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| 標語 = ''{{Lang|es|La unión es la fuerza!}}''<br />([[スペイン語]]: 統一は力なり)
| 位置画像 = Bolivia (orthographic projection).svg
| 公用語 = [[スペイン語]]<br />[[ケチュア語族]]<br />[[アイマラ語]]<br />[[グアラニー語]]<br />その他33の先住民言語{{See also|{{仮リンク|ボリビアの言語|en|Languages of Bolivia}}}}
| 首都 = [[スクレ (ボリビア)|スクレ]]([[デ・ジュリ|憲法上]])<ref group="注">憲法上の首都であり、司法府(最高裁判所)の所在地。</ref><br>[[ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス]](ラパス、[[デ・ファクト|事実上]])<ref group="注">事実上の首都で、立法府・行政府の所在地。</ref>
| 最大都市 = [[
| 元首等肩書 = [[ボリビアの大統領|大統領]]
| 元首等氏名 = [[ルイス・アルセ]]
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| 他元首等氏名1 = {{ill2|アンドロニコ・ロドリゲス|en|Andrónico Rodríguez}}
| 他元首等肩書2 = [[w:President of the Chamber of Deputies of Bolivia|下院議長]]
| 他元首等氏名2 =
| 面積順位 = 27
| 面積大きさ = 1 E12
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'''ボリビア多民族国'''<ref name="日本国外務省">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/data.html ボリビア多民族国(The Plurinational State of Bolivia)基礎データ] 日本国外務省(2022年7月17日閲覧)</ref>(ボリビアたみんぞくこく、{{Lang-es-short|Estado Plurinacional de Bolivia}}、{{Lang-qu|Buliwiya Mama Llaqta}}、{{Lang-ay|Bulibiya Suyu}})、通称'''ボリビア'''は、[[南アメリカ大陸]]西部にある[[立憲]][[共和制国家]]。[[憲法]]上の[[首都]]は[[スクレ (ボリビア)|スクレ]]だが、[[ラパス]]が実質的な首都機能を担っており<ref name="日本国外務省"/>、[[多民族立法議会|議会]]をはじめとした[[政府]]主要機関が所在する。ラパスは[[標高]]3600メートル<ref name="日本国外務省"/>で、世界で最も高所にある首都となっている<ref name="bolib01" />。
[[太平洋戦争 (1879年-1884年)|太平洋戦争]]で敗れて[[チリ]]に[[太平洋]]海岸部の[[領土]]を奪われて以降は[[内陸国]]となっており<ref name="読売20220615">【世界 in-depth 深層】ボリビア:内陸国 特別な「海の日」 戦争で喪失 経済低迷]『[[読売新聞]]』朝刊2022年6月15日(国際面)</ref>、南西はチリ、北西は[[ペルー]]、北東は[[ブラジル]]、南東は[[パラグアイ]]、南は[[アルゼンチン]]と[[国境]]を接する。
== 概要 ==
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=== 先コロンブス期の発展 ===
{{Main|先コロンブス期}}
* [[紀元前2千年紀|紀元前1500年]]
* [[5世紀]]から[[12世紀]]
* [[12世紀]]
* [[1470年]]
=== スペイン植民地時代 ===
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* [[1545年]] [[ポトシ]]銀山発見。以降、現在のペルーを始めとする諸地域から多くの[[インディオ]]が鉱山のミタにより、ポトシで強制労働させられることになる。
* [[1548年]] アロンソ・デ・メンドーサにより、チチカカ湖の近くに[[ラパス|ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス]]市が建設される。
