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当時、[[日本放送協会|NHK]]も含めテレビ局のアナウンサーはニュースや天気を読むことが中心であり、バラエティ番組に出演することは滅多になかった<ref group="注">本番組以前、局の女性アナウンサーがバラエティ番組にレギュラー出演していた例としては、『[[ばらえてい テレビファソラシド|テレビファソラシド]]』([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])があるほか、本番組と同時期に放送していた『[[タモリ倶楽部|夕刊タモリ!こちらデス]]』([[テレビ朝日]])では、当時テレビ朝日アナウンサーの[[迫文代]]が[[タモリ]]とコントを演じていた。</ref>。だが、このコーナーに局の女性アナウンサーが出演したことで、その後の女子アナウンサーのタレント化に先鞭をつける形となった。加えて、山村や寺田はこれが縁でレコードデビューも果たしている。
 
また、紳助の司会者としての基礎を築いたコーナーでもあり、後に紳助は『[[歌のトップテン]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)において[[和田アキ子]]と二人で、本物の歌謡ランキング番組の司会者に起用されている。さらに、紳助と同じ当番組のレギュラー出演者で、同コーナーにもほぼ毎回登場した[[コント赤信号]]の[[渡辺正行]]は、『ザ・ベストテン』の[[ザ・ベストテン#司会|4代目司会者]]へ正式に抜擢されたほか、後年同じくTBS系にて放送された音楽番組『[[突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100]]』の司会を[[山田邦子]]と共に務めた<ref group="注">奇しくも本番組と同じ土曜20時台の放送(放送一方、当時の裏番組フジテレビで『[[マジカル頭脳パワー!!]]』、同時間帯に『[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!!]]』、『[[暴が放送さん坊将軍]]』ていた)。</ref>。そして[[片岡鶴太郎]]は、『ザ・ベストテン』放映末期の1989年7月27日に「今週のスポットライト」コーナーへ唯一の生出演を果たし、『思いの丈で…』を歌唱披露していた
 
そしてなお長野はフリー転向後、『ザ・ベストテン』番組終了後の1991年3月から約1年間放送された『[[ザ・ベストテン#番組終了後(特番など)|思い出のベストテン]]』(TBS系)の司会役を担当。その他、1991年10月に[[特別番組]]で放映の『今夜だけ!ご本家復活ザ・ベストテンスペシャル』と、同年12月に[[特別番組|特番]]放送の『総決算!ザ・ベストテン1991年末スペシャル』(共にTBS系)でも長野は、同番組レギュラーの山田邦子と共に司会を務めていた。
 
スタート当初こそ、レギュラーの出した曲でランキングを形成し、[[スクールメイツ]]の代わりに[[東京花柳社中]]を使うなどの忠実なパロディであったが、途中からレギュラーによる歌真似([[片岡鶴太郎]]による[[近藤真彦]]、山田邦子による[[松任谷由実]]、[[松尾伴内]]による[[五輪真弓]]など)と、一般タレントやゲスト芸人を普通に登場させツッコミも無しに歌を歌わせる([[稲川淳二]]による[[西城秀樹]]、[[坂田利夫]]による[[田原俊彦]]、[[ウイリー沖山]]による[[吉川晃司]]等)事が中心になった。「[[西川のりお]]とフラワーダンシングチーム」(安全ヘルメットに革靴、海パン一丁)が初登場した1983年以降はゲストが歌っている最中に驚かせたり笑わせる、といったのが定番となっていた。フラワーダンシングチームが「すもうダンサーズ」に変身した以降も、「バレリーナ団」や「ちょうちんブルマーズ」、[[片岡鶴太郎]]らが[[獅子てんや・瀬戸わんや|瀬戸わんや]]に扮した「ピヨコ隊」(アヒル型衣装)など、基本的な系統は引き継がれた。西川のりおがひょうきんベストテンで毎週出るようになったのは、フラワーダンシングチームが結成されてからである。本物の歌手も数組登場していたが、中には本家に殆ど出演したことのない歌手([[イエロー・マジック・オーケストラ]]、[[オフコース]]、[[EPO]]等)が登場したこともあり話題となった。なお、オープニングのテーマ曲には「WITH THE FORCE OF NATURE」([[高橋達也]]と東京ユニオン)が使われた<ref group="注">DVD版では、著作権法上の都合でメロディーが少し異なる類似曲に差し替えられている。</ref>。
 
