削除された内容 追加された内容
主体の追加
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
(20人の利用者による、間の35版が非表示)
3行目:
[[File:Akihabara_picture.jpg|300px|thumb|秋葉原駅頭。改装前の[[秋葉原ラジオ会館]]が見える(2003年)]]<!--外国語版にやはり象徴として掲げられているので-->
 
'''おたく'''('''オタク'''または'''ヲタク''')とは、[[愛好者]]を指す呼称で、[[1980年代]]に[[日本]]の[[サブカルチャー]]から広まった言葉である。元来の「お宅」は相手の家や家庭を指す敬称の[[二人称]]代名詞であるが、ある特定の[[サブカルチャー]]の愛好者を指し示す、現在使われている言葉としての「おたく」の起源は、[[1983年]]に[[コラムニスト]]の[[中森明夫]]が「'''[[コミックマーケット]]'''」に集う[[サイエンス・フィクション|SF]]や[[漫画]]・[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]などの若い[[ファン]]達がお互いを「おたく」と呼び合っていた現象を揶揄して、彼らを「おたく」として分類したことにある。
 
[[1989年]]に発覚した[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]において、[[宮崎勤|犯人]]が収集していた[[アニメーション|アニメ]]や[[特撮]]等の多数の[[ビデオテープ]]や[[漫画雑誌]]を、[[マスコミ]]が事件と関連付けて盛んに報道したことで、世の中でオタクバッシングが起こり、皮肉にもその「おたく」の存在が世間一般に広く知られるようになった。そのため、当初は[[漫画]]や[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[コンピュータゲーム]]、[[アイドル]]などの[[趣味]]を持つ人たちと、[[社会性]]が欠如している人間や[[コミュニケーション障害|対人コミュニケーションが不得意]]な人等を、十把一絡げにして指し示す否定的な意味合いを持つ言葉として使用されることが多かった。
 
その後、[[1990年代]]後半からの[[インターネット]]の普及やアニメや漫画、コンピュータゲーム、アイドルの[[社会的地位]]の向上によりおたくへの悪い印象は薄れ、現在では単なる「[[ファン]]」や「[[マニア]]」と同義で使われることも多い。
 
ただし、[[学校]]の[[校則]]において中高生に人気の容姿は規制される一方で、「おたく」のような容姿は定義しづらく規制されにくい傾向があり、生徒の目には不当に贔屓されているように映ることから、[[ブラック校則]]が「おたく」への嫌悪を生み出している場合がある。
'''オタク'''または'''ヲタク'''とも表記される。
 
== 歴史 ==
47 ⟶ 44行目:
 
=== 宮崎勤事件 ===
[[1988年]]から[[1989年]]にかけて発生した[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]](以下「宮﨑勤事件」)において、犯人の[[宮崎勤]]が収集していた[[特撮]]や[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]、[[ホラー映画]]の[[ビデオテープ]]、漫画や[[アニメ雑誌]]などを[[マスメディア|マスコミ]]・[[メディア (媒体)|メディア]]が取り上げ、「現実と虚構の区別が付かなくなり犯行に及んだ」として、[[センセーショナル]]に報じた。その際、宮崎の個室部屋が報道され、4台の[[ビデオデッキ]]と6000本近い[[VHS]]ビデオテープが万年床を乱雑に囲んだその部屋は、犯人の異常性を示すものとして注目を浴びた。当時まだ一般に浸透していなかった“おたく”という人格類型の呼称が定着したのも、この事件によるものだった。ただ、宮崎の部屋は殺人犯特有の特殊なものというよりは、オタクの部屋にしばしばみられる傾向として、オタクたち自身にも認識されている{{Sfn|森川嘉一郎|2003|p=181-182}}。
 
この事件により、「おたく=[[変質者]]・犯罪者予備軍」というイメージが定着し、おたくは印象の悪い言葉として広まった。この時期、「おたく」という言葉は[[NHK]]では[[放送禁止用語]]とされ、使用できない言葉であった<ref name="Okada 1996" />。現在でもこの影響は残っており、おたくを[[性犯罪]]と結びつける報道がなされることがある<ref name="Kikuti 2007">{{Cite journal|和書|author=菊池聡|authorlink=菊池聡|coauthors=金田茂裕、守一雄|year=2007|month=4|title=FUMIEテストを用いた「おたく」に対する潜在的態度調査|journal=人文科学論集人間情報学科編|issue=41|pages=105-115|publisher=信州大学人文学部|issn=1342-2782|naid=110006389058|url=https://hdl.handle.net/10091/2780}}</ref>。
 
