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| 没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|生年|月|日|没年|月|日}} -->
| プロ入り年 = [[1986年]]
| 出身地 = {{JPN}}[[東京都]]
| 所属 = 日本棋院東京本院
| 師匠 =
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| タイトル = <!-- 現在保持しているタイトルを入力 -->
| 段位 = 八段<!-- 名誉称号を名乗れる場合は書かないでください -->
| タイトル合計 = 11期12
| 通算成績 = <!-- 引退棋士等頻繁な変更が必要ない場合利用してください -->
| 棋聖 = <!--何期獲得かあるいは挑戦者かをお書きください -->
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| 更新日時 = 2018年9月15日<!-- 記述する必要はありません -->
}}
'''青木 喜久代'''(あおき きくよ、[[1968年]][[5月24日]] - )は、[[囲碁]]の[[棋士 (囲碁)|棋士]]。[[東京都]]出身、[[日本棋院]]所属、八段。[[菊池康郎]]に師事。[[女流名人戦 (囲碁)|女流名人]]5期、[[女流鶴聖戦]]4期、[[女流最強戦]]1期、[[女流棋聖戦]]1期、[[新人王戦 (囲碁)|新人王戦]]準優勝など。手厚くゆったりとした棋風。兄は[[青木紳一]]九段。娘の2人の娘がいる。
 
==経歴==
小学1年で母親と一緒に囲碁教室に通い、碁を覚える。小学5年に菊池康郎の主宰する緑星会(現・[[緑星囲碁学園]])に入る。小学6年の1980年に[[少年少女囲碁大会]]小学生の部で4位。1981年に日本棋院[[院生 (囲碁)|院生]]となり、1986年入段。1990年に女流名人戦リーグで全勝優勝し、初タイトル獲得。1991年の18連勝は女流棋士史上1位
 
1990年に第2期[[女流名人戦 (囲碁)|女流名人戦]]リーグで全勝優勝し、初タイトル獲得。1991年には第13期[[女流鶴聖戦]]で優勝し2つ目のタイトルを獲得したほか、18連勝も記録(女流棋士史上1位)。同年には中国の[[女子名人戦]]に招待され、リーグ5勝2敗で2位。1991年以降921990年代から2000年代前半頃まで女流棋士の第一人者として活躍。1995年から1998年にかけてはタイトルを獲れなかったが、女流名人4期(1990,1999-2000,2002年)、女流鶴聖4期(1991-1992,1994,2000年)、[[女流最強連続優勝]]1期(2001年)など活躍した19972000-2003年には、青木と[[新人王戦 小林泉美_(囲碁棋士)|新人王戦小林泉美]]は女流名人戦挑戦手合4年連続で対戦している。また、1997年には決勝に進み、三番勝負で[[山田規三生]]に0-2で敗れたものの、[[新人王戦 (囲碁)|新人王戦]]で[[女流棋士 (囲碁)|女流棋士]]としては史上初めて決勝戦に進出。1998年の[[本因坊|本因坊戦]]2次予選で[[依田紀基]]碁聖を破り、29年振りに女流棋士としてタイトル保持者に勝利した。1999年には[[本因坊戦]]で女流棋士として初めて3次予選に進出するが、[[加藤正夫]]に敗れる。2000年に[[大手合]]で八段昇段
 
1999年に結婚し、2000年と2002年には、長女と次女の出産で産休を取得している。
1999年に結婚。2000年、長女出産で産休を取得。[[大手合]]で八段昇段。2002年、次女出産に伴い産休。女流名人に返り咲き。2006年にも、女流名人に返り咲き。2008年には正官庄杯世界女子囲碁最強戦に日本代表として出場し3人抜き。
 
2006年には第18期女流名人戦で[[小山栄美]]に挑み勝利、4年ぶりのタイトルを獲得し名人5期目、通算獲得タイトルを10とした。2008年には[[正官庄杯世界女子囲碁最強戦]]に日本代表として出場し3人抜き。2009年には第28期[[女流本因坊戦]]で[[謝依旻]]に挑んだものの、1勝3敗で敗れた。
2000-2003年、青木と[[小林泉美_(棋士)|小林泉美]]は女流名人戦挑戦手合で4年連続の対戦となる。
 
