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{{出典の明記|date=2014年4月}}
[[File:SoulCarriedtoHeaven.jpg|thumb|魂は二人の[[天使]]によって[[天国]]に連れて行かれた ([[1878年]])、[[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]]の絵画。]]
'''霊魂'''(れいこん、英:{{interlang|en|Soul}}もしくは{{interlang|en|Spirit}}、{{lang-la-short|anima}}、{{lang-gr|Ψυχή}}) は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの<ref>広辞苑 第p.2828 霊魂</ref>概念。肉体から離れたり、[[死]]後も存続することが可能と考えられ<ref>{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E9%AD%82-505768|title=魂(こん)とは? 意味や使い方 - コトバンク|accessdate=2023-11-26|publisher=コトバンク}}</ref>、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在<ref name="ddjsn">デジタル大辞泉 「霊魂」</ref>。[[人間]]が生きている間はその体内にあって、[[生命]]や[[精神]]の原動力となっている存在<ref name="ddjsn" />、個人の肉体や精神をつかさどる[[人格]]的・非物質的な存在<ref>広辞苑 第五版 p.2828 霊魂「人間の身体内にあってその精神、生命を支配すると考えられている人格的、非肉体的な存在」</ref>、感覚による認識を超えた[[永遠]]の存在<ref name="oguti_p.757">{{Cite book ja-jp|和書|author = 小口 偉一、堀 一郎|year = 1973|title = 宗教学辞典|publisher = 東京大学出版会|isbn = 4-13-010027-0|page = 757}}</ref>と考えられている。
|author = 小口 偉一、堀 一郎
|year = 1973
|title = 宗教学辞典
|publisher = 東京大学出版会
|isbn = 4-13-010027-0
|pages = p.757
}}</ref>と考えられている。
 
== 概説 ==
「霊魂」は、[[体]]とは別に実体として存在すると考えられているものであったり、人間の生命や精神の源とされ非肉体的、人格的な存在とされるもののことである。
 
「霊魂」という表現は「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであり、両方を合わせて指している。一般には、個人の肉体及び精神活動をつかさどる人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味している。(→[[
{{See|#「霊魂」という表現|「霊魂」という表現]])}}
 
宗教や文化圏ごとに様々な理解の仕方がある。
 
古代エジプトの時代から、人が死ぬと肉体から離れるが、肉体に再び戻って来る、という考えがあった。
古代インドでは、霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方が一般的であった。[[輪廻転生]](転生輪廻)の思想である。
「あの世」([[霊界]])へ行ったり、「この世」(生者の世界、[[現世]])に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も存在している。人間だけでなく、命あるもの全般、[[動物]]や[[植物]]に宿ると考えられたり、さらには[[鉱物]]にも霊魂が宿る、とされることもある<ref name="oguti_p.757" />。霊魂を[[心]]と同一視することもある{{要出典|date=2012年5月}}。「[[]]は霊体、[[]]は魂」、魂は神魂{{要出典|date=2012年5月}}とする、霊魂と心を同一視しない考え方もある。また他方、すでに[[サンジャヤ・ベーラッティプッタ]]が来世に関する問いへの確答を避け、[[不可知論]]の立場をとった。
(→[[{{See|#宗教などにおける説明|宗教などにおける説明]] )}}
 
霊魂は、生きること、[[死生観]]の根源的な解釈のための概念の一つともされる。現代では、霊魂を肯定的にとらえることが、[[生きがい]]や[[健康]]といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている。(→[[
{{See|#霊魂と死生観・全人的健康|霊魂と死生観・全人的健康]] )}}
 
== 「霊魂」という表現 ==
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[[ピラミッド・テキスト]]と呼ばれる初期の死者埋葬のテキストでは、死者が行くのは天の北にある暗黒の部分であり、そこで北極星のまわりの星とともに、アク(霊)として永遠の命を生きる、とされた<ref>吉村作治 同書 pp.74-75</ref>。
 
=== 古代ギリシャの哲学 ===
ギリシア語では魂は「[[プシュケー]]」といい、語源は気息の音に由来する。またプシュケーには「[[チョウ#伝承|蝶]]」という意味もあり、死後の魂のイメージを蝶として表現することもある<ref name="koike">小池寿子『死を見つめる美術史』ポーラ文化研究所 1999年、ISBN 4938547473 pp.124-128</ref>。
 