セットや鏡張りの回転扉、1位になった歌手に対する[[紙吹雪]]([[風船]]はない)での祝福も再現されていたが、ランクインした“歌手”が出演しない場合は、笑い屋の笑い声をバックに猛スピードで回される扉と扉を回すスタッフの手が映ったほか、天井から「紙雪崩」とでも言うべきほどの大量の紙吹雪が降り注いだ<ref group="注">因みに本家『ベストテン』ではスタジオに1位の歌手が直接出演した場合、天井に吊るされた[[くす玉]]を本人が自ら割って祝福していた。</ref>。
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==== ネタ一覧 ====
{{雑多な内容の箇条書き|date=2009年7月|section=1}}
ここでは一部を紹介する。ネタの中には演者が何人も変わっており番組内で「何代目〜」と呼ばれており()内に記した
*片岡鶴太郎:近藤真彦(初代)、[[吉田拓郎]]、[[小林旭]]、[[たこ八郎]]、[[浦辺粂子]]、[[井上陽水]]、[[芦屋雁之助]](2代目)、[[坂上二郎]]、[[千昌夫]]、[[渡哲也]]、[[CHAGE]](松尾伴内と)、[[萩原健一]]、[[殿さまキングス]]、[[小田和正]](2代目)、[[具志堅用高]]、ピヨコ隊隊長([[獅子てんや・瀬戸わんや|瀬戸わんや]]をモチーフ)、[[チェリッシュ (歌手グループ)|チェリッシュ]](山田邦子と)、[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]、[[光GENJI]]
**鶴太郎の近藤のマネは、モノマネを担当する演者の人選をしていたスタッフがある時何となく司会の山村に意見を求めたところ、彼女が鶴太郎の名を挙げたことで決まった{{Refnest|group="注"|ディレクターの荻野繁から「鶴太郎さんと若人あきらさんにマッチの格好させて歌わせるならどっちがいい?」と聞かれた山村は、新人時代に鶴太郎と共演歴があったという理由だけで、特に深く考えずに彼の名を挙げると起用に繋がった<ref>週刊ポスト2021年6月4日号「オレたちひょうきん族」40年目の真実 p144</ref>。}}。鶴太郎のこのモノマネは当初一回だけの予定<ref group="注">鶴太郎は「マッチより10歳も年上だし、ルックスはどこも被っていないのに」と不安に思いながらも、3日間で「ギンギラギンにさりげなく」を覚えて本番に望んだ。</ref> だったがウケがよかったことから、そのまま持ちネタの一つとなった<ref name="ReferenceA">週刊ポスト2021年6月4日号「オレたちひょうきん族」40年目の真実 p141-143</ref>。
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*[[大平サブロー|太平サブロー]]:[[井上陽水]]、[[横山やすし]]、[[浜村淳]]、[[人生幸朗・生恵幸子|人生幸朗]]、[[夢路いとし]]、[[笑福亭鶴瓶]]、桂三枝(現・[[桂文枝 (6代目)|六代目桂文枝]])、[[松方弘樹]]、[[月亭可朝]]、[[岡村孝子]]([[あみん]])、[[五木ひろし]]、光GENJI
*[[大平シロー|太平シロー]]:[[西川きよし]]、[[萩本欽一]](2代目)、芦屋雁之助(初代)、[[喜味こいし]]、[[ぴんから兄弟]]、[[大屋政子]]、[[板東英二]]、[[中村雅俊]]、[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]、[[テレサ・テン]]、[[古手川祐子]]、[[本田美奈子.|本田美奈子]]、[[山本リンダ]]、[[デーモン閣下|デーモン小暮]]、[[藤圭子]]、[[木村一八]]、加藤晴子(あみん)、[[高橋真美]](伊丹幸雄・渡辺めぐみと[[わらべ]])、光GENJI
*西川のりお:[[沢田研二]]、[[シャネルズ]](赤信号と)、[[瀬川瑛子]]、[[狩人]](ぼんちおさむと)、[[ビリーバンバン]](同)、[[ヒデとロザンナ]](同)、[[光GENJI]](同)、[[オバケのQ太郎]]、[[鉄腕アトム]]、[[琵琶法師]]、[[ダッコちゃん]]人形、のりPマン、[[ジョン・レノン]]、[[少年隊]](同)筑波山麓合唱団
