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{{Infobox 力士|
|名前=房錦 勝比古
|画像 = [[File:Fusanishiki 1961 Scan10016.JPG|250px]]
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|幕内戦歴=352勝391敗7休(50場所)
|優勝=十両優勝1回
|賞=[[殊勲賞]]2回<br>[[三賞#敢闘賞|敢闘賞]]1回<br>[[技能賞]]2回
|初土俵=[[1952年]]1月場所
|入幕=[[1957年]]5月場所
|引退=[[1967年]]1月場所
|引退後=[[年寄]]・[[山響]]
|趣味= レコード<ref name="takasagoo5659"/>
|趣味=
|他の活動=
|備考=[[金星 (相撲)|金星]]6個([[鏡里喜代治|鏡里]]1個、[[千代の山雅信|千代の山]]2個、[[若乃花幹士 (初代)|若乃花]]1個、[[大鵬幸喜|大鵬]]1個、[[柏戸剛|柏戸]]1個)
|作成日時=[[2014年]][[3月5日]]
}}
'''房錦 勝比古'''(ふさにしき かつひこ、[[1936年]](昭和11年)[[1月3日]] - [[1993年]](平成5年)[[7月21日]])は、[[東京府]][[東京市]]<!-- 蒲田区もしくは大森区 -->(現:[[東京都]][[大田区]])生まれで[[千葉県]][[東葛飾郡]][[南行徳町|南行徳村]](現:[[市川市]]相之川<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.chiba.lg.jp/bunshokan/contents/tenji/documents/sumou5.pdf|title=千葉県出身の幕内力士|accessdate=2020年2月29日|publisher=千葉県ホームページ}}</ref>)出身で[[若松部屋]](一時期、[[西岩部屋]])に所属した[[大相撲]][[力士]]。本名は'''櫻井 正勝'''(さくらい まさかつ)→'''松崎 正勝'''(まつざき -)。現役時代の体格は176cm、118kg。得意手は右四つ、寄り、押し、いなし。“褐色の弾丸”と異名を取った。最高位は西[[関脇]](1959年(昭和34年)7月場所・同年9月場所)。
 
== 来歴・人物 ==
小学校入学後に終戦を迎えたが戦時中はスポーツ自体を行う余裕が社会に無かったため、幼少期に経験したスポーツと言えばかけっこ程度であった。中学校時代に野球が流行っており、松崎もその中で育った。中学時代、ランニングは苦手ではなかったが、徒競走では学校でも真ん中程度の順位であった<ref name="takasagoo5659"/>。実父が若松部屋の[[行司]]・[[式守与太夫 (行司9代)|7代式守錦太夫(のち9代式守与太夫]]であった事が縁で、[[1952年]](昭和27年)1月に若松部屋へ入門し、同年1月場所で[[初土俵]]を踏んだ。当初の[[四股名]]は、「小櫻」。「房錦」の四股名は出身地の千葉県(南部の旧称・[[安房国|安房]])に因んだものだが、最初は「総錦」と名乗るはずが、間違えて「房錦」と書かれた。後に訂正したが成績が振るわなかったため、「房錦」に戻した。
 
その間、師匠の交代(元[[小結]][[射水川健太郎|射水川]](若松)→元前頭3・[[鯱ノ里一郎|鯱ノ里]](西岩、1956年(昭和31年)より若松に名跡変更))に伴い、所属部屋の名が「西岩部屋」となっていた時期があった。
 
[[1957年]](昭和32年)5月場所、21歳で新[[入幕]]。この場所では大活躍し、14日目まで11勝3敗と絶好調で[[千秋楽]]を迎え、対戦相手はただ1人12勝2敗の新[[小結]]・[[安念山治|安念山]]、勝てば優勝決定戦に持ち込めたが流石に負けた。それでも新入幕で優勝を争った事が評価され、[[三賞|敢闘賞]]を受賞した。次の9月場所では7勝8敗と負け越したが、[[鏡里喜代治|鏡里]]から初の[[金星 (相撲)|金星]]を挙げている。
 
