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|四股名=若花田 勝→若ノ花 勝→若乃花 勝
|本名=花田 勝
|愛称=お兄ちゃん<ref name="nishonoo23"/><ref>Sports Graphiv Number PLUS April 2017(文藝春秋、2017年4月10日)p81</ref>・若・若様・若関(大相撲現役時)
|生年月日={{生年月日と年齢|1971|1|20|}}
|没年月日=<!-- {{死亡年月日と没年齢||||||}}テンプレートを使用 -->
|出身=[[東京都]][[中野区]]
|身長=180cm
|体重=133kg(133kg(現役時) 105kg()105kg(現在)
|BMI=41.36
|所属部屋=[[藤島部屋 (1982-1993)|藤島部屋]]→[[貴乃花部屋|二子山部屋]]
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}}
[[Image:Wakanohana 3 handmold.JPG|thumb|国技館辺に展示されている三代目若乃花の手形]]
'''花田 虎上'''(はなだ まさる、[[1971年]]〈[[昭和]]46年〉[[1月20日]] - )は、[[東京都]][[中野区]]出身で[[貴乃花部屋|二子山部屋]](入門時は[[藤島部屋 (1982-1993)|藤島部屋]])に所属した[[大相撲]][[力士]]である。第66代[[横綱]]・3代目'''若乃花'''。
 
本名は'''花田 勝'''(読み同じ)。[[貴乃花部屋|二子山部屋]](入門時は[[藤島部屋 (1982-1993)|藤島部屋]])に所属していた。日本相撲協会退職後は、[[タレント]]、[[スポーツキャスター]]、[[実業家]]、相撲[[評論家]]として活動してい。血液型はB型
 
== 人物 ==
1971年1月20日、[[貴ノ花利彰]]の長男として生まれる。[[1982年]]以降は[[中野区]]で育った。現在は[[千葉県]][[富津市]]に在住する
 
母は[[藤田紀子]]、弟は後に横綱となる[[貴乃花光司]]。[[若乃花幹士 (初代)|若乃花幹士]]は伯父にあたる。元配偶者は[[花田美恵子]]で、2008年に一般人女性と再婚している。
 
人当たりのよい性格で話術にも長け、貴乃花の実兄であることから力士時代から「'''お兄ちゃん'''」の愛称で親しまれた。兄であるため兄として 「'''若'''」と呼ばれる事あっ称された。
 
車・バイク好きとしても知られ<ref>[http://www.bs4.jp/aisya_henreki/onair/24/index.html BS日テレ - おぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE!]</ref>、[[ポルシェ911]]GT3、[[トヨタ・クラウンマジェスタ]]、[[ダッジ・チャージャー]]など約30台ほど乗り継いでいる。血液型はB型
 
== 来歴 ==
上背はなかったものの、鍛え上げられた強靭な筋肉と巧みな足さばきを生かして多彩な技を繰り出し、技能派の名人力士として知られた。事前に相手の相撲の流れが分かる独特の勝負勘は師匠の二子山にすら言っても理解されないほどの異能で、そうしことから天才型との評価もある<ref name="nagare"/>。容姿や相撲の内容は実父・貴ノ花利彰よりも伯父の初代若乃花を彷佛とさせた。下半身が非常に筋肉質であり、奉納土俵入りの後ろ姿が、筋肉隆々な出で立ちで有名だった[[千代の富士貢]]のものとして誤った形でインターネット上で拡散されたほどである(実際は千代の富士は雲竜型だったため、判別は容易である
 
「最大の企業秘密」として現役中は徹底して隠し通明かれていなかっあり、入門前から左の[[股関節]]が弱かったため、「左を差されて前に出られる相撲」など左の股関節に負担がかかる体勢を苦手としていとのこと<ref name="nishonoo23">ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p23</ref><ref>第66代横綱若乃花 花田勝『独白-ストロング・スピリット』文藝春秋、2000年、45-50頁。</ref>。
 
小学6年生の時に「[[明治大学付属中野中学校・高等学校|家から近い明大中野]]に行きなさい」と両親に指示され、相撲は中学から始めた。世間では温厚な人柄で知られるが、父からは「お前は気が荒いから、このままいくと人を殺すようなことになる。明中の相撲部に入って修行しなさい」と内に秘めた気性の荒さを危惧されていた。父は非常に怖く、幼少期から嘘を吐いたり門限を破ったりしたら父からしょっちゅう手や物が飛んだ<ref>[https://www.dailyshincho.jp/article/2024/03031055/?all=1 「相撲の流れが見えた」 若乃花が語った「天賦の才」と知られざる気性の荒さ(小林信也)(1/2ページ)] デイリー新潮 (文・小林信也、2024年3月4日閲覧)</ref>。
 
=== 入門 ===
入門当たって、である藤島親方から「今日限りお前たちとは親方と弟子になる。パパとママの呼び方は許さない。親方とおかみさんだ。わかったな」と突き放され、若貴兄弟が両親に存在を認めてもれるためには稽古を重ねて早期に関取になるしかなかった<ref name="100retsu">北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)168ページから169ページ</ref>。
 
[[1988年]]3月場所四股名'''若花田'''として[[初土俵]]。「[[花の六三組]]」の一人で、弟の他、[[曙太郎|曙]]<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202404110000574.html|title=記憶を失った曙さんが涙をボロボロと…元若乃花の花田虎上氏、忘れられぬ思い出と真の友情|publisher=日刊スポーツ|date=2024-04-11|accessdate=2024-04-12}}</ref>・[[魁皇博之|魁皇]]らと同期入門だった。初土俵以降順調に出世するも、1989年11月場所で史上最年少関取となった貴花田には一歩出遅れたが、若花田も弟の後を追いかけるように[[1990年]]3月場所で新[[十両]]となる。同年9月場所に新入幕を果たした<ref name="100retsu"/>。
 
=== 入幕 ===
入幕して最の頃天性の勝負勘と強靭な足腰で相手の攻撃を凌いで技を繰り出して勝つという勝ち方が多かったが、[[1992年]]後半頃から[[おっつけ]]に磨きがかかるようにな成績も伸びていった。[[1991年]]9月場所2日目に、前頭3枚目の地位で横綱・[[旭富士正也|旭富士]]を右[[上手投げ]]で破り初[[金星 (相撲)|金星]]を獲得し、同9月場所は自身初の三賞(殊勲賞・技能賞)を受賞<ref name="100retsu"/>。さらに1992年1月場所3日目も、前頭筆頭の地位で再び旭富士を右[[下手投げ]]で下し、2個目の金星を獲得する。なお、旭富士も同1月場所で進退を掛けたが初日から3連敗を喫し、この若花田(当時の四股名)の敗戦を最後に現役引退を表明した。
 
1991年11月場所で、自身初の[[三役]]となる新[[小結]]に昇進したが7勝8敗と負け越した。さらに翌[[1992年]]3月場所と同年7月場所相次ぐケガで途中休場(2し、2場所共にのち再出場、但3月場所は14日目から再休場。)するなど、小結と前頭の地位を上下する足踏み状態が続いていた。しかし、2度目の再小結だった[[1993年]]3月場所は初日から7連勝と好調となり、中日(8日目)で当時関脇の[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]戦で初黒星を喫したが、12日目に宿敵で当時新横綱の曙を下し、殊勲の星を挙げるなどで14勝1敗の成績で自身初の幕内最高優勝を達成した<ref name="100retsu"/>。因みに、優勝した場所は新大関に弟の貴ノ花がいたが、新大関がいた場所で関脇以下の優勝が見られた事例は、戦後の15日制下では史上4例目である<ref name="nikaten">『相撲』2018年10月号99頁から107頁</ref>。
 
1993年5月場所直前、四股名を若花田から'''若ノ花'''に改名する。同5月場所では新[[関脇]]で10勝5敗と二桁白星を挙げ、幕内上位で3場所合計34勝11敗の成績となったが、3場所前に前頭3枚目(10勝5敗)の地位だった事がネックとなり[[大関]]昇進は見送られた。さらに同場所千秋楽、当時大関の[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]との取組では、明らかに小錦の手が先についていたのに行司軍配は小錦の方に上げられ、しかも[[物言い]]もつかなかったため若ノ花の負けとされる不運もあった。千秋楽の翌日当時の[[鏡山 (相撲)|鏡山]]審判部長(元横綱[[柏戸剛|柏戸]])はこの一番に物言いをつけなかった責任を取り辞表を提出しようとする事態となった。
 
