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歯河 (会話 | 投稿記録)
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|独自研究=2014-6
}}
'''反米保守'''(はんべいほしゅ)は、[[反米]]の立場で、[[政治哲学|政治思想]]的には[[保守]]派に属する立場をいう。思想傾向としては[[民族主義]]に近い(概念上の問題なので[[国家主義]]とは違う)。[[日本]]における[[右翼|右派]]保守派の一潮流である。対義語は[[親米保守]]。
 
== ==
歴史的な定義は、[[江戸時代]]の[[国学]]または、[[明治]]初期の『[[農本主義]]』や『'''[[アジア主義]]'''』(「[[興亜会]]」、「[[黒龍会]]」)、[[中江藤樹]]、[[山田方谷]]、[[熊沢蕃山]]らが研究に熱心だった[[神風連の乱]]の精神的支柱ともなった[[王陽明]]の『[[陽明学]]』、[[藤田東湖]]が確立した『[[水戸学]]』等の[[国粋主義]]を指す総称である。また、アジア主義に類する[[南進論]]や[[北進論]]、[[アジア・モンロー主義]]もこれに該当する。言論の世界では、とりわけ[[清国]]の文明を積極的に評価した[[陸羯南]]の「[[日本新聞社]]」あるいは『打倒英米論』を唱え続けた[[野依秀市]]の「[[帝都日日新聞]]」、政党では[[鳥尾小弥太]]が組織した保守党中正派(保守中正派)などがこれに当たる。昭和前期には、これまでのアジア主義とは異なる「[[東亜新秩序]]」など新しい思想が[[三木清]]らによって唱えられている。
 
[[1913年]]([[大正]]2年)に成立した[[カリフォルニア州外国人土地法]]により、「白閥打破」「[[亜細亜モンロー主義]]」「[[興亜論]]」を唱えた典型的な[[ナショナリズム|ナショナリスト]]である[[徳富蘇峰]]は、[[大東亜戦争]]終戦後に『敗戦学校・国史の鍵』を著し、その中で、
[[福澤諭吉]]を意識し、「白閥打破」「[[亜細亜モンロー主義]]」「[[興亜論]]」を唱えた[[戦前]]の典型的な[[ナショナリズム|ナショナリスト]]である[[徳富蘇峰]]は、[[大東亜戦争]]終戦後に『敗戦学校・国史の鍵』を著し、その中で、「[[日本]]は古来中国から巨大な影響を受け、質・量全てにおいて[[中華人民共和国|中国]]には敵わないと意識したときに負けじ魂から独自のものを生み出した。それが"'''[[神道]]'''"であり、中国に対する劣等感を日本の独自性への観念に転換した分水嶺は[[聖徳太子]]だった。聖徳太子は[[十七条憲法|十七条の憲法]]を作ることによって日本の国体を明徴させ、中国との対等の交際を築こうとした。その自尊心を表現したのが『[[日本書紀]]』だった。」と述べ、[[日中関係史|日中の関係]]を「[[横綱]](中国)と[[十両]](日本)」と表現した。また、蘇峰は[[源頼朝]]を保守的政治家の典型例として捉えた。しかしながら、[[勝海舟]]は[[北条氏]]を非常に高く評価しており、歴史家の[[内藤湖南]]や[[大山柏]]は[[奥羽越列藩同盟]]に同情的である。蘇峰の歴史観が、明治以後のいわゆる「[[薩長史観]]」に傾倒していることも事実であり、[[会津藩]]や[[石田三成]]を論じるまでには至っていない。
 
