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}}
 
'''北方領土問題'''(ほっぽうりょうどもんだい、{{lang-ru-short|Проблема принадлежности южных Курильских островов}} , {{lang-en-short|Northern Territories dispute, KurilSouth Chishima Islands dispute}})は、[[日本|日本国]]と[[ロシア|ロシア連邦]]との間の[[領土問題]]である。
 
[[北海道]]の[[根室半島]]と[[千島列島]]の[[得撫島]]との間にある'''[[択捉島]]'''、'''[[国後島]]'''、'''[[色丹島]]'''、そして'''[[歯舞群島]]'''をあわせた4つの島が、いわゆる'''[[北方地域|北方領土]]'''(または'''北方四島''')と呼ばれる。また、これらの島々が千島列島(クリル諸島)に含まれると考える立場からは、'''南千島'''(または、'''南クリル諸島''')という語が同義語として用いられる。本記事では単に「4島」とも記す。
 
現在2022年時点、4島を[[ロシア連邦]]が[[実効支配]]しており<ref>{{Cite news|title=アングル:ロシアに翻弄される漁業の町、北海道根室に再び試練|newspaper=[[ロイター]]|date=2022-04-15|author=Daniel Leussink|agency=[[ロイター]]|url=https://jp.reuters.com/article/japan-russia-nemuro-idJPKCN2M70EY|access-date=2022-05-12}}</ref>、[[ロシア連邦政府|ロシア政府]]は「4島はロシアの[[領土]]である」と主張している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.ru.emb-japan.go.jp/japan/JRELATIONSHIP/1992.html |title=日露関係 |access-date=2022-05-12 |publisher=[[在ロシア日本国大使館]]}}</ref>。一方、[[日本国政府]]は「4島は日本の領土であり、日本に[[返還]]されるべき」と主張している<ref name=":18">{{Cite web|和書|title=北方領土問題とは?|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo.html|website=日本の領土を巡る情勢|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=外務省|date=2021-03-31}}</ref>。
 
{{TOC limit|3}}
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面積は合計で約5000 [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]で、[[愛知県]]や[[福岡県]]の面積とほぼ等しい<ref name=":1923">{{Cite web|和書|title=北方領土の位置・面積・人口|url=https://www.hoppou.go.jp/archives/basics/islands1.html|website=独立行政法人 北方領土問題対策協会|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=独立行政法人 北方領土問題対策協会}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/MENCHO/backnumber/GSI-menseki20210401.pdf|title=令和3年 全国都道府県市区町村別面積調 (4月1日時点)|accessdate=2021-08-16|publisher=[[国土交通省]] [[国土地理院]]|format=PDF}}</ref>。
 
住民として、[[近代]]以前までは主に[[アイヌ]]などの[[先住民]]が居住していた。[[1855年]]([[安政]]2年)から[[1945年]]([[昭和]]20年)までは[[日本人|日本国民]]が住み、1945年には約1万7300人が居住していた。以降は主に[[スラヴ人|スラヴ系]]の[[ロシア人|ロシア国民]]が住み、現在は約1万8000人が居住している<ref name=":1923">{{Cite web|和書|title=北方領土の位置・面積・人口|url=https://www.hoppou.go.jp/archives/basics/islands1.html|website=独立行政法人 北方領土問題対策協会|accessdate=2021-08-15|language=ja|publisher=独立行政法人 北方領土問題対策協会}}</ref>。
 
詳細は下記記事を参照のこと。
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'''ヤルタ会談後のアメリカの関与'''
 
根室振興局の調査結果によると、樺太南部の返還と千島列島の引き渡しと引き換えに、ソ連の対日参戦が決まった1945年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「[[プロジェクト・フラ]]」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた。
 
米国は1945年5月 - 9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与。4月 - 8月にはソ連兵約1万2000人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったという。
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同年8月8日、'''ソ連は当時まだ有効であったはずの[[日ソ中立条約]]に違反'''して日本に宣戦布告し、翌9日から[[ソビエト連邦軍]]([[赤軍]])が日本の勢力圏および領土へ侵攻を開始した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/1992.pdf|title=日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集|accessdate=2021-08-15|publisher=外務省|format=PDF|date=1992-09-29}}</ref><ref name=":29">{{Cite web|和書|url=https://www.hoppou.go.jp/archives/history3.html|title=北方領土問題の歴史|ソ連の占拠|accessdate=2021-08-17|publisher=独立行政法人 北方領土問題対策協会}}</ref>(なお、日本は[[1931年]]以降に当時有効であった[[九カ国条約]]に違反して[[中華民国 (1912年-1949年)|中華民国]]への[[侵略]]〈[[満洲事変|満州事変]]・[[日中戦争]]〉を続けていた<ref>{{Cite news|title=ロシアへの「兵糧攻め」の行く末は 経済制裁の予測不能な返り血|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2022-4-12|author=富田洸平, 岸善樹|url=https://www.asahi.com/articles/ASQ4C34LZQ42UPQJ007.html|access-date=2022-06-10}}</ref>)。
 
