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| 日本語国名 = ボリビア多民族国
| 公式国名 = '''{{Lang|es|Estado Plurinacional de Bolivia}}'''<small>(スペイン語)</small><br />'''{{lang|ay|Bulibiya Suyu}}'''<small>(ケチュア語)</small><br />'''{{lang|gv|Tetã Volívia}}'''<small>(グアラニー語)</small><br />'''{{lang|qu|Buliwiya Mama Llaqta}}'''<small>(アイマラ語)</small>
| 国旗画像 = FlagBandera ofde Bolivia (stateEstado).svg
| 国章画像 = [[ファイル:Coat_of_arms_of_BoliviaEscudo de Bolivia.svg|100px|ボリビアの国章]]
| 国章リンク =([[ボリビアの国章|国章]])
| 標語 = ''{{Lang|es|La unión es la fuerza!}}''<br />([[スペイン語]]: 統一は力なり)
| 位置画像 = Bolivia (orthographic projection).svg
| 公用語 = [[スペイン語]]<br />[[ケチュア|ケチュア語]]<br />[[アイマラ語]]<br />[[グアラニー語]]<br />その他33の先住民言語{{See also|{{仮リンク|ボリビアの言語|en|Languages of Bolivia}}}}
| 首都 = [[スクレ (ボリビア)|スクレ]]([[デ・ジュリ|憲法上]])<ref group="注">憲法上の首都であり、司法府(最高裁判所)の所在地。</ref><br>[[ヌエスト・セニョーラ・デ・ラ・パス]](ラパス、[[デ・ファクト|事実上]])<ref group="注">事実上の首都で、立法府・行政府の所在地。</ref>
| 最大都市 = [[サンタ・クルラパ・デ・ラ・シエラ]]
| 元首等肩書 = [[ボリビアの大統領|大統領]]
| 元首等氏名 = 空席[[ルイス・アルセ]]
| 首相等肩書 = {{仮リンク|ボリビアの副大統領|label=副大統領|en|Vice President of Bolivia}}
| 首相等氏名 = 空席{{ill2|デビッド・チョケファンカ|en|David Choquehuanca}}
| 他元首等肩書1 = [[w:President of the Chamber of Senators of Bolivia|上院議長・<br/>暫定大統領]]
| 他元首等氏名1 = [[ヘ{{ill2|ンドロアニェロドリゲ]]|en|Andrónico Rodríguez}}
| 他元首等肩書2 = [[w:President of the Chamber of Deputies of Bolivia|下院議長]]
| 他元首等氏名2 = イスラエル・ワイタリ
| 面積順位 = 27
| 面積大きさ = 1 E12
| 面積値 = 1,098,581
| 水面積率 = 1.3%
| 人口統計年 = 20152020
| 人口順位 = 8280
| 人口大きさ = 1 E6
| 人口値 = 11,673,000<ref name=population>{{Cite web |url=http://data.un.org/en/iso/bo.html |title=UNdata |publisher=国連 |accessdate=2021-10-13 }}</ref>
| 人口値 = 10,800,882<ref name="CIA_WFB">[[中央情報局|CIA]] [[ザ・ワールド・ファクトブック|The World FACTBOOK]] 2016年9月15日閲覧</ref>
| 人口密度値 = 910.838<ref name=population/>
| GDP統計年元 = 20142020
| GDP値元 = 2527億1800万<ref name="imf2021">{{Cite web|url=https://www.imf.org/en/Publications/WEO/weo-database/2021/October/weo-report?c=218,&s=NGDP_R,NGDP_RPCH,NGDP,NGDPD,PPPGDP,NGDP_D,NGDPRPC,NGDPRPPPPC,NGDPPC,NGDPDPC,PPPPC,PPPSH,PPPEX,NID_NGDP,NGSD_NGDP,PCPI,PCPIPCH,PCPIE,PCPIEPCH,TM_RPCH,TMG_RPCH,TX_RPCH,TXG_RPCH,LUR,LP,GGR,GGR_NGDP,GGX,GGX_NGDP,GGXCNL,GGXCNL_NGDP,GGXONLB,GGXONLB_NGDP,GGXWDN,GGXWDN_NGDP,GGXWDG,GGXWDG_NGDP,NGDP_FY,BCA,BCA_NGDPD,&sy=2018&ey=2026&ssm=0&scsm=1&scc=0&ssd=1&ssc=0&sic=0&sort=country&ds=.&br=1|title=World Economic Outlook Database|publisher=[[国際通貨基金|IMF]]|language=英語|accessdate=2021-11-7}}</ref>
| GDP値元 = 2,280億<ref name="economy">[[国際通貨基金|IMF]] World Economic Outlook Database 2016年9月15日閲覧</ref>
| GDP統計年MER = 20152020
| GDP順位MER = -91
| GDP値MER = 3323683900万<ref name="CIA_WFBimf2021" />
| GDP MER/人 = 3,167.612(推計)<ref name="imf2021"/>
| GDP統計年 = 2015
| GDP順位統計年 = 952020
| GDP順位 = 92
| GDP値 = 744億<ref name="CIA_WFB" />
| GDP/人 = 6,500965億9200万<ref name="CIA_WFBimf2021" />
| GDP/人 = 8,305.422(推計)<ref name="imf2021"/>
| 建国形態 = [[独立]]
| 建国形態 = [[国家の独立|独立]]
| 建国年月日 = [[スペイン]]より<br />[[1825年]][[8月6日]]
| 通貨 = [[ボリビアーノ]] (Bs)(Bs)
| 通貨コード = BOB
| 時間帯 = -4
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| 注記 = <references group="注"/>
}}
'''ボリビア多民族国'''<ref name="日本国外務省">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/data.html ボリビア多民族国(The Plurinational State of Bolivia)基礎データ] 日本国外務省(2022年7月17日閲覧)</ref>(ボリビアたみんぞくこく、{{Lang-es-short|Estado Plurinacional de Bolivia}}、{{Lang-qu|Buliwiya Mama Llaqta}}、{{Lang-ay|Bulibiya Suyu}})、通称'''ボリビア'''は、[[南アメリカ大陸]]西部位置する[[立憲]][[共和制国家]]。[[憲法]]上の[[首都]]は[[スクレ (ボリビア)|スクレ]]だが、[[ラパス]]が実質的な首都機能を担っており<ref name="日本国外務省"/>、[[多民族立法議会|議会]]をはじめとした[[政府]]主要機関は[[ラパス]]にあが所在する。ラパスは[[標高]]3600メートル<ref name="日本国外務省"/>で、世界高度にある首都となっている<ref name="bolib01" />。
 
[[太平洋戦争 (1879年-1884年)|太平洋戦争]]で敗れて[[チリ]]に[[太平洋]]海岸部の[[領土]]を奪われて以降は[[内陸国]]となっており<ref name="読売20220615">【世界 in-depth 深層】ボリビア:内陸国 特別な「海の日」 戦争で喪失 経済低迷『[[読売新聞]]』朝刊2022年6月15日(国際面)</ref>、南西はチリ、北西は[[ペルー]]、北東は[[ブラジル]]、南東は[[パラグアイ]]、南は[[アルゼンチン]]と[[国境]]を接する。
 
== 概要 ==
面積は約110万平方キロメートルで、[[日本]]の約3.3倍<ref name="日本国外務省"/>。[[アメリカ大陸]]では8番目に、[[ラテンアメリカ]]では6番目に、世界的には27番目に大きい国である。日本が、上記約3.3倍の広さであように領土を隣国に奪われ前はさらに広かったかつてボリビアより広大な国土面積を有し[[太平洋]]沿部にも領土があったが、周辺国と戦争に負け続けたた奪還を諦に現在は最大時の半分ほどである。北と東を[[ブラジル]]ておらず南を[[アルゼンチカカ湖]]、南東をや河川で活動する[[パラグボリビ海軍]](兵力4800人)を保持しているほか南西3月23日を[[海の日 (ボビア)]]と定め北西を[[ペルー国際司法裁判所]]に囲ま提訴(2018年に「チリは交渉に応じる義務はないが、善隣の精神に基づいた対話継続を妨げない」との判断が示された[[内陸国]]であ)す。[[南半球]]にあり、晴れなどしていれば[[南十字星]]が見える<ref name="bolib01読売20220615">眞鍋周三編著 『ボリビアを知るための73章 【第2版】 』 明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年 20ページ</ref>。
 
[[南半球]]にあり、晴れていれば[[南十字星]]が見える<ref name="bolib01">眞鍋周三編著『ボリビアを知るための73章』第2版([[明石書店]] <エリア・スタディーズ 54> 2013年)20ページ</ref>。
 
かつて「黄金の玉座に座る乞食」と形容されたように、豊かな天然資源を持つにもかかわらず実際には貧しい状態が続いており、現在もラテンアメリカ貧国の一つである。推定1万4000の[[日系ボリビア人]]がおり<ref name="読売20220615"/>、日本人町もある<ref>[https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2017/bolivia.html ボリビア(2017年度)][[国際交流基金]]</ref>。
 
== 国名 ==
[[File:Bl-map.png|thumb|right]]
[[公用語]]による正式名称は、スペイン語で {{Lang|es|Estado Plurinacional de Bolivia}}<ref>{{Cite web|author=国際連合地名標準化会議作業部会|authorlink=国際連合地名標準化会議|date=2009年8月|url=http://unstats.un.org/unsd/geoinfo/UNGEGN-Working-Groups/UNGEGN%20WG%20Country%20Names%20Document%20-%20August%202009.pdf|title=UNGEGN List of Country Names, August 2009|format=PDF|pages=15頁|language=英語|accessdate=2010-05-31}}<!-- http://unstats.un.org/unsd/geoinfo/ungegnwgroups.htm -->{{リンク切れ|date=2012年4月}}</ref>。公式のケチュア語表記は {{Lang|qu|Bulibiya Suyu}}, 公式のアイマラ語表記は {{Lang|ay|Buliwya}} である。通称は {{Lang|es|Bolivia}} {{IPA-es|boˈliβia||ES-pe - Bolivia.ogg}}。
 
[[2009年]][[3月18日]]に、それまでの{{Lang|es|República de Bolivia}}(<!--レプブリカ・デ・ボリビア。日本語表記は「-->ボリビア共和国<!--」-->)から現国名へ変更した<ref>{{Cite web|url=http://www.derechoteca.com/gacetabolivia/decreto-supremo-0048-del-18-marzo-2009.htm|title=DECRETO SUPREMO No 0048 del 18 Marzo 2009 | Derechoteca Gaceta Bolivia 5|language=スペイン語|accessdate=2010-05-31}}</ref>。
 
公式の英語表記は {{Lang|en|Plurinational State of Bolivia}}<ref name="日本国外務省"/><!--(プラリネーショナル・ステート・オブ・ボリヴィア)-->。通称は {{Lang|en|Bolivia}} {{IPA-en|bəˈliviə||en-us-Bolivia.ogg}} となっている。
 
日本語の表記は、'''ボリビア多民族国'''<ref>{{Cite web|authorname="日本国外務省|authorlink=外務省|date=2010年5月|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/data.html|title=外務省: ボリビア多民族国|language=日本語|accessdate=2010-05-31}}<"/ref>。通称は、'''ボリビア'''。また、'''ボリヴィア'''とも表記される。また公式ではないが、[[外国地名および国名の漢字表記一覧|漢字表記]]としては、「暮利比亜」「保里備屋」「玻里非」「波力斐」などが使われる。漢字一文字の略称では「暮国」が使われることが多い。
 