[[福澤諭吉]]を意識し、「白閥打破」「[[亜細亜モンロー主義]]」「[[興亜論]]」を唱えた[[戦前]]の典型的な[[ナショナリズム{{Quotation|ナショナリスト]]である[[徳富蘇峰]]は、[[大東亜戦争]]終戦後に『敗戦学校・国史の鍵』を著し、その中で、「[[日本]]は古来中国から巨大な影響を受け、質・量全てにおいて[[中華人民共和国|中国]]には敵わないと意識したときに負けじ魂から独自のものを生み出した。それが"'''[[神道]]'''"であり、中国に対する劣等感を日本の独自性への観念に転換した分水嶺は[[聖徳太子]]だった。聖徳太子は[[十七条憲法|十七条の憲法]]を作ることによって日本の国体を明徴させ、中国との対等の交際を築こうとした。その自尊心を表現したのが『[[日本書紀]]』だった。」と述べ、[[日中関係|『敗戦学校・国|日中関係]]を「鍵』<ref>[[横綱米原謙]](中国)と[[十両]](編 『日本)」と表現した。また、蘇峰は[[源頼朝]]を保守的政治家ナショナリズム典型例として捉えた。しかしながら、軌跡』 [[勝海舟中公新書]]は[[北条氏]]を非常に高く評価しており歴史家の[[内藤湖南]]や[[大山柏]]は[[奥羽越列藩同盟]]に同情的である。蘇峰の歴史観が2003年明治以後のいわゆる「[[薩長史観]]」に傾倒していることも事実であり、[[会津藩]]や[[石田三成]]を論じるまでには至っていない。233頁</ref>}}
[[戦後]]最大の思想史研究家と言われ、近代日本思想史の中で、保守思想を明確に定義付けたのは[[丸山真男]]である。丸山は幕末・維新期の思想家、特に[[荻生徂徠]]と福澤諭吉を丹念に研究し、明治初期の健全なナショナリズムと[[大川周明]]や[[田中智学]]に代表される昭和初期の「[[超国家主義]]」との二項対立史観の樹立を行った。この丸山の業績によって「保守」と「右翼」の違いが明瞭化され、後身の思想史家に大きな足跡を残した。続いて登場した[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]・[[江藤淳]]等は、論壇で[[戦後民主主義]]の批判を主張し、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による戦後の言論統制や図書の焚書を明かした。歴史評論の分野では[[司馬遼太郎]]が、明るい明治初期とそれ以後の暗い[[大正]]・[[昭和]]を描き出し、[[日露戦争]]を近代日本の最も輝かしい頂点とした。しかし、その「司馬史観」についてはさまざまな毀誉褒貶が生まれている。また徳富蘇峰の考えでは、日本が列強に追いつこうとして焦ったために、米国から嫉妬され行き違いが生じたのだと論じ、これが[[大東亜戦争肯定論]]に繋がっていった。
 
と述べ、[[日中関係史|日中の関係]]を「'''[[横綱]]'''(中国)と'''[[十両]]'''(日本)」と表現した。また、蘇峰は[[源頼朝]]を保守的政治家の典型例として捉えた。しかしながら、[[勝海舟]]は[[北条氏]]を非常に高く評価しており、歴史家の[[内藤湖南]]や[[大山柏]]は[[奥羽越列藩同盟]]に同情的である。蘇峰の歴史観が、明治以後のいわゆる「[[薩長史観]]」に傾倒していることも事実であり、[[会津藩]]や[[石田三成]]を論じるまでには至っていない。
 
[[戦後]]最大の思想史研究家と言われ、近代日本思想史の中で、保守思想を明確に定義付けたのは[[丸山真男]]である。丸山は幕末・維新期の思想家、特に[[荻生徂徠]]と[[福澤諭吉]]を丹念に研究し、明治初期の健全なナショナリズムと[[大川周明]]や[[田中智学]]に代表される昭和初期の「[[超国家主義]]」との二項対立史観の樹立を行った。この丸山の業績によって「保守」と「右翼」の違いが明瞭化され、後身の思想史家に大きな足跡を残した。続いて登場した[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]・[[江藤淳]]等は、論壇で[[戦後民主主義]]の批判を主張し、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]による戦後の言論統制や図書の焚書を明かした。歴史評論の分野では[[司馬遼太郎]]が、明るい明治初期とそれ以後の暗い[[大正]]・[[昭和]]を描き出し、[[日露戦争]]を近代日本の最も輝かしい頂点とした。しかし、その「司馬史観」についてはさまざまな毀誉褒貶が生まれている。また徳富蘇峰の考えでは、日本が列強に追いつこうとして焦ったために、米国から嫉妬され行き違いが生じたのだと論じ、これが[[大東亜戦争肯定論]]に繋がっていった。
 
