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'''成田空港問題円卓会議'''(なりたくうこうもんだいえんたくかいぎ、以下円卓会議)とは、[[成田空港問題]]([[三里塚闘争]])を対話によって解決するために開かれた会議。過去流血を伴いながら続けられた新東京国際空港(現・[[成田国際空港]])の建設について、民主的手続きにより空港と地域との共生について一定の合意がなされたとして、大規模公共事業を進める上での1つのモデルとされる<ref>原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、210頁。</ref>。
なお、「成田空港問題円卓会議」の前身である「'''成田空港問題シンポジウム'''」についてもここで記述する。
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== 経緯 ==
{{See also|成田空港問題|三里塚闘争}}
新東京国際空港自体は
空港開港に前後して話し合いによって問題を解決することが水面下で模索され、大物[[
|date = 2015-02-08
|url = https://www.wako.ac.jp/_static/uploads/contents/managed_html_file.name.826e264c63bca41c.3035382d3039322de382b7e383b3e3839d2de4b889e9878ce5a19a2de69c80e7b582772e706466/058-092-%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9D-%E4%B8%89%E9%87%8C%E5%A1%9A-%E6%9C%80%E7%B5%82w.pdf
|title = 市民的不服従と現代
|format = PDF
|publisher = [[和光大学]]総合文化研究所
|accessdate
}}</ref>。
[[
|url = http://www.page.sannet.ne.jp/km_iwata/kyousei.html
|title = 共生委員会とは?
|accessdate
}}</ref><ref>{{Cite web|和書
|url = https://www.pref.chiba.lg.jp/kuushin/narita/chirenkyou.html |title = 地域振興連絡協議会について
|publisher = [[千葉県]]
|accessdate
}}</ref>。この時[[衆議院|衆議院議員]][[浜田幸一]]が、広い参加を呼び掛ける熱田派と[[千葉県知事一覧|千葉県知事]][[沼田武]]との間で斡旋を行った{{sfn|朝日新聞成田支局|1998|p=138}}。
なお、この動きに対し、「空港絶対反対、徹底抗戦」等の強硬路線を堅持している[[北原鉱治]]が率いる反対同盟北原派や、これを支援する[[革命的共産主義者同盟全国委員会|中核派]]・[[革命的労働者協会(社会党社青同解放派)|革労協狭間派]]等の過激派は、「国と話し合う連中は許さない」・「地連協の活動を実力で阻止」・「三里塚闘争の裏切り行為を人民の鉄槌によって処断する」などと主張しており{{Efn|シンポジウム開催時に主要な役割を担った熱田派の石井新二は、仲間が襲撃されたときには用意した1億円でやくざの[[ヒットマン]]に復讐させると吹聴して、これを牽制した{{sfn|朝日新聞成田支局|1998|pp=135-138}}。}}{{sfn|朝日新聞成田支局|1998|p=135}}<ref>{{Cite web|和書|date=|url=https://www.npa.go.jp/hakusyo/h03/h030700.html|title=平成3年[[警察白書]] 第7章 公安の維持|publisher=[[警察庁]]|accessdate=2017-03-05}}</ref>、実際に村山はその後中核派によって自宅を放火されている<ref name=":1">{{Cite book|editor=村山元英|title=民営ハブ空港論|date=|year=1997|accessdate=|publisher=文眞堂|page=288}}</ref>。
反対同盟熱田派はシンポジウム参加の条件として、[[強制収用]]申請の放棄、二期工事・B滑走路の白紙化、公正な議論を提示し、日本国政府
「成田空港問題シンポジウム」は、[[1991年]](平成3年)11月から[[1993年]](平成5年)5月まで、計15回にわたって開催された(詳細は後述)。
「成田空港問題円卓会議」は、[[1993年]](平成5年)[[9月20日]]から[[1994年]](平成6年
シンポジウムおよび円卓会議終了後、日本国政府を代表して、[[内閣総理大臣]][[村山富市]]の謝罪などもあり、その後二期工事への[[土地収用]]と集団移転に応じる[[農民]]・[[地主]]が出てきた。反対同盟の小川派は、シンポジウムと円卓会議に参加していなかったが、代表の小川嘉吉はその後[[行政訴訟]]を取り下げ、
== 隅谷調査団 ==
地域振興連絡協議会から依頼を受けて、[[成田空港問題]]の原因を究明し、現状を明らかにして解決の途を見出すことを目的に結成された調査団である。構成員は以下の通り。
{| class="wikitable"
|-
!氏名!!備考
|-
