「福山市独居老婦人殺害事件」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
(11人の利用者による、間の27版が非表示)
14行目:
|標的 = 顔見知りの高齢女性A(事件当時87歳・[[広島県]][[三原市]]在住){{Sfn|広島地裁|1994|p=被害者Aの身上経歴}}
|死亡 = 1人
|損害 = 被害者Aの預貯金(計315,791円){{Efn2|被害金額の内訳は銀行普通預金57,000円・普通郵便貯金4,9000円・郵便定額貯金209,791円{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}。}}{{Sfn|広島高裁|1997|p=検察官の被告人Nに対する控訴趣意及び被告人Xの控訴趣意中、量刑不当の論旨について}}
|犯人 = 男'''N・S'''{{Sfn|年報・死刑廃止|2020|p=260}}(事件当時{{年数|1953|1|13|1992|3|29}}歳・[[懲役#無期懲役|無期懲役]]の[[仮釈放]]中)ら2人{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Nの身上経歴}}
* 銀行普通預金57,000円{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}
* 普通郵便貯金4,9000円{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}
* 郵便定額貯金209,791円{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}
|犯人 =
* 主犯の男N(犯行当時39歳・[[山口県]][[宇部市]]生まれ / [[懲役#無期懲役|無期懲役]]の[[仮釈放]]中){{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Nの身上経歴}}
* 共犯の男X(犯行当時41歳・[[静岡県]][[藤枝市]]生まれ){{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Xの身上経歴}}
|動機 = [[強盗]](金目当て)
|対処 = 広島県警が[[逮捕 (日本法)|逮捕]]<ref name="中国新聞1993-05-04"/><ref name="中国新聞1993-05-07"/>・広島地検が[[起訴]]<ref name="中国新聞1993-05-10"/><ref name="中国新聞1993-05-25"/>
|刑事訴訟 =
|刑事訴訟 = Nは[[日本における死刑|死刑]](上告棄却により確定・[[日本における収監中の死刑囚の一覧|未執行]])<br>Xは無期懲役
* 主犯N - [[日本における死刑|死刑]](上告棄却により[[確定判決|確定]]・[[日本における収監中の死刑囚の一覧|未執行]])
|管轄=[[広島県警察]](県警本部[[刑事部|捜査一課]]および[[三原警察署]])<ref name="中国新聞1993-05-04"/>・[[広島地方検察庁]]<ref name="中国新聞1993-05-10"/><ref name="中国新聞1993-05-25"/>
* 従犯X - 無期懲役<ref name="中国新聞1999-12-11"/>
|影響=強盗殺人罪による無期懲役刑の仮釈放中に本事件で強盗殺人を[[再犯]]した被告人Nに対し、刑事裁判で死刑適用の是非が争点となった<ref name="読売新聞2004-04-24"/>。また以下の事例はいずれも[[永山則夫連続射殺事件]]以来[[戦後]]2件目だった<ref name="読売新聞2007-04-11"/>。
|管轄=[[広島県警察]][[刑事部|捜査一課]]および[[三原警察署]]<ref name="中国新聞1993-05-04"/>・[[広島地方検察庁]]<ref name="中国新聞1993-05-10"/><ref name="中国新聞1993-05-25"/>
* [[日本における死刑|死刑]][[求刑]]に対する無期懲役[[判決 (日本法)|判決]]を不服として検察側が[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]した事例<ref name="読売新聞2004-04-24"/>
*|影響=[[最高裁判所 (日本)|最高裁が死刑を求めた検察側の上告を認めて判所]]で控訴審の無期懲役判決破棄差戻しされ、その後の公判で死刑[[判決 (日本法)|判決]]が言い渡され確定した事例は[[戦後]]2件目([[永山則夫連続射殺事件]]以来)だった<ref name="読売新聞2007-04-11"/>
* 差し戻し後の控訴審で死刑判決が言い渡され<ref name="読売新聞2004-04-24"/>、確定した事例<ref name="読売新聞2007-04-11"/>
}}
{{最高裁判例
|事件名=有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人被告事件
|事件番号=平成9年(あ)第479号
|裁判年月日=[[1999年]]([[平成]]11年)12月10日
|判例集=『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第53巻9号1160頁
|裁判要旨=一人暮らしの老女を冷酷かつ残虐な方法で殺害しその金品を強取した強盗殺人の犯行において、被告人が、共犯者との関係で主導的役割を果たしたこと、強盗殺人罪により無期懲役に処せられて服役しながら、その仮出獄中に再び右犯行に及んだこと等の諸点(判文参照)を総合すると、被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかなく、原判決が酌量すべき事情として述べるところはいまだ死刑を選択しない事由として十分な理由があると認められないから、第一審判決の無期懲役の科刑を維持した原判決は、甚だしく刑の量定を誤ったものとして破棄を免れない。
|法廷名=第二[[小法廷]]
|裁判長=[[河合伸一]]
|陪席裁判官=[[福田博]]・[[北川弘治]]・[[梶谷玄]]<ref group="注" name="亀山"/>
|多数意見=全員一致
|意見=なし
|反対意見=なし
|参照法条=[[刑法 (日本)|刑法]]第11条,刑法第240条(以上、いずれも平成7年法律第91号による改正前のもの),[[刑事訴訟法]]第411条2号
|url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=050399
}}
 
'''福山市独居老婦人殺害事件'''(ふくやまし どっきょろうふじんさつがいじけん)は、[[1992年]](平成4年)[[3月29日]]に[[広島県]][[福山市]]で発生した[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]事件。同県[[三原市]]在住の高齢女性(事件当時87歳)が[[福山市]]内の山中([[山野峡]]付近)で、顔見知りの男2人に殺害され、死体を遺棄された<ref name="中国新聞1993-05-04"/><ref name="中国新聞2004-04-24"/>
 
[[三原市]]在住の高齢女性A(事件当時87歳)が、[[福山市]]内の山中([[山野峡]]付近)で顔見知りの男2人(主犯の男Nは過去に別の強盗殺人事件を起こし、[[懲役#無期懲役|無期懲役]]刑に処された[[前科]]あり)に殺害され、死体を遺棄された<ref name="中国新聞2004-04-24"/>。その後、加害者Nは被害者Aが銀行などに預けていた預金を不正に引き出した{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}。
 
== 概要 ==
主犯の男N(犯行本事件当時39歳:現在は[[死刑囚]])は過去に別の強盗殺人事件を起こし、[[懲役#無期懲役|無期懲役]]に処された[[前科]]があり、その[[仮釈放]]中に本事件を起こした([[累犯|再犯]])<ref name="読売新聞2004-04-24"/>。そのため、本事件の刑事裁判では[[被告人]]Nに対する[[量刑]]([[日本における死刑|死刑]]適用の是非)が主な争点となった<ref name="読売新聞2004-04-24"/>。検察は死刑を[[求刑]]したが、第一審・控訴審ではいずれも無期懲役[[判決 (日本法)|判決]]が言い渡された<ref name="毎日新聞2007-04-11 中部"/>。しかし、死刑回避を不服とした検察が[[上告]]したところ、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]は[[取消し#訴訟法上の取消し|破棄]]差戻し判決を言い渡し、差戻し後の控訴審で死刑判決が言い渡され、最終的に死刑が[[確定判決|確定]]する異例の展開となった<ref name="毎日新聞2007-04-11 中部"/><ref name="毎日新聞2007-04-11"/>。
 
被告人Nに対し、検察からは[[日本における死刑|死刑]]が[[求刑]]された一方、第一審・控訴審ではいずれも無期懲役[[判決 (日本法)|判決]]が言い渡されたが、死刑回避を不服とした検察が[[上告]]<ref name="毎日新聞2007-04-11 中部"/>。[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]における[[取消し|破棄]]差し戻し判決を経て、最終的には死刑が[[確定判決|確定]]する異例の展開となった<ref name="毎日新聞2007-04-11 中部"/><ref name="毎日新聞2007-04-11"/>。
 
本事件は[[永山則夫連続射殺事件]]以来<ref name="読売新聞1997-05-27"/>、検察側が死刑求刑に対する無期懲役判決を不服として最高裁へ上告した事例([[戦後]]2件目)である<ref name="読売新聞2005-05-03"/>。そのような上告が最高裁で認められ、無期懲役の原判決が破棄差戻された事例<ref name="中国新聞1999-12-11"/>、差戻後の控訴審で死刑判決が言い渡された事例とも、永山事件以来戦後2件目だった<ref name="読売新聞2007-04-11"/>。
57 ⟶ 36行目:
== 加害者・被害者 ==
=== 加害者・死刑囚N ===
主犯格の男'''N・S'''<ref name="中国新聞2004-04-24"/>{{Sfn|年報・死刑廃止|2020|p=260}}(本事件当時{{年数|1953|1|13|1992|3|29}}歳)は[[1953年]]([[昭和]]28年)[[1月13日]]生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2020|p=260}}{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Nの身上経歴}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}(現在{{年数|1953|1|13}}歳)・[[山口県]][[宇部市]]出身{{Efn2|『[[読売新聞]]』([[読売新聞社]])の一部記事(2000年 - 2004年)では「山口県[[小野田市]](現:[[山陽小野田市]])出身」と報道されている<ref name="読売新聞2000-08-11"/><ref name="読売新聞2002-12-11"/><ref name="読売新聞2003-09-10"/><ref name="読売新聞2004-04-24"/><ref name="読売新聞2004-04-28"/><ref name="読売新聞2004-05-01"/>。}}{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Nの身上経歴}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。一連の事件で逮捕された当時は福山市箕島町に在住していた<ref name="中国新聞1993-05-04"/>。
 
[[2020年]]([[令和]]2年)9月27日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2020|p=271}}[[死刑囚]]として[[広島拘置所]]に[[日本における収監中の死刑囚の一覧|収監されている]]{{Sfn|年報・死刑廃止|2020|p=260}}<!--←の記述は「2020年9月27日時点」→『年報・死刑廃止2020』p.271と、「広島拘置所に収監されている」→同書p.260と関連付けられた記述です。出典を置き去りにして本文の日付などだけを書き換えないでください(日付を更新したければより新しい出典を探し、出典ごと更新してください)。-->。死刑確定前から「死刑廃止のための大道寺幸子基金表現展」{{Efn2|大道寺幸子(2004年没)は[[三菱重工爆破事件]]など9件の[[連続企業爆破事件]](1974年 - 1975年)で死刑が確定した元死刑囚・[[大道寺将司]](2017年に獄中死)の母親。同表現展は2005年に開始し、2015年度以降は[[島田事件]](四大死刑[[冤罪]]事件の1つ)の冤罪被害者である元死刑囚・赤堀政夫からの基金提供申し出を受け、「死刑廃止のための大道寺幸子・赤堀政夫基金(表現展)」と改称している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?p=489|title=第10回「大道寺幸子基金・死刑囚表現展」共感と反発と――死刑囚が表現することの意味|accessdate=2019-10-24|date=2014-10-31|origdate=2014-10-17|publisher=[[現代企画室]]|language=ja|archiveurl=httphttps://web.archive.org/web/20191024154420/http://www.jca.apc.org/gendai_blog/wordpress/?p=489|archivedate=2019-10-24}}(※『[[出版ニュース]]』2014年11月上旬号掲載)</ref>。}}に複数回応募し、第1回表現展(2005年・当時は上告中)では詩「死刑囚の先輩」「狂犬の願い」が佳作に選出されたほか、短歌・俳句で努力賞を複数回受賞している{{Efn2|第5回(2009年)では「十六年ぶりに会う十八の娘『なんで殺したん』と嗚咽する」と題した短歌を応募して努力賞を受賞している{{Sfn|フォーラム90|2011|p=16}}。}}{{Sfn|フォーラム90|2011|p=16}}。また、[[福島瑞穂]]([[日本の国会議員#参議院議員|参議院議員]]・[[福島瑞穂]]が2011年6月20日 - 8月31日に確定死刑囚らを対象として実施したアンケート(2011年12月時点で新たな死刑確定者にも同様のアンケートを送付)に対し{{Sfn|フォーラム90|2011|pp=10-12}}、「死刑囚でも、そ以下存在が心の支えようなり頑張っている者がたくさんいることを分かってほしい」と回答している{{Sfn|フォーラム90|2011|pp=82-83}}
{{Quotation|死刑囚でも、その存在が心の支えに成り、頑張っている者が、たくさん居ると言うことを解ってほしい!!{{Sfn|フォーラム90|2011|p=83}}|本事件の死刑囚N{{Sfn|フォーラム90|2011|p=82}}|『死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声』([[インパクト出版会]]){{Sfn|フォーラム90|2011|p=83}}}}
 
==== Nの生い立ち ====
67 ⟶ 47行目:
Nはその後、さらに別の運輸会社に[[転職]]した上で、フォークリフト運転手などとして勤務し、両親を扶養していたが、1972年1月ごろから[[オートレース]]・[[ボートレース]]に興味を持ち、大当たりしたことがきっかけでこれらの[[ギャンブル]]に熱中するようになり、借金を重ねた{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。その後、借金をしていた知人の1人から再三にわたり、強く借金の返済を迫られたため、「オートレースなどで大穴を当てて、その配当金で借金を全額返済しよう」と思い立ち、[[1973年]](昭和48年)10月にはさらに他の知人から借金をしたほか、以前から家族ぐるみで親しく近所付き合いをしていた知人女性宅{{Efn2|被害者女性は当時55歳主婦で、事件現場の当時の住所は山口県宇部市厚南区塩屋台<ref name="山口新聞1973-10-27"/>。}}を訪ね、女性から金を借りてオートレース・ボートレースに出掛けた{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。
しかし、所持金をほとんど使い果たしてしまったため、借金返済に困ったNは帰宅途中で返済資金を得る方法について考えた{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。その結果、「前述の知人女性に刃物を突き付けて脅迫し、現金を奪った上で犯行を隠蔽するために女性を殺害しよう」と思い付き、1973年10月25日16時30分ごろに知人女性宅を訪れ、犯行機会を窺った{{Efn2|事件前に犯行の準備として犯行時に着用する軍手や[[ナシ]](女性の警戒心を逸らすための手土産)を購入し{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}、女性宅に上がり込んだ際には「梨狩りに行ってきた」などと話して安心させていた{{Sfn|広島高裁|1997|p=検察官の被告人Nに対する控訴趣意及び被告人Xの控訴趣意中、量刑不当の論旨について}}。}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。台所のガス台近くに[[包丁]]があることを確認した{{Efn2|凶器の包丁は刃渡り20&nbsp;cmの菜切り包丁で、血液が付着した状態で軍手・ジャンパーとともに宇部市沖の山の埋め立て地で発見された<ref name="山口新聞1973-10-27"/>。}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}Nは、その時点ではまだ犯行を躊躇していたが、同日17時ごろになって「最初の計画通り、女性を殺害して金品を奪おう」と決意{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。軍手を両手に嵌め、包丁を女性の胸付近に突き付け、金を出すよう執拗に脅迫して現金53,000円を差し出させると{{Efn2|女性は当初1,000円札3枚(3,000円)を差し出したが、Nは「それだけでは足りない」とさらに金品を要求し、預金通帳・現金50,000円(10,000円札5枚)を強取した{{Sfn|広島高裁|1997|p=検察官の被告人Nに対する控訴趣意及び被告人Xの控訴趣意中、量刑不当の論旨について}}。}}、犯跡を隠蔽しようと女性を何度も包丁で突き刺して殺害した(死因:外傷性呼吸機能障害による窒息死){{Efn2|首付近を包丁で2,3回、背部を3回突き刺した{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。被害者の主婦は近くの病院へ収容され、手当てを受けていたが、同夜から容体が悪化し、翌日(1973年10月26日)10時ごろに刺された肺の出血による呼吸麻痺で死亡した<ref name="山口新聞1973-10-27"/>。}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。そして現金のほか、[[預金通帳]]2冊{{Efn2|額面39万円<ref name="西日本新聞1974-04-11"/>。}}・印鑑などが入った手提げカバン・がま口財布を強奪して現場から逃走したが{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}、被害者が死亡(死因:外傷性呼吸機能障害による窒息死)する前に病院で「犯人は2年前に自分が住んでいた町で近所にいた顔見知りのNだ」と証言したため、[[宇部警察署]]([[山口県警察]])により強盗殺人容疑で[[指名手配]]された<ref name="山口新聞1973-10-27">『[[山口新聞]]』1973年10月27日朝刊第一社会面5頁「【宇部】水もれ捜査網 強盗殺人犯、ゆうゆう逃走 主婦メッタ突き、7万円強奪 “傷害”で手配 頭痛い宇部署」([[みなと山口合同新聞社|山口新聞社]])</ref>。
 
事件発生直後、傷害事件として捜査を開始した宇部署が市外に緊急配備を敷かなかった{{Efn2|同日22時ごろになって、被害者の現金が奪われていることが判明したため、宇部署は強盗致傷事件に切り替えたが、その時点では既に手遅れだった<ref name="山口新聞1973-10-27"/>。}}こともあって、Nは逃亡に成功し<ref name="山口新聞1973-10-27"/>、全国各地を転々として逃走生活を送っていたが{{Efn2|Nはいったん[[青森県]]まで逃走したが、仕事が見つからなかったため[[徳島県]][[徳島市]]まで向かい、同市内で大工として働いていた<ref name="山口新聞1973-12-18"/>。}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}、被害者が死亡したことは知らなかった<ref name="山口新聞1973-12-18"/>。その後、Nは同年12月16日に事件のことが気になって三原市内の義兄宅を訪れたところ、同居中の両親らから自首するよう説得され、宇部署へ出頭して強盗殺人容疑で逮捕された<ref name="山口新聞1973-12-18">『山口新聞』1973年12月18日朝刊第一社会面5頁「宇部の主婦殺し自供 義兄につきそわれ」([[みなと山口合同新聞社|山口新聞社]])</ref>。そして強盗殺人罪の被告人として起訴されたNは、[[1974年]](昭和49年)4月10日に[[山口地方裁判所]](野曽原秀尚裁判長)で求刑通り無期懲役判決を受け{{Efn2|山口地裁 (1974) は判決理由で「被害者の主婦には子供のころから世話になっていたにも拘らず、ギャンブルの金欲しさから犯行に及んだ。計画的犯行で情状酌量の余地はない」と指摘した<ref name="西日本新聞1974-04-11"/>。}}<ref name="西日本新聞1974-04-11">『[[西日本新聞]]』1974年4月11日朝刊第19版第一社会面15頁「【山口】Nに無期懲役 宇部の主婦殺しに判決」([[西日本新聞社]])</ref>、[[広島高等裁判所]]へ[[控訴]]したが、同年9月26日に広島高裁で控訴棄却の判決を受け(同年10月12日付で確定)、仮釈放まで合計3つの[[刑務所]]で約14年9か月間服役した{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。
 
