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{{other people|高橋健二 (競輪選手)|高橋健二|高橋健二}}
{{MedalSport|[[Image:Arc en ciel.png|50px]]}}▼
| 選手名 = 高橋 健二<br />Kenji Takahashi
| 画像 =
| 画像説明 =
| 本名 = 高橋 健二<br />たかはし けんじ
| 愛称 = 爽やかケンチャン<ref name="sensyukaibiog" />
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1952|7|13}}
| 国籍 = {{JPN}}
| 身長 = 167cm
| 体重 = 72kg
| 所属 =
| 期別 = 30期
| 分野 = 競輪 & トラックレース
| 役割 =
| 特徴 = 先行・捲り(20代半ば頃まで)
| アマ年代 =
| アマ所属チーム =
| プロ年代 = 1972-2003
| プロ所属チーム = 日本競輪選手会愛知支部
| medaltemplates ={{MedalGI|[[日本選手権競輪]]|1975}}
{{MedalGI|[[オールスター競輪]]|1985}}
| medaltemplates2 =
{{MedalCountry | {{JPN}} }}
{{MedalCompetition|[[アジア競技大会]]}}
{{MedalGold |2002 プサン|チームスプリント}}
| 更新日 = 2019年1月16日
}}
'''高橋 健二'''(たかはし けんじ
== 経歴 ==
[[春日丘中学校・高等学校|春日丘高等学校]]出身。父親、兄(高橋昭次)、弟([[高橋美行]])、息子(高橋宏和)も元競輪選手という、競輪一家。ただ、父親が早くに他界した影響もあり、高校時代は[[新聞配達]]などの[[アルバイト]]をして家計を助けたという。
[[1972年]][[10月5日]]、[[名古屋競輪場]]でデビューし、初出走初勝利を挙げたばかりか、この開催で準決勝・決勝と全て1着の[[優勝|完全優勝]]を果たす<ref name="keirinjp030917" />。翌[[1973年]]度の最優秀新人賞を獲得<ref name="keirinjp030917" />。
=== 三強時代を終焉に追い込む ===
[[1975年]]に行われた[[第28回
さらにこの大会を境に、当時絶頂で、[[1970年]]
▲さらにこの大会を境に、当時絶頂で、[[1970年]]~[[1974年]]の間に、3人合わせて11回も[[競輪の競走格付け#特別競輪|特別競輪]]を制覇してきた福島、田中、[[阿部道]]の三強がこの決勝を境に凋落したばかりか、これら三強と呼ばれる選手を追撃していた選手たちもほぼ同時に凋落することになるという、競輪界は'''ヤング全盛時代'''と呼ばれる、これまでの流れとは全く違った新しい時代へと突入することになる。
=== 生死をさまよう ===
同年5月に行われた高松記念決勝戦において、徳島の[[新田計三]]の強烈な牽制を受け落車。バンクに叩きつけられ[[全身打撲]]により意識不明の状態となり、一時は生死をさまよったこともあった。しかし翌[[1976年]]7月に復帰することになる。
=== 中野浩一のよき相談相手 ===
高橋が日本選手権を優勝した年に[[中野浩一]]がデビューしたが、中野は熊本の矢村正以外に九州で頼れる先輩がいなかったことから、後に[[世界自転車選手権]]で一緒に出場した縁もあって、高橋を頼るようになった。とりわけ、中部地区での斡旋が終わると、中野は自宅がある久留米にはすぐに戻らず、高橋の家に必ず何泊かするようになったという。
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=== 世界選手権で銅メダル ===
[[1981年]]の世界選、[[ブルノ]]大会(当時は[[チェコスロバキア]])のプロスプリントで、高橋は銅メダルを獲得。またこの年のケイリンでは、久保が同じく銅メダルを獲得している。
=== 10年半ぶりの特別競輪制覇 ===
[[1985年]]の[[オールスター競輪]]([[一宮競輪場]])において、高橋は中野にマーク。その後ろに弟の美行がつけ、さらにその後ろを藤巻が固めるという、まさに中野シンパのラインを形成。バックから捲った中野に対し、高橋は直線で鋭く中野を追い込み、10年6ヶ月ぶりに特別競輪を制覇した。2着は中野だったが、3着に美行が入り、藤巻兄弟以来の特別競輪での兄弟表彰台が実現した大会となった。
=== 50歳を過ぎてもS級選手 ===
高橋の特筆すべき点は、50歳を過ぎてもS級選手であり続けたことである。現役を引退したきっかけがA級に陥落することになったためであり([[2003年]])、新人時代から一貫してトップクラスの座を維持したことは賞賛に値するもの。また、50歳時となる[[2002年]]、[[弥彦競輪場]]で開催された[[ふるさとダービー]]に出場している。
2003年7月18日の[[松阪競輪場]]でのレースで「自分の納得のいくレースができた」ことから引退を決意。同年9月11日、選手登録消除。現役通算成績は2379戦470勝(うちGI優勝2回)、通算獲得賞金額は977,726,780円<ref name="keirinjp030917" />。
===
[[岐阜県]][[中津川市]]の[[恵那峡]]の近くにて、[[喫茶店]]「孝見さ寮」(たかみさりょう)を開店、夫婦で経営している<ref name="sensyukaibiog" />。
== 主な獲得タイトル ==
▲*[[競輪選手一覧]]
*[[1975年]] - [[日本選手権競輪]]([[千葉競輪場]])
*[[黒須修典]]▼
*[[1985年]] - [[オールスター競輪]]([[一宮競輪場]])
*[[久保千代志]]▼
*[[中野浩一]]▼
*[[福島正幸]]▼
==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[競輪選手一覧]]
▲* [[黒須修典]]
▲* [[久保千代志]]
▲* [[中野浩一]]
▲* [[福島正幸]]
== 外部リンク ==
* [http://keirin.jp/pc/racerprofile?snum=008566 選手プロフィール] - KEIRIN.JP
** 上記は[[1976年]]以降の記録のみ。1975年以前も含む全成績等は脚注にある『高橋健二選手 引退発表記者会見』を参照のこと。
{{Authority control}}
{{日本選手権競輪優勝者}}
{{オールスター競輪優勝者}}
▲{{DEFAULTSORT:たかはし けんし}}
[[Category:競輪選手]]
[[Category:日本の男子自転車選手]]▼
[[Category:KEIRINグランプリ出場者]]
[[Category:日本選手権競輪優勝者]]
[[Category:オールスター競輪優勝者]]
[[Category:中部大学春日丘高等学校出身の人物]]
[[Category:愛知県出身の人物]]
[[Category:1952年生]]
[[Category:存命人物]]
▲[[Category:日本の自転車選手]]
▲[[Category:愛知県出身の人物]]
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