日本はこの[[ソ連対日参戦]]を受けて、5日後の同年8月14日、[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]に対して降伏した([[ポツダム宣言]]の受諾)<ref>{{Cite news|title=「原爆投下によって日本は降伏した」説は本当か?|古谷経衡|newspaper=Yahoo! ニュース|date=2020-08-07|url=https://news.yahoo.co.jp/bylineexpert/furuyatsunehiraarticles/20200807-001920544294970cfb5e3db079cf6042271800377734ed9d|accessdate=2021-08-15}}</ref>。
 
=== ソ連とロシアの実効支配 ===
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=== サンフランシスコ平和条約とその解釈 ===
{{Battlebox|conflict=北方領土問題|date=[[太平洋戦争]]及び[[ソ連対日参戦]]以降|combatant1={{JPN}}|combatant2={{RUS}}|place=[[北方領土]]|result=未解決|commander1={{Flagicon|JPN}}[[岸田文雄]]|commander2={{Flagicon|RUS}}[[ウラジーミル・プーチン|プーチン]]}}
日本は[[1951年]](昭和26年)9月8日に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]諸国との講和条約である[[日本国との平和条約|'''サンフランシスコ平和条約''']]を締結した。同条約によって'''日本は「[[千島列島]]」を放棄した'''<ref name=":4" />。
 
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=== 行政機能 ===
ロシアは4島において施政権を有しており、4島を[[極東連邦管区]]の[[サハリン州]]が管轄する地域と区分している。
同国は択捉島に「[[クリル管区|クリル市]]({{Lang-ru-short|Курильский городской округ}})」、国後島・色丹島・歯舞群島に「[[南クリル管区|南クリル市]]({{Lang-ru-short|Южно-Курильский городской округ}})」を設置して4島での行政機能を行っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://sakhalin.gov.ru/index.php?id=678|title=МУНИЦИПАЛЬНОЕ ОБРАЗОВАНИЕ "КУРИЛЬСКИЙ ГОРОДСКОЙ ОКРУГ"(自治体"クリル市")|accessdate=2021-08-17|publisher=Правительство Сахалинской области(サハリン州政府)|language=ru}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://sakhalin.gov.ru/index.php?id=693|title=МУНИЦИПАЛЬНОЕ ОБРАЗОВАНИЕ "ЮЖНО-КУРИЛЬСКИЙ ГОРОДСКОЙ ОКРУГ"(自治体 "南クリル市")|accessdate=2021-08-17|publisher=Правительство Сахалинской области(サハリン州政府)|language=ru}}</ref>。
 
詳細は「[[北方領土問題#ロシアの行政区分下の北方領土|ロシアの行政区分下の北方領土]]」節および下記記事を参照。
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***既に8月22日に千島諸島の日本軍は戦闘停止していたが、連合国からの指令「一般命令第一号」で千島諸島の日本軍は「ソヴィエト」極東軍最高司令官に降伏すべきこととされた。
** ソ連は当時、[[樺太]]と千島にとどまらず、[[北海道]]本島の北半分を占領することを目標としていた<ref name=":17" />。
1957年(昭和32年)、ソ連国境警備隊が[[貝殻島]]に上陸して占領する。
 
