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{{脚注の不足|date=2020年4月}}
'''桂 文之助'''(かつら ぶんのすけ)は、[[落語家]]の[[名跡]]。[[上方落語|上方]]と[[江戸落語|江戸]]の二流あり、上方の方は[[桂枝雀 (2代目)|2代目桂枝雀]]門下の[[桂文之助 (3代目)|桂雀松]]が2013年10月に襲名したが、江戸は空き名跡のままである。また、上方の方は大名跡である。
 
== 江戸 - 3代目 ==
'''* 初代 桂文之助'''( - [[生没年不詳]])は、初め[[司馬才治良]]の門人で才助を名乗り、後に文之助から我楽になったことが『落語家奇奴部類』に記されている。その他の詳細は不明。
=== 初代 ===
'''* {{Anchors|2代目}}2代目 桂文之助'''(生没年不詳)は、 - 『文之助系図』によれば[[桂文治#江戸4代目|江戸4代目桂文治]]の門人で、あだ名を「ロビル([[唇]])」といった人が文之助を名乗ったという。[[嘉永]]初年頃の『昔噺連中枝葉鏡』、同4年の『昔はなし』などに見える「文之助」「文の助」が、この人かと思われる。
'''初代 桂文之助'''([[生没年不詳]])は、初め[[司馬才治良]]の門人で才助を名乗り、後に文之助から我楽になったことが『落語家奇奴部類』に記されている。その他の詳細は不明。
'''* 江戸3代目 桂文之助'''([[1857年]][[12月16日]] - [[1923年]][[8月13日]])は、後の'''[[三遊亭小圓朝#2代目|2代目三遊亭小圓朝]]。本名: 芳村忠次郎。[[享年]]67'''
 
=== 2江戸4代目 ===
'''2代目 桂文之助'''(生没年不詳)は、『文之助系図』によれば[[桂文治#江戸4代目|江戸4代目桂文治]]の門人で、あだ名を「ロビル([[唇]])」といった人が文之助を名乗ったという。[[嘉永]]初年頃の『昔噺連中枝葉鏡』、同4年の『昔はなし』などに見える「文之助」「文の助」が、この人かと思われる。
 
=== 3代目 ===
'''3代目 桂文之助'''([[1857年]][[12月16日]] - [[1923年]][[8月13日]])は、後の[[三遊亭小圓朝#2代目|2代目三遊亭小圓朝]]。本名: 芳村忠次郎。[[享年]]67。
 
=== 4代目 ===
{{落語家
| 芸名 = 4代目 {{ruby|桂|かつら}} {{ruby|文之助|ぶんのすけ}}
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| 師匠 = [[桂文治 (6代目)|6代目桂文治]]
| 弟子 =
| 名跡 = 1. 桂文仙<br />2. [[桂文吉]]<br />3. 4代目桂文之助( - 1917年)
| 出囃子 =
| 活動期間 = ? - 1917年
45 ⟶ 41行目:
江戸4代目[[桂文治]](渡邊平三郎)の次男とも三男ともいわれ、[[桂文治 (6代目)|6代目桂文治]]の実弟に当たり、その弟子となる。桂文仙、文吉を経て、4代目文之助を襲名。落語家としては大成しなかったが、筆写が得意であったため、晩年は[[三遊派]]の書記や税務などを務めていた。1917年設立の演芸会社では高座に出ず事務員をした。その著『古今落語系圖一覽表(文之助系図)』は貴重な資料となっている。
 
=== 江戸5代目 ===
{{落語家
| 芸名 = 5代目 {{ruby|桂|かつら}} {{ruby|文之助|ぶんのすけ}}
61 ⟶ 57行目:
| 没月 =
| 没日 =
| 師匠 = [[三遊亭圓橘#3代目|3代目[[三遊亭圓橘]]
| 弟子 =
| 名跡 = 1. 三遊亭橘三(不詳)<br />2. 花の家蝶六(? - 1917年)<br />3. 翁家寿々馬(1917年 - 1922年)<br />4. 5代目桂文之助(1922年 - ?)
| 出囃子 =
| 活動期間 =
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| 備考 =
}}
'''5代目 桂文之助'''(生没年不詳)は、本名: 桂 東三。享年不詳。
 
[[桂文治 (6代目)|6代目桂文治]]の実子。初め神田の商家に奉公し、年季明けの後に3代目[[三遊亭圓橘]]の門下で橘三となる。[[大正]]に入り、[[北海道]]の[[小樽市|小樽]]で花の家蝶六と名乗り[[幇間]]となる。[[1917年]]、落語界に復帰し、翁家寿々馬を名乗り[[柳派]]に加入。[[1920年]]6月上野鈴本上席で真打格の披露、[[1922年]]、叔父に当たる4代目文之助の死後、その名を継ぐ。
 
== 上方各代 ==
'''*上方初代 桂文之助'''([[1842年]][[10月15日]] - [[1923年]][[7月2日]])は、後の'''[[曽呂利新左衛門#2代目|2世曽呂利新左衛門]]。本名: 猪里重次郎。享年81'''
=== 初代 ===
*上方2代目桂文之助 - 本項にて記述。
'''初代 桂文之助'''([[1842年]][[10月15日]] - [[1923年]][[7月2日]])は、後の[[曽呂利新左衛門|2世曽呂利新左衛門]]。本名: 猪里重次郎。享年81。
*'''[[桂文之助 (3代目)|上方3代目桂文之助]]''' - [[桂枝雀 (2代目)|2代目桂枝雀]]門下の[[桂文之助 (3代目)|桂雀松]]が2013年10月に襲名。
----
 
