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|座標右上表示 = Yes
|本社地図国コード = JP-13
|設立 = [[1877年]]([[明治]]10年)[[5月1日]]<ref name="gensei">{{Cite web|和書|url=https://www.jrc.or.jp/about/pdf/20230711-06d3fab54957e6590d5efffa11995ead014d1562.pdf|title=日本赤十字社 現勢|publisher=日本赤十字社|date=2023-07-03|format=pdf|accessdate=2023-08-25}}</ref>
|業種 =
|SWIFTコード =
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|経常利益 = (2022年度)
* 一般会計
: 32,058,149,809円<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jrc.or.jp/about/pdf/20230718-ffaff6f1ba97beb0031b00f3b4b149d73d560857.pdf#page=13|title=正味財産増減計算書(一般会計決算書)
|publisher=日本赤十字社|accessdate=2023-08-25|archiveurl=|archivedate=|url-status=live}}</ref>
* 医療施設特別会計
: 1,236,108,928,598円<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jrc.or.jp/about/pdf/20230718-eab301e3fbe7785a6cc2081f3f8cc2570e8627aa.pdf#page=14|title=正味財産増減計算書(医療施設特別会計決算書)
|publisher=日本赤十字社|accessdate=2023-08-25|archiveurl=|archivedate=|url-status=live}}</ref>
* 血液事業特別会計
: 1,529,100,863円<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jrc.or.jp/about/pdf/20230718-1ce5440930bb73608515c683cbea798edc03fd18.pdf#page=11|title=損益計算書(血液事業特別会計決算書)
|publisher=日本赤十字社|accessdate=2023-08-25|archiveurl=|archivedate=|url-status=live}}</ref>
<!-- * 社会福祉施設特別会計 円<ref>{{Cite web|url=https://www.jrc.or.jp/about/pdf/20230718-9b81c5f209f4e2e8c0a4505848087849c6986eea.pdf|title=(社会福祉施設特別会計決算書)
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'''日本赤十字社'''(にっぽんせきじゅうじしゃ、{{lang-en-short|Japanese Red Cross Society}}、{{lang-fr-short|Société de la Croix-Rouge du Japon}}、{{lang-es-short|Sociedad de la Cruz Roja Japonesa}})は、[[日本]]における[[赤十字社]]。[[1952年]]([[昭和]]27年)に制定された[[日本赤十字社法]]によって設立された[[認可法人]]。[[社員]]と呼ばれる個人及び法人参加者の結合による[[社団法人]]類似組織である。略称は「'''日赤'''」(にっせき)。
 
前身である'''博愛社'''(はくあいしゃ)は、[[1877年]]([[明治]]10年)の[[西南戦争]]時に設立された。[[1886年]](明治19年)[[ジュネーヴ条約]]に調印・批准した日本政府の方針により、翌[[1887年]](明治20年)に日本赤十字社と改称した事が現在の日本赤十字社という呼称の始まりである
 
代表者である[[社長]]は、[[清家篤]](元・[[慶應義塾]][[塾長|長]])<ref name="press_20220624" />。[[名誉総裁]]は、[[皇后雅子]]<ref name="gensei" /><ref name="Empress_JRCS_20190522">[[2019年]]([[令和]]元年)[[5月22日]]現在。[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45105970S9A520C1CR0000/ 皇后さま、初の単独公務 全国赤十字大会] 日本経済新聞 2019年5月22日、2019年5月23日閲覧。</ref>。代議員会の議決に基づき、名誉副総裁には[[文仁親王妃紀子]]、[[常陸宮正仁親王]]、[[正仁親王妃華子]]、[[崇仁親王妃百合子]]、[[寬仁親王妃信子]]、[[憲仁親王妃久子]]の[[皇族]]6名が在任している<ref name="organization_summary" /><ref name="gensei" />。
 
日本赤十字社は全国に91の赤十字病院、47の地域血液センターを運営し、赤十字病院は[[救急医療]]に関して、第3[[三次医療機関]]に指定されている。血液事業は日本で唯一[[献血]]を原料とする製剤を製造する。またセンター、病院、支部などには'''常備救護班'''([[医師]]1名・看護師長1名・[[看護師]]2名・庶務(事務)担当の職員である主事2名の計6名で1個班が構成される)を複数個保有する。[[地震]]・[[台風]]などの[[自然災害]]時や[[航空事故|旅客機墜落]]・公共交通機関の大事故など、消防で対応しきれない大人数の負傷者発生の際には、救援活動を行っている。
 