[[1958年]](昭和33年)9月場所と[[1959年]](昭和34年)1月場所では負け越したものの、両場所とも[[千代の山雅信|千代の山]]から金星を獲得。因みに後者のそれは、千代の山を引退に追い込む、房錦自身にとって忘れられない勝利となった。
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同年5月場所では前頭筆頭で大関・[[琴ヶ濱貞雄|琴ヶ濱]]を破って9勝6敗と勝ち越し、翌7月場所では関脇に昇進、ここでも9勝6敗と勝ち越した。この頃から1961年(昭和36年)までが房錦の全盛期で、幕内上位から三役にあって活躍した。
 
当時土俵を支配した横綱・[[栃錦清隆|栃錦]]には9戦全敗、横綱・[[若乃花幹士 (初代)|若乃花]]には1勝13敗とまるで歯が立たなかったが、若乃花戦での唯一の勝利が相手を腰砕けにさせて吹っ飛ばすという豪快なものでありこれで通じなかったと言われれば不思議に思うかもしれない。また[[大鵬幸喜|大鵬]]、[[柏戸剛|柏戸]](いずれも、のち横綱)との対戦成績はともに5勝6敗とほぼ互角で撫で斬りも2回、関脇以下でこの両者をここまで苦しめた力士は他に居らず、「柏鵬キラー」と呼ばれた。色黒で固太りの体型で体を丸め突進して押す相撲ぶりから、「褐色の弾丸」の異名を取った。この頃、同部屋の[[岩風角太郎|岩風]](最高位・関脇)とともに、幕内上位を賑わせた。1961年頃は押しておいてから急に変わることも多かった<ref name="takasagoo5659"/>
 
その後、膝と腰の故障を悪化させて[[1965年]](昭和40年)9月場所後、新入幕から50場所連続で守った幕内から[[十両]]へ陥落。以降は体力の衰えに伴って、十両でも本来の相撲が取れなくなり、[[1967年]](昭和42年)1月場所を以って現役を引退した。
 
引退後は、[[年寄]]・[[山響]]を襲名。以来、若松部屋付きの親方として後進を指導した。当時の若松親方(元[[前頭]]3・[[鯱ノ里一郎|鯱ノ里]])の娘(松崎友紀子)と結婚して親方の婿養子となっていたため、[[1979年]](昭和54年)8月、師匠の停年退職後に[[若松 (相撲)|若松]]部屋を継承した<ref name="takasagoo34">ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p34</ref>
 
しかし、[[糖尿病]]が悪化した事で相撲協会の職務が困難となり、山響親方(元[[大関]]・[[朝潮太郎 (4代)|朝潮]](現・[[高砂 (相撲)|高砂]]親方))を年寄・若松の後継者に指名して[[1990年]](平成2年)3月場所限りで廃業<ref>ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p38</ref>。これにより、[[射水川健太郎|射水川]]→鯱ノ里→房錦と3代に亘って養子縁組が続いてきた若松部屋は系統が変わった。
 