=== 自称おたく評論家「宅八郎」 ===
宮崎勤事件によって「おたく」に注目が集まる中、無署名で活動していた[[フリーランス|フリー]][[著作家|ライター]]が1990年に『[[週刊SPA!]]』上で、おたく[[評論家]]「'''[[宅八郎]]'''」としてデビュー。翌年の1991年に[[ワンレングス]]の長髪に[[眼鏡#素材による分類|銀縁]][[眼鏡]]、[[マジックハンド]]と[[森高千里|アイドル]]の[[フィギュア]]、手提げ紙袋を持つという姿でテレビ番組に出演し、強烈なインパクトを残した。いわゆるオタク史の中の位置づけとして、宅八郎は宮崎勤事件と並んで「オタクの間違ったイメージを広めた」存在として語られることが多い。宅八郎と長年交流のあった[[大泉実成]]は、宅について、「彼にはオタクのプラス面をアピールしたいという思いがあった。ただ、その擁護の仕方がめちゃくちゃで、誤爆のようなところがあった」と振り返っている。宅のメディアでの風貌は作られたものであり、オタクに見える服を着て、おたくを演じていた。大泉は、「オタクと呼ばれていた当事者たちからは、演じていることはバレバレ。迷惑でもあっただろう」「オタクの歴史を語るうえでは、あだ花のような存在でしょう」と語る一方で、宅の著書『イカす!おたく天国』について、「負のイメージが強かったオタクを、特定の分野に特化した優秀な存在として社会に伝えた。その意味はあると思う」と評している<ref>{{cite news|url=https://book.asahi.com/article/14105708|title=オタク史に咲いた、宅八郎というあだ花 ノンフィクション作家・大泉実成さんと振り返る|publisher=好書好日([[朝日新聞]])|date=2021-01-16|accessdate=2021-11-22}}</ref>。
 
=== イメージの好転 ===
67 ⟶ 64行目:
{{Quotation|(オタクに対する誤解をなんとかするためには)2つ方法がある。1つは魅力そのものを伝えてオタクというのは実は面白くて「こうだ」っていう方法。もう一つは、お前らは知らないだろうけど、海外では俺達ちょっとしたもんだぜっていうこの二面作戦でオタクって実は大したことあるよという底上げ作戦を展開したんですね。それはその後、海外でのオタク評価は本当に上がってきたりですね、「エヴァンゲリオン」が大ヒットしたりですね、ものすごい後押しがあったんですね。時代の後押しがあったおかげで、なんだかんだいってもオタクは80年代の暗黒の時代から90年代の後半になるにつれて、かなり楽な状況になってきた。<br>だから僕たちは、なんかこう「オタク」と言えるようになったんですね、自分のことを。[[ロフトプラスワン]]で「オタクのイベントだ」と言って人が来るようになったのそれのおかげなんですよ。それまでは「オタクのイベントだ」と言うと、何よりもオタクが来れなかったんですね。オタクと思われたら困るっていう風に思ってた。それがなんか90年代半ばのオタク状況。(中略)<br>世の中が急激にそのオタクを認めるようになった。1つは、お前らがやってることって案外面白いんだなってのが、ようやっと評価されてきた。それはエヴァンゲリオンとか色んな作品のヒットのおかげですね。あともう一つ、海外で一流の監督とかが皆オタクだと自分のことを言ったり、よその国では[[セーラームーン]]とかそういうコスプレしてる奴がガンガン出てきて、僕らのヘンテコさがなんとなく相対化されたんですね。僕らが相変わらずヘンテコなのは当たり前なんですけども、海外にもヘンテコな奴がいるからなんだこれ?って。日本の中の変な奴じゃなくて、世界でいえば普遍的な奴なんだ。あいつら面白かもわかんないなみたいな目線で見てもらえるようになったのが僕らがちょっとだけ生きやすくなった理由ですね。|『オタク・イズ・デッド』([[新宿ロフトプラスワン]], 2006年5月24日)}}
 
また、岡田はこのようなおたくへの評価が好転した要因として、「オタクたちの努力だけではなく、[[平成不況|日本経済が行き詰まっていた]]ことも挙げられる」と述べている{{Sfn|岡田斗司夫|2008|p=64}}。財界人からもオタク文化に期待する声が寄せられた
 
