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== 概説 ==
事件は、ホラート・シャフイル山([[:en:Kholat Syakhl|Kholat Syakhl]]、{{ru|Холат-Сяхыл}}、[[マンシ語]]で「死の山」の意
当時の調査では、一行は摂氏[[氷点下|マイナス]]30度の極寒の中、[[テント]]を内側から引き裂いて裸足で外に飛び出した([[矛盾脱衣]])とされた。遺体には争った形跡はなかったが、2体に[[頭蓋骨]][[骨折]]が見られ、別の2体は[[肋骨]]を損傷、1体は[[眼球]]および[[舌]]を失っていた<ref name="osadchuk">{{cite news|url = http://www.sptimes.ru/story/25093 |title = Mysterious Deaths of 9 Skiers Still Unresolved |author = Svetlana Osadchuk |publisher = [[セントピーターズバーグ・タイムズ (ロシア)]] |accessdate =2008-02-28 |date = February 19, 2008 |url-status=dead |deadlinkdate=2024-06-16 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20080226101529/http://www.sptimes.ru/story/25093 |archivedate=2024-06-16}}</ref>。さらに何人かの犠牲者の衣服から、高い線量の[[放射性物質]]が検出された。
事件は人里から隔絶した山奥で発生し生還者も存在しないため、いまだに全容が解明されず、不明な点が残されている<ref name="guschin" /><ref name="matveyeva" />。当時のソ連の捜査当局は「抗いがたい自然の力」によって9人が死に至ったとし<ref name="guschin" />、事件後3年間にわたって、スキー客や探検家などが事件の発生した地域へ立ち入ることを禁じた<ref name="osadchuk" />。
ソ連を引き継いだ[[ロシア連邦]]の最高検察庁は2020年7月13日、雪崩が原因との見解を示した<ref name=sankei20200713>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/world/news/200713/wor2007130022-n1.html|title=
== 事件発生まで ==
[[File:Фото членов тургруппы Игоря Дятлова.jpg|thumb|ディアトロフ峠事件の犠牲者の慰霊碑]]▼
一行は男性8名女性2名からなり、[[スヴェルドロフスク州]]内のウラル山脈北部において[[スキー]]での[[トレッキング]]を計画していた。グループの多くはウラル科学技術学校 ({{ru|Уральский Политехнический Институт, УПИ}})、現在の[[ウラル工科大学]]の学生か卒業生だった。メンバーは次の通りである。
# イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ ({{ru|Игорь Алексеевич Дятлов}})、一行のリーダー、[[1936年]]1月13日{{Sfn|ドニー・アイカー|2018|p=329}}生まれ。
▲[[File:Фото членов тургруппы Игоря Дятлова.jpg|thumb|ディアトロフ峠事件の犠牲者の慰霊碑]]
# ジナイ
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# ユーリー(ゲオル
# ユーリー
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# ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン ({{ru|Юрий Ефимович Юдин}})、1937年
▲# ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン ({{ru|Юрий Ефимович Юдин}})、1937年[[7月19日]]生まれ、[[2013年]][[4月27日]]没<ref>{{cite news |title={{ru|Умер последний дятловец}} |author={{ru|Дарья Кезина}} |url=http://www.rg.ru/2013/04/28/reg-urfo/yudin.html |newspaper=[[Rossiyskaya Gazeta]] |date=27 April 2013 |accessdate=27 April 2013}}</ref>。
一行の最終目的地は、事件発生現場から北に約10[[キロメートル
ユーディンと別れたあと、生前の一行と遭遇した人間は現在に至るまで見つかっていない。ここから先の一行の行動は、最後のキャンプ地で発見された日記やカメラに撮影された写真などを材料に推定されたものである{{Sfn|ドニー・アイカー|2018|p=203}}。
