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{{別人|x1=元プロ野球選手の|渡邉恒樹}}
{{年譜のみの経歴|date=2015年8月}}
{{表記揺れ案内|表記1=渡辺洪基|表記2=渡邉洪基|表記3=渡邊洪基|議論ページ=}}
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[[File:Late Mr. Hiromoto Watanabe.jpg|thumb|200px|渡辺洪基]]
'''渡辺 洪基'''<ref group="注">『職員録』などの印刷物では正字に統一するとの慣例により「'''渡邊'''」と印刷されているが、本人が手書きした署名は「'''渡邉'''」となっている。現在の人名辞典などでは常用漢字で「渡辺」と表記する。</ref>(わたなべ ひろもと / こうき、[[1848年]][[1月28日]]〈[[弘化]]4年[[12月23日 (旧暦)|12月23日]]〉- [[1901年]]〈[[明治]]34年〉[[5月24日]])は、[[江戸時代]]末期([[幕末]])から明治時代の[[日本]]の[[医師]]([[軍医]])、[[官僚]]、[[政治家]]。[[幼名]]・孝一郎、[[雅号|号]]は浩堂、旦堂。
[[越前国]]
大学([[文部省]]の前身)及び[[外務省]]に出仕後、[[元老院議官]]、[[東京都知事一覧|東京府知事]]、[[東京帝国大学|帝国大学]]([[東京大学]]の前身)初代総長、文官試験局長官、駐[[オーストリア=ハンガリー帝国|オーストリア]]兼[[スイス]][[特命全権公使|公使]]、[[大日本帝国憲法#議会制|衆議院議員]]、[[貴族院 (日本)|貴族院議員]]等を歴任し、[[興亜会]]、東京統計協会(日本統計協会の前身の一つ)、[[国家学会]]、[[日本建築学会]]、工業化学会([[日本化学会]]の前身の一つ)など多数の学会会長を務めた他、工手学校([[工学院大学]]の前身)、[[大倉高等商業学校|大倉商業学校]]([[東京経済大学]]の前身)の設立に関わった。
== 経歴 ==
* 1848年([[弘化]]4年) -
* [[1857年]]([[安政]]4年) - 府中の
* [[1864年]]([[元治]]元年) - 18歳で
* [[1865年]]([[慶応]]元年) - [[福澤諭吉]]に師事して[[慶應義塾]]
* [[
* [[1868年]]([[明治]]元年) - 会津藩で英学教授後、米沢藩の洋学校開設に尽力。慶應義塾の[[長島鷲之介]]・[[横尾東作]]らが協力。
* [[1871年]](明治4年)- [[岩倉使節団]]に随行(22歳)。▼
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* [[1873年]](明治6年) - 二等書記官、在オーストリア及びイタリア公使館在勤を被命。赴任後、イタリア在勤は免じられ、一等書記官に。
* [[1887年]](明治20年)- 工手学校([[工学院大学]]の前身)を築地に設立(40歳)。▼
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* [[1876年]](明治9年) - 前年の公使館在勤被免後、欧州アジアを漫遊し帰国。外務権大丞に。
* [[1891年]](明治24年)- 芝紅葉館において、慶應義塾の同窓である[[中沢彦吉]]、[[九鬼隆一]]、[[加藤政之助]]、[[加藤六藏]]、[[柏田盛文]]、[[犬養毅]]、[[井上角五郎]]、[[牛場卓蔵]]、[[鹿島秀麿]]、[[塩路彦右衛門]]、[[橋本久太郎]]らと共に同窓会を行う。▼
* [[1877年]](明治10年) - 外務権大書記官に。内国勧業博覧会御用掛兼勤。
* [[1892年]](明治25年)- [[両毛鉄道]]社長(45歳)。[[品川弥二郎]]の手引により[[国民協会 (日本 1892-1899)|国民協会]]創立に参画。[[第2回衆議院議員総選挙]]に東京府第2区より出馬し当選。▼
* [[1878年]](明治11年) - 外務大書記官に。[[太政官 (明治時代)|太政官]]大書記官に(法制局専務)。以後、1881年迄に法制部専務・同主事、司法部主事、外務省記録局長等を歴任。
* [[1895年]](明治28年)- [[慶應義塾評議員]]▼
* [[1884年]](明治17年) - 工部少輔に。
* [[1885年]](明治18年) - [[東京都知事一覧|東京府知事]]着任。
* [[1886年]](明治19年) - [[帝国大学]](現[[東京大学]])[[東京大学の人物一覧#歴代総長|初代総長]](39歳)。
▲* [[1887年]](明治20年) - 工手学校([[工学院大学]]の前身)を築地に設立(40歳)。
* [[1890年]](明治23年) - オーストリア兼スイス駐箚[[特命全権公使]]に(1892年迄)。
▲* [[1891年]](明治24年) - 芝紅葉館において、慶應義塾の同窓である[[中沢彦吉]]、[[九鬼隆一]]、[[加藤政之助]]、[[加藤六藏]]、[[柏田盛文]]、[[犬養毅]]、[[井上角五郎]]、[[牛場卓蔵]]、[[鹿島秀麿]]、[[塩路彦右衛門]]、[[橋本久太郎]]らと共に同窓会を行う。
▲* [[1892年]](明治25年) - 依願退官。[[両毛鉄道]]社長(45歳)。[[品川弥二郎]]の手引により[[国民協会 (日本 1892-1899)|国民協会]]創立に参画。[[第2回衆議院議員総選挙]]に[[東京府第2区 (1890-1898)|東京府第2区]]より出馬し当選。
