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== 来歴 ==
上背はなかったものの、鍛え上げられた強靭な筋肉と巧みな足さばきを生かして多彩な技を繰り出し、技能派の名人力士として知られた。事前に相手の相撲の流れが分かる独特の勝負勘は師匠の二子山にすら言っても理解されないほどの異能で、そうしたことから天才型との評価もある<ref name="nagare"/>。容姿や相撲の内容は実父・貴ノ花利彰よりも伯父の初代若乃花を彷佛とさせた。下半身が非常に筋肉質であり、奉納土俵入りの後ろ姿が、筋肉隆々な出で立ちで有名だった[[千代の富士貢]]のものとして誤った形でインターネット上で拡散された。千代の富士は雲竜型で判別は容易である。
 
「最大の企業秘密」として現役中は明かさなかったが、入門前から左の[[股関節]]が弱く「左を差されて前に出られる相撲」など左の股関節に負担がかかる体勢を苦手とした<ref name="nishonoo23">ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(2) 二所ノ関部屋』p23</ref><ref>第66代横綱若乃花 花田勝『独白-ストロング・スピリット』文藝春秋、2000年、45-50頁。</ref>。
 
小学6年生の時に「[[明治大学付属中野中学校・高等学校|家から近い明大中野]]に行きなさい」と両親に指示され、相撲は中学から始めた。世間では温厚な人柄で知られるが、父からは「お前は気が荒いから、このままいくと人を殺すようなことになる。明中の相撲部に入って修行しなさい」と内に秘めた気性の荒さを危惧されていた。父は非常に怖く、幼少期から嘘を吐いたり門限を破ったりしたら父からしょっちゅう手や物が飛んだ<ref>[https://www.dailyshincho.jp/article/2024/03031055/?all=1 「相撲の流れが見えた」 若乃花が語った「天賦の才」と知られざる気性の荒さ(小林信也)(1/2ページ)] デイリー新潮 (文・小林信也、2024年3月4日閲覧)</ref>。
 
=== 入門 ===
入門時に父の藤島親方から「今日限りお前たちとは親方と弟子になる。パパとママの呼び方は許さない。親方とおかみさんだ。わかったな」と突き放され、若貴兄弟が両親に存在を認められるためには稽古を重ねて早期に関取になるしかなかった<ref name="100retsu">北辰堂出版『昭和平成 大相撲名力士100列伝』(塩澤実信、2015年)168ページから169ページ</ref>。
 
[[1988年]]3月場所で四股名'''若花田'''として[[初土俵]]。「[[花の六三組]]」の一人で、弟の他、[[曙太郎|曙]]<ref>{{Cite web|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202404110000574.html|title=記憶を失った曙さんが涙をボロボロと…元若乃花の花田虎上氏、忘れられぬ思い出と真の友情|publisher=日刊スポーツ|date=2024-04-11|accessdate=2024-04-12}}</ref>・[[魁皇博之|魁皇]]らと同期入門だった。初土俵以降順調に出世するも、1989年11月場所で史上最年少関取となった貴花田には一歩出遅れたが、若花田も弟の後を追いかけるように[[1990年]]3月場所で新[[十両]]となる。同年9月場所に新入幕した<ref name="100retsu"/>。
 
