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|四股名=若花田 勝→若ノ花 勝→若乃花 勝
|本名=花田 勝
|愛称=お兄ちゃん<ref name="nishonoo23"/><ref>Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p81</ref>・若・若様・若関
|生年月日={{生年月日と年齢|1971|1|20|}}
|没年月日=<!-- {{死亡年月日と没年齢||||||}}テンプレートを使用 -->
|出身=[[東京都]][[中野区]]
|身長=180cm
|体重=
|BMI=41.36
|所属部屋=[[藤島部屋 (1982-1993)|藤島部屋]]→[[貴乃花部屋|二子山部屋]]
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}}
[[Image:Wakanohana 3 handmold.JPG|thumb|国技館辺に展示されている三代目若乃花の手形]]
'''花田 虎上'''(はなだ まさる、[[1971年]]〈[[昭和]]46年〉[[1月20日]] - )は、[[東京都]][[中野区]]出身
本名は'''花田 勝'''(読み同じ)
== 人物 ==
1971年1月20日、[[貴ノ花利彰]]の長男として生まれ
母は[[藤田紀子]]、弟は後に横綱となる[[貴乃花光司]]。[[若乃花幹士 (初代)|若乃花幹士]]は伯父にあたる。元
人当たりのよい性格で話術にも長け、貴乃花の実兄であることから力士時代から「'''お兄ちゃん'''」の愛称で親しまれ
車・バイク好きとしても知られ<ref>[http://www.bs4.jp/aisya_henreki/onair/24/index.html BS日テレ - おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE!]</ref>、[[ポルシェ911]]GT3、[[トヨタ・クラウンマジェスタ]]、[[ダッジ・チャージャー]]など約30台
== 来歴 ==
上背はなかったものの、鍛え上げられた強靭な筋肉と巧みな足さばきを生かして多彩な技を繰り出し、技能派の名人力士として知られた。
「最大の企業秘密」として現役中は
小学6年生の時に「[[明治大学付属中野中学校・高等学校|家から近い明大中野]]に行きなさい」と両親に指示され、相撲は中学から始めた。世間では温厚な人柄で知られるが、父からは「お前は気が荒いから、このままいくと人を殺すようなことになる。明中の相撲部に入って修行しなさい」と内に秘めた気性の荒さを危惧されていた。父は非常に怖く、幼少期から嘘を吐いたり門限を破ったりしたら父からしょっちゅう手や物が飛んだ<ref>[https://www.dailyshincho.jp/article/2024/03031055/?all=1 「相撲の流れが見えた」 若乃花が語った「天賦の才」と知られざる気性の荒さ(小林信也)(1/2ページ)] デイリー新潮 (文・小林信也、2024年3月4日閲覧)</ref>。
=== 入門 ===
入門時に
[[1988年]]3月場所
=== 入幕 ===
入幕
1991年11月場所で、自身初の[[三役]]となる新[[小結]]に昇進したが7勝8敗と負け越した。
1993年5月場所直前に、四股名を若花田から'''若ノ花'''に改名する。同5月場所では新[[関脇]]で10勝5敗と二桁白星を挙げ、幕内上位で3場所合計34勝11敗の成績となったが、3場所前に前頭3枚目(10勝5敗)の地位だった事がネックとなり[[大関]]昇進は見送られた。
=== 大関時代 ===
; 1994年
: 大関昇進後も順調に土俵を務め
; 1995年
: [[1995年]]11月場所に12勝3敗で弟・貴乃花との[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]<ref name="nishonoo23"/> を制して漸く2回目の優勝
; 1996年
: [[1996年]]の1月場所は自身初の綱取りとなったが、場所直前に罹った[[インフルエンザ]]の影響や肝機能障害による絶不調で、初日から3連敗を喫して4日目から途中休場した<ref name="100retsu"/>。場所前、仕事で出掛けた帰りに車の中で突然悪寒を感じ、若乃花も余りの寒さに暖房の温度を上げたら同乗した付け人が汗だくになったため、自分の異変に気付き病院に駆け込んだら体温が41.5度あり、そのまま4日間入院した
; 1997年
: [[1997年]]1月場所は初日から完璧な相撲で、14連勝し14日目に3回目の優勝を決めた。[[千秋楽]]は
:
; 1998年
: [[1998年]]3月場所
:
=== 横綱時代 ===
; 1998年