▲* [[1895年]](明治28年) - [[慶應義塾評議員]]
* [[1897年]](明治30年)12月23日 - 貴族院議員に勅選<ref>『官報』第4346号、明治30年12月24日。</ref>。
**12月28日 - [[錦鶏間祗候]]<ref>[{{NDLDC|2947638/5}} 『官報』第4350号、明治31年1月4日、8頁]。</ref>
* [[1900年]](明治33年) - 政商・[[大倉喜八郎]]の設立した[[大倉高等商業学校|大倉商業学校]]の督長(校長)に就任する。
* [[1901年]](明治34年) - 死去。[[享年]]54。
== 栄典 ==
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* [[1882年]](明治15年)6月30日 - [[従四位]]
* [[1886年]](明治19年)10月20日 - [[従三位]]<ref>[{{NDLDC|2944228/2}} 『官報』第994号、1886年10月21日、210頁]。</ref>
* [[1901年]](明治34年)4月16日 - [[正三位]]<ref name="#1">[{{NDLDC|2948632/4}} 『官報』第5335号、1901年4月19日、399頁]。</ref>
;勲章等
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* [[1888年]](明治21年)5月29日 - [[旭日章|勲二等旭日重光章]]<ref>[{{NDLDC|2944710/1}} 『官報』第1473号、1888年5月30日、321頁]。</ref>
* [[1889年]](明治22年)11月25日 - [[記念章#賞勲局所管の記念章|大日本帝国憲法発布記念章]]<ref>[{{NDLDC|2945177/2}} 『官報』第1928号、1889年11月30日、291-292頁]。</ref>
* [[1901年]](明治34年)4月16日 - [[勲一等瑞宝章]]<ref
;外国勲章佩用允許
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== 関連文献 ==
* [[国立公文書館]]所蔵「[https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000776408 渡辺洪基]」
** 我部政男、[[広瀬順晧]]編 『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書 上巻』 [[柏書房]]、1995年6月、ISBN 4760111662
* 国立公文書館所蔵「[https://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/Detail_M0000000000000041650 従三位勲二等渡辺洪基叙勲ノ件]」
* 『夢
* [[東京大学]]百年史編集室編
** 東京大学史史料室編刊 『渡邊洪基史料目録』
* 黒木彬文
* 須々田黎吉
* 中野実
** 中野実
* 東京大学創立一二〇周年記念刊行会編 『東京大学歴代総長式辞告辞集』
* [[瀧井一博]]
** 「渡辺洪基 : 日本のアルトホーフ」(『人文論集』第41巻第2号、[[兵庫県立大学]]神戸学園都市キャンパス学術研究会ほか、2006年3月、{{NAID|110006605295}})
** 「渡辺洪基と国家学会」([[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]
** 「帝国大学の初志 : 初代総長、渡辺洪基の考えたこと」([[猪木武徳]]
** 「博覧と衆智 : 渡辺洪基と萬年会の目指したもの」([[佐野真由子]]編 『万国博覧会と人間の歴史』
** 『渡邉洪基 : 衆智を集むるを第一とす』 [[ミネルヴァ書房]]〈[[ミネルヴァ日本評伝選]]〉、2016年8月、ISBN 9784623077144
** 「明治日本の危機と帝国大学の〈結社の哲学〉 : 初代総長渡邉洪基と帝国大学創設の思想的背景」([[伊藤之雄]]、[[中西寛]]編 『日本政治史の中のリーダーたち : 明治維新から敗戦後の秩序変容まで』 [[京都大学学術出版会]]、2018年3月、ISBN 9784814001408)
* 荒井明夫
* 文殊谷康之
* 赤間純一
*『慶應義塾入社帳 第1巻』福澤諭吉研究センター(編)、慶應義塾、1986年。
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
* [
* [
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[[Category:日本の官僚 (1868-1949)]]
[[Category:医学所の教員]]
[[Category:江戸時代の医学者]]
[[Category:東京地学協会の人物|*わたなへひろもと]]
[[Category:興亜会の人物]]
275 ⟶ 289行目:
[[Category:福井県出身の人物]]
[[Category:幕末越前福井藩の人物]]
[[Category:幕末会津藩の人物]]
[[Category:1847年生]]
[[Category:1901年没]]
[[Category:日本の高等教育の歴史|人]]
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