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[[File:知立神社にある於万の方の銅像.jpg|thumb|200px|長勝院]]
'''長勝院'''(ちょうしょういん、[[天文 (元号)|天文]]17年([[1548年]]) - [[元和 (日本)|元和]]5年[[12月6日 (旧暦)|12月6日]]([[1620年]][[1月10日]]))は、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]から[[江戸時代]]初期にかけての女性。[[江戸幕府]]の初代[[征夷大将軍|将軍]]・[[徳川家康]]の[[側室]]。[[物部氏|物部姓]][[永見氏]]・[[永見吉英|永見貞英]]の娘。通称'''於古茶(おこちゃ)'''、'''於万の方'''、'''小督局'''とも。[[結城秀康]]の生母{{Sfn|結城市史編さん委員会|1977|p=677}}
 
[[物部氏|物部姓]][[永見氏]]・[[永見吉英|永見貞英]]の娘。通称'''於古茶(おこちゃ)'''、'''於万'''{{Sfn|結城市史編さん委員会|1977|p=677}}、'''小督局'''とも。のち、長勝院{{Sfn|結城市史編さん委員会|1977|p=677}}。
 
== 生涯 ==
[[File:Omannokata's Birthplace.jpg|thumb| 於萬之方誕生地(愛知県知立市総持寺)]]
天文17年(1548年)、[[三河国]][[知立神社|知鯉鮒明神]]の社人・[[永見吉英|永見貞英]](志摩守)の娘として誕生する。名は'''''''''於古茶'''、松、菊子、於故満と伝わる{{Sfn|小楠|2006|p=18-19}}。随庵見聞録に収録されている[[本多重次]]書状写に「おこちゃ」と見えるので、当時本多重次には「おこちゃ」と呼ばれていたとされる{{Sfn|小楠|2006|p=19}}。また、『知立市史』では万の母を[[水野忠政]]の娘で、[[於大の方]]の外姪とする{{Sfn|小楠|2006|p=20}}。
 
はじめ徳川家康の正室・[[築山殿]]の[[奥女中]]で、家康の手付となり、於義伊(のちの結城秀康)を産んだとされるが、家康が永見氏を臣従させたときに長勝院を仕えさせることを約束させ、元亀三年に[[浜松城]]に仕え、於義伊を産んだともされる{{Sfn|小楠|2006|p=31,35}}。この時、双子であったといわれ、俗に[[永見貞愛]]がもう一人にあたるという。知立神社には、長勝院が貞愛の容体を心配して送った手紙が残されている{{sfn|小楠|2006|p=23}}。
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家康の正室・[[築山殿]]は長勝院が家康の子供を妊娠することについて、承認しなかったため長勝院は浜松城内から退去させられたとされる。それは正妻としての権限であった{{Sfn|黒田|2022|p=144}}。正妻は、別妻や妾として承知するどうかの権限を持っていたと考えられる{{Sfn|黒田|2022|p=144}}。築山殿は長勝院を家康の妾とすることを承知しておらず、にもかかわらず妊娠したために、女房衆から追放したのである。それが江戸時代になると、妻の嫉妬などという、矮小化した理解になっている{{Sfn|黒田|2022|p=144}}。秀康を妊娠した長勝院は重臣の[[本多重次]]の差配により[[雄踏町|宇布見村]]の[[中村家住宅 (静岡県)|中村家]]で出産にいたっている。城内から追放されたということは、生まれてくる子供を家康の子供として承認しないことを意味していた{{Sfn|黒田|2022|p=144}}。
 
[[天正]]12年([[1584年]])、11歳になった息子の於義丸が[[豊臣秀吉]]の養子となり、のちに[[元服]]し秀康と改名した。秀康は[[結城晴朝]]の養女・[[江戸鶴子]]と結婚し、[[婿養子]]として[[結城氏]]を継いだ。[[関ヶ原の戦い]]後は秀康が[[北庄城]]の城主となったため、長勝院もこれに同行する。[[慶長]]12年([[1607年]])に秀康が[[福井市|北庄]]にて急死すると、家康の許可なしに出家するが、咎めはなかった。
 
元和5年(1619年)に72歳で[[12月6日 (旧暦)|12月6日]]、庄において死去した{{Sfn|結城市史編さん委員会|1977|p=677}}。72歳{{Sfn|結城市史編さん委員会|1977|p=677}}。[[孝顕寺]]に葬られた{{Sfn|結城市史編さん委員会|1977|p=677}}。[[永平寺]]に分骨。葬送時の戒名は長勝院松室妙載大姉<ref>[https://www.library-archives.pref.fukui.lg.jp/archive/da/detail?data_id=011-2007112-1-p84 「家譜 二 忠直公」越葵文庫 デジタルアーカイブ福井(福井県文書館)]</ref>。
 
