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{| class="wikitable" style="clear:right; float:right; margin: 0em 0em 1em 1em; width: 300px; background:#ffffff;"
|-
! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 富士型戦艦
|-
| colspan="2" align="center"|[[Image:Battleship Fuji.jpg|300px|満艦飾を施した富士]]
|-
! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 艦級概観
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|前級||[[扶桑 (甲鉄艦)|扶桑]]
|-
|次級||[[敷島型戦艦|敷島型]]
|-
! colspan="2" style="color: white; height: 30px; background: navy;"| 性能諸元(富士)
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|乗員||726名
|-
|兵装||[[アームストロング・ホイットワース|アームストロング]] 30.5cm(40口径)[[艦砲|連装砲]]2基<br />アームストロング 15.2cm(40口径)[[速射砲|単装速射砲]]10基<br />[[ホッチキス QF 3ポンド砲|オチキス 4.7cm(437cm(43口径)単装機砲]]20基<br />オチキス 4.7cm(337cm(33口径)単装機砲4基<br />45.7cm水上[[魚雷発射管]]1門<br />45.7cm水中魚雷発射管4門
|-
|装甲||複合装甲ハーベイ鋼<br />舷側:356~406~457mm(水線部主装甲)<br />甲板:63.5mm(主甲板)<br />主砲塔:356mm(前盾)、229mm(側盾)、-mm(天蓋)<br />主砲[[バーベット]]部:356mm(甲板上部)、229mm(甲板下部)<br />副砲ケースメイト部:51~152mm<br />司令塔:356mm(側盾、最厚部)、76mm(天蓋)
|}
'''富士型戦艦'''(ふじがたせんかん)は[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の[[前弩級戦艦]]で同型艦は2隻である。2隻とも[[イギリス]]で建造され[[1897年]]に竣工した。2番艦の「八島」は[[日露戦争]]で戦没したが、1番艦「富士」は[[太平洋戦争]]終結まで48年間海軍に在籍していた。
 
本型は[[イギリス海軍]]の前弩級戦艦「[[ロイヤル・サブリン級戦艦|ロイヤル・サブリン級]]」(竣工1892年〜1894年)の改良型であるが、いくつかの最新の技術が用いられた。
 
== 建造の経緯 ==
1880年代後半に日本の仮想敵国であった[[清|清国]]は[[定遠級戦艦|定遠級]]「[[定遠 (戦艦)|定遠]]」と「[[鎮遠  (戦艦)|鎮遠]]」の2隻の[[ドイツ]]製戦艦を就役させた。この2隻は[[排水量#常備排水量|常備排水量]]7,144トン、主武装は[[クルップ]]製 30.5cm連装砲2基などであった。これに対し、当時日本海軍が保有していた「[[扶桑 (甲鉄艦)|扶桑]]」は常備排水量3,717トン、主武装はクルップ 24cm単装砲4基などで劣勢は明らかであった。
{| style="border:1px solid #000000;padding:2px;width:50%;" align="center"
|- bgcolor="#CCCCCC"
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|}
 
そのため、日本は「定遠」と「鎮遠」に対抗できる戦艦の建造を計画したが、予算が付かなかったため建造できずにいた1892年、11400トン級の戦艦の建造が計画された。しかしものの、又も予算不足で廃案になりかけた。だが、翌年に[[明治天皇]]が宮廷費節約、公務員の俸給1割減という[[勅令]]を出しようやく予算が確保された。建造はイギリスに発注され、「富士」は[[テムズ鉄工造船所|テムズ造船所]]、「八島」は[[アームストロング・ホイットワース|アームストロング社]]エルジック造船所で[[1894年]]に起工されたが竣工は1897年で[[日清戦争]]には間に合わず参加できなかった。
 
