「豊島 (香川県)」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし |
m編集の要約なし |
||
(32人の利用者による、間の44版が非表示) | |||
1行目:
{{Infobox 島
|島名= 豊島
|画像= Teshima island aerial shot Kagawa Prefecture.jpg
|画像説明 =
|国=[[香川県]][[小豆郡]][[土庄町]]
|海域=[[瀬戸内海]]
16行目:
|OSMズーム = 10
}}
[[File:Teshima island.jpg|thumb|南から望む豊島、左手前は[[男木島]]<ref>[[高松市|高松]]→土庄の船中から遠望</ref>]]
[[File:Teshima fields.jpg|thumb|唐櫃棚田]]
[[File:Setouchi Triennale -Teshima Yokoo House (豊島横尾館)横尾忠則-永山裕子 DSCF1111.JPG|thumb|家浦の街並み]]
'''豊島'''(てしま)は [[瀬戸内海]]の東部、[[小豆島]]の西方3.
行政区分は[[香川県]][[小豆郡]][[土庄町]]に属し、島内の[[大字]]には{{読み仮名|豊島家浦|てしまいえうら}}、{{読み仮名|豊島唐櫃|てしまからと}}、{{読み仮名|豊島甲生|てしまこう}}の3つがある。[[国勢調査 (日本)|国勢調査]]によると豊島の人口は、867人(2015年)、1,018人(2010年)、1,141人(2005年)、1,327人(2000年)、1,471人(1995年)と
{{TOC limit|3}}
== 概要 ==
瀬戸内海の島々のなかでも[[標高]]340mもの高い壇山があるため[[湧水]]が豊富にあり、[[棚田]]が広が
島の西、東、南に[[集落]]があり、かつては稲作、[[ミカン]]栽培、[[酪農]]などの[[第一次産業]]が中心の島であった<ref name="watashitachi" />。[[海苔|ノリ]]や[[ハマチ]]の[[養殖]]も行われ<ref name="watashitachi" />、「豊島石」と呼ばれる石材も採取される<ref name="watashitachi" />。いずれの第
香川県では唯一の[[乳児院]](いわゆる孤児院)である「[[豊島神愛館]]」(出典によっては「親愛館」<ref name="watashitachi" />)が1947年に設置されていたが、老朽化により2015年に[[坂出市]]に移転
1975年以降、豊島総合観光開発が起こした国内最大級の産業廃棄物投棄事件、いわゆる「豊島事件」は
2010年[[瀬戸内国際芸術祭]]の会場に選定され、[[直島町|直島]]に次いで2番目に来場者数の多い人気の「アートの島」となった。以降、レストランやホテルなどアートの島として観光
2019年には、芸能事務所・[[アミューズ]]が2700坪程の[[保養所]]・研修所を建設した<ref>{{Cite web|和書|title=サザン、福山雅治らの所属事務所が建てたタレントのための秘密基地|url=https://friday.kodansha.co.jp/article/88519|website=FRIDAYデジタル|accessdate=2021-12-01}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=AMUSE INC. RECRUITMENT {{!}} 株式会社 アミューズ 採用サイト|url=https://recruit.amuse.co.jp/|website=AMUSE INC. RECRUITMENT {{!}} 株式会社 アミューズ 採用サイト|accessdate=2021-12-01|language=ja}}</ref><ref>[https://ssl4.eir-parts.net/doc/4301/yuho_pdf/S100LTIN/00.pdf アミューズ 有価証券報告書] 23ページ</ref>。
== 地理と自然 ==
=== 檀山 ===
==== 家浦地区(いえうらちく) ====
==== 唐櫃浜地区(からとはまちく) ====
==== 唐櫃岡地区(からとおかちく) ====
==== 甲生地区(こうちく) ====
==== 神子が浜集落(みこがはまちゅうらく) ====
==== 壇山集落(だんやましゅうらく) ====
=== 唐櫃の清水 ===