[[プラトン]]は対話篇において霊魂の働きに着目しつつ探求した。『[[パイドン]]』および『[[メノン (対話篇)|メノン]]』においては、[[イデア|永遠の真理(イデア)]]を認識する方式として[[想起説]]を提示し、その前提として霊魂不滅説を唱えた。プラトンの霊魂不滅説は、後世の[[新プラトン主義]]や[[教父哲学]]、[[キケロ]]『[[スキピオの夢]]』を介してキリスト教圏にも伝わった。また[[アリストテレス]]の著作に『[[霊魂論]]』がある
 
=== 旧約聖書 ===
[[エゼキエル書]][[s:エゼキエル書(口語訳)#18:4|18章4節(口語訳)]]には「罪を犯した魂は必ず死ぬ。」と書いてある。[[s:エゼキエル書(口語訳)#18:20|18章20節(口語訳)]]でも「罪を犯す魂は死ぬ。」と書いてある。
 
=== キリスト教 ===
{{Main|霊性 (キリスト教)|霊魂消滅説}}
旧約聖書では、ネフェシュ(ヘブライ語で「咽喉」の意)と表現される。これに聖なる霊(ルーアッハ。風、息の意)が入って預言がなされるという思想があった。[[エゼキエル書]][[s:エゼキエル書(口語訳)#18:4|18章4節(口語訳)]]には「罪を犯した魂は必ず死ぬ。」と書いてある。[[s:エゼキエル書(口語訳)#18:20|18章20節(口語訳)]]でも「罪を犯す魂は死ぬ。」と書いてある
 
欧州においては人間を構成する要素は霊魂([[アニマ]]、ANIMA)、[[精神]](SPIRITV)及び[[肉体]] (CORPVS) であり、[[錬金術]]ではこれらは三原質と結び付けられて考えられていた。また、3という数からキリスト教では[[三位一体]]に比せられることも多かった。霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており、霊魂と精神は肉体という泉を泳ぐ二匹の魚に擬せられたこともあった。
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=== 古代インド ===
 
==== ヴェーダ、ウパニシャッド ====
『リグ・ヴェーダ』などの[[ヴェーダ]]聖典では、人間の肉体は死とともに滅しはするものの、人間の霊魂は不滅である、とされていた。同聖典では、人間の死後に肉体を離れた霊魂は、火神[[アグニ]]などの翼に乗って、最高天ヤマの王国にたどり着き、そこで完全な身体を得る、とされた。
 
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霊魂を示す言葉としては「アス」、「マナス」、「プラーナ」、「アートマン」といった言葉が使われた。その中でも「[[アートマン]]」は[[ウパニシャッド]]の中心概念となっている。
 
==== サンジャヤ・ベーラッティプッタ ====
仏教興隆期のインドの[[サンジャヤ・ベーラッティプッタ]]は[[来世]]に関する4つの問いを設け「来世は存在するか?」「来世は存在しないか?」「来世は存在しかつ存在しないか?」「来世は存在するわけでもなく、存在しないわけでもないか?」それぞれすべてに対して「私はその通りだとも考えないし、別だとも考えない、そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない」として確答を避け、[[不可知論]]の立場をとった。このような態度は[[釈迦|ゴータマ・ブッダ]]の「無記」の立場と通じあう点がある、とされる<ref>岩波書店『哲学・思想事典』、「懐疑主義」の項</ref>。
 
==== 初期仏教 ====
ブッダが説いた初期仏教での「無我」は「霊魂がない」と解するのではなく「非我」の訳語が示すように、「真実の我ではない」と解すべきもの(自他平等の境地を目指した思想)である、ともされている<ref>岩波『哲学・思想事典』、「懐疑主義」の項。</ref>。
俗に言われる霊魂とは全く異なる。
 
=== 中国の宗教(道教など) ===
中国の[[道教]]では、[[魂魄]]すなわち''''''(こん、たましい)」と「''''''(はく)」という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は[[精神]]を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)ともいう。魂と魄は[[易]]の思想と結びつき、[[陰陽思想|魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰す]]と考えられていた。
 
