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教育政策では、朱子学による学問吟味=官吏登用試験を行うことによって、幕府に忠実な封建官僚群を育成しようとした。
 
寛永に先立つ[[安永 (元号)|安永]]・[[天明]]期の儒学界の動静を概観すると、朱子学に対抗して享保初年頃に[[荻生徂徠]]によって提唱された[[古文辞学]]が流行し、上方を中心に[[陽明学]]も盛んになりつつあった。一方、朱子学は、幕府において[[林家 (儒学者)|林家]]の[[家学]]となりつつあり、林家の学問自体も教条主義的なものとなっていた。幕府においても林家系統以外の朱子学者である[[新井白石]]や[[室鳩巣]]を重用するなど林家離れの傾向もあり、林家の事実上の世襲とされてきた[[奥儒者]](将軍の[[侍講]])に室鳩巣や徂徠の弟子である[[成島勝雄]]が就任するなど林家の朱子学は不振となり、また、林家第6代[[林鳳潭]]の代の[[1785年]](天明5年)に起こった[[林鳳潭#年貢先納金騒動|年貢先納金騒動]]により、林家が財政的困窮から[[湯島聖堂]]領の年貢を家計へ流用していたことが発覚し、林家が[[昌平坂学問所|昌平黌]]を運営することに対して不信感も生じていた。そのような状況の中、朱子学を正統の学とする立場に立って、[[古義学]]や古文辞学を異端の学(異学)として批判する論調が、[[那波師曾]]を先駆けとして生じ、[[西山拙斎]]は昌平黌の儒官であった[[柴野栗山]]に朱子学を官学とするよう説得、また、[[尾藤二洲]]や[[頼春水]]といった朱子学正学論に基づいて異学の排斥を主張した儒者の主張も定信の耳に達していた<ref>{{Cite journal |和書
| author = 揖斐 高
| authorlink = 揖斐高
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[[ファイル:Sadanobu matsudaira.JPG|thumb|松平定信墓地門([[霊巌寺 (江東区)|霊巌寺]])]]
[[File:松平定信の墓(霊巌寺).JPG|thumb|松平定信の墓(霊巌寺)]]
文政12年(1829年)の1月下旬から風邪をひき、2月3日には高熱を発した。3月21日には神田佐久間町河岸から出火し、火が日本橋から芝まで広がり、多数の建物が焼失し2800余人の焼死者が出たが、松平家の八丁堀の上屋敷や築地の下屋敷である浴恩園、さらに中屋敷も類焼したため、定信は避難する事となるが、避難する際に定信は屋根と簾が付いた大きな駕籠に乗せられ、寝たまま搬送されたため、道が塞がって民衆が迷惑したという。さらにこの時、松平家の家人が邪魔な町人を斬り殺したという噂が世上に流布した。この時の大火に関する落首や落書があり、「越中(定信)が、抜身で逃る、其跡へ、かはをかぶつて<ref group="*" name="echizen">「皮をかぶる」「皮かぶり」は、現代同様「[[包茎]]」の異称。越前福井藩の槍持は槍に熊革をかぶせていたことから、当時、「越前」は「包茎」の[[隠語]]であった。</ref>、逃る越前([[福井藩]]のことで、福井藩にも町人を斬り殺した噂が流布していた)」「ふんどし<ref group="*">「[[越中褌]]」より。定信を揶揄したもの。</ref>と、かはかぶり<ref group="*" name="echizen"/>が、大かぶり」と無届の一枚刷りによって多数刊行された{{Sfn|高澤|2012|p=273}}。これは寛政の改革の際に出版統制を行った定信に対する業界の復讐であったとされる{{Sfn|高澤|2012|p=274}}。
 
屋敷の焼失により、定信は同族の[[伊予国|伊予]][[伊予松山藩|松山藩]]の上屋敷に避難したが、手狭のため4月18日に松山藩の三田の中屋敷に移った{{Sfn|高澤|2012|p=274}}。この仮屋敷の中で病床にあった定信は家臣らと歌会を開き、嫡子の定永と藩政に関して語り合った。一時は回復の兆しも見せたが、5月13日の八つ時(午後2時)頃から呻き声をあげ始め、七つ時頃(申の刻、午後4時)に医師が診察する中で{{Sfn|高澤|2012|p=275}}、急に脈拍が変わり、死去した{{Sfn|高澤|2012|p=276}}。[[享年]]72 (満70歳没)。
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=== 映画 ===
* 『[[剣光桜吹雪]]』(1941年、演:[[河部五郎]])
* 『[[歌麿 夢と知りせば]]』(1977年、演:[[仲谷昇]])
* 『[[大江戸捜査網|隠密同心・大江戸捜査網]]』(1979年、演:[[三船敏郎]])
* 『[[おろしや国酔夢譚]]』(1992年、演:[[江守徹]])
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[[Category:江戸幕府老中]]
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