**オバケのQ太郎のマネは、ひょうきんメンバーとマイケルジャクソンの「スリラー」をやる時に、のりおが全身白塗りにされたことがきっかけ{{Refnest|group="注"|白塗りのまま出番まで棺桶に入るよう指示されたのりおは、中に閉じ込められたままイライラが募り、曲の最後でやっと蓋が開いた直後カメラに向かって「バカぁ」と言ったのがウケたのが始まり。ちなみにのりおは「ひょうきんベストテン」でマネをするまで、原作漫画やアニメを一度も見たことがなかったためオバケのQ太郎というキャラを知らなかった<ref name="ReferenceA"></ref>。}}。
*ぼんちおさむ:[[玉置浩二]](初代)、[[柴田恭兵]]、[[村田英雄]](2代目)、[[細川たかし]](3代目)、[[狩人]](西川のりおと)[[ビリーバンバン]](同)、[[ヒデとロザンナ]](同)、光GENJI(同)、[[森田健作]]、[[矢沢永吉]]、少年隊(同)筑波山麓合唱団
*コント赤信号:[[シャネルズ]](のりおと)、[[シブがき隊]]、[[一世風靡セピア]](ヒップアップ・ラッシャー板前と)、[[ザ・タイガース]]、[[ザ・ビートルズ]](西川のりおと)、[[細野晴臣]]・[[坂本龍一]]・[[松武秀樹]](島崎俊郎と)
**渡辺正行:[[石原裕次郎]](2代目)、[[利根川裕]]、[[大橋巨泉]]、吉川晃司(3代目)
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*[[ヒップアップ]]:[[イモ欽トリオ]]、[[ブッシュマン]]、[[THE ALFEE]]、[[一世風靡セピア]](赤信号・ラッシャー板前と)、[[アリス (フォークグループ)|アリス]]
**[[島崎俊郎]]:[[来生たかお]]、中村雅俊の影、[[アントニオ猪木]]、[[佳山明生]]、[[高橋幸宏]](赤信号と)、[[川口浩 (俳優)|川口浩]]、[[スティービー・ワンダー]]、[[いかりや長介]]、[[牧伸二]]、[[佐藤B作]]、[[中山美穂]]、[[スーダラオヤジ]]
**[[川上泰生]]:[[上田馬之助]]、[[岸部シロー]](のりおよしお、小林とザ・タイガース)、[[清水善三]]、[[モーツァルト]]、筑波山麓合唱団
**[[小林すすむ|小林進]]:[[タイガーマスク]]、[[加橋かつみ]](上記の川上同様、タイガースとして)、[[諸星和己]](紳助、石井らと光GENJI)筑波山麓合唱団
*[[ウガンダ]]:[[岩崎宏美]]、[[河合奈保子]]、[[琴風豪規]]、[[マイケル・ジャクソン]]、[[三波伸介 (初代)|三波伸介]]、[[小錦八十吉 (6代)|小錦八十吉]]、[[エルビス・プレスリー]]、[[ジョン・トラボルタ|ジョン・虎ボルタ]]、[[荻野目洋子]](2代目)、光GENJI
*[[松尾伴内]]:[[見栄晴]]、[[吉川晃司]](初代)、[[ASKA]](鶴太郎と)、[[五輪真弓]]、[[武田鉄矢]](2代目)、[[財津和夫]]、荻野目洋子(初代)、[[山下達郎]]、筑波山麓
*[[上方よしお]]:[[もんたよしのり]]、[[岸部修三]](のりお、ヒップアップ川上・小林とザ・タイガース)、[[萩原健一]]
*力也(安岡力也):[[小西博之]]、[[上田正樹]]、五木ひろし(初代)
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*[[伊丹幸雄]]:[[高部知子]](わらべ)、[[西城秀樹]](初代)
*[[渡辺めぐみ]]:[[倉沢淳美]](同)
*[山内百恵:[[柏原芳恵]]
*[[大竹まこと]]([[シティーボーイズ]]):上田正樹(さんまらと共演)
*稲川淳二:上田正樹(同上)、西城秀樹(2代目)
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*寺田理恵子:[[小林明子]]
*浅川奈月:小泉今日子<ref group="注">子役の為スポーツに挑戦する時、下半身に大人が入り首だけが浅川というパターンだった。</ref>
**小泉が童顔と言う理由で実際の子役にやらせた。
*襲名型の(何代目〜と呼ばれる)ネタ
**[[オール巨人]]:田原俊彦(初代)、岸部シロー
**松本竜介:田原俊彦(2代目)
**[[でんでん]]:田原俊彦(3代目)
**[[佐渡稔]]:田原俊彦(4代目)
**坂田利夫:田原俊彦(5代目)、[[さだまさし]]、テレサ・テン(2代目)
**[[轟二郎]]:近藤真彦(2代目)
**[[間寛平]]:近藤真彦(3代目)
**[[ジミー大西]]:近藤真彦(4代目)
**[[春やすこ]]:[[松田聖子]](初代)、[[ヴィーナス]]
**[[松金よね子]]:松田聖子(2代目)、[[斉藤由貴]]
**[[清水よし子]]:松田聖子(3代目)