| [[隅谷三喜男]] || 団長。[[東京大学]]名誉教授。1992年、過激派に自宅へ金属弾を撃ち込まれる。
|-
| [[高橋寿夫]] || 元[[運輸省]]航空局長。1998年、過激派に自宅を放火される。
|-
| [[宇沢弘文]] || [[東京大学]]名誉教授。後に[[地球的課題の実験村構想具体化検討委員会]]座長も務める。
|-
| [[山本雄二郎]] || [[高千穂大学]]理事・客員教授。後に[[成田空港地域共生・共栄会議]]会長も務める。
|-
| [[河宮信郎]] || [[中京大学]]教授。
|}
=== 呼称について ===
調査団の綱領は宇沢が作成し、正式名称を「The Commission to Inquire into the Nature, the Present State, and the Just Solution of the Narita Airport Problem{{efn|成田空港問題の本質・現状並びに社会正義にかなった解決方法に関する調査委員会}}」とした{{Efn|宇沢は[[アダム・スミス]]の『[[国富論]]』をもじったとしている<ref name=":0">。{{Cite book|title=激動を生きて 隅谷三喜男先生喜寿記念文集|date=1994-9-1|publisher=隅谷三喜男先生喜寿記念文集編集委員会|pages=27-30}}</ref>。}}。
この日本語訳・通称として'''隅谷調査団'''という呼称を用いることが提案された。[[リットン調査団]]を念頭に置き、また"Just Solution(社会正義にかなった解決)"の表現が隅谷の学問的、思想的な側面を表しているというのが理由であった<ref name=":0" /><ref>{{Cite web|和書|date= |url=http://www.aec.go.jp/jicst/NC/senmon/old/waste-manage/siryo/high05/(3).HTM |title=「隅谷調査団」の成立 |publisher= |accessdate=2017-08-14}}</ref>。
当初隅谷は、自分の名前が冠された名称を用いることに躊躇していたが、宇沢が説得した<ref>{{Cite web|和書|date= |url=https://mikiosumiya.jimdo.com/%E9%9A%85%E8%B0%B7%E5%85%88%E7%94%9F%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/ |title=隅谷三喜男先生について |publisher=隅谷三喜男研究会 |accessdate=2017-08-14}}</ref>。また、[[運輸省]]は大事故発生時の調査団を連想させるとして「調査団」という呼称について難色を示したが、運輸省OBの高橋が「これは戦後最大の事故」であるとして運輸官僚の意見を却下した<ref name=":0" />。
▲シンポジウムおよび円卓会議終了後、日本国政府を代表して、[[内閣総理大臣]][[村山富市]]の謝罪などもあり、その後二期工事への[[土地収用]]と集団移転に応じる[[農民]]・[[地主]]が出てきた。反対同盟の小川派は、シンポジウムと円卓会議に参加していなかったが、小川嘉吉は[[行政訴訟]]を取り下げ、および土地売買契約を締結し、反対活動を事実上終了した。
== 成田空港問題シンポジウム ==
「成田空港問題シンポジウム」は1991年(平成3年)11月から1993年(平成5年)5月まで、計15回にわたって開催された。シンポジウムは隅谷調査団(
最終の第15回シンポジウムにて、隅谷調査団の所見「成田空港問題シンポジウムの終結にあたって」を発表し、以下の3項目を提案した。
* 運輸省・空港公団による収用裁決申請の取下げ
* 二期工事B・C滑走路建設計画
* 今後の成田空港問題の解決に当たっての新しい場を設けること
上記、新しい場を設けることに基づき、「成田空港問題円卓会議」が開催されることとなった。
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** 芝山文化センター
* 第10回
** 芝山文化センター▼
** 1992年10月28日
▲** 芝山文化センター
* 第11回
** 1992年12月15日
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== 成田空港問題円卓会議 ==
「成田空港問題円卓会議」は1993年9月20日から1994年10月まで12回にわたって開催された。[[円卓会議]]は隅谷調査団が主催し、構成員は、反対同盟
|url = http://www.aec.go.jp/jicst/NC/senmon/old/waste-manage/siryo/high05/siryo5-2.htm
|title = 成田空港問題関連資料
|accessdate
}}</ref>。
最終の第12回円卓会議にて隅谷調査団の最終所見
* 対立構造の解消
* 共生懇談会(仮称、成田空港地域共生委員会、現:[[成田空港地域共生・共栄会議]])の設置
* [[地球的課題の実験村
* 平行滑走路
* 平行滑走路が完成した時点で、横風用滑走路について環境への影響などを調査した上で改めて提案し、関係する地域社会と十分話し合いを重ね、その賛意を得て進めるのが適当。
* [[航空機]]騒音問題および落下物対策について、国の約束した各対策および取り組みを確実に実施すること。