== 関係史(ソ連の実効支配から) ==
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==== メドベージェフ - [[菅直人]]時代 ====
*[[2010年]]
** 7月:[[中華人民共和国]]の国家主席([[中国共産党中央委員会総書記|総書記]])である[[胡錦濤]]の働きかけもあり、ロシアは日本が第二次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を「終戦記念日」に制定した<ref name="yomi1101">[https://web.archive.org/web/20101103032506/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101101-OYT1T00887.htm 露大統領「強い指導者」国内に誇示…北方領訪問] 読売新聞 2010年11月1日<br />ロシアは胡錦濤国家主席の働きかけもあって今年7月、日本が第2次世界大戦の降伏文書に署名した9月2日を「終戦記念日」に制定。</ref>。
** [[11月1日]]:ロシアの[[ドミートリー・メドヴェージェフ|メドヴェージェフ]]大統領が北方領土の[[国後島]]を訪問した。同国の[[セルゲイ・ラブロフ|ラブロフ]]外相は、「ロシアの大統領がロシアの領土を訪問した」のみであると主張した。一方で「日ロ間の協力を困難にする一歩を踏み出すつもりはない」とも述べた。この前日に同外相は「ロシア大統領は恒常的にロシアの行きたいところに行く」と述べ、日露関係には「いかなる関連もない」と主張していた<ref>{{Cite news|title=【露大統領北方領土訪問】ロ外相、日本の抗議に反発「大統領は行きたいところに行く」|newspaper=産経新聞|date=2010-11-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20101104054252/http://sankei.jp.msn.com/world/europe/101101/erp1011012048010-n1.htm|url=http://sankei.jp.msn.com/world/europe/101101/erp1011012048010-n1.htm|archivedate=2010-11-04}}</ref>。
** 11月1日:[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[フィリップ・クローリー]][[アメリカ合衆国国務次官補|国務次官補]]は記者会見の席上で、ロシアの[[ドミートリー・メドヴェージェフ|メドヴェージェフ]]大統領が国後島を訪問したことに関し「北方領土に関して、アメリカは日本を支持している」と述べた<ref name=":23">{{Cite news|title=米、北方領土問題で日本支持を正式表明|newspaper=日本経済新聞|date=2010-11-02|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM0201X_S0A101C1NN0000/|accessdate=2021-08-16}}</ref>。
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***日本の[[ジャーナリスト]]の[[名越健郎]]は、「前任の[[ドナルド・トランプ]]とは異なり、バイデンはロシアに敵対的で、かつ日本などの同盟国と米国との結束を重視する。そのため日本とロシアとの交渉は難航化する可能性がある」と推測した<ref name=":1" />。
**2月:ロシアのプーチン大統領が「日本との関係は発展させたいが、'''ロシア憲法に違反することは何もするつもりはない'''。」と述べた。
***日本の著述家の[[亀山陽司]]は、「これは『ロシア領土の割譲を禁止』した条項を指している。この条項では例外規定として国境画定交渉を認めているが、この発言は、北方領土交渉は国境画定交渉ではない(つまり例外にはあたらず憲法違反である)ということを示唆している」と推測した<ref>{{Cite web|和書|title=北方領土交渉に日本のカードはあるか?(亀山陽司)|url=https://news.yahoo.co.jp/bylineexpert/kameyamayojiarticles/20210630-002456891527b9000a9851eb490fb5338daea9b46a7a3a92|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2021-08-14|language=ja|publisher=Yahoo! JAPAN|date=2021-06-30}}</ref>。
**2月7日:日本の東京で開催された「北方領土返還要求全国大会」で、北方四島について「法的根拠のないままに75年間占拠され続けている」と主張するアピールを採択した。2年間使われていなかった'''「不法占拠」という文言を事実上復活させた'''<ref name=":2" />。
**8月19日:1人の[[ロシア人]]男性が、4島の[[国後島]]から[[北海道]]本島へ海を泳いで渡航し、日本の当局に保護・拘束される事件が起こった<ref name=":38">{{Cite news|title=「国後から来た」なら「国内移動」 ロシア人男性処遇に日本政府苦慮 標津で保護1週間|newspaper=[[北海道新聞]]|date=2021-08-29|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/582551/|accessdate=2021-09-08}}</ref><ref name=":39">{{Cite news|title=「プーチン政権に嫌気」 難民認定申請のロシア人 国後から「23時間泳いだ」|newspaper=[[北海道新聞]]|date=2021-09-07|url=https://www.hokkaido-np.co.jp/article/586716/|accessdate=2021-09-08}}</ref><ref name=":40">{{Cite news|title=国後島から“遠泳”ロシア人男性 「23時間泳いできた」|newspaper=[[北海道放送]]|date=2021-09-08|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/31115413d0469254da0ea206e6a4fe06144d057b|accessdate=2021-09-08|agency=Yahoo! ニュース|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210908184150/https://news.yahoo.co.jp/articles/31115413d0469254da0ea206e6a4fe06144d057b|archivedate=2021-09-08}}</ref>。
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トルーマンはスターリンの要求を受け入れた。しかし、同時にスターリンが要求した北海道東北部の占領要求は、ヤルタ協定になかったので拒否した。他方、米国側はソ連に対し、千島列島中部の一島に米軍基地を設置させるよう要求したが、スターリンに拒否された。
 
