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{{存命人物の出典明記|date=2018-05}}
{{Infobox baseball player
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| 背番号 = 77
| 画像 = 20181024_Tomochika_Tsuboi_coach_of_baystars_baystars_stadium.jpg
| 画像サイズ =
| 画像説明 = [[横浜DeNAベイスターズ]]コーチ時代 (2018年10月24日)
| 国籍 = {{JPN}}
| 出身地 = [[東京都]][[江東区]]
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* [[PL学園中学校・高等学校|PL学園高等学校]]
* [[青山学院大学硬式野球部|青山学院大学]]
* [[東芝
* [[阪神タイガース]] (1998 - 2002)
* [[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ<br />北海道日本ハムファイターズ]] (2003 - 2010)
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}}
'''坪井 智哉'''(つぼい ともちか、[[1974年]][[2月19日]] - )は、[[東京都]][[江東区]]出身<ref>[http://superagent.co.jp/athlete_tsuboi.html 株式会社スーパーエージェント]</ref>の元[[プロ野球選手]]([[外野手]]、左投左打)、[[プロ野球コーチ|コーチ]]、監督、[[野球解説者]]。
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
幼少期は[[愛知県]][[名古屋市]]、[[大阪府]][[三島郡 (大阪府)|三島郡]][[島本町]]で過ごした。父は元プロ野球選手で内野手の[[坪井新三郎]]([[中日ドラゴンズ|中日]]、[[埼玉西武ライオンズ|太平洋-クラウン]])<ref>[http://hokutonomado.com/archives/2009/05/post_528.html ファイターズ坪井選手の父、新三郎選手の現役時代と当時のライオンズの話] - 北海道観光研究所 北杜の窓
プロ野球選手の息子という環境もあり、幼少時代
坪井は小学生
高校卒業後は[[青山学院大学]]に進学
[[1997年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|1997年度プロ野球ドラフト会議]]にて[[阪神タイガース]]から4位指名を受け
=== 阪神時代 ===
{{by|1998年}}(1年目)
開幕の外野陣は
{{by|1999年}}
{{by|2000年}}
{{by|2001年}}
{{by|2002年}}
当時の人気選手だった坪井のトレードに球団首脳は渋い表情だったが星野監督は「[[金本知憲|金本]]が入って(坪井の)出場機会が減る。坪井の野球人生にとってもいい話」、「(交換相手の)野口は、どうしても欲しかった。矢野がけがをしても困らないためにな。彼が入ったことで、矢野も『負けるわけにはいかない』と刺激になるだろう」と坪井と野口のトレードを成立させた<ref>[https://www.sanspo.com/article/20200429-PQOSCH5E35PBRNRY2SLUGN55PA/ 2002年オフ 星野監督、大量リストラ&大補強断行] サンスポ 2020年9月23日閲覧</ref>。
=== 日本ハム時代 ===
{{by|2003年}}
{{by|2004年}}
{{by|2005年}}
{{by|2006年}}
{{by|2007年}}
{{by|2008年}}
{{by|2009年}}、スタメン起用は減少したが、開幕から左の代打の切り札として
{{by|2010年}}
序盤は代打として
同年10月2日
=== オリックス時代 ===
[[File:OB-Tomochika-Tsuboi20110615.jpg|thumb|オリックス時代<br />(2011年6月25日 神戸総合運動公園サブ球場にて)]]
{{by|2011年}}1月17日
=== 独立リーグ時代 ===
{{by|2012年}}、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[アリゾナ州]]で行われ
{{by|2013年}}6月から[[ユナイテッドリーグ・ベースボール]]の[[エディンバーグ・ロードランナーズ]]でプレーすることが決まる<ref>[https://ameblo.jp/tomochika-tsuboi/entry-11542992030.html やっと( ›◡ु‹ )] 坪井智哉オフィシャルブログ「TSUBOCHIKA SPIRITS」2013-06-01</ref>。だが同月27日、[[ハムストリング]]を痛め
{{by|2014年}}、[[アトランティックリーグ]]の[[ランカスター・バーンストーマーズ]]でプレーすることで大筋合意
=== 引退後 ===
引退発表後は
2014年10月31日、自身の公式ブログ
DeNA退団後は「ゆっくり外から野球を見るつもりだった」が、{{by|2022年}}より始動する[[独立リーグ]]・[[北海道フロンティアリーグ]]の[[石狩レッドフェニックス]]の老田よし枝球団代表より要請を受け{{R|
監督業の傍ら[[STVラジオ]]の野球解説者としても活動する。
== 選手としての特徴 ==
左右に打ち分けるセンスを持ち<ref name="y05">{{Cite book
入団1年目の活躍
* 新人最多連続試合安打:10試合({{by|2001年}}に[[赤星憲広