: [[横綱土俵入り]]では、後継者が少ない「不知火型」を敢えて選択する。[[隆の里俊英|隆の里]]が中心となって、琴櫻や初代若乃花までが登場して土俵入りを指導した。若乃花らしい切れのあるきびきびとした土俵入りであった。
: 史上初の兄弟横綱として期待されたが
: 新横綱の1998年7月場所、序盤は5連勝したものの、6日目の平幕・[[出島武春|出島]]に敗戦・初金星を配給。
: 1998年9月場所では、場所中
: 1998年11月場所は平幕の[[琴錦功宗|琴錦]]に優勝を許し、自身は9勝6敗の不振となった。
; 1999年
: [[1999年]]1月場所は12日目まで一人全勝を守っ
: 1999年3月場所と5月場所は、左足の太股や左足関節の外側靱帯を痛める故障により2場所連続して途中休場となった。7月場所は平成時代2例目の[[4横綱]](曙・貴乃花・若乃花・武蔵丸)と成るも、横綱昇進後初の初日から全休となった。
: 復帰した1999年9月場所は序盤で2連敗したが、その後白星を重ね10日目の[[闘牙進|闘牙]]戦では左足の[[肉離れ]]を起こしながらも取り直しの相撲で勝利する。
: この9月場所限りでの引退を勧告する声もあったが、千秋楽後に時津風理事長との話し合いの末、若乃花は現役続行を志願し、翌場所から2場所連続全休して再起を図った。
; 2000年
:
: 「強くなったか? うん、うれしかった」と、後輩の成長を肌に染み込ませ、心の区切りをつけた<ref name="intainisaisite">2000年3月17日付日刊スポーツ紙面</ref>。取組後の支度部屋では「ここまできたら怖いものはない。やれるところまでやります」と話していたが、宿舎に向かう車中で冷静に限界を悟った
: 横綱時代は休場の方が多くかつ横綱の地位で一度も幕内優勝出来ず、十分にその役目を果たせなかった<ref name="100retsu"/>。
:
:
: 横綱昇進後は
=== 引退後 ===
==== 相撲協会退職 ====
: [[年寄]][[藤島 (相撲)|藤島]]を襲名し、当初は後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年[[12月18日]]に突如[[日本相撲協会]]を退職した。後年の報道によると、兄弟の不仲で部屋継承の話が拗れ、人間関係に嫌気が差したのが退職の理由とみられる<ref>[https://www.news-postseven.com/archives/20240413_1956486.html/2 《誰も相撲界に残らず》曙太郎さん死去 「若貴」との“同期3横綱”が全員、角界を去らなければならなかった本当の理由(2/4ページ)] NEWSポストセブン 2024.04.13 11:00 (2024年4月14日閲覧)</ref>。
==== 相撲協会退職後の主な活動 ====
:力士時代からの念願であった[[アメリカンフットボール]]に挑戦。2001年に[[Xリーグ]]の[[オンワードオークス|オンワードスカイラークス]]に入部し、
:2005年5月までは民放で相撲
:2021年9月場所
==== 実業家として ====
:2002年にドリームアーク社を設立し、代表取締役会長として全国に店舗展開する「Chanko Dining 若」「うどんダイニング若」「&kitchen」「Onii Chan and Kitchen(おにいちゃん&キッチン)」
:2008年11月
:2012年より、個室居酒屋業界大手の[[アンドモワ]]株式会社で「若の台所」「赤鶏御殿」、ラーメン屋「若のらーめん」をプロデュースし
== 略歴 ==
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* [[1997年]]1月 - 7場所振り3回目の幕内最高優勝(14勝1敗)
* [[1998年]]3月 - 7場所振り4回目の幕内最高優勝(14勝1敗)
* 1998年5月場所 - 12勝3敗の成績ながら、2場所連続5回目の幕内最高優勝を達成。同場所後には[[横綱]]昇進も決定し、'''史上初の兄弟同時横綱'''が実現する。横綱土俵入りは不知火型を選択。伝達式の口上で「『堅忍不抜』の精神で精進していきます」と述べる(前の5月場所、綱獲りのかかった直前の場所で、優勝とはいえ12勝3敗
* 1998年7月 - 新横綱(10勝5敗)
* 1998年11月 - この場所9勝6敗の成績に終わったが、大相撲史上初の2度目の[[平幕優勝]]を果たした[[琴錦功宗|琴錦]]に唯一土をつける。1998年は自身最初で最後の[[年間最多勝]](67勝)および[[年間最優秀力士賞]]を受賞した。[[2016年]]に[[稀勢の里寛|稀勢の里]]が年間最多勝を獲得するまで日本出身力士の年間最多勝は18年間出なかった。