[[国家の独立]]前は[[アルト・ペルー]](上ペルー、高地ペルー)と呼ばれていたが、独立に際して[[ラテンアメリカ]]の解放者として知られる[[シモン・ボリバル]]将軍と、[[アントニオ・ホセ・デ・スクレ]]将軍に解放されたことを称えて、国名をボリビア、首都名をスクレ(旧チャルカス)と定めた。
 
== 歴史 ==
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=== 先コロンブス期の発展 ===
{{Main|先コロンブス期}}
* [[紀元前2千年紀|紀元前1500年]]ごろから[[紀元前3世紀|紀元前250年]]ごろ:[[チリパ]]文化が栄える。
* [[5世紀]]から[[12世紀]]ごろ:[[ティワナク|ティワナク文化]]が栄える。
* [[12世紀]]ごろから[[1470年]]ごろ:[[チチカカ湖]]沿岸に[[アイマラ]]諸王国が栄える。
* [[1470年]]ごろから[[1532年]] アイマラ諸王国が[[クスコ]]に拠点を置いていた、[[ケチュア]]人の皇帝[[パチャクテク]]や、[[トゥパック・インカ・ユパンキ]]の征服により[[インカ帝国|タワンティン・スウユ]]({{lang-qu|Tawantin Suyu}}、[[インカ帝国]])の[[インカ帝国#国名|コジャ・スウユ]]({{lang-qu|Colla Suyo}}、「南州」)に編入される。インカ帝国内にてアイマラ諸王国は継続。
 
=== スペイン植民地時代 ===
{{See also|スペインによるアメリカ大陸の植民地化}}
 
* [[1532年]] インカ皇帝[[アタワルパ]]がスペイン人[[コンキスタドール]]により処刑され、インカ帝国は崩壊。[[スペイン]]によるアメリカ大陸の植民地化|スペインによる植民地化]]が始まる。
* [[1535年]] [[フランシスコ・ピサロ]]により[[ペルー副王領]]が作られる。[[ディエゴ・デ・アルマグロ]]の遠征軍が[[アルト・ペルー]]を探検する。
* [[1538年]] [[ゴンサロ・ピサロ]]の軍がアルト・ペルーに遠征し、首長[[アヤビリ]]を降してこの地を植民地化する。
* [[1540年]] ラ・プラタ市(後のチュキサカ、チャルカス、スクレ)が建設される。
* [[1545年]] [[ポトシ]]銀山発見。以降現在のペルーを始めとする諸地域から多くの[[インディオ]]が鉱山のミタにより、ポトシで強制労働させられることになる。
* [[1548年]] アロンソ・デ・メンドーサにより、チチカカ湖の近くに[[ラパス|ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・パス]]市が建設される。
* [[1559年]] チャルカス(後の[[スクレ (ボリビア)|スクレ]])に聴問庁(アウディエンシア)が設置される。このころから独立まで現ボリビアの地域は「[[アルト・ペルー]](高地ペルー、上ペルー)」と呼ばれる。
* [[1559年]] 東部のチャコ地方に[[サンタクルス|サンタ・クルス・デ・ラ・シエラ]]が建設される。
* [[1569年]] ペルー副王フランシスコ・デ・トレドの統治が始まる。銀山採掘のためにポトシは人口十万人を超える都市として発展し(当時の[[ロンドン]]より大きい)、銀採掘のためにミタ制によりかき集められたインディオは、過酷な労働と病気で次々に死んでいった。
* [[18世紀]] ポトシの銀が急速に枯渇する
* [[1776年]] アルト・ペルーがペルー副王領から[[リオ・デ・ラ・プラタ副王領]]に転入され、以降経済や司法が副王首府の[[ブエノスアイレス]]に従属することになる。スペイン本国生まれ([[ペニンスラール]])の少数支配に反対して現地生まれのスペイン人([[クリオーリョ]])による反抗運動が起こった。
* [[1778年]] ブエノスアイレス港が正式に開港し、以降アルト・ペルーの海外貿易がブエノスアイレスを通じて行われるようになる。
* [[1780年]] ペルーで[[ホセ・ガブリエル・コンドルカンキ|トゥパク・アマルー2世]]が植民地政府に反乱を起こす。
* [[1781年]] ペルーのトゥパク・アマルー2世と呼応して、レパルティミエントやミタ制の重い負担の廃止を求めた、[[アイマラ|アイマラ人]] の[[トゥパク・カタリ]]による反乱蜂起があったが、これは鎮圧された。鎮圧後、インディオに対する当局の弾圧は強まった。トゥパク・カタリは現在もボリビアの国民的英雄になっている。
 
=== 解放戦争から独立まで ===
{{See also|近代における世界の一体化#ラテンアメリカ諸国の独立|[[ボリビア独立戦争]]}}
 
* [[1809年]]:ラパスと[[チュキサカ県|チュキサカ]]でクリオーリョによる独立運動が起こる({{仮リンク|ラパス革命|es|Junta Tuitiva|en|La Paz revolution}}、{{仮リンク|チュキサカ革命|es|Revolución de Chuquisaca|en|Chuquisaca Revolution}})。ボリビア最初の独立運動であり、[[キト]]と共にラテンアメリカで最も早かった。
[[File:Simon Bolivar.jpg|thumb|upright|初代ボリビア大統領にして「[[リベルタドーレス|解放者]]」、[[シモン・ボリバル]]]]
* [[1810年]]:ラパスで起きていた革命運動は、ペルー副王アバスカルの指導によりすぐに王党派に鎮圧され、革命評議会の[[ペドロ・ドミンゴ・ムリーリョ]]は処刑された。その後[[アルゼンチン|リオ・デ・ラ・プラタ連合州]]が独立派に支援軍を送るがことごとく王党派軍に打ち破られた。
 
* [[1816年]]:{{仮リンク|トゥクマンの議会|en|Congress of Tucumán}}により、リオ・デ・ラ・プラタ連合州が独立を宣言する。アルト・ペルーの代表者も出席した。
* [[1809年]] ラパスと[[チュキサカ県|チュキサカ]]でクリオーリョによる独立運動が起こる({{仮リンク|ラパス革命|es|Junta Tuitiva|en|La Paz revolution}}、{{仮リンク|チュキサカ革命|es|Revolución de Chuquisaca|en|Chuquisaca Revolution}})。ボリビア最初の独立運動であり、[[キト]]と共にラテンアメリカで最も早かった。
* [[1823年]]:再び独立戦争始まる。
* [[1810年]] ラパスで起きていた革命運動は、ペルー副王アバスカルの指導によりすぐに王党派に鎮圧され、革命評議会の[[ペドロ・ドミンゴ・ムリーリョ]]は処刑された。その後[[アルゼンチン|リオ・デ・ラ・プラタ連合州]]が独立派に支援軍を送るがことごとく王党派軍に打ち破られた。
* [[1824年]]:[[シモン・ボリバル]]と[[アントニオ・ホセ・デ・スクレ]]の率いる[[ベネズエラ]]からの[[大コロンビア|コロンビア共和国]]の解放軍により、副王[[ホセ・デ・ラ・セルナ]]([[チェ・ゲバラ]]の先祖)の率いる王党派軍が{{仮リンク|アヤクーチョの戦い|en|Battle of Ayacucho}}で壊滅。インディアス植民地の最終的な独立が確定する。
* [[1816年]] {{仮リンク|トゥクマンの議会|en|Congress of Tucumán}}により、リオ・デ・ラ・プラタ連合州が独立を宣言する。アルト・ペルーの代表者も出席した。
* [[1825年]][[8月6日]] ボリバルの協力により、スクレ元帥が[[アンドレス・デ・サンタ・クルス]]と共に、アルト・ペルーを[[スペイン]]から解放した。アルト・ペルーの支配層はそれまで同一の行政単位を構成していたペルーや[[アルゼンチン]]との連合を望まなかったため、チュキサカでアルト・ペルー共和国の独立が宣言された。[[8月26日]]にボリビア共和国と改名。
* [[1823年]] 再び独立戦争始まる。
* [[1824年]] [[シモン・ボリバル]]と[[アントニオ・ホセ・デ・スクレ]]の率いる[[ベネズエラ]]からの[[大コロンビア|コロンビア共和国]]の解放軍により、副王[[ホセ・デ・ラ・セルナ]]([[チェ・ゲバラ]]の先祖)の率いる王党派軍が{{仮リンク|アヤクーチョの戦い|en|Battle of Ayacucho}}で壊滅。インディアス植民地の最終的な独立が確定する。
* [[1825年]][[8月6日]] ボリバルの協力により、スクレ元帥が[[アンドレス・デ・サンタ・クルス]]と共に、アルト・ペルーを[[スペイン]]から解放した。アルト・ペルーの支配層はそれまで同一の行政単位を構成していたペルーや[[アルゼンチン]]との連合を望まなかったため、チュキサカでアルト・ペルー共和国の独立が宣言された。[[8月26日]]ボリビア共和国と改名した。
 
=== 独立から混沌へ ===
[[File:Jose de scure.jpg|thumb|upright|第2代大統領にして「アヤクーチョ大元帥」<br />[[アントニオ・ホセ・デ・スクレ]]]]
[[File:Divisiones administrativas de la Confederación Perú-Boliviana.svg|thumb|[[ペルー・ボリビア連合]]の領域]]
* [[1826年]][[8月]] アルト・ペルーはボリバルの名にちなんで「ボリビア」という国名になり正式に独立した。11月19日、ボリバル憲法を公布する。同時に首都も憲法上はチャルカスが改名されてスクレとなった。12月9日、スクレが終身大統領に就任する。自由主義的な改革がなされるが、保守派の恨みを買い、[[ベネズエラ人]]の支配を嫌う声も囁かれた。
* [[1828年]] スクレ大統領が侵攻してきたペルーの{{仮リンク|アグスティン・ガマーラ|en|Agustín Gamarra}}を打ち破るが、すぐにガマーラと結んだ国内保守派の陰謀により大統領を辞任し、キートヘ[[亡命する。]](実はサンタ・クルスも関わっていたといわれている
* [[1829年]] ボリバルの推薦により、5月25日、サンタ・クルスが大統領に就任する。サンタ・クルスはインカ帝国の後継者を自称し、大学、港湾、鉱山など国内の開発を続け、軍備を強化した[[保護貿易]]を導入して国内の[[綿]]産業を保護した。
* [[1836年]] 大統領のアンドレス・デ・サンタ・クルスがアグスティン・ガマーラを破ってペルーを併合し、[[ペルー・ボリビア連合]]を打ち立てる。連合は三州に分けられ、首都は[[南ペルー共和国]]の[[タクナ]]に置かれた。
* [[1839年]] 連合に脅威を抱いたチリ(既に死去していたディエゴ・ポルターレスの影響が大きい)と[[アルゼンチン]]の[[フアン・マヌエル・デ・ロサス]]軍の攻撃により連合は崩壊する。これによりサンタ・クルスが追放されるとボリビアは[[無政府状態]]に陥った。
* [[1841年]] 国内の混乱の中、サンタ・クルス派の[[ホセ・バリビアン]]がペルーから侵攻してきたアグスティン・ガマーラを{{仮リンク|インガビの戦い|en|Battle of Ingavi}}で打ち破り、ガマーラは戦死した。以降、ペルーとボリビアの合邦を望む動きはなくなった。
* [[1847年]] メスティーソの軍人{{仮リンク|マヌエル・イジドロ・ベルス|es|Manuel Isidoro Belzu}}の反乱によりバビアンが亡命する
* [[1848年]] ベルスが大統領になる。ベルスは保護政策を採り、[[ポピュリズム|ポプリスモ]]的な政策で大衆の支持を得る。
* [[1857年]] [[ホセ・マリア・リナレス]]文民政権成立。によるボリビア初の文民政権として成立。自由主義政策を採り、インディオを弾圧した。このころ太平洋沿岸部の[[リトラル|リトラル県]](アントファガスタ)で最初の[[硝石]]鉱山が発見された。
* [[1861年]] :[[クーデター]]によりリナレスが追放される。
* [[1864年]] それまで影で権力を握っていたベルスを暗殺したメスティーソの軍人[[マリアーノ・メルガレホ]]が政権につき、国内の混乱が頂点に達する。「野蛮[[カウディーリョ|カウディージョ]]」と呼ばれたその手法により国内すべての階層が大打撃を受け、特にインディオは大弾圧され、共有地は解体されて奪われた。その後メルガレホはアントファガスタの硝石の採掘権をチリに売却した。
* [[1867年]] {{仮リンク|アヤクーチョ条約|es|Tratado de Ayacucho}}の締結で[[アクレ州|アクレ県]]がボリビアに帰属。
* [[1871年]] メルガレホ大統領が失脚する
* [[1874年]] ビアン政権の永代所有禁止法によりインディオの共有地は壊滅的な被害を受け、以降インディオは鉱山や[[プランテーション]]の日雇い労働者となっていった。
* [[1879年]] アントファガスタをチリに占領され、さらに[[ペルー]]と硝石問題に関して秘密同盟を組んでいたことが仇となり、[[チリ]]がペルー・ボリビア両国へ宣戦布告して[[太平洋戦争_ (1879年-1884年)|硝石戦争(太平洋戦争(1879年-1884年))]]となる。
* [[1883年]] ペルーとチリの間での、硝石戦争(太平洋戦争(1879年-1884年))の休戦。チリに対する事実上の敗北が決まる。
 
