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== 概要 ==
1979年10月7日にスタート<ref>{{Cite book|和書|author=[[志賀信夫]]|title=テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで|publisher=[[NHK出版|日本放送出版協会]]|date=1984-08-01|pages=240 - 242|id={{NDLJP|12275392/124}}}}</ref>。番組当初は、[[森繁久彌]]、[[山田五十鈴]]、[[中村メイコ]]、[[三橋美智也]]などを起用して、ドラマ、コメディをやったが、スターの好演にもかかわらず、視聴率は一桁が続いた<ref name="村上">{{Cite book|和書|author=村上七郎|authorlink=村上七郎|title=マスコミ漂流50年の軌跡 ロングラン|year=2005|publisher=[[扶桑社]]|isbn=4-594-04947-8|pages=223-228|chapter=第七章 関西テレビと平成テレビ時評}}</ref><ref name="メモリアル">{{Cite book|和書|author=澤田隆治|title=漫才ブームメモリアル|year=1982|publisher=東阪企画|isbn=4-89756-033-0|pages=223-228|chapter=漫才ブーム回顧 関西テレビ編成局長・巻幡展男}}</ref>。
 
11月25日、「おかしなおかしな漫才同窓会」(第8回放送)では[[コロムビア・トップ]]、[[春日三球・照代|三球・照代]]、[[リーガル天才・秀才]]らが出演し関西地区で13.3%、関東地区で16.4%の視聴率を記録する<ref name="村上" /><ref name="名人芸グラフィティ">{{Cite book|和書|author=澤田隆治|authorlink=澤田隆治|title=花王名人劇場 テレビ時代の名人芸グラフィティ|year=1982|publisher=[[東阪企画]]|isbn=4-89756-026-8|pages=223-228|chapter=『花王名人劇場』を考える 自信と不安の中で... 関西テレビ編成局長・巻幡展男}}</ref><ref name="メモリアル" />。
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[[芦屋雁之助]]が、"放浪の天才[[画家]]"と呼ばれた[[山下清]]を演じた人情ドラマ『[[裸の大将放浪記]]』が人気を集めた。
 
1「花王名人大賞」として、視聴者からの投票などを参考としてお笑い・大衆芸能に貢献した人たちを表彰する制度も設けられた(詳しくは[[花王名人大賞スペシャル]]の項)。
 
他のドラマ作品には、[[京マチ子]]主演の『[[姥ざかり]]』などがあった。
 
1990年3月18日放送分をもって終了。10年半の放送に幕を閉じた。番組のコンセプトは『[[花王ファミリースペシャル]]』に引き継がれた。
 
== 番組終了後 ==
[[1990年代]]後半、CS放送「[[ファミリー劇場]]」で再放送された。
 
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*[[花王名人大賞スペシャル]](1981年 - 1989年放送) - 視聴者からの投票などでお笑い・大衆芸能に貢献した人たちを表彰する賞を発表する特別番組。
*前夜祭待ってました!(1979年10月7日放送) - 第1回放送。
*津軽三味線よされぶし 第一部 望郷篇(1979年10月14日放送)<ref>{{Cite web|和書|title=津軽三味線よされぶし(1)望郷篇 - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇ |url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/drama_info.htm?id=17555 |website=テレビドラマデータベース |access-date=2023-04-21 |language=ja}}</ref>
**津軽三味線よされぶし 第二部 帰郷篇(1979年10月21日放送)<ref>{{Cite web|和書|title=津軽三味線よされぶし(2)帰郷篇 - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇ |url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-17569 |website=テレビドラマデータベース |access-date=2023-04-21 |language=ja}}</ref>
*おかしなおかしな漫才同窓会シリーズ
**おかしなおかしな漫才同窓会 東京漫才発見!(1979年11月25日放送)
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*[[激突!漫才新幹線]](1980年 - 1982年、全5回放送) - 漫才ブームの火付け役となった番組。
*[[さらわれたスーパースター]](1980年10月19日放送) - 芸能界引退を控えた[[山口百恵]]の番組唯一の主演ドラマ。
*アニメDEマンザイ [[じゃりン子チエ]](1981年4月12日放送) - 当時公開された映画の宣伝番組。アニメと実写を合成して放送。テレビアニメ版は[[毎日放送]]・TBS系列にて放送。
*ザ・ぼんちIN武道館(1981年8月9日放送)
*爆笑!漫才大全集IN武道館PARTI・II(1981年11月1日・11月15日放送)
*東西激突!マンザイNEWパワー(1982年1月31日放送)
*旗上げ!劇団ザ・アチャラカ~アチャラカ親子混線記~(1983年7月17日放送)<ref>{{Cite web|和書|title=劇団ザ・アチャラカ(1) - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇ |url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-20447 |website=テレビドラマデータベース |access-date=2023-01-10 |language=ja}}</ref>
*ビートたけし独演会シリーズ(放送開始時期不明~1985年)
*爆笑!!ハッスルコント大集合(1985年5月19日放送)
*おもしろ新人類~阪神・巨人・[[春風亭小朝|小朝]]も大笑い!!~(1986年2月2日放送)
*熱演!!鶴太郎のがんばるぞット!爆笑!!ニュー演芸大集合(1986年3月16日放送)
*西川ヘレン物語…白地ニ赤ク…(1987年1月4日放送)<ref>{{Cite web|和書|title=西川ヘレン物語…白地ニ赤ク… - ドラマ詳細データ - ◇テレビドラマデータベース◇ |url=http://www.tvdrama-db.com/drama_info/p/id-23345 |website=テレビドラマデータベース |access-date=2023-04-27 |language=ja}}</ref>
*ビートたけし独演会シリーズ(放送開始時期不明~1985年)
*とんねるずの芸能界!素人さんにも教えましょう!(1988年7月3日放送)
*感謝をこめて10周年記念特別番組 勢揃い!漫才オールスター(1988年10月9日放送) - [[大阪城ホール]]で収録された記念番組。
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== エピソード ==
初代から2代目のオープニングは「名人」の文字をかたどったイメージキャラクターが登場するもので、これは[[山藤章二]]がデザインした。初代はフィルム制作のもので、イメージキャラクターが新聞のテレビ欄を読むと矢印が現れ、矢印の方向に進むと海に落ち、無人島→銭湯→スタジオのテレビカメラ→民家→競技場で棒高跳び→シーソーと暴れまわり、夜空を背景に現れる番組ロゴが現れに飛び乗というと、2代目はピンク色の背景や幾何学模様のものであった。1987年頃からは3代目となり、黒をバックにカラフルな色の光線から番組ロゴが現れる様式で、前述のイメージキャラクターは使用されず、テーマ音楽も変更された。
 