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* 2002年 - [[アリーナフットボールリーグ]](AFL)1部、アリゾナ・ラトラーズ入りを目指すも、就労ビザを取得できずに断念する。帰国後、本名の'''花田 勝'''で[[タレント]]・スポーツキャスターとして活動を開始する。
* 2002年 - ドリームアーク社設立、代表取締役に就任。
*[[2005年]]5月30日 - 父が死去し、7月4日に弁護士が遺産相続の放棄を発表<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=花田勝氏が相続を放棄 唐突と貴乃花親方 (共同通信) - goo ニュース(2005年7月4日)|url=https://web.archive.org/web/20050706105654/http://news.goo.ne.jp:80/news/kyodo/shakai/20050704/20050704a4900.html|website=web.archive.org|date=2005-07-06|accessdate=2019-06-02|publisher=}}</ref> する。
* [[2007年]]10月2日 - 妻の美恵子と5年間の別居を経て離婚する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202105100000094.html|title=花田美恵子、母になって25年「反省と後悔ばっかりだけど一生懸命な毎日」|publisher=日刊スポーツ|date=2021-05-10|accessdate=2021-05-10}}</ref>。子ども4人の[[親権]]は美恵子が持つ<ref>{{Cite news |title=花田勝氏が離婚「さんまさんのように」 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2007-10-04 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071004-265248.html |accessdate=2018-07-31}}</ref>。
*2008年11月 - ドリームアーク社の代表取締役会長を退任し、12月に同社を売却する。
* [[2008年]]6月15日から[[2009年]]3月22日放送分までの約9か月間、『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』の[[上沼恵美子]]の三代目男性アシスタントとして出演する。
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== エピソード ==
=== 相撲関連 ===
* 現役時代の若い頃は、[[力士養成員|若い衆]]に30番ほど胸を出してから、関取衆との申し合い・三番稽古を20番、30番以上はこなした。それも待ったなしで行っ
*現役時代の[[廻し]]に付いていたさがりの本数は17本で、弟の貴乃花も同数であった<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/201905160000126.html まわしの「下がり」に個性、白鵬15連勝願い15本] 日刊スポーツ 2019年5月17日10時0分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月19日閲覧)</ref>。
* 関取になって1人部屋が与えられてビデオを見るスペースを得てからは連日連夜、ビデオテープが擦り切れるまで取組を研究した<ref name="video"/>
* 現役時代はアメリカ文化に憧れており武蔵丸にアメリカ文化を教えてほしいと思ったが、私情を避けるため現役時代は私的に交流しなかった<ref name="number2019022836">Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p36</ref>。
* 貴闘力は「貴乃花はとにかく稽古をする男だったが、貴乃花と若乃花どちらが素質があるかと言えば若乃花かもしれない」「膝から下の力が強かったので、200キロの相手でも対等に戦えたし、投げられても踏ん張ってうっちゃったりができた」と称賛している<ref>{{Cite web|和書|title=「親方が特別扱いしなければ貴乃花はもっと…」“貴の乱”で親方勢に“ガチンコ勝負”で負けてしまったワケ《貴闘力がみた若貴兄弟の性格の違い》 |url=https://bunshun.jp/articles/-/58890 |website=文春オンライン |access-date=2023-11-10 |last=「文春オンライン」特集班}}</ref>。
* 2000年3月場所、現役最後の対戦相手は奇しくも明大中野高校の後輩でもある