=== 入幕 ===
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: 「強くなったか? うん、うれしかった」と、後輩の成長を肌に染み込ませ、心の区切りをつけた<ref name="intainisaisite">2000年3月17日付日刊スポーツ紙面</ref>。取組後の支度部屋では「ここまできたら怖いものはない。やれるところまでやります」と話していたが、宿舎に向かう車中で冷静に限界を悟った。記者会見では引退の理由を「体力を補う気力が限界になりました」と述べる<ref name="intainisaisite"/>。現役時代一番の思い出として兄弟で横綱になったことを挙げ、1993年3月場所で曙関を破った一番を思い出の取り組みに挙げている<ref name="intainisaisite"/>。記者からは「夏場所復帰でも良かったのでは」と質問されたが、引退会見では「心の問題です。今場所前に、やるぞっという気持ちになったので」と話した<ref name="intainisaisite"/>。当時の若乃花は29歳2か月で、横綱在位は11場所だが皆勤は5場所であった。若乃花の引退により、4横綱時代も5場所のみに終わった。
: 横綱時代は休場の方が多くかつ横綱の地位で一度も幕内優勝出来ず、十分にその役目を果たせなかった<ref name="100retsu"/>。大関時代は大型力士が台頭する中で、小兵の若乃花は下手をすると大負けしかねない状況だったが、休場明け等の場所を除いた場所は概ね二桁以上の成績を上げている。引退時に「横綱昇進しなければ『名大関』として名を残せた」「大関の地位に留まれば、こんなに早く引退する事は無かった」と惜しむ声もあった<ref>『嫌いなことでも好きになれる。』魁皇博之・著作より。尚魁皇も若乃花と同じく1988年3月場所初土俵「花の六三組」の[[ライバル]]だった。</ref>。
: 2014年6月2日放送分のフジテレビの番組『[[ジャネーノ!?]] 』で、概して「相撲という競技は好きだが小さな体で大きな相手と戦わなければならないので大相撲力士にはなりたくなかった」と明かしており「横綱になったらやめるという条件を付けてもらった」と話した<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20140911121035/http://datazoo.jp/tv/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%83%8E%EF%BC%81%EF%BC%9F/757026|title=2014年6月2日放送『ジャネーノ!?』|publisher=TVでた蔵|date=2014-06-02|accessdate=2015-01-09}}</ref>。一方で2024年の『デイリー新潮』の記事では「最高でした。アメリカから来た最高にパワーのあるアスリートと一対一で戦える。戦争に負けているので土俵では負けられないなと。小錦さんや曙は土俵の半分が体ですから。でも僕みたいなのが勝つと日本の人たちは喜んでくれる」と現役時代を振り返っている<ref name="nagare">[https://www.dailyshincho.jp/article/2024/03031055/?all=1&page=2 「相撲の流れが見えた」 若乃花が語った「天賦の才」と知られざる気性の荒さ(小林信也)(2/2ページ)] デイリー新潮 2024年03月03日 (文・小林信也、2024年3月4日閲覧)</ref>。
: 力士生命にとって致命的になった足の怪我の容態は引退後も回復しておらず、のちに「将来、車椅子の生活になる事は避けられない」と医師から告げられた事を告白している<ref>潮([[潮出版社]])2004年12月号 222〜229ページ『連載対談 内館牧子の「今日もがぶり寄り!」(36) 報道されていることの八割は「ウソ」でした。』</ref>。2016年夏頃に武蔵丸(現15代[[武蔵川]]親方)は若乃花に会った時、怪我の後遺症で毎日痛み止めを飲んでいることを知り驚いた<ref>『大相撲ジャーナル』2016年9月号12ページ</ref>。2021年9月場所直前の記事で、背骨は引退後も変形し続け一生治らないと報じられる<ref name="video"/>。
: 横綱昇進後は貴乃花との不仲や離婚問題など、騒動が多かったが、本人は「(ワイドショーで)騒がれた場所ほどかえって相撲に集中出来た」と語り、騒がれた場所では優勝を逃したが好成績を残している。
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=== 引退後 ===
==== 相撲協会退職 ====
: [[年寄]][[藤島 (相撲)|藤島]]を襲名し、当初は後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年[[12月18日]]に突如[[日本相撲協会]]を退職した。後年の報道によると、兄弟の不仲で部屋継承の話が拗れ、人間関係に嫌気が差したのが退職の理由とみられる<ref>[https://www.news-postseven.com/archives/20240413_1956486.html/2 《誰も相撲界に残らず》曙太郎さん死去 「若貴」との“同期3横綱”が全員、角界を去らなければならなかった本当の理由(2/4ページ)] NEWSポストセブン 2024.04.13 11:00 (2024年4月14日閲覧)</ref>
 