{{TOC limit|3}}
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{{wikisource|日本赤十字社条例}}
 
本社は東京都[[港区 (東京都)|港区]]芝大門1丁目に所在し、全47[[都道府県]]に支部が設置されている。ほとんどの支部では[[都道府県知事|知事]]が支部長に就任し<ref group="注釈">北海道は例外市民が務めていたが、2024年6月1日付けで北海道知事が新支部長に就任した。</ref>、副支部長・事務局長などの役員も行政関係者([[市町村長]]や現・元都道府県部長/局長)が多くを占めている<ref>[http://nsitem.allplay.jp/jrc/pref_e201112.html 日本赤十字社の都道府県支部役員一覧]</ref>。[[2023年]](令和5年)[[3月]]末現在、個人社員20万1千人、法人社員8万1千法人を数える<ref name="gensei" />。
 
法律上の位置付けとしては、日本赤十字社法に基づく[[認可法人]]で、[[災害対策基本法]]及び[[武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律|国民保護法]]上の[[指定公共機関]]に位置づけられており、災害時や有事に備え、[[防災基本計画]]及び国民保護業務計画の策定と[[閣議]]の承認を経ることが義務付けられている他、災害時・有事はそれらの計画に基づいて国民の救済において国に協力することが定められている。
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=== 博愛社として ===
[[File:SanoTsunetami-hakuaisha-ceremony.jpg|right|thumb|元[[熊本洋学校教師館ジェーンズ邸]]で[[有栖川宮熾仁親王]]から日本赤十字社の前身組織である博愛社設立の許可を受ける佐野常民。]]
日本赤十字社の前身は旧[[田野口藩|田野口藩主]]の[[伯爵]][[大給恒]](おぎゅう ゆずる)や[[元老院議官]]で後に[[伯爵]]となった[[佐野常民]](さの つねたみ)、同じく後に[[子爵]]となる[[桜井忠興]](さくらい ただおき)らが、[[西南戦争]]時の[[1877年]]([[明治]]10年)に'''熊本洋学校'''(くまもと ようがっこう)に設立した'''[[博愛社]]'''(はくあいしゃ)である。佐野らは、「戦争の悲惨な状況が拡大していること」に鑑みて、陸軍省に「敵味方の区別なく救護を行う」という赤十字の精神を発現する博愛社として、救護班を派遣することを願い出た。しかし、陸軍卿代行の[[西郷従道]]([[明治維新]]の功労者[[西郷隆盛]]の実弟)は、「内戦は国家間戦争とは異なり、逆賊=犯罪者の救護は赤十字の救護とは言えないのではないか」と、その精神に理解を示せず、設立を許可しなかった。そこで、佐野らは[[元老院 (日本)|元老院]]議長で征討総督の[[有栖川宮熾仁親王]]に直接、設立と救護班の派遣を願い出る。逆徒であるが天皇の臣民である敵方をも救護するその[[博愛]]の精神を熾仁親王は嘉し、中央に諮る事なく設立を認可した。ただ「敵味方ともに助ける」というその思想が一般兵士にまでは理解されず、[[士族反乱|反乱士族]]側と[[明治政府]]軍側の双方から攻撃もしくは妨害などを受け死者が出たと言われている。
 
=== 日本赤十字社 ===
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なお、当時[[西ヨーロッパ|西欧]]の[[王室]]、皇室は赤十字活動に熱心であり、近代化を目指す日本の[[皇室]]でも[[昭憲皇太后]]([[明治天皇]]皇后)が初代名誉総裁を務め積極的に活動に参加し、正式紋章「'''桐竹鳳凰赤十字章'''(とうちくほうおうせきじゅうじしょう)」<ref name=nisseki/>は、昭憲皇太后の[[ティアラ|宝冠]]のデザインを模倣して制作・制定された。同社の活動に際しては、[[華族]]や地方名望家がその指導的立場に就いた。また、当初、活動の本拠が置かれたのも、東京都千代田区の[[子爵]][[桜井忠興]]邸であった。
 