唐櫃岡(からとおか)地区にわき出る
壇山の麓に広がる[[クヌギ]]林が豊かな水を涵養していると見られ、[[河川]]、[[ため池]]、水路などの水面面積は他の離島より多く、瀬戸内海では唯一、[[米]]を島外に出荷できたほどであった。
* 白崎[[古墳]]群
; 礼田崎貝塚 : 島の南に位置する、西日本では最も古い部類の貝塚。およそ9,000年前のものであることが確認された。▼
* 唐川古墳群
; 水ヶ浦遺跡・横引ヶ浜遺跡 : 島の西端に位置する、[[縄文時代]]末期から[[弥生時代]]にかけての遺跡。住居跡らしき形跡や出土品があったが、後述する産廃の不法投棄事件の折、事業者によって破壊された。▼
* 唐櫃八幡古墳群
* 爾霊山古墳群
* 栄山浜遺跡
* 甲生御殿山遺跡
* 三対神社遺跡
* 神子ケ浜遺跡
* 柚の浜遺跡
* 中玉浜複合遺跡
▲
== 産業 ==
=== 豊島石 ===
「豊島石」という石材を産出する。塩基性[[凝灰角礫岩|角礫凝灰岩]]<ref name=watashitachi/>。耐火性に優れ、多くは生活用品に加工された。また[[苔]]が付きやすい特性のために、[[灯籠]]などの石材にも重用された。『豊島村史』によれば[[平安時代]]末期からおよそ1,000年にわたって石の採掘が行われていたという。
=== 第一次産業
水資源に恵まれ、自給して余るほどの農産物が生産されていた。農作物は、[[イチゴ]]の他に、棚田米、
=== 第二次産業
建設業、石の採掘、加工などが該当する。古くは室町時代から「豊島千軒、石工千人」といわれるほど石材の採掘加工が盛んで、灯
=== 第三次産業
従来からあった商店に加え、2010年に開催された瀬戸内国際芸術祭以降、[[ホテル]]、[[民宿]]、[[ゲストハウス]]、[[民泊]]、[[カフェ]]、[[レストラン]]、[[レンタサイクル|レンタルサイクル]]、観光案内、物産販売、観光ガイドなど観光サービスに従事する割合が多くなっており、豊島の活性化に寄与している。
86 ⟶ 94行目:
*[[土庄町立豊島小学校]]
*[[土庄町立豊島中学校]]
*[[小豆島中央病院]]豊島健康センター
*特別養護老人ホーム「ナオミ荘」<ref>{{Cite web|和書|title=豊島ナオミ荘(香川県小豆郡土庄町豊島家浦43-10の特別養護老人ホーム) {{!}} 有料老人ホーム総合ご案内センター|url=https://www.cordially.jp/home/tokuyou/%E9%A6%99%E5%B7%9D/%E5%B0%8F%E8%B1%86%E9%83%A1/0t-3771200114.php|website=www.cordially.jp|accessdate=2020-04-01}}</ref>
*知的障害者更生施設「みくに園」<ref>{{Cite web|和書|title=みくに園とは|url=http://teshimamikunien.com/info.html|website=teshimamikunien.com|accessdate=2020-04-01}}</ref>
== 過去にあった教育・福祉施設 ==
*乳児院「神愛館」<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kagawa-kids.org/shinaikan.html|title=豊島神愛館のあゆみ|accessdate=2020.4.1|publisher=かがわ子供支援センター}}</ref>(1947年~2015年)- キリスト教社会運動家
* 農民福音学校<ref>{{Cite web|和書|url=https://fukutake-foundation.jp/archives/archive_seto/650|title=「豊島農民福音学校の歴史に関する調査研究と史料保存」|accessdate=2020.4.1|publisher=福武財団}}</ref> (1947年~1982年)- 賀川豊彦によって設立された農民学校で、[[セツルメント論]]に基づく教育が行われ、今日の大学レベルの[[農学]]が教えられていた。現在は閉所しているものの、定期的に集まりが開催されている。
== 交通 ==
[[File:Teshima Shuttle Bus.jpg|thumb|right|[[豊島シャトルバス]]の車両]]
島内に[[空港]]・[[鉄道路線]]は存在せず、[[公共交通機関]]は、島外との連絡手段である[[船舶]]と、島内の移動手段である[[バス (交通機関)|バス]]のみである。