==== 相撲協会退職後の主な活動 ====
:力士時代からの念願であった[[アメリカンフットボール]]に挑戦。2001年に[[Xリーグ]]の[[オンワードオークス|オンワードスカイラークス]]に入部し、2002年に[[NFL]]入りを目指して渡米、[[アリーナフットボールリーグ|AFL]]の[[アリゾナ・ラトラーズ]]のキャンプに参加したが、就労ビザが取得できず帰国した<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上 プロフィール|講演会・セミナーの講師紹介なら講演依頼.com|url=https://www.kouenirai.com/profile/1755/|website=www.kouenirai.com|accessdate=2019-08-26|language=ja}}</ref>。現在は[[タレント]]や[[スポーツキャスター]]として活動し、テレビの[[バラエティ番組]]などに出演する。
:2005年5月までは民放で相撲解説も務めたが、[[花田虎上#確執の発生と経緯|後述]]のトラブルにより番組を降板する。以来、相撲関係の仕事は対談やコラムの執筆などに限られたが、度々オファーを受けた熱意に応じて2019年7月場所でAbemaTVの実況解説者として土日の幕内を担当し、約15年ぶりに相撲解説した<ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上『お知らせ』|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12490866233.html|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019年7月6日)|accessdate=2019-07-06|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=花田虎上がAbemaTVの大相撲生中継で、相撲芸人・あかつを相手に実演解説(画像1/3) {{!}} 芸能ニュースならザテレビジョン|url=https://thetv.jp/news/detail/196459/1183514/|website=ザテレビジョン(2019年7月6日)|accessdate=2019-07-06|language=ja|last=ザテレビジョン|publisher=}}</ref>。定評のある話術を駆使し、取組に勝った力士・負けた力士のそれぞれの勝因・敗因について相撲芸人[[あかつ]]を相手役に視聴者に分かりやすく見せるアクション解説も行う<ref>{{Cite web|和書|title=貴が去り…若が久しぶりの角界“復帰” 花田虎上氏、名古屋場所ネット解説で登場|url=https://www.zakzak.co.jp/spoarticle/news20190708-TTFFFF7UZRMGHCFLGTD66SQ4AQ/190708/spn1907080004-n1.html|website=zakzak(2019年7月8日)|accessdate=2019-07-10|language=ja|publisher=}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=相撲芸人あかつ、花田虎上と夢の共演 無言で解説補助も存在感ばっちり 持ちネタもギリギリぶっこむ|url=https://times.abema.tv/articles/-/7009585|website=AbemaTIMES(2019年7月7日)|accessdate=2019-07-10|language=ja|publisher=}}</ref>。[[新型コロナウイルス感染症 (2019年)|2019年新型コロナウイルス感染症]]の感染防止のため、2020年からアクション解説が不可能となり、以降は[[ブルーバック|グリーンバック]]に取組のスロー再生を流しながら相撲技術をバーチャル解説る<ref>{{Citation|title=2021年 大相撲初場所 - 2021年初場所 - 【三代目若乃花の今日の一番_バーチャル解説】ホッとした一番!"朝乃山(大関) vs 遠藤(前頭5)" {{!}} 無料で動画&見逃し配信を見るなら【ABEMAビデオ】|url=https://web.archive.org/web/20210208080728/https://abema.tv/video/episode/394-35_s1_p71|accessdate=2021-02-03|language=ja}}</ref>。
:2021年9月場所から日刊スポーツで相撲評論家を務め、本場所中に「若乃花の目」と題したコラムを連載する<ref>{{Cite web|和書|title=元横綱若乃花の花田虎上さんが評論家に就任 秋場所から「若乃花の目」 - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202109070000092.html|website=nikkansports.com(2021年9月10日)|accessdate=2021-09-12|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【若乃花の目】一人新横綱のプレッシャー、取組より土俵入りの方が大きい - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/202109110000084.html|website=nikkansports.com(2021年9月11日)|accessdate=2021-09-12|language=ja}}</ref>。コラムのカットに自身の愛称である「お兄ちゃん」が候補に入るも本人は「もう『お兄ちゃん』って、そんな年でもないし」と拒否した<ref name="video">[https://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/202109100000804.html 花田虎上氏「相撲の神様に恩返し」評論家就任、横綱昇進時のエピ告白に衝撃] 日刊スポーツ 2021年9月11日10時1分 (2021年9月13日閲覧)</ref>。
 