それでも、翌1993年7月場所は最後まで優勝を争い13勝2敗の成績を挙げ、横綱・曙・大関・貴ノ花(当時の四股名)と共に3名で優勝決定[[巴戦]]に出場する惜しくも巴戦初戦で曙に敗れ優勝は逃したもののすが、三役の地位で3場所合計37勝8敗の好成績により、同年7月場所後文句無しで大関に昇進した。[[増位山太志郎|増位山]]、弟・貴乃花に次ぐ親子大関、伯父・実父に次ぐ兄弟大関となった<ref name="nishonoo23" /><ref name="100retsu"/>。伝達式では「『一意専心』の気持ちを忘れず相撲道に精進します」とと口上した。
 
=== 大関時代 ===
; 1994年
: 大関昇進後も順調に土俵を務めていたが、[[1994年]]3月場所で左足首をケガして2場所連続の休場([[公傷制度|公傷]]適用)。同年11月場所前は若ノ花から[[若乃花]]と改名したが、右腰を痛めてしまうアクシデントなど暫く低迷。この間曙を倒して弟貴乃花の優勝の援護射撃をするという場面は見られたものの、自身優勝を果たすまでにいか至らなかった。
; 1995年
: [[1995年]]11月場所に12勝3敗で弟・貴乃花との[[優勝決定戦 (相撲)|優勝決定戦]]<ref name="nishonoo23"/> を制して漸く2回目の優勝を果たした。この場所では若乃花、貴乃花とも12勝2敗で千秋楽を迎えたが、若乃花は先に[[武双山正士|武双山]]に敗れ、その時点で「貴乃花は勝つだろうから優勝決定戦はないだろう」と思い、まわしを解いて風呂に入ろうとしていたところ、付き人から貴乃花が[[武蔵丸光洋|武蔵丸]]に敗れたことを伝えられ、あわててまわしを締め直したという<ref>解説者として出演したAbemaTV『大相撲』2021年3月28日の放送より</ref>。優勝決定戦では若乃花が右差し、左上手を引いて寄り立て、右から下手投げを繰り出すと、貴乃花は力無く右膝から崩れ落ち<ref name="wakatakaketteisen">『大相撲ジャーナル』2017年12月号p46</ref> なお、これは、'''史上初の兄弟による優勝決定戦'''として今でも'''若貴対決'''として語り継がなど俗称さている。この一番のことについては、2019年6月9日放送の「[[ジャンクSPORTS]]」(フジテレビ系)に出演時に'''「最悪だと思った。やりたくない。一番大好きな弟が(相手になって)もう嫌ですよ。いつもだったら憎しみ込めて行くのに、この時はもう無理ですよね。プロとして情けないなって」'''と兄弟同士の取組に抱いた複雑な思いを振り返り、優勝パレードのオープンカーに乗る前に優勝賞金の折半を提案して断られたことも説明している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/06/09/kiji/20190609s00041000392000c.html|title=花田虎上が「若貴対決」のエピソード告白 あの時は一番大好きな弟だった…現在はまだ「連絡はない」|accessdate=2019-06-12|publisher=スポニチAnnex(2019年6月9日)}}</ref><ref>{{Cite news|title=花田虎上、若貴兄弟決戦振り返り「あの時は一番大好きな弟…」和解への進展は|newspaper=スポーツ報知|date=2019-6-9|url=https://hochi.news/articles/20190609-OHT1T50177.html|accessdate=2021-7-21}}</ref>。諸々の週刊誌報道ではちに、この決定戦が兄弟間の確執の切っ掛けとなったとさ報じらる。一部で八百長説が囁かれたが、花田は後にテレビに出た時に否定している。
; 1996年
: [[1996年]]の1月場所は自身初の綱取りとなったが、場所直前に罹った[[インフルエンザ]]の影響や肝機能障害による絶不調で、初日から3連敗を喫して4日目から途中休場した<ref name="100retsu"/>。場所前、仕事で出掛けた帰りに車の中で突然悪寒を感じ、若乃花も余りの寒さに暖房の温度を上げたら同乗した付け人が汗だくになったため、自分の異変に気付き病院に駆け込んだら体温が41.5度あり、そのまま4日間入院したという<ref name="oj20210116">アプリスタイル『[[NHK G-Media 大相撲ジャーナル|スポーツ報知 大相撲ジャーナル]]』2021年1月号 16頁</ref>。1996年中盤頃から徐々に復調の兆しが見え、1996年11月場所は11勝4敗ながら、史上最多となる幕内5人もの優勝決定戦に進出するだが、1回戦で当場所優勝者の[[武蔵丸光洋|武蔵丸]](当時大関、のち横綱)に敗れ優勝同点に終わった
; 1997年
: [[1997年]]1月場所は初日から完璧な相撲で、14連勝し14日目に3回目の優勝を決めた。[[千秋楽]]は惜しいところで、武蔵丸に再び負けた為に自身初の全勝優勝はならなかったものの、若乃花の土俵人生の中で最高の相撲を見せた場所となった<ref group="注釈">なお、当時の若乃花は前場所11勝で優勝同点・直前場所14勝の優勝と現在の横綱昇進基準で有る「大関で2場所連続優勝、'''それに準ずる成績'''」に当て嵌める勝ち星を挙げながら、当時「11勝留まりでさらに優勝を逃しては『準ずる成績』に該当しない」と全く話題に成らず、結局相撲協会は横綱審議委員会への諮問も見送っている。</ref>(余談だが現役時代は武蔵丸と14勝24敗と相性が悪く、武蔵丸に敗れて全勝を逃したケースが多かった。)
: 3月場所は2度目の綱取りが大いに期待され、その期待に応えるようにも同場所は初日から3連勝と絶好調だった。しかし、3日目の[[旭鷲山昇|旭鷲山]]戦で勝ちながらも倒れ込む際に右[[大腿二頭筋]]を断裂し、またも4日目から途中休場により、して綱取りは全くの白紙となってしまう<ref name="100retsu"/>。車椅子で新大阪駅に向かうと沢山のカメラマンが待ち構えており、その時綱取りが懸かっていたことをふと自覚したという<ref name="oj20210116"/>。全治3か月の重傷で、2場所連続休場後の7月場所に復帰したものの、序盤に3連敗する等、など絶不調で引退を囁かれるまでになってしまった。この同7月場所中盤以降は持ち直して何とか8勝7敗と[[勝ち越し]]て引退の危機は乗り切ったが、怪我の箇所を考えると「もう上は望めないのではないか」と言わ巷間さるまでにもなった。
; 1998年
: [[1998年]]3月場所は、初日から完璧な相撲を取り12連勝。13日目に横綱曙に敗れたものの14日目は武蔵丸に勝利し、千秋楽は[[立合い]][[変化 (相撲)|変化]]の[[叩き込み|注文相撲]]で琴錦を下して14勝1敗で4回目の優勝となる5月場所は3度目の綱取りとなる中、4日目に小城錦と6日目琴錦に苦杯を喫し、さらに11日目に魁皇に敗れた。それでも他ほかの上位陣総崩れの幸運もあって自身する中で最後まで優勝を争い、14日目に曙を破り千秋楽に武蔵丸を、それぞれ破り大関の地位で2場所連続優勝を果たし、5月場所後についに[[横綱]]昇進を決めた<ref name="nishonoo23"/>。
: ただし5月場所は12勝3敗という低いレベルで成績の優勝で、日本相撲協会からは「もう一場所見るべきではないか」という声する意見もあったが、[[横綱審議委員会]]で反対論は全く出ずに、史上初の兄弟横綱が誕生した。伝達式では「『堅忍不抜』の精神で精進していきます」と口上した。なお大関29場所目での横綱昇進は、当時[[琴櫻傑將|琴櫻]]に次ぐ史上2位のスロー昇進だった(現在は1位タイの琴櫻・武蔵丸の32場所、3位の[[稀勢の里寛|稀勢の里]]の31場所に次ぎ史上4位)。この昇進以降、[[2017年]](平成29年)1月場所後に稀勢の里が横綱昇進を果たまで19年に渡り、日本出身の横綱は1人も誕生しない状態が続いかった。
 
