削除された内容 追加された内容
link
 
(15人の利用者による、間の19版が非表示)
1行目:
{{脚注の不足|date=2019-12-11}}
 
'''啓蒙思想'''(けいもうしそう、{{lang-en-short|Enlightenment}}、{{lang-fr-short|Lumières}}、{{lang-de-short|Aufklärung}})とは、[[理性]]による[[思考]]の普遍性と不変性を主張する[[思想]]。その主義性を強調して'''啓蒙主義'''(けいもうしゅぎ)ともいう<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%95%93%E8%92%99%E6%80%9D%E6%83%B3-59166 啓蒙思想とは] - [[大辞林]]/[[コトバンク]]</ref>。ヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように、原義は「光」あるいは「光で照らすこと」である<ref name="世界大百科2nd_啓蒙思想">[https://kotobank.jp/word/%E5%95%93%E8%92%99%E6%80%9D%E6%83%B3-59166#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 「啓蒙思想」 - 世界大百科事典 第2版]、平凡社。</ref>。自然の光({{lang-la|lumen naturale}})としての理性を自ら用いて超自然的な[[偏見]]を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味である。
 
時代的に先行する[[ルネサンス]]を引き継ぐ側面もあり、[[科学革命]]や[[近哲学]]の勃興とも連動し、一部重複もするが、一般的には専ら([[経験論]]的)[[認識論]]、[[政治哲学|政治思想]]・[[社会思想]]や[[道徳哲学]]([[倫理学]][[文芸]]活動などを指すことが多い。[[17世紀]]後半に[[イギグレートブテン王国]]で興り、[[18世紀]]の[[ヨーロッパ]]において主流となった。[[フランス王国]]で最も大きな政治的影響力を持ち、[[フランス革命]]に影響を与えたとされる。[[ヨーロッパ]]で啓蒙思想が主流となっていた[[17世紀]]後半から[[18世紀]]にかけての時代のことを'''[[啓蒙時代]]'''という。
 
== 定義と特徴 ==
[[File:John Locke.jpg|thumb|300px|right|イギリス経験論を体系化した[[ジョン・ロック|ロック]]]]
[[File:Pompadour6.jpg|thumb|300px|right|代表的なサロンを主催した[[ポンパドゥール夫人]]<br/>彼女のサロンには著名な啓蒙思想家が出入りしていた]]
啓蒙思想はあらゆる[[人間]]が共通の[[理性]]をもっていると措定し、世界に何らかの根本法則があり、それは理性によって認知可能であるとする考え方である。方法論としては[[17世紀]]以来の[[自然科学]]的方法を重視した。理性による認識がそのまま[[科学]]的研究と結びつくと考えられ、[[宗教]]と科学の分離を促した一方、啓蒙主義に基づく自然科学や[[社会科学]]の研究は[[認識論]]に著しく接近している。これらの研究を支える理論哲学としては[[イギリス経験論]]が主流であった。
 
啓蒙主義は科学者の[[理神論]]的あるいは[[無神論]]的傾向を深めさせた。イギリスにおいては[[自然神学]]が流行したが、これは自然科学的な方法において[[聖書]]に基づくキリスト教[[神学]]を再評価しようという考え方である。この神学は[[神]]の計画は合理的であるという意味で既存の聖書的神学とは異なり、啓蒙主義的なものである。自然神学の具体例としてはイギリスの[[トーマス・バーネット|バーネット]]をあげることができる。バーネットは聖書にある([[ノアの方舟]]物語における)「大洪水」を自然科学的な法則によって起こったものであると考え、[[ルネ・デカルト|デカルト]]の地質学説に基づいて熱心に研究した。また啓蒙主義の時代には聖書を[[聖典]]としてではなく歴史的[[資料]]としての文献として研究することもおこなわれた。キリスト教的な歴史的地球観とは異なった定常的地球観が主張され、自然神学などでも支持された。
 
啓蒙主義は[[進歩主義 (政治)|進歩主義]]的であると同時に回帰的である。これは啓蒙主義の理性絶対主義に起因する。理性主義はあらゆる領域での理性の拡大を促し、さまざまな科学的発見により合理的な進歩が裏付けられていると考えられた。しかし自然人と文明人に等しく理性を措定することは、[[文明]]の進歩からはなれて自然に回帰するような思想傾向をも生み出した。この時代の思想に[[ローマ]]や[[ギリシャ]]の古典時代を重視する[[ルネサンス]]的傾向が見られることも、このような回帰的傾向のあらわれである。また時間的な一時代の生活形態が空間的などこかに存在しうるというようなことを漠然と仮定する考え方も指摘できる。具体的な例を挙げれば、地理上の発見により明らかにされた[[インディアン|アメリカ住民]]を未開的段階にあるとし、[[ヨーロッパ]]的文明社会の前史的な原始状態であるとする考え方である。それが[[ユートピア]]的幻想を伴って原始社会や[[古典古代]]を美化する思想をはぐくんだ。とはいえ全体としてみれば思想の主流は進歩主義的であったといえる。
 
