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{{Otheruses|果実|製薬会社|イチジク製薬}}
{{redirect|無花果}}
{{redirectlist|無花果|クルアーンのスーラ|無花果 (クルアーン)|田村芽実のアルバム|無花果 (田村芽実のアルバム)}}
{{生物分類表
|名称 = イチジク
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|属 = [[イチジク属]] {{Snamei||Ficus}}
|種 = '''イチジク {{Snamei||Ficus carica|F. carica}}'''
|学名 = {{Snamei||Ficus carica}} {{AU|L.}} {{small|([[1753年|1753]])}}<ref name="YList">{{YList|id=490|taxon=Ficus carica L. イチジク(標準)|accessdate=2023-03-20}}</ref>
|id=490
|taxon=Ficus carica L.
|accessdate=2020-05-23
}}</ref>
|和名 = イチジク
|英名 = fig tree
}}
 
'''イチジク'''(無花果{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}、映日果、一熟<ref>{{Cite web|和書|url=https://hatena.michikusa.jp/zatsugaku/kanji/z_kanji_3rika1.html|title=植物 難読漢字学園 きらめく雑学|accessdate=2020-03-29}}</ref>、[[学名]]: ''Ficus carica'')は、[[クワ科]][[イチジク属]]の[[落葉高木]]([[学名]]: ''Ficus carica'')、またはその[[果実]]のことである。西アジア原産。果樹として世界中で広く[[栽培]]されている。小さな花が多数入った花嚢をつけ、雌雄異株で、雌株の花嚢が果嚢になる。これがいわゆるイチジクの果実とよばれており、古くから食用にされている。「南蛮柿」などの別名もある。<ref>1631年に[[ローマ]]で出版された[[ドミニコ会]]宣教師のディエゴ・[[コリャード]]編纂『[[羅西日辞典]]』にはイチジクのことを南蛮柿(Nanbangaqi)と書かれている。イチジク:Ficus(ラテン語).higos(スペイン語).Nanbangaqi(日本語).[[大塚光信]]『[[コリャード]][[羅西日辞典]]』臨川書店、1966年、49頁。[https://www.amakusa.tv/in1co8me/news_fig_m.html#tyu13l 天草テレビ ウェブサイト「日本に初めて持ち込まれた西洋イチジク/長崎の宣教師の庭に/実らず、普及、定着しなかった?!」註13]</ref>
 
[[カール・フォン・リンネ|リンネ]]の『[[植物の種]]』([[1753年]]) で[[記載]]された植物の一つである<ref>{{Cite book|last=Linnaeus|first=Carolus|year=1753|title=Species Plantarum|location=Holmia[Stockholm]|publisher=Laurentius Salvius|page=1059|url=https://www.biodiversitylibrary.org/page/359080|ref=harv|language=la}}</ref>。
 
== 名称 ==
「'''無花果'''」の字は、花を咲かせずに実をつけるように見える<ref group="参">実際には花をつけている。[[#形態・生態]]節を参照。</ref> ことに[[由来]]する、[[中国]]で名付けられた[[漢語]]で{{sfn|田中孝治|1995|p=124}}、日本語ではこれに「'''イチジク'''」という[[熟字訓]]を与えている。中国では「バエ'''日果'''」を、無花果に対する別名とされた{{sfn|田中孝治|1995|p=124}}。
 
「'''映日果'''」(インリークオ)は、イチジクが13世紀頃に[[イラン]]([[ペルシア]])、[[インド]]地方から中国に伝わったときに、中世[[ペルシア語]]「アンジール」({{unicode|anjīr}})<ref group="注">中国の特産地である新疆ウイグル自治区の[[ウイグル語]]や、中央〜南アジアの多くの言語で類似の語形をもつ。また[[トルコ語]]や[[ロシア語]]には「インジール」に近い語形で伝わっていて、これは「映日」の中国語音(現代語音では {{unicode|yìngrì}} 「インジー」)にも近い。</ref> を当時の中国語で音写した「映日」に「果」を補足したもの{{sfn|田中孝治|1995|p=124}}。通説として、日本語名「イチジク」は、17世紀初めに日本に渡来したとき、映日果を唐音読みで「エイジツカ」とし、それが転訛したものとされている{{sfn|田中孝治|1995|p=124}}<ref group="参">[[音位転換]]も参照。</ref>。中国の古語では他に「阿駔<ref group="参">『[[酉陽雑俎]]』に記載があるという。{{Cite journal|date=1961|url=http://dx.doi.org/10.1299/jsmemag.64.512_1333_3|journal=Journal of the Society of Mechanical Engineers|volume=64|issue=512|pages=1333|doi=10.1299/jsmemag.64.512_1333_3|issn=2424-2675}}</ref>」「阿驛」などとも音写され、「底珍樹」「天仙果」などの別名もある{{要出典|date=2010年5月}}。
 