*現役時代のある時、[[霧島一博|霧島]]との取組の後に右足親指の骨が見えてその指が切断しそうになっていた。霧島もこれには心配になって東西が反対の支度部屋の風呂まで駆け付けた
*曙との対戦成績は17勝18敗と僅か1つの差で負け越した。中でも小結時代の1993年3月場所の12日目、当時新横綱の曙を取り直しの末に投げ飛ばして初優勝、後の大関昇進への足がかりとした。
==== 横綱としてのプレッシャーとの戦い ====
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=== 相撲の専門家として ===
*2019年3月場所前に相撲の専門家としての記事でインナーマッスルの強化不足を昨今の力士の傾向として挙げており、
*2019年5月19日、5月場所8日目の幕内の取組を「12年ぶりぐらい」に記者席から生観戦し、連載を持っている「[[NHK G-Media 大相撲ジャーナル|大相撲ジャーナル]]」(報知新聞社)に特別観戦記が掲載された<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上『生で観戦』(2019年5月19日)|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12462432801.html|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba|accessdate=2019-05-19|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「大相撲ジャーナル夏場所決算号」発売…花田虎上特別観戦記も|url=https://hochi.news/articles/20190529-OHT1T50187.html|website=スポーツ報知|date=2019-05-30|accessdate=2019-12-28|language=ja}}</ref>。小結の92年春場所で再出場後に再び休場した経験から、再出場した貴景勝について「休んだ方がいいんじゃないですか。心配。膝は大きいところ。休んで治した方がいい」と話した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=元横綱若乃花の虎上氏が生観戦 弟光司氏にエールも - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201905190001138.html|website=nikkansports.com(2019年5月19日)|accessdate=2019-05-19|language=ja|publisher=}}</ref>。
*2019年11月場所千秋楽(11月24日)の[[AbemaTV]]大相撲中継の解説中、優勝した白鵬に[[大栄翔勇人|大栄翔]]以外の若手力士が土をつけられなかったことについて「(力士たちが)何か考えないと世代交代はない。まだまだ続きます」と語った。白鵬の立ち合いにも問題は指摘しつつ、「このままの立ち合いをやってしまったら、ずっと優勝されていく。(相撲は)8割が立ち合い」「相手力士は嫌われてください。嫌がられてください。そこまでしないと勝てない。汚い相撲とは言いませんが、ずるい相撲は取らないと」と立ち合いの研究・勝つことへの貪欲さを持って欲しいと現役力士たちに苦言を呈した<ref>{{Cite news|title=元若乃花、白鵬の立ち合いに若手力士へ注文「何か考えないと世代交代はない。ずっと優勝されていく」|newspaper=ABEMA TIMES|date=2019-11-25|url=https://times.abema.tv/articles/-/7029988|accessdate=2021-7-21}}</ref>。
*2019年11月場所14日目のAbemaTVの中継で「これから入門する人は、元々親方がどういう相撲を取った人かを調べて入ったほうがいいと思います。親方も教えやすいですしね」と、今後角界入りを目指す若者へアドバイスを送った<ref>[https://times.abema.tv/articles/-/7029890 元若乃花、部屋選びのポイントは「親方がどういう相撲を取った人か調べたほうがいい」] AbemaTIMES 2019.11.24 08:00(2019年12月2日閲覧)</ref>。