当初の提供ナレーションは、「この番組は清潔な暮らしを広げる月のマークの花王石鹸がお送りします(しました)」(提供読みは当時アナウンサーだった[[鈴木正勝]])。1985年の社名変更とともに2代目のオープニングはそのまま提供部分だけが新しいものに差し替えられ、「清潔で美しくすこやかな毎日をめざして、花王の提供でお送りします(しました)」というアナウンスに変更されるとともに、読み上げも[[中村啓子]]が担当するようになった<ref group="注">[[提供クレジット]]も花王石鹸時代はブルーバックだったが、社名変更後は白地にライトグリーンのフォントで花王と月のマークを大写しした(右下に提供の文字が入る)ものに変更され、2007年1月の『発掘!あるある大事典』終了まで使われていた。これはTBS系列の『花王[[愛の劇場]]』の1社提供時代などの番組も同様だった。</ref>。また当時、オープニング前の30秒は花王の[[カウキャッチャー (放送)|カウキャッチャー]]CMが、番組終了後の[[ヒッチハイク (放送)|ヒッチハイク]]には[[太田胃散]]の30秒CMが流れていた(『[[花王ファミリースペシャル]]』の番組終了まで)。
 
== スタッフ ==
*演出・プロデューサー→企画:澤田隆治
*ディレクター:菊地誠、武井泉
*プロデューサー:村上健治、岡林可典、平井隆信
*制作:関西テレビ、東阪企画([[ビートたけし]]メイン出演番組は[[IVSテレビ制作]]が制作していたことがあった)
 
== ネット局 ==
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|[[山形県]]
|[[山形テレビ]]
|1980年3月まではテレビ朝日系とのクロスネット局<ref group="注">その後、1993年3月31日にFNN・FNSを脱退、現在テレビ朝日系フルネット局。</ref>
|-
|[[福島県]]
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|rowspan="9"|フジテレビ系列
|遅れネット<br />→同時ネット
|現・NST新潟総合テレビ<br />1981年3月までは日本テレビ系、テレビ朝日系とのクロストリプルネット局<br />1983年9月まではテレビ朝日系とのクロスネット局
|-
|[[長野県]]
|[[長野放送]]<ref>『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)175頁『平成元年3月基本番組表』より。</ref>
|[[長野放送]]
|rowspan="8"|同時ネット
|
155 ⟶ 160行目:
|-
|[[富山県]]
|[[富山テレビ放送|富山テレビ]]<ref name="t34itcftb">『北國新聞』1989年3月26日付朝刊、テレビ欄。</ref>
|
|-
|[[石川県]]
|[[石川テレビ放送|石川テレビ]]<ref name="t34itcftb" />
|
|-
|[[福井県]]
|[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]<ref name="t34itcftb" />
|
|-
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|[[テレビ大分]]
|rowspan="2"|フジテレビ系列<br />日本テレビ系列<br />[[オールニッポン・ニュースネットワーク|テレビ朝日系列]]
|<ref group="注">主に「裸の大将」などを放送。</ref>
|-
|[[宮崎県]]
245 ⟶ 250行目:
|フジテレビ系列<br />日本テレビ系列
|遅れネット<br />→同時ネット
|1982年9月まではテレビ朝日系とのクロスネット局<ref group="注">1985年4月から同時ネット。</ref>
|-
|[[沖縄県]]
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==補足==
* [[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]は、1985年4月7日から最終回の1990年3月18日まで、九州地区の日テレ・フジクロスネット局の中で、唯一当番組を同時ネットしていた。ちなみに、[[テレビ熊本]]は[[日曜洋画劇場]](1989年9月まで)、[[テレビ長崎]]と[[テレビ大分]]と[[テレビ宮崎]]は日本テレビの番組([[桃太郎侍]]など)を同時ネットしていた。
* 放送期間10116か月は、日曜21時台のフジテレビ系番組としては最長記録である(後番組の『ファミリースペシャル』は67、その後の『[[発掘!あるある大事典]]』シリーズは10114か月の放送だった)。
* 番組クレジットでは、当初は「KTV」のロゴを表示していたが、のちに「関西テレビ」のロゴに変更されている。
* 制作は関西テレビだが、番宣ポスター及びテレホンカードではフジテレビの名義で同局のロゴ(8マーク→[[目玉マーク]])、あるいはフジテレビ・関西テレビの双方のロゴを表記する場合があった。
* 番組小冊子の編集には、[[木村万里]](のちに演芸プロデューサー)が携わっていた。
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 外部リンク ==
*[https://bsy.co.jp/programs/by0000015994 BSよしもと「花王名人劇場」情報ページ]
 
{{前後番組