* [[小豆島豊島フェリー]]
** 北岸にある
* [[豊島フェリー
*
* [[四国汽船]]
** 家浦港と[[直島]](宮浦港)・[[犬島]]を結ぶ高速船を運航する(休航日あり)。
=== バス ===
* [[豊島シャトルバス]]
** 土庄町が島内で運行する[[コミュニティバス]]([[自家用有償旅客運送|町営バス]])。詳細は当該記事を参照。
** 瀬戸内国際芸術祭の会期中はシャトルバスが増便されるが、専用車両は1台しかないため、その際は[[小豆島交通]]<ref>[http://shodoshima-kotu.com/company/ 会社概要] 小豆島交通株式会社、2024年6月11日閲覧。</ref>の[[貸切バス]]を使用する。
== 観光・名所・名産 ==
* 宮の浜[[海水浴場]]
* 王子ケ浜海水浴場
* 神子浜海水浴場
* [[豊島美術館]]
* [[豊島横尾館]]
* ウミトタ(瀬戸内国際芸術祭の作品であったが、現在は宿泊施設として利用している)
* 檸檬ホテル(瀬戸内国際芸術祭の作品であったが、現在は宿泊施設として利用している)
* 海に飛び込む道<ref>[https://www.travel.co.jp/guide/article/40342/ 瀬戸内海屈指!香川県豊島「海へ飛び込む道」が凄い] - LINEトラベルjp</ref>
* 檀山頂上
* 檀山岡崎公園展望台
* 家浦八幡神社の豊島石の[[鳥居]](文化財)
* 片山邸大[[ソテツ]](文化財)
* 大師堂の木造[[観音菩薩]]像(文化財)
* 豊峰権現スダジイの森
* 豊島石の大丁場
* 唐櫃の清水
<gallery>
File:香川県小豆島町豊島 家浦港 - panoramio.jpg|フェリーから見た家浦港
125 ⟶ 143行目:
File:Setouchi Triennale -Teshima Yokoo House (豊島横尾館)横尾忠則-永山裕子 DSCF2301.JPG|豊島横尾館
</gallery>
* 棚田米
* イチゴ
* 蜜柑
* レモン
* オリーブ
* [[素麺|そうめん]]
* 海苔
== イベント ==
*[[瀬戸内国際芸術祭]] 豊島は、2010年、2013年、2016年、2019年に開催された瀬戸内国際芸術祭の展示会場になっている。また開催時期以外にも瀬戸内国際芸術祭に出展された作品を継続展示するとともに、季節に応じて様々なイベントが行われている。豊島会場への総来訪者数は2010年175,393人<ref>{{Cite web|和書|url=https://setouchi-artfest.jp/files/about/archive/general-report2010.pdf|title=瀬戸内国際芸術祭2010総括報告書|accessdate=2020.4.6|publisher=瀬戸内国際芸術祭}}</ref>、2013年130,123人<ref>{{Cite web|和書|url=https://setouchi-artfest.jp/files/about/archive/general-report2013.pdf|title=瀬戸内国際芸術祭2013|accessdate=2020.4.6|publisher=瀬戸内国際芸術祭}}</ref>、2016年154,713人<ref>{{Cite web|和書|url=https://setouchi-artfest.jp/files/about/archive/general-report2016.pdf|title=瀬戸内国際芸術祭2016総括報告|accessdate=2020.4.6|publisher=瀬戸内国際芸術祭}}</ref>、2019年143,373人<ref>{{Cite web|和書|url=https://setouchi-artfest.jp/seto_system/fileclass/img.php?fid=press_release_mst.201911131115028e7544c5530de20caaa38bdd34eeb6a5|title=瀬戸内国際芸術祭2019総来場者数について|accessdate=2020.4.6|publisher=瀬戸内国際芸術祭}}</ref>と有数の大規模イベントとなっている。
== 瀬戸内国際芸術祭 豊島での主な展示作品 ==
* 豊島横尾館(te02-B)[[横尾忠則]]・[[永山祐子]]▼
▲* 豊島愛ランドスケープ(te01)垣内光司 撤去済