{{Quotation|日本人は、日本発のものは世界に評価されるはずはないと思っている。[[桂離宮]]から[[浮世絵]]まで、外国人が評価したものだけを日本文化と称してきたが、それは違うのではないか。<br>
漫画こそ、日本が世界に誇りうる独自の文化で、これからもっと世界に浸透していくだろう。[[マルチメディア]]時代になれば、コンビューターソフトと結びついておもしろい社会をつくると思う。世界に広がる漫画が、管理教育、官僚文化に風穴を開けてほしいものだ。<br>
インターネットの他、ますます複雑・高度化する情報ネットワーク網の中で作品を作り続け、ヒットさせる実力を持つ者はオタク・クリエイターしかいない。現に、日本のアニメーターたちは日本よりもアメリカ等海外での評価が高い。本当の国際競争力を持つクリエイターとは、オタクの中からしか生まれないのだ。|岡田斗司夫『オタク学入門』[[堺屋太一]]<ref>岡田斗司夫1996年2月25日 [[日本経済新聞]]オタク学入門メディアあんぐる 新潮社、pp.11-12.「誇りうる文化で画一化に風穴を」</ref> }}
 
批評家の[[東浩紀]]も[[バブル崩壊|1990年代の不況]]と関連付けて分析をしている。
79 ⟶ 76行目:
[[2005年]](平成17年)には、[[アキバ系]]アニメオタクの青年が[[主人公]]である、[[2ちゃんねる]]発の[[恋愛小説]]『'''[[電車男]]'''』が映画化及び[[フジテレビ]]の[[ゴールデンタイム]]でドラマ化され、女性層や若年層を中心にヒットしたことで、宮崎事件以降長らく続いていた、オタクへの否定的なイメージが払拭されるきっかけとなった。この頃にようやく、[[変質者]]や[[犯罪者]]予備軍などといった、マイナスイメージではないオタク像が世間一般に広く認知されるようになり、[[マンガ]]や[[アニメ (日本のアニメーション作品)|アニメ]]といった[[二次元]]文化が、カジュアルな趣味として市民権を得るようになったといえる<ref name="sekai">[http://wakusei2nd.com/archives/series/%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%B2%BE%E8%8F%AF%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%80%88%E3%82%B5%E3%83%96%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E8%AB%96%E3%80%89%E8%AC%9B%E7%BE%A9%E9%8C%B2-%E7%AC%AC18%E5%9B%9E-2 京都精華大学〈サブカルチャー論〉講義録 第18回「世界の終わり」という想像力の敗北――東日本大震災と『Show must go on』(PLANETSアーカイブス) | PLANETS/第二次惑星開発委員会]</ref>。その市場規模については、2005年時点で4110億円([[野村総研]]調べ)と推定され、有望な市場としても注目が集まった<ref>[https://xtech.nikkei.com/dm/article/NEWS/20051006/109426/ 「オタクの力を上手に使え」,野村総研が研究発表 | 日経クロステック(xTECH)]</ref>。
 
同時にオタクバッシングの波も続いており、「[[ゲーム脳]]」「[[フィギュア萌え族]]」の提唱、[[アニメソング]]「なくなってほしい」発言騒動<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/0505/31/news023.html 「アニメソングをチャート1位に」 ネット運動勃発 - ITmedia NEWS]</ref>なども起きたが、更には同年の[[流行語大賞]]に「'''[[萌え]]'''」や「'''[[メイドカフェ]]'''」がノミネートされるなど、オタク文化が世間一般に広まり始めた<ref name="Galbraith 2009">{{Cite journal |1 = 和書 |author = ガルバレス・パトリック・ウィリアム |year = 2009 |month = 1 |title = 公の「オタク」のイメージを左右する秋葉原 |url = http://www.otaku2.com/articleView.php?item=373 |archiveurl = https://web.archive.org/web/20091008214954/http://www.otaku2.com/articleView.php?item=373 |archivedate = 2009年10月8日 |deadlinkdate = 2018年3月}}</ref><ref name="Kikuti 2007" />。
 
一方で、それまで副次的な要素にすぎなかった「萌え」文化も、おたく文化の主要な要素とみなされるようになり、「おたく=何かに萌えている人」「おたく=[[秋葉原]]にいる人」という偏見も生まれ、「オタク=アニメ・アイドルのオタク」というイメージがより一層強まる結果となった。
95 ⟶ 92行目:
一方で[[大塚英志]]は、世間のオタク観をこう批判している。
 
