「庶民院 (イギリス)」の版間の差分

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}}
{{イギリスの政治}}
'''庶民院'''(しょみんいん、{{Lang-en|House of Commons of the United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland}}、略称:the Commons)は、[[イギリスの議会]]を構成する[[議院]]のひとつで、[[下院]]に相当する。
 
[[貴族院 (イギリス)|貴族院]](House of Lords)と共に[[両院制]]の議会を構成している<ref group="注釈">[[英国議会]]は、二院制ではなく国王を含めた三院制であるとする古い法律学説もある。この点は、イギリスに於ける庶民院の発展史・学説史をたどる際の知識である。</ref>。会期は1年1会期で、通年開会。ただし休会はある。
 
== 議員構成 ==
[[定足数]]は40人。しかし以前から、定足数確認動議が禁止されているので、事実上は議長のほか与野党1人ずつが出席すれば審議は開始できる。この点、貴族院と同様になった。
 
2議席以上を有する政党には、[[2000年]]より補助的な政党助成制度が導入され、政策開発助成金が支給されるようになった([[:en:Political Parties, Elections and Referendums Act]])。ただし、議会での宣誓もしくは確約も要件にあるため、国王への宣誓を拒否し、そのため登院も拒否している[[シン・フェイン党]]は支給の対象外となっされていない<ref>{{Cite journal|和書|author=間柴泰治 |date=2004-08 |title=「2000「2000年政党選挙及び国民投票法の制定とイギリスにおける政党助成制度(資料) |journal=レファレンス |issueISSN=64300342912 |publisher=[[国立国会図書館]] |volume=54 |issue=8 |pages=70-79 |doi=10.11501/999930 |url=https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_999930_po_064304.pdfprepareDownload?itemId=info:ndljp/pid/999930&bundleNo=1&contentNo=1 |naidCRID=400064081451522262180332576384 |quote=国立国会図書館デジタルコレクション}}</ref>。
 
=== 定数 ===
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|date=2014-05-11
|accessdate=2014-11-24
}}</ref>、政治に対する不満を抱えた庶民の受け皿として[[イギリス独立党|イギリス独立党 (UKIP)]]が急速に台頭。2014年には保守党を離党して英国イギリス独立党から改めて立候補し、補欠選挙を戦って圧勝する議員が相次いで2人誕生するなどしており<ref>{{Cite news
|url=http://www.theguardian.com/politics/2014/nov/21/nigel-farage-ukip-rochester-win-mark-reckless-general-election-unpredictable-tories
|title=Nigel Farage: after Ukip’s Rochester win general election is unpredictable
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}}</ref>、[[2015年イギリス総選挙|2015年の総選挙]]では自民党に代わり得票率3位(12.6%)となったが、UKIPの地盤は保守党と重複するため1議席に留まった。また、スコットランドでは労働党に代わって[[スコットランド国民党]]の支持が拡大し、スコットランドの殆どの選挙区で同党の候補者が当選したため、スコットランド国民党が保守・労働に続く第三党に躍り出ている。
 
英国イギリス独立党が公約した[[イギリスの欧州連合離脱|EU離脱が国民投票で可決]]されると]]、[[2017年イギリス総選挙|2017年の総選挙]]では存在意義を失い惨敗し、労働党・自民党はやや勢力を回復した。保守党は第1党を守ったが過半数は失い、北アイルランドの地域政党である[[民主統一党 (北アイルランド)|民主統一党(DUP)]]の[[閣外協力]]を得て政権を維持した。しかし、2年後の[[2019年イギリス総選挙|2019年の総選挙]]では、EU離脱に対する態度を曖昧にした労働党が惨敗し、自民党もスコットランド国民党の勢力拡大などから勢力を落とした。逆に保守党はイングランド北部での労働党勢力を奪い、単独過半数を取り戻した。
 
