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'''啓蒙思想'''(けいもうしそう、{{lang-en-short|Enlightenment}}、{{lang-fr-short|Lumières}}、{{lang-de-short|Aufklärung}})とは、[[理性]]による[[思考]]の普遍性と不変性を主張する[[思想]]。その主義性を強調して'''啓蒙主義'''(けいもうしゅぎ)ともいう<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%95%93%E8%92%99%E6%80%9D%E6%83%B3-59166 啓蒙思想とは] - [[大辞林]]/[[コトバンク]]</ref>。ヨーロッパ各国語の「啓蒙」にあたる単語を見て分かるように、原義は「光」あるいは「光で照らすこと」である<ref name="世界大百科2nd_啓蒙思想">[https://kotobank.jp/word/%E5%95%93%E8%92%99%E6%80%9D%E6%83%B3-59166#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 「啓蒙思想」 - 世界大百科事典 第2版]、平凡社。</ref>。自然の光({{lang-la|lumen naturale}})としての理性を自ら用いて超自然的な[[偏見]]を取り払い、人間本来の理性の自立を促すという意味である。
 
時代的に先行する[[ルネサンス]]を引き継ぐ側面もあり、[[科学革命]]や[[近哲学]]の勃興とも連動し、一部重複もするが、一般的には専ら([[経験論]]的)[[認識論]]、[[政治哲学|政治思想]]・[[社会思想]]や[[道徳哲学]]([[倫理学]][[文芸]]活動などを指すことが多い。[[17世紀]]後半に[[グレートブリテン王国]]で興り、[[18世紀]]の[[ヨーロッパ]]において主流となった。[[フランス王国]]で最も大きな政治的影響力を持ち、[[フランス革命]]に影響を与えたとされる。[[ヨーロッパ]]で啓蒙思想が主流となっていた[[17世紀]]後半から[[18世紀]]にかけての時代のことを'''[[啓蒙時代]]'''という。
 
== 定義と特徴 ==
[[File:John Locke.jpg|thumb|300px|right|イギリス経験論を体系化した[[ジョン・ロック|ロック]]]]
[[File:Pompadour6.jpg|thumb|300px|right|代表的なサロンを主催した[[ポンパドゥール夫人]]<br/>彼女のサロンには著名な啓蒙思想家が出入りしていた。]]
啓蒙思想はあらゆる[[人間]]が共通の[[理性]]をもっていると措定し、世界に何らかの根本法則があり、それは理性によって認知可能であるとする考え方である。方法論としては[[17世紀]]以来の[[自然科学]]的方法を重視した。理性による認識がそのまま[[科学]]的研究と結びつくと考えられ、[[宗教]]と科学の分離を促した一方、啓蒙主義に基づく自然科学や[[社会科学]]の研究は[[認識論]]に著しく接近している。これらの研究を支える理論哲学としては[[イギリス経験論]]が主流であった。
 
啓蒙主義は科学者の[[理神論]]的あるいは[[無神論]]的傾向を深めさせた。イギリスにおいては[[自然神学]]が流行したが、これは自然科学的な方法において[[聖書]]に基づくキリスト教[[神学]]を再評価しようという考え方である。この神学は[[神]]の計画は合理的であるという意味で既存の聖書的神学とは異なり、啓蒙主義的なものである。自然神学の具体例としてはフランイギリスの[[トーマス・バーネット|バーネット]]をあげることができる。バーネットは聖書にある([[ノアの方舟]]物語における)「大洪水」を自然科学的な法則によって起こったものであると考え、[[ルネ・デカルト|デカルト]]の地質学説に基づいて熱心に研究した。また啓蒙主義の時代には聖書を[[聖典]]としてではなく歴史的[[資料]]としての文献として研究することもおこなわれた。キリスト教的な歴史的地球観とは異なった定常的地球観が主張され、自然神学などでも支持された。
 
啓蒙主義は[[進歩主義 (政治)|進歩主義]]的であると同時に回帰的である。これは啓蒙主義の理性絶対主義に起因する。理性主義はあらゆる領域での理性の拡大を促し、さまざまな科学的発見により合理的な進歩が裏付けられていると考えられた。しかし自然人と文明人に等しく理性を措定することは、[[文明]]の進歩からはなれて自然に回帰するような思想傾向をも生み出した。この時代の思想に[[ローマ]]や[[ギリシャ]]の古典時代を重視する[[ルネサンス]]的傾向が見られることも、このような回帰的傾向のあらわれである。また時間的な一時代の生活形態が空間的などこかに存在しうるというようなことを漠然と仮定する考え方も指摘できる。具体的な例を挙げれば、地理上の発見により明らかにされた[[インディアン|アメリカ住民]]を未開的段階にあるとし、[[ヨーロッパ]]的文明社会の前史的な原始状態であるとする考え方である。それが[[ユートピア]]的幻想を伴って原始社会や[[古典古代]]を美化する思想をはぐくんだ。とはいえ全体としてみれば思想の主流は進歩主義的であったといえる。
 
政治思想としては[[自然法]]論が発達し、とくに[[社会契約]]説が流行した。また理性の普遍性や不変性は人間の[[平等]]の根拠とされ、[[平等主義]]の主張となって現れた。一般的に[[性善説]]的傾向が強く、この時代の自然法はほぼ理性法と同義である。理性を信頼する傾向は往々にして[[実践理性]](すなわち良心)の絶対化に進み、政治思想において急進的な傾向を生むこととなった。しかし自然状態に対する分析的研究や[[認識論]]の深化によって実践理性の共通性・絶対性は次第に疑われ始めることになる。[[経験]]法則の認知主体としての純粋理性と道徳法則の[[実践]]主体である実践理性との分裂傾向は徐々に大きな問題となり、啓蒙思想の存立基盤を揺るがすこととなった。
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====スコットランド====
{{See also|スコットランド啓蒙}}
[[スコットランド]]における啓蒙思想は、ジョン・ロックの思想を[[アントニー・アシュリー=クーパー (第3代シャフツベリ伯爵)|第3代シャフツベリ伯爵]]経由で継承した[[フランシス・ハッチソン]]に始まる。彼の道徳哲学は、イギリス経験論の最後に列せられる[[デイヴィッド・ヒューム]]や、[[古典派経済学]]の祖である[[アダム・スミス]]にも影響を与える([[道徳感覚学派]]([[モラルセンス学派]]))。
 
また、ヒュームの懐疑論に対抗する形で[[スコットランド常識学派]]([[コモンセンス学派]])という一派も形成され、啓蒙思想の一翼を担った。
 
===フランス===