*2020年5月24日、[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の流行]]により中止された5月場所の中継に替わる「大相撲ABEMA場所」に出演。過去の名勝負の映像を見ながら、弟の貴乃花の相撲について「前に攻めて、自分の形は右四つだが、両方どちらでも相撲が取れる。それが一番強い」と評価している。先に出世されたことについて司会者の質問が及ぶと、「自分は自分のペースで行こうと。私、付き人についていた時もあります。お風呂場で背中を流してましたから」「誇らしかった。七光りが通用しない世界ですから」と答えている<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上氏、貴乃花の強さと思い出に言及「付き人時代には風呂で背中を流していた」|url=https://times.abema.tv/articles/-/7055124|website=ABEMA TIMES(2020年5月24日)|accessdate=2020-05-25|language=ja|publisher=}}</ref>。
=== プライベート関連、その他 ===
*2007年に花田美恵子と離婚。「正式に書面を提出し離婚という道を選ぶ事になりました。2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出逢えたこと、4人の子供を授かったことなど13年間の結婚生活に感謝しています。これからも2人を温かく見守って頂けると嬉しく思います」と所属事務所を通じてFAXでコメントしている。一方、美恵子元夫人は『[[女性セブン]]』(2007年10月18日号)にて離婚に至る経過を語った。4人の子供の[[親権]]は元妻の美恵子が持つこととなった。数日後、美恵子元夫人の不特定多数との不倫行為が報道される<ref group="注釈">美恵子の不倫行為の相手として報じられたのは[[青木堅治]]。</ref>。これが離婚の大きな要因になった可能性を示唆する報道も存在している<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071022-272987.html 美恵子さん11歳年下俳優と不倫していた 2007年10月22日日刊スポーツ閲覧]</ref>。
*2011年4月9日より、風水建築デザイナー[[直居由美里]]のアドバイスで芸名を「'''花田 虎上'''」(はなだ まさる)に改名した<ref>[
*前妻の美恵子がマスコミに見せた良妻ぶりは「演技」であり、逆に子供の運動会の前日に飲酒して帰ってきたら運動会に間に合わないように目覚まし時計を設定する
* 2020年11月2日放送分の[[テレビ朝日]]「[[徹子の部屋]]」にゲストとして出演した際に、「自分の身は自分で守りなさい」と
* 2021年1月、母親の藤田紀子が所属している[[生島企画室]]のYouTubeチャンネルに出演して話したところによると、現在の花田は夫婦で仕事をしており、2008年に再婚した現在の妻が個人事務所の社長とマネージャーを務めている。そのため、挨拶などで夫婦そろって出かけなくてはならないときは藤田が二人の子どもを預かっている
=== 現役時代からの実弟・貴乃花との確執 ===
==== 確執の発生と経緯 ====
*かつては、弟を溺愛していた。2018年4月15日放送の日本テレビ系「[[誰だって波瀾爆笑]]」出演時の本人の述懐によると、子どもの頃から自分と弟とは性格が違ったが、「俺の後ろを常について来て、かわいいの。父と母には腹が立ってムカついてるから。僕の救いは弟だけだった。この子がいれば生きていける、って思って」と語っている<ref name=":4">{{Cite web|和書|title=花田虎上氏、少年時代の救いは弟・貴乃花親方だけだった…「この子がいれば生きていける」|url=https://www.sanspo.com/article/20180415-BLBM6KICLVNSVNU225UI72BW3Q/|website=SANSPO.COM|date=2018-04-15|accessdate=2021-03-06|language=ja-JP}}</ref>。
*もともと角界には入るつもりはなかったが、弟を守る壁になれと両親に迫られ、横綱になったら引退して好きなことをさせてもらう約束で入門した<ref name="20141120466+45464">花田虎上 横綱昇進断るつもりだった…角界入りは貴乃花守るため両親に強いられた デイリースポーツ 2014年11月20日(木)12時21分配信</ref>。