==== 仮釈放・結婚 ====
Nは服役中の態度が真面目で{{Efn2|母・姉との面会時にも「社会に出たら真摯に贖罪の道を歩む」と意思表示していた{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。}}、姉の夫(義兄)が身元引受人になったため、[[1989年]](平成元年)7月20日付で[[仮釈放]]を許され{{Efn2|仮釈放の条件として、帰住先の指定・更生保護施設における規律維持などのほか、「人命の尊さを自覚し、他人に粗暴なことはしないこと」「被害者の冥福を祈り、慰謝に誠意を尽くすこと」「決心したとおり、賭け事に手を出さないこと」「辛抱強くまじめに働き、決して徒遊しないこと」を定められた{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。一方、本事件当時の[[刑事|捜査員]]は差控訴審で被告人Nが死刑判決を受けた際、『読売新聞』記者の取材に対し「(被告人Nは)あまりにも簡単に人の命を奪った。仮釈放は慎重にすべきだった」と述べている<ref name="読売新聞2004-04-24-大阪"/>。}}{{Efn2|name="岡村"|岡村勲は差し戻し審判決(死刑)直後、『中国新聞』記者の取材に対し「1回目の事件(1973年の強盗殺人)の際に<!--出典記事では「一審で死刑判決が出ていれば2回目の殺人(本事件)は起きなかった」とありますが、それでは意味が通りません。-->死刑判決が出ていれば、2度目の殺人(本事件)は起きなかった。前事件の裁判官や、仮釈放を許可した地方更生保護委員会・刑務所長の責任は重い」と述べている<ref name="識者談話"/>。}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}、[[岡山刑務所]]から出所した{{Efn2|仮出所の際に受刑中の領置金・作業賞与金として約25万円を受け取った{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。また、仮釈放直後には両親から運転免許の取得費用20万円・結婚資金50万円・自動車購入費30万円などを受け取っていた{{Sfn|広島高裁|2004|pp=6-7}}。}}{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Nの身上経歴}}。出所後から約1か月間は更生保護施設([[岡山県]][[岡山市]]内)で過ごしたが、その間は知人の飲食店を数日間手伝っただけで定職には就かず{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}、散財したり、[[パチンコ]]をしたりするようになっていた{{Efn2|刑務所仲間の娘に高価な贈り物をしたり、知人と[[酒]]を飲んだ際に高級酒を奢るなどしたほか、交際相手の女性とともに[[パチンコ店]]へ行きフィーバー機で大当たりしたこともあった{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。一方でこのころ{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Nの身上経歴}}、服役中に失効していた[[日本の運転免許|自動車運転免許]]を取り直すため試験場に通った際、女性と知り合い、結婚を前提に交際するようになった{{Sfn|広島高裁|2004|p=6}}。
 
1989年8月20日ごろ、Nは突然家財道具を[[貨物自動車|トラック]]に積んで福山市内の姉夫婦宅へ赴き、姉に頼んでアパートを探してもらった上で保証人になってもらったほか、義兄が経営する会社に配管工として[[就職]]した{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。間もなく交際女性との同居生活を始め、[[1990年]](平成2年)4月に正式に交際女性と婚姻すると、同年11月には長女が誕生した{{Efn2|死刑囚Nは起訴後に妻と離婚し、長女は妻が引き取った{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Nの身上経歴}}。}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。Nはしばらくの間、雑用を含めて真面目に勤務していたが、やがて身元引受人である姉に相談せず自分の判断で仕事を進めたり、自動車を購入したりするようになったほか、1990年9月下旬には[[消費者金融]]業者から借入するようになったほか、仕事後・休日にパチンコ店へ通うように、次第にパチンコに熱中するようになった{{Efn2|パチンコではたまに勝つこともあるが、1万円から2万円くらい負けることが多く、1日に4万円や7万円ほど負けることもあった{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。やがてパチンコの負けを取り戻そうと、Nはさらに金をつぎ込むようになり、交際相手の女性(後の妻)・母親などからパチンコをやめるように注意されてもパチンコ漬けの生活を改めなかったため、妻子を持つ身にも拘らず、勤務先から支給される給料・アルバイトの収入{{Efn2|当時、Fは義兄の会社で配管工事をして働いていたほか健康飲料配達などのアルバイトをしていた{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。}}だけでは生活費・遊興費などが足りない状態が続いていた{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。そのため、母に何度も金を無心したほか、生活費や妻が支払いのために保管していた光熱費まで取り上げてパチンコにつぎ込むようになったほか、パチンコ代や生活費・借金返済資金などに充てるため、さらに消費者金融から借入し、数百万円に上る借金を抱えた{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。母に頼んで100万円弱の借金を返済してもらった後も借入を続け、勤務先(義兄の会社)がいったんは「今は忙しいから、後日工事を行う」と断ったはずの工事を甥(義兄・姉の次男)とともに義兄に無断で受注し、その利益を甥と2人で折半したが、それが雇用主の義兄に発覚したため、[[1991年]](平成3年)11月20日に会社を解雇された{{Sfn|広島高裁|2004|p=7}}。
 
=== 受刑者X ===
共犯の男X(本事件当時41{{年数|1951|8|19|1992|3|29}}歳・現在{{年数|1951|8|19}}歳)は[[1951年]](昭和26年)8月19日生まれ・[[静岡県]][[藤枝市]]出身{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Xの身上経歴}}。一・二審とも求刑通り無期懲役判決を受け<ref name="中国新聞1994-10-01"/><ref name="中国新聞1997-02-05"/>、最高裁へ上告したが<ref name="中国新聞1997-02-05"/>、その後無期懲役判決が[[確定判決|確定]]した<ref name="読売新聞1999-12-11"/>。
 
Xは[[茶]]の栽培を営んでいた農家夫婦の長男として生まれたが、出生直後に両親が離婚し、母親に引き取られた{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Xの身上経歴}}。その後ほどなくして母親が再婚したため、継父・実母の夫婦により養育され、高校卒業後には祖父の指導を受けて家業の茶栽培に従事した{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Xの身上経歴}}。[[1974年]](昭和49年)6月に結婚して2児をもうけ、やがて継父・祖父が死去して以降は自らが中心となって家業の茶農家を営んでいたが、大豆の先物取引を行ったほか、残留農薬のため茶の出荷ができなくなったために約3,000万円の負債を抱え、その返済などのために財産の大半を処分せざるを得なくなった{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Xの身上経歴}}。やがて家出を繰り返し、すさんだ生活を送るようになり、[[1978年]](昭和53年)6月には妻と離婚した一方{{Efn2|この時、Xの子供は妻が引き取っている{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Xの身上経歴}}。}}、静岡県・[[愛知県]]・[[鹿児島県]]などを転々として窃盗・詐欺などを繰り返し、通算9年余り服役した{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Xの身上経歴}}。[[1991年]](平成3年)3月27日に事件前最終刑の仮釈放を許され、[[宮崎刑務所]]を出所すると、同年7月ごろに[[山口県]][[防府市]]内の会社に就職して配管作業などに従事した{{Sfn|広島地裁|1994|p=被告人Xの身上経歴}}。
 
=== 被害者女性A ===
被害者女性A({{没年齢|1905|3|20|1992|3|29}})は[[1905年]]([[明治]]38年)3月20日生まれ{{Sfn|広島地裁|1994|p=被害者Aの身上経歴}}。事件当時は三原市大畑町229番地(三原[[八幡宮]]の境内)の民家に1人で在住していた{{Efn2|事件発覚直後の『[[中国新聞]]』([[中国新聞社]])報道では被害者Aの住所は「三原市西宮町」となっていたが<ref name="中国新聞1993-05-04"/><ref name="中国新聞1993-05-07"/>、その後「三原市大畑町」に訂正された<ref name="中国新聞1993-05-08"/>。なお三原八幡宮の住所は2020年(令和2年)時点で「三原市西宮一丁目1番地1号」である<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.mihara-kankou.com/sightseeing/3166|title=三原八幡宮|accessdate=2020-02-28|publisher=三原観光協会(一般社団法人)|website=三原観光navi|広島県三原市 観光情報サイト 海・山・空 夢ひらくまち|archiveurl=httphttps://web.archive.org/web/20200228144852/http://www.mihara-kankou.com/sightseeing/3166|archivedate=2020-02-28}}</ref>。}}{{Sfn|刑集|2000|p=1292}}。
 
Aは1927年(昭和2年)に結婚して5男1女をもうけたが、夫との折り合いが悪く、1954年(昭和29年)10月8日に離婚した{{Sfn|広島地裁|1994|p=被害者Aの身上経歴}}。その後は子供らとの連絡を絶ち、広島県福山市など各地を転々としたが、やがて男性Bと同棲するようになり{{Sfn|広島地裁|1994|p=被害者Aの身上経歴}}、1957年(昭和32年)ごろからは、境内の家(事件発生時の住居)を賃借してBと同居し{{Sfn|刑集|2000|p=1292}}、1962年(昭和42年)2月1日にBと結婚した{{Sfn|広島地裁|1994|p=被害者Aの身上経歴}}。その後、土木作業員などとして働いていた夫Bが直腸癌に罹患して入院したため、1980年(昭和55年)5月ごろからは[[生活保護]]を受給して生活するようになり、1981年(昭和56年)11月に夫Bと死別{{Sfn|広島地裁|1994|p=被害者Aの身上経歴}}。それ以降は次男と連絡を取り、数か月おきに次男がA宅を訪問していたほか{{Efn2|被害者Aの次男は差戻控訴審で被告人Nが死刑判決を受けた際に『読売新聞』記者の取材に対し「信頼していた被告人Nに殺された母はどれだけ悔しかったか。これで母も成仏できる」と述べている<ref name="読売新聞2004-04-24-大阪"/>。また『[[中国新聞]]』([[中国新聞社]])は1999年に「(被害者Aの住んでいた集落の)近隣地域には事件の恐ろしさを忘れられず、玄関に男性用の靴を置いて警戒している高齢女性もいる」と報道している<ref>『中国新聞』1999年12月11日朝刊第16版第二社会面34頁「三原の強盗殺人判決 『再びあってはならぬ』 地域住民、思い複雑」(中国新聞社)</ref>。}}、次男に連れられて実弟(広島県[[賀茂郡 (広島県)|賀茂郡]]在住)と会うこともあったが、普段は担当民生委員が訪問する程度で、近隣住民との交際もあまりなく、自宅で1人暮らしを続けていた{{Sfn|広島地裁|1994|p=被害者Aの身上経歴}}。
101 ⟶ 81行目:
犯行の準備後、2人は日が暮れるまでパチンコをして時間をつぶし、同日19時ごろになってビニール紐・軍手とカップラーメン2個を持ってA方を訪れ、室内に入れてもらった{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}。その際、XがAの隙を見て、Nに「ここでやるのか」と尋ねたが、Nは現金の有無を確認した上で殺害しようと考え、Aが席を外した合間を突いたり、仮病を使うことでベッドのある奥の部屋に入ったりして、預金通帳の残額を確かめた{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}。この時は残額が少なかったため、Nは「殺すまでのことはない」とも思ったが{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}、Aの所持金の多寡を調べる目的で借金を申し込んでみたところ、Aはそれに応じ1万円札13枚(計13万円)を差し出してきた{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。このことから、2人は「Aは他にもかなり現金を持っている」と考え、被害者Aを殺害する決意を固めた{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。
 
Nはその場でXに目配せをして{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}、用意していたビニール紐を出すよう合図したが{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}、Xは「死体の処分に困る」と考えて殺害を躊躇した{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。そのため、Nも「Aを人気のない場所に連れ出して殺害し、再びA方に立ち戻って金品を物色した方が得策だ」と考えるようになり、Xに対し「どこかに連れ出すか」と言ったところ、Xもそれに応じたため、2人はAを連れ出して殺害した上でA宅に戻り、金品を強取する旨の意思を相通じた{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。2人は「温泉に今ごろ行くとちょうどいい」「自分の知っているところがあるから行かないか?」などと言って、Aをドライブに誘い{{Sfn|広島高裁|1997|p=被告人Xに対する原判決の量刑について}}、当時Nが使用していた普通乗用自動車の助手席にAを乗車させ{{Efn2|運転はNが行い、Xは後部座席に乗った{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。}}、22時ごろにA宅を出発した{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。2人は殺害場所として適当な、人気のない場所を探し{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}、まずは福山市方面へ向かったが、「[[瀬戸大橋]]([[瀬戸中央自動車道]])か高松方面に向かえば、人気のない適当な殺害場所がある」と考え、いったんは翌日(1992年3月29日)深夜に[[栗林公園]]([[香川県]][[高松市]])まで行った。しかし、同公園は市街地の公園である上、当時は門が閉まっていたため入ることができず{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}、周囲でも適当な殺害場所が見つからなかったため{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}、同所での殺害は断念した{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}。その後、XがNに対し「自分がAとホテルに泊まるから、その間にA宅に戻って金を取ってこればいいんじゃないのか」と提案したが、Nは「もう連れ出しているし、泥棒に入っても分かるから、(Aを)殺すしかない」と答えた{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}。
 
その後、2人とAは[[岡山県]][[都窪郡]][[清音村]](現:[[総社市]])内にあった喫茶店で休憩{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}。休憩後、空は既に明るくなっており、店の周囲に奥深い山もなかったため、Nは「計画を実行するのは無理だ」という気持ちに傾きかけ、いったんは三原市方面へ向かった{{Efn2|被告人Nは差戻控訴審第20回公判で「喫茶店を出た後は被害者を殺害する意思が薄れていたが、福山市内を三原市に向けて国道2号を走行中に交差点の200 - 300 m手前でXから『もうこのまままっすぐ帰るんか』と聞かれて『XはまだAを殺害する意図を有している。見くびられた』と感じ『山野峡』という標示板を見て同交差点を右折し、殺害現場に向かった」と供述している{{Sfn|広島高裁|2004|p=11}}。}}{{Sfn|広島高裁|2004|pp=9-10}}。しかし、福山市内の[[国道2号]]を走行中に「北方の[[深安郡]][[神辺町]](現:福山市神辺町)方面なら、人目に付かない奥深い山があるのではないか」と考え、Xにその旨を伝えた上で山間部へ向けて進行し、山奥へ向かった{{Sfn|広島高裁|2004|pp=9-10}}。そして神辺町方面へ向かって北上していたところ、「山野峡」と表示された道路標識を見て「人目に付かない山深い場所だろう」と考え、標識に従い山野峡方面へ向かった{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。
2人は「温泉に今ごろ行くとちょうどいい」「自分の知っているところがあるから行かないか?」などと言ってAをドライブに誘い{{Sfn|広島高裁|1997|p=被告人Xに対する原判決の量刑について}}、当時Nが使用していた普通乗用自動車の助手席にAを乗車させ{{Efn2|運転はNが行い、Xは後部座席に乗った{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。}}、22時ごろにA宅を出発した{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。2人は殺害場所として適当な、人気のない場所を探し{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}、まずは福山市方面へ向かったが、「[[瀬戸大橋]]([[瀬戸中央自動車道]])か高松方面に向かえば、人気のない適当な殺害場所がある」と考え、いったんは翌日(1992年3月29日)深夜に[[栗林公園]]([[香川県]][[高松市]])まで行った。しかし、同公園は市街地の公園である上、当時は門が閉まっていたため入ることができず{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}、周囲でも適当な殺害場所が見つからなかったため{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}、同所での殺害は断念した{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}。その後、XがNに対し「自分がAとホテルに泊まるから、その間にA宅に戻って金を取ってこればいいんじゃないのか」と提案したが、Nは「もう連れ出しているし、泥棒に入っても分かるから、(Aを)殺すしかない」と答えた{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}。
 
その後、2人とAは[[岡山県]][[都窪郡]]内の村にあった喫茶店で休憩{{Sfn|広島高裁|2004|p=9}}。休憩後、空は既に明るくなっており、店の周囲に奥深い山もなかったため、Nは「計画を実行するのは無理だ」という気持ちに傾きかけ、いったんは三原市方面へ向かった{{Efn2|被告人Nは差戻控訴審第20回公判で「喫茶店を出た後は被害者を殺害する意思が薄れていたが、福山市内を三原市に向けて国道2号を走行中に交差点の200 - 300 m手前でXから『もうこのまままっすぐ帰るんか』と聞かれて『XはまだAを殺害する意図を有している。見くびられた』と感じ『山野峡』という標示板を見て同交差点を右折し、殺害現場に向かった」と供述している{{Sfn|広島高裁|2004|p=11}}。}}{{Sfn|広島高裁|2004|pp=9-10}}。しかし、福山市内の[[国道2号]]を走行中に「北方の[[深安郡]][[神辺町]](現:福山市神辺町)方面なら、人目に付かない奥深い山があるのではないか」と考え、Xにその旨を伝えた上で山間部へ向けて進行し、山奥へ向かった{{Sfn|広島高裁|2004|pp=9-10}}。そして神辺町方面へ向かって北上していたところ、「山野峡」と表示された道路標識を見て「人目に付かない山深い場所だろう」と考え、標識に従い山野峡方面へ向かった{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯行に至る経緯}}。
 
=== 殺害・死体遺棄 ===
1992年3月29日14時ごろ、N・X両加害者は被害者Aを乗車させたまま第二櫛ヶ端山林道を通り、殺害現場となった広島県福山市山野町大字山野字櫛ヶ端山国有林68林班て小班付近の林道{{Efn2|name="殺害現場"|同所は[[山野峡]]付近の山中に位置し<ref name="中国新聞1993-05-04"/>、一般車両通行止めの標識から約1.3&nbsp;[[キロメートル|km]]入った場所で、林道西側が急傾斜の谷になっている{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}。}}{{Efn2|name="櫛ヶ端山"|「櫛ヶ端山」は岡山県との県境近くに位置し、[[広島県道21号加茂油木線]]のトンネルより北方を「第二櫛ヶ端林道」が通っている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.rinya.maff.go.jp/kinki/keikaku/shinrin_keikaku/planning_point/attach/pdf/290401_1-34.pdf|format=PDF|title=芦田・佐波川広域流域森林計画区 瀬戸内森林計画区 国有林野施業実施計画図(平成23年度策定)|year=2011|publisher=[[近畿中国森林管理局]]|language=ja|accessdate=2020-02-29|archivedate=2020-02-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200229124027/https://www.rinya.maff.go.jp/kinki/keikaku/shinrin_keikaku/planning_point/attach/pdf/290401_1-34.pdf}}</ref>。また『中国新聞』記事では旧福山市・旧神辺町の境界付近(旧神辺町の北端および広島・岡山県境付近)に「遺体発見現場」として×印が打たれている<ref name="中国新聞1993-05-04"/>。}}に至った{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}。NとXはそれぞれ軍手をはめ、XがAに「植木を抜いていく」という話をしている間に、Nが石でAを襲う旨で同意した{{Sfn|広島高裁|2004|p=10}}。そしてAを下車させ、林道西側の道端に連れて行き{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}、XがAに中腰でしゃがみこんで話しかけたところ、その隙にNが付近にあった石(縦約15&nbsp;[[センチメートル|cm]]×横約10&nbsp;cm)をAの背後から力いっぱい振り下ろし、後頭部を1回強打した{{Sfn|広島高裁|2004|p=10}}。Aがうつぶせに転倒・失神すると、NはXからビニール紐(長さ約104&nbsp;cm・白色ポリエチレン製、「平成5年押収第112号の5」)を受け取ってAの頸部に巻き付け、2人でその両端をそれぞれ持って数分間引き合い、被害者Aを絞殺した(強盗殺人罪・死因:窒息死){{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}。
 
