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| 退役年月日 = 1945年[[8月15日]]
| 生産数 = 完成2機・半完成18機 - 25機以上
| 運用状況 = 量産体制
| ユニットコスト =
}}
'''橘花'''(きっか)は、[[第二次世界大戦]]末期に[[大日本帝国海軍]]が開発した双発ジェット[[戦闘爆撃機|戦闘攻撃機]]<ref group="注釈" name="特攻戦備(橘花)">[[#海軍軍備(6)特攻戦備]]p.50『橘花|(目的)近距離に近接し來る敵艦船を攻撃するに適し且多量生産に適する陸上攻撃機を得るに在り|(型式)タービンロケット 双發 単葉型|主要寸度(米)極力小型とし折畳時の寸度全幅五.三 全長九.五 全高三.一〇|(装備原動機)TE一二型 二基|(搭乗員)一名|最高速度(節)海面上三三五 高度六〇〇〇米で三六五|(航続力)海面上二〇〇浬 高度六〇〇〇米で三〇〇浬|(上昇力)記載なし|降着速度(節)八〇|爆弾(瓲)五〇〇|(無線兵装)二式一號無線電話機 受話機のみ|担任航空隊(開隊年月日)七二四空(二〇.七.一)|(記事)試作実驗中 豫定期日を約半ヶ年経過したが完成せず』</ref>。日本初の純国産ジェット機である。エンジン開発は主に[[海軍航空技術廠|空技廠]]が担当し、機体を[[中島飛行機]]が開発製造。
 
試作型はネ12B装備のものを「試製橘花」、[[ネ20 (エンジン)|ネ20]]装備のもの「橘花改」と正式には呼称する。試作機はそれぞれ、「試製 橘花」、「試製 橘花改」と呼ぶ。
 
== 概要 ==
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それまで日本では[[ドイツ]]や[[イギリス]]、[[イタリア]]と並びジェットエンジンの独自開発が進んでいたものの、これらの国とは違いまだ実用化されていなかったが、[[ネ10 (エンジン)|ネ10]]・ネ10改(推力230kg)、ネ12(推力300kg)・ネ12Bなど、開発経験の蓄積があった。
 
初期原案は3案あり、第1案は胴体の上下にエンジンを配置する胴体上下コンパウンド型(双ブーム支持)、第2案はエンジンを胴体側面に埋め込む胴体埋め込み型、第3案は[[ドイツ]]が開発した世界初の実用ジェット戦闘機[[メッサーシュミット Me262|メッサーシュミット Me 262]]と同様に、主翼下にエンジンを懸架する翼下懸架型であった。第2案が最も進歩した方式であったが、製作工程での簡易化が検討された結果、第3案が採用された。ネ20の小さい出力という技術面の問題もあったと言われている。
 
その後、同盟国のドイツに駐在する日本陸海軍の将校と技術者が、たまたま翼下懸架型であったメッサーシュミット Me 262Me262に関する技術資料を入手することを決定し、[[哨戒艇]]用に日本が開発した小型ボート用の[[ディーゼルエンジン]]が欲しかったドイツ側と、戦闘機用にMe 262Me262のエンジンが欲しかった日本の合意のもと、ドイツの占領下の[[ヴィシー政権|フランス]]の[[トゥーロン]]軍港から日本とドイツの潜水艦で設計図を運んだ([[遣独潜水艦作戦]])。
 
[[ファイル:Messerschmitt Me 262 060912-F-1234S-012.jpg|right|thumb|メッサーシュミット Me 262A]]
輸送に用いられた潜水艦はお互い1隻のみであり、ドイツの潜水艦は[[1944年]]末頃に日本占領下の[[インドネシア]]の[[バリクパパン]]に到達、上陸の後に日本海軍士官と情報交換した。その後、日本海軍潜水艦は[[バシー海峡]]でアメリカ海軍潜水艦の攻撃を受け沈没。また、ドイツ潜水艦が無事にドイツに帰還したかに関しては不明である。
 
ドイツから得たMe 262Me262に関する情報は、潜水艦が撃沈されたために[[シンガポール]]で[[零式輸送機]]に乗り換えて帰国した巌谷中佐が持ち出したごく一部の資料を除いて失われてしまい、肝心機体部分やエンジン心臓部の設計図が存在せず、結果的に大部分が日本独自の開発になった。
 
開発にあたり当初、橘花は固定武装の機銃を装備せず、胴体下に500kgまたは800kg爆弾を1搭載し、陸上から発進して敵艦に対し水平爆撃・緩降下爆撃を行うものとして計画された。一説には「三式25二十五8号爆弾または仮称四式50五十8号爆弾」という[[反跳爆弾]]を用いた[[反跳爆撃]]も計画されていたという(試製橘花計画要求書案記載)。第二次試作機からは軍部からの要請でMe 262Me26230mmMK108MK108 30mm機関砲に匹敵する五式30mm固定機銃一型を装備したが、その数は2挺とMe 262Me262の4挺と比べて半分である。さらに装弾数もMe 262Me262の360発と比べて本機は100発と少なくなっている。
 
