]] 
* 『奇天烈な店』小学館 1999 のち文庫 
* 『アブサンの置土産』河出書房新社 2000 のち文庫 
* 『[[力道山]]がいた』朝日新聞社 2000 のち文庫 
* 『怪しい顕微鏡』青春出版社 2000  
* 『[[黒い花びら]]』河出書房新社 2001 のち文庫- [[水原弘]]の伝記小説 
* 『「[[豪雪地帯|雪国]]」あそび』[[恒文社]]21 2001  
* 『鰻の瞬き』小学館 2001
* 『河童の屁』[[文芸社]] 2001
* 『ある作家の日常』河出書房新社 2002
* 『贋日記』河出書房新社 2002
* 『黄昏のダンディズム』[[佼成出版社]] 2002
* 『[[市川雷蔵 (8代目)|雷蔵]]好み』[[ホーム社]] 2002 のち集英社文庫 
* 『[[安原顯|ヤスケン]]の海』幻冬舎 2003 のち文庫 
* 『骨董通り0番地』潮出版社 2003
* 『今平犯科帳 [[今村昌平]]とは何者』日本放送出版協会 2003
* 『永仁の壺』新潮社 2004
* 『村松友&#64097;自選作品集』アーツアンドクラフツ 2004
* 『そして、[[市川海老蔵 (11代目)|海老蔵]]』世界文化社 2005
* 『ライバルを探せ! 対立構造のすすめ』日本放送出版協会・生活人新書 2005
* 『[[幸田文]]のマッチ箱』河出書房新社 2005 のち文庫 
* 『ネコのダイエット』河出書房新社 2006
* 『男と女』毎日新聞社 2007
* 『[[吉行淳之介|淳之介]]流 やわらかい約束』河出書房新社 2007 のち文庫 
* 『武蔵野倶楽部』文藝春秋 2007
* 『文士の酒編集者の酒』ランダムハウス講談社 2008
* 『遊びをせんとや』ランダムハウス講談社文庫、2008 
* 『おんなの色気おとこの色気』ランダムハウス講談社文庫 2008
* 『奇天烈食道楽』河出書房新社 2008 『私、丼ものの味方です』河出文庫
* 『豆腐のトバ口鰹の面取り』ランダムハウス講談社文庫 2008
* 『猫に学ぶ老人術』ランダムハウス講談社文庫 2008
* 『七割の憂鬱 [[松井秀喜]]とは何か』小学館 2009
* 『清水みなとの名物は わが心の劇団ポートシミズ』白水社 2009
* 『時のものがたり』[[宝島社]] 2009
* 『雷蔵の色』河出書房新社 2009
* 『大人の達人』潮出版社 2010
* 『ギターとたくあん [[堀威夫]]流不良の粋脈』[[集英社]] 2010
* 『[[帝国ホテル]]の不思議』[[日本経済新聞出版社]] 2010 のち[[文春文庫]] 
* 『銀座の喫茶店ものがたり』白水社 2011  のち文春文庫 
* 『野良猫ケンさん』河出書房新社 2011 のち文庫 
* 『残月あそび』河出書房新社 2012
* [[裕さんの女房 もうひとりの[[石原裕次郎]]』青志社 2012
* 『悪口のすゝめ』日本経済新聞出版社 2012
* 『きものの不思議』[[藤森武]]撮影 [[淡交社]] 2013
* 『極上の流転 [[堀文子]]への旅』[[中央公論新社]] 2013 のち文庫
* 『猫踏んぢゃった俳句』[[KADOKAWA]] 2014.7.
* 『金沢の不思議』中央公論新社 2015
* 『老人の極意』河出書房新社 2015
* 『大人の極意』河出書房新社 2016
* 『[[北の富士]]流』文藝春秋 2016 のち文庫
 