その後、2人は被害者Aの死体を持ち上げ、崖下めがけて投げ捨てたが、死体はすぐ近くの草むらの中へ落ちてしまった{{Sfn|広島高裁|2004|p=10}}。死体が林道の上から見える状態だったため、Nはさらに崖を降り、死体を崖の中腹まで引きずり落とすか転がり落して遺棄した{{Sfn|広島高裁|2004|p=10}}。そして殺害現場を離れる際、自動車内でAの手提げバッグ内から現金3,000円と、A名義の普通預金通帳1通([[せとうち銀行]]三原支店発行)・郵便貯金通帳1通([[郵政省]]発行)および印鑑2個を奪ったほか、同日21時ごろにはさらにA宅内で金品を物色したが、そこでは金品は発見できなかった{{Sfn|広島地裁|1994|p=犯罪事実}}。
139 ⟶ 117行目:
 
==== 無期懲役判決 ====
1994年9月30日に広島地裁(小西秀宣裁判長)で[[判決 (日本法)|判決]]公判が開かれ、同地裁はN・X両被告人にそれぞれ無期懲役判決を言い渡した{{Sfn|広島地裁|1994|p=主文}}<ref name="中国新聞1994-10-01">『中国新聞』1994年10月1日朝刊第15版第一社会面31頁「仮出所中、三原で老女殺害 死刑求刑に『無期』判決 裁判長『異例のケース』 広島地裁」(中国新聞社)</ref><ref>『読売新聞』1994年9月30日大阪夕刊第一社会面15頁「老女強殺事件 2人に無期懲役を判決/広島地裁」(読売新聞大阪本社)</ref><ref>『朝日新聞』1994年10月1日朝刊広島県版「強殺再犯者に無期懲役判決 広島地裁/広島」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。同判決からさかのぼって10年間、被告人Nと同様に無期懲役刑の仮釈放中に強盗殺人を犯した被告人はいずれも死刑判決を受けていたが<ref name="中国新聞1994-10-01"/>、広島地裁は[[量刑]]理由について「犯行は計画的かつ悪質だが、被告人Nは反省しており更生の可能性がある。被告人Nは先の事件における仮釈放取り消しを含め、最低でも合計30年(=仮釈放取り消しで10年+今回の事件で仮出所の要件を満たすために20年)程度服役することが必要」と述べ{{Sfn|広島地裁|1994|p=量刑理由}}、独自・異例の量刑論を展開した{{Efn2|同判決からさかのぼって10年間、被告人Nと同様に無期懲役刑の仮釈放中に強盗殺人を犯した被告人はいずれも死刑判決を受けていた<ref name="中国新聞1994-10-01"/>。}}<ref>『毎日新聞』1994年10月1日大阪朝刊社会面31頁「広島地裁の強殺事件判決公判で裁判長が『懲役30年必要』と独自の量刑論」([[毎日新聞大阪本社]])</ref>。
 
[[広島地方検察庁]]は同年10月11日付で、被告人Nについて量刑不当を理由に[[広島高等裁判所]]へ[[控訴]]した<ref name="中国新聞1994-10-12">『中国新聞』1994年10月12日朝刊第15版第二社会面22頁「三原の老女殺人 異例の『無期』検察側が控訴」(中国新聞社)</ref><ref name="朝日新聞1994-10-12">『朝日新聞』1994年10月12日朝刊広島県版「量刑不当とし地検が控訴 三原市の高齢女性強殺事件・広島」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。また、被告人Xの弁護人も「2度の強盗殺人を犯した被告人Nと同じ無期懲役なのは不当」<ref name="朝日新聞1997-02-05"/>と量刑不均衡の主張に加え<ref name="読売新聞1997-02-04"/>、事実誤認を訴えて広島高裁へ控訴した<ref name="中国新聞1997-02-05"/>。
154 ⟶ 132行目:
* 「犯行は悪質だが、検察が死刑を求めている被告人Nは極刑を覚悟して反省の情を表す供述態度を示しており、『人間性の片鱗がみられる』とした第一審判決が軽いとは言えない{{Efn2|この控訴審判決に関与した元裁判官は、退官後(2009年)に『読売新聞』の取材に応じ、「被告人Nは服役態度が真面目で、仮釈放も比較的早く認められており、第一審の『一片の人間性が残っている』という判断もあり得るように感じたため、破棄するには至らなかった」と述べている<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。}}。減軽を求めている被告人Xも動機に酌むべき点はなく、重大な社会的影響も考慮すれば第一審判決が重すぎるとは言えない」<ref name="中国新聞1997-02-05"/>
* 「第一審判決は無期懲役選択時の服役期間について検討しており、現行刑法の趣旨に反するとは言えない」<ref name="読売新聞1997-02-04"/>
被告人Xは同日中に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]へ[[上告]]した{{Efn2|一方<ref name="中国新聞1997-02-05"/>被告人Nの弁護人は判決後に上告しない方針であることを示した<ref name="朝日新聞1997-02-05"/>。その後}}<ref name="中国新聞1997-02-05"/>が被告人Xは後に無期懲役判決が確定した<ref name="読売新聞1999-12-11"/>。
 
=== 広島高検が死刑適用を求め上告 ===
[[:b:刑事訴訟法第405条|刑事訴訟法第405条]]では、[[上告]]理由は[[違憲|憲法違反]]および[[判例]]違反に限定されているため、「量刑不当は適法な上告理由に当たらない」とされている{{Efn2|ただし、[[:b:刑事訴訟法第411条|刑事訴訟法第411条]]は「第405条各号に規定する事由がない場合であっても、(中略)原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。」と規定しており、同条第2項ではその自由の1つとして「刑の量定が甚しく不当であること。」を挙げている。}}<ref name="産経新聞1999-10-30"/>。そのため当時、「検察は無期懲役判決への上告に慎重な姿勢を取っている」とされていた<ref name="産経新聞1999-10-30">『産経新聞』1999年10月30日東京朝刊第二社会面「死刑適用 新たな基準示すか 国立の主婦強盗殺人上告審、結審」(産経新聞東京本社 記者:井口文彦)</ref>。実際に1996年から1997年にかけては、[[甲府信金OL誘拐殺人事件]](1996年4月:東京高裁)、[[名古屋アベック殺人事件]](同年12月:[[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]])、[[つくば妻子殺害事件]](1997年1月:東京高裁)と、死刑求刑事件の控訴審で無期懲役の判決が言い渡される事例が相次いでいたが{{Efn2|名古屋アベック殺人事件の控訴審判決は第一審(名古屋地裁)の死刑判決を破棄自判したもので、東京高裁の2判決はいずれも無期懲役とした原判決に対し、死刑を求めた検察側の控訴を棄却したものである{{Sfn|読売新聞社会部|2006|pp=31-32}}。}}、いずれも検察からの上告はなされていなかった{{Sfn|読売新聞社会部|2006|pp=31-32}}。当時[[最高検察庁]]で刑事部長を務めていた[[堀口勝正]]は、当時の検察内部には「死刑をなるべく回避するという裁判の傾向に対し、上告しても仕方がない、というあきらめ」が根を張っていたと証言している{{Sfn|読売新聞社会部|2006|p=32}}
 
しかし同年2月この判決について報告を受けた[[堀口勝正]]([[最高検察庁]][[刑事部長]]){{Efn2|本事件の控訴審判決以前は、[[甲府信金OL誘拐殺人事件]](1993年発生・1996年4月に控訴審判決)など、検察側が死刑ついて報告求刑した事件で死刑が回避され受け控訴審判決が相次いでいたが、いずと「こも上告され度を超していな」と疑問を投げかけ、刑事部内で議論を行った<ref name="{{Sfn|読売新聞2005-05-03"/>社会部|2006|p=32}}堀口は後年、『[[読売新聞]]』取材に対し「当殺害された被害者が1人の場合は(無期懲役を選択すであなど)死刑をなるべく回避する量刑傾向があり、検察内部にもあきことか「上告理由根を張ってのでは」と述べている<ref name="読売新聞2005-05-03"/>。}}は「これは度を超していなう意見も多」と疑問を投げかけったが堀口が[[土肥孝治]]([[検事総長]])に対し「(無期懲役の)仮釈放中の人間に殺されては、国民は納得できない」と上告意見進言<ref name="読売新聞2005-05-03"/>。仰いだところ、土肥もこれ上告に同意したため{{Sfn|読売新聞社会部|2006|pp=32-33}}、同判決への上告が決まり<ref name="読売新聞2005-05-03">『読売新聞』2005年5月3日東京朝刊第二社会面30頁「[検察官]第1部 被害者を前に(7)『死刑求刑』異例の連続上告」(読売新聞東京本社)</ref>、[[広島高等検察庁]]は1997年2月18日付で[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]への上告手続きを取った{{Efn2|上告理由について、広島高検次席検事・山口克之は「計画的な強盗殺人を2度も犯した被告人Nに対し、死刑ではなく無期懲役を言い渡した判決は判例違反で、国民の正義感にも背くものだ」と述べた<ref name="中国新聞1997-02-18"/><ref name="朝日新聞1997-02-19"/>。}}<ref name="中国新聞1997-02-18">『中国新聞』1997年2月18日朝刊第17版第一社会面23頁「三原の老人殺害 『死刑が妥当』広島高検上告」(中国新聞社)</ref><ref>『読売新聞』1997年2月18日大阪夕刊第一社会面13頁「仮出獄中に強盗殺人事件 N被告の無期懲役を不当と上告/広島高検」(読売新聞大阪本社)</ref><ref name="朝日新聞1997-02-19">『朝日新聞』1997年2月19日朝刊広島県版「三原の強盗殺人事件、無期懲役の判決に高検が上告申し立て/広島」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。検察側が無期懲役判決に対し、[[量刑]]を不服として上告した事例は当時、戦後2件目{{Efn2|永山が起こした[[永山則夫連続射殺事件|連続ピストル射殺事件]]の控訴審判決に対する上告(1981年9月)以来<ref name="読売新聞1997-05-27"/>。}}、戦後2件目あった<ref name="読売新聞2005-05-03"/>検察当局は同年8月19日に「控訴審判決は、重要な量刑要素である犯行態様の悪質性・無期懲役の前科を十分評価していない。最高裁が1983年7月、[[永山則夫連続射殺事件]]の上告審判決で示した死刑の一般的基準(通称「'''[[永山基準]]'''」)に違反しており、判例違反に当たる」などとする上告趣意書を最高裁に提出した<ref>『読売新聞』1997年8月20日東京朝刊第二社会面30頁「『死刑基準に違反』 検察当局が上告趣意書を提出 『強盗殺人の無期、不服』」(読売新聞東京本社)</ref>。
 
土肥は後年、『読売新聞』社会部の取材に対し「裁判の傾向を追認していたのでは、流れを止められない。裁判の流れを変えたい。国民が納得していないというメッセージを発しないと」と思ったと述べている{{Sfn|読売新聞社会部|2006|p=33}}。
 
==== 連続上告 ====
また、検察当局はこの上告以降、1998年1月までに、死刑求刑に対し控訴審で言い渡された無期懲役判決4件に対し、相次いで上告した<ref name="読売新聞2005-05-03"/>。この一連の検察による死刑を求めた5事件への上告については「'''連続上告'''」と呼称される場合がある<ref name="読売新聞1999-11-30 社説"/><ref name="読売新聞2009-03-03"/><ref>{{Cite news|title=【裁く時】第3部・判断の重み (2)死刑か無期か 流れを変えた連続上告|newspaper=[[産経新聞]]|date=2009-05-22|url=http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/257231/|publisher=[[産業経済新聞社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20090601155556/http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/257231/|archivedate=2009年6月1日}}</ref>。
同年3月18日には[[札幌両親強盗北海道職員夫婦事件]](1991年11月に発生:被害者2人)の被告人に対し、[[札幌高等裁判所|札幌高裁]]が無期懲役を言い渡した第一審を支持し、検察官・被告人双方からの控訴を棄却する判決(検察官の求刑:死刑)を言い渡した<ref>{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成7年(う)第113号|裁判年月日=1997年(平成9年)3月18日|裁判所=[[札幌高等裁判所]]|裁判形式=判決|判例集=『[[判例時報]]』第1698号152号、『[[判例タイムズ]]』第1019号111頁、『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28055118|事件名=強盗殺人、死体遺棄、有印私文書偽造、同行使、詐欺被告事件|裁判要旨=被告人が同棲中のAと共謀の上、Aの両親を殺害して現金等を奪い、死体を遺棄するなどした事件につき、無期懲役が言い渡され、双方が控訴した事案で、強盗殺人の実行面での被告人の主導性も、Aが被告人にほとんど匹敵する重要な役割を果たしており、もしAが強盗殺人の直前までに翻意した場合には、被告人一人では犯行を実行することはできなかったものと考えられ、量刑判断上、その刑責においてAとの間に検察官のいうほど歴然とした差異は認められないとし、各控訴を棄却した事例。(TKC)}} - [[札幌両親強盗北海道職員夫婦事件]]の控訴審判決文。
* 裁判官:油田弘祐(裁判長)・渡辺壮・高麗邦彦</ref>が、[[札幌高等検察庁]]は同月28日に死刑適用を求めて上告していた<ref>『朝日新聞』1997年3月29日朝刊第一社会面39頁「死刑求めて検察側上告 交際相手の両親殺害 札幌」(朝日新聞東京本社)</ref>。また、同年5月12日には'''[[国立市主婦殺害事件]]'''(1992年10月発生)の被告人に対し、[[東京高等裁判所|東京高裁]]第11刑事部(中山善房裁判長)<ref>{{Cite 判例検索システム|Ref={{SfnRef|東京高裁|1997}}|事件番号=平成7年(う)第302号|裁判年月日=1997年(平成9年)5月12日|裁判所=[[東京高等裁判所]]|法廷=第11刑事部|裁判形式=判決|判例集=『[[判例タイムズ]]』第949号281頁、『[[判例時報]]』第1613号150頁、『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28025289、『D1-Law.com』([[第一法規]]法情報総合データベース)判例体系 ID:28025289|事件名=強盗強姦、強盗殺人、窃盗被告事件|判示事項=強盗強姦、強盗殺人等を犯した被告人に対し死刑を言渡した第1審判決を破棄し、無期懲役刑を言渡した事例(判例タイムズ)|裁判要旨=被告人(控訴人)が、強盗と強姦を企図し、白昼、顔見知りの主婦宅に上がり込み、同女から現金約3万1000円を強取するとともに同女を姦淫し、その口封じに確定的殺意のもとに、千枚通し及び牛刀で同女の側胸部、頸部を突き刺し、総頚動脈等切断に基づく失血により同女を死亡させて殺害した強盗強姦・強盗殺人の事案の控訴審において、被告人は、被害者を殺害した直後、精神的錯乱状態に陥り、同状態が数日間継続した後、自ら死を選ぼうとしており、その経緯を通じて、被告人がその良心に叱り責められ、苛まれていた情況にあったことを認めることができるのであって、被告人には、なお規範的な人間性が僅かに残されていたものとみる余地があること等を総合考慮するなどして、死刑を言い渡した原判決を破棄し、無期懲役刑を言い渡した事例。(TKC)}} - [[国立市主婦殺害事件]](1992年10月発生)の控訴審判決文。
* 判決[[主文]]:原判決を破棄する。被告人を無期懲役に処する。
* 裁判官:中山善房(裁判長)<!--TKCでは「中'''村'''善房」と誤記あり-->・鈴木勝利・岡部信也
171 ⟶ 151行目:
** 弁護人:岡部保男(控訴趣意書および弁論要旨を作成)
** 検察官:坂田一男(控訴趣意書に対する答弁書を作成)・伊豆亮衞(弁論要旨を作成)
</ref>が第一審の死刑判決を破棄([[自判]])し、被告人を無期懲役とする判決を言い渡していた{{Efn2|同判決で東京高裁 (1997) は「被告人は規範意識に目覚めつつある」として第一審の死刑判決を破棄したが、土肥は自ら公判記録を検討し「被告人には真の反省が見られない」と指摘した<ref name="読売新聞2005-05-03"/>。}}<ref name="読売新聞1997-05-13">『読売新聞』1997年5月13日東京朝刊第二社会面30頁「国立市の主婦殺害 情状くみ死刑破棄 「残虐、冷酷」だが無期/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>が、[[東京高察庁]]は同判決について同年5月26日、「[[永山則夫連続射殺事件|連続射殺事件]]の判決(永山基準)で示した死刑適用の要件に照らしても、死刑をもって処断すべき事案だ」として、[[判例]]違反および量刑不当を理由に最高裁へ上告した{{Efn2|同事件については殺害された被害者が1人で、被告人に殺人の前科もなかったため、[[東京高察庁]]はいったん「上告不要」の結論を出したが、最高検はそれに対し異論を唱えた<ref name="読売新聞2005-05-03"/>。}}<ref name="読売新聞1997-05-27">『読売新聞』1997年5月27日東京朝刊一面1頁「東京・国立の主婦殺害 「無期と不服」と東京高検が上告 死刑回避の流れ懸念」(読売新聞東京本社)</ref>。
 