[[日本]]には中国を経て来たという説と<ref name="japanfruit">{{Cite web |和書|author= |url=https://www.japanfruit.jp/Portals/0/images/fruit/endemic/pdf/ichi.pdf |title=イチジク |date= |website= |publisher=[[中央果実協会]] |accessdate=2022年7月8日 |<!--- archiveurl=https://web.archive.org/web/20191205134906/https://www.japanfruit.jp/Portals/0/images/fruit/endemic/pdf/ichi.pdf |archivedate=2019年12月5日 ---> }}</ref><ref name="keisen">{{Cite webjournal|和書|author=小林幹夫 |date=2008-05 |url=httpshttp://keisen.repoid.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=898&item_no=1&page_id=28&block_id=681294/00000891/ |title=恵泉果物の文化史(5)(5):イチジク |accessdate=2022/07/08|publisherjournal=恵泉女学園大学リポジトリ園芸文化研究所報告:園芸文化 |authorISSN=小林幹夫1882-5044 |yearpublisher=2008恵泉女学園大学園芸文化研究所 |monthvolume=5 |pages=118-124 |id={{CRID|1050282812580852736}} |accessdate=2023-03-28}}</ref>、西南洋から伝わった種子を[[長崎県|長崎]]に植えたという説とがある<ref name="japanfruit"/><ref name="keisen"/>。
 
伝来当時の日本では、はじめ「唐柿(からがき、とうがき{{sfn|平野隆久監修 永岡書店編|1997|p=62}})」、ほかに「蓬莱柿(ほうらいし)」「南蛮柿(なんばんがき)」<ref>1631年に[[ローマ]]で出版された[[ドミニコ会]]宣教師のディエゴ・[[コリャード]]編纂『[[羅西日辞典]]』にはイチジクのことを南蛮柿(Nanbangaqi)と書かれている。イチジク:Ficus(ラテン語).higos(スペイン語).Nanbangaqi(日本語).[[大塚光信]]『[[コリャード]][[羅西日辞典]]』臨川書店、1966年、49頁。</ref>「唐枇杷(とうびわ)」などと呼ばれた{{sfn|辻井達一|1995|p=142}}{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=186}}。いずれも“異国の果物”といった含みを当時の言葉で表現したものである。
 
学名の[[属名'']] {{Snamei||Ficus''}}フィカス<!--、'''[[wikt:en:ficus|ficus]]'''-->)はイチジクを意味する[[ラテン語]]である{{sfn|辻井達一|2006|p=49}}。{{lang-it|fico}}、{{lang-fr|figue}}、{{lang-es|higo}}、{{lang-en|fig}}、{{lang-de|Feige}}など、ヨーロッパの多くの言語の「イチジク」はこの語に由来するものである。
 
== 形態・態 ==
[[落葉広葉樹]]の[[小高木]]{{sfn|平野隆久監修 永岡書店編|1997|p=62}}。日本では成長してもせいぜい樹高3 - 5[[メートル]]ほどの樹であるが、条件が良ければ高さ20メートル、幹径1メートル以上にもなる[[落葉高木]]{{sfn|辻井達一|1995|p=142}}である。[[樹皮]]は灰色で皮目があり、ほぼ滑らかで、年を経てもあまり変わらない{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}。枝は横に広がり、一年枝は太く、紫褐色や緑褐色で短い毛がある{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}。小枝には横長で筋状の[[托葉]]痕があり、しばしば枝を一周する{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}
 
[[]]は大型の3裂または5裂する掌状で[[互生]]する{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。日本では、浅く3裂するものは[[江戸時代]]に日本に移入された品種で、深く5裂して裂片の先端が丸みを帯びるものは明治以降に渡来したものである。葉の裏には荒い毛が密生する。葉や茎を切ると白乳汁が出る{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。
 