{{要出典範囲|彼らはやがて誤りに気づいたが|date=2024-06-16}}、1.5キロメートルほど下方の森林地帯に入って風雪を凌ぐのではなく、何の[[シェルター|遮蔽物]]もない山の斜面にキャンプを設営することにした<ref name="osadchuk" />。木々の中でのキャンプ設営は容易だが、難ルートを踏破しトレッキング第3級の条件を満たす斜面での設営に決めたともされている。たった1人の生存者であるユーリー・ユーディンは一行の行動について「ディアトロフはすでに登った地点から降りることを嫌ったか、この際山の斜面でのキャンプ経験を積むことに決めたのではないか」と推測している<ref name="osadchuk" />。
== 捜索と発見 ==
一行が登山を終えてヴィジャイに戻り次第、ディアトロフが速やかに彼のスポーツクラブ宛に[[電報]]を送ることになっており、
残り4人の遺体を探すのにはさらに2か月を要した{{Sfn|ドニー・アイカー|2018|pp=342-354}}。残りの遺体は、ヒマラヤスギの木からさらに森に75メートル分け入った先にある渓谷の中で、4メートルの深さの雪の下から発見された。4人はほかの遺体よりまともな服装をしており、これはどうやら最初に亡くなったメンバーが、自分たちの服を残りの者たちに譲ったらしいことを示していた。ゾロタリョフはドゥビニナの人工毛皮のコートと帽子を被っており、同時にドゥビニナの足にはクリヴォニシェンコのウールのズボンの切れ端が巻かれていた。
== 捜査 ==
[[File:Dyatlov Pass incident 02.jpg|thumb|right|1959年2月26日、救助隊が発見したテントの光景。テントは内側から切開されており、一行のメンバーたちは靴下や裸足でテントから逃げ出していた。]]
最初の5人の遺体
5月に発見された4人の遺体の検死は事情が違った。彼らのうち3人が致命傷を負っていたのである。チボ=ブリニョールの遺体は頭部に大きな怪我を負っており、ドゥビニナとゾロタリョフの両名は肋骨をひどく骨折していた{{Sfn|ドニー・アイカー|2018|pp=270-271}}。ボリス・ヴォズロジデンヌイ博士 (Dr. Boris Vozrozhdenny) は、このような損傷を引き起こす力は非常に強いものであり、[[交通事故]]の衝撃に匹敵するとしている。特筆すべきは、遺体は[[外傷]]を負っておらず、あたかも非常に高い圧力を加えられたかのようであったことと、ドゥビニナが舌を失っていたことであった<ref name="osadchuk" />。当初、[[先住民]]の[[マンシ人]]が、彼らの土地に侵入した一行を襲撃して殺害したのではないかとする憶測も流れたが、現場に一行の足跡しか残っておらず、至近距離で争った形跡がないという状況から、この説は否定された<ref name="osadchuk" />。▼
▲最初の5人の遺体が発見された直後、[[死因審問]]が始められた。[[検死]]の結果、5人は死に直接結びつく怪我は負っていなかったことがわかり、5人全員の死因が[[低体温症]]であることが判明した。スロボディンは頭蓋骨に小さな亀裂を負っていたが、これが致命傷になったとは考えられなかった。
▲5月に発見された4人の遺体の検死は事情が違った。彼らのうち3人が致命傷を負っていたのである。チボ=ブリニョールの遺体は頭部に大きな怪我を負っており、ドゥビニナとゾロタリョフの両名は肋骨をひどく骨折していた。ボリス・ヴォズロジデンヌイ博士 (Dr. Boris Vozrozhdenny) は、このような損傷を引き起こす力は非常に強いものであり、[[交通事故]]の衝撃に匹敵するとしている。特筆すべきは、遺体は[[外傷]]を負っておらず、あたかも非常に高い圧力を加えられたかのようであったことと、ドゥビニナが舌を失っていたことであった<ref name="osadchuk" />。当初、[[先住民]]の[[マンシ人]]が、彼らの土地に侵入した一行を襲撃して殺害したのではないかとする憶測も流れたが、現場に一行の足跡しか残っておらず、至近距離で争った形跡がないという状況から、この説は否定された<ref name="osadchuk" />。
気温が摂氏マイナス25度から30度ときわめて低く、嵐が吹き荒れていたにもかかわらず、遺体は薄着だった。彼らの内の何人かは片方しか靴を履いておらず、同時にその他の者は靴を履いていなかったか、靴下しか履いていなかった。何人かの足は、先に亡くなった者の衣服を引き裂いたらしい衣服の切れ端で巻かれていた。低体温症による死亡のうち、20%から
=== 事件の原因 ===
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一方で、雪崩は傾斜30度以上で発生することが多く、この一帯は傾斜15度で雪崩の起こりやすい地域ではないという主張はある<ref name="Curious World Q&A">{{cite web|title=Dyatlov Pass – Some Answers|url=http://www.aquiziam.com/dyatlov_pass_answers.html|work=Curious World|publisher=Curious Britannia Ltd.|accessdate=1 September 2012|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121004234442/http://aquiziam.com/dyatlov_pass_answers.html|archivedate=2012年10月4日|deadlinkdate=2017年9月}}</ref>。捜査当局がキャンプ地から続く足跡を見たことは、雪崩説を否定する根拠になる。さらに彼らから放射線が検出された謎や、遺体から眼球や舌が喪失していた点も雪崩だけでは解明できない。