検察当局はその後も1998年(平成10年)1月までに<ref name="読売新聞2005-05-03"/>、高裁が無期懲役判決を言い渡した2件の強盗殺人事件について、相次いで最高裁へ上告した<ref name="読売新聞1999-11-30 社説">『読売新聞』1999年11月30日東京朝刊三面「[社説]死刑か無期か、の重い問い」(読売新聞東京本社)</ref>。
189 ⟶ 169行目:
!備考
|-
| rowspan="2" |'''本事件'''{{Sfn|広島高裁|2004|p=20}}
| rowspan="2" |1人
| rowspan="2" |{{nowrap|1992年3月}}<ref name="4事件" />
200 ⟶ 180行目:
| rowspan="2" |判決<br/><ref name="中国新聞1999-12-11"/><ref name="読売新聞2007-04-11"/>
|{{nowrap|破棄差戻}}<ref name="中国新聞1999-12-11"/>
| rowspan="2" |強盗殺人の前科あり(仮釈放中の再犯)<ref name="中国新聞2004-04-24"/>。<br/>共犯の男は無期懲役判決(求刑:同)を受け<ref name="中国新聞1997-02-04"/>、確定<ref name="中国新聞1999-12-11"/>。
|-
|(差戻後)<br/>2004年4月<ref name="中国新聞2004-04-24" />
207 ⟶ 187行目:
|上告棄却<br/>死刑確定<ref name="読売新聞2007-04-11"/>
|-
|[[札幌両親強盗北海道職員夫婦事件]]{{Sfn|広島高裁|2004|p=20}}
|2人<ref name="検察側が上告"/>
|{{nowrap|1991年11月}}<ref name="4事件" />
214 ⟶ 194行目:
|1997年3月<ref name="4事件" />
|控訴棄却<ref name="4事件" />
|{{nowrap|第一}}<ref name="札幌事件上告審">{{Cite 判例検索システム|事件番号=平成9年(あ)第719号|裁判年月日=1999年(平成11年)12月16日|法廷名=最高裁判所第一小法廷|裁判形式=決定|判例集=集刑 第277号283頁、『裁判所時報』第1258号10頁、『判例時報』第1698号148頁、『判例タイムズ』第1019号108頁、『[[TKC]]ローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28025289|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58541|事件名=強盗殺人、死体遺棄、有印私文書偽造、同行使、詐欺被告事件|判示事項=強盗殺人等被告事件について、無期懲役に処した第一審判決を是認した控訴審判決には量刑の基礎となる事実に関する認定、評価の誤り又はその疑いが認められるが、いまだ破棄しなければ著しく正義に反するとは認められないとされた事例|裁判要旨=被告人がA(無期懲役が確定)と共謀の上、就寝中のAの両親を包丁で突き刺し両名を失血死させて、現金二十数万円、貯金証書、預金通帳、生命保険証券類等を強取し、自動車の座席に乗せた両名の死体にガソリンを散布して着火し、自動車とともに土中に埋没させてこれを遺棄し、強取した貯金証書等を利用し、関係書類を偽造、行使して預貯金や生命保険の解約等の名目で合計458万円余を騙取し、強盗殺人、死体遺棄、有印私文書偽造、同行使、詐欺罪で第一審、控訴審ともに無期懲役が言い渡され、検察官が上告した事案において、被告人とAの本件犯行への関与の状況に加えて、その他の量刑事情を総合的に考慮すると、いまだ被告人に対しAに対して言い渡された無期懲役刑とは歴然とした差異のある極刑に処すべきものとまでは断定し難く、無期懲役に処した第一審判決を是認した原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものとは認められないとして、上告を棄却した事例。(TKC)}} - [[札幌両親強盗北海道職員夫婦事件]]の上告審判決
* 最高裁判所裁判官:[[井嶋一友]](裁判長)・[[小野幹雄]]・[[遠藤光男]]・[[藤井正雄 (裁判官)|藤井正雄]]・[[大出峻郎]]</ref>
|決定<br/><ref name="札幌事件上告審" />
220 ⟶ 200行目:
|共犯の少女(被害者夫婦の娘・当時19歳)も無期懲役が確定<ref name="4事件" />。
|-
|'''[[国立市主婦殺害事件]]'''{{Sfn|広島高裁|2004|p=20}}
|1人<ref name="検察側が上告"/>
|{{nowrap|1992年10月}}<ref name="読売新聞1995-01-18">『読売新聞』1995年1月18日東京朝刊第13S版多摩地方面24頁「国立の主婦殺しで地裁八王子支部 O被告に死刑判決」(読売新聞東京本社・八王子支局)</ref>
232 ⟶ 212行目:
|5事件では唯一、第一審で死刑が言い渡されていた<ref name="検察側が上告">『毎日新聞』1999年11月29日東京夕刊社会面8頁「検察側が上告した強盗殺人事件」(毎日新聞東京本社)</ref>。
|-
|{{nowrap|岸和田市銀行員殺害事件}}{{Sfn|広島高裁|2004|p=20}}<ref name="4事件">『朝日新聞』1999年11月29日東京夕刊第二社会面22頁「検察側が上告した残りの4事件」(朝日新聞東京本社)</ref>
|1人<ref name="4事件"/>
|{{nowrap|1994年10月}}<ref name="4事件" />
246 ⟶ 226行目:
|
|-
|倉敷市両親殺害事件{{Sfn|広島高裁|2004|p=20}}<ref name="4事件"/>
|2人<ref name="4事件"/>
|{{nowrap|1993年12月}}<ref name="4事件" />
258 ⟶ 238行目:
|
|}
5事件の被害者はいずれも1人 - 2人で、死刑と無期懲役を分けるボーダーラインとされていたが<ref name="毎日新聞1999-10-27">『毎日新聞』1999年10月27日東京夕刊社会面8頁「死刑との線引きどこで 無期不服の検察が上告、最高裁が初判断--国立の強殺事件で」(毎日新聞東京本社 記者:小出禎樹)</ref>、検察当局は当時、下級審が死刑適用を回避する傾向を疑問視し<ref name="産経新聞1999-10-30" />、「近年の裁判所の量刑は軽すぎ、国民感情からかけ離れている」と訴えた<ref name="読売新聞2009-03-03" />。このような検察当局の動向は当時、「検察当局は死刑選択基準の揺らぎに釘を刺す狙いがある」と受け取られたが、法務・検察部の中からは「最高裁に下駄を預けることで『永山基準』が再確認される可能性もあるが、死刑回避の方向に見直されるなど、上告が逆効果になる恐れもある」という声も上がっていた<ref>『[[東京新聞]]』1998年7月6日夕刊第二社会面8頁「オウム・岡崎被告に求刑 オウム、求刑「無期」が最高 過去の裁判 死刑求刑 複数殺害が「基準」 被害感情や社会的影響加味」([[中日新聞東京本社]]) - [[オウム真理教事件]]をめぐり[[オウム真理教|教団]]元幹部・[[岡崎一明]]に死刑が求刑された際の記事。</ref>。
 
一方、[[日本弁護士連合会]](日弁連)人権擁護委員会で、死刑問題調査研究委員会の委員を務めていた小川原優之弁護士は、各事件の弁護人との意見交換を行い、5事件全体を統一する形で最高裁に提出する書面の作成を検討した{{Efn2|最終的には実現しなかった<ref name="毎日新聞1999-11-29"/>。}}ほか、1998年11月には私見として「死刑と無期懲役の境界」をまとめて公開し、「検察側の求刑・量刑の基準は混乱している{{Efn2|その例として、検察側が[[地下鉄サリン事件]]で12人殺害の罪に問われた[[林郁夫]]被告人に無期懲役を求刑したケースや、「連続上告」の対象となった5件以外の強盗殺人事件で無期懲役の東京高裁判決(1998年4月)に対し、死刑を求刑していた検察側が上告しなかったことを挙げた<ref name="毎日新聞1999-10-27"/>。}}。死刑と無期懲役の境界は客観的に存在せず、裁判官の価値観によるところが大きい」と指摘していた<ref name="毎日新聞1999-11-29"/>。また、市民団体「死刑廃止フォーラム90」は1998年2月に「暴走する検察庁 5件連続検察上告を考える」というシンポジウム{{Efn2|上告対象となった札幌事件で弁護人を務めた村岡啓一弁護士ら4人が出席した<ref name="毎日新聞1999-11-29"/>。}}を開いたが、このシンポジウムでは「被害者1人の強盗殺人事件で死刑判決は珍しい」「最高裁の新判断を得るのが目的ではなく、判決を上級裁判所に晒し、下級審の寛刑傾向を止める狙いがある。裁判官に大きな圧力を与えるだろう」などと、検察側の姿勢に反発する声が上がった<ref name="毎日新聞1999-11-29">『毎日新聞』1999年11月29日東京夕刊社会面8頁「「死刑に慎重」流れ踏襲 検察に危機感--東京・国立の主婦強殺、最高裁判決」(毎日新聞東京本社)</ref>。
結局、国立事件については本事件とともに最高裁第二小法廷が[[口頭弁論]]を開いたが、同小法廷([[福田博]]裁判長)は1999年11月29日に「死刑を選択した第一審判決も首肯し得ないものではないが、犯行は計画性が高いとは言い難く、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められない」として控訴審判決を支持し、検察官の上告を棄却する判決を言い渡した<ref name="産経新聞1999-11-29"/>。しかし、その一方で「永山基準」を示した1983年7月の最高裁判決を引用して「殺害された被害者が1名の事案でも、極刑がやむを得ないと認められる場合がある」と判示した<ref name="産経新聞1999-11-29"/>。他3件についても、後に相次いで上告棄却の決定{{Efn2|[[札幌両親強盗殺人事件]]の上告審では最高裁第一小法廷([[井嶋一友]]裁判長)が同年12月16日付で上告棄却決定(無期懲役を宣告した札幌高裁の原判決を支持)を出した<ref name="札幌事件上告審"/>。同日には岸和田事件についても同小法廷([[遠藤光男]]裁判長)が上告棄却を決定した<ref name="岸和田事件上告審"/>ほか、残る1件についても同月21日に最高裁第三小法廷([[元原利文]]裁判長)で上告棄却の決定が出された<ref name="倉敷事件上告審"/>。}}が出されたが、一連の「連続上告」を決断した堀口は「(連続上告により)それまでの裁判官の判断を抑圧してきた、極刑に慎重な流れのようなものを取り払った意味は大きかった」{{Efn2|1983年(「永山基準」が示された年) - 1999年の間に第一審・控訴審で死刑判決を受けた人数は年間4 - 15人だったが、2000年以降は8年連続で20人を超えている<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。また殺人事件に対する判決数の増加割合は、1996年 - 2004年の間で約1.4倍だった一方、第一審から最高裁までで死刑判決を受けた被告人の人数は2004年のみで42人(8人だった1996年の5倍強)となっており、「連続上告」以降急増している<ref>『読売新聞』2005年5月19日東京朝刊三面3頁「「死刑」拡大の流れ? 被害者1人でも高裁“逆転”判決」(読売新聞東京本社)</ref>。}}と回顧している<ref name="読売新聞2009-03-03">『読売新聞』2009年3月3日東京朝刊第二社会面34頁「[死刑]選択の重さ(6)極刑抑制の流れ変わる」(読売新聞東京本社)</ref>。
 
結局、国立事件については本事件とともに最高裁第二小法廷が[[口頭弁論]]を開いたが、同小法廷([[福田博]]裁判長)は1999年11月29日に「死刑を選択した第一審判決も首肯し得ないものではないが、犯行は計画性が高いとは言い難く、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまでは認められない」として控訴審判決を支持し、検察官の上告を棄却する判決を言い渡した<ref name="産経新聞1999-11-29"/>。しかし、その一方で「永山基準」を示した1983年7月の最高裁判決を引用して「殺害された被害者が1名の事案でも、極刑がやむを得ないと認められる場合がある」と判示した<ref name="産経新聞1999-11-29"/>。他3件についても、後に相次いで上告棄却の決定{{Efn2|[[北海道職員夫婦殺害事件]]の上告審では最高裁第一小法廷([[井嶋一友]]裁判長)が同年12月16日付で上告棄却決定(無期懲役を宣告した札幌高裁の原判決を支持)を出した<ref name="札幌事件上告審"/>。同日には岸和田事件についても同小法廷([[遠藤光男]]裁判長)が上告棄却を決定した<ref name="岸和田事件上告審"/>ほか、残る1件についても同月21日に最高裁第三小法廷([[元原利文]]裁判長)で上告棄却の決定が出された<ref name="倉敷事件上告審"/>。}}が出されたが、一連の「連続上告」を決断した堀口は「(連続上告により)それまでの裁判官の判断を抑圧してきた、極刑に慎重な流れのようなものを取り払った意味は大きかった」{{Efn2|1983年(「永山基準」が示された年) - 1999年の間に第一審・控訴審で死刑判決を受けた人数は年間4 - 15人だったが、2000年以降は8年連続で20人を超えている<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。また殺人事件に対する判決数の増加割合は、1996年 - 2004年の間で約1.4倍だった一方、第一審から最高裁までで死刑判決を受けた被告人の人数は2004年のみで42人(8人だった1996年の5倍強)となっており、「連続上告」以降急増している<ref>『読売新聞』2005年5月19日東京朝刊三面3頁「「死刑」拡大の流れ? 被害者1人でも高裁“逆転”判決」(読売新聞東京本社)</ref>。}}と回顧している<ref name="読売新聞2009-03-03">『読売新聞』2009年3月3日東京朝刊第二社会面34頁「[死刑]選択の重さ(6)極刑抑制の流れ変わる」(読売新聞東京本社)</ref>。
=== 最高裁が破棄差し戻し判決 ===
 
[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二[[小法廷]]は[[1999年]](平成11年)7月21日、国立事件および本事件について、それぞれ上告審の[[口頭弁論]]を開くことを決めた<ref name="朝日新聞1999-07-22">『朝日新聞』1999年7月22日朝刊第一社会面39頁「2件で口頭弁論を通知 死刑基準違反との検察上告で最高裁」(朝日新聞東京本社)</ref>。通常、最高裁で弁論が開かれる刑事事件は、控訴審で死刑判決が言い渡された事件か、何らかの形で控訴審の結論が見直される事件{{Efn2|最高裁にて取り扱われる上告審は[[法律審]](通常は書面審理による)であるため、上告理由がないと判断される事件は口頭弁論を経ずに上告を棄却することができる{{Efn2|[[:b:刑事訴訟法第408条|刑事訴訟法第408条]]:「上告裁判所は、上告趣意書その他の書類によって、上告の申立の理由がないことが明らかであると認めるときは、弁論を経ないで、判決で上告を棄却することができる。」}}<ref>{{Cite web|url=https://www.courts.go.jp/saikosai/tetuzuki/index.html|title=最高裁判所について|accessdate=2020-12-24|publisher=最高裁判所|website=裁判所ウェブサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201224143544/https://www.courts.go.jp/saikosai/tetuzuki/index.html|archivedate=2020-12-24}}</ref>一方、控訴審判決を見直す可能性がある場合は口頭弁論を開く必要があるが、控訴審判決が死刑である事件は慣例として、(結論が上告棄却であっても)弁論を開いた上で判決を言い渡すこととなっている<ref name="伊東良徳">{{Cite web|url=http://www.shomin-law.com/keijijikensaikousai.html|title=まだ最高裁がある?(刑事事件編)|accessdate=2020-12-24|author=[[伊東良徳]]|website=庶民の弁護士 伊東良徳のサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201101021629/http://www.shomin-law.com/keijijikensaikousai.html|archivedate=2020-11-01}}</ref>。}}とされており<ref name="朝日新聞1999-07-22"/>、控訴審で無期懲役判決が言い渡された事件について弁論が開かれる事例は異例だった<ref>『毎日新聞』1999年7月22日北海道朝刊社会面20頁「無期懲役判決の2強盗殺人事件、今秋に『弁論』開く--最高裁」(毎日新聞東京本社・北海道支社)</ref>。このため、「最高裁が死刑と無期懲役の境目など、死刑選択基準に関する新たな判断を示す可能性がある」と注目された<ref name="産経新聞1999-10-30"/>。
=== 最高裁が破棄差戻し判決 ===
{{最高裁判例
|事件名=有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人被告事件
|事件番号=平成9年(あ)第479号
|裁判年月日=[[1999年]]([[平成]]11年)12月10日
|判例集=『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第53巻9号1160頁
|裁判要旨=一人暮らしの老女を冷酷かつ残虐な方法で殺害しその金品を強取した強盗殺人の犯行において、被告人が、共犯者との関係で主導的役割を果たしたこと、強盗殺人罪により無期懲役に処せられて服役しながら、その仮出獄中に再び右犯行に及んだこと等の諸点(判文参照)を総合すると、被告人の罪責は誠に重大であって、特に酌量すべき事情がない限り、死刑の選択をするほかなく、原判決が酌量すべき事情として述べるところはいまだ死刑を選択しない事由として十分な理由があると認められないから、第一審判決の無期懲役の科刑を維持した原判決は、甚だしく刑の量定を誤ったものとして破棄を免れない。
|法廷名=第二[[小法廷]]
|裁判長=[[河合伸一]]
|陪席裁判官=[[福田博]]・[[北川弘治]]・[[梶谷玄]]<ref group="注" name="亀山"/>
|多数意見=全員一致
|意見=なし
|反対意見=なし
|参照法条=[[刑法 (日本)|刑法]]第11条,刑法第240条(以上、いずれも平成7年法律第91号による改正前のもの),[[刑事訴訟法]]第411条2号
|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=050399
}}
[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二[[小法廷]]は[[1999年]](平成11年)7月21日、国立事件および本事件について、それぞれ上告審の[[口頭弁論]]を開くことを決めた<ref name="朝日新聞1999-07-22">『朝日新聞』1999年7月22日朝刊第一社会面39頁「2件で口頭弁論を通知 死刑基準違反との検察上告で最高裁」(朝日新聞東京本社)</ref>。通常、最高裁で弁論が開かれる刑事事件は、控訴審で死刑判決が言い渡された事件か、何らかの形で控訴審の結論が見直される事件{{Efn2|最高裁にて取り扱われる上告審は[[法律審]](通常は書面審理による)であるため、上告理由がないと判断される事件は口頭弁論を経ずに上告を棄却することができる{{Efn2|[[:b:刑事訴訟法第408条|刑事訴訟法第408条]]:「上告裁判所は、上告趣意書その他の書類によって、上告の申立の理由がないことが明らかであると認めるときは、弁論を経ないで、判決で上告を棄却することができる。」}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.courts.go.jp/saikosai/tetuzuki/index.html|title=最高裁判所について|accessdate=2020-12-24|publisher=最高裁判所|website=裁判所ウェブサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201224143544/https://www.courts.go.jp/saikosai/tetuzuki/index.html|archivedate=2020-12-24}}</ref>一方、控訴審判決を見直す可能性がある場合は口頭弁論を開く必要があるが、控訴審判決が死刑である事件は慣例として、(結論が上告棄却であっても)弁論を開いた上で判決を言い渡すこととなっている<ref name="伊東良徳">{{Cite web|和書|url=http://www.shomin-law.com/keijijikensaikousai.html|title=まだ最高裁がある?(刑事事件編)|accessdate=2020-12-24|author=[[伊東良徳]]|website=庶民の弁護士 伊東良徳のサイト|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201101021629/http://www.shomin-law.com/keijijikensaikousai.html|archivedate=2020-11-01}}</ref>。}}とされており<ref name="朝日新聞1999-07-22"/>、控訴審で無期懲役判決が言い渡された事件について弁論が開かれる事例は異例だった<ref>『毎日新聞』1999年7月22日北海道朝刊社会面20頁「無期懲役判決の2強盗殺人事件、今秋に『弁論』開く--最高裁」(毎日新聞東京本社・北海道支社)</ref>。このため、「最高裁が死刑と無期懲役の境目など、死刑選択基準に関する新たな判断を示す可能性がある」と注目された<ref name="産経新聞1999-10-30"/>。
 