[[中国の民俗宗教|中国の民間信仰]]では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は[[幸福|喜び]]、[[怒り]]、[[悲しみ|哀しみ]]、懼れ、[[愛]]、惡しみ、[[欲望]]からなる。また、殭屍([[キョンシー]])は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる(三魂は「胎光、爽霊、幽精」「主魂、覚魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀陰、呑賊、非毒、除穢、臭肺」とされることもある)。
 
[[六朝時代]]には、道教と仏教の対立のなかで、霊魂にあたる「[[神 (中医)|神]]」の不滅をめぐる{{仮リンク|神滅不滅論争|zh|神灭论论战}}が起きた<ref>{{Kotobank |word=神滅神不滅}}</ref>。[[明末]]には、[[イエズス会]][[宣教師]]が中国と西洋の霊魂論を交えて論じた<ref>{{Citation|和書|title=明末天主敎書における靈魂論|last=播本|first=崇史|year=2011|url=http://nippon-chugoku-gakkai.org/wp-content/uploads/2019/09/63-10.pdf|journal=日本中國學會報|publisher=日本中国学会|issue=63|naid=40019636926}}</ref><ref>{{Citation|和書|title=魂(アニマ)への態度 古代から現代まで|last=神崎|first=繁|authorlink=神崎繁|year=2008|publisher=岩波書店〈双書 哲学塾〉|isbn=9784000281621}}129頁。</ref>。
 
=== 日本 ===
==== 日本での仏教 ====
上記の初期仏教に関する上記の解説とは異なり、ブッダは「[[無我]]」を説いて霊魂を否定した<ref>岩波『哲学・思想事典』、「霊魂」の項。</ref>、ともされる。近年の日本の僧侶や仏教関係者によって執筆された仏教入門書等ではそのような図式で説明されていることが多い<ref>仏教関係者による解説の例。 [http://www1.winknet.ne.jp/~k-goboh/goboh-tayori-reikonkan2002.pdf 「日本人の霊魂観」(真宗の関係者向けの冊子「御坊さん」に掲載されたもの)]</ref>。
 
仏教では、六道の輪廻からの解脱を目的としている。
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|独自研究 = 2015年10月
}}
 
=== 量子脳理論のアプローチ ===
[[ケンブリッジ大学]]の数学者[[ロジャー・ペンローズ]]と[[アリゾナ大学]]の[[スチュワート・ハメロフ]]は、意識は何らかの[[量子]]過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識は[[ニューロン]]を単位として生じてくるのではなく、[[微小管]]と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している<ref>モーガン・フリーマン 時空を超えて 第2回「死後の世界はあるのか?」</ref>。
 
臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べている<ref>NHK ザ・プレミアム超常現象 さまよえる魂の行方</ref>。
 
==== 素領域理論のアプローチ ====
数理物理学・量子力学・脳科学・金融工学者である[[保江邦夫]]は場の量子論ではゼロ点エネルギーの総和が計算上無限大になるという発散の問題をくりこみ理論によって回避しているものの、点状の粒子という従来の物理学上の矛盾は内包している。それに対して素領域理論では、粒子は最小領域(泡)の中で惹起されると捉えるのでその矛盾は生じず、また個々の粒子に対応する場を無限に想定する必要もなく、それぞれの泡の固有振動数の違い(鋳型)よって異なる粒子が惹起されると捉える。故にミクロからマクロのスケールにまで適応される統一場理論であり、超弦理論よりもはるかに時代を先駆けていたのが素領域理論なのであると述べている。素領域というビールの泡の外と内はどのような構造になっているのか? 保江は「泡の内側は素粒子で構成される物質の世界であるのに対して、外側は非物質で、ライプニッツのいうモナド(単一)のような絶対無限の世界。そこは完全調和なので何も起こらない。あるとき完全調和に崩れ(ゆらぎ)が起きたことによって泡が発生し、それぞれの泡の鋳型に応じた素粒子・物質が生まれるのです。そして人間が肉体の死を迎えると非物質の魂となって元の素領域(泡の外=霊界)に溶けていくんです」と述べている。<!-- <ref>http://tocana.jp/2015/12/post_8229_entry.html</ref> -->{{出典無効|date=2017年7月}}
 