[[ジャーナリスト]]ら{{誰|date=2024-06-16}}は、入手可能な死因審問の資料の一部が、次のような内容であると報告している。
* 一行のメンバーのうち、6人は低体温症で死亡し、3人は致命的な怪我を負って死亡した。
* 9人以外に、ホラート・シャフイル山にほかの者がいた様子も、その周辺地域に誰かがいた様子もなかった。
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==== 事件を巡る議論 ====
研究者の中には、捜査当局が以下のような事実を見落としたか、意図的に無視したと主張している者もいる{{誰|date=2024-06-16}}。
* のちに[[エカテリンブルク]]に拠点を置くディアトロフ財団(下記参照)の理事長となる、当時12歳のユーリー・クンツェヴィチ ({{ru|Юрий Кунцевич}}) は、一行のメンバーたちの葬式に出席しており、彼らの肌の色が「濃い茶褐色」になっていたと回想している<ref name="osadchuk" />。
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* 一部の報告は、軍がこの地域を(何らかの目的で)密かに利用し、そのことの隠蔽に取り組んできたのではないかという憶測につながる大量の金属くずが、この地域に置かれていたことを示唆している。
* ディアトロフ一行の最後のキャンプ地は、[[バイコヌール宇宙基地]](ここから、R-7大陸間弾道ミサイルの試験発射が何度か行われた)から、[[ノヴァヤゼムリャ]]のチェルナヤ・グバ(ソビエト連邦内の主要な[[核実験場]]だった)に直接通じる道の途上に位置していた。
* テント内に残されたカメラのフィルムが現像された。彼らの姿を映したものが多数を占めたが、最後の1枚が判別不可能ながら「光体」のようなものであった{{Sfn|ドニー・アイカー|2018|pp=247-248}}。
*アメリカの[[ドキュメンタリー映画]]監督
== その後 ==
1967年、スヴェルドロフスク州の[[著述家]]でジャーナリストのユーリー・ヤロヴォイ ({{ru|Юрий Яровой}}) は、この事件にインスピレーションを受けた小説『最高次の複雑性 (''Of the highest rank of complexity'', ''{{ru|Высшей категории трудности}}'')』<ref>{{ru|Яровой Юрий: ''Высшей категории трудности'', Средне-Уральское Кн. Изд-во, Свердловск}}, 1967 (Yarovoi, Yuri: ''Of the highest rank of complexity'', Sredneuralskoye knizhnoye izdatelstvo, Sverdlovsk, 1967) {{Verify credibility|date=April 2009}}</ref>を出版した。ヤロヴォイはディアトロフ一行の捜索活動や、捜査の初期段階において公式[[カメラマン]]として関与しており、事件に対する見識を有していた。小説は事件の詳細が秘匿されていたソビエト時代に書かれ、ヤロヴォイは当局の公式見解以外のことや、当時すでに広く知られていた事実以外のことを書くことは避けた。小説は現実の事件と比較すると美化されており、一行のリーダーだけが死亡する結末など、よりハッピーエンドになるよう書かれている。ヤロヴォイの知人によると、彼はこの小説の別バージョンをいくつか書いたようであるが、いずれも[[検閲]]で出版を拒否された。1980年に彼が亡くなって以降、彼の持っていた写真や原稿などの資料はすべて失われてしまった。
1990年になると、事件の詳細の一部が出版物やスヴェルドロフスク州の地元メディアで公にされるようになった{{citation needed|date=April 2012}}。そうした最初の出版物の著者の1人が、アナトリー・グシチン ({{ru|Анатолий Гущин}}) である。グシチンは、死因審問のオリジナルの資料を調査し出版物に使うことに、警察当局が特別許可を出したと報告している{{citation needed|date=April 2012}}。彼は、事件の物品目録の中で言及されていた謎の「エンベロープ (envelope)」などに関する多数のページが、資料から消されていたことに気づいた。同じころ、いくつかの資料のコピーが、ほかの非公式な研究者の間に出回り始めた{{citation needed|date=April 2012}}。グシチンは、著書『国家機密の価値は、9人の生命 (''The Price of State Secrets Is Nine Lives'', ''{{ru|Цена гостайны – девять жизней}}'')』の中で、調査結果をまとめている<ref name="guschin">{{ru|Гущин Анатолий: ''Цена гостайны – девять жизней'', изд-во "Уральский рабочий", Свердловск}}, 1990 (Gushchin Anatoly: ''The price of state secrets is nine lives'', Izdatelstvo "Uralskyi Rabochyi", Sverdlovsk, 1990){{Verify credibility|date=April 2009}}</ref>。一部の研究者は、この本の内容が「ソビエト軍の秘密兵器実験」説に入れ込み過ぎていると批判したが、本は[[超常現象]]への関心を刺激し、公の議論を沸き起こした。実際、30年間口を閉ざしていた人々が、事件に関する新たな事実を報告したのである。