翌1946年1月、連合軍最高司令官訓令[[SCAPIN]]第677号により、日本政府は、[[琉球諸島|琉球]]・[[千島]]・[[歯舞群島]]・[[色丹島]]・[[南樺太]]などの地域における行政権の行使を、正式に中止させられた。その直後、ソ連は占領地を自国(厳密には[[ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国]])の領土に編入している。サンフランシスコ平和条約に調印していないソ連が占領した島々を、ロシアが現在も実効支配している。
 
=== サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約) ===
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2014年、択捉島の中央部に民間空港として[[ヤースヌイ空港]]が開港した。滑走路の全長は約2300 [[メートル|m]]で、サハリン・[[ユジノサハリンスク]]との間で定期便が運航されている。一方空軍は旧日本軍が建設した空港を使用している。
 
2018年1月30日、メドベージェフ首相は、ロシア空軍がヤースヌイ空港を基地としても使用する軍民共用化を許可する政令に署名した<ref>[https://web.archive.org/web/20180202190806/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180202/k10011313451000.html?utm_int=news_contents_news-genre-new_001 「北方領土 択捉島の空港をロシアが軍民共用化」NHKニュース、2018年2月2日]</ref>。
 
==== 国後島、択捉島におけるロシアによるミサイル及び師団の配備 ====
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== 解決案 ==
当事国が領土の帰属問題について合意することが困難な際、[[国際連合|国連機関]]である[[国際司法裁判所]]を利用することができる。しかし国際司法裁判所の制度によれば、付託するためには紛争当事国両国の同意が必要であり、仮に日本が提訴した場合、ロシアが国際司法裁判所への付託に同意しない限り審議は開始されない。ただし、領土問題は存在しないとするロシアの立場上、ロシアが国際司法裁判所への付託に同意することはない。過去の北方領土問題関連の国際司法裁判所をめぐる外相間交渉については上記「北方領土関係史」の1972年の箇所を参照のこと。個別交渉の場合、ソビエト・ロシアはサンフランシスコ講和条約に参加していないため、北方領土問題解決には、ロシアの同意が不可欠となっている。これに対して下記各項目のような提案や交渉が行われてきた。
 
===日本の全面放棄論===
四島に対する日本の領土返還主張を日本政府が全面放棄し、ロシアの支配及び領有を、現実としてだけでなく、法的にも正当なものとして承認し、その上で四島に対して日本が経済開発などで進出していく解決法である。これは領土問題は存在しないとするロシアの立場とも一致する上、交渉が進展しないがために日本側からも全面放棄論が出てきている<ref>[[#浦野(2014)|浦野(2014)]]、p.86</ref>。
 
半面、この解決法は1956年の日ソ共同宣言の「平和条約締結後に歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡す」「日ソ間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続する」とする条文を完全に否定している。これについては、かつて日本は「日ソ共同宣言の存在自体を否定している」として、反対の立場をとっていたが、最近はそのような態度は見せなくなりつつある。ロシアは「日ソ共同宣言はあくまでもソ連によって出されたものであり、ソ連が存在しない現在では全くの無効である」として、日本の領土返還主張の全面放棄こそが最善策であるとの見解を示している。
 
=== 四島返還論 ===
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[[カイロ宣言]]<ref group="*">「右同盟国ハ自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス」「右同盟国ノ目的ハ日本国ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始以後ニ於テ日本国カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコトニ在リ」</ref>の趣旨においてこの四島を「占領」状態ではなく「併合」宣言したことは信義に対する著しい不誠実であり、ポツダム宣言に明示されている放棄すべき領域が[[カイロ宣言]]を指定している以上、「千九百十四年ノ第一次世界戦争ノ開始」以前からの領土である千島列島、あるいは少なくともソビエトの署名がないサンフランシスコ講和条約に立脚したとしても「一度も外国の領土になったことのない」日本固有の領土である北方四島をソビエトが併合宣言したことは承認できない、とする。
 