速度は海面上335[[ノット]](約620km/h)と高度6000mで365ノット(約676km)676km/h)、航続距離は海面200[[海里]](約370km)と高度6000mで300海里(約555km)を予定した<ref group="注釈" name="特攻戦備(橘花)" />。
 
=== 製作 ===
外観はMe 262に似るが、サイズが一回り小さく(当初搭載予定のネ12Bジェットエンジンの推力が小さいため、機体を小型軽量にする必要があった)、Me 262の[[翼平面形#後退翼|後退翼]]と異なり、[[翼平面形#テーパー翼・逆テーパー翼|テーパー翼]]を採用するなど、上記のような事情により実際にはほとんど独自設計である(ちなみにMe 262の後退翼は重心バランスを取るための苦肉の策であり、遷音速から音速域の速度を見越しての翼平面形の採用ではない)。
 
また、本機は[[掩体壕]](えんたいごう)に隠せるよう、外翼部を人力で上方に折り畳む事ができた。[[降着装置]]は前輪式であり、開発期間短縮と部品調達の合理化の為、前輪には爆撃機「[[銀河_(航空機)|銀河]]」の尾輪を、主輪には[[零式艦上戦闘機|零戦]]の主輪を流用している。(試作機では改良する時間が無かったためブレーキは零戦用のままだった。これが試験時の[[オーバーラン]]の原因となる)エンジンは低推力を補うために2基を主翼下に懸吊していた。エンジン推力が低い為、全備状態での離陸には、固体火薬式の離陸用補助ロケット2本を主翼下付け根に装備する必要があった。
 
[[ファイル:PG19-B.JPG|thumb|right|同時期に登場したP-80ジェット戦闘機の試作機XP-80A。機体形状は低翼ということ以外第二案に極めて近い]]
また大戦末期の[[ジュラルミン]]などの資材不足に対応した設計の為、なるべく[[合金|軽合金]]の使用を節約し、[[ブリキ]]や[[マンガン]]鋼などの鋼板・鋼材といった代替素材を多用しているのも特徴である。この資源節約は[[大日本帝国陸軍|陸軍]]の[[キ201 (航空機)|火龍]]の設計にも応用されることになる。また[[大量生産]]に適するよう、簡素化と生産工数削減を考慮し設計され、零戦の2分の1の生産工数で製作する事が出来た。
 
機体の製作は[[群馬県]]にある中島飛行機の[[中島飛行機小泉製作所|小泉製作所]]3階にある設計部で、松山健一主任の製作指揮の元に行われたが、[[ボーイング]][[B-29]]による大規模な空襲で工場は壊滅状態となった。橘花も、格納庫が被害を受けるが何とか無事であった。その後機体は空襲を避けるため工場から疎開し、現在の[[東武伊勢崎線]][[木崎駅]]付近にあった農家の[[養蚕]]小屋に分散して組み立てが行われた。試作機は[[1945年]](昭和20年)6月に完成し、エンジンの耐久試験もパスしたあと、飛行試験を行うため[[木更津飛行場|木更津基地]]に運ばれ、エンジンと機体が組み合わされた。
 
このころ[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、同国初のジェット戦闘機である[[ロッキード]][[F-80 (戦闘機)|P-80A]]の軍への引き渡しが始まっており、ようやく月産30機に達しようとしていたが、まだ実戦配備は全く進んでいない状況であった。なおアメリカと同じ[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の[[イギリス]]は、1944年(昭和19年)7月に[[グロスター ミーティア]]を実戦配備していた。
 
=== 初飛行 ===
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{{出典の明記|date=2019年3月|section=2}}
{| class="wikitable" style="text-align:center"
! 正式名称
! colspan="4" | 橘花改
|-
! 試作名称
| colspan="4" | 試製橘花改
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橘花以外のジェット航空機計画には、試作偵察機「[[景雲 (航空機)|景雲]]」にネ330を搭載してジェット化した攻撃機「景雲改」、ネ30(空技廠製)を搭載した陸上爆撃機「[[天河 (航空機)|天河]]」、また陸軍が計画したネ130もしくはネ230搭載の特殊戦闘機「[[キ201 (航空機)|火龍]]」があるが、これらも設計段階で終戦を迎えた。また、局地戦闘機「[[震電]]」にもネ130搭載によるジェット化の構想があったとされる。
 