* 新人最多猛打賞:11回({{by|2016年}}に[[髙山俊
* 新人最多安打:135安打(2016年に髙山が更新し、髙山の記録を{{by|2019年}}に[[近本光司
* 新人最多マルチヒット:40回(2019年に近本が更新)
* 新人最高打率:.327(現在も坪井が保持)
阪神1年目で.327、日本ハムで.330の打率を残したが
青山学院時代
坪井が振り子打法に切り替えたのは大学3年時で、当時は[[佐々木誠 (野球)|佐々木誠]]のように足を大きく上げ、タイミングを取るスタイルだったが、変化球に弱く三振が多いことに悩んでいた。打撃で悩んでいた同時期に[[イチロー]]が[[振り子打法]]で大ブレイクするのを見て、「変化球に対応するには、あの打法がええんちゃうの?」と振り子打法を真似したのが始まりだった。しかし「ただ単にイチローの振り子打法を真似しても試合で打てないから、自分なりにアレンジし、少しずつ試合で打てるようになった」と現役引退後に述べている<ref>
== 人物 ==
東芝時代、練習では金属バット
私生活では食
幼少時代からドラフト会議で
坪井の長男(坪井洸之介)は父に憧れ、野球を始めた当初は右打ちだったが左打ちに変更している。そ
阪神時代はメディアの人間を寄せ付けない空気を出していた。本人は「僕は弱い人間なので、活字になったモノを目にしてしまうと、人より落ち込み度が高いと思う。自分を守るために本音は言いませんでした」
大の[[コーヒー]]
{{by|2007年}}1月5日
札幌ドームの
現役引退後
前述の
野球では左投左打であったが、箸は右手で持つ<ref>{{Cite web
=== 交友 ===
阪神時代には
[[入来祐作]]
[[稲葉篤紀]]とは、大学時代
=== イチローとの関係 ===
そ
坪井はイチローのことを「野球生活の中で一番影響を受けた人物」と話し、引退を決断した時に家族以外で最初に報告したのはイチローで、「3.4時間ずっとしゃべってました。相談ではなく引退の報告というか、意志を伝えにいきました。野球人生の中で、一番影響を受けた人物ですし、尊敬している。イチローは独立リーグの環境の悪さとか、びっくりしていました」と引退会見で明かした{{R|wbb20140829}}<ref name="zakzak20140819">[https://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20140819/bbl1408191532007-n1.htm 引退した元阪神・坪井が吐露した米独立リーグの過酷さ 月給20万円以下、宿泊先がない日も…] zakzak(2014.08.19)</ref>。▼
坪井が現役引退することを本人から直接聞いたイチローは、「技術を突き詰めていく、自分の能力の行けるところまで、っていうのは(坪井から)常に感じていた。それはいくつになってもそう、今年もそうだった。野球が好き、と言っても、子供の、リトルリーグのそういう感覚じゃない。ストレスがないものではない」<ref>[https://www.daily.co.jp/newsflash/mlb/2014/08/17/0007242164.shtml イチロー、坪井の引退に「寂しくなる」] デイリースポーツ2014年8月17日</ref>と坪井の野球に対する姿勢に共感していたと同時に、「(坪井は)好きで野球をやっている。それ(引退)を決めるのが大変なタイプ」<ref>[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/08/16/kiji/K20140816008755730.html イチロー 同学年の坪井の引退「寂しくなる」] スポーツニッポン2014年8月16日</ref>、「けがで(十分に)やれなかったのは残念」<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201408/2014081600145 イチロー、坪井引退に「残念」=米大リーグ] 時事通信 </ref>と坪井の現役引退を残念がっていた。▼
▲坪井はイチロー
イチローが2018年5月3日、マリナーズと“スペシャルアシスタントアドバイザー<ref>{{Cite web |date=2018-05-04 |url=http://m.mlb.com/news/article/275148362/bob-melvin-reflects-on-time-managing-ichiro |title=Melvin reflects on his time managing Ichiro |publisher=Seattle Mariners |language=英語 |accessdate=2018-05-04}}</ref>”〈会長付特別補佐<ref>{{Cite press release |title=Mariners outfielder Ichiro Suzuki transitioning to new role; beginning today will work as special assistant |publisher=Seattle Mariners |date=2018-05-03 |url=https://www.mlb.com/news/mariners-outfielder-ichiro-suzuki-transitioning-to-new-role/c-275072724 |format=HTML |language=英語 |accessdate=2017-05-04}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title=イチロー、今季は出場せずマリナーズのフロント入り-MLB・コム |newspaper=Bloomberg |date=2018-05-04 |url=https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2018-05-03/P865A36TTDS201 |accessdate=2018-05-04}}</ref>〉の契約を結び、選手としては同年の残り試合は出場しないことが発表された。