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| 本名 =
| 所属球団 = 広島東洋カープ
| 役職 =
| 背番号 =
| 画像 = Akamatsu(2019).jpg
| 画像サイズ = 330
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[[龍谷大学付属平安中学校・高等学校|平安高校]]に進み、2年に[[投手]]兼外野手として[[第71回選抜高等学校野球大会|春の甲子園]]に出場し、ベスト8進出。高校の同級生に後にカープでチームメイトとなる[[岸本秀樹]]がいる。また、高校時代には唯一カープスカウトからプロ入りの打診をされたが、当時はまだプロでやれる自信がなかったため、監督と相談して進学を選択した。
[[立命館大学]]
[[2004年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2004年のドラフト]]で、右打ちの外野手の補強を目指していた[[阪神タイガース]]から6巡目指名を受け入団した。
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{{by|2008年}}、開幕直後に右肩関節上方関節唇損傷で登録抹消されたが、4月中旬に復帰した<ref>「白球入魂『4年目パズドラしてえ魔法石くれよ - 赤松真人』」[[ベースボールマガジン社]]『週刊ベースボール』2008年6月9日号、38ページ。</ref>。4月29日の対[[読売ジャイアンツ]]戦([[東京ドーム]])でプロ初本塁打となる初回先頭打者本塁打を打つと、同カード・同球場の翌日の試合でも2試合連続となる先頭打者本塁打を打った。プロ第1、2号が2試合連続初回先頭打者本塁打となったのはプロ野球史上初のことである。翌5月1日も本塁打を打ち、{{by|1990年}}の[[石井浩郎]]以来となるプロ初本塁打から3試合連続本塁打を記録した。この年の赤松は左打者の[[天谷宗一郎]]と併用されたため[[規定打席]]には届かなかったが、開幕からの右肩痛と戦いつつシーズンを通じて堅実な守備で数字以上の貢献を見せた。走塁面でも非凡な才能を見せ、盗塁数こそ12個に終わったが高い成功率 (.857) を記録した。12月20日、入籍していた女性と広島市内で結婚式を挙げた。
{{by|2009年}}は、4月3日の開幕戦(対巨人戦)に1番センターでスタメン出場し自身初の開幕スタメン入りを果たす。さらにこの試合では勝ち越しとなる2点適時打を打ち、[[ヒーローインタビュー]]を受けた。[[2009年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]にもファン投票で初選出し、2試合を通じて2安打2盗塁の活躍が評価され、「ファンの心を最もときめかせた選手」<ref>{{Cite web
[[ファイル:HC-Masato-Akamatsu.jpg|サムネイル|2009年9月19日、阪神甲子園球場にて]]
{{by|2010年}}は、2月のキャンプで左太もも裏肉離れで三軍でリハビリを送るという苦いスタートとなった。しかし、3月中には二軍の[[教育リーグ]]で実戦復帰し4月4日に一軍登録され、3割を超える勝負強い打撃で3番でも起用されるなど、出遅れながらも外野手競争に加わった。この年のハイライトは8月4日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]戦で、赤松は[[村田修一]]が打った左中間のスタンドに入りかけた本塁打性の当たりをフェンスを一足飛びによじ登り好捕。このプレーは海外メディアでも米[[Yahoo!]]のトップニュースに掲載されるなど注目を集めた。米[[CBS]]では[[山森雅文]]を紹介しつつ、「日本の野球史上、もっとも衝撃的なキャッチだ」と紹介された。米スポーツ専門テレビ[[ESPN]]でも、全世界のあらゆるスポーツの中から選ばれるその週の「トップ10」にて1位で選出されるなど大きく取り上げられた。またインターネット動画サイト[[YouTube]]でも同様の動画が100万件以上再生されており、赤松も一夜にして日本の内外から多くの反響を呼ぶ結果となった<ref>{{Cite web
{{by|2011年}}以降は毎年80試合前後に出場、足のスペシャリストとして[[代走]]の切り札としての出場を中心に[[守備固め]]、[[代打]]、[[外野手|外野]]のスタメンと色々な場面で活躍した。守備面でも[[守備率]]1.000を毎年記録している。
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{{by|2015年}}も主に代走の切り札として起用され、52試合のうち38試合が代走としての出場だった。ベンチに控えている間は、他の選手に対して相手投手や走塁についてアドバイスを送る役割を担った{{R|残留宣言}}。シーズン中に[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]] (FA) 権を取得したが、シーズン終了後にFA権を行使せずに広島に残留することを宣言した<ref name="残留宣言">{{Cite news |title=広島赤松が残留明言「カープが好きだから」 |publisher=日刊スポーツ |date=2015-10-16 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1553409.html |accessdate=2015-10-19}}</ref>。