元[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[参謀本部 (日本)|参謀本部]]作戦課長の[[服部卓四郎]]ら[[再軍備]]派が[[1952年]]、吉田首相が[[公職追放]]された者や[[国粋主義]]者らに敵対的な姿勢を取っているとして、同首相を暗殺し、[[立憲政友会]](正統派・久原派)の[[鳩山一郎]]を[[内閣総理大臣|首相]]に据えるクーデター計画を立てていたことに象徴されるように、「反米」といっても、この系譜の政治グループが敵視しているのは、アメリカそのものというより、日米安全保障条約の下における軽武装路線など、吉田政権時代に敷かれた政治路線である。[[吉田茂]]の系統である[[親米保守]](右派[[自由主義|リベラリスト]])の立場とは[[アメリカ合衆国]]に対する態度、および国家安全保障(国の生残り)と[[民族]]の誇りのどちらに重きをおくか、[[国民]]と[[国家]]のどちらに重点を置くかにおいて大きく食い違う。
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*[[経世論]]
**[[経世致用の学]] - [[地方書]] - [[制度通]] - [[民謡]] - [[農書]] - [[海防論]] - [[水戸学]] - [[石門心学]]
*[[アジア主義]] - [[アジア・モンロー主義]] - [[南進論]] - [[支那人親しむ可し]] - [[:Category:日本の中国通|中国通]]
**[[東洋学]] - [[中国学]] - [[東洋史]] - [[東亜協同体論]] - [[満州国]] - [[北進論]]
*[[農書]] - [[報徳思想]] - [[貴穀賤金]] - [[主義]]
**[[老農]] - [[明治農法]] - [[社稷]]
**[[国益]]
*[[仏教]]
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==戦後の思想と現状==
[[ファイル:Kakuei Tanaka and Ichiro Ozawa cropped 1 Stanford R Ovshinsky Momoko Ito Kakuei Tanaka and Ichiro Ozawa.jpg|thumb|300px|[[田中角栄]](左)と[[小沢一郎]](右)]]
アメリカが日本に対して命令的な態度を取るほど、干渉に反発して反米保守が拡大し、逆に[[日米関係]]が円滑に進むほど、親米保守が拡大してきた。親米保守と反米保守は共に保守勢力であり、「アメリカを好きか嫌いか」という国民感情によって保守のなかの反米派の勢力図は移り変わる面がある。たとえば近年では、児童ポルノ法のアニメやマンガへの表現規制問題や[[靖国神社]]参拝問題]]、[[クジラ]]漁捕鯨問題]]などのアメリカによる干渉で、[[インターネット]]を中心に反米保守的な主張が拡大し、親米派は懸念を示している。<ref>{{Cite web|和書|author=Nobuo Ikeda |date= 2014-01-10|url=http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51884043.html|title=反米右翼のルサンチマンが日本を孤立させる|publisher= ikedanobuo.livedoor.biz|language= Japanese|accessdate= 2015-08-02}}</ref>日本に限らず、外国からの干渉は例え人権問題であっても国民の感情的な反発を招きやすい。干渉がアドバイスを言ってるつもりでも、「優れた私達が未熟な貴方達を指導してあげます」といった差別感情や主従関係を相手国民に抱かせてしまいがちだからである。
 