これにより半永久的にマリナーズに留まることとなった<ref>{{Cite web |和書 |title=マリナーズ生涯契約、日本復帰消滅/イチロー写真館 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201805030000941.html |date=2018-05-03 |accessdate=2018-05-03 |language=ja-JP |work=日刊スポーツ}}</ref><ref>{{Cite web |和書 |title=イチローと球団の思惑合致、来季以降選手で出場可能 |url=https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/201805040000003.html |date=2018-05-04 |accessdate=2018-05-03 |language=ja-JP |work=日刊スポーツ}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title=イチロー マ軍と異例の生涯契約 特別アドバイザーに 今季選手出場せず来季日本開幕戦で「復帰」も |newspaper=スポーツニッポン |date=2018-05-04 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/05/03/kiji/20180504s00001007039000c.html |accessdate=2018-05-04}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title=イチロー事実上引退…マ軍特別アドバイザー就任、来季以降は試合出場可能 |newspaper=スポーツ報知 |date=2018-05-04 |url=https://hochi.news/articles/20180504-OHT1T50059.html?page=1 |accessdate=2018-05-04}}</ref><ref>{{Cite news |和書 |title=イチロー、電撃フロント転向!マリナーズと生涯契約へ 今季残り試合プレーせず |newspaper=産経スポーツ |date=2018-05-04 |author=産業経済新聞社 |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20180504/mlb18050405050002-n1.html |accessdate=2018-05-04}}</ref>。この報道に対して坪井は「僕はプレーヤーとしての彼を見ていたいので、応援するというスタンスに変わりはない」、「映像を見ていてもまだできると思う。単純にプレーしている姿を見たいし応援したい」とコメントし、2018年にイチローがマリナーズに復帰することが決定した際には祝福メールを送り、今もオフには熱い談議を交わす仲である<ref>{{Cite news |和書 |title=イチローの親友・DeNAの坪井コーチは「これからも応援」 |newspaper=サンスポ.COM |date=2018-05-04 |author=サンスポ.COM |url=https://www.sanspo.com/article/20180504-B54YHEWAZFPH5FRLJE4NUYMUNU/ |accessdate=2018-05-04}}</ref>。▼
▲坪井
2019年3月21日をもってイチローが現役引退すると発表した際、「僕の野球人生に凄く影響を与えてくれた人」「ただただ驚いている。50歳までできると思っていた。毎年一緒に練習をしていて、今も勉強のために自主トレを見させてもらっている。動きは変わらないし、まだできると思っている。春先が悪いのはいつものことだから心配していなかった」とオープン戦の不調は気にしていなかったが、突然の引退発表に驚いていた。▼
また、打撃コーチ就任後のコーチングへのアドバイスをもらっていたことも明かし、「45歳であれだけ動けるのは驚異でしかない。打席に立てばまた打ち出すんじゃないかって期待もある。でも彼が決めたことだから」とイチローの現役引退を惜しんだ<ref>{{Cite news |和書 |title=【イチロー引退】ベイ選手・コーチ「打ち続けると思っていた」 |newspaper=カナロコ 神奈川新聞 |date=2019-03-22 |author=カナロコ 神奈川新聞 |url=https://www.kanaloco.jp/sports/baseball/baystars/entry-156101.html |accessdate=2019-03-23}}</ref>。阪神タイガースに所属していた若手時代から近くでイチローの姿を見てきた坪井は、「友達であり、野球選手として付き合ってきた。いろいろなことを考えていて私生活も全て野球に捧げてきた人」とイチローの現役時代を振り返った。3月20日のマリナーズ開幕戦では東京ドームに駆けつけ「国民的ヒーローなんだとあらためて感じた。昨夜の会見も全て見たけどさすがですね」と敬意を表した<ref>{{Cite news |和書 |title=DeNA・坪井コーチ、同学年の盟友イチロー引退惜しむ「まだできると思っている」 |newspaper=スポニチアネックス |date=2019-03-22 |author=スポニチアネックス |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/03/22/kiji/20190322s00001173315000c.html |accessdate=2019-03-23}}</ref>。▼