==== サム・パルニアの見解 ====
英国の医師、サム・パルニア(Sam Parnia)は、魂の存在を科学的に実証することを試みた。パルニアは、天井の近くに一つの板を吊り上げ、その板の上に小さな物体を置いた。この物体が何であるかは、パルニアのみが知っている。もし亡くなった人の魂が天井まで漂い浮かび上がることができるならば、魂は物体を見ることができる、という仕組みだ。パルニアは、この方法で100人の患者に実験を行った。そのうち、救急蘇生で生き返った7人が全員、板の上に置いてある物体を正しく認識していたという{{疑問点|date=2019年2月|title=英語版で引用されている論文、及びその論文が元にした原論文を調査したところ、確認はできなかったとされている。}}。これによって、魂は確かに存在し、魂は肉体から離れて漂うことができ、移動することができ、生命のもう一種の存在形式であると結論付けている<ref>http://www.epochtimes.jp/jp/2015/07/html/d68669.html</ref>。
 
===イアン・スティーヴンソンによる調査===
{{See also|イアン・スティーヴンソン }}
転生を扱った学術的研究の代表的な例としては、[[超心理学]]研究者・精神科教授の[[イアン・スティーヴンソン]]による調査がある。スティーブンソンは1961年にインドでフィールドワークを行い、いくつかの事例を信頼性の高いものであると判断し、前世の記憶が研究テーマたり得ることを確信した<ref name="takekura2-1678">[[#takekura2|竹倉 2015. 位置No.1678/2493]]</ref>。多くは2~4歳で前世について語り始め、5~7歳くらいになると話をしなくなるという<ref name="takekura2-1646">[[#takekura2|竹倉 2015. 位置No.1646/2493]]</ref>。{{要出典範囲|日本の前世ブームの前世少女のような思春期の事例やシャーリー・マクレーンのような大人の事例は、成長過程で得た情報を無意識に物語として再構築している可能性を鑑みて重視せず、2~8歳を対象とした。前世を記憶する子供たち』では、子どもの12の典型例を考察している|date=2016年7月}}<!-- <ref name="akasaka"/>-->。竹倉史人は、スティーヴンソンの立場は科学者としての客観的なもので、方法論も学術的であり、1966年の『生まれ変わりを思わせる二十の事例』は、いくつかの権威ある医学専門誌からも好意的に迎えられたと説明している<ref name="takekura2-1617">[[#takekura2|竹倉 2015. 位置No.1617/2493]]</ref>。{{要出典範囲|赤坂寛雄は、スティーブンソンは生まれ変わり信仰に肯定的であり、むしろ一連の前世研究は、前世や生まれ変わりが事実であることを証明しようという執拗な意思によって支えられているかのように見えると述べている|date=2016年7月}}<!-- <ref name="akasaka"/>-->。
 
スティーブンソンの前世研究は、世界的発明家[[チェスター・カールソン]]が[[パトロン]]として支え、子どもたちが語る前世の記憶の真偽を客観的・実証的に研究する The Division of Perceptual Studies(DOPS)が[[ヴァージニア大学]]医学部に創設された<ref name="takekura2-1637">[[#takekura2|竹倉 2015. 位置No.1637/2493]]</ref>。死後100万ドルの遺産がスティーヴンソンが属する[[ヴァージニア大学]]に寄付され、現在もDOPSで前世研究が続けられ<ref name="takekura2-1646">[[#takekura2|竹倉 2015. 位置No.1646/2493]]</ref>、2600超の事例が収集されている。DOPSの調査データを分析した中部大学教授・ヴァージニア大学客員教授の[[大門正幸]]によると、収集された事例のうち、前世に該当すると思われる人物が見つかったのは72.9%、前世で非業の死を遂げたとされるものは67.4%である<ref name="takekura2-1790">[[#takekura2|竹倉 2015. 位置No.1790/2493]]</ref>。懐疑主義者の団体[[サイコップ]]の創設メンバーである[[カール・セーガン]]は、生まれ変わりは信じないが、「まじめに調べてみるだけの価値がある」と評した<ref name="takekura2-1844">[[#takekura2|竹倉 2015. 位置No.1844/2493]]</ref>。
 
=== 関連項目 ===
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霊魂については、[[宗教学]]、[[民俗学]]、[[文化人類学]]などといった[[人文科学]]からの研究がある。霊や魂といった概念の変遷についての研究などがある。
 
;外魂(External Soul)
物語を分類した民俗学者[[ジェームズ・フレイザー]]は、外側に保管して不死化する外魂(External({{lang-en-short|external Soul)soul}})を分類している。エジプトのミイラ、{{ill2仮リンク|フィラクテリー|en|Phylacteryphylactery}}、[[浦島太郎]]の[[玉手箱]]などに見られる。
 