=== 内陸国化と相次ぐ敗戦 ===
[[File:Map Bolivia territorial loss-en.svg|thumb|ボリビアの領域の変遷。戦争により広大な領土が近隣諸国に併合された]]
* [[1884年]] チリとの[[バルパライソ条約]]で[[銅]]と[[硝石]]の鉱山が豊富な太平洋岸の領土(リトラル県)を割譲し、海への出口を持たない[[内陸国]]になる。保守党のグレゴリオ・パチェコが大統領になり、以降鉱山主の支配が1899年まで続く。
* [[1888年]] このころから北部の[[アクレ州|アクレ県]]に[[ブラジル人]]が侵入してきた
* [[1899年]] アクレ県に入植したブラジル人[[ゴムノキ|ゴム]]農園労働者の反乱により[[ブラジル]]と紛争が発生([[アクレ紛争]])「[[アクレ共和国]]」([[1899(1899]] - [[1903年]])として半独立状態となる。同時にこの年初の日本人移民が渡り、[[リベラルタ]]や[[トリニダ (ボリビア)|トリニダ]]のゴム農園に就労した。錫鉱山主を基盤にするラパスの自由党が反乱を起こし、スクレ・ポトシの銀鉱山主を基盤にしていた保守党支配が終わった(連邦革命)。以降自由党のホセ・パンドが大統領になり、以降自由党の支配が1920年まで続く。
* [[1900年]] 自由党派がラパスを拠点としていたため、議会、政府がスクレからラパスに移転し、ラパスが事実上の首都になる。
* [[1903年]] アクレ紛争に結果的に敗北し、[[ゴム]]の一大生産地だった[[アクレ州|アクレ県]]をブラジルに割譲。
* [[1904年]] チリと正式に和平条約を結び、リトラル県の割譲を承認した。
* [[1910年]] [[スズ|錫]]の生産量が1890年代の20倍に達する(「錫の世紀」)。
* [[1914年]] [[コチャバンバ]]の農園主らが基盤となって共和党が結成された。
* [[1920年]] クーデターにより自由党支配が終わる。
* [[1921年]] 共和党のバウティスタ・サアベドラが大統領になる。在任中、[[アメリカ合衆国]]企業[[スタンダード・オイル]]により東部低地地帯の油田開発が進む。
* [[1926年]] 共和党のエルナンド・シレスが大統領になる。
* [[1929年]]:[[世界恐慌]]により大打撃を受け、社会不安が起こる。
* [[1931年]] 共和党右派のダニエル・サラマンカが大統領になる。7月、パラグアイと国交断絶。
* [[1932年]] 6:6月にサラマンカ政権、植民地時代からの領土問題を持ち出し、[[グランチャコ]]地方と[[パラグアイ川]]の通行権を求めて[[パラグアイ]]に宣戦布告([[チャコ戦争]])。
* [[1935年]] ボリビア領の東部油田地帯に侵攻したパラグアイと休戦。ボリビアの戦死者は6万5000人。ボリビア、パラグアイ共に財政は崩壊状態になった。
 
=== チャコ戦争後の不安定化 ===
* [[1936年]] チャコ戦争後、白人寡頭支配層への批判が強まり、チャコ戦争の参謀総長だった{{仮リンク|ダビッド・トロ|es|David Toro|label=ダビッド・トロ・ルイロバ}}がクーデターにより大統領に就任。「軍事社会主義」([[国家社会主義]])を掲げた。
* [[1937年]] スタンダード・オイル社がのボリビア国内事業を国有化された。これは同時期の、[[メキシコ革命]]の[[ラサロ・カルデナス]]政権による油田国有化に先立って、[[ラテンアメリカ]]で初の外資国有化政策となる。この社会主義的政策は支配層に嫌われ、同年保守派によりトロは追放され、保守派の支持によりチャコ戦争の英雄だったドイツ系の{{仮リンク|ヘルマン・ブッシュ・ベセラ|es|Germán Busch Becerra}}中佐が大統領になるが、ヘルマン・ブッシュはすぐに保守派との戦いをはじめ、錫財閥との対決を図った。
* [[1938年]] チャコ戦争が正式に終結。[[チャコ戦争|ブエノスアイレス講和条約]]によりチャコ地方がパラグアイの領土となる。領土が最大時の約半分になる。この時期にヘルマン・ブッシュは[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス・ドイツ]]の躍進する[[ヨーロッパ]]から[[ユダヤ人]]の受け入れを宣言した。
* [[1939年]] ヘルマン・ブッシュが暗殺される。
* [[1941年]] [[ビクトル・パス・エステンソロ]]や{{仮リンク|ゲバラ・アルセ|es|Walter Guevara Arze}}らにより、[[民族革命運動党]] (MNR)(MNR)結成される
* [[1942年]] カタピ鉱山の労働争議で鉱山労働者700人が虐殺される([[カタピの虐殺]])。
* [[1944年]] フアン・レチンにより、鉱山労働者組合連合が結成される。
* [[1951年]] MNR:MNRが大統領選に勝利するも、クーデターにより軍部に政権を奪われ、MNRは非合法化され、このことに対する国民の不満が高まる。
 
=== ボリビア革命とその挫折 ===
* [[1952年]]4月 鉱山労働者らの武装蜂起。MNRによる政権樹立。[[ビクトル・パス・エステンソロ]]が大統領に就任し、[[ボリビア革命]]が成功した(4月[[革命]]とも)。インディオに選挙権や公民権が付与された新憲法が採択された。革命政権の国策として、このころから[[サンタクルス・デ・ラ・シエラ]](サンタクルス)を中心とする東部の低地地帯の開発が進む。
* [[1956年]] [[エルナン・シレス・スアソ]]政権成立。
* [[1959年]] 農地改革が行われ、大[[プランテーション]]が解体され、インディオの[[小作人]]に土地が分与された。
* [[1960年]] 第2次パス・エステンソロ政権成立。軍が再建される。
* [[1964年]] 第3次パス・エステンソロ政権成立するも、軍によるクーデターによりMNRが失権。ボリビア革命が終焉する。大統領となった[[レネ・バリエントス・オルトゥーニョ|レネ・バリエントス]]らの軍部と[[ボリビア共産党]]の対立が進む。
* [[1965年]] 軍事政権、インディオ農民を基盤とすることに成功する。
* [[1966年]] [[キューバ革命]]指導者の一人である[[チェ・ゲバラ]]が[[ウルグアイ人]]ビジネスマンに偽装してボリビアに潜入し、ボリビア民族解放軍(ELN)(ELN)を設立して[[ゲリラ]]戦を行う。
 
=== ゲバラの戦死から現在まで ===
[[File:GuerrilleroHeroicoChe Guevara - Guerrillero Heroico by Alberto Korda.jpg|thumb|200px|[[チェ・ゲバラ]]]]
* [[1967年]] バリエントス政権、[[アメリカ軍]]の協力の下にゲバラ軍を追い詰め、鉱山労働者がゲバラに同調することを嫌って[[サン・フアンの虐殺]]を行う。そして農民の支持を得られなかったため、[[キューバの軍事|キューバ軍]][[特殊部隊]]と共に潜入していたチェ・ゲバラがゲリラ戦の末、政府軍の[[アルフレド・オバンド・カンディア]]将軍に捕らえられ[[イゲラ]]で戦死。
* [[1969年]] バリエントス大統領が農民に金を配りに行く最中、謎のヘリコプター墜落事故で死亡。9月にかつてゲバラ討伐に当たった[[アルフレド・オバンド・カンディア]]将軍がクーデターを起こして政権を握り、ペルーの[[フアン・ベラスコ・アルバラード|ベラスコ]]将軍に影響を受けた「革命的国民主義」を掲げて国民主義知識人グループに誓った石油国有化政策を発表。[[ソビエト連邦|ソ連]]との国交が樹立される。
* [[1970年]] 軍内左派の[[フアン・ホセ・トーレス]]将軍が政権を掌握。[[アメリカ合衆国]]資本の鉱山の国有化や、国営の[[スズ精錬]]精錬工場の建設がなされる。
* [[1971年]] 8:8月に[[サンタクルス]]出身の右派の[[ウゴ・バンセル・スアレス|ウゴ・バンセル]]将軍がアメリカ合衆国と[[ブラジル]]の支援を受けたクーデターでトーレスを追放して政権を握る。外資を導入して経済の回復に努めるが、逆に赤字と債務が増加する。[[ランボルギーニ]]は前政権との間で結ばれた[[トラクター]]の購入に関する契約を破棄されたことで資金難に陥り、[[フィアット]]の傘下に入った。
* [[1978年]] :[[アメリカ合衆国大統領]][[ジミー・カーター|カーター合衆国大統領]]による「[[人権外交]]」の影響を受けて、ボリビアでも民主化へのプログラムが進む。
* [[1980年]] [[ガルシア・メサ]]将軍がクーデター「コカイン・クーデター」<ref name="nenpyou2">ボリビア年表2 2009年11月8日閲覧([http://www10.plala.or.jp/shosuzki/chronology/andes/bolivia2.htm])</ref>で政権を握るが、麻薬マフィアとの癒着、反対派への大弾圧により、国際的な批判を呼んだ。
* [[1982年]] MNR:MNRから[[民主人民連合]] (Unidad Democrática y Popular : UDP)に分派したシレス・スアソが政権を執り、民政復帰。18年に及んだ軍政が終わる。このころから中南米全体を襲った中南米債務危機に陥り、約40億ドルにも上る莫大な対外債務に苦しみ、激しい[[ハイパーインフレーション]]が起こる発生
* [[1985年]] 第4次パス・エステンソロ政権成立するが、もうこの時には8000パーセントにも及ぶハイパーインフレ状態に陥っており、事実上通貨は紙切れ同然となってしまい、ボリビア経済は破綻状態に陥った。
* [[1986年]] ボリビア政府は苦渋の選択の末、ボリビアは100万分の1の[[デノミネーション]]で8,000%超のインフレを抑制。エステンセロは他にも[[新自由主義]]的改革により、経済危機を乗り切る。
* [[1990年]] この年代の頃にごろ: [[天然ガス]]が発見された。
* [[1993年]] MNR:MNRの[[ゴンサロ・サンチェス・デ・ロサダ]]政権成立。初の先住民出身副大統領と共に[[新自由主義]]政策を採用した。
* [[1997年]] 「メガ連立」により、第二次バンセル政権成立。コカの栽培の撲滅に全力を挙げる。
* [[2000年]] [[コチャバンバ水紛争]]
* [[2001年]] 大規模な天然ガス田が発見される。コチャバンバ水紛争の影響と病気によりバンセル大統領が辞任。
* [[2002年]] 8:8月にMNRから第二次サンチェス政権成立。しかしするも、すぐに指導力不足が露呈する
* [[2003年]] [[ボリビアガス紛争]]。10月にサンチェス大統領がアメリカ合衆国に[[亡命]]。副大統領の[[カルロス・メサ・ヒスベルト|カルロス・メサ]]が昇格する
* [[2006年]] ペルーの[[アレハンドロ・トレド]]に続いて南米大陸二人目の、ボリビアでは初の先住民出身となる大統領[[エボ・モラレス]]が「[[社会主義運動]]」より就任した。
* [[2007年]] モラレス政権、ブラジルの[[ペトロブラス]]などの外資を国有化し、公約通り天然ガスを国有化した<ref group="†">その収益教育の充実や貧困層、高齢者支援に振り向けている</ref>
* [[2009年]] 3月大農場主から接収した東部平原地方の土地の所有権を先住民に引き渡した。接収対象になった土地は東部平原地方
* [[2019年]] 10月{{仮リンク|2019年ボリビア総選挙|label=大統領選|en|2019 Bolivian general election|es|Elecciones generales de Bolivia de 2019}}でモラレス大統領が再選されるも、[[不正選挙]]疑惑から抗議デモが勃発。大統領辞任。
* [[2020年]]11月:[[ルイス・アルセ]]元経済財政大臣が大統領就任。
* [[2024年]]6月26日:汚職容疑で解任されたスニガ元軍司令官らによるクーデター未遂が発生<ref>「[https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGN2707P0X20C24A6000000/ ボリビア、クーデター未遂 首謀者の前軍司令官を拘束]」『[[日本経済新聞]]』夕刊2024年6月27日3面</ref>。
 