▲*豊島横尾館(te02-B)[[横尾忠則]]・[[永山祐子]]
* 針工場(te03-B)[[大竹伸朗]]
* ウミトタ(te04)[[皆川明]]・緒方慎一郎
* 豊島シーウォールハウス(te05)[[アンリ・サラ]]
* コロガル公園in豊島©山口情報芸術センター(te06)井筒耕平・会田大也
* トムナフーリ(te07-B)[[森万里子]]
* 空の粒子/唐櫃(te08)[[青木野枝]]
146 ⟶ 171行目:
* 勝者はいない─マルチ・バスケットボール(te14)イオベット&ボンズ
* 心臓音のアーカイブ(te15-B)[[クリスチャン・ボルタンスキー]]
* 豊島八百万ラボ
* 遠い記憶(te17)[[塩田千春]]+[[田根剛]]
== 豊島事件(産廃不法投棄) ==
[[豊島総合観光開発]](豊島開発)が
[[1990年]]に発覚し、当時は戦後最大級の不法投棄事件と言われた<ref name="gaiyo" />。これを受け、翌[[1991年]]には廃棄物処理施設の設置が届出制から許可制となるなど規制が強化されたが<ref name="gaiyo" />、1999年に発覚し国内最大規模と言われた[[三栄化学工業#不法投棄事件|青森県・岩手県境の不法投棄事件]]を防ぐことができなかった<ref name="gaiyo">[https://www.pref.aomori.lg.jp/soshiki/kankyo/hozen/archive-honbun-1-jiangaiyo.html 県境不法投棄事案アーカイブ本編 1.事案の概要] 青森県環境生活部環境保全課、2014年7月17日更新</ref>。
▲===背景===
[[File:CSI746-C18-2-L.jpg|thumb|産廃問題の現場。1974年の撮影。まだ処分場の許可は降りておらず、産廃の持ち込みは開始されていない。元々は土砂採取を行った跡地であった。]]▼
豊島開発の実質的経営者は父親の代より豊島に移住し豊島家浦字水ケ浦に28.5ヘクタールの土地を所有していた。1975年12月に豊島開発は香川県に対して有害廃棄物処理場建設の申請を行った<ref name=watashitachi/>。豊島の住民はただちに反対運動を開始し、1976年に豊島住民1425名の反対署名を香川県へ提出している<ref name=watashitachi/>。1977年に住民らは「廃棄物持込絶対反対豊島住民会議」を結成、3月4日には豊島住民515名が[[香川県庁]]へデモに押しかけ、6月28日には豊島住民が[[高松地裁]]に処分場建設差し止め裁判申し立てを行うなど、激しい反対運動を展開した<ref name=watashitachi/>。処分場予定地に通じる道路に杭を打ち、道路を封鎖するなどの実力行使も行われた<ref name=watashitachi/>。これら反対運動に激昂した経営者は、住民を脅したり暴行傷害事件を起こし逮捕される<ref name=watashitachi/>。経営者逮捕によって旗色が悪くなった豊島開発は、廃棄物処理場建設の明目を「ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理」に変更する<ref name=watashitachi/>。1978年2月1日、香川県知事(当時)の[[前川忠夫]]は、先の処分場建設差し止め裁判の結論を待たずに<ref name=watashitachi/>、ミミズ養殖による土壌改良剤化処分業のための汚泥処理に限定し処分場建設許可する(廃棄物の処理及び清掃に関する法律の一四条一項)<ref name=hanketu80/>。処分場を許可した前川知事は「迷える子羊も救う必要がある。事業者は住民の反対にあい、生活に困っている。要件を整えて事業を行えば安全であり、問題はない。それでも反対するのであれば、住民のエゴであり、事業者いじめである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」と述べて、処分場の計画に反対する住民を非難し<ref>[http://www.ic.nanzan-u.ac.jp/~okuda/writings/teshima02.html 豊島産業廃棄物不法投棄事件─その倫理学的検討のための予備考察]</ref>、処分場を許可する方針を貫いた<ref name=watashitachi/>。同年10月19日、「産業廃棄物を豊島に持ち込まない」「豊島の環境を悪化させない」等の条項を定めた高松地裁での処分場建設差し止め裁判の和解が豊島開発との間に成立した<ref name=hanketu80/>。豊島開発が許可された事業内容は汚泥(製紙汚泥及び食品汚泥)、木屑及び家畜の糞の収集運搬業及びミミズによる土壌改良剤化処分業であった<ref name=hanketu80>高松地方裁判所 平成8年(ワ)80号 判決</ref>。▼