政治思想としては[[自然法]]論が発達し、とくに[[社会契約]]説が流行した。また理性の普遍性や不変性は人間の[[平等]]の根拠とされ、[[平等主義]]の主張となって現れた。一般的に[[性善説]]的傾向が強く、この時代の自然法はほぼ理性法と同義である。理性を信頼する傾向は往々にして[[実践理性]](すなわち良心)の絶対化に進み、政治思想において急進的な傾向を生むこととなった。しかし自然状態に対する分析的研究や[[認識論]]の深化によって実践理性の共通性・絶対性は次第に疑われ始めることになる。[[経験]]法則の認知主体としての純粋理性と道徳法則の[[実践]]主体である実践理性との分裂傾向は徐々に大きな問題となり、啓蒙思想の存立基盤を揺るがすこととなった。
20 ⟶ 21行目:
==歴史==
===イギリス===
[[17世紀]]後半に[[トマス・ホッブズ]]や[[ジョン・ロック]]が展開した[[経験論]]的な[[認識論]]や[[道徳哲学]]、[[理性]]・[[自然法]]・[[社会契約]]的な[[政治思想]]が、[[イギリス]]及び西欧における啓蒙思想・[[啓蒙時代]]の幕開けとなる。ちなみにロックは、『市民政府論』を著しており、その中に「人はみんな平等です。国民は人の権利を守らない政府を変更しても良いのです。」と記してある。
 
====スコットランド====
{{See also|スコットランド啓蒙}}
[[スコットランド]]における啓蒙思想は、ジョン・ロックの思想を[[アントニー・アシュリー=クーパー (第3代シャフツベリ伯爵)|第3代シャフツベリ伯爵]]経由で継承した[[フランシス・ハッチソン]]に始まる。彼の道徳哲学は、イギリス経験論の最後に列せられる[[デイヴィッド・ヒューム]]や、[[古典派経済学]]の祖である[[アダム・スミス]]にも影響を与える([[道徳感覚学派]]([[モラルセンス学派]]))。
 
また、ヒュームの懐疑論に対抗する形で[[スコットランド常識学派]]([[コモンセンス学派]])という一派も形成され、啓蒙思想の一翼を担った。
 
===フランス===
99 ⟶ 100行目:
ケネーのいう富が概念として公共的な利益をいうのではなく、個人的な富としての私的な利益にあることはいうまでもない。ケネーは私的な利益の増産を約束したが、それは公的な利益につながるのであろうか。同時代の思想家である[[クロード・アドリアン・エルヴェシウス|エルヴェシウス]]は彼の政治理論のなかで漠然と公共の利益と私的利益が立法機関によって調整されなければならないとしたが、この問題は政治理論の問題にとどまらず、経済理論もこれに立ち向かわなければならない運命にあることは明白であった。
 
[[アダム・スミス]]は『諸国民の富』のなかでケネーの理論に基づくような経済世界をそれ自体で完結させ、このような社会には「神の見えざる手」というような予定調和的性格を設定した。この社会の運営主体としての統治(すなわち政府)を設定した。スミスにおいては政府は財貨を生み出す経済主体とは扱われず、このような政府の公共性を支える思想としてはヒューム的な共感が考えられている。またスミスは産業革命以前の時代に生きていたにもかかわらず、工業化がもたらす分業とその合理性を指摘している。
 
スミスを継承した[[デヴィッド・リカード|リカード]]は『経済学および課税の原理』を著し、スミスの理論を発展させ、最終的に公権力が排除された経済社会を設定し、公権力と経済社会を二元的に分離したことにより、経済社会の法則性に立脚した古典経済学を確立した。また生産物の価値が希少性とそれに費やされた労働によるとし、労働価値を根拠づけた。
124 ⟶ 125行目:
啓蒙思想は17世紀イギリスではじまった。
 
[[File:Friedrich II und Friedrich Wilhelm III.jpg|thumb|300px|right|[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)]]と[[フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 (プロイセン王)|フリードリヒ・ヴィルヘルム3世]]<br />一般に、プロイセンのフリードリヒ大王は啓蒙専制君主の典型とされる。この絵では、甥の息子のフリードリヒ・ヴィルヘルム3世の前で書き物をしているが、壁に掛けられたポートレートは文通相手であった啓蒙思想家、[[ヴォルテール]]のものである]]
 