==== 実業家として ====
:2002年にドリームアーク社を設立し、代表取締役会長として全国に店舗展開する「Chanko Dining 若」「うどんダイニング若」「&kitchen」「Onii Chan and Kitchen(おにいちゃん&キッチン)」フードコート業態「わかどん」「ちゃんこうどん」をプロデュースした。同社は大相撲の本場所で懸賞の提供企業で、花田の知名度から最盛期は国内38店舗、韓国1店舗の計29店に拡大した。
:2008年11月に花田は保有していた株式を経営陣へ売却し、代表取締役会長を退任して経営から退く。ちに同社は2010年5月6日に東京地裁へ自己破産を申請した。経営悪化の要因として、店舗展開を広げ過ぎたことや『名義貸し』だけの店となり客に飽きられたことが指摘される<ref>{{citenews|url=https://web.archive.org/web/20100509122706/https://www.sankeibiz.jp/business/news/100506/bsg1005061854002-n1.htm|title=「ちゃんこダイニング若」が破産 負債4億5千万円|publisher=[[SankeiBiz]]|date=2010-5-6|accessdate=2010-5-6}}</ref><ref name="tsr">[http://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1201882_1588.html (株)ドリームアーク | 倒産速報 | 最新記事 | 東京商工リサーチ]</ref>。
:2012年より、個室居酒屋業界大手の[[アンドモワ]]株式会社で「若の台所」「赤鶏御殿」、ラーメン屋「若のらーめん」をプロデュースした<ref>{{Cite web|和書|url=http://mogumogunews.com/2014/06/topic_7124/|title=若乃花が居酒屋チェーンで再サクセス バックには正体不明の企業が存在|publisher=もぐもぐニュースビジネス|date=2014-6-19|accessdate=2015-09-24|}}</ref> が、閉店。その後、アンドモワは2022年3月、東京地裁に自己破産を申請している<ref>{{Cite web|和書|title=個室居酒屋運営のアンドモワ/自己破産を申請、負債80億円 |url=https://www.ryutsuu.biz/strategy/o040119.html |website=流通ニュース |access-date=2022-07-20 |last=株式会社ロジスティクス・パートナー |date=2022-04-01}}</ref>。
 