===
▲[[File:CSI746-C18-2-L.jpg|thumb|
豊島開発の実質的経営者は父親の代より豊島に移住し、豊島家浦[[小字|字]]水ケ浦に28.5[[ヘクタール]]の土地を所有していた。1975年12月に豊島開発は香川県に対して有害廃棄物処理場建設の申請を行った<ref name=watashitachi/>。豊島の住民はただちに反対運動を開始し、[[1976年]]に豊島住民1425名の反対署名を香川県へ提出している<ref name=watashitachi/>。[[1977年]]に住民らは「廃棄物持込絶対反対豊島住民会議」を結成、3月4日には豊島住民515名が[[香川県庁]]へデモに押しかけ、6月28日には豊島住民が[[高松地方裁判所]]に処分場建設差し止め裁判申立を行うなど、激しい反対運動を展開した<ref name=watashitachi/>。処分場予定地に通じる道路に杭を打ち、道路を封鎖するなどの実力行使も行われた<ref name=watashitachi/>。これら反対運動に激昂した経営者は、住民を脅したり暴行傷害事件を起こしたりして逮捕された<ref name=watashitachi/>。
▲
=== 産廃の持ち込み ===
[[File:SI832X-C8-1-M.jpg|thumb|写真左端が産廃廃棄現場(東京ドーム6個分の面積)。写真右上には家浦の集落と港が見える。港から写真中央を斜めに走る未舗装の狭い山道を、10トンダンプが往復して産廃を運び込んだ。]]
[[File:SI832X-C8-1-L.jpg|thumb|敷地の全景。]]
[[File:SI832X-C8-1-LL.jpg|thumb|敷地の西端の拡大。いくつかの建屋が見える]]
豊島開発は、許可を得た直後より豊島の西端の22ヘクタールの土地に<ref name="watashitachi">下羽友衛
これらの搬入作業によって [[1987年]]頃には野焼きによる黒煙や煤が風向きによっては島全体を覆い、激しい悪臭を放つとともに島内に[[喘息]]患者が多発するようになる<ref name=hanketu80/>。持ち込まれた廃棄物は豊島開発の敷地から溢れ、近隣の他の地権者の敷地にまで及んだ<ref name=hanketu80/>。廃棄物の大半はシュレッダーダストであり、地中に[[地層]]状に厚く広範囲に埋設された<ref name=hanketu80/>。豊島は「ゴミの島」「毒の島」として全国的に知られるようになり、風評被害によって豊島を訪れる釣り客、観光客などが激減したほか、地場産業であるミカン栽培 === 摘発 ===
[[1990年]]11月16日に[[兵庫県警察|兵庫県警]]が[[廃棄物の処理及び清掃に関する法律|廃棄物処理法]]違反
=== 裁判 ===
[[File:CCG951X-C12-17-L.jpg|thumb|1995年の撮影。産廃の持ち込みは停止したが、本格的な撤去は開始されていない状態。]]
[[1991年]]7月18日、[[神戸地方裁判所]]姫路支部において、豊島開発が[[罰金]]50万円、経営者が[[懲役]]10月([[執行猶予]]5年)の判決を受ける。高松地裁での裁判では、豊島開発の実質的な経営者は
また豊島開発は、1978年の住民側と豊島開発との間で結ばれた和解条項には「産業廃棄物の除去」に関する具体的な記載が存在しない [[1997年]]に豊島総合観光開発は破産し、豊島 === 香川県との軋轢===
豊島開発が摘発された後も、住民側と香川県側は事後処理や責任問題についての争いが以後7年間続いた。香川県の姿勢に不信感を強めた住民側は[[1993年]]11月11日に、産廃の撤去と住民一人当たり50万円の[[慰謝料]]を香川県と排出業者と豊島開発に求めて国の[[公害等調整委員会|公害調停]]申
こうした香川県の対応に憤慨した住民は、香川県庁前で