== 文学・芸術 ==
*日本神話には[[イザナギ]]が黄泉の国にいる[[イザナミ]]を訪ねるという話があり、似たモチーフが世界の他の神話にもある。
 
芸術作品として描かれたもの
*映画「[[21グラム|21g]]」:人が死ぬ前と死んだ後で21gだけ重さが違うという話があり、それをモチーフにした映画。
 
== 霊魂と死生観・全人的健康 ==
古来より多くの[[神話]]、[[宗教]]、[[哲学]]、[[芸術]]などが担ってきた重要な役割の一つは、これら人の生死を含む[[世界観]]、生きること、生かされていること、死ぬことの意味の[[説明]]である。[[宗教家]]らは、人々の抱えるこうした重い問いに対して説明を提供するという重要な役割を果たしてきたのである。
 
現代においては、魂を肯定的にとらえることが[[生きがい]]や[[健康]]といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている<ref>{{Cite journal |和書 |author=[[大石和男]]、[[安川道夫]]、[[濁川孝志]]、[[飯田史彦]] |year=2007 |title=大学生における生きがい感と死生観の関係 |url=https://doi.org/10.11560/jahp.20.2_1 |journal=健康心理学研究 |volume=20 |issue=2 |pages=1–9 |doi=10.11560/jahp.20.2_1}}(大石和男は専修大学教授、安川道夫は専修大学教授、濁川孝志は立教大学教授、飯田史彦は福島大学教授)。</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author=熊野 道子 |date=2003 |title=人生観のプロファイルによる生きがいの2次元モデル |url=https://doi.org/10.11560/jahp.16.2_68 |journal=健康心理学研究 |volume=16 |issue=2 |pages=68–76 |doi=10.11560/jahp.16.2_68}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author=熊野 道子 |date=2005 |title=生きがいを決めるのは過去の体験か未来の予期か? |url=https://doi.org/10.11560/jahp.18.1_12 |journal=健康心理学研究 |volume=18 |issue=1 |pages=12–23 |doi=10.11560/jahp.18.1_12}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |last=日本民族衛生学会 |author=佐和田重信、興古田孝夫、高江州なつ子 他 |year=2003 |title=伝統的信仰意識が地域高齢者のメンタルヘルスに及ぼす影響についての検討 |url=https://doi.org/10.3861/jshhe.69.Appendix_90 |journal=民族衛生 |volume=69 |issue=Appendix |pages=124–125 |doi=10.3861/jshhe.69.Appendix_90}}</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author=興古田孝夫、石津宏、秋坂真史、名嘉幸一、高倉実、宇座美代子、長濱直樹、勝綾子 |year=1999 |title=大学生の自殺に関する意識と死生観との関連についての検討 |url=https://doi.org.10.3861/jshhe.65.81|journal=民族衛生 |volume=65 |issue=2 |pages=81–91 |doi=10.3861/jshhe.65.81}}</ref><ref>{{Cite book |和書 |author=飯田史彦 |author-link=飯田史彦 |title=生きがいの創造 III: 世界標準の科学的スピリチュアル・ケアを目指して |year=2007 |publisher=PHP研究所 |isbn=978-4-569-69448-1 |oclc=183538021}}</ref>。
現代においては、魂を肯定的にとらえることが、[[生きがい]]や[[健康]]といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている<ref>* [[大石和男]]、[[安川道夫]]、[[濁川孝志]]、[[飯田史彦]]「大学生における生きがい感と死生観の関係」(健康心理学会『健康心理学研究』2007年末掲載)
(大石和男は専修大学教授、安川道夫は専修大学教授、濁川孝志は立教大学教授、[[飯田史彦]]は福島大学教授)
 