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* 現役時代の若い頃は、[[力士養成員|若い衆]]に30番ほど胸を出してから、関取衆との申し合い・三番稽古を20番、30番以上はこなした。それも待ったなしで行った。稽古はまるで喧嘩であり、師匠から「やめろ!」と怒鳴られるまで続けた<ref>アプリスタイル『[[NHK G-Media 大相撲ジャーナル|スポーツ報知 大相撲ジャーナル]]』2021年1月号 14頁</ref>。
*現役時代の[[廻し]]に付いていたさがりの本数は17本で、弟の貴乃花も同数であった<ref>[https://www.nikkansports.com/battle/column/sumo/news/201905160000126.html まわしの「下がり」に個性、白鵬15連勝願い15本] 日刊スポーツ 2019年5月17日10時0分(日刊スポーツ新聞社、2019年5月19日閲覧)</ref>。
* 関取になって1人部屋が与えられてビデオを見るスペースを得てからは連日連夜、ビデオテープが擦り切れるまで取組を研究した<ref name="video"/>
* 現役時代はアメリカ文化に憧れており武蔵丸にアメリカ文化を教えてほしいと思ったが、私情を避けるため現役時代は私的に交流しなかった<ref name="number2019022836">Sports Graphic Number (文藝春秋)2019年2月28日号 p36</ref>。
* 貴闘力は「貴乃花はとにかく稽古をする男だったが、貴乃花と若乃花どちらが素質があるかと言えば若乃花かもしれない」「膝から下の力が強かったので、200キロの相手でも対等に戦えたし、投げられても踏ん張ってうっちゃったりができた」と称賛している<ref>{{Cite web|和書|title=「親方が特別扱いしなければ貴乃花はもっと…」“貴の乱”で親方勢に“ガチンコ勝負”で負けてしまったワケ《貴闘力がみた若貴兄弟の性格の違い》 |url=https://bunshun.jp/articles/-/58890 |website=文春オンライン |access-date=2023-11-10 |last=「文春オンライン」特集班}}</ref>。
* 2000年3月場所、現役最後の対戦相手は奇しくも明大中野高校の後輩でもある[[栃東大裕]]だった。本人は高校の後輩として面倒を見ていた栃東ならば、最後の対戦相手として不足はない、と考えた。現役最後の白星となった4日目[[玉春日良二|玉春日]]戦の取組後、翌日の対戦相手が栃東と決定した時に、母の憲子から電話で「明日栃東でしょう。良かったわね」と話すと、若乃花も「そう。よかったよ、ダイスケで」と喜んだ。この電話で二人は「栃東戦が最後の一番」と、通じ合った。
*現役時代のある時、[[霧島一博|霧島]]との取組の後に右足親指の骨が見えてその指が切断しそうになっていた。霧島もこれには心配になって東西が反対の支度部屋の風呂まで駆け付けた。当時、東西の支度部屋の往来は認められていた<ref>[https://times.abema.tv/articles/-/7046977 花田虎上氏、足の親指がちぎれそうになった過去を明かす「骨付きウインナーみたいに……」] AbemaTIMES 2020.03.21 18:41(2020年3月29日閲覧)</ref>。
*曙との対戦成績は17勝18敗と僅か1つの差で負け越した。中でも小結時代の1993年3月場所の12日目、当時新横綱の曙を取り直しの末に投げ飛ばして初優勝、後の大関昇進への足がかりとした。
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** 1998年5月場所千秋楽で白星を挙げて横綱昇進を決めた時も嬉しくないと思い、むしろ「横綱になっても横綱相撲は取れない」「辞めるしかない」と不安で一杯だった<ref name="number2019022836" />。場所終了後に横綱になることになったので、口上の決まり文句「謹んでお受けします」ではなく<ref name="20141120466+45464" />、「謹んでお断りしてよろしいでしょうか」と言って入門時の約束どおりに引退するつもりだったが、両親に反対され<ref name="20141120466+45464" />、仕方なしに横綱になった<ref name="20141120466+45464" />。以来、相撲を辞めたいと言う度に、引退3日前まで11代二子山は殴って諌めた<ref>[https://www.sanspo.com/article/20180317-OM55R5MVAVLILG72CKAWFELNCE/ 花田虎上氏、弟・貴乃花との優勝決定戦の質問に「八百長してないです。僕は死んでもしません」] SANSPO.COM 2018.3.17 06:47(産経新聞社、2018年3月17日閲覧)</ref>。
** 1999年場所直前に父親の11代二子山が「貴乃花は懇意にしている整体師から洗脳されている」と発言したとする「貴乃花洗脳騒動」が発生以来、実弟とは絶縁状態である。直接の話し合いもなくメディアを使い一方的に実弟に非難をされており、2005年5月の父親死去の折も同様の形で非難をされている<ref>{{Cite web|和書|title=貴乃花親方引退騒動、あの「洗脳騒動」を取材した記者が見た「そっくりな部分」|url=https://www.j-cast.com/2018/09/28339884.html|website=J-CASTニュース|date=2018-09-28|accessdate=2019-05-30}}</ref>。実弟は「年寄株や登記書などの父の遺産が行方不明になっており、兄に『年寄株を買い取れ』などと要求された」<ref>結局一旦紛失した年寄株「藤島」は再発行された。</ref>「相撲を辞めた人間が相撲の事を語るな」などと様々なテレビ番組に出演し話していたが<ref group="注釈">この時の会見で弟の貴乃花が他人行儀に「花田勝氏」「勝氏」と呼んだことが話題となり、[[松村邦洋]]が貴乃花親方のモノマネをする際にもこのコメント部分を用いている。</ref>、この件に関して花田はマスコミの取材を一切受けず反論もしなかった。「相撲を辞めた人間が相撲を語るな」との発言を耳にしてレギュラー番組だった[[スポーツうるぐす]]も降板。その際「今後は出演する事は無い」との花田のファックスが番組内で紹介された<ref>[[週刊ポスト]]([[小学館]])2005年7月15日号 218-221ページ『二子山親方「病室の遺言ビデオ」衝撃映像--兄弟戦争に新局面 ベッドの父に花田勝氏がぶり寄り』</ref>。
** 2005年7月4日に、[[東京家庭裁判所|東京家裁]]で父親の11代二子山の相続放棄の手続きをしたと代理人弁護士が発表した<ref>『[[日刊スポーツ]]』 2005年7月4日</ref>。弁護士によると、現役引退のときに父親と話し合って決めていたことで、それ以外の(プライベートな)ことはこの相続放棄と一切関係なく、同月3日の35日の法要を終えるまで公表しない約束だった<ref name=":1" /><ref>{{Cite web|和書|title=MSN-Mainichi INTERACTIVE 今日の話題(2005年7月4日)|url=https://web.archive.org/web/20050708011450/http://www.mainichi-msn.co.jp:80/today/news/20050705k0000m040061000c.html|website=web.archive.org|date=2005-07-08|accessdate=2019-06-02|publisher=}}</ref>。2014年3月4日放送の[[TBSテレビ|TBS]]系テレビ番組「[[100秒博士アカデミー]]」でも、花田本人が「遺産放棄は父と自身との話し合いによって決めたことであり、弟はそれを知らなかった」と証言している<ref>{{Cite web|和書|url=https://web.archive.org/web/20140308063114/http://datazoo.jp/tv/100%E7%A7%92%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%83%87%E3%83%9F%E3%83%BC/704633|title=2014年3月4日放送『100秒博士アカデミー』|accessdate=2015-01-09|date=2014-03-04|publisher=TVでた蔵}}</ref>。
** 2019年3月20日の公式ブログで、その半年前までテレビ出演時に弟の写真はおろか名前を使うことも出来なかったことを明かしている<ref>{{Cite web|和書|title=『いつか』|url=https://ameblo.jp/masaru-hanada/entry-12448424736.html|website=第66代横綱若乃花 花田虎上オフィシャルブログ Powered by Ameba(2019年3月20日)|accessdate=2019-03-25|language=ja|publisher=}}</ref>。同年5月の一般社団法人の設立には「どういう風にやっていくのか楽しみにしている。『頑張ってください』としか言えない」とコメントした<ref>{{Cite web|和書|title=元横綱若乃花の虎上氏、貴景勝は「休んだ方がいい」 - 大相撲 : 日刊スポーツ|url=https://www.nikkansports.com/battle/sumo/news/201905190001138.html|website=nikkansports.com(2019年5月20日)|accessdate=2021-02-26|language=ja}}</ref>。
**2021年7月、11代二子山時代の部屋後援会の元幹部が当時について週刊ポストの取材に答えている。それによると、11代二子山は二子山部屋を長男に継がせたいと考えており、弟の貴乃花は一代年寄として部屋を興せばいい考えた。貴乃花洗脳騒動以来、兄弟の仲に亀裂が入り、2000年に花田が強引に協会を退職した。「貴乃花にすれば、部屋を出て独立するつもりが、自分が継ぐしかなくなってしまった」状況になった<ref>{{Cite web|和書|title=相次ぐ弟子たちの不祥事 名門「貴乃花部屋」はどこで道を間違えたのか?|url=https://www.news-postseven.com/archives/20210728_1678825.html?DETAIL|website=NEWSポストセブン(2021年7月28日)|accessdate=2021-07-31|language=ja}}</ref>。
 