[[1996年]]6月、公害等調整委員会は「香川県の誤った監督指導体制が、事態をここまで悪化させた要因である」と指摘し、香川県の責任を認めるとともに自治体として踏み込んだ対応をするように求めた<ref name="watashitachi" />。こうして香川県の姿勢が変わったのは[[1997年]]1月になってからである<ref name="watashitachi" />。その背景には、処理費用に対して当時の[[内閣総理大臣]][[橋本龍太郎]]がその半額を国から援助するという判断があったからだとされる<ref name="watashitachi" />。これにより費用負担を拒否してきた香川県は、よ
1997年4月には「住民が長期にわたり、不安と苦痛を受けた」という文章を盛り込んだ中間合意案が公害等調整委員会によって作成されたが、香川県
[[1998年]]9月、[[前川忠夫]]に続いて知事に就任していた[[平井城一]]が退き、[[真鍋武紀]]が知事に就任した<ref name="watashitachi" />。真鍋は当選前から、県の謝罪表明には「検討の上で対応する」と慎重な姿勢をとっていた<ref name="watashitachi" />。当選後の1998年10月の代表質問でも「中間合意で香川県は既に遺憾の意を表明している」と述べて、既に謝罪済みで解決しているという見解を表明した<ref name="watashitachi" />。
[[1999年]]12月12日、[[総理府]]で行われた1年半ぶりの調停では、真鍋知事は改めて住民らの謝罪要求には応じないと回答し、産廃処理に必要な工事の着手には、公害等調整委員会の最終的な合意が不可欠であり、最終合意なしに工事には着手しない考えを表明した(技術委員会は、現場での海洋汚染の可能性もあり、一刻も早い工事着手を県に求めていた)<ref name="watashitachi" />。
[[2000年]]、香川県の担当職員の処分が行わ
=== 産廃の処分 ===
[[File:Tesima-taiyo022-01.jpg|thumb|産業廃棄物を豊島の廃棄現場より直島の処理施設へ輸送する専用の特殊コンテナ]]
豊島の産廃は、当初豊島の現場の海岸線を補強したうえで、現地に処分プラントを建設して1200[[セルシウス度|度]]で焼却処分する方針であったが<ref name=watashitachi/>、最終的に香川県[[直島町|直島]]にある[[三菱マテリアル]]の施設へ移送し、14年間にわたり処理され続けた。これは
処理の具体的な方法の検討のため
こうして
豊島の[[不法投棄]]現場では
産廃物の量は、香川県が2017年1月に88万8千トンとする最終的な推計値を発表した<ref>{{Cite news|url=
| publisher = 朝日新聞社▼
[[2020年]]時点で、不法投棄跡地は土がむき出しの状態になっており、汚染地下水が海に漏れ出すのを防ぐ遮水壁が地中に設置されている。住民会議は[[2019年]]10月、遮水壁を撤去して自然の力で海岸の環境を修復することを求める要望書を香川県へ提出した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20200607/ddm/041/040/060000c 「美しい豊島 少しずつ/住民と香川県 公害調停20年/産廃撤去 なお地下水汚染」]『毎日新聞』朝刊2020年6月7日(社会面)2020年6月9日閲覧</ref>。専門家によるフォローアップ委員会(委員長・[[早稲田大学]][[名誉教授]]永田勝也)は[[2021年]]8月19日、地下水浄化のめどがついたとして浄化施設を[[2023年]]3月で停止する案を了承したが、その後も汚染水を池に貯めるなど作業は続く見通しで「廃棄物対策豊島住民会議」も監視継続を求めている<ref name="毎日20210820"/>。
2017年7月22日から[[サンポートホール高松]]で、「豊かな島よみがえれ 産業廃棄物不法投棄と闘った豊島の42年展」が開催された<ref>[http://teshima.ne.jp/wordpress/?p=374 「豊かな島よみがえれ 産業廃棄物とたたかった豊島の42年展」 廃棄物対策豊島住民会議 投稿日時: 2017年7月18日] 2019年9月3日</ref>。▼
その後、[[2021年]][[10月17日]]に香川県と住民側との間で開かれた「豊島廃棄物処理協議会」で、地下水の有害物質濃度が概ね排水基準を満たしていることと、日本政府からの財政支援が2021年度末に期限を迎えることなどから、県側が住民に対し[[2022年]]度末での産廃処理事業の終了を提案し、住民側も了承したことで、処理事業の終了が事実上決定した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20211018/ddm/001/040/138000c 豊島処理事業、来年度末終了 開始20年 香川県と住民合意] 毎日新聞 2021年10月18日</ref>。