なお、師匠としては、1人も関取を育てる事ができなかった。
 
その後は療養生活を送っていたが、1993年(平成5年)7月21日に亡くなった、出血性胃潰瘍で死去。57歳没。
 
墓所は千葉県内だが非公表としている。
 
== エピソード・家族 ==
*房錦の稽古量は少なくそれを嘆いた人もいると伝わるが、大鵬や柏戸にあれほど強かった事から考えても、もし人並以上の稽古をすれば大関になっていたのではという見方がある。上位に強いのに下位にはそれほど強くない点は[[北出清五郎]]にも突っ込まれている<ref name="takasagoo5659"/>
*父・7代式守錦太夫の[[軍配]]で相撲を取った取組(1957年5月場所11日目(対[[時錦恒則|時錦]])・同場所14日目(対[[双ツ龍徳義]]))は話題になったが、双ッ龍戦で房錦に勝ち名乗りを与えた錦太夫の声は心なし震えていたとも、感情を押し殺すかのようにひどく早口であったとも言われている。このエピソードは、後に『土俵物語』として[[映画]]化もされた。
*長男には、かつて[[GAORA]]などで[[プロレス]]中継の実況をしていた[[松崎年男]]は長男であり、がいる。房錦が現役を引退し、年寄・山響を襲名した直後の1967年2月に誕生した。松崎は2007年(平成19年)現在、[[相撲茶屋]]「上州家」(相撲案内所 八番)の会長代行を務めている。
*酒豪でも知られており、野天で興業を行っていたある頃には午前9時に雨天中止が決定すると夕方までに日本酒を1斗飲んだ<ref>北の富士勝昭、嵐山光三郎『大放談!大相撲打ちあけ話』(新講舎、2016年)p190</ref>。
*1961年5月場所7日目に行われた高砂一門座談会で司会の北出清五郎から場所中に行っている頭や体の休め方を聞かれ「まあ相撲終わってからあくる日、午前中は稽古するでしょう。だから昼飯食べてから昼寝するとかいうふうにして、人とあまり会わないようにしてますね。自分一人になるように」と答えている<ref name="takasagoo5659">ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(3) 高砂部屋』p56-59</ref>。
*趣味はレコードで、現役時代は妻と二人で聴くことがあった。しかし本人曰く、レコードは[[富士錦猛光|富士錦]]の方が詳しいとのこと。[[前田川克郎|前田川]]もレコードに詳しかったという<ref name="takasagoo5659"/>。
 