{{Quotation|「おたく」なる語が「オタク」と片仮名に書き換えられるあたりから[[文部科学省]]や[[経済産業省]]や、ナントカ財産{{ママ}}の類がちょっとでもうっかりするとすり寄ってくる時代になった。ぼくのところでさえ[[文化庁メディア芸術祭|メディアなんとか芸術祭]]という国がまんがやアニメを勝手に「芸術」に仕立て上げようとするばかげた賞がもう何年も前から「ノミネートしていいか」と打診の書類を送ってくるし(ゴミ箱行き)、そりゃ[[村上隆]]や[[宮崎駿スタジオジブリ#作品|宮崎アニメ]]は今や国家の誇りってことなんだろうが、しかし「オタク」が「おたく」であった時代をチャラにすることに加担はしたくない。国家や産業界公認の「オタク」と、その一方で見せしめ的な有罪判決が出ちまった「おたく」な[[エロマンガ成人向け漫画#1970年代から1980年代|エロまんが]]はやっぱり同じなんだよ、と、そのまりの時にいたぼくは断言できる。国家に公認され現代美術に持ち上げられ「おたく」が「オタク」と書き換えられて、それで何かが乗り越えられたとはさっぱりぼくは思わない。|大塚英志『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』著者からのコメント<ref>[https://www.amazon.co.jp/dp/4061497030 著者からのコメント](空白修正)</ref>}}
 
=== 2010年代 大衆文化との逆転現象 ===
108 ⟶ 105行目:
[[原田曜平]]は、非常に多くの若者たちが、自分のことを「オタク」と自称するようになっていることを挙げ、本来であれば、サブカルチャー好きを指す言葉である「オタク」というワードが、メジャーなカルチャーにまで使われるようになってきていることに驚いたと述べている。また、話題になった作品だけをチェックしており、オタク知識は総じてそう深くない「エセオタク」が増えており、濃度の高いオタク(ガチオタ)からは「にわかオタク」と揶揄されることもある<ref>{{cite news|url=https://toyokeizai.net/articles/-/92036|title=若者の間に「エセオタク」が激増しているワケ | さとり世代は日本を救うか?|publisher=東洋経済オンライン|date=2015-12-02|accessdate=2021-10-23}}</ref>。
 
また、[[日本政府]]が[[観光資源]]の一環として、[[国策]]で「[[クールジャパン]]」戦略を行うようになったのも[[2010年代]]からであり、迫害から一転し、おたく文化は政府お墨付きの“[[レジーム|体制]]側”の文化になったとも言える。
 
オタク層は選挙の動きも左右するほどになっており、[[第25回参議院議員通常選挙]]で[[自由民主党 (日本)|自民党]]の[[山田太郎 (参議院議員)|山田太郎]]が当選した際には、オタク票を味方につけたことが勝因と評された<ref>[https://www.itmedia.co.jp/news/articles/1907/22/news090.html 「私の戦闘力は53万です」 表現規制反対派・山田太郎氏が当選 SNSフル活用、“オタク層”の支持集める - ITmedia NEWS]</ref>。[[第26回参議院議員通常選挙]]では漫画家の[[赤松健]]([[自由民主党 (日本)|自民党]])が比例トップ当選し、自民党内の組織票系候補者すら軽く上回っている<ref>
120 ⟶ 117行目:
 
=== オタク以前 ===
:おたくという言葉が生まれる以前は、おたくの同義語として、主に「[[マニア]]」や[[きちがい]]を略して「○○キチ」([[釣りキチ]]等)「[[ファンダム]]」等と呼ばれていた。[[日本SF大会]]、[[全国アニメーション総会]]などのイベントも行われていた。
:基本的には目立った活動を行っていた集団として[[サイエンスフィクション|SF]]と特撮ファンが中心で挙げられ、流行した作品に『[[キング・コング]]』(1933年)や『[[原子怪獣現わる]]』(1953年)初代『'''[[ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ]]'''』(1954年)『[[キングコング対ゴジラ]]』(1962年)『[[大魔神]]』(1966年)『'''[[2001年宇宙の旅]]'''』(1968年)「[[猿の惑星シリーズ]]」(1968年~1973年)や、『[[鉄人28号]]』等がある。
 