反米保守の思想は、[[戦前]]・[[戦中]]の[[大日本帝国]]の流れを汲む面もある。[[支那事変]]([[日中戦争]])から[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])に至る一連の軍事行動に関しては「[[アジア]]解放および自存自衛のための戦い」「(中国、アメリカないし[[ソビエト連邦|ソ連]]の)挑発や陰謀により仕掛けられた」として肯定している者も。[[戦後民主主義]]を、占領軍と国内の[[左翼]]親米保守勢力が結託した日本の伝統や主体性に対する否定行為と非難している。米国主導の[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]についても批判する。冷戦時代は[[共産社会主義]]に対する脅威のため[[反共主義]]で[[アメリカ合衆国]]・[[親米保守]]とやむなく妥協していたが、冷戦構造の終結ののち、[[グローバリゼーション]]への違和感、[[朝鮮戦争|朝鮮侵略]]・[[ベトナム戦争|ベトナム侵略]]・[[アフガニスタン紛争 (2001年-2014年)|アフガニスタ戦争侵略]]・[[イラク戦争|イラク侵略]]・[[2011年リビア内戦|リビア侵略]]への反発、また[[小泉純一郎]]政権の登場に対して行われた[[市場原理主義]]批判や[[アングロ・サクソン]]脅威論を背景に近年台頭してきている(なお、小泉政権は対米協調の外交・内政を続けていたため、反米保守の強い批判を浴びている。また、[[2001年自由民主党総裁選挙|2001年総裁選]]において[[靖国神社]]参拝を公式に掲げて登場した小泉が、[[2006年]]まで[[終戦の日]]を避け続けてきたことへの批判も根強い)。
 
傾向として、戦前の「正統右翼」(伝統右翼)や、「[[YP体制]]([[ヤルタ会談|ヤルタ]]・[[ポツダム宣言|ポツダム]])打倒」を掲げる[[新右翼]]に似ている。[[親台派]]・親アジア(中国、韓国、北朝鮮を含まない)派が多く、[[アメリカ合衆国|米国アメリカ]]・[[中華人民共和国|中国イギリス]]・[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮フランス]]・[[ロシアオランダ]]などの第二次世界大戦の戦勝国や[[大韓民国|韓国]]などの近隣諸国、[[サウジアラビア]]などの親米独裁国家に批判的で、[[日本]]の伝統を重んじる傾向にある([[大韓民国|韓国]]・[[中華民国|台湾]]に対する態度は論者により分かれる)。外交では、[[朝鮮による日本民主主義拉致問題民共和国|拉致問題北朝鮮]]との国交正常化問題の早期解決のために[[経済制裁]]を発動するなど強硬策日朝友好を支持する意見が多く、対中・韓・露においても、領土問題([[尖閣諸島]]・[[竹島 (島根県)|竹島]]・[[樺太]]ないし[[千島列島]]を含む[[北方地域|北方領土]])や歴史認識等で比較友好強硬な立場を取る。[[親米保守]]は[[岡崎久彦]]や、[[田久保忠衛]]に見られるように[[自由韓国党|ハンナラ党]]や[[統一教会]]とのパイプを持つ親韓派が多いが、反米保守は比較的強硬路線が目立つが、感情論のみの[[反中]]・[[嫌韓]]論的な意見には批判的である。ただ、近年の韓国人による一連の対日批判や[[反日]]活動に反発する声が日本で広まっており、以前は[[親韓]]派だった論客も次々と反韓派へと鞍替えしているため、現在は親米保守・反米保守に限らず、反韓派が勢いを増している。
 
[[歴史認識]]では、[[太平洋戦争]]([[大東亜戦争]])にはおおむね肯定的で、[[日中戦争]]([[支那事変]])に関しては、日華両国や[[中国共産党]]それぞれに責任があると考えているが、「[[南京事件|南京大虐殺]]」や「[[三光作戦]]」などは中華人民和国政府や[[台湾中華民政府]]の[[プロパガンダ]]という認識をしている。[[慰安婦問題]]に関しても否定的である。さらに太平洋戦争に関連して、日本を戦争へと追い込み空襲・原爆投下などの残虐行為を行い、日本を占領し憲法などの諸制度を押し付けたとしてアメリカを批判し、反米の一つの根拠としているほか、日本が太平洋戦争を通じてアジア諸国の独立を援助したとして評価し、現在の日本もアメリカと一定の距離をとり、アジア諸国(中国、朝鮮含む)との共存の道を歩むべきだと主張する。この点は戦前の[[黒龍会]]に代表される[[大アジア主義]]と類似している。
 