== 概要 ==
本型は、[[イギリス海軍]]の前弩級戦艦「[[ロイヤル・サブリン級戦艦|ロイヤル・サブリン級]]」の基本設計を用いた。加えて次級の[[マジェスティック級戦艦]]で採用した技術も取り入れている。さらにイギリスは輸出軍艦で自国海軍用の軍艦に将来採用する技術のテストを行う戦略を採っており、本型もその方針に則り主砲などの最新の技術がイギリス海軍の採用に先立って取り入れられた。
本型は[[イギリス海軍]]の前弩級戦艦「[[ロイヤル・サブリン級戦艦|ロイヤル・サブリン級]]」の改良型である。イギリスは輸出軍艦で自国海軍用の軍艦に採用する技術のテストを行う戦略を採っており、本型もそれに則って最新の技術が用いられた。主砲は新設計の「アームストロング 30.5cm(40口径)砲」を採用し、主砲は日本戦艦として始めて[[砲塔]]に収められ、長砲身の主砲を連装式砲塔に収めた。砲塔は全ての面を装甲板で覆われた長距離での砲戦を意識した物になっている。これは砲身や装填機構が露出した[[露砲塔]]であったロイヤル・サブリン級の欠点を改めた次級の「[[マジェスティック級戦艦|マジェスティック級]]」の主砲塔形式を先取りしたものと言えるが、斉射後は砲塔を艦の中心線に合わせないと次弾を装填できないという点に古さを残す。装甲は舷側水線457mm、甲板63.5mm、司令塔356mmである。この厚さは後の[[大和型戦艦]]をも凌ぐものであるが、これは二種類の硬さの異なる鉄板を貼り合わせた「複合甲鉄(コンパウンド・アーマー)」と呼ばれる装甲を用いるためで、次級の[[敷島型戦艦]]ではより新しい世代の装甲を用いる事で厚さを半分に減らすことになる。機関は主機[[蒸気機関|レシプロ蒸気機関]]2基、主缶[[ボイラー|石炭専燃缶]]10基で出力は13500hp、2軸推進で速力は18.3ktである。
 
主砲は、新設計の「アームストロング 30.5cm(40口径)砲」<ref>この砲([[:en:Armstrong Whitworth 12 inch /40 naval gun|Armstrong Whitworth 12 inch/40 naval gun]] = Mk. IX)は、[[マジェスティック級戦艦]]で初めて採用された[[コルダイト]]を装薬に使う35口径30.5cm砲([[:en:BL 12 inch Mk VIII naval gun|BL 12 inch Mk VIII naval gun]])の改良・後継型となる。</ref>を採用した(イギリス海軍ではさらに後の[[フォーミダブル級戦艦]]で採用された)。
 
また日本戦艦として初めて全面を装甲板で覆った連装式[[砲塔]]に主砲を収めた。これは「[[マジェスティック級戦艦|マジェスティック級]]」の形式を採用したものである。ただし砲塔を定位置に戻さなければ火薬庫からの給弾はできないという弱点が残っていた。
 
装甲は舷側水線457mm、甲板63.5mm、司令塔356mmであり、甲板を除く<ref>建造当時の交戦距離では厚くする必要が無かった。</ref>厚さは後の[[大和型戦艦]]をも凌ぐものである。これは本型の原型である「ロイヤル・ソブリン級」が、主装甲に以前からの「複合甲鉄(コンパウンド・アーマー)」を採用し、装甲厚が必要だったためである。これは表側に硬く脆い鋼鉄を、裏側に柔らかく靭性がある錬鉄という二種類の鉄板を貼り合わせた厚い装甲で、その重量のため主装甲の広範囲に装甲を張れず、防御力としてはのちの戦艦に劣ることとなった。なお主装甲以外の装甲には1889年に実用化されたばかりのハーベイ鋼を多用した。これは炭素鋼に浸炭焼入れを施し一枚だけで硬さと靭性を両立した。
 
富士型には主装甲にもハーベイ鋼を採用し減厚できる可能性もあった(イギリスでは[[マジェスティック級戦艦]]で採用)。しかし、重心の変動などに対応して設計を変更しなければならず緊迫する極東情勢に間に合わなくなってしまうため設計を変更せずに建造された<ref>海軍装甲技術史―戦艦富士・三笠から大和まで</ref>。
 
なお次級の[[敷島型戦艦]]では主装甲にもハーベイ鋼を採用し厚さも半分に減らし、装甲をより広範囲に張ることが可能になった<ref>さらに三笠だけはより強靭な[[クルップ鋼]]を採用した(イギリス海軍では後の[[カノーパス級戦艦]]で採用)。</ref>
 