**[[若井小づえ]]:松田聖子(4代目)、中森明菜(4代目)、荻野目洋子(3代目)、原田知世(3代目)、[[工藤静香]](初代)
**ミルク([[クルミ・ミルク]]):薬師丸ひろ子(初代)
**[[あめくみちこ]](天久美智子):[[薬師丸ひろ子]](3代目)
**[[清水クーコ]]:[[高樹澪]]、中森明菜(初代)、都はるみ(初代)
**[[可愛かずみ]]:中森明菜(2代目)
**[[松本明子]]:中森明菜(3代目)
**[[岡本麗]]:欧陽菲菲(2代目)
**[[月亭八方]]:[[村田英雄]](初代)
**[[島田洋七]]:細川たかし(初代)
**[[ビートきよし]]:[[大川栄策]]、[[矢沢透]]、[[細川たかし]](2代目)、五木ひろし(2代目)
**[[高田純次]]:風見しんご(初代)、[[梅沢富美男]]、[[ヒロシ&キーボー]]のヒロシ、[[舘ひろし]]
**[[コロッケ (タレント)|コロッケ]]:玉置浩二(2代目)、長渕剛(2代目)
**[[野沢直子]]:[[菊池桃子]](初代)
**[[ダンプ松本]]:菊池桃子([[ラ・ムー (バンド)|ラ・ムー]]名義)(2代目)
**ウイリー沖山:吉川晃司(2代目)
**[[悪役商会]]:[[チェッカーズ]](2代目)
*これ以外にも、レギュラー陣が歌を発表した際はこのコーナーで披露された(ビートたけし『[[抱いた腰がCHACHACHA]]』、明石家さんま『[[いくつもの夜をこえて]]』・『[[真っ赤なウソ]]』・『[[蒼いタメイキ]]』、明石家さんま・島田紳助『[[い・け・な・い・お化粧マジック]]』、片岡鶴太郎『[[IEKI吐くまで]]』、『[[酔うほどに・・・]]』など)。なかでもビートたけしの『[[いたいけな夏]]』のVTRはレギュラー陣に「一番面白い」と評されるなど、伝説になっている。また、ビートきよし、松本竜介、島田洋八の3人で結成された「'''うなずきトリオ'''」が歌った『'''うなずきマーチ'''』([[大瀧詠一]]プロデュース)などは特に有名である。このほか、1983年3月26日の回で司会役の山村も自身の曲『Be Smiling』 <ref>ゴールデン洋画劇場で『コイサンマン』テレビ初放送記念で作ったタイアップソング</ref>がランキング1位となり歌唱しているが、自ら曲名を発表するとミラーゲートへ一旦退場したのち再登場し祝福の紙吹雪を受けるという自画自賛ぶりに呆れた紳助から「経費節約か!」「[[三重県]](山村の地元)の組織票やないか!」と散々突っ込まれていた。
*後期になると、ろくに歌も歌わずコントになる場合も多くなった(特にアホの兄弟など)。
*1986年10月頃から笑い声が無くなり、現場での生の笑い声のみが残るようになった。
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* オープニングのBGMは当初、[[グスターヴ・ホルスト]]の[[惑星 (組曲)|「惑星」]]の第4曲「木星」<ref group="注">エンディングでも〆の部分を使用していた(変更後も引き続き使用)。なお本番組以前、当時フジテレビ系列で本番組をネットしていた[[山形テレビ]](現:テレビ朝日系列)が、[[YTSニュース|自社のスポットニュース]]のテーマ曲に使用していたことがある。</ref>が使われていたが、のちに[[テレタイプ端末]]の打ち込み音と[[モールス信号|モールス信号音]]の混声に簡略化された。
* キャスターが初代から2代目の途中までは独立したコーナーであり、「ひょうきんベストテン」や「タケちゃんマン」と同じくらいの時間を割いて放送していた。コーナータイトルの後に必ず『'''このニュースはすべてデッチ上げのニュースです。見終わった後すぐに忘れて下さい。'''』という旨の字幕が流れたのち、暗転していたスタジオの照明が一斉に点灯し、キャスター2人が映し出されて本編に入っていた<ref group="注">当時のニュース番組などでよく見られた演出に倣ったもの。なおエンディングはスタジオを暗転して締め括っていた。</ref>。
* このコーナーの構成作家は高田文夫で、高田曰く『ひょうきん族』で最初に作られたコーナーであり、番組立ち上げ前に吉本興業から「さんまは番組スタートを機に東京へ移住させて売り込むつもりだ。どんなコーナーでもいいから彼を顔役メインにしたコーナーを用意してほしい。」と頼まれ、さんまは番組後半終盤の顔役、ひょうきんニュースの人として地道に東京での知名度を高める作戦だったが、「タケちゃんマン」で明石家さんまのブラックデビルが定着した後はスポットニュースのように、コーナー内で随所に挟み込まれる形になった。
 