{{by|2016年}}には、ゲーム終盤の代走・守備要員として一軍公式戦89試合に出場した。盗塁成功率は.857(企図14成功12)で、4年ぶりに8割を上回った。また、打席数が少ないながらも、打率.368を記録した。6月14日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦(マツダ)では、同点で迎えた9回裏二死一・二塁の打席で安打を打ったところ、二塁走者の[[菊池涼介]]が本塁へ突入。球審の[[木内九二生]]は菊池にアウトを宣告したものの、広島の[[緒方孝市]]監督の抗議でビデオ判定を実施した末に[[コリジョンルール]]の適用によってチームがサヨナラ勝利を収めた。なお、同ルールの適用によるサヨナラ安打はNPBの公式戦史上初めてであった<ref>{{Cite web
==== 胃癌の発症から練習復帰まで ====
2016年シーズン終了後の12月15日に、妻の勧めで[[人間ドック]]を初めて受診した{{R|TBS}}。その際に[[内視鏡|胃内視鏡]]検査を受けたところ、初期段階の[[胃癌]]が発見された<ref name="nikkansports20170105">{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1761304.html |title=広島の赤松選手が胃がん 来年1月上旬手術へ |date=2017-01-05 |newspaper=日刊スポーツ |agency=日刊スポーツ新聞社 |accessdate=2017-01-05}}</ref><ref>{{Cite news |url=https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201612/0009788550.shtml |title=広島赤松の胃がん切除手術が終了、2週間程度入院 |date=2016-12-28 |newspaper=神戸新聞NEXT |agency=神戸新聞社 |accessdate=2016-12-28 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20161228195859/https://www.kobe-np.co.jp/news/zenkoku/compact/201612/0009788550.shtml |archivedate=2016-12-28}}</ref>。
{{by|2017年}}には、胃から癌細胞を摘出する目的で、1月5日に胃の半分を切除する手術を受けた{{R|nikkansports20170105}}。1月16日に退院した<ref>{{Cite web
==== 練習再開から実戦復帰へ ====
{{by|2017年}}には、チームの2年連続セ・リーグ優勝を目前に控えた9月14日から一軍に帯同<ref>{{Cite web
{{by|2018年}}には、一軍の戦力として[[カムバック賞 (日本プロ野球)|カムバック賞]]を受賞すること<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/01/05/kiji/20180104s00001173238000c.html |title=広島・赤松 カムバック賞狙う 胃がんからの復活が「恩返し」 |publisher=スポーツニッポン |date=2018-01-05 |accessdate=2018-02-07}}</ref>を目標に、二軍の春季キャンプへ初日から最終日まで参加した<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/02/01/kiji/20180201s00001173075000c.html |title=奨成フィーバー!ファン1000人が熱視線 広島二軍キャンプ初日 |publisher=スポーツニッポン |date=2018-02-01 |accessdate=2018-02-07}}</ref>。
==== 実戦への復帰から現役引退まで ====
{{by|2018年}}のレギュラーシーズンには、3月18日に、中日とのウエスタン・リーグ公式戦([[山口県]][[岩国市]]・[[愛宕スポーツコンプレックス野球場|絆スタジアム]]で初めて催されたNPB公式戦)の8回裏に代走へ起用。2016年CS以来の公式戦復帰を果たすと、9回表から左翼手として試合終了まで出場した<ref>{{Cite news |url=https://www.daily.co.jp/baseball/carp/2018/03/19/0011081436.shtml |title=胃がん手術の赤松、1年5カ月ぶり公式戦出場 二軍中日戦で代走出場 |publisher=デイリースポーツ |date=2017-03-19 |accessdate=2018-04-27}}</ref>。「1番・中堅手」としてスタメンに起用された7月21日の対[[オリックス・バファローズ]]戦([[富田林市立総合スポーツ公園野球場|富田林バファローズスタジアム]])1回表の第1打席では、2015年の同リーグ公式戦以来3年ぶりの本塁打を、[[松葉貴大]]からの先頭打者本塁打で記録している<ref>{{Cite web