=== 横綱時代 ===
; 1998年
: [[横綱土俵入り]]では、後継者が少ない「不知火型」を敢えて選択する。[[隆の里俊英|隆の里]]が中心となって、琴櫻や初代若乃花までが登場して土俵入りを指導した。若乃花らしい切れのあるきびきびとした土俵入りであった。ただ、当初は弟の貴乃花が横綱土俵入りを指導するものと思われていたが、貴乃花は一切姿を見せなかった。兄弟横綱誕生当初から、貴乃花が若乃花に関してそっけない態度やコメントを発し、当時から不仲説がささやかれてはいたが、1998年9月場所前にスポーツ紙に貴乃花が「若乃花の相撲には基本がない」「もう話す必要はない」などと言い放つ「絶縁宣言」と受け取れる発言が載り、不仲説が表面化した<ref name="hunakahyomenka">[https://www.jiji.com/jc/v4?id=sumo-jikenshi201712210009 風化させるな 大相撲事件史(9/15ページ)] JIJI.COM 2022年07月12日18時00分 (2022年8月10日閲覧)</ref>。
: 史上初の兄弟横綱として期待されたが、一方で約5年間の大関在位時で多くの怪我に苦しんだ事も有りまた「不知火型」の[[ジンクス]]通りに「[[横綱#短命横綱|短命横綱]]で終わるのではないか」という懸念の声も聞か、結果的にその悪い予想は的中してしまう事になる。
: 新横綱の1998年7月場所、序盤は5連勝したものの、6日目の平幕・[[出島武春|出島]]に敗戦・初金星を配給。7日目も平幕・[[栃乃洋泰一|栃乃洋]]に連敗。10日目に勝ち越しを決めたが、結果10勝5敗に留まった。
: 1998年9月場所では、場所中延々と[[ワイドショー]]で不仲説が取り沙汰されていた弟貴乃花と最後まで優勝を争った。だが千秋楽結び前の一番で、自身は大関武蔵丸に敗れ12勝3敗優勝次点に後退する。結びの一番横綱同士の対決で貴乃花は曙に勝って13勝2敗、2場所連続20回目の幕内優勝を達成となる。1995年11月場所以来2度目の兄弟対決となる、優勝決定戦進出は果たせできなかった。
: 1998年11月場所は平幕の[[琴錦功宗|琴錦]]に優勝を許し、自身は9勝6敗の不振となった。それでも、この場所では14勝1敗で平幕優勝した力士に横綱として全勝を阻止する星を付けるという優勝制度発足以降2例目となる記録を達成している<ref>『相撲』2018年3月号 p.114-115</ref>。
; 1999年
: [[1999年]]1月場所は12日目まで一人全勝を守っていたが、13日目に関脇の武双山に初黒星。それでも、14日目までは13勝1敗と単独トップ首位に立っていた。ところが、翌日の千秋楽結び前の一番で12勝2敗と一差で追う関脇の[[千代大海龍二|千代大海]]に突き落とされ、優勝決定戦にもつれ込んだ。その決定戦では史上初となる[[取り直し]]の末、最後は千代大海に寄り倒されて逆転優勝を許し優勝同点、自身横綱として初の優勝を惜しくも逃してしまう(す。場所後初優勝した千代大海は大関昇進が決定した。)
: 1999年3月場所と5月場所は、左足の太股や左足関節の外側靱帯を痛める故障により2場所連続して途中休場となった。7月場所は平成時代2例目の[[4横綱]](曙・貴乃花・若乃花・武蔵丸)と成るも、横綱昇進後初の初日から全休となった。
: 復帰した1999年9月場所は序盤で2連敗したが、その後白星を重ね10日目の[[闘牙進|闘牙]]戦では左足の[[肉離れ]]を起こしながらも取り直しの相撲で勝利する。だが翌11日目からケガの影響により黒星が続き、当時の時津風理事長(元大関・[[豊山勝男|豊山]])らを初め周囲からの「休場勧告」を一切無視して強行出場したものの、千秋楽の武蔵丸戦でも熱戦の末敗北。結局7勝3敗から終盤戦では5連敗を喫して、[[負け越し]]となる。横綱の皆勤負け越しは、15日制が定着してからは史上2人目([[大乃国康|大乃国]]以来10年ぶり)の不名誉な記録となった。
: この9月場所限りでの引退を勧告する声もあったが、千秋楽後に時津風理事長との話し合いの末、若乃花は現役続行を志願し翌場所から2場所連続全休して再起を図った。
; 2000年
: [[2000年]]、まだケガは怪我が完治せず、稽古不十分なまま「ゲンの良い」同年3月場所へ出場を志願、「もう一場所待て」という説得する二子山親方の説得を振り切り自ら進退を掛けて土俵に臨んだ。しかしやはり満足な相撲が取れず、5日目に[[栃東大裕|栃東]]戦で敗れて2勝3敗。この栃東の相撲を最後に若乃花はなり現役引退を発表した。
: 「強くなったか? うん、うれしかった」と、後輩の成長を肌に染み込ませ、心の区切りをつけた<ref name="intainisaisite">2000年3月17日付日刊スポーツ紙面</ref>。取組後の支度部屋では「ここまできたら怖いものはない。やれるところまでやります」と話していたが、宿舎に向かう車中で冷静に限界を悟ったとのこと。記者会見では引退の理由を「体力を補う気力が限界になりました」とコメント述べる<ref name="intainisaisite"/>。現役時代一番の思い出として兄弟で横綱になったことを挙げ、1993年3月場所で曙関を破った一番を思い出の取り組みに挙げている<ref name="intainisaisite"/>。記者からは「夏場所復帰でも良かったのでは」と質問されたが、引退会見では「心の問題です。今場所前に、やるぞっという気持ちになったので」と話した<ref name="intainisaisite"/>。当時の若乃花はまだ29歳2か月の若さで、横綱在位は11場所だがその内皆勤したのわずか5場所であった。更に若乃花の引退により、4横綱時代も5場所のみに終わった。
: 横綱時代は休場の方が多くかつ横綱の地位で一度も幕内優勝出来ず、十分にその役目を果たせなかった<ref name="100retsu"/>。それでも大関時代は大型力士が台頭する中で、小兵の若乃花は下手をすると大負けしかねない状況だったが、休場明け等の場所を除いた場所は概ね二桁以上の成績を上げている。そのため、引退時に「横綱昇進しなければ『名大関』として名を残せた」「大関の地位に留まれば、こんなに早く引退する事は無かった」と惜しむ声もあった<ref>『嫌いなことでも好きになれる。』魁皇博之・著作より。尚魁皇も若乃花と同じく1988年3月場所初土俵「花の六三組」の[[ライバル]]だった。</ref>。
: しかし後年、若乃花本人は2014年6月2日放送分のフジテレビの番組『[[ジャネーノ!?]] 』で概して「相撲という競技は好きだが小さな体で大きな相手と戦わなければならないので大相撲力士にはなりたくなかった」と明かしており「横綱になったらやめるという条件を付けてもらった」と話していた<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20140911121035/http://datazoo.jp/tv/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%8E%EF%BC%81%EF%BC%9F/757026|title=2014年6月2日放送『ジャネーノ!?』|publisher=TVでた蔵|date=2014-06-02|accessdate=2015-01-09}}</ref>。一方で2024年の『デイリー新潮』の記事では「最高でした。アメリカから来た最高にパワーのあるアスリートと一対一で戦える。戦争に負けているので土俵では負けられないなと。小錦さんや曙は土俵の半分が体ですから。でも僕みたいなのが勝つと日本の人たちは喜んでくれる」と現役時代を振り返っている<ref name="nagare">[https://www.dailyshincho.jp/article/2024/03031055/?all=1&page=2 「相撲の流れが見えた」 若乃花が語った「天賦の才」と知られざる気性の荒さ(小林信也)(2/2ページ)] デイリー新潮 2024年03月03日 (文・小林信也、2024年3月4日閲覧)</ref>。
: また、力士生命にとって致命的になった足の怪我の容態は引退後も回復しておらず、のちに「将来、車椅子の生活になる事は避けられない」と医師から告げられた事を告白している<ref>潮([[潮出版社]])2004年12月号 222〜229ページ『連載対談 内館牧子の「今日もがぶり寄り!」(36) 報道されていることの八割は「ウソ」でした。』</ref>。2016年夏頃に武蔵丸(現15代[[武蔵川]]親方)は若乃花に会った時、怪我の後遺症で毎日痛み止めを飲んでいることを知り驚いたという<ref>『大相撲ジャーナル』2016年9月号12ページ</ref>。2021年9月場所直前の記事で、背骨は引退後も変形し続け一生治らないと伝わ報じられる<ref name="video"/>。
: 横綱昇進後は実弟・貴乃花との不仲や離婚問題などワイドショーを賑わす騒動に巻き込まれることが多かったが、若乃花本人によると「(ワイドショーで)騒がれた場所ほどかえって相撲に集中出来た」らしくと語り実際に騒がれた場所では優勝を逃したが好成績を残している。
 