=== うなずきトリオ ===
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芸人がプロレスラーに扮し、本物のプロレスのリングで闘うという、不定期コーナー。景山民夫(=フルハム三浦(後述))が大根で殴られ骨折したり、オール阪神(=ミスター・タイガー(後述))が股裂きにあい、股を切るなど出演者が本当に体を張って演じた。
 
初期の柱は、アントニオ・紳助&ストロング・うなずき(竜介)とシャープ兄弟(ミスター・タイガー&ミスター・ジャイアント=阪神・巨人)という二大タッグチームによる、「HWA世界ひょうきんタッグ選手権」をめぐっての抗争劇だった。無敵を誇る紳助組に、悪玉のシャープ兄弟がその打倒に執念を燃やすといった図式で、初戦竜介が持ち前の運動神経を生かし、飛びつき回転エビ固めを決めて紳助組が勝利(その際に前述の「股裂け」事件が起きた)、執念の末に得た再戦では大流血戦の末リングアウトでシャープ兄弟が勝利、そしてその決着戦は、[[大阪府立体育会館]]で行われた[[全日本女子プロレス]]の実際の大会を間借りする形で行われた(結果は紳助組のタイトル奪還)。コーナー自体は全日本女子プロレス興業の協力を仰ぎ、当時フジテレビが放映した「[[全日本女子プロレス中継]]」のスタイルを踏襲していた。実況は「全日本女子プロレス中継」のメインアナでもあった[[志生野温夫]]が務めた<ref group="注">後年、志生野は『[[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]]』の1コーナー「異種格闘技戦・格闘王への道」や『[[めちゃ×2イケてるッ!]]』の1コーナー「格闘女神MECHA」、TBS『[[王道バラエティ つかみはOK!]]』の」お子様プロレスリングアワー」でも実況を担当している。</ref>。またごく初期には、後に実際の女子プロレスで「極悪レフェリー」として名を馳せた[[阿部四郎]]がレフェリー兼リングアナを務めていた。
 