他に特攻機として、ネ20を搭載する「[[桜花 (航空機)|桜花]]」三三型、四三、四三の計画があった。
 
ターボジェットではないジェット推進機としては、[[ツ11 (エンジン)|ツ11]][[モータージェット]]を搭載した「桜花」二二型と「[[秋花]]」、カ10[[パルスジェット]]を搭載する「[[梅花 (航空機)|梅花]]」、萱場一型[[ラムジェット]]を搭載する[[萱場製作所]]の私案「[[かつをどり (航空機)|かつをどり]]」の計画があった。うち桜花二二型と梅花は特攻機である。
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[[ファイル:Nakajima Kikka – NASM Udvar Hazy Center.jpg|thumb|300px|スティーブン F. ユードバー=ハジー・センターで展示されている橘花]]
[[ファイル:Nakajima Kikka (28273601306).jpg|thumb|300px|同上]]
[[スミソニアン航空宇宙博物館]]では復元された橘花が2016年よりから展示されているが、この橘花が発見され残存していた試作機2機及び組み立て中であった約23機のどれ由来であるかは未だに判明していない。
 
アメリカ海軍の記録によると1949年2月18日に[[パタクセント・リバー海軍航空基地]]の博物館に展示され、1960年9月2日にノーフォークからメリーランド州シュートランドにあるポール・E・ガーバー保管施設へ移された。その後博物館のスタッフは1961年3月13日に橘花をコレクションに加え復元を行い今現在はバージニア州シャンティリーにあるスティーブン F. ユードバー ハジーセンターのボーイング航空ハンガーにて公開されている。同博物館では橘花の性能を“one-way suicide mission”をベースとして、ネ20のサイズ及び出力から以下のように推定している。<ref>[https://airandspace.si.edu/ Smithsonian National Air and Space Museum]
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|-
! 離陸距離
| 離陸補助ロケットアシスト付き有りで1,150ft (350m)
|}
 
 
 
他にはポール・E・ガーバー保管施設に前胴、コックピット、後胴、両主翼と分解された状態で保管されている。前胴には赤ペンキで「2」と書かれていた。興味深いことに戦後に鹵獲接収され、米国本土に持ち込まれた試作2号機も同様「2」と書かれていた。このことから分解されている橘花は試作2号機の可能性が高い。だが書かれている位置、形が異なり、試作2号機とは断定できていない。
 
ネ20エンジンは世界で3基現存しており、その内2基はアメリカにある。この2基は戦間際に中島小泉製作所で製造され、橘花試作2号機に搭載された。戦後はアメリカ軍に鹵獲接収され、アメリカ本土の[[パタクセント・リバー海軍航空基地]]に輸送された。後に[[サンディエゴ海軍基地]]を経て、現在のポール・E・ガーバー保管施設で保管されている。1990年代は保管施設の薄暗い所にある棚最上段に2基、アルミ箔で包まれ、防錆油で茶色くなっていたものの良好な状態で保管されていた。2003年に[[スミソニアン航空宇宙博物館]]の別館が新設される計画が進められており、保管施設に眠っている旧いエンジンもそれに備えて、正規の台車に載せ替える作業が1997年頃に始まった。保管施設内には素性が不明確なエンジンも幾つかあり、各エンジンの素性調査も行なっていた。そんな中、ネ20も数十年ぶりに棚から下ろされ調査が始まった。調査の結果、ネ20エンジンである断定され、1基のフロントフレームには赤ペンキで「2」と書かれていた。興味深いことに戦後に小泉製作所にて橘花試作2号機を写した写真には、このエンジンと全く同じ位置、形で「2」と書かれていた。このことから保管施設にあったネ20は試作2号機に搭載されたエンジンである判明した。他には燃焼器ケーシングには英語で「パタクセント・リバー海軍航空基地からサン・ディエゴ海軍航空基地へ」と書かれていた。調査後は洗浄され、1基は新たに新設される別館に展示されることとなり、現在は[[ユンカース・ユモ004]]の隣に展示されている。「2」と書かれたエンジンは引き続き、ポール・E・ガーバー保管施設にて保管されている。
 