=== 引退後 ===
==== 相撲協会退職 ====
: [[年寄]][[藤島 (相撲)|藤島]]を襲名し、当初は後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年[[12月18日]]に突如[[日本相撲協会]]を退職した。後年の報道によると、兄弟の不仲で部屋継承の話が拗れ、人間関係に嫌気が差したのが退職の理由とみられる<ref>[https://www.news-postseven.com/archives/20240413_1956486.html/2 《誰も相撲界に残らず》曙太郎さん死去 「若貴」との“同期3横綱”が全員、角界を去らなければならなかった本当の理由(2/4ページ)] NEWSポストセブン 2024.04.13 11:00 (2024年4月14日閲覧)</ref>
 
==== 相撲協会退職後の主な活動 ====
:力士時代からの念願であった[[アメリカンフットボール]]に挑戦。2001年に[[Xリーグ]]の[[オンワードオークス|オンワードスカイラークス]]に入部し、2002年に[[NFL]]入りを目指して渡米、[[アリーナフットボールリーグ|AFL]]の[[アリゾナ・ラトラーズ]]のキャンプに参加したが、就労ビザが取得できず帰国した<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上 プロフィール|講演会・セミナーの講師紹介なら講演依頼.com|url=https://www.kouenirai.com/profile/1755/|website=www.kouenirai.com|accessdate=2019-08-26|language=ja}}</ref>。現在は[[タレント]][[スポーツキャスター]]として活動しており、テレビの[[バラエティ番組]]など多く出演している。
:2005年5月までは民放で相撲解説も行ってき務めたが、[[花田虎上#確執の発生と経緯|後述]]のトラブルにより番組を降板する。以来、相撲関係の仕事は対談やコラムの執筆などに限られてきたが、度々オファーを受けた熱意に応じて2019年7月場所AbemaTVの実況解説者(として土日の幕内解説担当)と約15年ぶり相撲解説が実現した。何度もオファーを受け、熱意に応じるかたちであるという<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上『お知らせ』|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12490866233.html|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019年7月6日)|accessdate=2019-07-06|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上がAbemaTVの大相撲生中継で、相撲芸人・あかつを相手に実演解説(画像1/3) {{!}} 芸能ニュースならザテレビジョン|url=https://thetv.jp/news/detail/196459/1183514/|website=ザテレビジョン(2019年7月6日)|accessdate=2019-07-06|language=ja|last=ザテレビジョン|publisher=}}</ref>。定評のある話術を駆使し、取組に勝った力士・負けた力士のそれぞれの勝因・敗因について相撲芸人[[あかつ]]を相手役に視聴者に分かりやすく見せるアクション解説も行っている<ref>{{Cite web|和書|title=貴が去り…若が久しぶりの角界“復帰” 花田虎上氏、名古屋場所ネット解説で登場|url=https://www.zakzak.co.jp/spoarticle/news20190708-TTFFFF7UZRMGHCFLGTD66SQ4AQ/190708/spn1907080004-n1.html|website=zakzak(2019年7月8日)|accessdate=2019-07-10|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=相撲芸人あかつ、花田虎上と夢の共演 無言で解説補助も存在感ばっちり 持ちネタもギリギリぶっこむ|url=https://times.abema.tv/articles/-/7009585|website=AbemaTIMES(2019年7月7日)|accessdate=2019-07-10|language=ja|publisher=}}</ref>。[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|2019年新型コロナウイルス感染症]]の感染防止のため、2020年からアクション解説が出来なく不可能となり、以降は[[ブルーバック|グリーンバック]]に取組のスロー再生を流しながら相撲技術について説明するバーチャル解説を行っている<ref>{{Citation|title=2021年 大相撲初場所 - 2021年初場所 - 【三代目若乃花の今日の一番_バーチャル解説】ホッとした一番!"朝乃山(大関) vs 遠藤(前頭5)" {{!}} 無料で動画&見逃し配信を見るなら【ABEMAビデオ】|url=https://web.archive.org/web/20210208080728/https://abema.tv/video/episode/394-35_s1_p71|accessdate=2021-02-03|language=ja}}</ref>。
:2021年9月場所より、から日刊スポーツで相撲評論家に就任を務め、本場所中に「若乃花の目」と題したコラムを連載することも決まった<ref>{{Cite web|和書|title=元横綱若乃花の花田虎上さんが評論家に就任 秋場所から「若乃花の目」 - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202109070000092.html|website=nikkansports.com(2021年9月10日)|accessdate=2021-09-12|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【若乃花の目】一人新横綱のプレッシャー、取組より土俵入りの方が大きい - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202109110000084.html|website=nikkansports.com(2021年9月11日)|accessdate=2021-09-12|language=ja}}</ref>。コラムのカットに自身の愛称である「お兄ちゃん」というワードが候補に入ったが花田るも本人「もう『お兄ちゃん』って、そんな年でもないし」と拒否し、破算となった<ref name="video">[https://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/202109100000804.html 花田虎上氏「相撲の神様に恩返し」評論家就任、横綱昇進時のエピ告白に衝撃] 日刊スポーツ 2021年9月11日10時1分 (2021年9月13日閲覧)</ref>。
 
==== 実業家として ====
:2002年にドリームアーク社を設立し、代表取締役会長として全国に店舗展開する「Chanko Dining 若」「うどんダイニング若」「&kitchen」「Onii Chan and Kitchen(おにいちゃん&キッチン)」またフードコート業態「わかどん」「ちゃんこうどん」プロデュースを行った。同社は大相撲の本場所で懸賞の提供企業にもなっており、花田の知名度も手伝ってから最盛期は国内38店舗、韓国1店舗の計29店に拡大した。
:2008年11月花田は保有していた株式を経営陣売却し、代表取締役会長を退任して経営から退いている後、ちに同社は2010年5月6日に東京地裁自己破産を申請した。経営悪化の要因として、店舗展開を広げ過ぎたことや『名義貸し』だけの店となり客に飽きられてしまったことが指摘されている<ref>{{citenews|url=https://web.archive.org/web/20100509122706/https://www.sankeibiz.jp/business/news/100506/bsg1005061854002-n1.htm|title=「ちゃんこダイニング若」が破産 負債4億5千万円|publisher=[[SankeiBiz]]|date=2010-5-6|accessdate=2010-5-6}}</ref><ref name="tsr">[http://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1201882_1588.html (株)ドリームアーク | 倒産速報 | 最新記事 | 東京商工リサーチ]</ref>。
:2012年より、個室居酒屋業界大手の[[アンドモワ]]株式会社で「若の台所」「赤鶏御殿」、ラーメン屋「若のらーめん」をプロデュースしていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://mogumogunews.com/2014/06/topic_7124/|title=若乃花が居酒屋チェーンで再サクセス バックには正体不明の企業が存在|publisher=もぐもぐニュースビジネス|date=2014-6-19|accessdate=2015-09-24|}}</ref> が、閉店。その後、アンドモワは2022年3月、東京地裁に自己破産を申請している<ref>{{Cite web |和書|title=個室居酒屋運営のアンドモワ/自己破産を申請、負債80億円 |url=https://www.ryutsuu.biz/strategy/o040119.html |website=流通ニュース |access-date=2022-07-20 |last=株式会社ロジスティクス・パートナー |date=2022-04-01}}</ref>。
 