== 政治 ==
{{Main|{{仮リンク|ボリビアの政治|en:|Politics of Bolivia}}}}
[[ファイル:LaPaz Plaza Pedro Di Murillo 10.2004.jpg|thumb|220px|[[ラパス]]の国民議会宮殿(左)と大統領府[[パラシオ・ケマード]](右)]]
[[ファイル:Palacio de Justicia o de Gobierno Sucre (Bolivia).jpg|thumb|220px|[[スクレ (ボリビア)|スクレ]]の最高裁判所]]
[[File:Canciller Andrés Allamand participa del saludo protocolar al Presidente de Bolivia, Luis Arce, y al Vicepresidente, David Choquehuanca 02.jpg|thumb|220px|2020年11月に就任した[[ルイス・アルセ]]大統領(写真一番下、中央より左)と{{仮リンク|デビッド・チョケファンカ|en|David Choquehuanca}}副大統領(写真一番下、中央より右)]]
[[ファイル:Evo Morales.jpg|thumb|220px|2006年に就任し2019年まで大統領を勤めた[[エボ・モラレス]]([[社会主義への運動]])。ボリビア史上初の先住民出身の大統領である]]
[[File:Jeanine anez2.png|thumb|220px|アニェス暫定大統領]]
 
=== 行政 ===
[[大統領]]を[[元首]]とする[[共和制]]国家であり、国家元首である大統領は[[政府の長|行政府の長]]として実権を有する。任期5年。選挙は、大統領候補と副大統領候補がそれぞれペアとなり立候補し、国民は直接選挙により数組の中から1組を選出する。大統領が死亡や辞任により欠ける場合は、副大統領が大統領に昇格し、残りの任期を務める。首相職はなく、副大統領が閣議を主宰する。
[[ボリビアの大統領]]を[[元首]]とする[[共和制]]国家であり、国家元首である大統領は[[政府の長|行政府の長]]として実権を有する。任期5年。選挙は、大統領候補と副大統領候補がそれぞれペアとなり立候補し、国民は直接選挙により数組の中から1組を選出する。大統領が死亡や辞任により欠ける場合は、副大統領が大統領に昇格し、残りの任期を務める。首相職はなく、副大統領が閣議を主宰する。
 
建国以来政治的に非常に不安定なため、[[クーデター]]が起こりやすい政治文化があり、過去100回以上のクーデターが起きている。
 
=== 議会 ===
国会にあたる[[多民族立法議会]]は[[両院制]]。上院は全36議席で、各県から4名ずつ[[比例代表制]]選挙により選出される。代議院(下院)は、全130議席で、そのうち77議席は[[小選挙区制|小選挙区]]から選出、53議席は比例代表制で選出されるが、全体の議席配分は比例代表制によって決まる([[小選挙区比例代表併用制]]。ただし {{仮リンク|超過議席|en|Overhang seat}}が出ないようになっている<ref>Matthew Shugart & Martin P. Wattenberg (ed). 2001. Mixed-Member Electoral Systems: The Best of Both Worlds? Oxford, UK: Oxford University Press. P.23. </ref>ため、[[小選挙区比例代表連用制|連用制]]に近い)。両院とも議員の任期は5年で、同日選挙である。
 
直近の国政選挙は、[[20142020年]][[10月1218日]]に行われた。政党別の獲得議席数は、以下の通り<ref>[httphttps://www.bo.emb-japan.go.jp/itpr_ja/201410102020politica.html ボリビア内政・外交(2014(2020年10月)] [[在ボリビア日本国大使館]]2014202011102821日。20172024131216日閲覧。</ref>。
;上院(定数36)
* [[社会主義運動]] (MAS) 2521
* [[市族団結戦線共同体]] (UDCC) 911
* 政党連合「私たちは信じる」 4
* キリスト教民主党 (PDC) 2
; 代議院(下院、定数130)
* 社会主義運動 (MAS) 8873
* 族団結戦線共同体 (UDCC) 3241
* 政党連合「私たちは信じる」 16
* キリスト教民主党 (PDC) 10
{{see also|{{仮リンク|ボリビアの政党|en|List of political parties in Bolivia}}}}
 
ボリビアの歴代大統領の一覧は、[[ボリビアの大統領]]を参照。
 
=== 近年の政治情勢 ===
[[2006年]][[7月2日]]、制憲議会選挙が行われた。定数は255議席。与党・社会主義運動(MAS)(MAS)が137議席を確保した。第2党は、野党中道右派・民主社会勢力(PODEMOS)で60議席を占めた。同時に実施された地方自治権の拡充の賛否を問う国民投票では、与党の主張が半数を占める。新憲法草案は、1年以内に3分の2以上の賛成で提案され、国民投票に付される。
 
ボリビアの181周年独立記念日の[[2006年]][[8月6日]]に、制憲議会の開会式が行われた。同議会発足を祝って、36の先住民による約3万人のパレードも実施された。
 
就任2年目になる[[エボ・モラレス]]大統領は、[[2007年]][[1月22日]]、国会で年次報告を行い、新憲法を制定する重要性を改めて強調した。新憲法には、[[水]]を含む資源主権や先住民の権利確立、教育行政に対する国の責任などが盛り込まれる予定である。制憲議会は2006年8月、発足したが、議事運営方法、地方自治、首都制定などを巡って与野党や地方間の対立が続いている。与党・社会主義運動党が定数255のうち142議席を占めている。
 
[[2009年]][[1月25日]]、先住民の権利拡大や大統領の再選を可能とする新憲法案が60%あまりの賛成を得て承認された。[[2009年]][[12月6日]]、大統領選挙が行われ、現職のモラレスが6割を超える得票<ref group="†">2005年の初当選の時は51%であった。</ref>で勝利した。
225 ⟶ 232行目:
[[2014年]][[10月29日]]、モラレスが大統領選で3度目の当選を果たし、翌[[2015年]]1月に第3期モラレス政権が発足した<ref >同大統領は、元々はコカの栽培組合員であり、反米主義、社会主義を信奉している時代錯誤的なところがあるとともに、政治的な敵対関係者を弾圧するなど、独裁色を強めている。</ref><ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/data.html ボリビア基礎データ 5.内政] 外務省 2016年9月15日閲覧</ref>。
 
[[2019年]][[10月20日]]、モラレスは大統領選で4度目の当選を果たしたものの<ref>[https://rwww.nikkei.com/article/DGXMZO51439700W9A021C1NNE000?s=1/ ボリビア大統領に現職4選 選管発表、不正と対抗馬] - [[日本経済新聞]]、2019(2019年10月26日配信</ref>、開票結果の不正操作疑惑が浮上し<ref>[https://rwww.nikkei.com/article/DGXMZO51326960U9A021C1EAF000/ ボリビア、大統領選で非常事態宣言 介入疑惑受け] - [[日本経済新聞]]、2019(2019年10月24日配信</ref>、これに反発した対立候補の支持者による抗議活動が発生し、国内は混乱。国軍・国家警察などから辞職勧告を突き付けられたモラレスは11月10日に大統領辞任を表明し、11月12日にメキシコへ亡命。これは事実上の[[クーデター]]とされる。
 
モラレスの辞任表明を受け、憲法裁判所は[[ヘアニネ・アニェス]]上院副議長を暫定大統領に選出し、同氏アニェスは就任宣誓を行った<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASMCD4KFXMCDUHBI01G.html|title=ボリビア上院副議長が暫定大統領宣誓 モラレス氏は亡命|work=朝日新聞デジタル|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2019-11-13|accessdate=2019-11-14}}</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3254498?cx_amp=all&act=all|title=ボリビアのアニェス上院副議長、暫定大統領就任を宣言 憲法裁も承認|work=AFP通信|newspaper=[[フランス通信社]]|date=2019-11-13|accessdate=2019-11-17}}</ref><ref group="†">議会では過半数を占めるモラレス派のボイコットにより、モラレスの辞任もアニェスの暫定大統領就任も承認を[[デ・ジュリ|受けていない状態]]だが、大統領継承の資格がある副大統領・上院議長・下院議長がモラレスと共に辞任したため、継承順位で4番目にあたる上院副議長のアニェスや一部の法律家は「憲法の規定から上院副議長が自動的に(暫定大統領に)就任できる」と解釈し、憲法裁判所もこの解釈を[[デ・ファクト|支持]]した。</ref>。これに対し、モラレス政権を独裁として批判してきた[[アメリカ合衆国]]やアメリカ寄りの右派政権が統治する[[ブラジル]]、[[コロンビア]]、[[エクアドル]]はアニェスを暫定大統領として承認した<ref>[[日本]][[日本国政府|政府]]は[[外務省]]の報道官談話を発表し、「ボリビア情勢を注視している」として、中立の立場を示していたが、12月13日付けで更新された[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/data.html#section2 ボリビアの基礎データ(政治体制・内政)]ではアニェスの暫定大統領就任を追認したデータが掲載されている。</ref><ref>{{Cite news|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/page4_005463.html|title=ボリビア情勢について(外務報道官談話)|work=外務省|newspaper=[[外務省]]|date=2019-11-12|accessdate=2019-11-17}}</ref>。大統領選挙の仕切り直しは、[[2020年]]5月に予定されていたが[[SARSコロナウイルス2|新型コロナウイルス]]の感染拡大に伴い、同年[[10月18日]]延期して実施することが発表されている<ref>{{Cite web |和書|date=2020-07-24 |url= https://rwww.nikkei.com/article/DGXMZO61895840U0A720C2I00000?s=0/ |title=ボリビア、大統領選再延期 コロナ拡大で |publisher=日本経済新聞 |accessdate=2020-08-26}}</ref>、モラレス派の[[ルイス・アルセ|ルイス・アルセ・カタコラ]]が当選した<ref>{{Cite news|url= https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/10/7248712e6fe695f1.html |title= 最高選挙裁判所、ルイス・アルセ氏の大統領選当選を公式に発表(中南米、ボリビア) |newspaper= ビジネス短信 |publisher= ジェトロ |date= 2020-10-28 |accessdate= 2021-03-13 }}</ref>。[[2021年]][[3月13日]]、前暫定大統領のアニェスが、2019年の「クーデター」に関与した疑いなどで逮捕された<ref>{{Cite news|url= https://web.archive.org/web/20210313132052/https://www.jiji.com/jc/article?k=2021031300534&g=int |title= 前暫定大統領を逮捕 「クーデター」関与容疑―ボリビア |newspaper= 時事ドットコム |publisher= [[時事通信社]] |date= 2021-03-13 |accessdate= 2021-3-13 }}</ref>。
 