連合国は、第二次大戦の処理方針として大西洋憲章やカイロ宣言で[[領土不拡大の原則]]を宣言しており、ポツダム宣言にもこの原則は引き継がれている。この原則に照らすならば、ロシアの北方四島領有は領土不拡大の原則に反した不法行為であり、北方四島は戦勝国であるソ連が獲得した正当なロシア固有の領土であるという主張は成り立たない。したがって、ロシアには日本固有の領土である北方領土の放棄を求める権限はなく、またそのような法的効果を持つ国際的取決めも存在しない。
 
日本は「北方四島に対する我が国の主権が確認されることを条件として、実際の返還の時期、態様については、柔軟に対応する」「北方領土に現在居住しているロシア人住民については、その人権、利益及び希望は、北方領土返還後も十分に尊重していく」とする四島返還論を主張している<ref>[https://www8.cao.go.jp/hoppo/mondai/01.html 北方領土問題とは] 内閣府HP</ref>。
 
=== 二島譲渡論 ===
[[日ソ共同宣言]]に基づき、宣言通りに平和条約を締結後に[[歯舞群島]]・[[色丹島]]を「引き渡す」ことによって、領土問題を終結するとするのが「唯一の法的根拠がある」<ref>[https://web.archive.org/web/20101113101641/http://sankei.jp.msn.com/world/europe/101110/erp1011101416008-n3.htm 「1956年の(日ソ共同)宣言が唯一の法的根拠がある文書」メドベージェフ大統領、2009年7月]</ref>解決策だとする。ロシア側は、「この解決策は「返還」にはあたらず、「善意に基づく譲渡」に該当する」との立場を取っている。
 
ロシア側の根拠は、「日本は既にサンフランシスコ講和条約によって、北方四島を含む千島列島の領有権を放棄しているため、旧ソビエトの領有宣言により、北方領土の領土権はすでにロシアにある」というものである。サンフランシスコ講和条約の第2条(c) で日本は[[千島列島]]を放棄している。ロシア側はこの千島列島の定義には北方四島が含まれるとする。その根拠として日本が署名した[[樺太・千島交換条約]]のフランス語の原文が示される。この認識の上で、"両国の平和条約締結および、ロシアの千島列島に対する領土権を国際法上で明確に確立するという国益のためならば、平和条約を締結後に[[歯舞群島|歯舞]]・[[色丹島|色丹]]の二島を日本側に「引き渡し」てもよい"とするのがロシア側の立場である。また"この立場は日ソ共同宣言で日ロの両国が確認しているので、これから遊離することはあり得ないだけでなく、四島「返還」を求める日本は不誠実である"とロシア側は主張している。
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なお、旧ソビエトはサンフランシスコ講和条約に署名しておらず、同条約からの利益をえることは25条により拒否されている([[#サンフランシスコ講和条約(日本国との平和条約)|先述]])。結果として、日本はロシアとは未だに平和条約を締結していない。さらに、サンフランシスコ講和条約ならびに日ソ共同宣言では日本が放棄した千島列島および南樺太がどの国に帰属するのかは明記されておらず、不明のままである。これに対してロシアは[[サハリン州]]を設置し、千島列島および南樺太の領有を主張しているが、国際法上は法的根拠が無いとされている。
 
ロシア側は、"日本の領有権そのものがすでに消滅しており、両国の平和条約の締結における条件は日ソ共同宣言で確認済みであり、この合意を破棄した日本に問題の根源がある"と見なしており、現在では述の日本の領土返還主張全面放棄がよりよい解決策であるとの見解を示すようになっている。これに対して、日本側は"北方領土の全ての「領有権」を主張する立場"を取っており、両国の交渉は平行線をたどる状況にある。
 