[[ヴォルテール]]の「[[哲学書簡]]」や[[シャルル・ド・モンテスキュー|モンテスキュー]]の「[[法の精神]]」により、啓蒙主義の考え方はフランスに渡り、後にフランスの[[絶対王政]]を批判するのに用いられた。[[ハプスブルク家]]の[[マリア・テレジア]]女帝、[[プロイセン王国]]の[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ大王]]、[[ロシア帝国]]女帝[[エカチェリーナ2世 (ロシア皇帝)|エカチェリーナ2世]]などが実践している。
136 ⟶ 137行目:
この考えは普及すると、やがて「理性ならざるもの」、すなわち感情や信仰あるいは生命的エネルギー(生そのもの)のような理性の枠に収まらないものへの説明に対しては、不十分なものであるということが露呈してきた(いわゆる[[生の哲学]]のはしりとも解せる)。この流れは反啓蒙思想の流れを生み出し、カントの友人であったドイツの詩人[[ハーマン]]などに厳しく批判されたほか、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]・[[フリードリヒ・フォン・シラー|シラー]]などの古典時代を規範とした、古典主義文学などに展開されていった。また、啓蒙思想に触発されたカントも、やがて批判哲学における著作(『純粋理性批判』など)でやがて理性の限界を論ずるようになり、啓蒙思想の超克を計った。しかし、この「自らの悟性を使用する決断と勇気」のあり方は、カント以降に[[ドイツ観念論]]などの19世紀のドイツ哲学の課題であったともいえる。
 
このヨーロッパでおこった啓蒙思想は、その後の世界各国で普及した。また、近代教育学の成立にも影響を与えるなど、多大な影響をあたえた。
 
== 出典 ==
143 ⟶ 144行目:
 
== 参考文献 ==
* [[エルンスト・カッシーラー]]、[[中野好之]]訳 『啓蒙主義の哲学』 [[中野好之]]訳、[[ちくま学芸文庫]] 上・下、2003年、ISBN 4480087710、ISBN 4480087729
* セルゲイ・カルプ編、[[中川久定]]・増田真監訳 『十八世紀研究者の仕事 知的自伝』 [[中川久定]]・増田真監訳、[[叢書・ウニベルシタス]]:[[法政大学出版局]]、2008年
* ロイ・ポーター 『啓蒙主義 見市雅俊訳 <ヨーロッパ史入門』 見市雅俊訳、[[岩波書店]] 2004年
** 叢書ウニベルシタス906 [[法政大学出版局]] 2008年
* J.H.ブラムフィット、[[清水幾太郎]]訳『フランス啓蒙思想入門』  [[清水幾太郎]]訳、[[白水社]]、1985年、復刊2004年
* ロイ・ポーター 『啓蒙主義』 見市雅俊訳 <ヨーロッパ史入門>[[岩波書店]] 2004年
* [[ピーター・ゲイ 中川久定ほか訳 ]]『自由の科学 ヨーロッパ啓蒙思想の社会史』中川久定ほか訳、[[ミネルヴァ書房]]全2巻 1986年
* J.H.ブラムフィット、[[清水幾太郎]]訳『フランス啓蒙思想入門』 [[白水社]]、1985年、復刊2004年
* [[市川慎一]]『啓蒙思想の三態 ヴォルテール、[[ディドロ]]、ルソー』[[新評論]] 2007年
* ピーター・ゲイ 中川久定ほか訳 『自由の科学 ヨーロッパ啓蒙思想の社会史』[[ミネルヴァ書房]]全2巻 1986年
* 大槻春彦編『[[世界の名著]]32 ロック、ヒューム』中公バックス、1980年
* 市川慎一著『啓蒙思想の三態 ヴォルテール、[[ディドロ]]、ルソー』[[新評論]] 2007年
* 大槻春彦編『世界の名著32 ロック、ヒューム』中公バックス、1980年
* 野田又夫編『世界の名著39 カント』中公バックス、1979年
* 関嘉彦編『世界の名著49 ベンサム、J・S・ミル』中公バックス、1979年
* 井上治編『世界の名著34 モンテスキュー』中公バックス、1980年
* 平岡昇編『世界の名著36 ルソー』中公バックス、1978年
* 林健太郎編『世界の名著65 マイネッケ』中公バックス、1980年
* 桑原武夫編『ルソー研究 第二版』岩波書店、1968年
* 福田歓一『政治学史』[[東京大学出版会]]、1985年、ISBN 4130320203
* [[都城秋穂]]『科学革命とは何か』岩波書店、1998年、ISBN 4000051849
* 河野健二『フランス革命小史』岩波新書、1959年
* 水野正一他編著『現代経済学』中央経済社、1989年
* J・K・ガルブレイス著、鈴木哲太郎訳『経済学の歴史』鈴木哲太郎訳、ダイヤモンド社、1988年
* 弓削尚子世界史リブレット88 啓蒙の世紀と文明観』「世界史リブレット88」山川出版社、2004年
 
== 関連項目 ==