==== 代替投票制導入の動き ====
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|accessdate=2011-05-07
}}</ref><ref>{{Cite news
|url=https://web.archive.org/web/20110510150003/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110507-OYT1T00644.htm
|title=英下院の選挙制度変更、国民投票で大差の否決
|work=YOMIURI ONLINE
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=== 選挙資格と被選挙資格 ===
選挙資格及び被選挙資格同じで、法律によって定められる。
* 18歳以上のイギリス国民<ref>{{Cite report|和書|author=古賀豪 |author2=奥村牧人 |author3=那須俊貴 |date=2010-03 |title=主要国の議会制度|series=基本情報シリーズ |url=http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/document/2010/200901b.pdf |format=PDF |publisher=[[国立国会図書館]]調査及び立法考査局 |series=調査資料 |id={{全国書誌番号|21726805}} |page=13}}</ref>。
* 18歳以上でイギリスに在住する[[イギリス連邦]]国民。
* 18歳以上でイギリスに在住する[[アイルランド]]国民。
 
=== 任期 ===
任期5年だが、解散の場合には期間満了前に終了する。2011年7月に[[2011年議会任期固定法|任期固定制議会法]]が成立し、庶民院からの不信任決議可決による解散権を除いて、首相は庶民院を解散する場合は、庶民院の3分の2以上の同意が必要となった<ref>{{Cite journal|和書|author=小松浩 |date=2012-01 |url=https://doi.org/10.34382/00006785 |title=イギリス連立政権と解散権制限立法の成立 |journal=立命館法学 |issueISSN=3410483-1330 |publisher=立命館大学法学会 |urlvolume=http://www.ritsumei341 |pages=1-19 |doi=10.ac.jp34382/acd00006785 |hdl=10367/cg/law/lex/12-1/komatsu.pdf3573 |naid=110009523714 |CRID=1390009224877656320}}</ref>。しかし、2022年3月24日、2011 年議会期固定法を廃止する法律([[2022年議会解散・召集法]])が制定され、国王大権に基づく議会解散・新議会召集権が復活した<ref>{{Cite journal|和書|author=上綱 秀治 |date=22022-07 |title=2022年議会解散及び召集法の制定 : イギリス |journal=外国の立法. 月刊版 : 立法情報・翻訳・解説 |issueISSN=3410433096X |publisher=国立国会図書館 |issue=292-1 |pages=16-17 |doi=10.11501/12302071 |url=https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_12302071_po_02920107.pdfprepareDownload?itemId=info:ndljp/pid/12302071&bundleNo=1&contentNo=1 |quote=国立国会図書館デジタルコレクション}}</ref>。
 
=== 辞任 ===
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=== 役員 ===
==== 議長 ====
{{seealso|庶民院議長 (イギリス)}}
[[議長]]は「スピーカー」(Speaker of the House)と呼ばれる。議事運営のほとんどを司り、金銭法案の認定権を握るなど、権限は大きいが、中立公平を貫き先例に従って慎重に行使するべきとされている。
 
政府と野党の中立公平を守るために、大臣経験者ではなくあまり政府に関わりの無かった重鎮議員が好まれる。任期は庶民院解散までであるが、総選挙後の新議会でも希望する限りは全会一致で再度選出される習わしである。したがって政権が交代したとしても議長は交代せず、また政府与党と議長の出身政党は必ずしも一致しない。総選挙の際には議長の選挙区には対立党(主に保守、労働、自由民主の主要政党)は候補を出さないなどの配慮がなされる。地域政党やミニ政党が議長の選挙区に対抗馬を立てることはあり、選挙戦が行われる事はある。
 