花期は6 - 9月{{sfn|平野隆久監修 永岡書店編|1997|p=62}}。新枝が伸びだすと葉腋に花を入れた袋である[[花嚢]]がつく{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。下のものから順に育ち、花嚢は[[果嚢]]となって肥大化する{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。花嚢は倒卵状球形で、厚い肉質の壁に囲まれ、初夏に、花嚢の内面に無数の花(小果)をつける{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。このような花のつき方を隠頭花序(いんとうかじょ)という。雌雄異花であるが、イチジク属には[[雌雄同株]]で同一の花嚢に両方花をつける種と[[雌雄異株]]で雄株には同一の花嚢に雌雄両方の花、雌株には雌花のみを形成する種がある<ref group="注">栽培種のイチジクや日本に自生する[[イヌビワ]]、[[オオイタビ]]などは後者、やはり日本に自生する[[アコウ (植物)|アコウ]]、[[ガジュマル]]や[[観葉植物]]として普及している[[インドゴムノキ]]、[[ベンジャミンゴムノキ]]などは前者に属する。</ref>。
 
栽培イチジクの栽培品種は、結実に雌雄両株が必要な品種群が原産地近辺の[[地中海沿岸]]や[[西アジア]]では古くから栽培されてきたが、受粉して雌花に稔性のある種子が形成されていなくても花嚢が[[肥大成長]]して熟果となる品種もあり{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}、原産地から離れた日本などではこうした品種が普及している。イチジク属の植物は自然では花嚢内部には{{仮リンク|イチジクコバチ|en|Blastophaga psenes}}などのイチジクコバチ属''Blastophaga'' spp.の蜂が[[共生]]しており{{sfn|辻井達一|2006|p=54}}、雌雄異株の種では雄株の花嚢に形成される雌花の受精後の種子全てを、雌雄同株の種では花嚢内の雌花の柱頭の長短で2群に分かれるもののうち、柱頭の短い型のものに形成される種子を幼虫時代の食物として繁殖し、雄花の花粉を体の花粉収納器官に収めた[[交尾]]後の雌が、若い花嚢に潜り込んで花粉を散布することで[[受粉]]を媒介する。日本で栽培されているイチジクのほとんどが、果実肥大に日本に分布しないイチジクコバチによる受粉を、果実肥大に必要としない[[単為結果性]]品種の雌株である{{sfn|辻井達一|2006|p=54}}
 
果期は8 - 10月{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}。ほとんどの種類の果嚢(いわゆる果実と呼んでいるもの)は秋に熟すと濃い紫色になり、下位の部分から収穫することができる{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。甘みのある食用とする部分は果肉ではなく[[小果]]と[[花托]]である。
 
[[冬芽]]は小枝に互生する{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}。[[頂芽]]は尖った円錐形で、2枚の芽鱗に包まれた鱗芽で無毛{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}。[[側芽]]は丸く、横に副芽が並ぶ{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}。葉痕は円形で大きく、[[維管束]]痕が多数あり輪状に並ぶ{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}。
 
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== 利用歴史 ==
中東の[[アラビア半島]]が原産地と言われており、現在では世界中に広がり栽培されている{{sfn|辻井達一|2006|p=54}}。イチジクは[[ブドウ]]とともに[[紀元前]]から栽培されていた果物で、[[エジプト]]の[[ピラミッド]]などの[[遺跡]]の[[洞窟壁画|壁画]]に表わされたり、[[旧約聖書]]の中で[[アダムとエバ|アダムとイブ]]の話にも登場する話題豊富な果物である<ref name="keisen"/>。原産地はアラビア南部{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}<ref name="japanfruit"/>や、南西アジア{{sfn|平野隆久監修 永岡書店編|1997|p=62}}といわれている。原産地に近い[[メソポタミア]]では6千年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古くから知られ、[[エジプト]]では[[紀元前|BC]]2700年という早い時代に栽培果樹として扱われていたとされ<ref name="keisen"/>、[[ギリシア]]などでも[[紀元前]]から栽培されていた{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。[[古代ローマ]]では最もありふれた果物のひとつであり、甘味源としても重要であった。最近の研究では、[[ヨルダン渓谷]]に位置する[[新石器時代]]の遺跡から、1万1千年以上前の炭化した実が出土し、イチジクが世界最古の[[栽培品種]]化された植物であった可能性が示唆されている<ref>{{Cite journal |author=Mordechai E. Kislev,; Anat Hartmann,; Ofer Bar-Yosef “Early|year=2006 |title=Early Domesticated Fig in the Jordan Valley,” ''|journal=Science Magazine'', Vol.|volume=312.no. |issue=5778, 2006, pp.|pages=1372-1374 [http|doi=10.1126/science.1125910 |url=https://www.sciencemagscience.org/cgidoi/contentabs/short10.1126/312/5778/1372]science.1125910}}</ref>。
 