[[国防]]に関しては他国とは一線を画した形での軍備増強を強く望み、そのことにより日本の主権は守られるとしている。日本がアメリカによる核抑止力、いわゆる「核の傘」の中にいることについては否定的で、漸進的な核廃絶か、単独[[日本の核武装論|核武装]]を望む傾向にある。核武装論議については、親米保守派が日米同盟の枠内での核武装・[[ドイツ]]型の[[ニュークリア・シェアリング]]や[[イギリス|英国]]型の米国との[[核兵器|核]]の共同開発を主張するのに対し、かつて[[シャルル・ド・ゴール]]元[[共和国大統領 (フランス)|フランス大統領]]が目指した[[アメリカ合衆国|米国]]とは一線を画す「単独核武装論」に似ている。日本が被爆国であること、遺族及び被爆者感情を尊重して通常兵器のみによる軍備増強を主張し核武装に反対する立場もある。
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小泉内閣の政策に対しては、[[郵政民営化]]をはじめとする[[新自由主義]]政策や[[皇室典範]]改正など、日本の社会・伝統を破壊するものが多分に含まれているという理由で否定的である。[[対米従属]]強化を警戒し、日本の真の独立('''自主独立''')として、[[日本国憲法|憲法]]を廃止し“[[自主憲法論|自主憲法]]の制定”を志向している。[[郵政民営化]]に反対したため、[[第44回衆議院議員総選挙|2005年の解散・総選挙]]で小泉[[自由民主党執行部|自民党執行部]]に「刺客」候補を送り込まれて落選した[[城内実]]は自らの立場を「真正保守主義」、「[[革新]]的な保守主義者」であるとして [http://www.kiuchiminoru.com/blog/2006/04/post_32.html]、「最近の[[規制緩和]]路線、[[市場原理主義]]、株式至上主義の行き着くところはアメリカ型の[[格差社会]]である。格差が広がりつつあることは、現場の声を聞けば明らかである」[http://www.kiuchiminoru.com/blog/2006/04/post_38.html]と小泉内閣を激しく批判し、月刊『現代』2006年7月号誌上で[[平沼赳夫]]、[[関岡英之]]との鼎談「アメリカ崇拝政治を排し、保守を再生せよ!」を行っている [http://www.kiuchiminoru.com/blog/2006/06/post_61.html]。また、郵政民営化に反対した[[綿貫民輔]]、[[亀井静香]]、[[小林興起]]らは[[国民新党]]を結成した。
 
1990年代以降は大手マスコミが反米保守派と対立しがちな新自由主義者を評価するようになったため、メディアへの出演は少ない。政界に於いても、親米保守に比べると非常に勢力は小さくなっている(特に1980年代以降)。一方で、1990年代からはアメリカ主導のグローバリゼーションへの反発や[[小林よしのり]]著作『[[サッダマニズ宣言・フセイン|サダム・フセイン]]』シリーズや[[鈴木邦男]]などの反米言論人・政治家の影響などもあり、一部の若年〜中年層や戦中派([[1920年代]]生まれの人々)に支持を広げている。
 