2012年には、第15期[[女流棋聖戦]]にて挑戦手合に進出。2009年以来3年ぶりの挑戦手合であったが、史上初めて女流三冠を独占していた[[謝依旻]]に挑み、2月16日に2勝1敗で挑戦手合に勝利。自身初となる女流棋聖位を獲得し、女流タイトル獲得数11は歴代で単独2位となった(当時)。翌年は謝の挑戦に敗れたものの、2014年にも再度挑戦(0勝2敗で敗退)。同年には第27期女流名人戦で初のリーグ入り<ref group="注">[https://web.archive.org/web/20141012114049/http://www.sankei.com/life/news/140710/lif1407100006-n1.html 【女流名人戦】青木八段がリーグ初参戦] 本戦進出はリーグ戦導入前の第20期以来7期ぶり。</ref>。また、2016年にも第28期女流名人戦で挑戦手合進出、第3回[[会津中央病院杯・女流囲碁トーナメント戦|会津中央病院杯]]で準優勝など、謝や[[藤沢里菜]]ら次世代の棋士が活躍する中でも一定の結果を残している。2021年には、この年創設された第1回[[テイケイ杯女流レジェンド戦]](45歳以上の女流棋士が対象)で優勝、12個目のタイトルを獲得した。
2012年2月16日、女流棋聖戦3番勝負にて[[謝依旻]]を2勝1敗で下して自身初となる女流棋聖タイトルを獲得した。女流タイトル獲得数を11とし、歴代で単独2位となった。
 
2012-2014年、青木と謝依旻は女流棋聖戦挑戦手合で3年連続の対戦となる。
 
2014年、第27期女流名人戦リーグ入り(第20期女流名人戦本戦以来7期ぶり)<ref>[http://www.sankei.com/life/news/140710/lif1407100006-n1.html 【女流名人戦】青木八段がリーグ初参戦]</ref>。
 
== タイトル戦 ==
登場は挑戦手合か決勝。他の棋士との比較は、''[[囲碁の女流タイトル在位者一覧]]'' を参照。
<span style="background-color: #ffcccc;">色付き</span>は現在在位。登場は挑戦手合か決勝。
 
他の棋士との比較は、''[[囲碁の女流タイトル在位者一覧]]'' を参照。
{| class="wikitable" border="1"
|- align="center" style="background-color: #ccf;"
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|- align="center"
| style="" |[[女流名人戦 (囲碁)|'''女流名人''']]
|三番勝負<br>34
|1990,99-00,02,06
|12
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|
|-
| colspan="6" align="center" |獲得合計612<ref group="注">[[女流鶴聖戦]]4期、[[女流最強戦|東京精密杯女流プロ最強戦]]1期、[[テイケイ杯女流レジェンド戦]]1期を含む。</ref>
|-
|}
* [[女流鶴聖戦]] 19914期(1991、92、94、2000年
* [[女流最強戦|東京精密杯女流プロ最強戦]] 20011期(2001
*[[テイケイ杯女流レジェンド戦]] 1期(2021年)
登場回数 24回 獲得合計 11期
(挑戦手合及び決勝戦 総登場回数 26<ref group="注">東京精密杯女流プロ最強戦・準優勝2回(2000年、2007年)、新人王戦・準優勝1回(1997年)、会津中央病院杯・女流囲碁トーナメント戦・準優勝1回(2016年)を含む。</ref>)
 
{{女流囲碁棋士タイトル獲得数ランキング}}
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* [[宝海杯世界女子選手権戦]] ベスト4 1998年
* [[日中囲碁交流]]
** 1989年 6-1(×[[楊暉]]、○[[余平]]、○[[豊雲]]、○[[黄エン (囲碁棋士)|黄焰]]、○王慧、○[[徐瑩]]、○劉軼一)
** 1990年 0-3(0-2 [[張璇]]、×[[劉菁]])
** 1991年 0-3(0-2 [[葉桂]]、×[[常昊]])
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* [[女流本因坊戦]] 挑戦者 2009年
* 女流棋聖戦 挑戦者 2014年
*[[会津中央病院杯・女流囲碁トーナメント戦|会津中央病院杯]] 準優勝 2016年
* [[ペア碁選手権戦|リコー杯ペア囲碁選手権戦]] 優勝 1998、99年(ともに[[本田邦久]]とペア)、2005年([[三村智保]]とペア)
 
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== 脚註 ==
{{Reflist|group="注"}}
 
== 外部リンク ==
* [https://www.nihonkiin.or.jp/player/htm/ki000255.htm 日本棋院の青木喜久代紹介ページ]
* {{Twitter|Fe6BF9gPsTJdfn1}}
 
 
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|title=女流タイトル(3冠)10期
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