* [[1559年]] チャルカス(後の[[スクレ (ボリビア)|スクレ]])に聴問庁(アウディエンシア)が設置される。この
* [[1559年]] 東部のチャコ地方に[[サンタクルス|サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ]]が建設される。
* [[1569年]] ペルー副王フランシスコ・デ・トレドの統治が始まる。銀山採掘のためにポトシは人口十万人を超える都市として発展し(当時の[[ロンドン]]より大きい)、銀採掘のためにミタ制によりかき集められたインディオは、過酷な労働と病気で次々に死んでいった。
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* [[1839年]] 連合に脅威を抱いたチリ(既に死去していたディエゴ・ポルターレスの影響が大きい)と[[アルゼンチン]]の[[フアン・マヌエル・デ・ロサス]]軍の攻撃により連合は崩壊。これによりサンタ・クルスが追放されるとボリビアは[[無政府状態]]に陥った。
* [[1841年]] 国内の混乱の中、サンタ・クルス派の[[ホセ・バリビアン]]がペルーから侵攻してきたアグスティン・ガマーラを{{仮リンク|インガビの戦い|en|Battle of Ingavi}}で打ち破り、ガマーラは戦死した。以降、ペルーとボリビアの合邦を望む動きはなくなった。
* [[1847年]] メスティーソの軍人{{仮リンク|マヌエル・イジドロ・ベルス|es|Manuel Isidoro Belzu}}の反乱によりバ
* [[1848年]] ベルスが大統領になる。ベルスは保護政策を採り、[[ポピュリズム|ポプリスモ]]的な政策で大衆の支持を得る。
* [[1857年]] [[ホセ・マリア・リナレス]]によるボリビア初の文民政権成立。自由主義政策を採り、インディオを弾圧した。このころ太平洋沿岸部の[[リトラル|リトラル県]](アントファガスタ)で最初の[[硝石]]鉱山が発見された。
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* [[1867年]] {{仮リンク|アヤクーチョ条約|es|Tratado de Ayacucho}}の締結で[[アクレ州|アクレ県]]がボリビアに帰属。
* [[1871年]] メルガレホ大統領が失脚。
* [[1874年]] バ
* [[1879年]] アントファガスタをチリに占領され、さらに[[ペルー]]と硝石問題に関して秘密同盟を組んでいたことが仇となり、[[チリ]]がペルー・ボリビア両国へ宣戦布告して[[太平洋戦争
* [[1883年]] ペルーとチリの間での、硝石戦争(太平洋戦争)の休戦。チリに対する事実上の敗北が決まる。
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[[File:Map Bolivia territorial loss-en.svg|thumb|ボリビアの領域の変遷。戦争により広大な領土が近隣諸国に併合された。]]
* [[1884年]] チリとの[[バルパライソ条約]]で[[銅]]と硝石の鉱山が豊富な太平洋岸の領土(リトラル県)を割譲し、海への出口を持たない内陸国になる。保守党のグレゴリオ・パチェコが大統領になり、以降、鉱山主の支配が1899年まで続く。
* [[1888年]] この
* [[1899年]] アクレ県に入植したブラジル人[[ゴムノキ|ゴム]]農園労働者の反乱によりブラジルと紛争が発生し([[アクレ紛争]])、「[[アクレ共和国]]」([[1899年]] - [[1903年]])として半独立状態となる。同時にこの年初の日本人移民が渡り、[[リベラルタ]]や[[トリニダ (ボリビア)|トリニダ]]のゴム農園に就労した。錫鉱山主を基盤にするラパスの自由党が反乱を起こし、スクレ・ポトシの銀鉱山主を基盤にしていた保守党支配が終わった(連邦革命)。以降、自由党のホセ・パンドが大統領になり、以降、自由党の支配が1920年まで続く。
* [[1900年]] 自由党派がラパスを拠点としていたため、議会、政府がスクレからラパスに移転し、ラパスが事実上の首都になる。
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=== ボリビア革命とその挫折 ===
* [[1952年]]4月 鉱山労働者らの武装蜂起。MNRによる政権樹立。[[ビクトル・パス・エステンソロ]]が大統領に就任し、[[ボリビア革命]]が成功した(4月[[革命]]とも)。インディオに選挙権や公民権が付与された新憲法が採択された。革命政権の国策として、この
* [[1956年]] [[エルナン・シレス・スアソ]]政権成立。
* [[1959年]] 農地改革が行われ、大[[プランテーション]]が解体され、インディオの小作人に土地が分与された。