本事件の審理は[[河合伸一]]裁判長<ref name="中国新聞1999-11-16"/>以下、第二小法廷所属の[[最高裁判所裁判官|最高裁判事]]4人([[福田博]]・[[北川弘治]]・[[梶谷玄]])が担当した{{Efn2|name="亀山"|当時第二小法廷所属裁判官だった[[亀山継夫]]は広島高裁係属中に広島高検検事長を務めていたため、本事件の審理には参加しなかった<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。}}<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)は1999年11月15日に口頭弁論を開き<ref name="中国新聞1999-11-16">『中国新聞』1999年11月16日朝刊第一社会面35頁「三原の女性強殺 上告審で検察側『死刑が相当』」(中国新聞社)</ref>、同日の弁論で検察官は「無期懲役の仮釈放中に同様の重大犯罪を犯した者は例外なく死刑となっており、一・二審判決はこれまでの判例に違反する」と主張した<ref name="朝日新聞1999-11-16">『朝日新聞』1999年11月16日東京朝刊第三社会面37頁「仮釈放中に再び強盗殺人、『死刑か無期か』弁論 最高裁」(朝日新聞東京本社)</ref>。一方、弁護人は「一・二審判決は永山基準を踏まえて結論が出されており、検察側の主張は上告理由にならない量刑不当に過ぎない」と反論し、上告棄却を求めた<ref name="朝日新聞1999-11-16"/>。
269 ⟶ 266行目:
1999年12月10日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)は検察側の上告を認めて広島高裁の無期懲役判決を破棄し、審理を同高裁に差し戻す判決を言い渡した<ref name="中国新聞1999-12-11">『中国新聞』1999年12月11日朝刊一面1頁「三原の女性強殺 N被告の『無期』破棄 最高裁が差し戻し 死刑回避、理由足りぬ」(中国新聞社)</ref><ref name="読売新聞1999-12-11">『読売新聞』1999年12月11日東京朝刊一面1頁「広島の女性強殺事件 死刑回避は量刑不当 最高裁が無期判決差し戻し」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="朝日新聞1999-12-11">『朝日新聞』1999年12月11日東京朝刊一面1頁「最高裁、無期判決破棄 『死刑選択やむを得ぬ』 仮釈中の強盗殺人」(朝日新聞東京本社)</ref><ref name="朝日新聞1999-12-11 解説">『朝日新聞』1999年12月11日東京朝刊第三社会面37頁「死刑選択、一つの答え 強盗殺人最高裁判決<解説>」(朝日新聞東京本社 社会部記者:豊秀一)</ref><ref name="上告審判決要旨">『朝日新聞』1999年12月11日東京朝刊第三社会面37頁「死刑選択、一つの答え 強盗殺人最高裁判決<解説>」(朝日新聞東京本社)</ref><ref name="毎日新聞1999-12-11">『毎日新聞』1999年12月11日東京朝刊一面1頁「広島・福山の強盗殺人『無期』判決、最高裁が差し戻し--『死刑』の公算」(毎日新聞東京朝刊)</ref>。最高裁による無期懲役判決の破棄差戻判決は、「永山基準」が示された連続射殺事件の上告審判決への判決(1983年7月 / 被告人:[[永山則夫]])以来16年ぶりであった<ref name="毎日新聞1999-12-11"/>。同小法廷は判決理由で、「本事件は犯行前の準備から、計画性が低かったとはいえない。Nは恵まれた環境にいながら、パチンコで借金を重ねた挙句に犯行におよんでおり、遺族への慰謝の措置も講じておらず、矯正の余地は認められない」と指弾したほか<ref name="毎日新聞1999-12-11"/>、永山判決以降に無期懲役の仮出所中に強盗殺人を犯した被告人はいずれも死刑判決を受けていたことを踏まえ、「被告人Nの情状は、死刑を回避し無期懲役を選択すべきほど悪質さの程度が低いとはいえない。殺害された被害者数は1人だが、被告人Nの刑事責任は重大で、特段の事情がない限りは死刑を選択するほかない」と判断した<ref name="上告審判決要旨"/>。
 
=== 差控訴審・広島高裁 ===
控訴審初公判を控えた[[2000年]](平成12年)3月8日には新たに被告人Nの[[国選弁護制度|国選弁護人]]として[[広島弁護士会]]所属の弁護士2人(武井康年・石口俊一)が選任された{{Sfn|広島地裁|2011|p=争いのない事実}}。また広島弁護士会は「今後の刑事訴訟に重大な影響を与える」として3人の「支援弁護人」を選任し、国選弁護人3人と併せて6人の弁護団を結成した上で被告人Nの生育環境が与えた影響などの立証に力を入れ、死刑回避を目指した<ref name="中国新聞2004-04-24 社会"/>。また被告人Nは2000年8月に弁護団宛の手紙で「狂犬の雄叫び」と題した詩を書き「狂犬の自分はもうすぐこの世から抹殺されるが、誰かが自分に予防注射をして生かしてくれれば盲導犬のようにいつか必ず役に立てるはずだ」と書き記していた<ref name="中国新聞2004-04-24 社会">『中国新聞』2004年4月24日朝刊第17版第一社会面37頁「N被告弁護団 死刑の是非判断ない 『最高裁の論調踏襲』 上告検討 不当性主張へ」(中国新聞社)</ref>。
 
2000年8月10日に広島高裁(重吉孝一郎裁判長)で差控訴審初公判が開かれ、弁護側は同日の意見陳述で「殺害に至る計画性は低く、被告人Nは被害者遺族に対しても慰謝の気持ちがある」などと酌量事由について主張し、死刑回避を訴えた<ref>『朝日新聞』2000年8月11日朝刊広島県版第一面25頁「仮釈放中の強盗殺人再犯、死刑か無期か 差し戻し審初公判/広島」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。さらに弁護人はその上で、「[[死刑制度合憲判決事件|死刑制度は憲法違反]]であり、死刑判断の基準とされる永山基準も成熟した基準ではない。判例は変更されるべきだ」と指摘した上で{{Efn2|当時弁護団は今後の弁護方針について、法学者を証人申請するなどして死刑制度の違憲性を立証する方針を明かしてい<ref name="読売新聞2000-08-11"/>。}}<ref name="読売新聞2000-08-11">『読売新聞』2000年8月11日大阪朝刊広島県面23頁「『死刑制度は違憲』 強殺・N被告差し戻し控訴審 初公判で弁護人=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>。
 
2000第2回公判(2000年10月3日に第2回公判が開かれ)で、弁護側は前述の「連続上告」5件に対する最高裁の決定・判決を検討し「本事件は前科の点を除けば、他の(上告棄却の結論がなされた)4件に比べ殺害された被害者数など悪質性は低い。本件のみ検察側上告を認め破棄差戻しした最高裁の判断は量刑均衡を著しく欠くものだ」などと主張したほか、「再犯予防など服役中の処遇に大きな欠陥がある」として、処遇記録の取り寄せ・検討を求めた<ref>『朝日新聞』2000年10月4日朝刊広島県第一面27頁「量刑の不均衡を弁護側が主張 強盗殺人差し戻し審 /広島」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。また、続く第3回公判(同年11月7日)では「死刑執行および死刑確定者処遇の実態に照らせば、死刑は不必要な精神的・肉体的苦痛を与えるもので、残虐な刑罰を禁止している[[日本国憲法第36条]]に[[違憲|違反]]する。Nは被害者遺族宛てに反省・謝罪の心情を記した手紙を送ろうと考えるなど、反省を深めており、更生可能性がある」と訴えた<ref>『朝日新聞』2000年11月8日朝刊広島県第一面27頁「『死刑は違憲』弁護側が主張 強盗殺人の差し戻し審 /広島」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。
 
その後、被告人Nの弁護人は「Nの生育環境がN自身に与えた影響を調べるため、心理学専門家による被告人Nの[[精神鑑定]]を実施すべきだ」と請求し、これを受けた広島高裁([[久保眞人]]裁判長)は[[2002年]](平成14年)12月10日に開かれた公判で鑑定実施を決めた<ref name="読売新聞2002-12-11">『読売新聞』2002年12月11日大阪朝刊広島県面27頁「仮釈放中に強殺再犯の被告 差し戻し審で精神鑑定実施へ 高裁=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>。鑑定結果は[[2003年]](平成15年)9月9日に開かれた公判で提出されたが、鑑定を実施した医師は「被告人Nは[[反社会性パーソナリティ障害|非社会性人格障害]]および[[自己愛性パーソナリティ障害|自己愛的人格障害]]だ。幼少期に甘やかされて生育したため、欲求不満への耐性が乏しく、経済的理由から高校に通えなかった影響で、劣等感を抱いて育った。犯行後も自分の行動を正当化するなど、刑罰による学習効果はあまり期待できない」という見解を示した<ref name="読売新聞2003-09-10">『読売新聞』2003年9月10日大阪朝刊広島県面31頁「仮釈放中に強盗殺人再犯公判 『刑罰の学習効果期待無理』と医師 高裁=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>。
2000年11月7日に第3回公判が開かれ、弁護人は同日の意見陳述で「死刑執行および死刑確定者処遇の実態に照らせば、死刑は不必要な精神的・肉体的苦痛を与えるもので残虐な刑罰を禁止している[[日本国憲法第36条]]に[[違憲|違反]]する」と主張したほか、被告人Nの情状についても「被害者遺族宛てに反省・謝罪の心情を記した手紙を送ろうと考えるなど反省を深めており、更生可能性がある」と訴えた<ref>『朝日新聞』2000年11月8日朝刊広島県第一面27頁「『死刑は違憲』弁護側が主張 強盗殺人の差し戻し審 /広島」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。
 
一方、検察官は当審において2000年12月11日付・2002年6月13日付でそれぞれ意見書(作成検察官:渋谷勇治)記載の通り意見を述べた{{Sfn|広島高裁|2004|p=1}}。
検察官は当審において2000年12月11日付・[[2002年]](平成14年)6月13日付でそれぞれ意見書(作成検察官:渋谷勇治)記載の通り意見を述べた{{Sfn|広島高裁|2004|p=1}}。なお公判中に被告人Nは死刑になったり拘置中に死亡したりした場合の[[臓器提供]]および拘置中の骨髄提供を希望し{{Efn2|『読売新聞』報道によればそのきっかけは「2年前(2000年)に白血病の少女が骨髄移植により回復した話を拘置所内のラジオで聞いたことで移植医療に関心を持ったため」で<ref name="読売新聞2002-06-08"/>、同時点までにドナーカードに「全臓器提供」と記入していたほか<ref name="東京新聞2002-06-07"/>、弁護団が前月(2002年5月)に受け取った手紙には「自分が脳死になった際にはすべての臓器を提供する」などと書いていた<ref name="朝日新聞2002-06-08"/>。ただし死刑は心臓死を前提としたもので、脳死の場合は提供施設でしか臓器を摘出できない<ref name="東京新聞2002-06-07"/>。}}<ref name="東京新聞2002-06-07">『[[東京新聞]]』2002年6月7日朝刊第一社会面29頁「塀の中から法整備訴え 『死刑・死亡なら臓器提供したい』 差し戻し公判中の強殺被告」([[中日新聞東京本社]])</ref>、2002年6月7日付で被告人Nの弁護団は広島高裁に対し「被告人Nが希望している[[骨髄バンク]]のドナー登録手続き{{Efn2|「ドナー登録前の血液検査」と「適合患者が見つかった場合の骨髄採取」のことで<ref name="東京新聞2002-06-07"/>、申し立てていた前者の執行停止期間は都道府県指定の医療機関にて行う手続きに必要な2時間程度だった<ref name="朝日新聞2002-09-16"/>。}}のため、勾留を一時的に停止してほしい」と請求したほか、広島地検にも<ref name="朝日新聞2002-06-08">『朝日新聞』2002年6月8日大阪朝刊第三社会面33頁「骨髄登録で勾留の一時停止請求 広島高裁に強盗殺人被告」(朝日新聞大阪本社)</ref>同様の理由で無期懲役刑の一時的な執行停止を申し立てた<ref name="読売新聞2002-06-08">『読売新聞』2002年6月8日西部朝刊第一社会面35頁「差し戻し審の被告 骨髄ドナー登録希望、拘置の一時停止を請求/広島高裁」(読売新聞西部本社)</ref>。法務省によれば「死刑の可能性がある被告人や死刑囚・無期懲役受刑者などで臓器提供希望は前例がない」ものだったが<ref name="東京新聞2002-06-07"/>、法務・検察当局は2002年9月までに「刑事訴訟法で定められた『刑の執行を停止する重大な理由』に該当しない」{{Efn2|「刑の執行が著しく本人の健康を害したり、重大な理由があったりする場合」のみ刑の執行停止が認められるが、法務・検察当局は「骨髄バンクに登録する高い必要性はなく、仮に罪を償うための行為でも自由を拘束している以上は認めるべきではない」と結論付けた<ref name="朝日新聞2002-09-16"/>。}}として申し立てを認めない方針を固めた<ref name="朝日新聞2002-09-16">『朝日新聞』2002年9月16日東京朝刊第二社会面34頁「受刑者『骨髄登録したい』 刑の一時停止認めず 法務・検察」(朝日新聞東京本社)</ref>。
 
==== 被告人Nによる臓器提供希望 ====
弁護人は「被告人Nの生育環境がN自身に与えた影響を調べるため、心理学専門家による被告人Nの[[精神鑑定]]を実施すべきである」と請求し、広島高裁([[久保眞人]]裁判長)は2002年12月10日に開かれた公判で鑑定の実施を決めた<ref name="読売新聞2002-12-11">『読売新聞』2002年12月11日大阪朝刊広島県面27頁「仮釈放中に強殺再犯の被告 差し戻し審で精神鑑定実施へ 高裁=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>。[[2003年]](平成15年)9月9日に開かれた公判で鑑定結果が明かされたが、鑑定を実施した医師は「被告人Nは[[反社会性パーソナリティ障害|非社会性人格障害]]および[[自己愛性パーソナリティ障害|自己愛的人格障害]]だ。幼少期に甘やかされて生育したために欲求不満への耐性が乏しく、経済的理由から高校に通えなかった影響で劣等感を抱いて育った。犯行後も自分の行動を正当化するなど、刑罰による学習効果はあまり期待できない」という見解を示した<ref name="読売新聞2003-09-10">『読売新聞』2003年9月10日大阪朝刊広島県面31頁「仮釈放中に強盗殺人再犯公判 『刑罰の学習効果期待無理』と医師 高裁=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>。
なお、被告人Nは差戻控訴審の公判中、死刑になったり拘置中に死亡したりした場合の[[臓器提供]]および拘置中の骨髄提供を希望し{{Efn2|『読売新聞』報道によれば、そのきっかけは「2年前(2000年)に白血病の少女が骨髄移植により回復した話を拘置所内のラジオで聞いたことで移植医療に関心を持ったため」で<ref name="読売新聞2002-06-08"/>、同時点までにドナーカードに「全臓器提供」と記入していたほか<ref name="東京新聞2002-06-07"/>、弁護団が前月(2002年5月)に受け取った手紙には「自分が脳死になった際にはすべての臓器を提供する」などと書いていた<ref name="朝日新聞2002-06-08"/>。ただし死刑は心臓死を前提としたもので、脳死の場合は提供施設でしか臓器を摘出できない<ref name="東京新聞2002-06-07"/>。なお、被告人Nは2000年8月に弁護団宛の手紙で「狂犬の雄叫び」と題した詩を書き、「狂犬の自分はもうすぐこの世から抹殺されるが、誰かが自分に予防注射をして生かしてくれれば、盲導犬のようにいつか必ず役に立てるはずだ」と書き記していた<ref name="中国新聞2004-04-24 社会">『中国新聞』2004年4月24日朝刊第17版第一社会面37頁「N被告弁護団 死刑の是非判断ない 『最高裁の論調踏襲』 上告検討 不当性主張へ」(中国新聞社)</ref>。}}<ref name="東京新聞2002-06-07">『[[東京新聞]]』2002年6月7日朝刊第一社会面29頁「塀の中から法整備訴え 『死刑・死亡なら臓器提供したい』 差し戻し公判中の強殺被告」([[中日新聞東京本社]])</ref>、2002年6月7日付でNの弁護団が広島高裁に対し、「Nが希望している[[骨髄バンク]]のドナー登録手続き{{Efn2|「ドナー登録前の血液検査」と「適合患者が見つかった場合の骨髄採取」のことで<ref name="東京新聞2002-06-07"/>、申し立てていた前者の執行停止期間は2時間程度(都道府県指定の医療機関にて行う手続きに必要な時間)だった<ref name="朝日新聞2002-09-16"/>。}}のため、勾留を一時的に停止してほしい」と請求したほか、広島地検にも<ref name="朝日新聞2002-06-08">『朝日新聞』2002年6月8日大阪朝刊第三社会面33頁「骨髄登録で勾留の一時停止請求 広島高裁に強盗殺人被告」(朝日新聞大阪本社)</ref>同様の理由で、無期懲役刑の一時的な執行停止を申し立てた<ref name="読売新聞2002-06-08">『読売新聞』2002年6月8日西部朝刊第一社会面35頁「差し戻し審の被告 骨髄ドナー登録希望、拘置の一時停止を請求/広島高裁」(読売新聞西部本社)</ref>。法務省によれば当時、死刑の可能性がある被告人や死刑囚・無期懲役受刑者などが臓器提供を希望した事例は前例がないものだったが<ref name="東京新聞2002-06-07"/>、法務・検察当局は同年9月までに、「刑事訴訟法で定められた『刑の執行を停止する重大な理由』に該当しない」{{Efn2|「刑の執行が著しく本人の健康を害したり、重大な理由があったりする場合」のみ刑の執行停止が認められるが、法務・検察当局は「骨髄バンクに登録する高い必要性はなく、仮に罪を償うための行為でも自由を拘束している以上は認めるべきではない」と結論付けた<ref name="朝日新聞2002-09-16"/>。}}として、被告人Nの申し立てを認めない方針を固めた<ref name="朝日新聞2002-09-16">『朝日新聞』2002年9月16日東京朝刊第二社会面34頁「受刑者『骨髄登録したい』 刑の一時停止認めず 法務・検察」(朝日新聞東京本社)</ref>。
 