== 軍事国家安全保障 ==
{{Mainmain|ボリビア}}
[[ボリビア陸軍|陸軍]]、[[ボリビア空軍|空軍]]、[[ボリビア海軍|海軍]]を保有しており、12ヶ月の[[徴兵制度]]が敷かれている。
 
259 ⟶ 266行目:
 
== 地理 ==
{{Main|{{仮リンク|ボリビアの地理|en:|Geography of Bolivia|es:|Geografía de Bolivia}}}}
{| class="wikitable" style="float:right; margin: 0.5em 0.5em 0.5em 1em; padding: 0.5e text-align:left;clear:all; margin-left:10px; font-size:90%"
|+ style="background:green; color:white;"|ボリビアの高山
289 ⟶ 296行目:
| style="background:#efefef;" align=center|6.074
|-
|[[パリナコタ]]
|align=center|6.362
|-
307 ⟶ 314行目:
| style="background:#efefef;" align=center|6.008
|}
[[File:Isla del Sol, Bolivia (36142247744).jpg|thumb|200px|left|[[チチカカ湖]]に浮かぶ[[太陽の島]]]]
[[太平洋戦争 (1879年-1884年)]]による敗戦以来内陸国となったボリビアの地理は大きく3つに分けられる<ref group="†">三つに分けるとは、山岳地帯(アンデス)と東部低地(リャノス:平原、オリエンテ)との二つに区分し、前者のアンデスを二分してアンデス高地とアンデス低地に分けることである</ref><ref name="boliv">眞鍋周三編著 『ボリビアを知るための73章 【第2版】 』 明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年 21ページ</ref>。
[[File:Salar uyuni 200701.jpg|thumb|200px|left|[[ウユニ]]にある[[ウユニ塩湖]]]]
[[太平洋戦争 (1879年-1884年)|太平洋戦争]]に敗れて内陸国となったボリビアの地理は大きく3つに分けられる<ref group="†">三つに分けるとは、山岳地帯([[アンデス山脈]])と東部低地(リャノス:平原、オリエンテ)との二つに区分し、前者のアンデスを二分してアンデス高地とアンデス低地に分けることである</ref><ref name="boliv">眞鍋周三編著『ボリビアを知るための73章』第2版(明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年)21ページ</ref>。
 
一つは、ペルーとの国境である[[チチカカ湖]]周辺から国土を南に貫く[[アンデス山脈]]地域で国土面積の約29%に及び、その面積は32万平方キロ余りで、標高3000m以上の年中寒冷な気候を持つ。[[ラパス]]市[[オルロ]]市にかけて標高4000mくらいの広大な平らな土地が広がり、この地域は'''[[アルティプラーノ]]'''と呼ばれる。アンデス地域には{{仮リンク|オクシデンタル山脈 (ボリビア)|es|Cordillera Occidental (Bolivia)|en|Cordillera Occidental (Bolivia)|label=オクシデンタル山脈}}と{{仮リンク|オリエンタル山脈 (ボリビア)|es|Cordillera Oriental (Bolivia)|en|Cordillera Oriental (Bolivia)|label=オリエンタル山脈}}の二つの山脈がある。
さらにコルディリェラ・オクシデンタル(西アンデス山脈)、コルディリェラ・オリエンタル(コルディリェラ・レアル、東アンデス山脈)、アルティプラノと呼ばれる高原よりなる<ref name="boliv" />。
;コルディリェラ・オクシデンタル(西アンデス山脈)
:南北の長さはおよそ620キロメートル、中央部の東西の長さ幅は30キロメートル[[火山]][[台地]]が入り交じっている。激しく[[侵食]]され、険しい起伏と狭い谷がある。[[雨季]]には渓谷で氾濫が起き、雨季以外は乾燥している。山麓には[[モレーン]](氷堆石)がある。北端はペルーと南端はアルゼンチンと国境をなす。南部一帯は5000メートルを超す火山が連なる。ボリビア最高峰[[サハマ山]](6542メートルの火山)は北部の[[オルロ県]]にある。
 
国土の北東側から東側は国土の約62%を占める[[アマゾン川|アマゾン]]の[[熱帯]]地域であり、'''[[リャノ]]''' (''llano'')またはオリエンテ (''oriente'')と呼ばれる。リャノはさらに、[[熱帯雨林]](いわゆるジャングル)が広がる北側と、乾燥している[[グランチャコ]]地方([[パラグアイ]]国境近く)とに分かれる。サンタクルス県の東部にはチキタノ山塊が存在する<ref>眞鍋周三編著 『ボリビアを知るための73章第2版】 』 明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年 23)23ページ</ref>。
 
国土の約9%を占める[[コチャバンバ県]]や[[ラパス県 (ボリビア)|ラパス県]][[ユンガス地方]]などの、アンデス地帯とアマゾン地帯の中間に位置する場所は'''バジェ''' (''[[:es:Valles de Bolivia|valle]]'') 地域と呼ばれ、温暖で果樹栽培などに適した気候である。この地域では[[インディオ|インディヘナ]]農民による[[コカ]]の栽培も盛んである。
320 ⟶ 329行目:
このユンガスにある保養地{{仮リンク|コロイコ|en|Coroico}}とラパス市を結ぶ道路は、毎年多くの死者を出し、「[[ユンガスの道|死の道路]]」と呼ばれていた。
 
ボリビアはかつて[[太平洋]]に面する海岸線も領土に保有していたが、1884年に[[太平洋戦争_ (1879年-1884年)|太平洋戦争]]で敗れ、 [[バルパライソ条約]]と、1904年の正式な講和によりそれを全て失った。ボリビアでは[[3月23日]]を「[[海の日 (ボリビア)|海の日]]<ref (díaname="読売20220615"/>(día del mar)]]mar)」として、当時ボリビア領だった[[カラマ]]でチリ軍への降伏を拒否して戦死した英雄エドゥアルド・アバロアの像があるラパスで式典を開き<ref name="読売20220615"/>「海を取り戻そうキャンペーン」をおこなっ展開している。
 
ボリビアの海運での輸出入貨物はチリの港で陸揚げされている。チリの港にはボリビアが管理する[[保税地域|保税上屋]](TRANSIT(TRANSIT SHED)SHED)と呼ばれる[[タックス・ヘイヴン]]があり、ここからチリの[[通関]]を行わないままボリビア国境へ運ばれ、ここで初めてボリビアの税関が通関を行う。
[[File:Bolivia_Topography.png|thumb|right|地形図]]
 
== 経済 ==
{{Main|{{仮リンク|ボリビアの経済|en:|Economy of Bolivia}}}}
[[ファイル:Laguna Glaciar Bolivia.png|thumb|観光地にもなっているグラシアール湖]]
[[ファイル:Camino de los Yungas Bolivia.jpg|thumb|[[ユンガス]]地方の山道]]
332 ⟶ 341行目:
 
[[アンデス共同体]]、[[南米諸国連合]]に加盟し、[[メルコスール]]の準加盟国でもある。
国家統計局の発表によるボリビアの[[経済]]指標は以下の通り(いずれも[[2003年]]の値)
{| class="wikitable"
|[[国内総生産]](GDP)(GDP)||7,856 百万[[ドル]]
|-
|同国民一人当たり||870 ドル
349 ⟶ 358行目:
|}
 
* スズ、[[]]などの鉱山物資を産出する。
* 2006年1月、天然ガス事業を国有化する発表があった。
* 2020年代、人口1100万人のうち50万人以上が公務員である<ref>{{Cite web|和書|date=2020-12-25 |url=https://www.afpbb.com/articles/-/3323373 |title=コロナ禍の観光業救済へ奇策、公務員に臨時休暇 ボリビア |publisher=フランス通信社 |accessdate=2020-12-24}}</ref>。
 
=== 鉱業 ===
{{see|{{仮リンク|ボリビアの鉱業|en|Mining in Bolivia}}}}
植民地時代から19世紀末までは金と銀が、20世紀以降は[[スズ|錫]]がボリビア経済の主軸であった。[[:en:Moritz Hochschild|ホッホシルト]]が錫開発の主役であった。
[[石油]]の輸出も盛んであり、1930年代に東部で油田が発見されたことがチャコ戦争の一因ともなった。2001年に世界最大規模の[[天然ガス]]田が発見され、ボリビア経済再生の頼み綱となっている
2001年に世界最大規模の[[天然ガス]]田が発見され、ボリビア経済再生の頼み綱となっている。
 
南部の[[ウユニ|ウユニ塩原]]には推定540万トンの[[リチウム]](世界埋蔵量の半分以上)が埋蔵されていると見積もられているが、ボリビア政府にはそれを抽出する技術も資本も持ち合わせていない、という事情がある。
 
=== 農業 ===
{{alsosee|{{仮リンク|ボリビアの農業|en|Agriculture in Bolivi}}|ボリビアにおけるコーヒー生産}}
1952年のボリビア革命以来、サンタクルスを中心とした東部の低地地帯で開墾、農業開発が進み、近年[[ダイズ|大豆]]、[[サトウキビ]]、[[木綿|綿花]]、[[コーヒー]]、[[バナナ]]などの大規模な輸出用農業が盛んになっており、北部の熱帯地域では[[カカオ]]などが産出する。一方で、西部のアルティプラーノではインカ帝国以来の零細小農業や[[コカ]]栽培などが行われている。
 
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=== 観光 ===
{{see|{{仮リンク|ボリビアの観光|en|Tourism in Bolivia}}}}
主な観光地としてはティワナクの遺跡や、[[チチカカ湖]]、[[ウユニ|ウユニ塩原]]、[[ポトシ]]の鉱山、チェ・ゲバラの戦死した[[イゲラ]]などがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパや、[[カナダ]]、[[アメリカ合衆国]]、[[日本]]、[[イスラエル]]といった先進国に加えて、[[大韓民国|韓国]]や南米諸国のアルゼンチン、ブラジル、チリなどからも多くの観光客がボリビアを訪れている。アンデス山脈の高山が各国から[[登山家]]を引き寄せている。また、アマゾンのツアーを提供する多くのツアー会社もある。
主な観光地としてはティワナクの遺跡や、[[チチカカ湖]]、[[ウユニ|ウユニ塩原]]、[[ポトシ]]の鉱山、チェ・ゲバラの戦死した[[イゲラ]]などがあり、南米諸国の中でも特に物価が低いため、ヨーロッパや、[[カナダ]]、アメリカ合衆国、[[日本]]、[[大韓民国|韓国]]、[[イスラエル]]といった先進国に加えて、南米諸国のアルゼンチン、ブラジル、チリなどからも多くの観光客がボリビアを訪れている。アンデス山脈の高山が各国から[[登山家]]を引き寄せている。また、アマゾンのツアーを提供する多くのツアー会社もある。
 