**入門後も弟を気にかけていた。大部屋生活でライバルが数十人といるなか、眠っているときにけがをさせられては困ると怖くて眠れず、「その時はかわいかったから。それが生きる術。こいつは守ってやろう、と。自分よりかわいかった。自分の人生どうなっていもいいと思っていた」と語っている<ref name=":4" />。
** 1998年5月場所千秋楽で白星を挙げて横綱昇進を決めた時も嬉しくないと思い、むしろ「横綱になっても横綱相撲は取れない」「辞めるしかない」と不安で一杯だった<ref name="number2019022836" />。場所終了後に横綱になることになったので、口上の決まり文句「謹んでお受けします」ではなく<ref name="20141120466+45464" />、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言って入門時の約束どおりに引退するつもりだったが、両親に反対され<ref name="20141120466+45464" />、仕方なしに横綱になった<ref name="20141120466+45464" />。以来、相撲を辞めたいと言う度に、引退3日前まで11代二子山は殴って諌めた
** 1999年場所直前に父親の11代二子山が「貴乃花は懇意にしている整体師から洗脳されている」と発言したとする「貴乃花洗脳騒動」が発生以来、実弟とは絶縁状態である。直接の話し合いもなくメディアを使い一方的に実弟に非難をされており、2005年5月の父親死去の折も同様の形で非難をされている<ref>{{Cite web|和書|title=貴乃花親方引退騒動、あの「洗脳騒動」を取材した記者が見た「そっくりな部分」|url=https://www.j-cast.com/2018/09/28339884.html|website=J-CASTニュース|date=2018-09-28|accessdate=2019-05-30}}</ref>。実弟は「年寄株や登記書などの父の遺産が行方不明になっており、兄に『年寄株を買い取れ』などと要求された」<ref>結局一旦紛失した年寄株「藤島」は再発行された。</ref>「相撲を辞めた人間が相撲の事を語るな」などと様々なテレビ番組に出演し話していたが<ref group="注釈">この時の会見で弟の貴乃花が他人行儀に「花田勝氏」「勝氏」と呼んだことが話題となり、[[松村邦洋]]が貴乃花親方のモノマネをする際にもこのコメント部分を用いている。</ref>、この件に関して花田はマスコミの取材を一切受けず反論もしなかった。
** 2005年7月4日に、[[東京家庭裁判所|東京家裁]]で父親の11代二子山の相続放棄の手続きをしたと代理人弁護士が発表した<ref>『[[日刊スポーツ]]』 2005年7月4日</ref>。弁護士によると、現役引退のときに父親と話し合って決めていたことで、それ以外の(プライベートな)ことはこの相続放棄と一切関係なく、同月3日の35日の法要を終えるまで公表しない約束だった<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|和書|title=MSN-Mainichi INTERACTIVE 今日の話題(2005年7月4日)|url=https://web.archive.org/web/20050708011450/http://www.mainichi-msn.co.jp:80/today/news/20050705k0000m040061000c.html|website=web.archive.org|date=2005-07-08|accessdate=2019-06-02|publisher=}}</ref>。2014年3月4日放送の[[TBSテレビ|TBS]]系テレビ番組「[[100秒博士アカデミー]]」でも、花田本人が「遺産放棄は父と自身との話し合いによって決めたことであり、弟はそれを知らなかった」と証言している<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20140308063114/http://datazoo.jp/tv/100%E7%A7%92%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC/704633|title=2014年3月4日放送『100秒博士アカデミー』|accessdate=2015-01-09|date=2014-03-04|publisher=TVでた蔵}}</ref>。
** 2019年3月20日の公式ブログで、その半年前までテレビ出演時に弟の写真はおろか名前を使うことも出来なかったことを明かしている<ref>{{Cite web|和書|title=『いつか』|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12448424736.html|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019年3月20日)|accessdate=2019-03-25|language=ja|publisher=}}</ref>。同年5月の一般社団法人の設立には「どういう風にやっていくのか楽しみにしている。『頑張ってください』としか言えない」とコメントした<ref>{{Cite web|和書|title=元横綱若乃花の虎上氏、貴景勝は「休んだ方がいい」 - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201905190001138.html|website=nikkansports.com(2019年5月20日)|accessdate=2021-02-26|language=ja}}</ref>。
**2021年7月、11代二子山時代の部屋後援会の元幹部が当時について週刊ポストの取材に答えている。それによると、11代二子山は二子山部屋を長男に継がせたいと考えており、弟の貴乃花は一代年寄として部屋を興せばいいと
==== 日馬富士による暴行事件関連 ====