== 逸話 ==
『[[柳営婦女伝叢]]』によると、於義丸を産む前に築山殿の嫉妬に遭い、寒い夜に裸にされて庭の木にくくりつけられた。これを見つけた本多重次によって保護され、於義伊を産んだという。だが当時、万は[[浜松城]]に住んでおり、築山殿は[[岡崎城]]に住んでいたため、築山殿の万への折檻は成り立たず、後年創作された話とする指摘もある<ref>「[https://www.at-s.com/news/article/shizuoka/1232353.html 家康の側室 お万の方ってどんな人? 嫉妬した築山殿に浜松城で折檻された説 家康次男・結城秀康の母 おこちゃ、長勝院]」あなたの静岡新聞、2023.5.1</ref><ref>[[濱田浩一郎]]「[https://yorozoonews.jp/article/14913789 大河『家康』側室の一人、お万の方とはどのような女性だったのか?]」よろず〜ニュース、2023.05.22</ref>。
 
== 永見氏 ==
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== 登場作品 ==
=== 小説 ===
* [[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]([[1983年]]、[[NHK大河ドラマ]]、演:[[東てる美]])
* [[杉本苑子]]『長勝院の萩』(1981年、講談社文庫)
* [[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]([[1988年]]、[[TBS大型時代劇スペシャル]]、演:[[かたせ梨乃]])
=== テレビドラマ ===
* [[葵 徳川三代]]([[2000年]]、NHK大河ドラマ、演:[[長内美那子]])
* 『[[徳川家康 (1964年のテレビドラマ)|徳川家康]]』(1964年、[[テレビ朝日|NET]]、演:[[光本幸子]]→[[青山京子]])
* [[どうする家康]]([[2023年]]、NHK大河ドラマ、演:[[松井玲奈]])
* 『[[戦国うらばなし 長勝院の萩 家康父子に愛された女]]』(1983年、[[朝日放送テレビ]]、演:[[若尾文子]])
* [[徳川家康 (NHK大河ドラマ)|徳川家康]]([[1983』(1983]]、[[NHK大河ドラマ]]、演:[[東てる美]])
* [[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]([[1988』(1988]]、[[TBS大型時代劇スペシャル]]、演:[[かたせ梨乃]])
* 『[[戦国最後の勝利者!徳川家康]]』(1992年、[[テレビ朝日]]、演:[[河合奈保子]])
* [[葵 徳川三代]]([[2000』(2000]]、NHK大河ドラマ、演:[[長内美那子]])
* 『[[どうする家康]]』(2023年、NHK大河ドラマ、演:[[松井玲奈]])<ref>{{Cite web |url=https://www.nhk.or.jp/ieyasu/cast/oman.html |title=お万 |access-date=2023-12-30 |publisher=NHK |website=大河ドラマ「どうする家康」}}</ref>
 
== 脚注 ==
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* {{Cite book|和書 |author= 小楠和正|authorlink=小楠和正 |year = 2006 |title = 結城秀康の研究 |publisher = [[越前松平家]] [[松平宗紀]] |ref = {{SfnRef|小楠|2006}}}}
* [[黒田基樹]]『家康の正妻 築山殿―悲劇の生涯をたどる―』平凡社、2022年
* 徳川将軍家墓碑総覧{{Full citation needed|date=2023年12月}}
* {{Citation|和書|date=1977-03-30|title=結城市史|volume=第一巻|volume-title=古代中世史料編|publisher=[[結城市]]|editor=結城市史編さん委員会|id={{NDLJP|9641592}}|ref={{SfnRef|結城市史編さん委員会|1977}}}}{{要登録}}
 
== 外部リンク ==
* {{Kotobank|1=お万の方}}
* [https://www.bunsin.org/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC/%E4%B8%89%E6%B2%B3%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E3%82%92%E8%A8%AA%E3%81%AD%E3%81%A6-%E4%BA%BA%E7%89%A9%E5%8F%B2/%E6%96%BC%E4%B8%87%E3%81%AE%E6%96%B9/ 於万の方] - 三河の文化を訪ねて(人物史)([[公益財団法人]]愛知教育文化振興会)
 
{{DEFAULTSORT:ちようしよういん}}