=== 四島内を対象にした議論・言及 ===
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: 三島返還論に言及した政治家には、[[鳩山由紀夫]]、[[河野太郎]]、[[森喜朗]]らがいる。鳩山の「三島返還論」は、[[2007年]][[2月]]にロシアの[[ミハイル・フラトコフ]][[ロシアの首相|首相]](当時)が訪日した際、[[音羽御殿]]での雑談の中で飛び出したものである。しかし鳩山は、[[2009年]][[2月]]の日露首脳会談で、[[麻生太郎]][[内閣総理大臣|首相]]が「面積二等分論」に言及したことに、「国是である4島返還論からの逸脱」と激しく批判しており、主張を変えている。
; 共同統治論
: 「コンドミニウム」とも呼ばれ、近現代史上にいくつかの例がある<ref>[https://web.archive.org/web/20031013082241/http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/2917/zatsu/kyodou.html 世界飛び地領土研究会「共同統治領」]</ref>。成功例として代表的なものには[[アンドラ]]があり、失敗例には[[樺太]]や[[ニューヘブリディーズ諸島]](現[[バヌアツ]])がある。具体案としては、例えば、かつてのアンドラのように、日露両国に択捉・国後の両島への[[潜在主権]]を認めながらも、住民に広い[[自治権]]を与えることで自治地域とすることが考えられる。もし日露両政府が島の施政権を直に行使すれば、日露の[[公権力]]の混在から、樺太雑居地(1867年 - 1875年)のような混乱を招く可能性が指摘されている。このため、住民に自治権を認め、両政府が施政権を任せることで、そうした混乱を防ぐことが必要になる。また、両島を[[国際連合]]の[[信託統治|信託統治地域]]とし、日露両国が施政権者となる方法も可能である。この場合は施政権の分担が問題となる。
: 共同統治論の日本側にとってのメリットとしては、難解な択捉・国後の領有問題を棚上げすることで、日本の漁民が両島の周辺で漁業を営めるようになることや、ロシア政府にも行政コストの負担を求められることなどが挙げられる。ロシア側にとってのメリットは、日本から官民を問わず[[投資]]や援助が期待でき、また、この地域における[[貿易]]の拡大も望めることである。共同統治論には、[[エリツィン]]や[[鳩山由紀夫]]、[[エフゲニー・プリマコフ|プリマコフ]]、[[アレクサンドル・ロシュコフ|ロシュコフ]]駐日ロシア大使(当時)、[[富田武]](政治学者)らが言及している。法律的見地からも、[[日本国憲法前文]]2項<ref>前文第2項「…全世界の国民が…平和のうちに生存する権利…」</ref>、[[ロシア連邦憲法]]9条2項<ref>第1編第1章第9条第2項「土地およびその他の天然資源は、私有、国有、自治体所有およびその他の所有形態の財産とすることができる。」(訳文参考: [[三省堂]]『新解説 世界憲法集』2006年11月25日発行、[[有信堂]]『世界の憲法集 第二版』1998年8月21日発行)</ref>に合致する。
; 面積2等分論
971 ⟶ 977行目:
 
=== 千島列島全島返還論 ===
「北千島を含めた千島列島全体が日本固有の領土であり、日本に返還されるべき」と主張する勢力も存在する。[[日本共産党]]は、「千島・樺太交換条約は平和裏に締約されており、この樺太・千島交換条約を根拠に、得撫島以北を含めた全千島の返還を要求できる」という、千島列島全島返還の立場をとっている<ref>[httphttps://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-08/02_02.html 2005年2月8日(火)「しんぶん赤旗」 「北方領土返還要求全国大会」での志位委員長のあいさつ(大要)]</ref><ref>[https://www.youtube.com/watch?v=xS_SKMmsoo0 北方領土問題と共産党/意外な共産党の「強硬」姿勢の論理とは(2022年3月11日)] テレ東BIZ</ref>。
 
{{Quotation|
[[スターリン]]時代の旧ソ連は、第二次世界大戦の時期に、バルト三国の併合、中国東北部の権益確保、千島列島の併合をおこないました。これは「領土不拡大」という連合国の戦後処理の大原則を乱暴にふみにじるものでした。このなかで、いまだにこの無法が正されていないのは、千島列島だけになっています。[[ヤルタ協定]]の「千島引き渡し条項」やサンフランシスコ条約の「千島放棄条項」を不動の前提にせず、スターリンの領土拡張主義を正すという正義の旗を正面から掲げて交渉にのぞむことが、何より大切であることを強調したいのであります。
 
(2005年2月7日 日本共産党委員長 志位和夫)<ref>[httphttps://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-02-08/02_02.html 「北方領土返還要求全国大会」での志位委員長のあいさつ]</ref>
 