==== 結審 ====
差し戻し控訴審は[[2004年]](平成16年)1月16日に開かれた公判で結審し、同日の最終弁論で検察官は死刑適用(第一審・無期懲役判決の破棄)を{{Efn2|検察官の弁論要旨は検察官・松本正則が作成{{Sfn|広島高裁|2004|p=1}}。}}、弁護人は検察側の控訴棄却(第一審判決支持)をそれぞれ求めた{{Efn2|武井康年(主任弁護人)および弁護人:石口俊一・久保豊年は3人連名で作成した弁護人意見書・控訴答弁書記載の通り意見を述べ、3弁護人連名作成の最終弁論要旨記載の通り弁論を行った{{Sfn|広島高裁|2004|p=1}}。}}<ref name="読売新聞2004-01-17">『読売新聞』2004年1月17日大阪朝刊広島県面35頁「仮釈放中に再び強盗殺人 差し戻し審結審 高裁判決は4月23日=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>。検察官は「仮釈放中は格段に法規範を守るべき立場にも拘らず、さらなる凶悪犯罪を犯した被告人Nに酌むべき事情は見当たらず、上告審の意を酌み死刑を適用するほかない」と訴えた一方、弁護人は「14年9か月間受刑してきた被告人Nが実社会に適応できなかった理由は刑務所の矯正機能に問題があったからだ」<ref name="読売新聞2004-01-17"/>「被告人Nは死刑を覚悟しており贖罪のため臓器提供の意思もある。その『贖罪の自由』を奪う刑罰である死刑は憲法違反だ」などと主張した<ref>『読売新聞』2004年4月23日大阪夕刊第一社会面19頁「仮釈放中の強盗殺人 差し戻し審、午後判決/広島高裁」(読売新聞大阪本社)</ref>。
差戻控訴審は[[2004年]](平成16年)1月16日の公判で結審し、同日の最終弁論で検察官は死刑適用(第一審・無期懲役判決の破棄)を{{Efn2|検察官の弁論要旨は検察官・松本正則が作成{{Sfn|広島高裁|2004|p=1}}。}}、弁護人は検察側の控訴棄却(第一審判決支持)をそれぞれ求めた{{Efn2|弁護人3人(主任弁護人の武井康年および、石口俊一・久保豊年の両弁護人)は同日、3人連名で作成した弁護人意見書・控訴答弁書記載の通り意見を述べ、連名作成の最終弁論要旨記載の通り弁論を行った{{Sfn|広島高裁|2004|p=1}}。}}<ref name="読売新聞2004-01-17">『読売新聞』2004年1月17日大阪朝刊広島県面35頁「仮釈放中に再び強盗殺人 差し戻し審結審 高裁判決は4月23日=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>。検察官は「Nは仮釈放中、格段に法規範を守るべき立場にも拘らず、さらなる凶悪犯罪を犯した。酌むべき事情は見当たらず、上告審の意を酌み、死刑を適用するほかない」と訴えた一方、弁護人は「14年9か月間受刑してきた被告人Nが実社会に適応できなかった理由は、刑務所の矯正機能に問題があったからだ」<ref name="読売新聞2004-01-17"/>「被告人Nは死刑を覚悟しており、贖罪のため臓器提供の意思もある。その『贖罪の自由』を奪う刑罰である死刑は憲法違反だ」などと主張した<ref>『読売新聞』2004年4月23日大阪夕刊第一社会面19頁「仮釈放中の強盗殺人 差し戻し審、午後判決/広島高裁」(読売新聞大阪本社)</ref>。
 
==== 死刑判決 ====
2004年4月23日に差控訴審の判決公判が開かれ、広島高裁(久保眞人裁判長)は第一審・無期懲役とした第一審判決判決を破棄([[自判]])し、被告人Nに死刑判決を言い渡した{{Sfn|広島高裁|2004}}<ref name="中国新聞2004-04-24">『中国新聞』2004年4月24日朝刊第17版一面1頁「仮釈放中 強殺再犯 N被告に死刑判決 広島高裁差し戻し審『矯正は困難』」(中国新聞社)</ref><ref name="読売新聞2004-04-24">『読売新聞』2004年4月24日東京朝刊第一社会面39頁「仮釈放中に再び強盗殺人 差し戻し審で死刑 N被告、戦後2件目/広島高裁」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="読売新聞2004-04-24-大阪">『読売新聞』2004年4月24日大阪朝刊第一社会面31頁「仮釈放中の強殺に死刑 遺族、納得の表情 差し戻し審の高裁判決=広島」(読売新聞大阪本社)</ref><ref name="読売新聞2004-04-24-西部">『読売新聞』2004年4月24日西部朝刊第一社会面39頁「仮釈放また強殺 N被告、差し戻し審で死刑/広島高裁」(読売新聞西部本社)</ref>。最高裁で無期懲役が破棄され、差戻後の控訴審で死刑判決が言い渡された事例は当時、永山の控訴審判決(1987年3月18日・東京高裁)以来戦後2件目で、広島高裁 (2004) は弁護人による「被告人Nは贖罪のため、臓器提供の意思を有しており、『贖罪の自由』を奪う死刑は違憲だ」とする主張を「臓器提供の意思は量刑を大きく左右する事情ではない。刑の執行に必要な限度内で基本的人権が制限されてもやむを得ない」と退けた<ref name="読売新聞2004-04-24"/>。その上で、量刑理由については「反省の態度など、被告人の主観的事情を過大評価することは相当ではない{{Efn2|[[渡辺顗修|渡辺修]]([[甲南大学]]法科大学院教授・刑事訴訟法)は「裁判所は被告人の反省態度などを重視しがちだが、法廷でそれを検証することは難しく、重視しすぎるのは疑問だ」と評している<ref name="識者談話">『中国新聞』2004年4月24日朝刊第17版第三社会面35頁「識者談話」(中国新聞社)</ref>。}}。殺害された被害者の数は1人だが、無期懲役刑に処され服役したにも拘らず、仮釈放(仮出獄)中に再び強盗殺人に及んでおり、非常に悪質な犯行だ。更生は著しく困難であり、極刑を選択するほかない」と指摘した<ref>『中国新聞』2004年4月24日朝刊第17版第三社会面35頁「N被告差し戻し審判決要旨」(中国新聞社)</ref>。
 
弁護団{{Efn2|被告人Nは同年4月28日付で、差戻控訴審から国選弁護人を担当していた広島弁護士会所属の弁護士2人(武井・石口)と、他4人の弁護士(計6人)を、上告のための私選弁護人に選任した{{Sfn|広島地裁|2011|p=経緯}}。}}は死刑判決を不服として、同年4月30日付で最高裁に上告した{{Efn2|上告理由について、弁護団は「差戻控訴審で新たに判明した人格障害などの情状を考慮しておらず、量刑も著しく不当だ。死刑違憲論の主張にも正面から答えていない」と説明した<ref name="中国新聞2004-05-01"/>。}}<ref name="中国新聞2004-05-01">『中国新聞』2004年5月1日朝刊第17版第一社会面35頁「差し戻し審死刑判決 N被告上告」(中国新聞社)</ref><ref name="読売新聞2004-04-28">『読売新聞』2004年4月28日西部夕刊第一社会面9頁「差し戻し審で死刑 山口・小野田市出身の被告側が上告へ」(読売新聞西部本社)</ref><ref>『読売新聞』2004年5月1日大阪朝刊第二社会面34頁「仮釈放中の強盗殺人 広島高裁で死刑判決の被告が上告」(読売新聞大阪本社)</ref><ref name="読売新聞2004-05-01">『読売新聞』2004年5月1日西部朝刊第二社会面30頁「差し戻し審死刑で上告 山口・小野田出身の強盗殺人罪被告」(読売新聞西部本社)</ref>。
最高裁で無期懲役が破棄された後に差し戻し審で死刑判決が言い渡された事例は永山の控訴審判決(1987年3月18日・東京高裁)以来戦後2件目で、広島高裁は弁護人による「被告人Nは贖罪のため臓器提供の意思を有しており、『贖罪の自由』を奪う死刑は違憲だ」とする主張を「臓器提供の意思は量刑を大きく左右する事情ではない。刑の執行に必要な限度内で基本的人権が制限されてもやむを得ない」と退け<ref name="読売新聞2004-04-24"/>、[[量刑]]理由については「反省の態度など被告人の主観的事情を過大評価することは相当ではない{{Efn2|[[渡辺顗修|渡辺修]]([[甲南大学]]法科大学院教授・刑事訴訟法)は「裁判所は被告人の反省態度などを重視しがちだが、法廷でそれを検証することは難しく、重視しすぎるのは疑問だ」と評している<ref name="識者談話">『中国新聞』2004年4月24日朝刊第17版第三社会面35頁「識者談話」(中国新聞社)</ref>。}}。殺害された被害者の数は1人だが、無期懲役刑に処され服役したにも拘らず仮釈放(仮出獄)中に再び強盗殺人に及んでおり、非常に悪質な犯行だ。更生は著しく困難であり極刑を選択するほかない」と指摘した<ref>『中国新聞』2004年4月24日朝刊第17版第三社会面35頁「N被告差し戻し審判決要旨」(中国新聞社)</ref>。
 
差し戻し控訴審から国選弁護人を担当していた広島弁護士会所属の弁護士2人(武井{{Efn2|弁護団と被告人Nは230回超の接見をしてきたが<ref name="中国新聞2004-04-24 社会"/>、中でも差し戻し控訴審判決までに被告人Nと220回以上接見していた主任弁護人・武井は判決後に「永山基準は曖昧で修正を迫られているが、本判決にはその意欲が感じられない」と批判している<ref name="読売新聞2004-04-24-大阪"/>。}}・石口)は2004年4月28日付でほか4人の弁護士とともに被告人Nから「上告のための私選弁護人」に選任された{{Sfn|広島地裁|2011|p=経緯}}。弁護団は死刑判決を不服として2004年4月30日付で最高裁に上告した{{Efn2|弁護団は上告理由について「差し戻し審で新たに判明した人格障害などの情状を考慮しておらず、量刑も著しく不当だ。死刑違憲論の主張にも正面から答えていない」と説明した<ref name="中国新聞2004-05-01"/>。}}<ref name="中国新聞2004-05-01">『中国新聞』2004年5月1日朝刊第17版第一社会面35頁「差し戻し審死刑判決 N被告上告」(中国新聞社)</ref><ref name="読売新聞2004-04-28">『読売新聞』2004年4月28日西部夕刊第一社会面9頁「差し戻し審で死刑 山口・小野田市出身の被告側が上告へ」(読売新聞西部本社)</ref><ref>『読売新聞』2004年5月1日大阪朝刊第二社会面34頁「仮釈放中の強盗殺人 広島高裁で死刑判決の被告が上告」(読売新聞大阪本社)</ref><ref name="読売新聞2004-05-01">『読売新聞』2004年5月1日西部朝刊第二社会面30頁「差し戻し審死刑で上告 山口・小野田出身の強盗殺人罪被告」(読売新聞西部本社)</ref>。
 
===== 死刑判決への評価 =====
[[土本武司]]([[帝京大学]][[教授]])は本判決を「『無期懲役で仮釈放中の強盗殺人は死刑』との基準が確立され、被告人の反省などを過大評価する下級審の死刑回避傾向に歯止めをかけた。最低10年とされる無期懲役の服役年数見直しの契機にもなる」と評価した一方、弁護士・[[安田好弘]]([[日本弁護士連合会]]の「死刑制度問題に関する提言実行委事務局」次長)は「最高裁に合わせた結論ありきの事実認定。死刑はそれしかあり得ない時のみ選ばれるべきだが、本事件では(差し戻し前の)一・二審で無期懲役の判断が示されただけに疑問」と指摘した<ref name="読売新聞2004-04-24-大阪"/>。また[[菊田幸一]]([[明治大学]]教授 / 『死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90』)は本判決を「国際的な死刑廃止の動きに逆行する判決。『無期懲役の仮釈放中に殺人を犯したら死刑』という量刑相場を結果的に確立することで死刑の適用拡大を狙っている」と批判した一方、[[岡村勲]](弁護士 / 「[[全国犯罪被害者の会]]」(あすの会)代表幹事)は「理由なく人命を奪ったのだから死刑は当然」と指摘した<ref group="注" name="岡村"/><ref name="識者談話"/>。
 
また[[菊田幸一]]([[明治大学]]教授 / 『死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90』)は本判決を「国際的な死刑廃止の動きに逆行する判決。『無期懲役の仮釈放中に殺人を犯したら死刑』という量刑相場を結果的に確立することで死刑の適用拡大を狙っている」と批判した一方、[[岡村勲]](弁護士 / 「[[全国犯罪被害者の会]]」(あすの会)代表幹事)は「理由なく人命を奪ったのだから死刑は当然」と指摘した<ref group="注" name="岡村"/><ref name="識者談話"/>。
 
『[[中国新聞]]』朝刊([[中国新聞社]]・2004年4月24日付)にて記者・荒木紀貴は本判決を「死刑適用については永山基準が総花的であることから裁判所の判断がぶれやすかったが、裁判所は本判決で『無期懲役の仮釈放中に同種の凶悪犯罪を重ねた被告人には相当の理由がない限り極刑で臨む』という明確な基準・視点を示したと言える{{Efn2|[[甲斐克則]]([[早稲田大学]]法科大学院教授・刑法)は「被告人の更生可能性・犯行の凶悪性などの審理が不十分で、最高裁の差し戻しを考えても疑問が残る。永山基準と照らし合わせても死刑が明快・妥当な判断とは言えない」と、渡辺修は「犯行態様などで死刑を科す殺人罪を明確にすべきだ」と述べているほか、土本も「永山基準は一般的すぎる面があり、差し戻し審判決で『どのような犯罪なら死刑になるか』が示されたことは意義がある」と述べている<ref name="識者談話"/>。}}。しかし一方で『無期懲役でも最低30年服役するので刑として過不足ない』として死刑を回避した一審判決の問題提起・弁護人の主張した死刑違憲論を十分に検討せず退けた点には不満も残る。広島高裁には死刑制度の合憲性について正面から論じてほしかった」と評した<ref>『中国新聞』2004年4月24日朝刊第17版一面1頁「N被告に死刑判決 (解説) 極刑適用に明確な基準」(中国新聞社)</ref>。
 
=== 最高裁で死刑確定 ===
[[2007年]](平成19年)4月10日に2度目の上告審判決公判が開かれ、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三小法廷([[堀籠幸男]]裁判長)は[[2006年]](平成18年)11月6日までに上告差戻控訴口頭の死刑判決を支持し、被告人N・論公護人側の上告を棄却する開廷期日「翌2007年2月27日」に指定して関係者に通知言い渡した<ref name="読売新聞2007-04-11">『読売新聞』20062007114711日東京朝刊第社会面3839頁「仮釈放中人2次 上告を棄却、死刑確定へ 2月に口頭弁論/最高裁『悪質性、極めて高い』」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="朝日新聞2007-04-11">『朝日新聞』20062007114711日朝刊第社会面3335頁「差し戻し審で死刑、最高裁で来年弁論 仮釈放中、強盗殺人、男の死刑確定へ 最高裁、上告棄却」(読売朝日新聞東京本社)</ref><ref>『産経 name="毎日新聞』2006年2007-04-11月7日東京朝刊社会面「差し戻し上告審 2月に弁論」(産経新聞東京本社)</ref中部">。その後、弁論を経て最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は[[2007年]](平成19年)3月12『毎までに上告審判決期日を「2007年4月10日」に指定して関係者に通知した<ref>『産経新聞』2007年341311大阪中部朝刊第一社会面23頁広島・出所釈放に女性人:男の死刑確定へ 最高裁、死刑支持か 差し戻し後上告棄却」(産経毎日新聞大阪中部本社 記者:木戸哲)</ref><ref name="毎日新聞2007-04-11">『産経毎日新聞』2007年341311東京中部朝刊社会総合27頁「仮出所釈放中の強盗殺人 差し戻し後:最高裁上告 4月10日に判決棄却、男の死刑確定へ」(産経毎日新聞東京中部本社 記者:木戸哲)</ref>。なお被告人Nは上告審判決直前ため、2007年4519に再審請求手続付でN弁護人として武井・石口の2人を選任しており、死刑が[[確定後も2人は死刑囚Nとの外部交通を「再審請求手続にかかる用務処理のために必要」という理由で許可されてい判決|確定]]した{{Sfn|広島地裁|2011|p=経緯}}。最高裁が控訴審の無期懲役判決を破棄して高裁へ差し戻し、後に死刑判決が言い渡され確定した事例は[[永山則夫連続射殺事件]](1990年に最高裁で被告人・永山の死刑判決が確定)以来2件目で<ref name="毎日新聞2007-04-11 中部"/>、一・二審とも無期懲役判決だった被告人については、本事件が初だった<ref name="朝日新聞2007-04-11"/>
 
2007年4月10日に開かれた上告審判決公判で最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は差し戻し控訴審の死刑判決を支持して被告人N・弁護人側の上告を棄却する判決を言い渡し<ref name="読売新聞2007-04-11">『読売新聞』2007年4月11日東京朝刊第一社会面39頁「仮釈放中に強殺 上告を棄却、死刑確定へ 最高裁『悪質性、極めて高い』」(読売新聞東京本社)</ref><ref name="朝日新聞2007-04-11">『朝日新聞』2007年4月11日朝刊第一社会面35頁「仮釈放中に殺人、男の死刑確定へ 最高裁、上告棄却」(朝日新聞東京本社)</ref><ref name="毎日新聞2007-04-11 中部">『毎日新聞』2007年4月11日中部朝刊第一社会面23頁「仮釈放中の強盗殺人:男の死刑確定へ 最高裁上告棄却」(毎日新聞中部本社 記者:木戸哲)</ref><ref name="毎日新聞2007-04-11">『毎日新聞』2007年4月11日中部朝刊総合面27頁「仮釈放中の強盗殺人:最高裁上告棄却、男の死刑確定へ」(毎日新聞中部本社 記者:木戸哲)</ref>、2007年5月9日付で被告人Nの死刑が[[確定判決|確定]]した{{Sfn|広島地裁|2011|p=経緯}}。最高裁が控訴審の無期懲役判決を破棄して高裁へ差し戻した後に死刑判決が言い渡され確定した事例は[[永山則夫連続射殺事件]](1990年に最高裁で被告人・永山の死刑判決が確定)以来2件目で<ref name="毎日新聞2007-04-11 中部"/>、一・二審とも無期懲役判決だった被告人については本事件が初だった<ref name="朝日新聞2007-04-11"/>。
 