* 2017年11月場所に発覚した横綱・[[日馬富士公平]]による[[貴ノ岩義司]]への暴行事件に関しては、11月14日の[[Facebook]]で「これが本当であれば協会が判断するうんぬんではなく刑事事件として警察に任せる程の事だと私は思いました」と発言して以来、一貫して被害者の貴ノ岩の師匠としての弟の立場に理解を示す発言をしている。
**「憶測が憶測を呼び何が真実かわからなくなっている今、被害者が何も発言していない今、当事者でない私が何を話しても説得力がない」(11月23日)として、当初は週刊誌やテレビなどのマスコミへ取材には応じない意向を表明していた<ref>{{Cite news|title=花田虎上、日馬富士暴行問題でコメントしないと表明|url=https://www.sanspo.com/article/20171123-3PDCDOPPNJKVNL5IBZWHJDKZQY/|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=サンスポ}}</ref>。ところが騒動が沈静化せず、芸能界の仕事で世話になっている[[上沼恵美子]]の要請を受けたため、12月10日に「[[上沼・高田のクギズケ!]]」に出演した。この時も「この問題に関しては(貴乃花は)被害者側だと思うんです」と発言している<ref>{{Cite news|title=花田虎上氏、弟・貴乃花親方は「この問題に関しては被害者側だと思う」|date=2017-12-10|url=https://www.hochi.co.jp/entertainment/20171210-OHT1T50112.html|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=スポーツ報知}}</ref>。
**2018年9月25日
*母親の藤田紀子については、日馬富士による暴行事件で弟の貴乃花を庇う言動をしたことや貴乃花が相撲協会退職後に家族の和解を望むことを仄めかした折に再会を望んだ心情について理解を示し、母としての願いが叶うことを望む発言をしている。しかし、自らの立場・考えは母親とは異なることも明言している。
**2018年6月10日放送の「[[快傑えみちゃんねる]]」出演中に、母と距離を置いていることを明かした。角界を離れアメフトの世界で選手が母親を大切にしているのを見て感銘を受けたためこれまで母親を大切に扱ってきたが、藤田が各局のワイドショーに出演し角界の内部情報をほのめかし続けたことについて「自分の中で裏切られたということがあって。テレビに出て自分の子ども(貴乃花)をかばうのはいいんですけど、今まで助けてくれていた人たちのことを全然顧みず裏切ったりしていたので。僕の本心が違うように伝わっていたので。僕が言いたいことを母がほとんど言っていない」と不快感を表した<ref>{{Cite news|title=花田虎上 母・藤田紀子と関係悪化…「裏切られた」 貴乃花も絶縁状態/デイリースポーツ online|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2018/06/01/0011315404.shtml|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=デイリースポーツ online}}</ref>。
**2019年1月26日の公式ブログに「今後は利害関係なく、ただの親子になります。考えが合わないのでどうするべきか考え抜いた結果です。そうすることで親子として普通に接することができるのではないかと考えたのです」と
==== 貴乃花との和解企画関連 ====
*2018年に貴乃花が相撲協会を退職して以来、実現すれば高視聴率が期待できるため、テレビ局(日本テレビ・テレビ朝日)から和解特番を持ち掛けられていると報じられている<ref name=":3">{{Cite news|title=テレ朝vs日テレで勃発 若貴兄弟“和解特番”争奪戦の行方|newspaper=日刊ゲンダイ|date=2019-4-25|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/252591/|accessdate=2021-7-21}}</ref>。