== 略歴 ==
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* [[1997年]]1月 - 7場所振り3回目の幕内最高優勝(14勝1敗)
* [[1998年]]3月 - 7場所振り4回目の幕内最高優勝(14勝1敗)
* 1998年5月場所 - 12勝3敗の成績ながら、2場所連続5回目の幕内最高優勝を達成。同場所後には[[横綱]]昇進も決定し、'''史上初の兄弟同時横綱'''が実現する。横綱土俵入りは不知火型を選択。伝達式の口上で「『堅忍不抜』の精神で精進していきます」と述べる(前の5月場所、綱獲りのかかった直前の場所で、優勝とはいえ12勝3敗という低レベル低い成績が昇進に値するかどうかで議論され、「全勝優勝を求めるべし」と昇進を見送る意見もあった<ref>1998年7月21日付 [[日刊スポーツ]] 相撲面 他各紙より。</ref>。)
* 1998年7月 - 新横綱(10勝5敗)
* 1998年11月 - この場所9勝6敗の成績に終わったが、大相撲史上初の2度目の[[平幕優勝]]を果たした[[琴錦功宗|琴錦]]に唯一土をつける。1998年は自身最初で最後の[[年間最多勝]](67勝)および[[年間最優秀力士賞]]を受賞した。[[2016年]]に[[稀勢の里寛|稀勢の里]]が年間最多勝を獲得するまで日本出身力士の年間最多勝は18年間出なかった。
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* 2002年 - [[アリーナフットボールリーグ]](AFL)1部、アリゾナ・ラトラーズ入りを目指すも、就労ビザを取得できずに断念する。帰国後、本名の'''花田 勝'''で[[タレント]]・スポーツキャスターとして活動を開始する。
* 2002年 - ドリームアーク社設立、代表取締役に就任。
*[[2005年]]5月30日 - 父が死去し、7月4日に弁護士が遺産相続の放棄を発表<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=花田勝氏が相続を放棄 唐突と貴乃花親方 (共同通信) - goo ニュース(2005年7月4日)|url=https://web.archive.org/web/20050706105654/http://news.goo.ne.jp:80/news/kyodo/shakai/20050704/20050704a4900.html|website=web.archive.org|date=2005-07-06|accessdate=2019-06-02|publisher=}}</ref> する。
* [[2007年]]10月2日 - 妻の美恵子と5年間の別居を経て離婚する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202105100000094.html|title=花田美恵子、母になって25年「反省と後悔ばっかりだけど一生懸命な毎日」|publisher=日刊スポーツ|date=2021-05-10|accessdate=2021-05-10}}</ref>。子ども4人の[[親権]]は美恵子が持つ<ref>{{Cite news |title=花田勝氏が離婚「さんまさんのように」 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2007-10-04 |url=https://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071004-265248.html |accessdate=2018-07-31}}</ref>。
*2008年11月 - ドリームアーク社の代表取締役会長を退任し、12月に同社を売却する。
* [[2008年]]6月15日から[[2009年]]3月22日放送分までの約9か月間、『[[ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW]]』の[[上沼恵美子]]の三代目男性アシスタントとして出演する。
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== エピソード ==
=== 相撲関連 ===
* 現役時代の若い頃は、[[力士養成員|若い衆]]に30番ほど胸を出してから、関取衆との申し合い・三番稽古を20番、30番以上はこなした。それも待ったなしで行っていという。稽古はまるで喧嘩であり、師匠から「やめろ!」と怒鳴られるまで続けたという<ref>アプリスタイル『[[NHK G-Media 大相撲ジャーナル|スポーツ報知 大相撲ジャーナル]]』2021年1月号 14頁</ref>。
*現役時代の[[廻し]]に付いていたさがりの本数は17本で、弟の貴乃花も同数であった<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/201905160000126.html まわしの「下がり」に個性、白鵬15連勝願い15本] 日刊スポーツ 2019年5月17日10時0分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月19日閲覧)</ref>。
* 関取になって1人部屋が与えられてビデオを見るスペースを得てからは連日連夜、ビデオテープが擦り切れるまで取組を研究した<ref name="video"/>
* 現役時代はアメリカ文化に憧れており武蔵丸にアメリカ文化を教えてほしいと思ったが、私情を避けるため現役時代は私的に交流しなかった<ref name="number2019022836">Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p36</ref>。
* 貴闘力は「貴乃花はとにかく稽古をする男だったが、貴乃花と若乃花どちらが素質があるかと言えば若乃花かもしれない」「膝から下の力が強かったので、200キロの相手でも対等に戦えたし、投げられても踏ん張ってうっちゃったりができた」と称賛している<ref>{{Cite web|和書|title=「親方が特別扱いしなければ貴乃花はもっと…」“貴の乱”で親方勢に“ガチンコ勝負”で負けてしまったワケ《貴闘力がみた若貴兄弟の性格の違い》 |url=https://bunshun.jp/articles/-/58890 |website=文春オンライン |access-date=2023-11-10 |last=「文春オンライン」特集班}}</ref>。
* 2000年3月場所、現役最後の対戦相手は奇しくも明大中野高校の後輩でもある[[栃東大裕]]だった。本人は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えていという実際、現役最後の白星となった4日目[[玉春日良二|玉春日]]戦の取組後、翌日の対戦相手が栃東と決定した時に、[[藤田紀子|憲子]]から電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜んだ。この電話で二人は「栃東戦が最後の一番」と、通じ合っていとのこと
*現役時代のある時、[[霧島一博|霧島]]との取組の後に右足親指の骨が見えてその指が切断しそうになっていた。霧島もこれには心配になって東西が反対の支度部屋の風呂まで駆け付けたという(当時、東西の支度部屋の往来は認められていた<ref>[https://times.abema.tv/articles/-/7046977 花田虎上氏、足の親指がちぎれそうになった過去を明かす「骨付きウインナーみたいに……」] AbemaTIMES 2020.03.21 18:41(2020年3月29日閲覧)</ref>。
*曙との対戦成績は17勝18敗と僅か1つの差で負け越した。中でも小結時代の1993年3月場所の12日目、当時新横綱の曙を取り直しの末に投げ飛ばして初優勝、後の大関昇進への足がかりとした。
==== 横綱としてのプレッシャーとの戦い ====
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=== 相撲の専門家として ===
*2019年3月場所前に相撲の専門家としての記事でインナーマッスルの強化不足を昨今の力士の傾向として挙げており、また、子供の頃幼少期のスポーツ競技経験のバリエーションが少ないことにも触れている<ref name="sesshu">『[[NHK G-Media 大相撲ジャーナル|大相撲ジャーナル]]』2019年3月号 p.23.</ref>。
*2019年5月19日、5月場所8日目の幕内の取組を「12年ぶりぐらい」に記者席から生観戦し、連載を持っている「[[NHK G-Media 大相撲ジャーナル|大相撲ジャーナル]]」(報知新聞社)に特別観戦記が掲載された<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上『生で観戦』(2019年5月19日)|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12462432801.html|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba|accessdate=2019-05-19|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=「大相撲ジャーナル夏場所決算号」発売…花田虎上特別観戦記も|url=https://hochi.news/articles/20190529-OHT1T50187.html|website=スポーツ報知|date=2019-05-30|accessdate=2019-12-28|language=ja}}</ref>。小結の92年春場所で再出場後に再び休場した経験から、再出場した貴景勝について「休んだ方がいいんじゃないですか。心配。膝は大きいところ。休んで治した方がいい」と話した<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=元横綱若乃花の虎上氏が生観戦 弟光司氏にエールも - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201905190001138.html|website=nikkansports.com(2019年5月19日)|accessdate=2019-05-19|language=ja|publisher=}}</ref>。
*2019年11月場所千秋楽(11月24日)の[[AbemaTV]]大相撲中継の解説中、優勝した白鵬に[[大栄翔勇人|大栄翔]]以外の若手力士が土をつけられなかったことについて「(力士たちが)何か考えないと世代交代はない。まだまだ続きます」と語った。白鵬の立ち合いにも問題は指摘しつつ、「このままの立ち合いをやってしまったら、ずっと優勝されていく。(相撲は)8割が立ち合い」「相手力士は嫌われてください。嫌がられてください。そこまでしないと勝てない。汚い相撲とは言いませんが、ずるい相撲は取らないと」と立ち合いの研究・勝つことへの貪欲さを持って欲しいと現役力士たちに苦言を呈した<ref>{{Cite news|title=元若乃花、白鵬の立ち合いに若手力士へ注文「何か考えないと世代交代はない。ずっと優勝されていく」|newspaper=ABEMA TIMES|date=2019-11-25|url=https://times.abema.tv/articles/-/7029988|accessdate=2021-7-21}}</ref>。
*2019年11月場所14日目のAbemaTVの中継で「これから入門する人は、元々親方がどういう相撲を取った人かを調べて入ったほうがいいと思います。親方も教えやすいですしね」と、今後角界入りを目指す若者へアドバイスを送った<ref>[https://times.abema.tv/articles/-/7029890 元若乃花、部屋選びのポイントは「親方がどういう相撲を取った人か調べたほうがいい」] AbemaTIMES 2019.11.24 08:00(2019年12月2日閲覧)</ref>。
*2020年5月24日、[[新型コロナウイルス感染症の流行 (2019年-)|新型コロナウイルス感染症の流行]]により中止された5月場所の中継に替わる「大相撲ABEMA場所」に出演。過去の名勝負の映像を見ながら、弟の貴乃花の相撲について「前に攻めて、自分の形は右四つだが、両方どちらでも相撲が取れる。それが一番強い」と評価している。先に出世されたことについて司会者の質問が及ぶと、「自分は自分のペースで行こうと。私、付き人についていた時もあります。お風呂場で背中を流してましたから」「誇らしかった。七光りが通用しない世界ですから」と答えている<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上氏、貴乃花の強さと思い出に言及「付き人時代には風呂で背中を流していた」|url=https://times.abema.tv/articles/-/7055124|website=ABEMA TIMES(2020年5月24日)|accessdate=2020-05-25|language=ja|publisher=}}</ref>。
 