=== オタク第一世代(1960年前後生まれ) ===
137 ⟶ 134行目:
:代表的な出来事として、『[[週刊少年マガジン]]』『[[週刊少年サンデー]]』『[[週刊少年ジャンプ]]』などの少年漫画誌の隆盛、『'''[[機動戦士ガンダム]]'''』や『'''[[銀河鉄道999 (アニメ)|銀河鉄道999]]'''』『'''[[うる星やつら (アニメ)|うる星やつら]]'''』に代表される[[アニメブーム]]や[[ガンプラ]]ブーム、「[[ファミリーコンピュータ]]」(1983年)の大ヒットによる[[家庭用ゲーム機]]の普及、『[[ゼビウス]]』(1983年)などの[[アーケードゲーム]]のブーム、「[[PC-9800]]」や「[[MSX]]」等の[[ホビーパソコン]]([[マイコン]])ブーム、『[[スター・ウォーズ]]』(1977年)『[[E.T.]]』(1982年)『[[ターミネーター (映画)|ターミネーター]]』(1984年)『[[ブレードランナー]]』(1982年)などの[[SF映画]]や[[サイバーパンク]]作品の世界的なブームなどが挙げられる。
:[[アニメ雑誌]]の相次ぐ創刊、「[[アニメイト]]」などの専門店の創業、[[コミックマーケット]]の大規模化、[[美少女ゲーム]]や[[アダルトゲーム]]の登場など、オタク文化や二次元文化が急速に発展する一方で、オタク第一世代と同様に、青年期に発生した[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]によってオタクバッシングが激化し、偏見・差別に晒された世代であった。
:このあたりの世代のアニメの作り手は比較的少なく、ゲーム業界に流れたことが原因ではないかと指摘されている<ref>[https://mantan-web.jp/article/20111015dog00m200019000c.html 深夜アニメ:エヴァ再放送きっかけに大人向けで新市場 元プロデューサー・東さんに聞く - MANTANWEB(まんたんウェブ)]</ref>。
 
=== オタク第三世代(1980年前後生まれ) ===
:[[ポスト団塊ジュニア|後期ポスト団塊ジュニア世代]]~プレッシャー世代。就職氷河期の後半の世代にあたる
:かれらの少年期は、[[1990年代]]初頭にかけて前述の連続幼女誘拐殺人事件によるオタクバッシングの余波が続き、[[神戸連続児童殺傷事件]]以降の[[少年犯罪]]報道の激化などいくつかの動きと重なってアニメの性的表現、残虐・暴力描写の[[自主規制]]が行われる時代であった{{Sfn|榎本秋|2009|p=58}}。また[[キレる17歳]]論や[[ゲーム脳]]論などにも晒された。
:1980年代から盛んに行われた小説、漫画、アニメ、ゲームなどの複数のメディアを通じて展開する“[[メディアミックス]]”が主流となり、ヒット作が複数のメディアに派生し、一つのメディアだけにとどまることが少なくなった。
:『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』(1995年)や「[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]」(1994年)の大ヒットで、アニメやコンピュータゲームが趣味の一つとして市民権を得るようになり、[[メインカルチャー]]と[[サブカルチャー]]の差が薄れ始めた世代といえる。
149 ⟶ 147行目:
:[[ブロードバンドインターネット接続|ブロードバンド]]が普及し、[[家庭]]でのインターネット利用が一般的な環境の中に育った。「[[Microsoft Windows XP|Windows XP]]」(2001年)世代でもある。
:この世代は[[ゆとり世代]]論により年少期からバッシングに晒され、また[[地上波テレビ]]等で[[自主規制]]が強まった後に育っている。
:一方で、インターネットの普及により「'''[[2ちゃんねる]]'''」(1999年)、2000年代前半から中盤の[[MADムービー|Flash動画]]黄金期、[[深夜アニメ]]の隆盛、「[[YouTube]]」(2005年)や「[[ニコニコ動画]]」(2006年)などの[[動画投稿サイト]]の台頭、[[実況プレイ]]などのネット動画ブーム、『[[初音ミク]]』(2007)等の[[VOCALOID]]ブーム、「'''[[ハルヒダンス]]'''」などの「踊ってみた」ブーム等、ネット発の様々な流行を体験した。
:2005年には、おたくを肯定的に描いた、2ちゃんねる発の恋愛作品『[[電車男]]』が映画化・ドラマ化され共に大ヒットしたことや、同年の[[流行語大賞]]に「[[萌え]]」及び「[[メイドカフェ]]」がノミネートされるなど、一般社会へオタク文化が急速に浸透し、10代でオタク趣味に傾倒する人が増えた。[[学校]]でアニメやゲームが話題に上がることも多く、宮崎事件の後に産まれていることもあって、オタク趣味やオタク文化に対する[[恥]]や後ろめたさがほとんどないことが特徴で、オタクの低年齢化が一気に進んだ。このため、かつての[[トレンディドラマ]]や[[J-POP]]、[[映画|洋画]]、[[スポーツ]]、[[車]]等といった、一般的な[[大衆文化]]([[メインカルチャー]])や[[アウトドア]]等と並んでオタク文化もごく普通に消費されるようになり、オタク文化が大衆文化やメインカルチャーに内包されるようになった最初の世代であるといえる。
{{seealso|Z世代}}
188 ⟶ 186行目:
 
{{ファンダム}}
 
{{日本人の分類}}
{{日本関連の項目}}
{{Normdaten}}