== 主な成績・記録 ==
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{{Sumo record year end}}
{{Sumo record box end}}
===幕内対戦成績===
{|class="wikitable"style="text-align:center,"
|-
!力士名!!勝数!!負数!!力士名!!勝数!!負数!!力士名!!勝数!!負数!!力士名!!勝数!!負数
|-
|[[青ノ里盛|青ノ里]]||13||11(1)
|[[浅瀬川健次|浅瀬川]]||2||2
|[[東海稔|東海]]||1||0
|[[天津風武蔵|天津風]]||7||3
|-
|[[荒波秀義|荒波]]||2||3
|[[泉洋辰夫|泉洋]]||5||1
|[[一乃矢藤太郎|一乃矢]]||1||3
|[[宇多川雷蔵|宇多川]]||8||4
|-
|[[追手山貢|追手山]]||2||0
|[[扇山民雄|扇山]]||5||2
|[[大内山平吉|大内山]]||4||2
|[[大瀬川半五郎|大瀬川]]||2||3
|-
|[[大起男右エ門|大起]]||0||1
|[[大晃定行|大晃]]||9||7
|[[岡ノ山喜郎|岡ノ山]]||1||1
|[[小城ノ花正昭|小城ノ花]]||10||9
|-
|[[小野錦喜三郎|小野錦]]||1||0
|[[海山太郎|海山]]||8||2
|[[海乃山勇|海乃山]]||4||4
|[[開隆山勘之丞|開隆山]]||2||2
|-
|[[鏡里喜代治|鏡里]]||1||0
|[[柏戸剛|柏戸]]||5||6
|[[金乃花武夫|金乃花]]||7||11
|[[神生山清|神生山]]||1||0
|-
|[[神錦国康|神錦]]||1||0
|[[北ノ國仁|北ノ國]]||1||1
|[[北の洋昇|北の洋]]||8||8
|[[北の冨士勝明|北の冨士]]||1||1
|-
|[[北葉山英俊|北葉山]]||6||15
|[[君錦利正|君錦]]||6(1)||9
|[[清勢川政夫|清勢川]]||5||4
|[[鬼竜川光雄|鬼竜川]]||3||1
|-
|[[麒麟児將能|麒麟児]]||1||2
|[[黒獅子勇蔵|黒獅子]]||1||0
|[[鯉ノ勢寅雄|鯉ノ勢]]||1||0
|[[高鐵山孝之進|高鐵山]]||0||3
|-
|[[琴ヶ濱貞雄|琴ヶ濱]]||8||8
|[[琴櫻紀雄|琴櫻]]||1||5
|[[逆鉾與治郎|逆鉾]]||1||1
|[[佐田の山晋松|佐田の山]]||0||6
|-
|[[沢光幸夫|沢光]]||2||2
|[[潮錦義秋|潮錦]]||7||4
|[[信夫山治貞|信夫山]]||4||6
|[[清水川明於|清水川]]||1(1)||0
|-
|[[大豪久照|大豪]]||5||10
|[[大心昇|大心]]||0||2
|[[大鵬幸喜|大鵬]]||5||6
|[[大雄辰實|大雄]]||0||2 
|-
|[[玉嵐孝平|玉嵐]]||3||1
|[[玉乃海代太郎|玉乃海]]||6||2
|[[玉乃嶋正夫|玉乃嶋]]||0||1
|[[玉響克巳|玉響]]||1||5
|-
|[[千代の山雅信|千代の山]]||2||1
|[[常錦利豪|常錦]]||6||3
|[[鶴ヶ嶺昭男|鶴ヶ嶺]]||10||11
|[[出羽錦忠雄|出羽錦]]||12(1)||10
|-
|[[出羽湊秀一|出羽湊]]||1||1
|[[天水山正則|天水山]]||1||1
|[[時津山仁一|時津山]]||4||2
|[[時錦恒則|時錦]]||4||4
|-
|[[栃王山静|栃王山]]||2||2
|[[栃錦清隆|栃錦]]||0||9
|[[栃ノ海晃嘉|栃ノ海]]||3||6
|[[栃光正之|栃光]]||5||16
|-
|[[豊國範|豊國]]||5||9
|[[鳴門海一行|鳴門海]]||3||2
|[[成山明|成山]]||6||5
|[[羽黒川修光|羽黒川]]||2||7
|-
|[[羽黒山礎丞|羽黒山]]||14||18
|[[羽嶋山昌乃武|羽嶋山]]||4||2
|[[長谷川勝利|長谷川]]||1||1
|[[廣川泰三|廣川]]||2||2(1)
|-
|[[広瀬川惣吉|広瀬川]]||1||1
|[[福田山幸雄|福田山]]||1||1
|[[福ノ海七男|福ノ海]]||0||1
|[[福の花孝一|福の花]]||0||1 
|-
|[[富士錦章|富士錦]]||1||1
|[[双ツ龍徳義|双ツ龍]]||5||1
|[[星甲良夫|星甲]]||4||0
|[[前田川克|前田川]]||0||3
|-
|[[松前山武士|松前山]]||1||1
|[[宮ノ花秀輝|宮ノ花]]||1||0
|[[宮柱義雄|宮柱]]||1||2
|[[明武谷憲尚|明武谷]]||3||3
|-
|[[豊山勝男|豊山]]||2||5
|[[義ノ花成典|義ノ花]]||1||2
|[[芳野嶺元志|芳野嶺]]||7||1
|[[若駒健三|若駒]]||1||1
|-
|[[若杉山豊一|若杉山]]||3||2
|[[若瀬川泰二|若瀬川]]||0||1
|[[若秩父浩之|若秩父]]||10||6
|[[若天龍祐三|若天龍]]||5||3
|-
|[[若浪順|若浪]]||1||8
|[[若鳴門清海|若鳴門]]||2||4
|[[若ノ海周治|若ノ海]]||8||8
|[[若ノ國豪夫|若ノ國]]||6||3
|-
|[[若乃洲敏弥|若乃洲]]||1||1
|[[若乃花幹士 (初代)|若乃花(初代)]]||2(1)||13
|[[若羽黒朋明|若羽黒]]||13||18
|[[若葉山貞雄|若葉山]]||1||3
|-
|[[若見山幸司|若見山]]||0||2
|||||
|}
{{注|※カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。}}
 
== 改名歴 ==
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*若松 正勝(わかまつ まさかつ)1979年8月-1981年5月
*若松 孝成(わかまつ たかなり)1981年5月-1990年3月(廃業)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
*[[関脇一覧]]
*[[木村庄之助 (29代)|29代木村庄之助]](房錦の義弟)
== 脚注 ==
{{reflist}}
 
{{DEFAULTSORT:ふさにしき かつひこ}}