=== プライベート関連、その他 ===
*2007年に花田美恵子と離婚。「正式に書面を提出し離婚という道を選ぶ事になりました。2人で時間をかけて話し合い、このような結果となりました。出逢えたこと、4人の子供を授かったことなど13年間の結婚生活に感謝しています。これからも2人を温かく見守って頂けると嬉しく思います」と所属事務所を通じてFAXでコメントしている。一方、美恵子元夫人は『[[女性セブン]]』(2007年10月18日号)にて離婚に至る経過を語った。4人の子供の[[親権]]は元妻の美恵子が持つこととなった。数日後、美恵子元夫人の不特定多数との不倫行為が報道される<ref group="注釈">美恵子の不倫行為の相手として報じられたのは[[青木堅治]]。</ref>。これが離婚の大きな要因になった可能性を示唆する報道も存在している<ref>[https://www.nikkansports.com/entertainment/p-et-tp0-20071022-272987.html 美恵子さん11歳年下俳優と不倫していた 2007年10月22日日刊スポーツ閲覧]</ref>。
*2011年4月9日より、風水建築デザイナー[[直居由美里]]のアドバイスで芸名を「'''花田 虎上'''」(はなだ まさる)に改名した<ref>[httphttps://japan.techinsight.jp/2011/05/hanadamasaru-toraue-kaimei.html 【エンタがビタミン♪】『花田虎上』って誰? あのお兄ちゃんが改名した理由とは?]</ref>。
*前妻の美恵子がマスコミに見せた良妻ぶりは「演技」であり、逆に子供の運動会の前日に飲酒して帰ってきたら運動会に間に合わないように目覚まし時計を設定するという仕返しを受けたこともあると、2013年7月8日放送分の[[関西テレビ放送|関西テレビ]]『[[セキララ☆新発見 ものしりティーチャー|口出しゴメン!セキララ☆小町]]』で暴露した<ref>[https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2013/07/08/0006142596.shtml 花田虎上氏 前妻の“良妻演技”を暴露] デイリースポーツ 2013.07.08(2019年12月7日閲覧)</ref>。
* 2020年11月2日放送分の[[テレビ朝日]]「[[徹子の部屋]]」にゲストとして出演した際に、「自分の身は自分で守りなさい」という理由で小学1年生の娘にボクシングを教えていることを明かした。同時点で、娘は過去の相撲の映像で自身と弟の貴乃花の姿を見ることはあるが、自身の現役時代について詳しく知るわけではない<ref>[https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/11/02/kiji/20201102s00041000311000c.html 花田虎上 父の教えを愛娘に伝授「自分の身は自分で守りなさいと」] Sponichi Annex 2020年11月2日 14:45 (2020年11月3日閲覧)</ref>。前妻との4人の子どもについては、2019年に来日中の次女と再会、ハワイから来たばかりで薄着であることを心配して一緒に服を買いに行ったという後、ちに長男、長女、三女とも交流を再開したと話している<ref name=":2">{{Cite web|和書|title=花田虎上、弟の元貴乃花とは「私自身けんかしたことはない」も…電話出る?の問いに「今幸せなので…」とやんわり拒絶:中日スポーツ・東京中日スポーツ|url=https://www.chunichi.co.jp/article/147781|website=中日スポーツ・東京中日スポーツ(2020年11月2日 )|accessdate=2021-02-23|language=ja}}</ref>。
* 2021年1月、母親の藤田紀子が所属している[[生島企画室]]のYouTubeチャンネルに出演して話したところによると、現在の花田は夫婦で仕事をしており、2008年に再婚した現在の妻が個人事務所の社長とマネージャーを務めている。そのため、挨拶などで夫婦そろって出かけなくてはならないときは藤田が二人の子どもを預かっているという<ref>{{Citation|title=若貴の母がタブーを破って激白! 藤田紀子×生島ヒロシ 対談!|url=https://www.youtube.com/watch?v=uSMuOtzxGJY|language=ja-JP|accessdate=2022-02-15}}</ref>。
 