[[1888年]](明治21年)6月、支部設置を決定した他、有功章、社員章を制定した。全国に赤十字運動への理解と普及を目指す最中、1888年(明治21年)7月、[[福島県]]の[[磐梯山]]が巨大な水蒸気爆発により山体崩壊を招き、大災害を引き起こした。このため、当時'''[[国際紛争]]解決にむけた人道組織'''であった赤十字を、'''[[自然災害]]にも活用すべく'''政府に願い出た。'''赤十字として国際的にも例がない戦時以外の活動'''であったが、政府はこれをたため時に救護班を現地へ派遣、救援活動を行った。
 
[[1894年]](明治27年) - [[1895年]](明治28年)、[[日清戦争]]時には、初めて国際紛争の医療救護班を戦地に送り出した。この時、[[大日本帝国陸軍|帝国陸軍]][[近衛師団]][[軍楽隊]]楽手でもあった[[加藤義清]]が出征する友人を見送りに[[鉄道駅|駅]]に行った際、同じく大陸の戦地に向けて出発しようとしている日本赤十字社[[従軍看護婦]]達の凛々しい姿に強い感銘を受け、一夜で作詞したといわれている[[軍歌]]『婦人従軍歌』がある(従軍看護婦を唄った歌曲は世界的にも珍しく、同時に明治日本軍歌を代表する曲の一つに数えられている)。
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[[1904年]](明治37年) - [[1905年]](明治38年)、[[日露戦争]]が起こると、日本赤十字社は[[旅順]]など[[満洲]]で投降した[[ロシア人]][[捕虜]]の人道的な待遇に尽力した。
 
[[1914年]]([[大正]]3年) - [[1918年]](大正7年)、[[第一次世界大戦]]時には、[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]の[[フランス]]、[[イギリス]]、[[ロシア]]からの要請に応え、3カ国に国際救護班派遣したを決定<ref>[https://web.archive.org/web/20160305095505/http://www.kumamoto.jrc.or.jp/wp-content/uploads/2011/08/45d9c66d51635a9f9d3b4b2ad43dc9e3.pdf 日本赤十字社熊本県支部創設120周年記念一赤十字思想誕生150周年記念一赤十字救護看護婦 竹田ハツメ展 日本赤十字社佛國派遣救護班]</ref>。[[病院船]]「博愛」「弘済」の2隻が[[看護士]]を含む救護班を戦地に送った<ref>{{Cite book |和書 |author=下川耿史 家庭総合研究会 編 |title=明治・大正家庭史年表:1868-1925 |publisher=河出書房新社 |year=2000 |page=396 |isbn=4-309-22361-3}}</ref>。また、[[中国]][[山東省]]の[[青島市|青島]]で[[捕虜]]となった[[ドイツ]]人が、日赤の援助により人道的な待遇を受けた{{efn|[[獨逸学協会]](Verein für deutsche Wissenschaften)を参照。}}。
 