== 国民 ==
{{Mainmain|ボリビア人|{{仮リンク|ボリビアの人口統計|en:|Demographics of Bolivia}}}}
[[ファイル:Colegio Franco Boliviano La Paz.jpg|left|thumb|民族衣装を着るラパスの少女]]
[[ファイル:Boliviapop.svg|lang=ja|thumbnail|ボリビア人の年齢ピラミッド]]
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[[ファイル:Cristo de la Concordia 02.jpg|thumb|upright|{{仮リンク|クリスト・デ・ラ・コンコルディア|en|Cristo de la Concordia}}、[[コチャバンバ]]市にある南米最大の[[イエス・キリスト|救世主]]像]]
 
直近の2011年の国勢調査によると、ボリビアの総人口は1002万7254人である<ref name="Cen2012">{{cite web | url=http://www.ine.gob.bo:8081/censo2012/PDF/resultadosCPV2012.pdf | title=Principales resultados del censo nacional de población y vivienda 2012 (CNPV 2012) – Estado plurinacional de Bolivia | publisher=Instituto Nacional de Estadística (INE) | date=July 2013 | access-date=8 August 2013 | url-status=dead | archive-url=https://web.archive.org/web/20140209134921/http://www.ine.gob.bo:8081/censo2012/PDF/resultadosCPV2012.pdf | archive-date=9 February 2014}}</ref>。
国家統計局 (INE : Instituto Nacional de Estadistica) が発表している[[2001年]]の[[国勢調査]](Censo Nacional)の結果によると、[[人口]]は8,274,325人、うち[[女性]]4,150,475 人、[[男性]]4,123,850人。都市部の人口は5,165,230人、地方の人口は3,109,095人。人口密度は7.56人/km<sup>2</sup>。
 
[[国際連合児童基金|]](ユニセフ]](UNICEF)の発表によると、5歳以下で死亡する[[子供]]の比率は77/1,000。1歳以下で死亡する子供の比率は60/1,000。[[平均寿命]]は女性64歳、男性61歳、合計63歳
[[平均寿命]]は女性64歳、男性61歳、合計63歳。
 
=== 民族・出自 ===
[[ケチュア]]人が約30%、[[メスティーソ]](混血)が約30%、[[アイマラ]]人が約25%、[[コーカソイド|ヨーロッパ系]]が約15%、[[ネグロイド|アフリカ系]]が約0.5%であると見られるが、正式な統計は取られていない。
 
[[先住民]]人口比率が85%と南米最多である<ref>{{Cite news | url =https://www.47news.jp/589570.html | title =【伝える 訴える】第41回 「抵抗の民」|newspaper=[[47NEWS]] | publisher= | date= 2017-01-18 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210716012142/https://www.47news.jp/589570.html |archivedate=2021-07-16}}</ref>。
[[先住民]]としては南東部のチャコ地方には[[グアラニー族]]も若干居住しており、数を示すとケチュア人が250万人、アイマラ人が200万人、[[チキタノ]]人が18万人、グアラニー人が12万5000人程になる。
 
先住民としては南東部のチャコ地方には[[グアラニー族]]も若干居住しており、数を示すとケチュア人が250万人、アイマラ人が200万人、[[チキタノ]]人が18万人、グアラニー人が12万5000人程になる。
[[メスティーソ]]のうち、伝統的な衣装を身に付けている女性は[[チョリータ]]と呼ばれる。彼女らの格好はボリビアを特徴づける習俗となっている。
 
メスティーソのうち、伝統的な衣装を身に付けている女性は[[チョリータ]]と呼ばれる。彼女らの格好はボリビアを特徴づける習俗となっている。
[[クリオーリョ]]([[スペイン]]系)の出身地としては[[スペイン帝国|植民地時代]]からのスペイン人が最も多いが、[[ドイツ]]、[[アメリカ合衆国]]、[[イタリア]]、[[クロアチア]]、[[ロシア]]、[[ポーランド]]などにルーツを持つ者や[[バスク民族]]系なども存在している。
 
[[クリオーリョ]]([[スペイン]]系)の出身地としては[[スペイン帝国|植民地時代]]からのスペイン人が最も多いが、[[ドイツ]]、アメリカ合衆国、[[イタリア]]、[[クロアチア]]、[[ロシア]]、[[ポーランド]]などにルーツを持つ者や[[バスク民族]]系なども存在している。
全人口の0.5%程である[[アフリカ]]系は、元々[[ブラジル]]に[[奴隷]]としてやってきた人々が移住してきたのが始まりであり、ラパス県の南北ユンガスに最も多い。[[日系ボリビア人|日本系]]は7,000人ほど存在する。ペルーへの[[日系人|日系移民]]がボリビアへ来たのが始まりといわれている。[[1900年代]]に[[日本人]]移住者が当時起きていたアマゾンの[[ゴム]]景気に引き寄せられ、ゴム労働者として北部アマゾン地域の[[リベラルタ]]や[[トリニダ (ボリビア)|トリニダ]]に移住した。[[1954年]]からは主に[[沖縄県]]や[[九州]]からの移住者が[[サンタクルス県|サンタ・クルス県]]に移住し、[[オキナワ移住区]]や[[サンフアン・デ・ヤパカニ移住区]]を開拓した。
 
全人口の0.5%程である[[アフリカ]]系は、元々ブラジルに[[奴隷]]としてやってきた人々が移住してきたのが始まりであり、ラパス県の南北ユンガスに最も多い。[[日系ボリビア人]]は推定1万4000人ほど存在する<ref name="読売20220615"/>。ペルーへの[[日系人|日系移民]]がボリビアへ来たのが始まりといわれている。[[1900年代]]に[[日本人]]移住者が当時起きていたアマゾンのゴム景気に引き寄せられ、ゴム労働者として北部アマゾン地域の[[リベラルタ]]や[[トリニダ (ボリビア)|トリニダ]]に移住した。[[1954年]]からは主に[[沖縄県]]や[[九州]]からの移住者が[[サンタクルス県|サンタ・クルス県]]に移住し、[[オキナワ移住区]]や[[サンフアン・デ・ヤパカニ移住区]]を開拓した。
 
=== 言語 ===
{{Mainsee|{{仮リンク|ボリビアの言語|en:|Languages of Bolivia}}}}
言語は[[スペイン語]]、[[ケチュア語]]、[[アイマラ語]]、[[グアラニー語]]が[[公用語]]である。田舎ではケチュア語、アイマラ語、グアラニー語が用いられているが、スペイン語を全く解さない人は近年少なくなってきている。[[都市]]部ではスペイン語以外の言葉を話せない人の方が多い。
 
=== 宗教 ===
{{Mainsee|{{仮リンク|ボリビアの宗教|en:|Religion in Bolivia}}}}
[[信教の自由|信仰の自由]]を認めたうえで[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]を[[国教]]に定めている。国民の95%が[[カトリック教会|ローマ・カトリック]][[信仰]]しているが、近年は同じ[[キリスト教]]の[[プロテスタント]][[福音派]]が勢力を増している。東部には[[メノナイト|メノニータ]]も入植している。
 
=== 教育 ===
{{see|{{仮リンク|ボリビアの教育|en|Education in Bolivia}}}}
==== 教育への支出 ====
2020年時点でGDPに占める比率は9.8%であり、2011年から徐々に上昇している<ref name=":0">{{Cite web |url=http://uis.unesco.org/en/country/bo |title=Education and Literacy.Bolivia (Plurinational State of) |access-date=2022年12月8日 |publisher=UNESCO UIS |date=2020}}</ref>。
 
==== 15歳以上の識字率 ====
2020年時点で94%であり<ref>{{Cite web |url=https://data.worldbank.org/indicator/SE.ADT.LITR.ZS?locations=BO |title=Literacy rate, adult total (% of people ages 15 and above) - Bolivia |access-date=2022年12月8日 |publisher=The World Bank |date=2020}}</ref>、ラテンアメリカ並びにカリブ諸国の[[識字率]]94%と比較すると概ね平均的な識字率である<ref>{{Cite web |url=https://data.worldbank.org/indicator/SE.ADT.LITR.ZS?locations=ZJ |title=Literacy rate, adult total (% of people ages 15 and above) - Latin America & Caribbean |access-date=2022年12月8日 |publisher=The World Bank |date=2020}}</ref>。ボリビアでの非識字率は2001年の13.28%から2014年に3.8%に下がっている。これは2006年に発足したモラレス政権が非識字克服を最優先課題の一つに掲げ、キューバの教育者が開発した識字メソッド(''Yo, sí puedo'')の活用とベネズエラからの資金援助によって、読み書きできない国民へ無償の教育を提供した影響が大きい<ref>{{Cite web |url=https://www.bbc.com/news/world-latin-america-37117243#:~:text=Officials%20say%20that%20it%20is,the%20last%20census%20was%20conducted. |title=The three Rs: How Bolivia combats illiteracy |access-date=2022年12月8日 |publisher=BBC News |author=Fellipe Abreu/Luiz Felipe Silva |date=21 August 2016}}</ref>。
 
==== 教育段階 ====
4〜5歳を対象とした2年間の就学前教育から始まり、6年間の初等教育、6年間の中等教育、高等教育が行われる。義務教育は初等教育から中等教育までの14年間であり、学年暦は2月から始まり、11月に終わる<ref name=":0" />。高等教育は大学やその他の高等教育機関で行われる。大学では,学士課程(4〜6年)、修士課程(2年)、博士課程(4年)が置かれる。その他の高等教育機関では,上級技術者ディプロマを取得する 3〜4年の課程などが置かれる。高等教育までは全ての公教育が無償となっている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2017/10/02/1396858_012.pdf |title=ボリビア多民族国 |access-date=2022年12月8日 |publisher=文部科学省 |date=2017年10月2日}}</ref>。
 
==== 学校の実態 ====
一般的に同じ校舎内で午前に小学校の授業,午後は中学・高校その他の学校の授業,夜は夜間学校と技術専門学校などの授業が行われている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/kids/kuni/bolivia.html |title=世界の学校を見てみよう! ボリビア多民族国 |access-date=2022年12月8日 |publisher=外務省 |date=2013年11月}}</ref>。また、学校施設不足などの理由から1つの校舎を別の複数の学校が共有することもある。
 
義務教育後の教育としては私立高校からは大学へ進学する者が多い。大学は入学が簡単である一方、卒業は困難である。公立高校からは経済的理由により働くか公立大学へ進学する者が多い。
 
私立校は小・中・高までの一貫教育を行っており、公立校よりも教師、設備に優れ、教育水準も高い。公立校は授業料が無料であるが、ほとんどの学校で教科書をコピーして使っており、教職員のストライキが多く教育課程に支障が出る場合がある<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.pref.chiba.lg.jp/kyouiku/shidou/gaikokujin/gakkou-sensei/documents/40.pdf |title=ボリビア共和国 |access-date=2022年12月8日 |publisher=千葉県}}</ref>。
 