=== 現役時代からの実弟・貴乃花との確執 ===
 
==== 確執の発生と経緯 ====
*かつては、弟を溺愛していた。2018年4月15日放送の日本テレビ系「[[誰だって波瀾爆笑]]」出演時の本人の述懐によると、子どもの頃から自分と弟とは性格が違ったが、「俺の後ろを常について来て、かわいいの。父と母には腹が立ってムカついてるから。僕の救いは弟だけだった。この子がいれば生きていける、って思って」と語っている<ref name=":4">{{Cite web|和書|title=花田虎上氏、少年時代の救いは弟・貴乃花親方だけだった…「この子がいれば生きていける」|url=https://www.sanspo.com/article/20180415-BLBM6KICLVNSVNU225UI72BW3Q/|website=SANSPO.COM|date=2018-04-15|accessdate=2021-03-06|language=ja-JP}}</ref>。
*もともと角界には入るつもりはなかったが、弟を守る壁になれと両親に迫られ、横綱になったら引退して好きなことをさせてもらう約束で入門した<ref name="20141120466+45464">花田虎上 横綱昇進断るつもりだった…角界入りは貴乃花守るため両親に強いられた デイリースポーツ 2014年11月20日(木)12時21分配信</ref>。
**入門後も弟を気にかけていた。大部屋生活でライバルが数十人といるなか、眠っているときにけがをさせられては困ると怖くて眠れず、「その時はかわいかったから。それが生きる術。こいつは守ってやろう、と。自分よりかわいかった。自分の人生どうなっていもいいと思っていた」と語っている<ref name=":4" />。
** 1998年5月場所千秋楽で白星を挙げて横綱昇進を決めた時も嬉しくないと思い、むしろ「横綱になっても横綱相撲は取れない」「辞めるしかない」と不安で一杯だった<ref name="number2019022836" />。場所終了後に横綱になることになったので、口上の決まり文句「謹んでお受けします」ではなく<ref name="20141120466+45464" />、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言って入門時の約束どおりに引退するつもりだったが、両親に反対され<ref name="20141120466+45464" />、仕方なしに横綱になった<ref name="20141120466+45464" />。以来、相撲を辞めたいと言う度に、引退3日前まで11代二子山は殴って諌めたとのこと<ref>[https://www.sanspo.com/article/20180317-OM55R5MVAVLILG72CKAWFELNCE/ 花田虎上氏、弟・貴乃花との優勝決定戦の質問に「八百長してないです。僕は死んでもしません」] SANSPO.COM 2018.3.17 06:47(産経新聞社、2018年3月17日閲覧)</ref>。
** 1999年場所直前に父親の11代二子山が「貴乃花は懇意にしている整体師から洗脳されている」と発言したとする「貴乃花洗脳騒動」が発生以来、実弟とは絶縁状態である。直接の話し合いもなくメディアを使い一方的に実弟に非難をされており、2005年5月の父親死去の折も同様の形で非難をされている<ref>{{Cite web|和書|title=貴乃花親方引退騒動、あの「洗脳騒動」を取材した記者が見た「そっくりな部分」|url=https://www.j-cast.com/2018/09/28339884.html|website=J-CASTニュース|date=2018-09-28|accessdate=2019-05-30}}</ref>。実弟は「年寄株や登記書などの父の遺産が行方不明になっており、兄に『年寄株を買い取れ』などと要求された」<ref>結局一旦紛失した年寄株「藤島」は再発行された。</ref>「相撲を辞めた人間が相撲の事を語るな」などと様々なテレビ番組に出演し話していたが<ref group="注釈">この時の会見で弟の貴乃花が他人行儀に「花田勝氏」「勝氏」と呼んだことが話題となり、[[松村邦洋]]が貴乃花親方のモノマネをする際にもこのコメント部分を用いている。</ref>、この件に関して花田はマスコミの取材を一切受けず反論もしなかった。また「相撲を辞めた人間が相撲を語るな」との発言を耳にしてレギュラー番組だった[[スポーツうるぐす]]も降板。その際「今後は出演する事は無い」との花田のファックスが番組内で紹介された<ref>[[週刊ポスト]]([[小学館]])2005年7月15日号 218-221ページ『二子山親方「病室の遺言ビデオ」衝撃映像--兄弟戦争に新局面 ベッドの父に花田勝氏がぶり寄り』</ref>。
** 2005年7月4日に、[[東京家庭裁判所|東京家裁]]で父親の11代二子山の相続放棄の手続きをしたと代理人弁護士が発表した<ref>『[[日刊スポーツ]]』 2005年7月4日</ref>。弁護士によると、現役引退のときに父親と話し合って決めていたことで、それ以外の(プライベートな)ことはこの相続放棄と一切関係なく、同月3日の35日の法要を終えるまで公表しない約束だった<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|和書|title=MSN-Mainichi INTERACTIVE 今日の話題(2005年7月4日)|url=https://web.archive.org/web/20050708011450/http://www.mainichi-msn.co.jp:80/today/news/20050705k0000m040061000c.html|website=web.archive.org|date=2005-07-08|accessdate=2019-06-02|publisher=}}</ref>。2014年3月4日放送の[[TBSテレビ|TBS]]系テレビ番組「[[100秒博士アカデミー]]」でも、花田本人が「遺産放棄は父と自身との話し合いによって決めたことであり、弟はそれを知らなかった」と証言している<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20140308063114/http://datazoo.jp/tv/100%E7%A7%92%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC/704633|title=2014年3月4日放送『100秒博士アカデミー』|accessdate=2015-01-09|date=2014-03-04|publisher=TVでた蔵}}</ref>。
** 2019年3月20日の公式ブログで、その半年前までテレビ出演時に弟の写真はおろか名前を使うことも出来なかったことを明かしている<ref>{{Cite web|和書|title=『いつか』|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12448424736.html|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019年3月20日)|accessdate=2019-03-25|language=ja|publisher=}}</ref>。同年5月の一般社団法人の設立には「どういう風にやっていくのか楽しみにしている。『頑張ってください』としか言えない」とコメントした<ref>{{Cite web|和書|title=元横綱若乃花の虎上氏、貴景勝は「休んだ方がいい」 - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201905190001138.html|website=nikkansports.com(2019年5月20日)|accessdate=2021-02-26|language=ja}}</ref>。
**2021年7月、11代二子山時代の部屋後援会の元幹部が当時について週刊ポストの取材に答えている。それによると、11代二子山は二子山部屋を長男に継がせたいと考えており、弟の貴乃花は一代年寄として部屋を興せばいいという考えであった。しかし貴乃花洗脳騒動以来、兄弟の仲に亀裂が入り、2000年に花田が強引に協会を退職した。「貴乃花にすれば、部屋を出て独立するつもりが、自分が継ぐしかなくなってしまった」状況になってしまったという<ref>{{Cite web|和書|title=相次ぐ弟子たちの不祥事 名門「貴乃花部屋」はどこで道を間違えたのか?|url=https://www.news-postseven.com/archives/20210728_1678825.html?DETAIL|website=NEWSポストセブン(2021年7月28日)|accessdate=2021-07-31|language=ja}}</ref>。
 
==== 日馬富士による暴行事件関連 ====
* 2017年11月場所に発覚した横綱・[[日馬富士公平]]による[[貴ノ岩義司]]への暴行事件に関しては、11月14日の[[Facebook]]で「これが本当であれば協会が判断するうんぬんではなく刑事事件として警察に任せる程の事だと私は思いました」と発言して以来、一貫して被害者の貴ノ岩の師匠としての弟の立場に理解を示す発言をしている。
**「憶測が憶測を呼び何が真実かわからなくなっている今、被害者が何も発言していない今、当事者でない私が何を話しても説得力がない」(11月23日)として、当初は週刊誌やテレビなどのマスコミへ取材には応じない意向を表明していた<ref>{{Cite news|title=花田虎上、日馬富士暴行問題でコメントしないと表明|url=https://www.sanspo.com/article/20171123-3PDCDOPPNJKVNL5IBZWHJDKZQY/|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=サンスポ}}</ref>。ところが騒動が沈静化せず、芸能界の仕事で世話になっている[[上沼恵美子]]の要請を受けたため、12月10日に「[[上沼・高田のクギズケ!]]」に出演した。この時も「この問題に関しては(貴乃花は)被害者側だと思うんです」と発言している<ref>{{Cite news|title=花田虎上氏、弟・貴乃花親方は「この問題に関しては被害者側だと思う」|date=2017-12-10|url=https://www.hochi.co.jp/entertainment/20171210-OHT1T50112.html|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=スポーツ報知}}</ref>。
**2018年9月25日に弟の貴乃花退職表明をしたときは時に「"貴乃花"という部屋を興して頑張っていたので、もったいないなという気持ちはありますけど、あれだけ相撲が好きだったところに、"相撲道"とずっと言っていたので協会にいた方がいい人材である」と退職を惜しむコメントを出した語る。協会とのことについては、「[[大乃国康|芝田山親方]]にウソはないと思います。どういう方か存じていますので、引き留められたと思います」と話している<ref>{{Cite news|title=貴乃花親方と協会の食い違う見解…兄・花田虎上が語る弟への思い - FNN.jpプライムオンライン|url=https://www.fnn.jp/articles/-/22437|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=FNN.jpプライムオンライン}}</ref>。
*母親の藤田紀子については、日馬富士による暴行事件で弟の貴乃花を庇う言動をしたことや貴乃花が相撲協会退職後に家族の和解を望むことを仄めかした折に再会を望んだ心情について理解を示し、母としての願いが叶うことを望む発言をしている。しかし、自らの立場・考えは母親とは異なることも明言している。
**2018年6月10日放送の「[[快傑えみちゃんねる]]」出演中に、母と距離を置いていることを明かした。角界を離れアメフトの世界で選手が母親を大切にしているのを見て感銘を受けたためこれまで母親を大切に扱ってきたが、藤田が各局のワイドショーに出演し角界の内部情報をほのめかし続けたことについて「自分の中で裏切られたということがあって。テレビに出て自分の子ども(貴乃花)をかばうのはいいんですけど、今まで助けてくれていた人たちのことを全然顧みず裏切ったりしていたので。僕の本心が違うように伝わっていたので。僕が言いたいことを母がほとんど言っていない」と不快感を表した<ref>{{Cite news|title=花田虎上 母・藤田紀子と関係悪化…「裏切られた」 貴乃花も絶縁状態/デイリースポーツ online|url=https://www.daily.co.jp/gossip/2018/06/01/0011315404.shtml|accessdate=2018-11-02|language=ja-JP|work=デイリースポーツ online}}</ref>。
**2019年1月26日の公式ブログに「今後は利害関係なく、ただの親子になります。考えが合わないのでどうするべきか考え抜いた結果です。そうすることで親子として普通に接することができるのではないかと考えたのです」というコメントを出し、母藤田紀子と2008年に再婚した倉実夫人と子どもたちで会食をしている写真を掲載した。今後は母親と仕事を関係させないプライベートで交流する<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12435727909.html|title=花田虎上『叙々苑』|accessdate=2019-01-26|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019年1月26日)|publisher=|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12435703536.html|title=花田虎上『母と』|accessdate=2019-01-26|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019年1月26日)|publisher=|language=ja}}</ref> と語る。
 