▲2018年、イチローのマリナーズ復帰が決定したときには祝福メールを送り、今もオフには熱い談議を交わす仲である<ref>{{Cite web ja |url=https://www.sanspo.com/article/20180504-B54YHEWAZFPH5FRLJE4NUYMUNU/ |title=イチローの親友・DeNAの坪井コーチは「これからも応援」 |website=サンスポ.COM |date=2018-05-04 |accessdate=2018-05-04}}</ref>。同年5月3日、イチローがマリナーズと
▲=== 振り子打法に変更 ===
▲青山学院時代にバッティングフォームを阪神入団時のような[[振り子打法]]に切り替えた。当時の監督である[[河原井正雄]]は、「坪井はインコースの球に差し込まれるケースが多かった。本人は否定していたが、それを克服しようと試行錯誤し、たどり着いたのが少し体を開いた状態で打つようになったフォーム(振り子打法)だった」と語っている。
▲イチローが、2019年3月21日をもって
▲坪井が振り子打法に切り替えたのは大学3年時で、当時は[[佐々木誠 (野球)|佐々木誠]]のように足を大きく上げ、タイミングを取るスタイルだったが、変化球に弱く三振が多いことに悩んでいた。打撃で悩んでいた同時期に[[イチロー]]が[[振り子打法]]で大ブレイクするのを見て、「変化球に対応するには、あの打法がええんちゃうの?」と振り子打法を真似したのが始まりだった。しかし「ただ単にイチローの振り子打法を真似しても試合で打てないから、自分なりにアレンジし、少しずつ試合で打てるようになった」と現役引退後に述べている<ref>[http://thepage.jp/detail/20141008-00000001-wordleafs?page=2 イチローの振り子打法の元祖論争に決着!] THE PAGE(2014.10.08)</ref>。
▲また
== 詳細情報 ==
242 ⟶ 229行目:
=== 年度別打撃成績所属リーグ内順位 ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:small;"
|-style="line-height:1.25em;"
!年<br /><br />度!![[年齢|年<br /><br />齢]]!!リ<br />|<br />グ!!打<br /><br />率!!安<br /><br />打!!二<br />塁<br />打!!三<br />塁<br />打!!本<br />塁<br />打!!打<br /><br />点!!盗<br /><br />塁!!出<br />塁<br />率
347 ⟶ 334行目:
* [[JA全農Go・Go賞]]:1回(最多二・三塁打賞:1998年8月)
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]優秀選手賞:1回(2000年第2戦)
* [[サンケイスポーツ|サンスポ]]MVP大賞:1回(1998年<ref>{{Cite
=== 記録 ===
364 ⟶ 351行目:
* プロ初本塁打がランニング本塁打:達成日等は上記「初本塁打」の項を参照 ※2リーグ制以後3人目(過去の達成者は[[武上四郎]]・[[緒方耕一]]、後に[[水田圭介]]・[[内村賢介]]などがいる)
* 初回先頭打者ランニング本塁打:達成日等は上記「初本塁打」の項を参照 ※史上5人目(新人では史上初)
* 規定打席以上で併殺打0:1998年達成 ※史上9人目(1997年の[[武藤孝司]]以来の記録。阪神の選手としては1953年の[[金田正泰]]、1969年の[[藤田平]]に次ぎ3人目。
* セ・パ両リーグ1年目で規定打席に到達し打率3割以上:セで1998年に打率.327、パで2003年に打率.330を記録し達成 ※史上初
* 新人から2年連続で打率3割以上:1999年達成 ※史上4人目(過去の達成者は[[長嶋茂雄]]・[[横田真之]]・[[高橋由伸]])
370 ⟶ 357行目:
* セ・リーグ歴代新人最高打率.327:1998年達成
* 外野手最多補殺:1回(1999年:11)
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:2回
=== 背番号 ===
404 ⟶ 391行目:
{{NPB|81983886}}
{{MLBstats |mlb= |espn= |br= |fangraphs= |cube=Tomochika-Tsuboi |brm=tsuboi001tom}}
* [https://sp.baseball.findfriends.jp/player/19740011/ 選手情報] - 週刊ベースボールONLINE
* {{Ameba ブログ|tomochika-tsuboi|坪井智哉オフィシャルブログ「TSUBOCHIKA SPIRITS」}}
* {{Facebook|TomochikaTsuboi}}
415 ⟶ 403行目:
[[Category:PL学園高等学校出身の野球選手]]
[[Category:青山学院大学硬式野球部の選手]]
[[Category:東芝
[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]]
[[Category:北海道日本ハムファイターズ及びその前身球団の選手]]
426 ⟶ 414行目:
[[Category:石狩レッドフェニックス]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:東京都出身のスポーツ選手]]
[[Category:1974年生]]
[[Category:存命人物]]
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