=== 2代目 ===
{{落語家
| 芸名 = 2代目 {{ruby|桂|かつら}} {{ruby|文之助|ぶんのすけ}}
89 ⟶ 86行目:
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = 山田 萬
| 別名 =
| 出身地 = {{JPN}}大阪
101 ⟶ 98行目:
| 師匠 = [[桂文團治#初代|初代桂文團治]]<br />初代桂文之助
| 弟子 = [[桂春之助|文の家春之助]]<br />[[桂春輔#初代|初代桂春輔]]<br />文の家恋しく(後に[[漫才]]に転じ[[文の家恋しく・たより]])
| 名跡 = 1.[[桂小團治|初代桂小團治]](1887年 - )<br />2.桂桂馬<br />3.[[艶文亭かしく]](または「文の家かしく」「桂かしく」、 - 1884年)<br />4.桂小團治(1884年 - )<br />5.艶文亭かしく<br />6.2代目桂文之助(1900年 - )<br />7.文の家文之助( - 1920年)
| 出囃子 =
| 活動期間 = 1877年 - 1920年
113 ⟶ 110行目:
| 備考 =
}}
'''2代目 桂文之助'''([[1859年]] - [[1930年]][[4月16日]])は、本名: 山田萬太郎(萬次郎とも)。享年72。
=== 初代 経歴===
 
大坂新町の米屋の子。子供の頃に[[寺子屋]]の仲間に[[大阪]]を代表する[[歌舞伎役者]]の[[中村鴈治郎 (初代)|初代中村鴈治郎]]がいたという。[[1877年]]頃、[[桂文團治#初代|初代桂文團治]]門下で[[桂小團治|初代桂小團治]]。後、初代文之助門下に移り、桂桂馬、[[艶文亭かしく]](または「文の家かしく」「桂かしく」)、[[1884年]]頃、再度小團治、翌年、またもかしくを経て、[[1900年]][[6月14日]]、2代目桂文之助を襲名。また「文の家文之助」の名も用いている。
 
なお、改名襲名の順が史料によって異なっているのは、出席する[[寄席]]によって名前を「[[艶文亭かしく]]」「文の家かしく」「桂かしく」などと使い分け、文之助襲名後も「文の家文之助」を名乗ったりと、様々な使い分けをしていたためと思われる。
 
後年は、主に京都の寄席・笑福亭で[[真打]]として活躍。[[1910年]]、京都[[東山 (京都府)|東山]]の[[高台寺]]に自身の扇子を奉納、[[1920年]]に完全に引退し高台寺に引退興行の代わりに石碑を建てた。境内に以前から営んでいた茶店「[[文の助茶屋]]」に亭主に専念(いわゆる芸能人プロデュースビジネスの嚆矢と言われている<ref name="THE_PAGE">{{Cite web |和書|url=http://thepage.jp/detail/20140805-00000006-wordleaf |title=篠田麻里子ブランド閉店で注目 芸能人プロデュースの実態は? (1/3) |accessdate=2014-08-05 |author=JAPAN芸能カルチャー研究所 |date=2014-08-05 |work=THE PAGE |publisher=Wordleaf}}</ref>。現在も残るが場所は[[八坂上町]]に移転して営業)、悠々自適の余生を送った。「文の助茶屋」では主に甘酒を売っていたという。この引退の裏には、[[漫才]]に圧倒されつつあった当時の上方落語界に対する憤懣があったようである。墓所は京都市東山区圓徳院。
 
===人物===
性格は実直で、噺家には珍しく酒・賭博の類いには手を染めなかった。
 
131 ⟶ 129行目:
なお、[[森乃福郎|初代森乃福郎]]は'''3代目桂文之助'''を継承したい意向があったが、これは福郎の師匠が、2代目文之助の実子に当たる[[笑福亭福松#3代目|3代目笑福亭福松]](2代目[[文の家かしく]])であったことに由来する。
 
=== 3代目脚注 ===
=== 参考文献 ===
[[桂枝雀 (2代目)|2代目桂枝雀]]門下の[[桂文之助 (3代目)|桂雀松]]が2013年10月に襲名。
 
''[[桂文之助 (3代目)]]''の項目参照。
 
== 出典・脚注 ==
*『古今落語系図一覧表(文之助系図)』(日本芸術文化振興会、2004年)
*『落語系圖』([[月亭春松]]編) - 2代目文之助の記述に関してはひどく混乱しており、各項によって襲名順はばらばらである。
142 ⟶ 136行目:
*『桂春団治』([[富士正晴]]著)「上方落語年表」
*『古今東西噺家紳士録』
=== 初代出典 ===
{{Reflist}}
 
150 ⟶ 145行目:
 
== 外部リンク ==
* [httphttps://wwwecstore.bunnosuke.jp/ 文の助茶屋] - 京甘味 文の助茶屋
 
{{デフォルトソート:かつら ふんのすけ}}