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== 事件を扱った作品 ==
=== ノンフィクション ===
* [[:en:Donnie Eichar|Donnie Eichar]] ''"Dead Mountain: <small>The Untold True Story of the Dyatlov Pass Incident</small>"'' Chronicle Books, 2014年10月
** 『死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』ドニー・アイカー著、安原和見訳、[[河出書房新社]]、2018年8月
=== 小説 ===
* アレック・ネヴァラ=リー (Alec Nevala-Lee) の2012年の小説『''City of Exiles''』の中では、事件が重要な位置を占めているという設定である<ref>{{cite web|url=http://www.publishersweekly.com/978-0-451-23878-8|title=City of Exiles|publisher=Publishers Weekly|accessdate=February 2013}}</ref>。
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== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{reflist|30em}}
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|title=死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相 |author=ドニー・アイカー |translator=安原和見 |publisher=河出書房新社 |year=2018 |origyear=2014 |isbn=9784309207445 |ref=harv}}
{{参照方法|date=2024-06-16|section=1}}
* McCloskey, Keith ''Mountain of the Dead: The Dyatlov Pass Incident'' (The History Press Ltd, 1 July 2013, ISBN 978-0-7524-9148-6)
== 外部リンク ==
{{外部リンクの注意|section=1}}
{{Commons category}}
* [http://otorten.ru/otorten-karta-kilometrovka.html Map sheet of the Dyatlov Pass region (sheet P-40-83,84) scale 1:100000] {{ru icon}}
* [
* [http://infodjatlov.narod.ru/fg4/index.htm Complete photo gallery including search party photos] {{ru icon}}
* [http://www.skitalets.ru/works/2004/legend_sobolev/index.htm Some photos and text]{{リンク切れ|date=2020年7月}} {{ru icon}}
* [http://fotki.yandex.ru/users/aleksej-koskin/view/298590/?page=0 Photo gallery including: party photos, photos of some investigator's documents including termination of criminal case act] {{ru icon}}
* [http://skeptoid.com/episodes/4108 ''Mystery at Dyatlov Pass – A look at one of the most bizarre cases in Russian cross country skiing history''
* [http://www.aquiziam.com/dyatlov_pass_1.html The Dyatlov Pass Accident]{{リンク切れ|date=2020年7月}}
* [http://www.ermaktravel.com/Europe/Russia/Cholat-%20Syachil/Kholat%20Syakhl.htm EErmaktravel.com article on the incident, part of series of "spooky" sites]{{リンク切れ|date=2020年7月}}
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