**2019年5月8日、日本テレビ系「[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]」での貴乃花との和解の企画がとん挫したと報道された。日本テレビには貴乃花と懇意のプロデューサーがおり、「[[行列のできる法律相談所]]」か「24時間テレビ」の企画として前年11月から交渉し
**同年5月17日放送の日本テレビ系「[[沸騰ワード10]]」に出演し、かつて「[[ズームイン!!SUPER|ズームイン!!SUPER]]」で共演していた[[羽鳥慎一]]、[[西尾由佳理]]を自宅に招いた。貴乃花が3月20日放送の日本テレビ系「ザ・発言X」に出演し家族関係の修復に前向きな姿勢を見せた<ref>{{Cite news|title=貴乃花氏 家族愛の絵本制作に兄・虎上も反応、修復に期待の声|newspaper=女性自身|date=2019-3-21|accessdate=2021-7-21|url=https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1722331/}}</ref> ことに触れ「僕は仲良くしてもらいたい」と求めた羽鳥に対し、「ずっと殴られ続けてるのに急に仲よくしようって言われた」状態であり貴乃花の連絡先を知らないため『待ち』の姿勢であると答えている<ref>{{Cite news|title=花田虎上、弟・貴乃花の急接近に複雑胸中「ちょっと待って」|newspaper=RBB TODAY|date=2019-5-17|last=杉山|first=実|url=https://www.rbbtoday.com/article/2019/05/17/169910.html|accessdate=2021-7-21}}</ref>。
**2020年11月2日放送のテレビ朝日「[[徹子の部屋]]」に出演。貴乃花とは連絡を取っておらず、「私自身、けんかをしたことがない」「今幸せなので、静かにこのまま時が流れるのを待ってます」とやんわりと今後の交流の意思がないことを語っている<ref name=":2" />。
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│ │ ‖
│ │ [[若三杉彰晃|大豪]]
│ │ ┌ '''若乃花Ⅲ'''
│ └ [[貴ノ花利彰|貴ノ花]]――┤
└ (女) └
‖ ‖(離婚) ――[[花田優一]]
峯ノ越 [[河野景子]]
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* [[ぐるぐるナインティナイン]](不定期である金星相撲部コーナーのレギュラー、2016年1月2日 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]([[テレビ東京]]) - 『[[軽トラで行く!激走!港めぐり旅]]』などレギュラー企画に不定期出演
* SPORTSウォッチャー
* [[花田虎上のチバテレ!YAGURA]] - メインパーソナリティ(2020年4月18日 - 2024年3月16日、[[千葉テレビ放送]])<ref>{{Cite web|和書|title=踊る!チバテレYAGURA|チバテレ|url=https://www.chiba-tv.com/program/detail/1121|website=www.chiba-tv.com|accessdate=2021-02-05}}</ref>
=== テレビドラマ ===
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=== ウェブテレビ ===
* [[朝青龍を押し出したら1000万円]](2017年12月31日、[[AbemaTV]])<ref>{{
* AbemaTV大相撲
* 大相撲ABEMA場所~記憶に残る名勝負100連発~
=== CM ===
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== 外部リンク ==
* {{Cite web
{{goo-sumo|2|若乃花 勝}}
{{sumodb|3|若乃花 勝}}
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[[Category:相撲解説者]]
[[Category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:日本の相撲評論家]]
[[Category:21世紀日本の評論家]]
[[Category:日刊スポーツ新聞社の人物]]
[[Category:元大相撲力士のタレント]]
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