=== 歴史 ===
イチジクは[[ブドウ]]とともに[[紀元前]]から栽培されていた果物で、[[エジプト]]の[[ピラミッド]]などの[[遺跡]]の[[洞窟壁画|壁画]]に表わされたり、[[旧約聖書]]の中で[[アダムとエバ|アダムとイブ]]の話にも登場する話題豊富な果物である<ref name="keisen"/>。原産地はアラビア南部{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}<ref name="japanfruit"/>や、南西アジア{{sfn|平野隆久監修 永岡書店編|1997|p=62}}といわれている。原産地に近い[[メソポタミア]]では6千年以上前から栽培されていたことが知られている。地中海世界でも古くから知られ、[[エジプト]]では[[紀元前|BC]]2700年という早い時代に栽培果樹として扱われていたとされ<ref name="keisen"/>、[[ギリシア]]などでも[[紀元前]]から栽培されていた{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。[[古代ローマ]]では最もありふれた果物のひとつであり、甘味源としても重要であった。最近の研究では、[[ヨルダン渓谷]]に位置する[[新石器時代]]の遺跡から、1万1千年以上前の炭化した実が出土し、イチジクが世界最古の[[栽培品種]]化された植物であった可能性が示唆されている<ref>Mordechai E. Kislev, Anat Hartmann, Ofer Bar-Yosef “Early Domesticated Fig in the Jordan Valley,” ''Science Magazine'', Vol.312.no.5778, 2006, pp.1372-1374 [http://www.sciencemag.org/cgi/content/short/312/5778/1372]</ref>。
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]には[[16世紀]]末に[[スペイン]]の移住者によって導入された<ref name="keisen"/>。現在、[[カリフォルニア州]]はアメリカの[[ドライフルーツ]]産業の中心である<ref name="keisen"/>。中国には8世紀に[[インド]]、または[[ペルシャ]]から伝わったとされるが、異説もあり中国に伝来した年代は明らかでない<ref name="keisen"/>。
 
日本へのイチジクの伝来は、[[江戸時代]]の[[寛永]]年間(1624-1644)に中国を経て渡来したという説と<ref name="japanfruit"/><ref name="keisen"/>、ペルシャから中国を経て[[長崎県|長崎]]に伝来した説がある<ref name="japanfruit"/><ref name="keisen"/><ref name=":0">{{Cite web|和書|title=いちじくの甘露煮 宮城県 {{!}} うちの郷土料理:農林水産省|url=https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/k_ryouri/search_menu/menu/ichijiku_no_kanroni_miyagi.html|website=www.maff.go.jp|accessdate=2021-09-19}}</ref>。日本には江戸時代初期に、日本に古く渡来した在来種とは別で、のちに果樹として洋種が栽培されている{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。
 
[[イエズス会]]のポルトガル人宣教師で長崎[[コレジオ]]の院長、ディオゴ・デ・メスキータ神父<ref>Diogo de Mesquita(1553-1614)</ref>がマニラの[[コレジオ]]院長、ファン・デ・リベラ神父<ref>Juan de Ribera (1565-1622)</ref>にあてた1599年10月28日付けの書簡によると、[[ポルトガル]]航路([[リスボン]]〜[[ゴア]]〜[[マカオ]]〜[[長崎市|長崎]])で日本に白イチジクの品種ブリゲソテのイチジク(higos brigesotes)の株が運ばれ、日本には現在、それが豊富にあるとの記述がある<ref>de lo qual todo yo tengo alguna experiencia porque desde Lisbona hasta este Japon he traido una planta de buenos higos brigesotes, de que agora este Japon esta lleno, es verdad, que muchas plantas se me secaron mas fue por infortunios,"ARSI, Japonica-Sinica, 13 II, fls. 348v.Letter from Father Diogo de Mesquita to Father Juan de Ribera, Rector of the Manila College, Nagasaki, 28 October 1599."</ref>。この史料からイチジク(casta blanca)の西洋種、ブリゲソテス(higos brigesotes)が苗木の形で日本(長崎)に到達し、後に長崎のイエズス会の住居の庭に植えられたことが分かった<ref>Correia, Pedro. "Father Diogo de Mesquita (1551-1614) and the cultivation of Western plants in Japan Bulletin of Portuguese - Japanese Studies, núm. 7, december, 2003, pp. 73-91Universidade Nova de Lisboa Lisboa, Portugal. "p81</ref>。
 