== 国家賠償請求訴訟 ==
死刑囚Nは[[2014年]](平成26年)2月7日付で、広島高裁に[[再審]]請求した{{Sfn|広島地裁|2020|loc=争いのない事実等}}が、請求の打ち合わせのための弁護人との面会をめぐり、以下のような[[国家賠償請求権|国家賠償請求訴訟]]を起こしている。
死刑囚Nの[[弁護人]]を務める[[広島弁護士会]]所属弁護士2人(武井康年・石口俊一)は[[2008年]](平成20年)5月、死刑囚Nと[[再審]]請求の打ち合わせをするため収監先・広島拘置所を訪問し、拘置所側に話の内容を把握されないように接見に職員が立ち会わない「秘密面会」を求めたが、広島拘置所は「再審開始が決定するまでは職員が接見に立ち会う」と回答して許可しなかった{{Efn2|この判断は[[1963年]](昭和38年)に[[法務省]]が出した「再審開始決定前の死刑囚(死刑確定者)と再審弁護人の接見は、刑務官が必ず立ち会うべきである」とする規定(矯正局長通達)に沿ったものではあったが、刑事収容施設法では「拘置所長は『正当な利益(再審請求の準備など)が認められる場合』<ref name="読売新聞2008-10-31">『読売新聞』2008年10月31日大阪朝刊広島県版29頁「広島拘置所 接見に職員『秘密交通権の侵害』 賠償求め国を提訴へ=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>『死刑囚に自殺・逃亡などの恐れがない場合』は立ち会いを省略できる」と定めている<ref name="朝日新聞2011-03-24"/>。}}<ref name="朝日新聞2008-11-12"/>。武井ら弁護人2人は同年7月・8月に再度打ち合わせを試みたが、その際にもいずれも職員の立ち会いを条件とされたため、再審請求についての話はできなかった<ref name="朝日新聞2008-11-12"/>。これを受け、武井ら弁護人2人は「広島拘置所の対応は[[刑事訴訟法]]が定めた[[接見交通権|秘密交通権]]の侵害である。こうした不適切な運用を認めるわけにはいかない」として{{Efn2|拘置所職員が死刑囚の接見に立ち会うことは通例となっていたが、再審請求の秘密性を重視した死刑囚Nの弁護団は「死刑囚・受刑者らが接見立ち合いを拒否する意向は最大限に尊重すべきだ」と主張した<ref name="朝日新聞2012-01-28"/>。提訴後に記者会見した原告の弁護士2人と原告弁護団は「刑事訴訟法などで認められた『死刑囚が自分を守る権利』を国家が奪ってよいのか」と訴えたほか、死刑囚Nは弁護人らに対し「今後も同じようなことが起きるだろうから自分が礎になりたい」と話していた<ref name="読売新聞2008-11-12"/>。}}、2008年11月11日付で死刑囚Nとともに国に対し計330万円の[[損害賠償]]を求める[[国家賠償請求権|国家賠償請求訴訟]]を[[広島地方裁判所]]に提訴した{{Efn2|原告弁護団によれば「死刑囚と弁護士の接見に拘置所職員が立ち会ったことを『秘密交通権の侵害』と主張して提訴した訴訟」は全国初だった<ref name="読売新聞2008-10-31"/>。また第一審判決・控訴審判決ともそれぞれ「死刑囚の再審請求にかかる面会時の立ち会いを違法と認めた判決」<ref name="毎日新聞2011-03-24"/>「再審を求める死刑囚・受刑者の接見立ち会いを巡り、矯正施設のトップの裁量権乱用が上級審で認定された事例」としていずれも初めてだった<ref name="朝日新聞2012-01-28"/>。}}<ref name="読売新聞2008-11-12">『読売新聞』2008年11月12日大阪朝刊広島県版33頁「接見に拘置所職員 違法と賠償提訴 死刑囚と弁護士=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref><ref name="朝日新聞2008-11-12">『朝日新聞』2008年11月12日朝刊広島県第一地方面29頁「広島拘置所の職員、立ち合い違法 死刑囚らが国提訴 /広島県」(朝日新聞大阪本社・広島総局 記者:山田雄介・鬼原民幸)</ref>。
 
=== 2008年 ===
死刑囚Nの[[弁護人]]を務める[[広島弁護士会]]所属弁護士2人(武井康年・石口俊一){{Efn2|被告人Nは上告審判決直前(2007年4月1日)、再審請求手続の弁護人として武井・石口の2人を選任しており、死刑確定後も2人は死刑囚Nとの外部交通を「再審請求手続にかかる用務処理のために必要」という理由で許可されていた{{Sfn|広島地裁|2011|p=経緯}}。}}は[[2008年]](平成20年)5月、死刑囚Nと再審請求の打ち合わせをするため収監先・広島拘置所を訪問し、拘置所側に話の内容を把握されないように接見に職員が立ち会わない「秘密面会」を求めたが、広島拘置所は「再審開始が決定するまでは職員が接見に立ち会う」と回答して許可しなかった{{Efn2|この判断は[[1963年]](昭和38年)に[[法務省]]が出した「再審開始決定前の死刑囚(死刑確定者)と再審弁護人の接見は、刑務官が必ず立ち会うべきである」とする規定(矯正局長通達)に沿ったものではあったが、刑事収容施設法では「拘置所長は『正当な利益(再審請求の準備など)が認められる場合』<ref name="読売新聞2008-10-31">『読売新聞』2008年10月31日大阪朝刊広島県版29頁「広島拘置所 接見に職員『秘密交通権の侵害』 賠償求め国を提訴へ=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>『死刑囚に自殺・逃亡などの恐れがない場合』は立ち会いを省略できる」と定めている<ref name="朝日新聞2011-03-24"/>。}}<ref name="朝日新聞2008-11-12"/>。武井ら弁護人2人は同年7月・8月に再度打ち合わせを試みたが、その際にもいずれも職員の立ち会いを条件とされたため、再審請求についての話はできなかった<ref name="朝日新聞2008-11-12"/>。これを受け、武井ら弁護人2人は「広島拘置所の対応は[[刑事訴訟法]]が定めた[[接見交通権|秘密交通権]]の侵害である。こうした不適切な運用を認めるわけにはいかない」として{{Efn2|拘置所職員が死刑囚の接見に立ち会うことは通例となっていたが、再審請求の秘密性を重視した死刑囚Nの弁護団は「死刑囚・受刑者らが接見立ち合いを拒否する意向は最大限に尊重すべきだ」と主張した<ref name="朝日新聞2012-01-28"/>。提訴後に記者会見した原告の弁護士2人と原告弁護団は「刑事訴訟法などで認められた『死刑囚が自分を守る権利』を国家が奪ってよいのか」と訴えたほか、死刑囚Nは弁護人らに対し「今後も同じようなことが起きるだろうから自分が礎になりたい」と話していた<ref name="読売新聞2008-11-12"/>。}}、2008年11月11日付で死刑囚Nとともに国に対し計330万円の[[損害賠償]]を求める国家賠償請求訴訟を[[広島地方裁判所]]に提訴した{{Efn2|原告弁護団によれば「死刑囚と弁護士の接見に拘置所職員が立ち会ったことを『秘密交通権の侵害』と主張して提訴した訴訟」は全国初だった<ref name="読売新聞2008-10-31"/>。また第一審判決・控訴審判決ともそれぞれ「死刑囚の再審請求にかかる面会時の立ち会いを違法と認めた判決」<ref name="毎日新聞2011-03-24"/>「再審を求める死刑囚・受刑者の接見立ち会いを巡り、矯正施設のトップの裁量権乱用が上級審で認定された事例」としていずれも初めてだった<ref name="朝日新聞2012-01-28"/>。}}<ref name="読売新聞2008-11-12">『読売新聞』2008年11月12日大阪朝刊広島県版33頁「接見に拘置所職員 違法と賠償提訴 死刑囚と弁護士=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref><ref name="朝日新聞2008-11-12">『朝日新聞』2008年11月12日朝刊広島県第一地方面29頁「広島拘置所の職員、立ち合い違法 死刑囚らが国提訴 /広島県」(朝日新聞大阪本社・広島総局 記者:山田雄介・鬼原民幸)</ref>。
 
広島地裁(野々上友之裁判長)で2008年12月12日に第1回口頭弁論が開かれ、原告・武井は「秘密交通権が認められている理由は弁護活動の内容を国側に知られないためだ。この当然のことを訴訟で明らかにせねばならないことは非常に残念だ」と主張した一方{{Efn2|武井は「本日午後にも死刑囚Nと面会したが、Nは『明日にも死刑が執行されるかもしれない状況で、貴重な時間を拘置所に無駄にされた。この辛さを分かってほしい』と訴えていた」と明かしている<ref name="朝日新聞2008-12-13"/>。}}、被告・国側は原告側請求棄却を求めた<ref name="朝日新聞2008-12-13">『朝日新聞』2008年12月13日朝刊広島県第一地方面32頁「原告・死刑囚と国側、主張対立 『交通権』侵害賠償訴訟 /広島県」(朝日新聞大阪本社・広島総局 記者:鬼原民幸)</ref>。その後、広島地裁(野々上友之裁判長)は2011年3月23日の判決公判で秘密交通権の侵害は認めなかったが「職員の立ち会いで再審請求の遅延を余儀なくされた」などと認定して原告・死刑囚N及び弁護人2人の請求を一部認め、被告・国側に対し慰謝料など計33万円の支払いを命じた<ref name="読売新聞2011-03-24">『読売新聞』2011年3月24日大阪朝刊広島県版25頁「『職員立ち会いで再審請求遅延』 国に33万円支払い命令 地裁判決=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref><ref name="朝日新聞2011-03-24">『朝日新聞』2011年3月24日朝刊第三社会面27頁「拘置所職員の立ち会い違法 広島地裁、国に慰謝料命令 【大阪】」(朝日新聞大阪本社 記者:村形勘樹)</ref><ref name="毎日新聞2011-03-24">『毎日新聞』2011年3月24日大阪朝刊第一社会面23頁「仮釈放中の強盗殺人:接見立ち会いで『再審請求遅延』 国賠勝訴--広島」(毎日新聞大阪本社 記者:中里顕)</ref>。広島地裁は「1回目の拒否は合法だが、後の2回については十分な検討時間があった」と指摘して広島拘置所長の判断を「社会通念に照らし著しく妥当性を欠いて違法」と判断した<ref name="毎日新聞2011-03-24"/>。
310 ⟶ 306行目:
被告・国側は[[控訴]]したが<ref name="毎日新聞2012-01-28"/>、2012年1月27日に開かれた控訴審判決公判で広島高裁(小林正明裁判長)は第一審判決を一部変更・慰謝料などを54万円に増額して原告側に支払うよう被告・国に命じた<ref name="読売新聞2012-01-28">『読売新聞』2012年1月28日大阪朝刊広島県版33頁「接見立ち合い賠償増額 控訴審判決、3回いずれも違法=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref><ref name="朝日新聞2012-01-28">『朝日新聞』2012年1月28日朝刊第二社会面34頁「広島拘置所の違法を認定 再審請求相談に職員立ち会い 広島高裁 【大阪】」(朝日新聞大阪本社・広島総局 記者:中野寛)</ref><ref name="毎日新聞2012-01-28">『毎日新聞』2012年1月28日大阪朝刊第一社会面27頁「仮釈放中の強盗殺人:接見時立ち会い『3回とも違法』--広島高裁判決」(毎日新聞大阪本社 記者:中里顕)</ref>。広島高裁は「死刑囚が再審請求の助言を受けるため弁護士と単独で接見する権利は守られるべきだ。[[刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律|刑事収容施設法]]で『正当な理由があれば拘置所長は死刑囚の接見立ち会いを省略できる』と規定されており、特段の事情がなければ立ち会いなしの接見が認められる」と判断した<ref name="朝日新聞2012-01-28"/>。その上で拘置所側の3回の拒否のうち2回を違法・最初の1回を合法とした第一審と異なり、全3回の違法性を認定した上で<ref name="読売新聞2012-01-28"/><ref name="朝日新聞2012-01-28"/>「拘置所長が裁量権を乱用した」と判断した<ref name="朝日新聞2012-01-28"/>。
 
被告・国側は判決を不服として2012年2月9日付で最高裁へ[[上告]]受理の申し立てをしたが<ref>『読売新聞』2012年2月10日大阪朝刊第一社会面27頁「接見妨害訴訟 国が上告=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref>、最高裁第三小法廷([[大谷剛彦]]裁判長)は[[2013年]](平成25年)12月10日に開かれた上告審判決公判で最高裁第三小法廷([[大谷剛彦]]裁判長)は国の上告を[[棄却]]する判決を言い渡した{{Efn2|武井はこの上告審判決について「死刑囚だけでなく弁護人にも秘密面会の利益を認めた点で極めて踏み込んだ画期的な判決だが、立ち会いを認める例外が上がったことは問題だ。職員の立ち会いは国に打ち合わせ内容を把握されることを意味し、再審請求に支障が出る。この判決を踏まえ各拘置所が死刑囚と弁護人の立ち会いなしでの接見を認めることを期待する」と述べている<ref name="朝日新聞2013-12-11">『朝日新聞』2013年12月11日朝刊広島県第一地方面31頁「拘置所職員立ち会いは違法 原告側、最高裁判決を評価」(朝日新聞大阪本社・広島総局 記者:清宮涼)</ref>。}}<ref name="読売新聞2013-12-10">『読売新聞』2013年12月10日東京夕刊第二社会面16頁「拘置所員 立ち合い違法 最高裁判決 再審請求打ち合わせ」(朝日新聞東京本社)</ref><ref name="朝日新聞2013-12-10">『朝日新聞』2013年12月10日夕刊第一社会面11頁「死刑囚と弁護人の再審請求相談、拘置所職員立ち会い『違法』 最高裁判決」(朝日新聞大阪本社・広島総局 記者:田村剛)</ref><ref name="毎日新聞2013-12-10">『毎日新聞』2013年12月10日東京夕刊第二社会面8頁「訴訟:再審準備で、死刑囚『秘密面会』 認める最高裁、国の上告棄却」([[毎日新聞東京本社]] 記者:和田武士)</ref>。最高裁第三小法廷は「再審請求の打ち合わせの場合、秘密面会の利益が保護されることは死刑囚だけでなく弁護人の活動にとっても重要であり、死刑囚・弁護人からその申し出を受けた際は『施設の秩序を害する恐れ』『死刑囚の心情安定を把握する必要性が高い場合』などといった特段の事情がない限り認めなければ違法になる」と認定する初判断を示した<ref name="朝日新聞2013-12-10"/>。これにより職員の立ち会いを違法とし、原告死刑囚NN)への計54万円の支払いを命じた控訴審判決が確定した<ref name="読売新聞2013-12-10"/><ref name="毎日新聞2013-12-10"/>。
 
=== 2015年 ===
死刑囚Nの弁護人は[[2014年]](平成26年)10月、再審請求の打ち合わせのため、[[精神科医]]を同伴して広島拘置所を訪れて面会を申請した<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>。その上で、弁護人は、事件当時の精神状態を調べる精神鑑定のため、精神科医を同行することや<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>、録音機器(ICレコーダー)<ref name="朝日新聞2015-03-05"/>の使用許可を求めたが、拘置所側は接見時間を1時間に限定した上<ref name="朝日新聞2015-03-05"/>、精神科医同席中に拘置所職員が立ち会うことを義務づけ、録音も認めなかった<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>。このため、弁護士は翌11月に拘置所側の制限に従い、死刑囚Nと面会した<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>。これは、この精神科医が作家でもあるため、広島拘置所側が「取材の可能性を否定できない」などと判断したためだったが<ref name="毎日新聞2020-12-08"/>、弁護士2人はこの対応について<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>、「職員が立ち会うことで、医師と死刑囚との間で自由な意思疎通ができなかった。再審に向けて新証拠を出す目的で死刑囚の精神鑑定を行おうとした弁護活動を侵害された」と主張した<ref name="朝日新聞2015-03-05"/>。
 
[[2015年]](平成27年)3月5日付で、死刑囚N本人と弁護士2人は、「秘密接見交通権の侵害に当たる」として、損害賠償計330万円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を広島地裁に起こした<ref>{{Cite news|title=「面会制限」で国を提訴 広島、死刑囚の男 再審請求|newspaper=中国新聞デジタル|date=2015-03-06|author=|url=https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/12439|accessdate=2020-12-08|publisher=中国新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220723144932/https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/12439|archivedate=2022年7月23日}}</ref><ref name="読売新聞2015-03-05">『読売新聞』2015年3月5日大阪夕刊第二社会面10頁「広島拘置所職員立ち会いで提訴 精神科医同行、死刑囚側」(読売新聞大阪本社)</ref><ref name="読売新聞2015-03-06">『読売新聞』2015年3月6日大阪朝刊広島県版25頁「広島拘置所職員 立ち会いで提訴 精神科医同行、死刑囚側=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref><ref name="朝日新聞2015-03-05">『朝日新聞』2015年3月5日夕刊第一社会面9頁「【大阪】接見制限不当と賠償求め国提訴 広島の死刑囚ら」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。この訴訟について、広島地裁民事第1部(谷村武則裁判長){{Efn2|谷村の所属部は広島地裁民事第一部<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.courts.go.jp/hiroshima/saiban/tanto/tisai_tanto/index.html|title=広島地方裁判所 担当裁判官一覧(令和2年8月1日現在)|accessdate=2020-12-08|publisher=最高裁判所|date=2020-08-01|website=裁判所ウェブサイト|quote=広島地方裁判所民事第一部の担当裁判官一覧|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201208133516/https://www.courts.go.jp/hiroshima/saiban/tanto/tisai_tanto/index.html|archivedate=2020-12-08}}</ref>。}}{{Sfn|広島地裁|2020}}は[[2020年]]([[令和]]2年)12月8日に、「医師との接見は、責任能力に関する精神鑑定のためで、拘置所側の対応は裁量権を逸脱しており、原告(死刑囚N)側の利益を侵害するものだ」と認定し、被告・国側に66万円の支払いを命じる判決を言い渡した<ref name="毎日新聞2020-12-08">{{Cite news|title=「再審準備のための利益侵害」 死刑囚と精神科医の「秘密面会」認める 広島地裁|newspaper=毎日新聞|date=2020-12-08|author=手呂内朱梨|url=https://mainichi.jp/articles/20201208/k00/00m/040/290000c|accessdate=2020-12-08|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201208132836/https://mainichi.jp/articles/20201208/k00/00m/040/290000c|archivedate=2020年12月8日}}</ref>。広島地裁は、「弁護人以外の者が面会に同席する場合も、秘密面会の利益を慎重に検討する必要がある。(死刑囚には)病歴など機微にわたる発言を職員に知られない正当な利益がある」として、拘置所の対応を刑事収容施設法に反するものと判断したが、ICレコーダーの使用については「音声流出などの弊害がある」という国の反論を認め、請求を棄却した<ref name="中国新聞2021-11-24">{{Cite news|title=死刑囚への面会制限は「違法」 広島高裁、一審を支持|newspaper=中国新聞デジタル|date=2021-11-24|url=https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=811312&comment_sub_id=0&category_id=256|accessdate=2021-11-29|publisher=中国新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211124082846/https://www.chugoku-np.co.jp/local/news/article.php?comment_id=811312&comment_sub_id=0&category_id=256|archivedate=2021年11月24日}}</ref>。弁護団によれば、再審準備のため、通訳以外の第三者が同行する場合の秘密面会を認めた判決は初めてだった<ref name="中国新聞2021-11-24"/>。
 