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=== ゲバラの戦死から現在まで ===
[[File:
* [[1967年]] バリエントス政権、[[アメリカ軍]]の協力の下にゲバラ軍を追い詰め、鉱山労働者がゲバラに同調することを嫌って[[サン・フアンの虐殺]]を行う。そして農民の支持を得られなかったため、[[キューバの軍事|キューバ軍]][[特殊部隊]]と共に潜入していたチェ・ゲバラがゲリラ戦の末、政府軍の[[アルフレド・オバンド・カンディア]]将軍に捕らえられ[[イゲラ]]で戦死。
* [[1969年]] バリエントス大統領が農民に金を配りに行く最中、謎のヘリコプター墜落事故で死亡。9月にかつてゲバラ討伐に当たった[[アルフレド・オバンド・カンディア]]将軍がクーデターを起こして政権を握り、ペルーの[[フアン・ベラスコ・アルバラード|ベラスコ]]将軍に影響を受けた「革命的国民主義」を掲げて国民主義知識人グループに誓った石油国有化政策を発表。[[ソビエト連邦|ソ連]]との国交が樹立される。
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* [[1978年]] [[アメリカ合衆国大統領]][[ジミー・カーター]]による「[[人権外交]]」の影響を受けて、ボリビアでも民主化へのプログラムが進む。
* [[1980年]] [[ガルシア・メサ]]将軍がクーデター「コカイン・クーデター」<ref name="nenpyou2">ボリビア年表2 2009年11月8日閲覧([http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/andes/bolivia2.htm])</ref>で政権を握るが、麻薬マフィアとの癒着、反対派への大弾圧により、国際的な批判を呼んだ。
* [[1982年]] MNRから[[民主人民連合]] (Unidad Democrática y Popular : UDP)に分派したシレス・スアソが政権を執り、民政復帰。18年に及んだ軍政が終わる。この
* [[1985年]] 第4次パス・エステンソロ政権成立するが、もうこの時には8000パーセントにも及ぶハイパーインフレ状態に陥っており、事実上通貨は紙切れ同然となってしまい、ボリビア経済は破綻状態に陥った。
* [[1986年]] ボリビア政府は苦渋の選択の末、ボリビアは100万分の1の[[デノミネーション]]で8,000%超のインフレを抑制。エステンセロは他にも[[新自由主義]]的改革により、経済危機を乗り切る。
* [[1990年]] この年代の中
* [[1993年]] MNRの[[ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ]]政権成立。初の先住民出身副大統領と共に新自由主義政策を採用した。
* [[1997年]] 「メガ連立」により、第二次バンセル政権成立。コカの栽培の撲滅に全力を挙げる。
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国会にあたる[[多民族立法議会]]は[[両院制]]。上院は全36議席で、各県から4名ずつ[[比例代表制]]選挙により選出される。代議院(下院)は、全130議席で、そのうち77議席は[[小選挙区制|小選挙区]]から選出、53議席は比例代表制で選出されるが、全体の議席配分は比例代表制によって決まる([[小選挙区比例代表併用制]]。ただし {{仮リンク|超過議席|en|Overhang seat}}が出ないようになっている<ref>Matthew Shugart & Martin P. Wattenberg (ed). 2001. Mixed-Member Electoral Systems: The Best of Both Worlds? Oxford, UK: Oxford University Press. P.23. </ref>ため、[[小選挙区比例代表連用制|連用制]]に近い)。両院とも議員の任期は5年で、同日選挙である。
直近の
;上院(定数36)
* [[社会主義運動]] (MAS)
* [[市民
* 政党連合「私たちは信じる」 4
; 代議院(下院、定数130)
* 社会主義運動 (MAS)
* 市民
* 政党連合「私たちは信じる」 16
{{see also|{{仮リンク|ボリビアの政党|en|List of political parties in Bolivia}}}}
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ボリビアの181周年独立記念日の[[2006年]][[8月6日]]に、制憲議会の開会式が行われた。同議会発足を祝って、36の先住民による約3万人のパレードも実施された。