その後は、実際のプロレスの忠実なパロディとなり、島崎が[[アントニオ猪木]]、鶴太郎が[[タイガー・ジェット・シン]]、さんまが[[藤波辰爾|藤波辰巳]]に扮するなどした。<!--この他には、オール巨人がハルク・ホーガン、オール阪神がスタン・ハンセン、渡辺正行がラッシャー木村、西川のりおがフレッド・ブラッシー、小林進(?)がタイガーマスク(初代)、紳助がジャンボ鶴田、竜介が天龍源一郎など-->一時は[[新日本プロレス]]の協力を仰ぎ、[[ドン荒川|荒川真]]扮する[[力道山]]や[[永源遙]]扮する[[沖識名]]レフェリー等、必ず[[日本プロレス]]時代に活躍したレスラー(のパロディ)が登場した。この時期は志生野アナ(前述)だけでなく、[[山中秀樹]]{{R|fujiana|group="注"}}が実況を担当したこともある。また、紳助扮する「ふるい立ち伊知郎」が実況を、たけし扮する「大山マスタチ」なる武道家、違うスポーツの解説者であった[[ドン川上|川上哲治]]、[[プリティ長嶋|長嶋茂雄]]が務めたりした。
 
フリーとなった[[古舘伊知郎]]が、謎の覆面実況アナウンサー「[[宮田輝|ミヤタテル]]・[[テルアビブ|アビブ]]」(しばらく後「ふるい立ち伊知郎」と改名=正確には2代目)として登場した前後には、コーナーの方向性が大きく変わり、社会ネタのパロディが中心となった。[[景山民夫]]が[[フルハム三浦]](当時盛んに騒がれた[[ロス疑惑]]の[[三浦和義]]がモデル<景山が三浦にそっくりとよく言われていた。><!--「フルハム」とは当時の夫人が経営していたスナック「フルハムロード」から-->)のリングネームで登場し、高田文夫のジミー江古田(モデルは[[ジミー佐古田]])<!--ロス疑惑当時、この事件の捜査官を務めたロサンゼルス検事局の検事-->やグレート義太夫扮するジャーナル中江(同じく義太夫にそっくりだった[[投資ジャーナル事件]]の[[中江滋樹]]がモデル)と闘ったり、タイガー・ジェット・[[おしん]]なるレスラー(竜介)<!-- 鶴太郎は前述のとおり、タイガー・ジェット・シン。 -->が登場した。この時期に解説を務めたのは、たけし扮する審判部長「ジャマモト・コタツ」([[山本小鉄]]のパロディ)で、「フジテレビ内部抗争」として行われた[[三宅恵介|デタガリ三宅]]VS.[[小林豊 (実業家)|ブッチャー小林]]戦においては、『[[森田一義アワー 笑っていいとも!|笑っていいとも!]]』憎しとばかりに試合に割って入りながら、[[ナンデスカマン]]の乱入を逆に呼び込んでしまい、最終的に「審判部長がフォール負けするという四次元的な結果」(ふるい立ち伊知郎・談)を残したこともある。
 
一度プロレスのリングの都合がつかず、仕方がなくボクシングのリングで収録したことがある。外見は似ているがマットの構造が異なり、弾まず硬いマットに演者は苦痛の表情を見せた。
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=== ひょうきんCM ===
* 初期
'''カメラのひょうきん'''、'''ひょうきんゴルフ'''、'''サウナひょうきん'''、'''ひょうきんローン'''等のローカル風CMをやっていた。出演は横澤プロデューサーやひょうきんディレクターズ他スタッフによるもの。この種類は[[タイムCM]]の時間帯に入れ本当のCMであるかのように流していた。
* 中期以降
1983年後半 - 1986年初頭は当時の人気CMのパロディとなった。こちらも担当ディレクターが多数出演しているものも多い。また、商品のかわりに、'''ひょうきん族の台本'''が出ていた。[[横澤彪]]の項目にあるとおり裏番組を茶化したものまであった。
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=== ひょうきん日本語講座→ひょうきん日本語講座 応用編 ===
1985年2月スタート。進行は[[本間淳子]]アナ(当時・フジテレビアナウンサー){{R|fujiana|group="注"}}。芸能界で使われる[[ズージャ語]]や、[[浦辺粂子]]風の老人言葉の会話を、様々なシチュエーションを通して学ぶコーナー。「応用編」では、いろいろなシチュエーションでの男女の駆け引きにおける本音と建前を解説を交えて実演する。
 