被告(国)は判決を受け入れた一方<ref name="中国新聞2021-11-24"/>、原告側は、ICレコーダー使用の訴えを退けた第一審判決を不服として控訴した<ref name="毎日新聞2021-11-25">『毎日新聞』2021年11月25日大阪朝刊広島地方版26頁「損賠訴訟:接見時立ち会い 高裁も違法判決 死刑囚ら損賠訴訟 /広島」【中島昭浩】(毎日新聞大阪本社・広島支局)</ref>。しかし、広島高裁(西井和徒裁判長){{Efn2|西井の所属部は広島高裁第3部(民事)<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.courts.go.jp/hiroshima-h/saiban/tanto/tanto/index.html|title=広島高等裁判所 担当裁判官一覧(令和3年4月1日現在)|accessdate=2021-11-29|publisher=最高裁判所|date=2021-04-01|website=裁判所ウェブサイト|quote=広島高等裁判所 第3部(民事)|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211129143229/https://www.courts.go.jp/hiroshima-h/saiban/tanto/tanto/index.html|archivedate=2021-11-29}}</ref>。}}<ref name="朝日新聞2021-11-25">『朝日新聞』2021年11月25日大阪朝刊広島県版第一地方面21頁「職員の立ち会い、控訴審も「違法」 死刑囚と精神科医の面会 /広島県」(朝日新聞大阪本社・広島総局:戸田和敬)</ref>は[[2021年]](令和3年)11月24日、原告側の控訴を棄却する判決を言い渡した<ref name="中国新聞2021-11-24"/>。同高裁は、第一審と同じく「弁護人以外が面会に同席する場合でも、死刑囚が弁護人と秘密面会する利益保護の必要性がある」と指摘した一方<ref name="朝日新聞2021-11-25"/>、ICレコーダーの使用については、「刑事訴訟法が制定された[[1948年]](昭和23年)当時は想定されていなかった」として、「接見には含まれない」と判断した<ref name="毎日新聞2021-11-25"/>。原告側は上告する方針である<ref name="毎日新聞2021-11-25"/>。
また死刑囚Nの弁護人は[[2014年]](平成26年)10月、再審請求の打ち合わせのため[[精神科医]]を同伴して広島拘置所を訪れて面会を申請した<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>。その上で弁護人は「事件当時の精神状態を調べる精神鑑定のために精神科医を同行すること」<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>「録音機器(ICレコーダー)<ref name="朝日新聞2015-03-05"/>の使用許可」を求めたが、拘置所側は接見時間を1時間に限定した上<ref name="朝日新聞2015-03-05"/>、精神科医同席中に拘置所職員が立ち会うことを義務付け録音も認めなかったため、弁護士は翌11月に拘置所側の制限に従って死刑囚Nと面会した<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>。これは、この精神科医が作家でもあるため、広島拘置所側が「取材の可能性を否定できない」などと判断したためだったが<ref name="毎日新聞2020-12-08"/>、弁護士2人はこの対応について<ref name="読売新聞2015-03-05"/><ref name="読売新聞2015-03-06"/>、死刑囚N本人とともに「職員が立ち会うことで、医師と死刑囚との間で自由な意思疎通ができなかった。再審に向けて新証拠を出す目的で死刑囚の精神鑑定を行おうとした弁護活動を侵害された」と主張<ref name="朝日新聞2015-03-05"/>。[[2015年]](平成27年)3月5日付で「秘密接見交通権の侵害に当たる」として、損害賠償計330万円の支払いを求める国家賠償請求訴訟を広島地裁に起こした<ref name="読売新聞2015-03-05">『読売新聞』2015年3月5日大阪夕刊第二社会面10頁「広島拘置所職員立ち会いで提訴 精神科医同行、死刑囚側」(読売新聞大阪本社)</ref><ref name="読売新聞2015-03-06">『読売新聞』2015年3月6日大阪朝刊広島県版25頁「広島拘置所職員 立ち会いで提訴 精神科医同行、死刑囚側=広島」(読売新聞大阪本社・広島総局)</ref><ref name="朝日新聞2015-03-05">『朝日新聞』2015年3月5日夕刊第一社会面9頁「【大阪】接見制限不当と賠償求め国提訴 広島の死刑囚ら」(朝日新聞大阪本社・広島総局)</ref>。この訴訟について、広島地裁(谷村武則裁判長){{Efn2|谷村の所属部署は広島地裁民事第一部<ref>{{Cite web|url=https://www.courts.go.jp/hiroshima/saiban/tanto/tisai_tanto/index.html|title=広島地方裁判所 担当裁判官一覧(令和2年8月1日現在)|accessdate=2020-12-08|publisher=最高裁判所|date=2020-08-01|website=裁判所ウェブサイト|quote=広島地方裁判所民事第一部の担当裁判官一覧|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201208133516/https://www.courts.go.jp/hiroshima/saiban/tanto/tisai_tanto/index.html|archivedate=2020-12-08}}</ref>。}}は「医師との接見は責任能力に関する精神鑑定のためで、拘置所側の対応は裁量権を逸脱しており、原告(死刑囚N)側の利益を侵害するものだ」と認定し、被告・国側に66万円の支払いを命じた<ref name="毎日新聞2020-12-08">{{Cite news|title=「再審準備のための利益侵害」 死刑囚と精神科医の「秘密面会」認める 広島地裁|newspaper=毎日新聞|date=2020-12-08|author=手呂内朱梨|url=https://mainichi.jp/articles/20201208/k00/00m/040/290000c|accessdate=2020-12-08|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20201208132836/https://mainichi.jp/articles/20201208/k00/00m/040/290000c|archivedate=2020年12月8日}}</ref>。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2|3}}
 
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
 
== 参考文献 ==
;'''刑事裁判の判決文'''
* 第一審 - {{Cite 判例検索システム|裁判所=[[広島地方裁判所]]刑事第1部|裁判形式=判決|事件番号=平成5年(わ)第334号/平成5年(わ)第453号/平成5年(わ)第296号|事件名=有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件|裁判年月日=1994年(平成6年)9月30日|判例集=[[刑集|『最高裁判所刑事判例集』(刑集)]]第53巻9号1290頁、『[[判例時報]]』第1524号154頁、『[[判例タイムズ]]』第883号288頁|判示事項=|裁判要旨=|ref={{SfnRef|広島地裁|1994}}}}
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
343 ⟶ 345行目:
:** 被告人Nの弁護人:合志喜生(検察側控訴趣意書への答弁書作成)
:** 被告人Xの弁護人:新川登茂宣(控訴趣意書作成)
* 上告審 - {{Cite 判例検索システム|法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二小法廷|裁判形式=判決|事件番号=平成9年(あ)第479号|事件名=有印私文書偽造、同行使、詐欺、強盗殺人被告事件|裁判年月日=1999年(平成11年)12月10日|判例集=『最高裁判所刑事判例集』(刑集)第53巻9号1160頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、『裁判所時報』第1258号7頁、『判例時報』第1701号166頁、『判例タイムズ』第1023号(2000年4月15日号)126頁、『最高裁判所裁判集刑事』(集刑)第277号27頁|url=httphttps://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=050399|判示事項=|裁判要旨=|ref={{SfnRef|最高裁第二小法廷|1999}}}}
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
;『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28045262(著名事件名:広島県福山市独居老婦人殺害事件)
355 ⟶ 357行目:
:* [[最高裁判所裁判官]]:[[河合伸一]](裁判長)・[[福田博]]・[[北川弘治]]・[[梶谷玄]]
:* 『刑集』書誌情報 - {{Cite book|和書|title=最高裁判所刑事判例集|publisher=最高裁判所|editor=最高裁判所判例委員会|volume=第53巻|issue=9号|date=2000-04-25|ref={{SfnRef|刑集|2000}}}}
* 差戻控訴審 - {{Cite 判例検索システム|裁判所=[[広島高等裁判所]]刑事第1部|裁判形式=判決|事件番号=平成12年(う)第20号|事件名=有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件|裁判年月日=2004年(平成16年)4月23日|判例集=『高等裁判所刑事裁判速報集』平成16年185頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28095490|url=httphttps://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=003761|判示事項=|裁判要旨=|ref={{SfnRef|広島高裁|2004}}}}
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
;『高等裁判所刑事裁判速報集』
365 ⟶ 367行目:
:* 判決内容:原判決破棄・死刑(求刑 - 同 / 被告人側上告)
:* 裁判官:[[久保眞人]](裁判長)・[[芦高源]]・[[島田一]]
* 差戻上告審 - {{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=判決|事件番号=平成16年(あ)第1554号|事件名=有印私文書偽造,同行使,詐欺,強盗殺人被告事件|裁判年月日=2007年(平成19年)4月10日|判例集=[[判例集|『最高裁判所裁判集刑事』(集刑)]]第291号337頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25442981|url=httphttps://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=080501|判示事項=死刑の量刑が維持された事例(広島福山老女殺害事件)|裁判要旨=|ref={{SfnRef|最高裁第三小法廷|2007}}}}
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
;『LEX/DBインターネット』
373 ⟶ 375行目:
:* 意見:全員一致
:* 最高裁判所裁判官:[[堀籠幸男]](裁判長)・[[上田豊三]]・[[藤田宙靖]]・[[那須弘平]]・[[田原睦夫]]
'''2008年に起こした国家賠償請求訴訟の判決文'''
;民事裁判の判決文
* 第一審 - {{Cite 判例検索システム|裁判所=広島地方裁判所民事第1部|裁判形式=判決|事件番号=平成20年(ワ)第2145号|事件名=損害賠償請求事件|裁判年月日=2011年(平成23年)3月23日|判例集=『最高裁判所民事判例集』([[民集]])第67巻9号1794頁、『[[判例時報]]』第2117号45頁|判示事項=|裁判要旨=|ref={{SfnRef|広島地裁|2011}}}}
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
380 ⟶ 382行目:
: 【要旨】〔TKC〕 死刑確定者との接見に際して、刑事施設の職員の立会いをしないこととするか否かについては、刑事施設の長の裁量に委ねられているから、刑事施設の長のこの判断については、その基礎とされた重要な事実に誤認があること等により判断の基礎を欠くことになる場合、または、その内容が社会通念に照らして著しく妥当性を欠くものと認められる場合に限り、裁量権の範囲を逸脱し又は濫用したものとなり、かつ、その判断に当たり職務上通常尽くすべき注意義務が尽くされていないと認められる場合に限り、国家賠償法上も違法となる。
</div>
:* 判決内容:原告側請求のうち原告1人当たり11万円およびそれに対する2008年8月12日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払うことを認容、その他の請求を棄却
:* 裁判官:[[野々上友之]](裁判長)・[[衣斐瑞穂]]・[[森幸督]]
:* [[原告]]:死刑囚N・[[広島弁護士会]]所属弁護士2人(武井康年・石口俊一。2人は原告であり、かつ原告・死刑囚Nの訴訟代理人弁護士も担当)
398 ⟶ 400行目:
:** 武井・石口の訴訟代理人弁護士:中島宏樹
:* 被告(控訴人兼被控訴人):国(代表者:法務大臣。判決宣告時点では第88代・[[小川敏夫]])
* 上告審 - {{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=判決|事件番号=平成24年(受)第1311号|事件名=損害賠償請求事件|裁判年月日=2013年(平成25年)12月10日|判例集=裁判所ウェブサイト、『裁判所時報』第1593号3頁、『判例時報』第2211号3頁、『判例タイムズ』第1398号58頁、『最高裁判所民事判例集』(民集)第67巻9号1761頁、『訟務月報』第61巻4号719頁|判示事項=死刑確定者又はその再審請求のために選任された弁護人が再審請求に向けた打合せをするために刑事施設の職員の立会いのない面会の申出をした場合にこれを許さない刑事施設の長の措置が国家賠償法1条1項の適用上違法となる場合|裁判要旨=死刑確定者又はその再審請求のために選任された弁護人が再審請求に向けた打合せをするために刑事施設の職員の立会いのない面会の申出をした場合に,これを許さない刑事施設の長の措置は,上記面会により刑事施設の規律及び秩序を害する結果を生ずるおそれがあると認められ,又は死刑確定者の面会についての意向を踏まえその心情の安定を把握する必要性が高いと認められるなど特段の事情がない限り,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用して死刑確定者の上記面会をする利益を侵害するだけではなく,上記弁護人の固有の上記面会をする利益も侵害するものとして,国家賠償法1条1項の適用上違法となる。|url=httphttps://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=83798|ref={{SfnRef|最高裁第三小法廷|2013}}}}
** 判決内容:被告・国側の上告棄却
** 意見:全員一致
** 最高裁判所裁判官:[[大谷剛彦]](裁判長)・[[岡部喜代子]]・[[寺田逸郎]]・[[大橋正春]]・[[木内道祥]]
'''2015年に起こした国家賠償請求訴訟の判決文'''
;書籍
* 第一審 - {{Cite 判例検索システム|裁判所=広島地方裁判所民事第1部|裁判形式=判決|事件番号=平成27年(ワ)第234号|事件名=損害賠償請求事件|裁判年月日=2020年(令和2年)12月8日|判例集=|判示事項=|裁判要旨=|ref={{SfnRef|広島地裁|2020}}}}
<div style="border: 1px solid #aaa; margin-left: 25px; padding: 2px; background: #eee; font-size: 90%;">
;『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:25567805
: 【事案の概要】〔TKC〕 死刑確定者として広島拘置所に収容されている原告X1(本文中N)の再審請求手続の弁護人として選任されていた原告P1及び原告P2が、精神科医であるP5とともに原告X1と面会するに際して、同拘置所職員の立会いのない面会を認めること、3時間の面会を認めること、ICレコーダーを使用した面会内容の録音を認めることを求めたにもかかわらず、同拘置所長がそれらの条件を認めなかったことについて、[[日本国憲法第34条|憲法34条]]及び[[:b:刑事訴訟法第39条|刑事訴訟法39条1項]]に違反し、あるいは死刑確定者と再審請求弁護人との間の秘密面会の利益を侵害する違法なものであり、これにより原告らは精神的苦痛を受けたなどと主張して、同拘置所を設置運営する被告・国に対し、[[:b:国家賠償法第1条|国家賠償法1条1項]]に基づき、それぞれ慰謝料およびこれに対する遅延損害金の支払を求めた事案で、本件措置が憲法34条や刑事訴訟法39条1項に違反するということはできないが、本件面会において、面会の際の発言の内容を職員に知られないということに正当な利益があったにもかかわらずそれを認めず、また、再審請求弁護人ではないP5医師が同席するという理由のみから面会時間を制限したことは、裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用して原告らの面会の利益を侵害したものと認められ、国家賠償法1条1項の適用上違法であるとして、原告らの請求を一部任用した事例。
</div>
:* 判決内容:原告側請求のうち一部を認容。被告(国)に対し、原告1人あたり22万円(計66万円)の支払いを命じた
:* 裁判官:谷村武則(裁判長)・金洪周・佐々木悠土
:* 原告:死刑囚Nおよび、広島弁護士会所属の弁護士2人(武井康年・石口俊一。2人は原告であり、かつ原告・死刑囚Nの訴訟代理人弁護士も担当)
:* 被告:日本国(代表者:法務大臣)
'''書籍'''
* {{Cite book|和書 |title=ドキュメント 検察官 揺れ動く「正義」 |publisher=[[中央公論新社]] |date=2006-09-25 |ref={{SfnRef|読売新聞社会部|2006}} |author=[[読売新聞]][[社会部]] |series=[[中公新書]] |isbn=978-4121018656 |ncid=BA78454950 |chapter=第一章 被害者を前に > 7 連続上告 |issue=1865 |id={{国立国会図書館書誌ID|000008318074}}・{{全国書誌番号|21130273}}}}
* {{Cite book|和書|author=死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90|title=死刑囚90人 とどきますか、獄中からの声|publisher=[[インパクト出版会]]|date=2012-05-23|edition=発行|isbn=978-4755402241|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/208|ref={{SfnRef|フォーラム90|2011}}}}
* {{Cite book|和書|title=コロナ禍のなかの死刑 年報・死刑廃止2020|publisher=インパクト出版会|date=2020-10-10|ref={{SfnRef|年報・死刑廃止|2020}}|author=年報・死刑廃止編集委員会|editor=(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) / (協力:死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90・死刑廃止のための大道寺幸子基金・深瀬暢子・国分葉子・岡本真菜)|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/300|edition=第1刷発行|isbn=978-4755403064}}<!--各死刑囚の収監先のデータについては同書245 - 271頁に記載。同書271頁に「2020年9月27日時点の情報」と記載されています-->
410 ⟶ 423行目:
* [[死刑制度合憲判決事件]]
'''過去に殺人事件を起こして無期懲役刑で服役後、仮釈放中に再び殺人事件を起こして死刑が確定した事例'''
* [[東京都北区幼女殺害事件]](1979 - 1979年に発生 / ・1992年に死刑確定。加害者は1999年に[[東京拘置所]]で[[日本における被死刑執行者の一覧|死刑執行]]
* [[福岡県直方市強盗殺人事件]](1980 - 1980年に発生 / ・1990年に死刑確定。加害者は1998年に福岡拘置所で死刑執行
* [[熊本母娘殺害事件]](1985 - 1985年に発生 / ・1992年に死刑確定。加害者は1999年に福岡拘置所で死刑執行
* [[福島女性飲食店経営者殺害事件]](1990 - 1990年に発生 / ・1992年に死刑確定。加害者は1999年に[[宮城刑務所]]で死刑執行
* [[豊中市2人殺害事件]](1998 - 1998年に発生 / ・2006年に死刑確定。加害者は2014年に[[大阪医療刑務所]]で[[日本において獄死もしくは恩赦された死刑囚の一覧|病死]]
* [[宇都宮実弟殺害事件]](2005 - 2005年に発生 / ・2008年に死刑確定。加害者は東京拘置所に[[日本における収監中の死刑囚の一覧|収監中]]
 
{{死刑囚}}
421 ⟶ 434行目:
[[Category:平成時代の殺人事件]]
[[Category:1992年の日本の事件]]
[[Category:広島県の歴史]]
[[Category:福山市の歴史|とくきよろうふしんさつかいしけん]]
[[Category:三原市の歴史]]
427 ⟶ 441行目:
[[Category:1992年3月]]
[[Category:日本の死刑]]
[[Category:日本の死刑確定事件]]
[[Category:日本の判例]]