* 地域振興策について、国や県はそのために必要な措置を講ずるよう努力すること。
隅谷は「共生とは立場の違うものが集まってひとつの方向を見いだしていくこと。従来の不信感をも乗り越えて、新しい明るい空港と地域の展開を熱望します。これをもって最後の円卓会議を閉じることと致します」と挨拶を述べ、円卓会議を締めくくった<ref name=":2">{{Cite journal|和書|date=1994-10-12|title=「共生」に安堵と期待と|journal=朝日新聞(千葉版)|page=31}}</ref>。
[[1994年]][[12月10日]]、第17回円卓会議拡大運営委員会が開催された。そこで「[[成田空港地域共生・共栄会議|成田空港地域共生委員会]]設置要綱」「円卓会議の合意事項」「空港公団における[[情報公開]]」「[[地球的課題の実験村]]構想具体化検討委員会」が決定した<ref>{{Cite web▼
隅谷は著書で、このような国側の反省と謝罪の背後には、反対同盟と話し合いを継続し謝罪の言葉を繰り返し述べた行政担当者の労苦があったとしている<ref>[[隅谷三喜男]]『成田の空と大地』岩波書店、1996年、369頁。</ref>。旧熱田派側からも、所信受け入れの表明で「さまざまな試行錯誤、苦悩の末、自ら方針転換を決断した運輸省の関係者に対して、心からの敬意を表します」と述べられている<ref name=":2" />。
この円卓会議終了時、東峰十字路事件発生時の[[機動隊]]の総括責任者であり、運輸大臣として臨んでいた[[政治家]]の[[亀井静香]]が、同事件の元被告の旧熱田派事務局長と握手を交わしている<ref name=":2" />。
▲[[1994年]][[12月10日]]、第17回円卓会議拡大運営委員会が開催された。そこで「[[成田空港地域共生・共栄会議|成田空港地域共生委員会]]設置要綱」・「円卓会議の合意事項」・「空港公団における[[情報公開]]」・「[[地球的課題の実験村]]構想具体化検討委員会」が決定した<ref>{{Cite web|和書
|date = 2011-01
|url = http://www.narita-kyousei.gr.jp/activity/pdf/symbiotic_07.pdf
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|format = PDF
|publisher = [[成田空港地域共生・共栄会議]]
|accessdate
}}</ref>。
160 ⟶ 191行目:
}}
==
* {{Cite web |url=http://www.naa.jp/jp/csr/kyosei_shinpo.html |title=シンポジウム及び円卓会議の経緯 |publisher=[[成田国際空港 (企業)|成田国際空港]] |accessdate=2017-03-27}}▼
* {{Cite web |date=1995年3月 |url=http://www.narita-kyousei.gr.jp/activity/record_symposium.html |title=成田空港問題シンポジウム記録集 |publisher=成田空港地域共生・共栄会議 |accessdate=2017-03-27}}▼
* {{Cite web |date=1996年3月 |url=http://www.narita-kyousei.gr.jp/activity/record_discussion.html |title=成田空港問題円卓会議記録集 |publisher=成田空港地域共生・共栄会議 |accessdate=2017-03-27}}▼
== 出典・脚注 ==▼
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}▼
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
▲{{Reflist|25em}}
== 参考資料 ==
▲* {{Cite web
▲* {{Cite web
▲* {{Cite web
* {{Citation|和書|author=朝日新聞成田支局|title=ドラム缶が鳴りやんで {{small|元反対同盟事務局長石毛博道・成田を語る}}|publisher=四谷ラウンド|year=1998|month=6|ISBN=978-4946515194}}
* {{Citation|和書|url=https://doi.org/10.14992/00011526|title=風土論からみた合意形成プロセスに関する研究|accessdate=2021-04-01|publisher=立教大学|last=嘉瀬井|first=恵子|year=2015|doi=10.14992/00011526}}
== 関連項目 ==
* [[成田空港問題]]([[三里塚闘争]])
* [[合意形成]]
* [[住民参加]]
{{成田空港問題}}
{{DEFAULTSORT:なりたくうこうもんたいえんたくかいき}}
[[Category:成田空港問題|えんたくかいき]]
[[Category:会議]]
[[Category:亀井静香]]
[[Category:1993年開始のイベント]]
[[Category:1994年終了のイベント]]
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