▲2017年7月22日から[[サンポートホール高松]]で、「豊かな島よみがえれ 産業廃棄物不法投棄と闘った豊島の42年展」が開催された<ref>[http://teshima.ne.jp/wordpress/?p=374 「豊かな島よみがえれ
産廃処理後の跡地に残された、豊島開発の事務所だった2階建ての古い建物を使用し、反対運動を続けた住民らが手作りで「豊島のこころ、資料館」(豊島住民資料館)を開き、不法投棄問題の資料展示を行っている<ref>[https://blog.rnb.co.jp/commentary/?p=1247 瀬戸内の芸術の島『忘れない記憶』] ニュースの深層 [[南海放送]]解説室、2019年6月4日</ref>。
[[2023年]][[3月10日]]に投棄現場の整地作業が完了、解決まで長期間かかった本問題は一区切りとなった。
== 豊島廃棄物等処理事業等(関連資料) ==
306 ⟶ 341行目:
|-
! 28
| NTLU-020010(7) || '''※【 10 】※'''<ref>[http://www.kubota-ksk.co.jp/column/10/index.html/ クボタ環境HP
|-
! 29
320 ⟶ 355行目:
| NTLU-020014(9) || 【 14 】||
|-
!'''※33※'''<ref>[https://www.nipponkaiun.com/news/wp-content/uploads/2017/04/fc33d25c4e9b35f250ceb8f0408d02c7.jpg/ 日本海運HP
| NTLU-020015(4) || 【 15 】||
|-
344 ⟶ 379行目:
|}
*車番号
*コンテナ本体番号
*シンボル車体記号
===年表===
*1975年12月 産業廃棄物業者の豊島総合観光開発が産業廃棄物処理業の許可を香川県に申請する。
*1978年{{0}}2月 香川県は、豊島総合観光開発に対して産業廃棄物収集運搬業([[汚泥]]、[[木くず]]及び[[家畜]]の[[糞|ふん]])、処分業([[みみず]]による土壌改良剤化処分)を許可する。
*1990年11月 兵庫県警察が豊島総合観光開発を[[廃棄物の処理及び清掃に関する法律]]違反容疑で事業場を強制捜査する。
*1990年12月 香川県は、豊島総合観光開発に対して産業廃棄物処理業の許可を取り消し及び産業廃棄物撤去等の措置命令を行う。
*1991年{{0}}1月 兵庫県警が経営者等を逮捕する。
*1991年{{0}}7月
*1993年11月 豊島住民が県知事に[[公害紛争処理法]]に基づく公害調停を申請する。
*1993年12月 公害調停の書類が国の[[公害等調整委員会]]に移送される。
*1996年{{0}}2月 豊島住民が[[高松地方裁判所|高松地裁]]に豊島総合観光開発に対して[[損害賠償]]を[[提訴]]する。
*1996年{{0}}8月 [[菅直人]][[厚生大臣]](当時)が現場を視察。問題解決の端緒となった。
*1996年12月 高松地裁が豊島総合観光開発に対して慰謝料の支払いと、廃棄物の撤去を命じる
*1997年{{0}}3月 豊島総合観光開発及び経営者に対し
*1997年12月 一連の報道で[[山陽放送]]報道部が[[中坊公平]]弁護士とともに第45回[[菊池寛賞]]を受賞。
*2000年{{0}}6月 公害調停成立。
*2000年11月 瀬戸内オリーブ基金を設立。
*2012年{{0}}3月 豊島の汚染[[土壌]]を、[[滋賀県]][[大津市]]内の民間業者が施設内で処理する計画が明らかとなり、業者の周辺住民らが、[[琵琶湖]]の汚染の恐れがあるとして滋賀県公害審査会に公害[[調停]]を申請([https://web.archive.org/web/20120312200053/http://sankei.jp.msn.com/region/news/120313/shg12031302050004-n1.htm 記事])。
*2012年{{0}}5月 前述の調停に関して、香川県と業者が契約解除で合意し、汚染土壌の県外処理は白紙に([http://mainichi.jp/select/news/20120510k0000m040102000c.html 記事])。