=== 共編著・編著 ===
* 『四角いジャングル・ブック』[[小野好恵]]共著 冬樹社 1982 
* 『シナリオ [[泪橋 (小説)|泪橋]]』[[唐十郎]]共著 角川文庫 1983<ref group="注">元々は村松が1人で書くはずだったが、慣れないことで四苦八苦し、唐の協力を仰ぐことになった。村松はあとがきで「友情出演というのがあるが、友情脚本というかたちで協力してくれた」と記している。</ref>
*『[[泪橋 (小説)|泪橋]] シナリオ』[[唐十郎]]共著 角川文庫 1983
* 『私、小市民の味方です』[[山藤章二]]共著 新潮社 1984 のち文庫 
* 『歴史ライブ 土方歳三』[[尾崎秀樹]]・[[福田紀一]]・[[光瀬龍]]監修 福武書店 1984<ref group="注">「謎の破片 土方歳三のイメージ」を寄稿するとともに表紙で土方歳三に扮している。</ref>
*『血が酩酊するとき [[精神鑑定]]講義』[[福島章]]対談 朝日出版社 1985
* 上海酔眼』血が酩酊するとき [[管洋志精神鑑定]]共著 義』[[福島章]]対 朝日出版文庫 1985
* 『上海読本酔眼日本ペンクラブ編(選)福武[[管洋志]]共著 講談社文庫 19881985
* 『上海読本』日本ペンクラブ編(選)福武文庫 1988
*『アジア幻想 [[サマセット・モーム|モーム]]を旅する』管洋志共著 講談社 1989
* 『アジア幻想 [[サマセット・モーム|モーム]]を旅する』管洋志共著 講談社 1989
*『新潮古典文学アルバム [[百人一首]]』[[井上宗雄]]共著 新潮社 1990
* 『新潮古典文学アルバム [[百人一首]]』[[井上宗雄]]共著 新潮社 1990
*『昭和生活文化年代記(クロニクル)4 40年代』編 TOTO出版 1991
* 『昭和生活文化年代記(クロニクル)4 40年代』編 TOTO出版 1991
* [[十返舎一九]]原作『少年少女古典文学館 [[東海道中膝栗毛]]』講談社 1992
* [[十返舎一九]]原作『少年少女古典文学館 [[東海道中膝栗毛]]』講談社 1992
*『日本の名随筆 別巻 36 恋文』編 作品社 1994
* 『日本の名随筆 別巻 36 恋文』編 作品社 1994
*『村松友&#64097;からはじまる借金の輪』共著 角川文庫 1996
* 『村松友視からはじまる借金の輪』共著 角川文庫 1996
**村松友&#64097;→[[武田花]]→[[南伸坊]]→[[えのきどいちろう]]→[[宮沢章夫]]→[[横尾忠則]]→[[あがた森魚]]→[[吉本ばなな]]→[[佐藤公彦]]→[[エド・ツワキ]]→[[YOU (タレント)|YOU]]→[[みうらじゅん]]→[[西城秀樹]]→[[野口五郎]]→[[青井陽治]]→[[水谷良重]]→村松友&#64097;
** 村松友視→[[武田花]]→[[南伸坊]]→[[えのきどいちろう]]→[[宮沢章夫]]→[[横尾忠則]]→[[あがた森魚]]→[[吉本ばなな]]→[[佐藤公彦]]→[[エド・ツワキ]]→[[YOU (タレント)|YOU]]→[[みうらじゅん]]→[[西城秀樹]]→[[野口五郎]]→[[青井陽治]]→[[水谷良重]]→村松友視{{要説明|title=単に人名を羅列されても、意味が分からない。|date=2018年4月}}
**漫画「ねりわさび」[[一条裕子]]
** 漫画「ねりわさび」[[一条裕子]]
*[[アレクサンドル・デュマ]]『痛快世界の冒険文学 [[モンテ・クリスト伯]]』[[黒鉄ヒロシ]]絵 講談社 1998
* [[アレクサンドル・デュマ]]『痛快世界の冒険文学 [[モンテ・クリスト伯]]』[[黒鉄ヒロシ]]絵 講談社 1998
*『ネコ族の夜咄』[[小池真理子]]、[[南伸坊]]共著 清流出版 1999
* 『ネコ族の夜咄』[[小池真理子]]、[[南伸坊]]共著 清流出版 1999
*『明治の文学 [[広津柳浪]]』編 筑摩書房 2001
* 『明治の文学 [[広津柳浪]]』編 筑摩書房 2001
* 村松梢風原作『男装の麗人』恒文社21 2002 - [[川島芳子]]を描いた梢風の小説のリライト 
* 『[[新選組]]残影』共著、神長文夫写真 日本放送出版協会 2003
* 『愛するあなたへの悪口』「愛するあなたへの悪口コンテスト」実行委員会共編 毎日新聞社 2008
 
== 映画 ==
* ザ・[[力道山]] (1983年) 製作
* [[泪橋 (小説)|泪橋]] (1983年) 原作/脚本
* [[時代屋の女房]] (1983年) 原作
* 時代屋の女房2 (1985年) 原作
* [[会社物語 MEMORIES OF YOU]] (1988年) 出演
* メロドラマ (1988年) 原作
 
== テレビドラマ ==
* [[銀河テレビ小説]]清水みなとストーリー(1986年)原作(脚本:[[長坂秀佳]])
* [[東芝日曜劇場]] [[カミさんの悪口]](1993年)原作
* 東芝日曜劇場 [[カミさんの悪口#カミさんの悪口22(1995年)|カミさんの悪口2]](1995年)原作
* 時代屋の女房(2006年)原作
* [[男装の麗人〜川島芳子の生涯〜]](2008年)原作
 
== テレビ出演 ==
* [[C・W・ニコル]]のおいしい博物誌(1989年)[[テレビ東京]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{notelist2|2}}
=== 出典 ===
{{reflist|2}}
 
== 参考文献 ==
* 『[[#夢の始末書_1984|夢の始末書]]』
 
{{Writer-stub}}
==関連項目==
*[[静岡県出身の人物一覧]]
 
{{直木賞|第87回}}
{{泉鏡花文学賞|第25回}}
{{NHK紅白歌合戦審査員}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:むらまつ ともみ}}
[[Category:日本の雑誌編集者]]
[[Category:20世紀日本の小説家]]
[[Category:21世紀日本の小説家]]
[[Category:直木賞受賞者]]
[[Category:泉鏡花文学賞受賞者]]
[[Category:中央公論新社の人物]]
[[Category:ベトナム戦争のジャーナリスト]]
[[Category:静岡県立静岡高等学校出身の人物]]
[[Category:慶應義塾大学出身の人物]]
[[Category:NHK紅白歌合戦審査員]]
[[Category:静岡市出身の人物]]
[[Category:海 (雑誌)]]