就任2年目になる[[エボ・モラレス]]大統領は、[[2007年]][[1月22日]]、国会で年次報告を行い、新憲法を制定する重要性を改めて強調した。新憲法には、[[水]]を含む資源主権や先住民の権利確立、教育行政に対する国の責任などが盛り込まれる予定である。制憲議会は2006年8月、発足したが、議事運営方法、地方自治、首都制定
[[2009年]][[1月25日]]、先住民の権利拡大や大統領の再選を可能とする新憲法案が60%あまりの賛成を得て承認された。[[2009年]][[12月6日]]、大統領選挙が行われ、現職のモラレスが6割を超える得票<ref group="†">2005年の初当選の時は51%であった。</ref>で勝利した。
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[[2019年]][[10月20日]]、モラレスは大統領選で4度目の当選を果たしたものの<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51439700W9A021C1NNE000/ 「ボリビア大統領に現職4選 選管発表、不正と対抗馬」][[日本経済新聞]](2019年10月26日配信)</ref>、開票結果の不正操作疑惑が浮上し<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51326960U9A021C1EAF000/ 「ボリビア、大統領選で非常事態宣言 介入疑惑受け」]日本経済新聞(2019年10月24日配信)</ref>、これに反発した対立候補の支持者による抗議活動が発生し、国内は混乱。国軍・国家警察などから辞職勧告を突き付けられたモラレスは11月10日に大統領辞任を表明し、11月12日にメキシコへ亡命。これは事実上のクーデターとされる。
モラレスの辞任表明を受け、憲法裁判所は[[ヘアニネ・アニェス]]上院副議長を暫定大統領に選出し、アニェスは就任宣誓を行った<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASMCD4KFXMCDUHBI01G.html|title=ボリビア上院副議長が暫定大統領宣誓 モラレス氏は亡命|work=朝日新聞デジタル|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2019-11-13|accessdate=2019-11-14}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3254498?cx_amp=all&act=all|title=ボリビアのアニェス上院副議長、暫定大統領就任を宣言 憲法裁も承認|work=AFP通信|newspaper=[[フランス通信社]]|date=2019-11-13|accessdate=2019-11-17}}</ref><ref group="†">議会では過半数を占めるモラレス派のボイコットにより、モラレスの辞任もアニェスの暫定大統領就任も承認を[[デ・ジュリ|受けていない状態]]だが、大統領継承の資格がある副大統領・上院議長・下院議長がモラレスと共に辞任したため、継承順位で4番目にあたる上院副議長のアニェスや一部の法律家は「憲法の規定から上院副議長が自動的に(暫定大統領に)就任できる」と解釈し、憲法裁判所もこの解釈を[[デ・ファクト|支持]]した。</ref>。これに対し、モラレス政権を独裁として批判してきたアメリカ合衆国やアメリカ寄りの右派政権が統治するブラジル、[[コロンビア]]、[[エクアドル]]はアニェスを暫定大統領として承認した<ref>[[日本国政府]]は[[外務省]]の報道官談話を発表し、「ボリビア情勢を注視している」として、中立の立場を示していたが、12月13日付けで更新された[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/data.html#section2 ボリビアの基礎データ(政治体制・内政)]ではアニェスの暫定大統領就任を追認したデータが掲載されている。</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page4_005463.html|title=ボリビア情勢について(外務報道官談話)|work=外務省|newspaper=[[外務省]]|date=2019-11-12|accessdate=2019-11-17}}</ref>。大統領選挙の仕切り直しは、[[2020年]]5月に予定されていたが、[[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]の感染拡大に伴い、同年[[10月18日]]に延期して実施され<ref>{{Cite web