*2017年{{0}}3月28日 廃棄物撤去完了。産廃量は当初の推定50万tを大きく上回る約91.1万tにも及んだ<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG26H47_X20C17A3CC0000/ 「豊島産廃、28日撤去完了
*2017年{{0}}6月 無害化処理終了。
*2023年{{0}}3月10日 整地作業を完了。
=== 産廃特措法適用 ===
[[特定産業廃棄物に起因する支障の除去等に関する特別措置法]](産廃特措法)に
行政責任として、[[公害調停]]の最終合意に際して、廃棄物の
== 参考文献 ==
*{{cite book ja-jp
|author = [[津川敬]]
|title = ごみ処分「処分場の紛争」の本質
|series=
|year= 1996年
| accessdate =
|edition=初版
|isbn = 4-380-96010-2
|ref={{Sfnref|『ごみ処分「処分場の紛争」の本質』初版|1996}}
}}
*{{cite book ja-jp
|author = [[曽根英二]]
379 ⟶ 427行目:
|series=
|publisher = 日本経済新聞社
|year= 1999年
| accessdate = 2019-09-30
|edition=初版
385 ⟶ 433行目:
|ref={{Sfnref|ゴミが降る島|1999}}
}}
*[[中坊公平]]、2000年、『中坊公平・私の事件簿』[[集英社新書]]
*{{cite book ja-jp
|author = [[大川真郎]]
391 ⟶ 439行目:
|series=
|publisher = [[日本評論社]]
|year= 2001年
| accessdate = 2019-09-30
|edition=初版
397 ⟶ 445行目:
|ref={{Sfnref|大川真郎|2001}}
}}
*石井 亨、2018年、『もう「ゴミの島」と言わせない 〔豊島産廃不法投棄、終わりなき闘い〕』[[藤原書店]]
*[[佐々木良]]、2018年、『美術館ができるまで なぜ今、豊島なのか? 』[https://kei-bunsha.co.jp/ 啓文社書房]
==出典==
410 ⟶ 458行目:
*[https://www.my-kagawa.jp/shimatabi/feature/shimatabi/teshima うどん県旅ねっと]
*[https://nihonshima.net/sima3/kagawa/teshima2.html 日本の島に行こう]
* [http://www.shodoshima-ferry.co.jp/ 小豆島豊島フェリー]
* [http://t-ferry.com/ 豊島フェリー]
* [http://www.shikokukisen.com/ 四国汽船]
* [https://web.archive.org/web/20080630073916/http://www.teshima.ne.jp/ 廃棄物対策豊島住民会議]
* [https://web.archive.org/web/20000817113804/http://www.asahi-net.or.jp/~TQ9R-SRI/ 豊島からの報告]
* [http://www.teshima-school.jp/ 豊島・島の学校]
* [http://www.pref.kagawa.jp/haitai/teshima/ 香川県HP] - 豊島問題
420 ⟶ 469行目:
*[https://www.ans.co.jp/n/naomi/index2.html 特別養護老人ホーム「ナオミ荘」]
*[http://www.teshimamikunien.com/ 知的障害者更生施設「みくに園」]
*[http://www.teshima-web.jp/map/%E8%B1%8A%E5%B3%B6%E3%81%AB%E8%A1%8C%E3%81%93%E3%81%86.PDF 豊島に行こうMAP]
*[https://teshima-navi.jp/wp_teshima/wp-content/uploads/2019/11/teshima_map_all_20191105_ol_compressed.pdf 豊島MAP]
{{日本の指定離島}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:てしま}}
[[Category:瀬戸内海の島]]
|