===在日外国人のための「日本のお作法」講座===
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=== ひょうきんチャレンジ大相撲 荒瀬をつぶせ!! ===
1985年6月22日放送。当時既に現役引退してタレントとして活動していた[[荒勢永英|荒勢]]を迎え、男性レギュラメンバーと相撲対決を行う。行司は、「東西お笑い大合戦」のコーナーMCだったナンシー邦。
 
=== 今週の思いつき小細工 ===
1985年夏頃に放送された。[[演壇]]や公園などの用意されたセットでレギュラー達の笑いのセンスを競う一発勝負。趣向を凝らす者もいれば、やっつけ仕事で叫ぶだけ(おさむ)、人間打楽器(渡辺。下半身丸出しで股間のものを左右に振って音に出す)、セットを破壊(西川のりお、ビートたけし)と様々。
 
=== ひょうきん史上最大のクイズ ===
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=== ひょうきんカーニバル ===
番組最末期のミニコンサートスペシャル。エンディング曲メドレーから始まり、レギュラー陣が当時発売した持ち歌を披露し、最後はゲスト出演していた[[松任谷由実]]の「[[ダイアモンドダストが消えぬまに|SATURDAY NIGHT ZOMBIES]]」で締めた。当初はビートたけしも参加予定であったが、何らかの理由をつけて収録をサボった。なお、通常の土曜日ではなく[[火曜ワイドスペシャル]]の枠で放映された。
====曲====
ひょうきん族ED曲メドレー、IEKI吐くまで(片岡鶴太郎)、カラーに口紅、スタンド・バイ・ミー、恋のフーガ(山田邦子 with ビジーフォー)、くじけた瞳のDreamer、そーしまっか(島田紳助 with TOPS)、愛がすべて、SEX MACHINE(ひょうきんR&Band (サブロー・ウガンダ・ヒップアップ・赤信号With Watts)、シングルベッド、大都会、真っ赤なウソ、Thank you(明石家さんま With ピーチボーイズ)、SATURDAY NIGHT ZOMBIES
 
479行目:
*1986年1月4日放送。
=== びったしガン・ガン([[ぴったし カン・カン]]:TBS)===
=== ゲバゲバひょうきん([[巨泉・前武ゲバゲバ90分!]]:日本テレビ<ref group="注">ゲバゲバおじさんの[[舌]]には『ひょうきん』と書かれていた。</ref>)===
=== ひょうきんアベック歌合戦([[アベック歌合戦]]:読売テレビ)===
=== 久米ひどしのひょうきんTVスクランブル([[久米宏のTVスクランブル]]:日本テレビ)===
*1984年放送。[[久米宏|久米ひどし]]([[渡辺正行]])と[[横山やすし|横山田やすし]]([[太平サブロー]])の2人をメーンに「なんでもベスト5」などのコーナーを展開。後に、本家にてやすしの降板劇が起こった際には、やはり本コーナーでもそのパロディが行われ、代役は相方の[[西川きよし]]([[太平シロー]])が務めた。
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=== ひょうきんこの店あの店([[世界あの店この店]]:テレビ朝日)===
=== ひょうきんスポーツ教室([[テレビスポーツ教室]]:NHK教育)===
*1985年放送。木野花司会。舞台演劇出身者らしい全身演技で進行する。
=== そんなもんや三度笠([[てなもんや三度笠]]:朝日放送)===
*1983年9月24日放送。
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=== ひょうきん族縦断 弟子のためのウルトラクイズ([[アメリカ横断ウルトラクイズ]] : 日本テレビ)===
*1987年12月12日放送。ぼんちおさむの弟子としてジミー大西が登場し、天然ボケによる珍回答でイジられて一躍大ブレイク。
*1987年12月12日放送。
 
=== ひょうきん不味しんぼ倶楽部([[美味しんぼ倶楽部]] : フジテレビ)===
===  ひょうきん朝まで生テレビ ([[朝まで生テレビ]] :テレビ朝日) ===
 
== 脚注 ==