==
{{main|ボリビア軍}}
[[ボリビア陸軍|陸軍]]、[[ボリビア空軍|空軍]]、[[ボリビア海軍|海軍]]を保有しており、12ヶ月の[[徴兵制度]]が敷かれている。
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[[File:Isla del Sol, Bolivia (36142247744).jpg|thumb|200px|left|[[チチカカ湖]]に浮かぶ[[太陽の島]]]]
[[File:Salar uyuni 200701.jpg|thumb|200px|left|[[ウユニ]]にある[[ウユニ塩湖]]]]
[[太平洋戦争 (1879年-1884年)|太平洋戦争]]に敗れて内陸国となったボリビアの地理は大きく3つに分けられる<ref group="†">三つに分けるとは、山岳地帯([[アンデス山脈]])と東部低地(リャノス:平原、オリエンテ)との二つに区分し、前者のアンデスを二分してアンデス高地とアンデス低地に分けることである</ref><ref name="boliv">眞鍋周三編著『ボリビアを知るための73章』第2版(明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年)21ページ</ref>。
一つは、ペルーとの国境である[[チチカカ湖]]周辺から国土を南に貫くアンデス山脈地域で国土面積の約29%に及び、その面積は32万平方キロ余りで、標高3000m以上の年中寒冷な気候を持つ。[[ラパス]]市や[[オルロ]]市にかけて標高4000mくらいの広大な平らな土地が広がり、この地域は'''[[アルティプラーノ]]'''と呼ばれる。アンデス地域には{{仮リンク|オクシデンタル山脈 (ボリビア)|es|Cordillera Occidental (Bolivia)|en|Cordillera Occidental (Bolivia)|label=オクシデンタル山脈}}と{{仮リンク|オリエンタル山脈 (ボリビア)|es|Cordillera Oriental (Bolivia)|en|Cordillera Oriental (Bolivia)|label=オリエンタル山脈}}の二つの山脈がある。
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このユンガスにある保養地{{仮リンク|コロイコ|en|Coroico}}とラパス市を結ぶ道路は、毎年多くの死者を出し、「[[ユンガスの道|死の道路]]」と呼ばれていた。
ボリビアはかつて太平洋に面する海岸線も領土に保有していたが、1884年に[[太平洋戦争
ボリビアの海運での輸出入貨物はチリの港で陸揚げされている。チリの港にはボリビアが管理する[[保税地域|保税上屋]](TRANSIT SHED)と呼ばれる[[タックス・ヘイヴン]]があり、ここからチリの[[通関]]を行わないままボリビア国境へ運ばれ、ここで初めてボリビアの税関が通関を行う。
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* スズ、[[鉛]]などの鉱山物資を産出する。
* 2006年1月、天然ガス事業を国有化する発表があった。
* 2020年代、人口1100万人のうち50万人以上が公務員である<ref>{{Cite web
=== 鉱業 ===
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=== 観光 ===
{{see|{{仮リンク|ボリビアの観光
主な観光地としてはティワナクの遺跡や、[[チチカカ湖]]、[[ウユニ|ウユニ塩原]]、[[ポトシ]]の鉱山、チェ・ゲバラの戦死した[[イゲラ]]などがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパや、[[カナダ]]、アメリカ合衆国、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[イスラエル]]といった先進国に加えて、南米諸国のアルゼンチン、ブラジル、チリなどからも多くの観光客がボリビアを訪れている。アンデス山脈の高山が各国から[[登山家]]を引き寄せている。また、アマゾンのツアーを提供する多くのツアー会社もある。
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[[ファイル:Cristo de la Concordia 02.jpg|thumb|upright|{{仮リンク|クリスト・デ・ラ・コンコルディア|en|Cristo de la Concordia}}、[[コチャバンバ]]市にある南米最大の[[イエス・キリスト|救世主]]像]]
