「ミハイ1世 (ルーマニア王)」の版間の差分

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[[File:King Michael I of Romania by Emanuel Stoica.jpg|left|thumb|160px|[[アルバ・ユリア]]訪問時のミハイ1世(2007年)]]
[[File:Michael I 2014 Romanian stamp 2.jpg|right|thumb|160px|2014年発行の切手「ルーマニアの歴史」より、ミハイ1世とアンヌ妃]]
[[2001年]]7月、娘のマルガレータ王女とともに共和国政府より特別の地位を与えられ、住居・生計・活動費すべてが国庫で保証されるようになった。[[北大西洋条約機構|NATO]]加盟や[[ヨーロッパ連合|EU]]加盟のために、ヨーロッパ各国王室との縁戚関係をもつ旧ルーマニア王家のチャンネルを有効活用しようとするルーマニア政府の意図によるものである<ref>[http://www.fsight.jp/articles/print/9095 「饗宴外交の舞台裏(65):ルーマニア王子が日本外交に投げかけた難問」(新潮社『foresight』、2003年6月号)]</ref>。またミハイ1世自身もこれらの対外交渉を支援しており、その際に接受国では公賓に準じる待遇を受けた。
 
ルーマニア共和国政府との関係はおおむね良好で、大統領や首相から公式に「[[陛下]]」の敬称で呼ばれるなど、国家からの生活保障も相まってルーマニアは君主制と共和制の折衷のような状況となった。
 
90歳の誕生日となる2011年10月25日、退位後初めてルーマニア議会での演説を行った。「国家としての誇りの回復」と「民主主義の強化」を呼び掛け、多くの議員からスタンディングオベーションを受けたが、[[トラヤン・バセスク]]大統領は記念式典を欠席した<ref>[{{cite news|url=http://nna.jp/free_eu/news/20111026rol603A.html |title=元ルーマニア国王ミハイ1世、初の議会演説[社会]」(『|publisher=NNA.EU』、 |date=2011-10-26日)]}}</ref>。またこの年の5月10日には、王家はルーマニアを意味するロムニエイ(a României)を称するようになっている。
 
国民統合の象徴として広く親しまれた。2012年1月の世論調査では、過去のルーマニア政治指導者のなかで最も信頼できる公人として選出された<ref>[{{cite web|url=http://www.nineoclock.ro/romanians-have-the-highest-confidence-in-king-mihai-i |title=Romanians Have the Highest Confidence in King Mihai I]. Retrieved|publisher= |language= |accessdate=31 July 2012. }}</ref>。2013年7月における調査では、対象となったルーマニア人の56%が、ミハイ1世に対して「良い」もしくは「非常に良い」感情を持っていると答えた<ref>[{{cite web|url=http://www.ziare.com/alegeri/sondaj/41-la-suta-dintre-romani-ar-vota-pentru-mentinerea-republicii-27-2-la-suta-ar-alege-monarhia-inscop-1248839 |title=41% dintre romani ar vota pentru mentinerea republicii, 27,2% ar alege monarhia |publisher= INSCOP]. Retrieved|language= |accessdate= 2 August 2013. }}</ref>。
 
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