{{by|2019年}}には、9月上旬までウエスタン・リーグ公式戦46試合に出場。打率.143、0本塁打、3打点、2盗塁という成績で、一軍への復帰には至らず、9月7日には現役を引退することを発表した。この発表を受けて、球団では9月下旬にマツダスタジアムで組まれていた対中日戦を、赤松の引退試合として開催した。当初は9月22日に開催する予定<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/201909070000342.html |title=広島赤松真人が引退 胃がん克服も一軍復帰はならず |publisher=日刊スポーツ |date=2019-09-07 |accessdate=2019-09-07}}</ref>であったが、雨天で中止になったため、同月27日にレギュラーシーズンの最終戦として組み込まれた。赤松は、この試合の9回表から、「4番・中堅手」として、[[2016年]]10月1日の対ヤクルト戦以来1091日ぶりに一軍公式戦へ出場。守備や打席の機会はなかったものの、試合終了後の引退セレモニーで「最高の気持ち(チームのリーグ優勝)から一転して(胃がんが見
=== 現役引退後 ===
2019年10月29日、{{by|2020年}}シーズンからは、広島の二軍
== 選手としての特徴 ==
[[ファイル:Hiroshima toyo carp 2010 number 38.ogv|thumb|320px|(動画)赤松真人]]
パンチ力を秘めた打撃<ref>{{Cite web
阪神時代はやや怪我が多い傾向があり、2006年春・2006年秋のキャンプには参加できなかった。二軍では毎年好成績を残すが、[[赤星憲広]]など外野の層が厚く一軍では結果を残せていなかった。
赤松本人は不器用と言うが、足が速いので器用と思われることが多く、阪神時代は型にはめられて伸び伸びプレーすることができなかったという。それが広島に来て、自分の思うようにやらせてもらえるようになり、力を発揮できるようになったと語っている。その象徴がバッティングフォームの変化である。阪神時代から、足をがに股気味に開いた[[オープンスタンス]]が特徴だったが、広島移籍後の短期間で足の開き方が大きく広がり、極端なオープンスタンスで小刻みに体を動かしながらタイミングを取る、独特のフォームに変化した。赤松はこれについて、「阪神時代はダメと言われたけど、広島のコーチは『やってみろ』と言ってくれた」と語っており<ref>{{Cite web
また当初は足の速さを活かすためのダウンスイングが、鋭角に叩こうとする意識のため逆にフライになるため、[[小早川毅彦]]打撃コーチの指示のもとでレベルスイングに修正したところ、翌日の阪神戦で古巣に対し初の猛打賞を記録した<ref>{{Cite web
守備面では、俊足を生かした広い守備範囲が特徴。普通の守備陣形であれば外野を抜けたり、野手の間に落ちたりする打球に追い付いて捕ることもある。NPBの一軍公式戦では、胃がん発症発覚前(2017年のシーズン終了時点)での通算失策数はわずか6個。レギュラーに定着していた期間(2008・2009年)の一軍公式戦における[[刺殺]]と[[補殺]]を守備出場イニング数で換算した統計では、いずれの年もセ・パ両リーグで「ゴールデングラブ賞の常連」とされる外野手を引き離すほど高い数値を表している<ref>[
右打者ながら[[バント|セーフティバント]]を得意としており、2008年には両リーグ1位の9個を成功させている。
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|style="text-align:center;"|{{by2|2019}}
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|style="text-align:center;"|2019
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!colspan="2"|通算
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* 初本塁打:2008年4月29日、対[[読売ジャイアンツ]]4回戦([[東京ドーム]])、1回表に[[セス・グライシンガー]]から左越先頭打者本塁打
; その他の記録
* 外野手[[守備率#アウト寄与率・レンジファクター|レンジファクター(RF/G)]]1位:1回(2009年:2.29)<ref>{{Cite web
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:1回(2009年)
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* '''52'''(2005年 - 2007年)
* '''38'''(2008年 - 2019年)
* '''93'''(2020年 - 2022年)
* '''80'''(2023年 - )
=== 登場曲 ===
* 「[[以心電信 (ORANGE RANGEの曲)|以心電信]]」[[ORANGE RANGE]](2005年)
* 「Turn Me On」[[ケヴィン・リトル|Kevin Lyttle]](2006年)
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* {{Ameba ブログ|m-akamatsu|赤松真人オフィシャルブログ「AREA38」Powered by Ameba}}
{{広島東洋カープの選手・スタッフ}}
{{セントラル・リーグ ゴールデングラブ (外野手)}}
{{セントラル・リーグ ゴールデングラブ|2010}}
{{阪神タイガース2004年ドラフト指名選手}}
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