==== 日馬富士による暴行事件関連 ====
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* [[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]([[テレビ東京]]) - 『[[軽トラで行く!激走!港めぐり旅]]』などレギュラー企画に不定期出演
* SPORTSウォッチャー([[BSテレビ東京|BSテレ東]]) - 準レギュラー<ref>{{Citation|title=SPORTSウォッチャー▽花田虎上注目の小兵力士を徹底解説▽セパ優勝争いは?(BSテレ東、2019/9/8 25:35 OA)の番組情報ページ {{!}} テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)|url=https://www.tv-tokyo.co.jp/broad_bstvtokyo/program/detail/201909/14330_201909082535.html|accessdate=2019-09-09|language=ja|last=テレビ東京・BSテレ東}}</ref>
* [[花田虎上のチバテレ!YAGURA]] - メインパーソナリティ(2020年4月18日 - 2024年3月16日、[[千葉テレビ放送]])<ref>{{Cite web|和書|title=踊る!チバテレYAGURA|チバテレ|url=https://www.chiba-tv.com/program/detail/1121|website=www.chiba-tv.com|accessdate=2021-02-05}}</ref>
 
=== テレビドラマ ===
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* ガチンコ―さらば若乃花([[武田頼政]]著・[[講談社]]・2000年9月)ISBN 4062103087
* お兄ちゃん―誰も知らなかった若乃花の真実([[横野レイコ|横野麗子]]著・[[フジテレビ出版]]・2000年9月)ISBN 4594029744
 
== 同学年の各界著名人 ==
Wikipedia掲載の誕生日基準
*[[山崎直子]] ([[宇宙飛行士]]・宇宙政策委員会委員・大学客員教授)
*[[三上弥]] (NHKアナウンサー 愛称・ミスターNHK)
*[[博多華丸]] ([[タレント]]・吉本興業所属 愛称・華丸)
*[[工藤静香]]([[歌手]]・タレント 作詞活動)
*[[羽生善治]] ([[棋士]]・[[日本将棋連盟]]会長)
*[[伊達公子]] (元テニス選手)
*[[博多大吉]] (タレント・[[吉本興業]]所属 愛称・大吉先生)
 
== 脚注 ==
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== 外部リンク ==
* {{Cite web|和書|url=http://www.chanko-waka.jp/ |title=ちゃんこダイニング若 |publisher=ちゃんこダイニング若 |date= |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131004080754/http://www.chanko-waka.jp/ |archivedate=2013-10-04 |accessdate=2014-05-22 |deadlinkdateurl-status=dead|url-status-date= 2014年5月 -05}}
{{goo-sumo|2|若乃花 勝}}
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