機関は主機[[蒸気機関|レシプロ蒸気機関]]2基、主缶[[ボイラー|石炭専燃缶]]10基で出力は13500hp、2軸推進で速力は18.3ktである。
 
また、「富士」と「八島」は同型艦であるが相違点が多くある。建造費は「富士」が1,038万円、「八島」が1,050万円であった。
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== 艦形 ==
[[File:Fuji class battleship diagrams Brasseys 1896.jpg|thumb|left|200px|本型の武装・装甲配置を示した図。砲塔の後部が尖っているのは揚弾筒と装填機構があるため。]]
本型の船体形状は乾舷の高い平甲板型船体で[[衝角]]の付く艦首から艦首甲板上に30.5cm連装主砲塔が1基、その背後に司令塔を組み込んだ箱型艦橋からミリタリーマストが立つ。ミリタリーマストとはマストの上部あるいは中段に軽防御の見張り台を配置し、そこに37mm~47mmクラスの機関砲(速射砲)を配置した物である。これは、当時は水雷艇による奇襲攻撃を迎撃するために遠くまで見張らせる高所に対水雷撃退用の速射砲あるいは機関砲を置いたのが始まりである。形状の違いはあれどこの時代の列強各国の大型艦に多く用いられた様式であった。
 
本艦のミリタリーマストは外部に梯子を持つ円筒状となっており、頂部と中段に見張り台が設けられた。前部ミリタリー・マストの背後には2本煙突が立ち(本型のタイプシップである「ロイヤル・サブリン級戦艦」に代表される、当時のイギリス装甲艦・戦艦が、機関室の前後長を短縮するために、煙突を並列に配置しているのに対し、本型およびそれ以降の日本戦艦は、煙突を前後に配置している)、その周囲は煙管型の通風筒が立ち並ぶ艦載艇置き場となっており、2本1組のボート・ダビッドで運用された。艦載艇置き場の後部には基部にクレーンの付く後部ミリタリー・マストが立ち、その後ろの後部甲板上に2番主砲塔が配置された。
 
=== 主砲 ===
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副砲には「アームストロング 15.2cm(40口径)速射砲」を採用した。その性能は45.4kgの砲弾を、仰角20度で9,140mまで届かせられた。この砲を単装砲架で舷側に片舷5基(ケースメイト式2基、非ケースメイト式3基)ずつ計10基配置した。俯仰能力は仰角20度・俯角5度である。旋回角度は150度の旋回角度を持つ、砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に人力を必要とした。発射速度は毎分5~7発の設計であった。
 
他に近接戦闘用に[[フランス]]製の「オチキス 4.7cm(437cm(43口径)単装機砲」を採用した。その性能は1.5kgの砲弾を仰角12度で5,944mまで届かせられる優秀砲でイギリスでライセンス生産され、この時代の主流対水雷艇砲として[[第一次世界大戦]]末期まで用いられた。この砲を単装砲架で20基を装備した。俯仰能力は仰角25度・俯角5度である。砲身の俯仰・砲塔の旋回・砲弾の揚弾・装填は主に人力を必要とした。発射速度は毎分20発であった。他に「オチキス 4.7cm(337cm(33口径)単装機砲」を単装砲架で4基、対艦攻撃用に45.7cm魚雷発射管を単装で1基、水中装備で単装4基を装備した。
 
==同型艦==
*[[富士 (戦艦)|富士]]
*[[八島 (戦艦)|八島]]
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
==関連項目==
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== 外部リンク ==
* [http://kambun.jp/kambun/yoda-fujikan-yaku.htm 富士艦回航(依田学海)・・戦艦富士の英国からの回航についての記事。(日本漢文の世界)]
* {{Commonscat-inline}}
 
{{Commons|Category:Fuji class battleship}}
 
{{日本の戦艦}}
 
{{DEFAULTSORT:ふしかた}}
[[Category:富士型戦艦|*]]
[[Category:日本の戦艦|型ふしかた]]
[[Category:日露戦争の艦船|ふしかた]]
[[Category:日英軍事関係|ふしかた]]