議長の引退や死去によって新たな議長を選出する際には、従来は二大政党からそれぞれ一人ずつ候補が出され、両名のうちから記名投票で選出していた。しかし{{仮リンク|2000年庶民院議長選挙|label=2000年の選挙|en|Speaker of the British House of Commons election, 2000}}では与野党とも党内での候補者の絞り込みが行われず、13名の候補者(そのうち1名辞退)が出馬した。その際、従来の方法に習ったため、2名の候補者から1名を選ぶ投票を11度繰り返し、他のすべての候補に勝利した{{仮リンク|マイケル・マーティン|en|Michael Martin, Baron Martin of Springburn}}が最終的に選出された。翌年に制度が改正され、{{仮リンク|2009年庶民院議長選挙|label=2009年の選挙|en|Speaker of the British House of Commons election, 2009}}は、全候補者を対象とする無記名投票を行い、過半数を獲得する候補が現れるまで、得票最少の候補と得票率5%未満の候補を除いて投票を繰り返す方法で行われた。出馬には12名以上の議員の推薦が必要であるが、そのうち3名以上は候補者と異なる政党に属していなければならない。また複数候補への推薦かけもちは認められない。
は、全候補者を対象とする無記名投票を行い、過半数を獲得する候補が現れるまで、得票最少の候補と得票率5%未満の候補を除いて投票を繰り返す方法で行われた。出馬には12名以上の議員の推薦が必要であるが、そのうち3名以上は候補者と異なる政党に属していなければならない。また複数候補への推薦かけもちは認められない。
 
かつては[[法服]]と[[かつら (装身具)|かつら]]をまとう慣行があったが、1992年に女性として初の議長となった{{仮リンク|ベティ・ブースロイド|en|Betty Boothroyd}}がかつらの使用をとりやめ、後継の男性議長らもかつらを着用していない。またマーティン以降は服装も簡略化されている。
 
新しい議長が選出された際には、複数の議員に強引に手を引かれて壇上の議長席へ向かう慣例がある<ref>{{Cite web |和書|date=2019-11-05 |url=https://www.bbc.com/japanese/video-50298249 |title= ホイル新下院議長、引きずられて議長席に イギリス|publisher=BBC |accessdate=2019-11-06}}</ref>。これはかつて、国王を恐れず議会の意思を述べた議長が投獄されたり、国王に配慮を見せた議長が怒った議員に拉致されたりするなど、受難の歴史が多々あり、新議長は身を守るため辞退を申し出て、それでも無理やり議長席に連れていった時代があったからである。議長の身の危険がなくなってからも、慣例として当時の様子が演じられる<ref>{{Cite |和書 |author = 前田英昭 |title = 世界の議会1イギリス |date = 1983 |publisher = ぎょうせい |ref = sekaino }}</ref>。
 
==== 副議長 ====
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== 庶民院の優越 ==
[[名誉革命]]期に議会の主導権を握るようになった庶民院の貴族院に対する優越は、18世紀以降に確立していった。1861年に貴族院が[[ウィリアム・グラッドストン]][[財務大臣 (イギリス)|蔵相]]の予算案を否決する出来事があったが、最終的に貴族院が譲歩した形となり、これが慣習として定着した。庶民院の優越は、1911年に制定された[[議会法]]([[イギリスの憲法]]を構成する成文法の一)によって成文化した<ref>{{Cite journal|和書|author=上田涼|year=2020|title=イギリスにおける庶民院の優越の歴史的変遷|url=https://wwwdoi.jstageorg/10.jst.go.jp/article34519/constitution/.52/0/52_1/_article/-char/ja/.0_1|journal=憲法研究|volume=52|pages=1-22|doi=10.34519/constitution.52.0_1}}</ref>。
 
連続2会期(つまり足かけ2年)、庶民院で可決した法案は、貴族院が否決・修正しても、庶民院案のまま法律となる。貴族院は成立を13か月引き延ばせるだけということになる。金銭法案<ref group="注釈">歳入や歳出を決定する法案。イギリスには統一的な「予算」はない。各税法等や各支出法の総体が、その年の財政の現況であるにすぎない。</ref>であると庶民院議長が認定した法案は、貴族院で1か月しか成立を遅らせることができない。
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=== 庶民院の独立と発展 ===
[[File:The House of Commons, 1833 by Sir George Hayter.jpg|thumb|1833年の庶民院を描いた絵]]
当初は庶民は貴族たちと一緒に会議を開いていたが、貴族の前では自由に発言しにくい問題があった。そのため、[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の頃に本会議から分かれて協議をするようになった。その後に国王と貴族が待つ本会議へ一同出向き、議長が代表して庶民の決議を伝えた(議長を「speaker」と呼ぶのは、これに由来する)。