==== 貴乃花との和解企画関連 ====
*2018年に貴乃花が相撲協会を退職して以来、実現すれば高視聴率が期待できるため、テレビ局(日本テレビ・テレビ朝日)から和解特番を持ち掛けられていると報じられている<ref name=":3">{{Cite news|title=テレ朝vs日テレで勃発 若貴兄弟“和解特番”争奪戦の行方|newspaper=日刊ゲンダイ|date=2019-4-25|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/252591/|accessdate=2021-7-21}}</ref>。
**2019年5月8日、日本テレビ系「[[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]]」での貴乃花との和解の企画がとん挫したと報道された。日本テレビには貴乃花と懇意のプロデューサーがおり、「[[行列のできる法律相談所]]」か「24時間テレビ」の企画として前年11月から交渉していという<ref>{{Cite news|title=貴乃花、日テレ『行列』か『24時間テレビ』で親子和解が浮上|newspaper=女性セブン|date=2019-4-10|url=https://www.news-postseven.com/archives/20190410_1350381.html?DETAIL|accessdate=2021-7-21|page=1}}</ref>。一時はOKがでたものの、提示されたギャラの額や<ref name=":5">{{Cite news|title=貴乃花が兄・花田虎上に『24時間テレビ』での「和解」企画を拒絶されていた!?|newspaper=日刊サイゾー|date=2019-5-8|url=https://www.cyzo.com/2019/05/post_202180_entry.html|accessdate=2021-7-21}}</ref>[[女性セブン]]に番組の内容をスクープされたこと<ref>{{Cite web|和書|title=貴乃花 兄・花田虎上と「相撲対決で和解」の仰天プラン|url=https://www.news-postseven.com/archives/20181208_819073.html|website=NEWSポストセブン(2018年12月8日)|accessdate=2021-02-26|language=ja}}</ref> を不審に思った花田が断ったとされている<ref name=":3" /><ref name=":5" />。
**同年5月17日放送の日本テレビ系「[[沸騰ワード10]]」に出演し、かつて「[[ズームイン!!SUPER|ズームイン!!SUPER]]」で共演していた[[羽鳥慎一]]、[[西尾由佳理]]を自宅に招いた。貴乃花が3月20日放送の日本テレビ系「ザ・発言X」に出演し家族関係の修復に前向きな姿勢を見せた<ref>{{Cite news|title=貴乃花氏 家族愛の絵本制作に兄・虎上も反応、修復に期待の声|newspaper=女性自身|date=2019-3-21|accessdate=2021-7-21|url=https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1722331/}}</ref> ことに触れ「僕は仲良くしてもらいたい」と求めた羽鳥に対し、「ずっと殴られ続けてるのに急に仲よくしようって言われた」状態であり貴乃花の連絡先を知らないため『待ち』の姿勢であると答えている<ref>{{Cite news|title=花田虎上、弟・貴乃花の急接近に複雑胸中「ちょっと待って」|newspaper=RBB TODAY|date=2019-5-17|last=杉山|first=実|url=https://www.rbbtoday.com/article/2019/05/17/169910.html|accessdate=2021-7-21}}</ref>。
**2020年11月2日放送のテレビ朝日「[[徹子の部屋]]」に出演。貴乃花とは連絡を取っておらず、「私自身、けんかをしたことがない」「今幸せなので、静かにこのまま時が流れるのを待ってます」とやんわりと今後の交流の意思がないことを語っている<ref name=":2" />。
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{{Basho|s||e|13|2<ref group="注釈">[[曙太郎|曙]]・[[貴乃花光司|貴ノ花(のち貴乃花)]]と優勝決定戦</ref>|||t}}
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* [[ぐるぐるナインティナイン]](不定期である金星相撲部コーナーのレギュラー、2016年1月2日 - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
* [[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]([[テレビ東京]]) - 『[[軽トラで行く!激走!港めぐり旅]]』などレギュラー企画に不定期出演
* SPORTSウォッチャー ([[BSテレビ東京|BSテレ東]]) - 準レギュラー<ref>{{Citation|title=SPORTSウォッチャー▽花田虎上注目の小兵力士を徹底解説▽セパ優勝争いは?(BSテレ東、2019/9/8 25:35 OA)の番組情報ページ {{!}} テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/201909/14330_201909082535.html|accessdate=2019-09-09|language=ja|last=テレビ東京・BSテレ東}}</ref>
* [[花田虎上のチバテレ!YAGURA]] - メインパーソナリティ(2020年4月18日 - 2024年3月16日、[[千葉テレビ放送]])<ref>{{Cite web|和書|title=踊る!チバテレYAGURA|チバテレ|url=https://www.chiba-tv.com/program/detail/1121|website=www.chiba-tv.com|accessdate=2021-02-05}}</ref>
 
=== テレビドラマ ===
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=== ウェブテレビ ===
* [[朝青龍を押し出したら1000万円]](2017年12月31日、[[AbemaTV]])<ref>{{citeCite web|和書|url=https://abema.tv/channels/abema-special/slots/9h8KvRiQu6g8pw|title=朝青龍を押し出したら1000万円|accessdate=2017-12-31|date=2017-12-31|publisher=AbemaTV(アベマTV)}}</ref> - 解説
* AbemaTV大相撲LIVE (2019LIVE(2019年7月 - 、[[AbemaTV]]) - 幕内解説(土日レギュラー)<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上がAbemaTVの大相撲生中継で、相撲芸人・あかつを相手に実演解説 {{!}} 芸能ニュースならザテレビジョン|url=https://thetv.jp/news/detail/196459/|website=ザテレビジョン|accessdate=2021-02-05|language=ja|last=ザテレビジョン(2019年7月6日)|publisher=}}</ref>
* 大相撲ABEMA場所~記憶に残る名勝負100連発~ ([[AbemaTV]])(AbemaTV)<ref>{{Cite web|和書|title=大相撲ファン待望の特別番組を「ABEMA」で生放送決定 三役以上の力士がリモートで生出演!今の想いをインタビューで語る 歴史に残る名取組100選を、「土俵際の大逆転劇集」「豪快な取組」など テーマ別にプレイバック!|url=https://www.cyberagent.co.jp/news/detail/id=24650|website=株式会社サイバーエージェント(2020年5月15日)|accessdate=2020-05-21|language=ja|publisher=}}</ref>
 
=== CM ===
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== 外部リンク ==
* {{Cite web |和書|url=http://www.chanko-waka.jp/ |title=ちゃんこダイニング若 |publisher=ちゃんこダイニング若 |date= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131004080754/http://www.chanko-waka.jp/ |archivedate=2013-10-04 |accessdate=2014-05-22 |deadlinkdateurl-status=dead|url-status-date= 2014年5月 -05}}
{{goo-sumo|2|若乃花 勝}}
{{sumodb|3|若乃花 勝}}
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[[Category:相撲解説者]]
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