[[スピリチュアルケア]]を提供できる状態になっていることが、病院が病院として認可されるための必要条件とされている国もあるほどである{{どこ範囲|date=2012年9月|}}もあるほどである。日本の医療の場においては欧米に比べると認識が浅く、[[スピリチュアルケア]]を提供する体制の整備が遅れがちであったが、最近では充実化に向けて様々な活動が行なわれるようになってきている<ref>{{Cite book |和書 |author=ウァルデマール・キッペス |title=スピリチュアルケア : 病む人とその家族・友人および医療スタッフのための心のケア |year=1999 |publisher=サンパウロ、1999 |isbn=4-8056-4614-4 |oclc=675993060}}</ref>
* 熊野道子 2003「[[人生観]]のプロファイルによる[[生きがい]]の二次元モデル」(『健康心理学研究16』pp.68-76)
* 熊野道子 2005「生きがいを決めるのは過去の体験か未来の予期か?」(『健康心理学研究18』pp.12-23)
* 佐和田重信、興古田孝夫、高江州なつ子他 2003「伝統的信仰意識が地域高齢者のメンタルヘルスに及ぼす影響についての検討」(『民族衛生69』pp.124-125)
* 興古田孝夫、石津宏、秋坂真史、名嘉幸一、高倉実、宇座美代子、長濱直樹、勝綾子 1999「大学生の自殺に関する意識と死生観との関連についての検討」(『民族衛生65』pp.81-91)
* [[飯田史彦]]『生きがいの創造III』PHP研究所、2007年、ISBN 4-569-69448-9</ref>。
 
また、魂の永遠性を信じることは、ターミナルケアの場に限らず、ごく普通の日常においても、人が本当の意味で健康に生きる上で重要なことである、ととらえられることも増えてきている<ref>関連文献: {{Cite journal |和書 |author=竹田恵子、太好子『[http://shuttle.kawasaki |date=2006-m.ac.jp/mw/Journal_HP/jjournal/2006_J1601-1/06_takeda.pdf01 |title=日本人高齢者のスピリチュアリティ概念構造の検討]』( |url=http://id.nii.ac.jp/1163/00012858/ |journal=川崎医療福祉学会誌 Vol.|volume=16, No.|issue=1, 2006|pages=53–66 53|language=ja |doi=10.15112/00012858 |issn=0917-66)4605}}</ref>
[[スピリチュアルケア]]を提供できる状態になっていることが、病院が病院として認可されるための必要条件とされている国{{どこ範囲|date=2012年9月|}}もあるほどである。日本の医療の場においては欧米に比べると認識が浅く、[[スピリチュアルケア]]を提供する体制の整備が遅れがちであったが、最近では充実化に向けて様々な活動が行なわれるようになってきている。<ref>ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア 病む人とその家族・友人および医療スタッフのための心のケア』サンパウロ、1999</ref>
 
[[世界保健機関]](WHO)は1984年の第37回総会で決議された「西暦2000年までにすべての人々に健康を」の決議前文で、[[健康]]が含むスピリチュアルな側面について言及した。さらに、1999年の総会においては、[[健康]]の定義文に以下の語も加えることを提案した<ref>{{Cite book |和書 |author=小田晋 |title=健康と霊性: WHOの問題提起に答えて |date=2001年4月 |publisher=宗教心理出版 |isbn=4-87960-057-1 |author2=本山博 |oclc=676341581}}</ref>:
また、魂の永遠性を信じることは、ターミナルケアの場に限らず、ごく普通の日常においても、人が本当の意味で健康に生きる上で重要なことである、ととらえられることも増えてきている。<ref>関連文献: 竹田恵子、太陽好子『[http://shuttle.kawasaki-m.ac.jp/mw/Journal_HP/jjournal/2006_J16-1/06_takeda.pdf 日本人高齢者のスピリチュアリティ概念構造の検討]』(川崎医療福祉学会誌 Vol.16, No.1, 2006 53-66)</ref>
:{{Quote|健康とは身体的・精神的・'''霊的'''・社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない。<ref>『健康と霊性』宗教心理出版、2001年、ISBN 4-87960-057-1</ref>}}
 
[[世界保健機関]](WHO)は1984年の第37回総会で決議された「西暦2000年までにすべての人々に健康を」の決議前文で、[[健康]]が含むスピリチュアルな側面について言及した。さらに、1999年の総会においては、[[健康]]の定義文に以下の語も加えることを提案した。
 
:健康とは身体的・精神的・'''霊的'''・社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない。<ref>『健康と霊性』宗教心理出版、2001年、ISBN 4-87960-057-1</ref>
 
== 脚注 ==
197 ⟶ 170行目:
* [[亡霊]]
* [[幽霊]]
 
== 外部リンク ==
* {{Kotobank}}
 
{{Normdaten}}