==== 教育の効果 ====
独立機関である教育の質研究所(OPCE)の2010年の調査によると、初等教育では国語よりも算数の能力が低い児童が多いことが確認された。また、中等教育では初等教育と同様に算数の能力の低さが確認された。特に開発が遅れているとされている県において能力が低い生徒の割合が多く、県ごとに能力のばらつきが大きいことが確認されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/12128930.pdf |title=「第2章 教育セクターの課題と現状」『ボリビア多民族国 教師教育教材改訂プロジェクト 詳細計画策定調査報告書』 |access-date=2022年12月8日 |publisher=独立行政法人国際協力機構 人間開発部 |date=2013年7月}}</ref>。算数能力が低い理由として、授業が教師主導型で練習問題を解かせるだけであり生徒の自主性を重要視していないことが指摘されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.criced.tsukuba.ac.jp/jocv/report/sympo_h17/nomoto.pdf |title=ボリビアにおける算数教育 |access-date=2022年12月8日 |publisher=国際教育協力シンポジウム(帰国隊員報告会) |date=2005年 |author=野本 純一}}</ref>。
 
=== 保健 ===
{{see|{{仮リンク|ボリビアの保健|en|Health in Bolivia}}}}
==== 平均寿命 ====
2020年時点で男性69歳、女性75歳、合計72歳である<ref>{{Cite web |url=https://data.worldbank.org/indicator/SP.DYN.LE00.IN?locations=BO |title=Life expectancy at birth, total(years)-Bolivia |access-date=2022年12月8日 |publisher=The World Bank |date=2020}}</ref>。
 
==== 主な死因 ====
2019年時点で第1に虚血性心疾患、第2に下気道感染症、第3に脳卒中である<ref>{{Cite web |url=https://www.who.int/data/gho/data/themes/mortality-and-global-health-estimates/ghe-leading-causes-of-death |title=Global health estimates: Leading causes of death.2019 |access-date=2022年12月8日 |publisher=WHO |date=2019}}</ref>。
 
寿命に大きな影響を与えている要因として栄養失調、肥満がある<ref>{{Cite web |url=https://www.healthdata.org/bolivia |title=What causes the most deaths?.Bolivia |access-date=2022年12月8日 |publisher=Institute for Health Metrics and Evaluation |date=2019}}</ref>。
 
==== 健康への支出 ====
2019年時点でGDPに占める比率は6.92%であり<ref>{{Cite web |url=https://data.worldbank.org/indicator/SH.XPD.CHEX.GD.ZS?locations=BO |title=The World Bank.Current health expenditure (% of GDP)-Bolivia |access-date=2022年12月8日 |publisher=The World Bank |date=2019}}</ref>、2000年から徐々に上昇している。
 
=== 医療 ===
==== 医療施設 ====
公共の保健医療施設はサービスレベルに応じて3段階に分けられている。第1次レベルは初期治療などを提供する診療所、保健センターが該当する。第2次レベルは基本的専門医療を提供する県病院が該当する。第3次レベルは最も高度な医療を提供する総合・専門病院が該当する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jica.go.jp/jica-ri/IFIC_and_JBICI-Studies/jica-ri/publication/archives/jica/country/2003/pdf/bol_01_04.pdf |title=「第一章 保険医療」「第3部 セクター概要」『ボリビア国別援助研究会報告書 : 人間の安全保障と生産力向上をめざして. - 』 |access-date=2022年12月8日 |publisher=国際協力機構国際協力総合研修所 |author=建野 正毅/坪井 創 |date=2004年2月}}</ref>。
 
==== 保健政策 ====
妊産婦死亡率や5歳未満の乳幼児の死亡率が高く、母子保健が劣悪な状況であることから、1996年7月に「国家母子保健政策」が政府によって策定され、妊産婦および5歳未満の乳幼児が無料で診療を受けられるようになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/data/zyoukyou/h_14/020629_1.html |title=ボリビアの「コチャバンバ母子医療システム強化計画」に対する無償資金協力について. [ODA]国別地域別政策・情報 |access-date=2022年12月8日 |publisher=日本国外務省 |date=2002年6月29日}}</ref>。2003年には国家母子保険はユニバーサル母子保険と名称が変更され、社会保険や民間の施設でも適用されるようになった<ref>{{Cite web|和書|url=https://openjicareport.jica.go.jp/pdf/12085379.pdf |title=「第4章 保険サービス提供の状況」.『保健セクター情報収集・確認調査 ボリビア多民族国 保健セクター分析報告書』 |access-date=2022年12月8日 |publisher=独立行政法人国際協力機構 |date=2012年10月}}</ref>。妊産婦死亡率や幼児死亡率は近年(2019)の経済成長によって減少しつつあるが、依然として人口1万人あたりの医師数は中南米域内の平均を大きく下回っており、病院の数・人材・機材・薬品も不足している状態が長く続き、栄養失調などの問題が残っていた。こうした状況を踏まえ、政府は2019年3月に全国統一医療システムを導入し、ユニバーサル・ヘルス・カバレッジの拡大に取り組んでいる。具体的には全国民の保健サービスへのアクセスを目標とし、妊産婦死亡率を現状より50%削減し、幼児死亡率については現状より30%削減するとしている<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_008310.html |title=ボリビアに対する保健サービス向上支援(無償資金協力) |access-date=2022年12月8日 |publisher=日本国外務省 |date=2020年3月9日}}</ref>。
 
==== 医療体制の課題 ====
ユニバーサル・ヘルス・カバレッジ拡大の政策によって医療設備の数は増加しており、新しく導入された国民皆保険により、国民の51%が無料診療を受けられるようになった一方で、患者数の急増に病院のインフラが追いつかず、十分な医療サービスを提供できない病院もある。そのため、より多くの機材や医師を病院に配置することが求められている<ref name=":1" />。
 
== 社会福祉 ==
=== 年金 ===
[[2008年]][[2月1日]]、年の11月に成立した新年金法が施行され、無年金者への「尊厳ある[[年金]]」の支給が始まった。この政策は、資源主権の確立を通じて様々な社会政策を実施している[[ベネズエラ]]や、無年金救済制度をつくった[[アルゼンチン]]などの経験に学んだものである。財政的裏付けは、天然ガス国有化による国家収入の増大である。60歳以上の無年金者は年2,400[[ボリビアーノ|ボリビアーノス(]](約35,500円、最低賃金の4.6か月分)、何らかの国の年金を既に受けている人は1,800ボリビアーノスが支給される。約70万人が受給する見通しである。
 
== 文化 ==
{{Main|{{仮リンク|ボリビアの文化|en:|Culture of Bolivia}}}}
[[ファイル:Mate de coca Peru.jpg|thumb|伝統的な[[コカ|コカ茶]]。高地で生きるボリビア人にとって[[コカ]]は必需品である]]
[[ファイル:Padilla, Bolivia local.jpg|サムネイル|チリを手にしたボリビア人]]
 
[[プレ・インカ]]期や[[インカ帝国]]の文明圏ではケチュアがアイマラを支配する形で一体化は進み、スペイン統治下の[[ペルー副王領]]や[[リオ・デ・ラ・プラタ副王領]]の勢力圏などでもアルト・ペルーと呼ばれ、[[ペルー]]とボリビアはほぼひとまとまりの地域として扱われてきたため、現在でも両国は文化的に近い関係にある。
416 ⟶ 473行目:
俗語では、アンデス地域またはそこに住む人々は[[コージャ]]と呼ばれ、アマゾン地域またはそこに住む人々は[[カンバ]]と呼ばれる。
 
1998年以降、アメリカの指導により、政府はコカ撲滅作戦に取り組んでいるが、国民の6割がコカ常用者とされ、アメリカなどへの密輸も盛んに行われている<ref>毎日新聞『ボリビア「コカなしでは食えぬ」--新大統領の地元・コチャバンバ『[[毎日新聞]]東京朝刊2006年1月26日 東京朝刊 7頁</ref>。
[[ファイル:Padilla, Bolivia local.jpg|サムネイル|チリを手にしたボリビア人]]
 
=== 食文化 ===
{{Mainsee|ボリビア料理}}
食文化としては、[[パン]][[ジャガイモ]][[トウモロコシ]]を[[主食]]とし、[[副食]]として主に[[牛肉]][[鶏肉]]を食べる。[[豚肉]]は高級な食材とされる。クイと呼ばれる[[テンジクネズミ|天竺鼠]]の一種も食用としている。暖かい地方ではユカイモ([[キャッサバ]])や[[パパイア]]・[[マンゴー]]なども食べる。内陸国のため、魚介類ではチチカカ湖のトゥルーチャ([[マス|鱒]]の一種)や[[ペヘレイ]]といった川魚が食べられる。海産物は主に[[チリ]]などから輸入される。朝には道ばたでパンを売る姿がよく見られ、高地では[[サルテーニャ]]が、低地では[[クニャペ]]がよく売られている。
 
朝には道ばたでパンを売る姿がよく見られ、高地では[[サルテーニャ]]が、低地では[[クニャペ]]がよく売られている。
 
[[第二次世界大戦]]前後にドイツなどから逃れてきた人たち(戦前は[[ユダヤ人]]、戦後は[[国家社会主義ドイツ労働者党|ナチス]]の残党)が[[ビール]]を広めた結果、[[ラパス]]では「パセーニャ ({{lang|es|Paceña}})」、オルロでは「ウァリ (Huari)」、[[コチャバンバ]]では「タキーニャ ({{lang|es|Taquiña}})」、[[サンタクルス]]では「ドゥカル (Ducal)」など、それぞれの都市を代表するビールの銘柄がある。
 
ビール以外の酒類としては、スペイン侵略以前から飲まれている[[チチャ]]という発酵酒や、[[ブドウ]]の[[蒸留して作った酒]][[シンガニ]]や、[[中央アメリカ|中米]]から輸入したロン (Ron)([[ラム酒]]のロン(Ron)などが飲まれる。
[[ボリビア人]]のチチャにかける情熱は強く、チチャを侮辱したイギリスの公使が、暴君メルガレホによりロバの背中に裸にしてくくりつけられ、スクレの市中を引き回しにされた事件がある。
 
[[ボリビア人]]のチチャにかける情熱は強く、チチャを侮辱したイギリスの公使が、暴君メルガレホにより[[ロバ]]の背中に裸にしてくくりつけられ、スクレの市中を引き回しにされた事件がある。また、アルゼンチンに近い[[タリハ]]はボリビア屈指の[[ワイン]]産地であり、ワインも好まれている。
 
=== 文学 ===
{{see|ボリビア文学|ラテンアメリカ文学}}
[[File:Diablada oruro fraternidad.jpg|thumb|right|カーニバル]]
[[File:Diablada oruro fraternidad.jpg|thumb|right|[[カーニバル]]]]
{{Main|ボリビア文学|ラテンアメリカ文学}}
ボリビア文学はインカ帝国時代の先住民の口承文学に根を持ち、植民地期にもバルトロメ・アルサンス、パソス・カンキ、フアン・ワルパリマチなどの作家がいた。19世紀の独立後、[[ロマン主義]]の時代にはマリア・ホセファ・ムヒア、リカルド・ホセ・ブスタマンテ、アデラ・サムディオなどがいる。20世紀初めになると[[アルシデス・アルゲダス]]の『ワタ・ワラ』や、『青銅の種族』により、インディオの困窮や教会の腐敗を告発したインディヘニスモ文学が始められた。この頃の作家にはオスカル・セムートやガブリエル・レネ・モレーノなどがいる。
 
ボリビア文学はインカ帝国時代の先住民の口承文学に根を持ち、植民地期にもバルトロメ・アルサンス、パソス・カンキ、フアン・ワルパリマチなどの作家がいた。19世紀の独立後、[[ロマン主義]]の時代にはマリア・ホセファ・ムヒア、リカルド・ホセ・ブスタマンテ、アデラ・サムディオなどがいる。
現在活躍する作家としては、[[エドムンド・パス・ソルダン]]や[[日系ボリビア人]]の[[ペドロ・シモセ]]が特に有名である。
 