また、キリシタン史研究家で元立教大教授の[[海老沢有道]]はイチジクの伝来についてメスキータ神父の同書簡から、[[天正遣欧少年使節]]に随行し、[[ポルトガル]]から長崎港に着いた時、すなわち「イチジクの伝来は1590年として誤りないものと考える」「長崎帰朝後早速長崎の修院か教会に移植したであろう」とした<ref>[[海老沢有道]]『地方切支丹の発掘』柏書房、1976年。49〜50頁。</ref>金子寛昭「天草発祥の『南蛮柿』?イチジク伝来の謎を追う 立証困難 地域浮揚には一役」西日本新聞2023年9月19日
また熊本県天草市の本渡商工会議所主催の「天草南蛮柿(イチジク)フェアー」では「天草はイチジク発祥の地」(本渡商工会議所サイト/南蛮柿の歴史)[http://ichijiku.hondo-cci.biz/history/]と表記しているが、根拠とするメスキータ神父の書簡には天草に植えたとの記述は一切なく、全く根拠がない。</ref>。
 
しかし白イチジクの品種、ブリゲソテスはスミルナ系もしくはサンペドロ系だった可能性があり、日本にはイチジクコバチがいないため、苗は挿し木で増えたものの、結実しなかったのではないかと考えられ<ref>ブリゲソテスのイチジクは白系(casta blanca)「そのお礼にイチジク・ブリゲソテスの苗を送りたい。まだ何らかの形で実を結ぶ可能性があると思われるからだ。白い品種である。」と書かれており、マニラのコレジオ院長、ファン・デ・リベラ神父(Juan de Ribera 、1565-1622)に苗木を送る際、手紙に「まだ何らかの形で実を結ぶ可能性がある」と書いており、日本ではまだ実を結んでいないことがうかがえる。" quiero yo tambien en parte recompensarlo en la misma moneda embiandole una planta de los higos brigesotes,que atra´s digo, porque parece que aun podran en algun modo fructificar, pues los ay de casta blanca. "ARSI, Japonica-Sinica, 13 II, fls. 349.Letter from Father Diogo de Mesquita to Father Juan de Ribera, Rector of the Manila College, Nagasaki, 28 October 1599.</ref>結局、普及せず、後に伝来した受粉を必要としない品種(単為結果性)の蓬莱柿(ほうらいし・中国原産)や桝井ドーフィン(アメリカ原産)に取って代わったのではないかと考えられている。<ref>恵泉女学園大(東京)小林幹夫名誉教授[https://www.amakusa.tv/in1co8me/news_fig_m.html 天草テレビ ウェブサイト「日本に初めて持ち込まれた西洋イチジク/長崎の宣教師の庭に/実らず、普及、定着しなかった?!」]</ref>
当初は薬樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、[[挿し木]]で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。明治時代に多数の品種が主として米国より導入されたが<ref name="japanfruit"/><ref name="hokuriku">{{Cite web |author= |url=https://www.maff.go.jp/hokuriku/seisan/engei/tokusan201510.html |title=今月の園芸特産作物:10月 いちじく いちじくの品種 |date= |website=[[北陸農政局]] |publisher=[[農林水産省]] |accessdate=2022年7月8日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220707222337/https://www.maff.go.jp/hokuriku/seisan/engei/tokusan201510.html |archivedate=2022年7月8日 }}</ref>、[[明治|明治時代]]のイチジクは散在果樹の域を出ず<ref name="japanfruit"/>、イチジクの経済栽培は[[大正|大正時代]]に入ってからである<ref name="japanfruit"/>。イチジクは風味と食味を出すために樹上で完熟させる必要があり、熟果は痛みやすく店持ちが悪く、鮮度も要求されるという特有の性質がある<ref name="keisen"/>。このためイチジクの経済栽培は消費地に近い都市近郊に限られていた<ref name="keisen"/>。今日は予冷など鮮度保持技術の開発により、中山間地・遠隔地から大市場への出荷も可能になり、また栽培技術の進歩により生産・流通の形態が多様化し、[[転作|水田転作]]やミカンの園地転換の作目として、また[[地域おこし]]の品目として各地でイチジクが見直されている<ref name="keisen"/>。
 