直近の2011年の国勢調査によると、ボリビアの総人口は1002万7254人である<ref name="Cen2012">{{cite web | url=http://www.ine.gob.bo:8081/censo2012/PDF/resultadosCPV2012.pdf | title=Principales resultados del censo nacional de población y vivienda 2012 (CNPV 2012) – Estado plurinacional de Bolivia | publisher=Instituto Nacional de Estadística (INE) | date=July 2013 | access-date=8 August 2013 | url-status=dead | archive-url=https://web.archive.org/web/20140209134921/http://www.ine.gob.bo:8081/censo2012/PDF/resultadosCPV2012.pdf | archive-date=9 February 2014}}</ref>。
[[国際連合児童基金]](ユニセフ)の発表によると、5歳以下で死亡する[[子供]]の比率は77/1,000。1歳以下で死亡する子供の比率は60/1,000。[[平均寿命]]は女性64歳、男性61歳、合計63歳。
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==== 教育段階 ====
4〜5歳を対象とした2年間の就学前教育から始まり、6年間の初等教育、6年間の中等教育、高等教育が行われる。義務教育は初等教育から中等教育までの14年間であり、学年暦は2月から始まり、11月に終わる<ref name=":0" />。高等教育は大学やその他の高等教育機関で行われる。大学では,学士課程(4〜6年),修士課程(2年),博士課程(4年)が置かれる。その他の高等教育機関では,上級技術者ディプロマを取得する 3〜4年の課程
==== 学校の実態 ====
一般的に同じ校舎内で午前に小学校の授業,午後は中学・高校その他の学校の授業,夜は夜間学校と技術専門学校
義務教育後の教育としては私立高校からは大学へ進学する者が多い。大学は入学が簡単である一方、卒業は困難である。公立高校からは経済的理由により働くか公立大学へ進学する者が多い。
私立校は小・中・高までの一貫教育を行っており、公立校よりも教師、設備に優れ、教育水準も高い。公立校は授業料が無料であるが、ほとんどの学校で教科書をコピーして使っており、教職員のストライキが多く教育課程に支障が出る場合がある<ref>{{Cite web
==== 教育の効果 ====
独立機関である教育の質研究所(OPCE)の2010年の調査によると、初等教育では国語よりも算数の能力が低い児童が多いことが確認された。また、中等教育では初等教育と同様に算数の能力の低さが確認された。特に開発が遅れているとされている県において能力が低い生徒の割合が多く、県ごとに能力のばらつきが大きいことが確認されている<ref>{{Cite web
=== 保健 ===
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=== 医療 ===
==== 医療施設 ====
公共の保健医療施設はサービスレベルに応じて3段階に分けられている。第1次レベルは初期治療などを提供する診療所、保健センターが該当する。第2次レベルは基本的専門医療を提供する県病院が該当する。第3次レベルは最も高度な医療を提供する総合・専門病院が該当する<ref>{{Cite web
==== 保健政策 ====
妊産婦死亡率や5歳未満の乳幼児の死亡率が高く、母子保健が劣悪な状況であることから、1996年7月に「国家母子保健政策」が政府によって策定され、妊産婦および5歳未満の乳幼児が無料で診療を受けられるようになった<ref>{{Cite web
==== 医療体制の課題 ====
490行目:
ボリビア文学はインカ帝国時代の先住民の口承文学に根を持ち、植民地期にもバルトロメ・アルサンス、パソス・カンキ、フアン・ワルパリマチなどの作家がいた。19世紀の独立後、[[ロマン主義]]の時代にはマリア・ホセファ・ムヒア、リカルド・ホセ・ブスタマンテ、アデラ・サムディオなどがいる。
20世紀初めになると[[アルシデス・アルゲダス]]の『ワタ・ワラ』や『青銅の種族』により、インディオの困窮やキリスト教会の腐敗を告発したインディヘニスモ文学が始められた。この
=== 音楽 ===
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