20世紀初めになると[[アルシデス・アルゲダス]]の『ワタ・ワラ』や『青銅の種族』により、インディオの困窮やキリスト教会の腐敗を告発したインディヘニスモ文学が始められた。このころの作家にはオスカル・セムートやガブリエル・レネ・モレーノなどがいる。現在において活躍する作家としては、[[エドムンド・パス・ソルダン]]や[[日系ボリビア人]]の[[ペドロ・シモセ]]が特に有名である。
[[ファイル:Dance in La Paz Bolivia.jpg|サムネイル|ダンスをするボリビアの女性たち]]
 
=== 音楽 ===
{{Mainsee|{{仮リンク|ボリビアの音楽|en:|Music of Bolivia}}|ラテン音楽}}
[[ファイル:Dance in La Paz Bolivia.jpg|サムネイル|[[ダンス]]をするボリビアの女性たち]]
ボリビアの音楽は土着の音楽が発達したアウトクトナ音楽と、ヨーロッパから持ち込まれた音楽を基盤に都市で発達クリオージャ音楽に大きく分けられるが、どちらも[[フォルクローレ]]と呼ばれる。
 
ボリビアの音楽は土着の音楽が発達したアウトクトナ音楽と、ヨーロッパから持ち込まれた音楽を基盤に[[都市]]で発達したクリオージャ音楽に大きく分けられるが、どちらも[[フォルクローレ]]と呼ばれる。ボリビア全体がフォルクローレの里と呼ばれるが、特に[[オルロ]]と[[ポトシ]]が有名である。オルロでは年に一度、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[無形文化遺産]]にも登録されている[[謝肉祭|カルナバル]]([[カーニバル]])が行われるが、これは[[クスコ]]、[[リオデジャネイロ]]と並んで南米三大祭りの一つといわれる。主なリズムとしては[[ワイニョ]]、[[クエッカ]](クエッカ・ボリビアーナ)、[[バイレシート]]など。『我が祖国ボリビア』というクエッカの曲は第2国歌と呼ばれている
ペルーやチリなど周辺国のフォルクローレにも使われるチャランゴはボリビア起源の楽器である。
 
『我が祖国ボリビア』というクエッカの曲は第2国歌と呼ばれている。ペルーやチリなど周辺国のフォルクローレにも使われるチャランゴはボリビア起源の楽器である。ポトシやその近くの[[チュキサカ県|チュキサカ]]の田舎町などには、スペイン侵略以前の習俗を色濃く残しているものと思われる、特異な歌や踊りをいまでも見ることができる。ノルテ・ポトシのプトゥクンという歌や、[[タラブコ]]の祭りなどがその例である。
 
[[ポピュラー音楽]]の世界ではクリオージャ音楽とアウトクナ音楽は相互に影響し合い、従来のフォルクローレと[[ロック (音楽)|ロック]]や[[ジャズ]]のクロスオーバーも盛んである。[[コロンビア]]生まれの[[クンビア]]も広く聴かれている。
 
=== 映画 ===
{{see|{{仮リンク|ボリビアの映画|en|Cinema of Bolivia}}}}
ボリビアにおいて初めて[[フィーチャー映画|長編映画]]『ワラ・ワラ』を撮影したのは{{仮リンク|ホセ・マリア・ベラスコ・マイダーナ|en|José María Velasco Maidana}}であり、1930年のことだった。その後1953年に[[ボリビア映画協会]]が設立され、[[ホルヘ・ルイス]]らが活躍した。
ボリビアにおいて初めて[[フィーチャー映画|長編映画]]『ワラ・ワラ』を撮影したのは{{仮リンク|ホセ・マリア・ベラスコ・マイダーナ|en|José María Velasco Maidana}}であり、1930年のことだった。その後1953年に[[ボリビア映画協会]]が設立され、[[ホルヘ・ルイス]]らが活躍した。1966年には[[ホルヘ・サンヒネス]]を中心に{{仮リンク|ウカマウ集団|es|Ukamau}}が結成され、日本でも[[現代企画室]]と[[太田昌国]]の協力により『地下の民』(1986年)などが公開された。
 
1966年に[[ホルヘ・サンヒネス]]を中心に{{仮リンク|ウカマウ集団|es|Ukamau}}が結成され、日本でも[[現代企画室]]と[[太田昌国]]の協力により『地下の民』(1986)などが公開された。
 
=== 世界遺産 ===
{{see|ボリビアの世界遺産}}
ボリビア国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が6件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が1件ある。詳細は、[[ボリビアの世界遺産]]を参照。
ボリビア国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が6件、[[自然遺産 (世界遺産)|自然遺産]]が1件ある。
 
<gallery style="text-align:center">
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</gallery>
 
===; ボリビアの[[無形文化遺産 ===]]
ボリビア国内の[[無形文化遺産]]。
* [[オルロ]]のカーニバル(2001年)
* [[カリャワヤ]]の[[アンデス山脈|アンデス]]に関する宇宙観(2003年)
 
=== 祝祭日 ===
{{see|{{仮リンク|ボリビアの祝日|en|Public holidays in Bolivia}}}}
{| class="wikitable"
|-
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|[[11月18日]]||[[ベニ県]]の日||Aniversarios Cívicos de Beni||ベニ県のみ
|}
 
== スポーツ ==
{{Main|ボリビアのスポーツ}}
{{See also|オリンピックのボリビア選手団}}
 
=== サッカー ===
{{Main|{{仮リンク|ボリビアのサッカー|en|Football in Bolivia}}}}
ボリビア国内でも他の[[ラテンアメリカ]]諸国と同様、[[サッカー]]が圧倒的に一番人気の[[スポーツ]]となっており、[[1950年]]にサッカーリーグの[[プリメーラ・ディビシオン・デ・ボリビア|プリメーラ・ディビシオン]]が創設された。[[ボリビアサッカー連盟]](FBF)によって構成される[[サッカーボリビア代表]]は、これまで[[FIFAワールドカップ]]には3度出場しているが、全大会でグループリーグ敗退となっている。しかし[[コパ・アメリカ]]では[[1963年]]大会で初優勝を果たしており、[[コパ・アメリカ1997|1997年大会]]では準優勝に輝いている。
 
代表チームはホームゲームで驚異的な強さを誇っており、ラパスにあるスタジアム「[[エスタディオ・エルナンド・シレス]]」は'''標高が約3,600m'''もあり、[[酸素]]濃度が低いためアウェーチームは度々苦戦を強いられている<ref>[https://megalodon.jp/2011-1112-1602-24/jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPJAPAN-26415920070613 「サッカー=ボリビア大統領、国内最高峰でFIFAに抗議」][[ロイター]]記事(2007年6月13日)の[[インターネットアーカイブ]]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20070718112730/http://www.nikkansports.com/soccer/world/f-sc-tp3-20070715-227474.html 「FIFAがラパスでの国際試合承認」][[日刊スポーツ]]記事(2007年7月15日)のインターネットアーカイブ</ref>。
 
== 著名な出身者 ==
{{Main|ボリビア人の一覧}}
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
===; 総合 ===
* {{Cite book|和書|author=[[眞鍋周三]]編著|authorlink=眞鍋周三|date=2006年4月|title=ボリビアを知るための68章|series=エリア・スタディーズ|publisher=[[明石書店]]|location=[[東京]]|isbn=4-7503-2300-4|ref=眞鍋編著(2006)}}
* 眞鍋周三編著 『ボリビアを知るための73章第2版】 』 明石書店 <エリア・スタディーズ 54> 2013年 ISBN 978-4-7503-3763-0
===; 歴史 ===
* {{Cite book|和書|author=[[エドゥアルド・ガレアーノ]]/|authorlink=エドゥアルド・ガレアーノ|translator=大久保光夫|date=1986年9月|title=[[収奪された大地 ラテンアメリカ五百年|収奪された大地──ラテンアメリカ五百年]]|series=|publisher=[[新評論]]|location=[[東京]]|isbn=|ref=ガレアーノ/大久保訳(1986)}}
* {{Cite book|和書|authorauthor1=[[中川文雄]]、[[|authorlink1=中川文雄|author2=松下洋]]、[[|authorlink2=松下洋|author3=遅野井茂雄|authorlink3=遅野井茂雄]]|date=1985年1月|title=ラテン・アメリカ現代史III|series=世界現代史34|publisher=[[山川出版社]]|location=[[東京]]|isbn=4-634-42280-8|ref=中川、松下、遅野井(1985)}}
* {{Cite book|和書|authoreditor=増田義郎|editor-link=[[増田義郎]]編|date=2000年7月|title=ラテンアメリカ史II|series=新版世界各国史26|publisher=[[山川出版社]]|location=[[東京]]|isbn=4-634-41560-7|ref=増田編(2000)}}
 
===; 地理 ===
* {{Cite book|和書|authoreditor=下中彌三郎|editor-link=[[下中彌三郎]]編|year=1954|title=ラテンアメリカ|series=世界文化地理体系24|publisher=[[平凡社]]|location=[[東京]]|isbn=|ref=下中(1954)}}
* {{Cite book|和書|authorauthor1=[[P.E.ジェームズ]]/|authorlink1=P.E.ジェームズ|translator=[[山本正三]]、[[菅野峰明]]|year=1979|title=ラテンアメリカII|publisher=[[二宮書店]]|isbn=|ref=ジェームズ/山本、菅野訳(1979)}}
* {{Cite book|和書|authoreditor=野沢敬|editor-link=[[野沢敬]]編|year=1986|title=ラテンアメリカ|series=朝日百科世界の地理12|publisher=[[朝日新聞社]]|location=[[東京]]|isbn=4-02-380006-6|ref=野沢(1986)}}
* {{Cite book|和書|authoreditor=福井英一郎|editor-link=[[福井英一郎]]編|year=1978|title=ラテンアメリカII|series=世界地理15|publisher=[[朝倉書店]]|location=[[東京]]|isbn=|ref=福井(1978)}}
 
===; 社会 ===
* {{Cite book|和書|authoreditor1=[[中川文雄]]、[[|editor1-link=中川文雄|editor2=三田千代子|editor2-link=三田千代子]]編|date=1995年10月|title=ラテン・アメリカ人と社会|series=ラテンアメリカ・シリーズ4|publisher=[[新評論]]|location=[[東京]]|isbn=4-7948-0272-2|ref=中川、三田編(1995)}}
 
== 関連項目 ==
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* 日本政府
** [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/bolivia/ 日本外務省 - ボリビア]
** [httphttps://www.bo.emb-japan.go.jp/itprtop_ja/index.html 在ボリビア日本国大使館]
* 観光
** [http://www.minculturas.gob.bo/ ボリビア文化観光省] {{es icon}}
563 ⟶ 627行目:
* NGO
** [http://www.jadesas.or.jp/fenaboja/ ボリビア日系協会連合会]
** [httphttps://nipponbolivia.org/ 一般社団法人日本ボリビア協会]
* その他
** {{CIA World Factbook link|bl|Bolivia}} {{en icon}}
** {{dmozCurlie|Regional/South_America/Bolivia}} {{en icon}}
** {{Wikiatlas|Bolivia}} {{en icon}}
** {{Googlemap|ボリビア}}
** {{Kotobank}}
 
{{南米共同体}}
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{{Coord|17|48|S|63|10|W|type:country_region:BO|display=title}}
 
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:ほりひあ}}
[[Category:ボリビア|*]]
[[Category:南アメリカの国]]
[[Category:内陸国]]
[[Category:共和国]]
[[Category:国際連合加盟国]]
[[Category:南米諸国連合加盟国]]