当初は薬樹としてもたらされたというが、やがて果実を生食して甘味を楽しむようになり、[[挿し木]]で容易にふやせることも手伝って、手間のかからない果樹として家庭の庭などにもひろく植えられるに至っている。明治時代に多数の品種が主として米国より導入されたが<ref name="japanfruit"/><ref name="hokuriku">{{Cite web |和書|author= |url=https://www.maff.go.jp/hokuriku/seisan/engei/tokusan201510.html |title=今月の園芸特産作物:10月 いちじく いちじくの品種 |date= |website=[[北陸農政局]] |publisher=[[農林水産省]] |accessdate=2022年7月8日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220707222337/https://www.maff.go.jp/hokuriku/seisan/engei/tokusan201510.html |archivedate=2022年7月8日 }}</ref>、[[明治|明治時代]]のイチジクは散在果樹の域を出ず<ref name="japanfruit"/>、イチジクの経済栽培は[[大正|大正時代]]に入ってからである<ref name="japanfruit"/>。イチジクは風味と食味を出すために樹上で完熟させる必要があり、熟果は痛みやすく店持ちが悪く、鮮度も要求されるという特有の性質がある<ref name="keisen"/>。このためイチジクの経済栽培は消費地に近い都市近郊に限られていた<ref name="keisen"/>。今日は予冷など鮮度保持技術の開発により、中山間地・遠隔地から大市場への出荷も可能になり、また栽培技術の進歩により生産・流通の形態が多様化し、[[転作|水田転作]]やミカンの園地転換の作目として、また[[地域おこし]]の品目として各地でイチジクが見直されている<ref name="keisen"/>。
 
=== 歴史利用 ===
庭木や果樹として栽培される{{sfn|鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|2014|p=186}}。
 
=== 食用 ===
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挿し木で繁殖させ、主に庭や畑で栽培される{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}{{sfn|貝津好孝|1995|p=177}}。浅根性で、夏季の乾燥する時期は潅水を行って水を与える{{sfn|馬場篤|1996|p=21}}。高温、多湿を好み、寒気、乾燥を嫌う。
 
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では並木仕立てにしている場合もある{{sfn|辻井達一|1995|p=142}}。品種も数多く作出されていて、[[地中海]]沿岸地方や[[カリフォルニア]]地方などでは要な産物になっている{{sfn|辻井達一|1995|p=142}}。
 
=== 品種 ===
* '''桝井ドーフィン'''(ますいドーフィン) - [[広島県]]出身の種苗業者・[[桝井光次郎]]が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]から[[苗木]]を持ち帰り、日本で[[苗木|育苗]]した品種<ref name="japanfruit"/><ref name="hokuriku"/><ref name="kotobank">{{Cite web |和書|title=桝井ドーフィン |url=https://kotobank.jp/word/桝井ドーフィン-739461 |author=[[小学館]]『デジタル[[大辞泉]]プラス』|publisher=[[コトバンク]] |accessdate=2022年7月8日 <!---|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220707224253/https://kotobank.jp/word/%E6%A1%9D%E4%BA%95%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3-739461 |archivedate=2022年7月7日 ---> }}</ref><ref name="naro">{{Cite web |和書|author= |url=https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/nifts/137491.html |title=プレスリリース (研究成果) 株枯病抵抗性のイチジク台木新品種「励広台(れいこうだい)1号」- 野生種との種間雑種で株枯病に極めて強い - |date=2020–11–15 |website= |publisher=[[農業・食品産業技術総合研究機構]] |accessdate=2022年7月8日<!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210623220512/https://www.naro.go.jp/publicity_report/press/laboratory/nifts/137491.html |archivedate=2021年6月13日 ---> }}</ref><ref name="yamaguchi">{{Cite web |和書|author= |url=https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/uploaded/attachment/62211.pdf |page=171 |title=18 いちじく (6) いちじく品種特性表|date=2021–03 |website= |publisher=[[山口県]] |accessdate=2022年7月8日 <!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220616071242/https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/uploaded/attachment/62211.pdf |archivedate=2022年3月2日 ---> }}</ref><ref name="wakayama">{{Cite web |和書|author= |url=https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071700/d00206983_d/fil/ichijiku.pdf |title=わかやまのいちじく |date=2021–03 |website= |publisher=[[和歌山県]] |accessdate=2022年7月8日 <!--- |archiveurl=https://web.archive.org/web/20220302071025/https://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071700/d00206983_d/fil/ichijiku.pdf |archivedate=2022年3月2日 ---> }}</ref>。栽培のしやすさと日持ちのよさから全国に広まり<ref name="naro"/>、愛知県など日本国内で8割の栽培を占める主流の品種となっている<ref name="kotobank"/><ref name="naro"/>。果皮は熟すと濃赤紫色に着色する。夏秋兼用果で、一般に秋果よりも夏果のほうが大きい。甘味はやや少なく<ref name="yamaguchi"/>、ほのかな酸味がある。
* '''[[蓬莱柿]]'''(ほうらいし) - 福岡県など西日本で主に栽培される歴史の長い品種で、日本原産なのか<ref name="japanfruit"/><ref name="yamaguchi"/>、日本国外品種なのか<ref name="japanfruit"/><ref name="yamaguchi"/>、江戸時代に中国あるいは南洋から輸入されたという説がありはっきり分かっていない<ref name="japanfruit"/><ref name="naro"/>。[[貝原益軒]]によれば[[寛永|寛永年間]]に輸入されたと記されているという<ref name="yamaguchi"/>。日本では最も古くから⾧年に渡り栽培されてきたことから「在来種」「日本いちじく」ともよばれる<ref name="japanfruit"/><ref name="naro"/>。国内で2割を生産する桝井ドーフィンに次ぐ品種<ref name="naro"/>。甘味は中程度で酸味がやや多く<ref name="naro"/>、小玉で丸く、完熟すると果実の尻の部分が星形に割れる<ref name="yamaguchi"/>。
* '''ブラックミッション''' - 果皮が黒色に近い紫色で、皮が薄く味が濃厚。「黒イチジク」の名のドライフルーツもある{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=186}}。
* '''キング''' - 大振りの西洋種で、果実が熟しても果皮が緑色のままであるが果肉は赤い。甘味が強い{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=186}}。
* '''ホワイトゼノア''' - 「西洋イチジク」ともよばれる小型の品種で、果実が黄緑色のまま熟する{{sfn|猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|2012|p=186}}。
* '''とよみつひめ''' - 福岡県農林業総合試験場豊前分場が育種。果実重80g前後<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jataff.or.jp/seihin/products/product9310.html|title=イチジク 「とよみつひめ」
|accessdate=2023-10-03}}</ref>。桝井ドーフィンより白い果肉と高い糖度を誇る。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.fs-fukuoka.com/know/catalog/catalog_fruit/ichijiku|title=Home > 知る > 福岡県農産物カタログ > 福岡の果物 > いちじく|accessdate=2023-10-03}}</ref>
 