[[1920年]](大正9年)、第一次世界大戦終戦にともなう外務次官の要請により、在[[ウラジオストク]]の[[ポーランド]]難民児童救済活動を行った{{sfn|日波教会|1929}}{{efn|[[ポーランドの歴史#第二共和国|ポーランド第二共和国]]、元首[[ユゼフ・ピウスツキ]]を参照。}}。
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* [[1886年]](明治19年) - 博愛社病院開設(赤十字病院のはじまり)。[[ジュネーヴ条約]]に加入。
* [[1887年]](明治20年) - 「日本赤十字社」に改称(赤十字の標章を使用し始める)。
* [[1888年]](明治21年) - [[1888年の磐梯山噴火|磐梯山噴火]]で'''世界初の平時救護'''(それまでの赤十字社の活動は「戦時救護」のみ)活動・日赤初の災害救護活動でもある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.med.jrc.or.jp/relation/tabid/383/Default.aspx|title=国内災害救護|work=赤十字関連事業|publisher=日本赤十字社医療センター|access-date=2022-02-10|quote=磐梯山噴火災害の救護は、世界の赤十字で初めて「平時の災害に対する救護活動」を実践した先駆的事例として、国際的な注目を集めました。}}</ref>。
* [[1890年]](明治23年) - [[オスマン帝国]](現在の[[トルコ]])特派軍艦の[[エルトゥールル号遭難事件]]に際して救護班を派遣する<ref>{{Wayback|url=https://www.redcross-history.org/museum/plan/2009/10/20087.html|title=企画展「1890(明治23)年トルコ軍艦エルトゥールル号遭難事故と日本赤十字社の活動」2008年7月~|date=20120425052518}}</ref>。
* [[1894年]](明治27年) - [[日清戦争]]において、初めての戦時救護活動(~95年)、約1,400人が従事。
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* [[1960年]](昭和35年) - 戦後初の医療班海外派遣([[コンゴ動乱]])。[[新潟日赤センター爆破未遂事件]]。
* [[1985年]](昭和60年) - 群馬県御巣鷹山の[[日本航空123便墜落事故|日航機墜落事故]]に救護班派遣。
* [[1995年]]([[平成]]{{0}}7年) - [[阪神・淡路大震災]]で救護活動。医療救護班の派遣:延べ981個班(延べ5,959人)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.hyogo.jrc.or.jp/news/report/2004/01/17/4556/|title=1995年1月17日発生 阪神・淡路大震災での災害救護活動|date=2004-01-17|publisher=日本赤十字社 兵庫県支部|access-date=2022-02-10}}</ref>。
* [[2011年]](平成23年) - [[東日本大震災]]で救護活動(約6か月間に及ぶ長期間の救護班派遣。総数896 個班、6,492 人が従事<ref>{{Cite journal|和書|url=https://www.isad.or.jp/pdf/information_provision/information_provision/no111/38p.pdf|title=東日本大震災における日本赤十字社の救護活動|author=上杉洋平|journal=季刊消防科学と情報|issue =111|page=39|publisher=[[消防科学総合センター]]|format=pdf|access-date=2022-02-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jrc.or.jp/shinsai2011/kyugo/|title=医療救護活動|work=東日本大震災活動レポート|publisher=日本赤十字社|access-date=2022-02-10}}</ref>。)、生活再建支援事業などの復興支援<ref>{{Cite journal|和書|url=https://www.isad.or.jp/pdf/information_provision/information_provision/no112/22p.pdf|title=東日本大震災における日本赤十字社の生活支援活動について|author=志波一顕|journal=季刊消防科学と情報|issue =112|publisher=消防科学総合センター|format=pdf|access-date=2022-02-10}}</ref>。
* [[2016年]]([[平成]]28年) - 日本赤十字社発祥の地とされる洋館「[[熊本洋学校教師館ジェーンズ邸]]」が、4月16日未明の地震([[熊本地震 (2016年)|2016年熊本地震]])で全壊した<ref>{{Wayback|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160416/k10010482961000.html|title=明治4年の西洋建築 「ジェーンズ邸」が倒壊(NHK)|date=20160415233329}}</ref>。
 
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血液製剤の供給のための体制としては、日本赤十字社が国内各地に設置する各[[赤十字血液センター|血液センター]]において、管内で災害が発生し、血液製剤が必要になった場合に備え、一定量の血液製剤を備蓄している。備蓄量を上回る需要に対しては、全国の[[血液センター]]間で相互に融通し合う体制を整備している。
 
さらに、日本赤十字社では、[[1978年]](昭和53年)より[[アジア]]・[[太平洋]]地域の姉妹赤十字・赤新月社から血液事業研修生を受け入れ、[[献血|血液事業]]の幹部職員を育成し、研修生の母国での活動促進に貢献している。[[2002年]]([[平成]]14年)までの受け入れ実績としては、17ヶ国・279名の研修生を受け入れ研修を実施している。また、日本赤十字社はアジア地域赤十字・赤新月血液事業[[シンポジウム]]を開催している。このシンポジウムでは血液事業に関する各国の代表者が情報の交換を通して、[[輸血#輸血に伴う反応感染|輸血感染症]]の予防、[[血液型]]検査と[[試薬]]の製造、[[献血]]者募集、[[品質管理]]などの技術的側面に焦点をあてながら、それぞれの事業に基づき培った経験の分かち合い、アジア地域における血液事業の発展と協力関係の強化を図っている。
 