日露領土問題の根源は、第2次世界大戦終結時におけるスターリンの覇権主義的な領土拡張政策にある。スターリンは、[[ヤルタ会談]](1945年2月)でソ連の対日参戦の条件として千島列島の「引き渡し」を要求し、米英もそれを認め、この秘密の取り決めを根拠に、日本の歴史的領土である千島列島(国後、択捉(えとろふ)から、占守(しゅむしゅ)までの全千島列島)を併合した。これは「[[カイロ宣言]]」(1943年11月)などに明記され、自らも認めた「領土不拡大」という戦後処理の大原則を蹂躙するものだった。しかもソ連は、千島列島には含まれない北海道の一部である歯舞群島と色丹島まで占領した。第2次世界大戦終結時に強行された、「領土不拡大」という大原則を破った戦後処理の不公正を正すことこそ、日ロ領土問題解決の根本にすえられなければならない。
 
(2010年11月9日 日本共産党委員長 志位和夫)<ref>[httphttps://www.jcp.or.jp/seisaku/2010/20101109_ryoudo_shii_seifu.html 歴代自民党政権の日ロ領土交渉方針の根本的再検討を(2010年11月9日 日本共産党)]</ref>
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なお、日本共産党の北方領土を含む千島列島問題に関する姿勢は一貫しておらず、全千島列島をソ連領としたり、歯舞・色丹の二島の返還を主張していた時期もあった<ref group="*">
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[[フェリス女学院]]大学教授である齋藤孝滋は、「日ロ国境地域領土政策大学」設置による解決策を提言する<ref> [http://linguistic-culture.rindo1.com/index.php?go=DxwEK6 北方領土と日本国のあり方~領土問題から新たな国家・世界への変容を~(要旨)]「日本語と日本人に関する言語・文化・教育・政策の提言」を行う会</ref>。これは多文化共生の新生北方領土社会構築を目的としたものであり、従来の島の返還論のみに終始する日本国側の北方領土問題解決姿勢を根本的に問い直す政策提言であるとする。齋藤によればそもそも「北方領土問題の解決」とは島の返還のみでなく「返還後に実現すべき社会を構築する際の諸問題の解決」まで含まれるべきものであり、北方領土に係る育成すべき後継者についても、単に島の返還にとどまらず、多文化共生の新生北方領土社会(アイヌ人・日本人・場合によりロシア人)において、先住民・旧住民とともに社会の一員となり、指導的立場で、新生北方領土社会のみならず近隣諸国・地域をも経済的・文化的両面で豊かにする政策を、立案・実施できる人材であるべきとする。そこで理想的には日ロ政府共同出資による「日ロ国境地域領土政策大学」を、北方領土内(第1候補は国後島)に「北方研究学園都市」のかたちで設置し、世界的視野で領土・民族問題を研究するために、教官と学生を日本のみならず全世界から募り、北方研究学園都市を、多文化共生の新生北方領土社会のモデル社会として育ていく必要性を説く。大学の設置計画の始動時期は、ロシアの「クリル開発計画」とのタイアップを考慮し、計画が折り返しを迎える年である2011年であるとする。そして、日ロ国境地域領土政策大学を拠点として、(大学設置期間を含め)今後約10年かけての、北方領土問題の完全解決を目指すものとする。
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===日本の全面放棄論===
四島に対する日本の領土返還主張を日本政府が全面放棄し、ロシアの支配及び領有を、現実としてだけでなく、法的にも正当なものとして承認し、その上で四島に対して日本が経済開発などで進出していく解決法である。これは領土問題は存在しないとするロシアの立場とも一致する上、交渉が進展しないがために日本側からも全面放棄論が出てきている<ref>[[#浦野(2014)|浦野(2014)]]、p.86</ref>。
 
半面、この解決法は1956年の日ソ共同宣言の「平和条約締結後に歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡す」「日ソ間に正常な外交関係が回復された後、平和条約の締結に関する交渉を継続する」とする条文を完全に否定している。これについては、かつて日本は「日ソ共同宣言の存在自体を否定している」として、反対の立場をとっていたが、最近はそのような態度は見せなくなりつつある。ロシアは「日ソ共同宣言はあくまでもソ連によって出されたものであり、ソ連が存在しない現在では全くの無効である」として、日本の領土返還主張の全面放棄こそが最善策であるとの見解を示している。
 
=== ロシア側からの返還論 ===
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* [[北千島・南樺太の帰属問題]]
* [[北方地域]]
* [[領土不拡大の原則]]
* [[ギドロストロイ]] - 北方領土最大の企業で水産業を中心に、建設や金融など幅広い分野を手掛けている。
* [[エストニアとロシアの領有権問題]]