2009年に[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]][[政権]]が発足してからは、民主党内の反米勢力の枠組みが変化し、評論家の[[天木直人]]や[[副島隆彦]]は、[[田中角栄]]や[[保守本流]]の正統な後継者であると位置付ける向きもある[[小沢一郎]]を軸にした「親小沢(反・[[三宝会]])」(一新会・[[小沢グループ]]系)議員が唯一、対米自立を目指す勢力であり、それ以外の「反小沢」議員を対米隷属派に分類することができるとした<ref>[http://www.snsi.jp/bbs/page/1/ 14日の民主党の代表選では、組織的な不正が行われたようである]副島隆彦の学問道場 2010年9月17日</ref>。小沢一郎本人は『[[日本改造計画]]』において、日米同盟強化を前提とした『普通の国』論を主張し、[[新進党]]や[[自由党 (日本 1998-2003)|自由党]]を率いて[[小選挙区制]]・[[二大政党制]]確立のための選挙改革、新自由主義・新保守主義寄り経済政策を主張するなどし、これが識者から親米傾向のある政策との批判もあるが、小選挙区制については戦前に既に[[原敬]]が導入済みであり、また二大政党制についても戦前には[[立憲政友会]]と[[立憲民政党]]という軸があった。また、[[新党大地]]の[[鈴木宗男]]など政界での反米保守派の議員数は少なくなりつつある。論評の分野では、新党大地を支援している[[佐藤優 (外交官)|佐藤優]]は[[原理日本社]]の[[蓑田胸喜]]を再評価している。
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2011年(平成23年)には、著名な反米の日本研究者である[[カレル・ヴァン・ウォルフレン]]([[アムステルダム大学]]教授)が、小沢一郎と周辺を巡る[[対米従属]]勢力の[[官僚]]や小沢と政界を巡る著書『誰が小沢一郎を殺すのか?――画策者なき陰謀』(角川書店、2011年、ISBN 404885089X)を出版した。この他、カレル・ヴァン・ウォルフレンは90年代からアメリカ合衆国の[[覇権主義]]を非難しており、2004年の[[ジョージ・ウォーカー・ブッシュ]]の[[アメリカ合衆国大統領|大統領]]再選を嘆いている他、結論としてポスト・アメリカの時代を著書で模索している。同年[[12月28日]]には小沢グループ所属の[[内山晃]]ら他[[衆議院議員]]9名が[[野田内閣]]が推し進める[[消費税]]増税、[[環太平洋戦略的経済連携協定]](TPP)等の政策に反対し[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]を離党して「[[新党きづな]]」を結党した。
 
2012年[[9月29日]]には、元[[防衛大学校]]教授・[[孫崎享]]が[[小学館]]から『アメリカに潰された政治家たち』を刊行。孫崎享は著書の中で小沢一郎と田中角栄を紹介し、小沢一郎の2009年2月24日の[[記者会見]]の発言内容である「'''軍事戦略的に米国の極東におけるプレゼンスは[[第7艦隊 (アメリカ軍)|第7艦隊]]で十分だ'''」が[[アメリカ陸軍情報部]](MIS)の虎の尾を踏み、直後に米国の[[情報機関]]が検察にリークし、[[陸山会事件]]が勃発した経緯を一例として紹介した。また孫崎氏は小沢一郎を「最後の対米自主派」として高く評価している。
 
続いて小沢一郎と生活の党と山本太郎となかまたち(後に[[自由党 (日本 2016-)|自由党]])を結成した[[山本太郎]]は、参議院特別委員会で[[リチャード・アーミテージ]]が作成した「第3次アーミテージレポート」を紹介し<ref>{{Cite web|author= 山田順|date= 2015-08 -21|url=http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamadajun/20150821-00048709/|title=山本太郎リアル爆弾がついに炸裂!ただし、彼の世界認識は間違っている|publisher= yahoo|language= Japanese|accessdate= 2016-11-11}}</ref>、安全保障関連法案の採決では、「'''アメリカと[[日本経済団体連合会|経団連]]にコントロールされた政治家は辞めろ!'''」<ref>{{Cite web|author= |date= 2015-09 -09|url=http://www.sankei.com/politics/news/150919/plt1509190012-n1.html|title=【緊迫・安保法案】|publisher= sankei.com|language= Japanese|accessdate= 2016-11-11}}</ref>と発言するなど、[[安倍晋三]]内閣の政策が、一部アメリカの対日要求であることを暴露し始めている。
 
==脚注==