=== 特産地 ===
[[国際連合食糧農業機関]]によれば、2007年のイチジク生産量のトップ3は[[エジプト]]、[[トルコ]]、[[イラン]]<ref group="参">外部リンク [http://faostat.fao.org/site/339/default.aspx FAOSTAT]。※Countries by commodity をクリックし、Selected item 欄で Figs を選択。MT とあるのは metric ton の意で、日本語でいう「トン」のこと。{{404|date=2023-03}}</ref>。ほか[[地中海]]沿岸から南アジアにかけての比較的乾燥した気候の国々が名を連ねる中、6位に米国が、9位にブラジルが挙がっている。上位の国々は乾燥イチジクの輸出量も多く、とくにトルコ産、イラン産のものは有名である。日本は上記統計では(首位の)エジプトの約16分の1=16,500トン(推定)を生産し、14位にランクインしている。
 
==== 日本 ====
イチジクは農林水産省では「特産果樹」(主要果樹と比較すると重要度は低い果樹)として統計されている。しかしながら、もともと日本の温暖、湿潤な気候に適合していたことから、1960年代あたりから耕作放棄地、休耕田の活用や稲作、他果樹からの[[転作]]が進み、生産が増加した<ref>[https://www.jaac.or.jp/agriculture/product/ichijiku/index.html JAあいち中央 イチジク]</ref>。近年収穫量が増加している品目の一つであり、年間収穫量は約16,000トンと、一部の主要果樹より多くなっている。2019年時点で、県別の生産高を見ると日本一多い都道府県[[中部地方]]の[[愛知県]]で、そのなかでも特に[[安城市]]で[[栽培]]がさかんである。
 
もともと高温多湿な[[西日本]]に産地が集中している傾向があり、関西地方に産地が密集する。その一方で、東北南部など比較的寒冷な地域<ref name=":0" /> でも栽培が行われるようになったことで、冷害による被害なども発生している。
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== 文化とエピソード ==
『[[旧約聖書]]』の[[創世記]](3章7節)に「[[エデンの園]]で[[禁断の果実]]を食べた[[アダム]]と[[イヴ]]は、自分たちが裸であることに気づいて、いちじくの葉で作った腰ミノを身につけた」と記されている<ref name="keisen"/>{{sfn|辻井達一|2006|p=55}}。[[ゼカリヤ書]](3章)では、「その日にあなたたちは互いに呼びかけて[[葡萄]]とイチジクの木陰に招き合う」という大きな葉の描写がある{{sfn|辻井達一|2006|p=55}}。[[列王記]](下20章)でイザヤが「干しイチジクを取ってくるように」と命じ、人々が病気になった[[ヒゼキヤ]]王の患部にそれを当てると回復したとある{{sfn|辻井達一|2006|p=55}}
 