あと残る1基は日本国内に唯一現してあ在する。このエンジンは他の2基と同様に敗戦後に米海軍に鹵獲接収され、米国本土に輸送された。1945年秋から[[クライスラー社]]では米海軍との契約でXT-36-D2ターボプロップエンジンの開発に着手したが、ガスタービンの試験技術の習得のため海軍から2台2基のネ20が支給された。1台目のエンジン本体は[[アナコスティア]]の航空情報センターから支給され、また圧縮機とタービンホールは、ミドルタウンの航空補給処からライトフィールド経由で支給された2台目のエンジンから部品取りされたものである。1台目の圧縮機とタービンホールおよび2目のエンジンの残りの部品の行方は不明で、圧縮機は試験中に破損、ラックが多発したタービンホイールは破棄された可能性が高い。運転試験は実に11時間46分であった。報告書を書いた元[[クライスラー社]]技師は「ネ20は詳細設計から部品製作、制約的な開発、その間には極めて短時間における設計変更の適用を経て初飛行まで僅か7.5ヶ月という短期間で達成したことは、特筆に価する偉業であり、大いに誇るべきことである。」と述べている。[[クライスラー社]]の運転試験後は、[[ノースロップ工科大学]]に渡ったり、教材庫に保管された。1961年に[[舟津良行]]氏が同大学でジェットエンジンの整備の研修をしていた際に教材庫の片隅でネ20を発見し、エンジンドーリーや計器盤を製作して校庭でエンジン運転を試した。1973年10月に航空自衛隊入間基地にて国際航空宇宙ショーを契機に、このネ20を日本に返還、展示したいとのことで同氏が大学と交渉し、「永久無償貸与、返還要求なし」を条件で国際航空宇宙ショーでの里帰りと展示が実現した。ちなみに、この国際航空宇宙ショーではネ20と同様、[[四式戦闘機]]も返還を前提に展示飛行することが実現した。その後、ネ20は石川島播磨工業株式会社(現:[[IHI]])にて分解整備が行われ、とても良好な状態で保管していた。日本でもこのネ20を運転する考えがあったが、分解検査中にタービンに亀裂があることが判明し、断念せざるを得なかった。現在は[[IHI]]そらの未来館の目玉として適切に展示されている。パーツ全てオリジナルではなく、一部は[[クライスラー社]]での運転試験の際に取り付けられた米国製のパーツが存在すとなっている。
 
== 登場作品 ==
=== ゲーム ===
; 『[[War_Thunder]]』
: コンバットフライトシミュレーターゲーム。プレイヤーの操縦機体として、橘花が登場する(正確にはネ20改ターボジェットを装備しているので橘花改にあたるがゲーム内表記は橘花になっている。)。キツーカやキスカなどの誤変換導入があったが、2020年2月現在は橘花になっている。RB(リアリスティックバトル)などではブースターを使わないと離陸できない。
; 『[[Battlestations: Pacific|Battlestation:Pacific]]』
 : 隠し兵器として登場する。装備は30mm機関砲2門と250キロ爆弾。
; 『[[War_ThunderWar Thunder]]』
: コンバットフライトシミュレーターゲーム。プレイヤーの操縦機体として橘花が登場する(<ref group="注釈">正確にはネ20改ターボジェットを装備しているので橘花改にあたるがゲーム内表記は橘花になっている。)</ref>当初は名称が「Kitsuka(キツーカ)」「Kisuka(キスカ)」など変換導入があたものになっていたが、202020222月現在は「Kikka(橘花)」なっ修正されている。RB(リアリスティックバトル)などではブースターを使わないと離陸できない。
;『[[艦隊これくしょん -艦これ-]]』
:艦上運用可能の戦闘爆撃機「橘花改」として登場する。
;『[[鋼鉄の咆哮シリーズ]]』
:生産国「日本」を選んだ場合、艦載攻撃機として「橘花」と「橘花改」が使用可能になる。「橘花」は30mm航空機関砲と航空魚雷を装備、「橘花改」は全性能が上昇しており、20mm航空機関砲と空対艦ミサイルを装備している。
;『[[ブレイジングエンジェル2 シークレットミッション・オブ・WWII]]』
:プレイアブル機として使用可能。Me262と比較して性能は控えめになっている。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==
<!-- 関連するウィキリンク、ウィキ間リンク -->
{{Commons|Nakajima Kikka|橘花 (航空機)}}
* [[伊号第二九潜水艦]]
* [[メッサーシュミット Me262|メッサーシュミット Me 262]]
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== 外部リンク ==
{{Commons|Nakajima Kikka|橘花 (航空機)}}
* [httphttps://techonxtech.nikkeibpnikkei.co.jpcom/dm/article/NEWS/20081003/159133/ 国産初のジェット・エンジン「ネ20」をIHIが展示、日経BPnet, 2008年10月3日]
* [https://airandspace.si.edu/stories/editorial/history-japans-first-jet-aircraft スミソニアン航空宇宙博物館の橘花のページ]
* [httphttps://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/KIKKA/KIKKA.html 日本初のジェット機「橘花」]
* [http://www.b-b.ne.jp/kaigun/kikka/kikka.html 特攻機『橘花』--日本で初めて翔んだジェット機]
 
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[[Category:日本の軍用機]]
[[Category:中島飛行機の航空機]]
[[Category:大日本帝国海軍の航空機]]
[[Category:第1世代ジェット戦闘機]]