血液事業の採算は厳しく、血液の採取、運搬、保存などに経費が掛かるため多額の赤字を出していた時期もある。1969年度には1億3000万円の赤字が出た<ref>血液値上げ 日赤が計画 献血の助成ふやせぬか『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月10日朝刊 12版 22面</ref>。ため、1970年以降、断続的に輸血用血液の値上げが行われた。
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* [[診療所]]5箇所(うち健康管理センター2箇所)
 
広尾の医療センターのみが本社の直属で、各地の赤十字病院(○○赤十字病院など)の病院施設は都道府県支部に所属している。現在[[山形県]](かつては存在していた)、[[奈良県]](山形県同様にかつては存在していた)、[[宮崎県]](赤十字病院は無いが診療所はかつて存在していた)下記を除く各県に設置されている
 
* かつて病院が存在していた県:[[山形県]]、[[奈良県]]
* かつて診療所が存在していた県:[[宮崎県]]
 
=== 災害救護活動 ===
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=== 日本赤十字社の資格認定 ===
; 救急法
* 赤十字ベーシックライフサポーター認定証
* [[赤十字救急法基礎講習修了者]]
* [[赤十字救急法救急員]]
* [[赤十字救急法指導員]]
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* [[赤十字水上安全法救助員I]]
* [[赤十字水上安全法救助員II]]
* [[赤十字水上安全法指導員]][[赤十字水上安全法救助員I|I]]
* [[赤十字水上安全法指導員]][[赤十字水上安全法救助員II|II]]
* [[赤十字水上安全法講師]]
 
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* [[赤十字健康生活支援講習支援員]]([[赤十字健康生活支援講習支援員|旧赤十字家庭看護法介助員]])
* [[赤十字健康生活支援講習一般指導員]]([[赤十字健康生活支援講習一般指導員|旧赤十字家庭看護法一般指導員]])
* [[赤十字健康生活支援講習指導員]]([[赤十字健康生活支援講習指導員|旧赤十字家庭看護法指導員]])
* [[赤十字健康生活支援講習講師]]([[赤十字健康生活支援講習講師|旧赤十字家庭看護法講師]])
378 ⟶ 381行目:
* [[赤十字幼児安全法講師]]
 
=== 資格継続研修(廃止) ===
[[2009年]]([[平成]]21年)度から、赤十字救急法救急員、赤十字水上安全法救助員、赤十字雪上安全法救助員、赤十字幼児安全法支援員、赤十字健康生活支援講習支援員(旧赤十字家庭看護法介助員)について、資格継続の制度はあったが、2019年(平成31年)3月31日をもって廃止された。<ref>{{Cite web |title=救急法等の資格継続についての研修が始まる。|講習について|日本赤十字社 |url=https://www.jrc.or.jp/study/license/ |website=日本赤十字社 |access-date=2024-06-08 |language=ja}}</ref>
 
[[2007年]](平成19年)4月以降の赤十字救急法救急員等の資格取得者は、赤十字救急法救急員等の資格継続研修を受講することによって資格をさらに3年間継続することができる(赤十字救急法救急員は5年。ただし、[[2019年]](平成31年)3月末までに資格継続研修は終了する予定で、以降の資格継続には新規に資格取得する方法での受講を要する)。
 
== 指定公共機関としての日本赤十字社 ==
440 ⟶ 441行目:
 
== 主な日本赤十字の人物 ==
{{seealso|Category:日本の赤十字の人物}}
=== 社長 ===
{|Class="wikitable" border="1" cellspacing="0" cellpadding="3" style="margin:1em; font-size:85%;"
518 ⟶ 520行目:
* [[小池政行]](国際部参事)
* [[安島重三郎]](特別社員)
* [[金子角之助]](特別社員)
* [[氏家丈吉]](有功章特別社員)
* [[荒巻禎一]](京都府支部長)
* [[石井倶寛]](岡山支部商議員)
* [[塩田忠左衛門 (先代)|塩田忠左衛門]](香川支部常議員、商議員)
* [[梶谷忠二]](岡山県副支部長)
* [[横山助成]](神奈川県支部長)
* [[新島八重]](正社員、篤志看護婦)
* [[沢原俊雄]](正社員)
* [[森肇 (愛媛県の政治家)|森肇]](正社員)
* [[田村新蔵 (初代)|田村新蔵]](正社員)
589 ⟶ 595行目:
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
{{Notelist}}