また、『[[新約聖書]]』の[[ルカによる福音書]](13章6〜9節)で[[イエス・キリスト|キリスト]]は、実がならないイチジクの木を切り倒すのではなく、実るように世話をし[[肥料]]を与えて育てるという[[たとえ話]]を語っている([[実のならないいちじくの木のたとえ]])。一方で[[マルコによる福音書]](11章12節〜)では、旅の途中イチジクの木を見つけた空腹のキリストがその木にまだ実がなっていないのに腹を立て、呪いの言葉を述べると翌日その木が枯れていたというエピソードがある{{sfn|辻井達一|2006|p=55}}
 
その他にもイチジクは[[聖書]]の中で[[イスラエル]]、または、[[再臨]]・[[終末]]のたとえと関連してしばしば登場する。
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== 参考文献 ==
* Correia, Pedro."{{PDFlink|[https://www.redalyc.org/pdf/361/36100704.pdf Father Diogo de Mesquita (1551-1614) and the cultivation of Western plants in Japan]}}" Bulletin of Portuguese - Japanese Studies, núm. 7, december, 2003, pp. 73-91 Universidade Nova de Lisboa Lisboa, Portugal."
* 海老沢有道『地方切支丹の発掘』柏書房、1976年。
* 大塚光信『コリャード羅西日辞典』臨川書店、1966年。
* {{Cite book|和書|author =猪股慶子監修 成美堂出版編集部編|title = かしこく選ぶ・おいしく食べる 野菜まるごと事典|date=2012-07-10|publisher = [[成美堂出版]]|isbn=978-4-415-30997-2|page =186|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =貝津好孝|title = 日本の薬草|date=1995-07-20|publisher = [[小学館]]|series = 小学館のフィールド・ガイドシリーズ|isbn=4-09-208016-6|page =177|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =鈴木庸夫・高橋冬・安延尚文|title =樹皮と冬芽:四季を通じて樹木を観察する 431種|date=2014-10-10|publisher =[[誠文堂新光社]]|series=ネイチャーウォチングガイドブック|isbn=978-4-416-61438-9|page =186|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =田中孝治|title =効きめと使い方がひと目でわかる 薬草健康法|date=1995-02-15|publisher =[[講談社]]|series=ベストライフ|isbn=4-06-195372-9|page =124|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=[[辻井達一]]|title=日本の樹木|date=1995-04-25|publisher=[[中央公論社]]|series=[[中公新書]]|isbn=4-12-101238-0|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =[[辻井達一]]|title =続・日本の樹木|date =2006-02-25|publisher =[[中央公論新社]]|series =中公新書|isbn =4-12-101834-6|pages =52 - 55|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author = 馬場篤|others = 大貫茂(写真)|title = 薬草500種-栽培から効用まで|date = 1996-09-27|publisher = [[誠文堂新光社]]|series = |isbn = 4-416-49618-4|page = 21|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author =平野隆久監修 永岡書店編|title =樹木ガイドブック|date=1997-05-10|publisher =[[永岡書店]]|isbn=4-522-21557-6|page =62|ref=harv}}
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* {{Hfnet|2476|イチジク (無花果) 、トウガキ}}
* [http://www.maff.go.jp/kinki/seisan/engeitokusan/engesanti/n06.html いちじく(奈良北部地域)] 農林水産省近畿農政局
* [{{Cite journal|和書|author=門永鉄雄, 向阪信一, 柳原等 |date=1998 |url=https://cidoi.nii.acorg/10.jp2150/naid/110001144488jieij1980.82.8_544 |title=イチジクの熟成と日射量の関係に関する統計的考察] |journal=照明学会誌 |ISSN=00192341 |publisher=照明学会 |volume=82(8A), |issue=8 |pages=544-550, 1998-08-01|doi=10.2150/jieij1980.82.8_544 |naid=130006763370}}
 
* {{Kotobank}}
 
{{Normdaten}}
 
{{DEFAULTSORT:いちしく}}
[[Category:イチジク属]]
 
[[Category:木]]
[[Category:果物]]
[[Category:クワ科]]
[[Category:イチジク属]]
[[Category:1753年に記載された植物]]
[[Category:カール・フォン・リンネによって名付けられた分類群]]